◆抵抗権とキリスト教信仰◆

9.抵抗権の確保のために

 日本国においては、政府の行為として戦争事態になることはないようにされ、そのために如何なる形の軍隊も保有しないのだと、憲法が謳い(うたい)あげている。だから、戦争事態になった時、われわれが自分の良心を如何に守るかという問題で苦慮する必要はこの憲法のもとではないはずである。そのようにわれわれは考え、安心していた。しかし、その考えは甘過ぎた。戦争が如何に空しく愚かなものかを知っている人の多くが死んだことが理由の一つであろうか、日本は再び戦争をしたがる国家となり、戦争態勢を整える道をシャニムニ走り出している。しかも、政府側では、戦争事態のもとで、人民の良心を守る政府の義務を如何にして果たすかについて、何も考えていないということが明らかになった。一昨年の国会の委員会における質問に対する官房長官の答弁は、彼自身の学識・教養の貧しさとして片付けられてはならない。政府は非常事態における国の軍事的防備については考えているとしても、住民一人一人の身体や財産は言うまでもないが、良心の保護ということは全然考えておらず、そのような事情について理解する資質を全く欠いているのである。

 良心の抵抗する権利が、人権思想の発達した現代の法治国家においては、(「自己責任」として、本人の負担で処理されるのでなく)、法的に保障されるというのが常識であると思っていたのは、幻想に過ぎなかったと思い知らされた。われわれは愕然としたのだが、この国で良心の自由が保障されていると思い込んでいた方が不用意であったと言われると、返す言葉がない。われわれは蓄えなしに冬を迎えたキリギリスのように、裸のままで冬の季節に入ったのである。

 良心の自由が保障されていないことは上記の事件の後、次々に明らかになった。例えば、学校教育の中で行なわれる日の丸・君が代の強制。それに抵抗する教師の処分。その処分に対抗して法的保護を訴えても、裁判所は正義を守る志も感覚も失っているため訴えを却下する、という判決が出ている。今後、上級審によって覆されるとわれわれは信じているが、とにかく現状はこれである。当事者の教師は今のところ戦おうとしているが、ことの重大性に目覚める支持者は恐ろしいほど少ない。キリスト教会の中にもまだ関心は低い。同情はあっても、共に戦おうという人は少ない。だから今は抵抗している教師が、孤立感の中で挫折することは大いにあり得る。

 次の段階では、国家が起こす戦争にキリスト者も他の人々と共に引き込まれ、抵抗出来ないままに、また真相が隠されたまま、大量虐殺に協力させられることは起こり得るであろう。具体的に言えば、若者が、徴兵あるいはその他の強制によって、「公共の利益」のために、戦闘行為に参加を命じられるというようなことである。良心を持ち、また物を考える若者は思い悩むであろう。(「そのような、物を考える若者は今日の教会にはいないではないか」という混ぜっ返しは、実情をうがったものではあろうが、この深刻な議論の中には持ち出さないようにして欲しい)。

 これまでの人類史を見ると、国家の起こす戦争に反対する人は、少数ながらつねにいた。今では、情報手段が発達したから、反対者が必ずしも少数でないようになった。それだのに、権力者が戦争を起こしたくなれば、戦争が既成事実となることが出来てしまい、そしてこれが民主主義だと言い切ってしまうような前例が、イラク戦争によって作られてしまった。さらに、そういう暴挙を敢えてする国の真似をするのが、民主主義として正しいと思う人間が権力者として認められるようにもなっている。これは民主主義の本来の箍(たが)が外れてしまったという問題か、あるいは民主主義そのものが老朽化して行き詰まったと言うべきか、とにかく、民主主義の名のもとに、納得の出来ない戦争にも参加させられるという事態になっている。納得出来れば戦争に参加できるか、というもう一つの問題がこれにかぶさっている。

 かつて日本が戦争目的の国家であった時、キリスト教会はその目的を持つ国家に随従する機関になっていた。だから、教会員の良心を守る働きを何もしなかった。これこそが教会が神の前に告白すべき戦争責任の核心部分である。だが、戦後59年、口では教会の戦争責任ということを唱えたが、神に対するよりは人々の好みに合わせる動機の強い罪責表明であり、過ちを繰り返さないための実質的な努力は何もしなかった。キリスト教の戦争責任の自己批判は良心的になされているかのように言われているが、延命策のように思われる面もある。

 それでは、実質的努力として、どういうことがあり得たであろうか。――キリスト者の良心を守ることに関して、先ず考えるべきは、主から命じられた「私の羊を養え」との務めをチャンと果たしたかどうかの自己検討があったはずである。羊飼いでない雇い人が逃げ出して、羊たちが投げ捨てられたようなことはなかったのか。

 彼らを再び迷わせることがないように、理論武装させるための信仰的・思想的指導と訓練、法的基礎研究などの地道な営みがあったではないか。国のうちの大部分が無頓着であったとしても、そのことを志をもって始めるべきであった。そういう努力の片鱗もなかったとは言えないかも知れないが、形ある成果として、教会の継承すべき精神的遺産と言えるものは皆無である。例えば、良心的兵役拒否の法制化の準備を進めることは、外国の真似であるに過ぎないと言われるとしても、出来たはずである。

 ヨーロッパでは第二次大戦時とその後の時代にかけて、良心的兵役拒否が国家の法の枠内で取り上げられるようになった。歴史を通じての積み上げの成果である。そしてアメリカでさえ(「さえ」と言うのは失礼だと反論されるかも知れない)ヴェトナム戦争末期には、徴兵を拒否して登録カードを教会に預ける青年の行動を教会は受け入れた。それが主要な原因であったとは言わないが、ついに国家は軍隊をヴェトナムから撤退させる決断に追い込まれた。そのような諸国の教会事情について、教会は着実に情報を集めることが出来る時間と手蔓を持っていた。

 「そういう努力をしなければならないことは分かっていたが、目の前に差し当たってしなければならない問題があって、キリストの民として地の塩の務めをしようとすれば、次々と現代的課題に追われ、明日の問題が見えなかったわけではないが、事実上それに時間を割くことは出来なかった」という釈明があろう。それは受け入れるほかないかも知れない。それにしても、やがて必要なときが来ると見抜いて、力を養い、知識を蓄えて置く叡智(えいち)は、「教会を信ず」と告白している群れにとって、必須ではなかったか。悪気があっての怠慢とは言えないし、やがて戦争に繋がると予想されたからそういう反対運動をしていたのは事実である。けれども、戦時における不作為だけでなく、平時における不作為も、戦争責任として取り上げられる日がいずれ来るであろう。


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