◆抵抗権とキリスト教信仰◆

5.抵抗の歴史を見る目

 抵抗の根拠として出来合いの理論を借りて来ても間に合わない。借り物では身に付かないから、話しの材料にはなっても存在を賭けた証しの支えにならない。それだけでなく、答えるべき言葉は、その都度、御霊によって示されるという約束が無にされるからである(マルコ13:11)。その言葉について予測は容易でないが、御霊が御言葉と矛盾することはないから、御言葉を聞き続けていることが、準備として第一に必要である。

 しかし、抵抗の理論でなく、抵抗の事実、抵抗者の生きざまを学んでおくのは有意義である。抵抗者と言ったのは、抵抗運動を行なった人のことでは必ずしもない。運動にならない場合があった。運動より大事なことは人間の姿勢である。「人に従うよりは神に従うべきである」との信仰の姿勢である。この世に置かれているが、この世の民ではなく、神の民であり、この世では「寄留者」であるとの自覚の表明である(ヘブル11)。

 この姿勢は、当然、自らの受け継いでいるものについての理解と知識の蓄積を生むであろう。それが余りにも手薄であったことにわれわれは現在気付いている。

 日本のキリスト教には抵抗の歴史がなかったと多くの人は論じている。それが良心的な歴史認識のように思われているようだが、少し違うのではないか。抵抗の歴史を抵抗の歴史として心に留めることをすまい、また、させるまいとする志向が強すぎ、その克服の努力がまるでなかったのである。

 今、殉教について論じようという意図はないが、「殉教」という事象に目を向けると、分かって来るものがある。他の国の教会が殉教を見ている目と、日本の教会が(プロテスタントもカトリックも共通に)見る目とが違い過ぎることに注意したい。多くの国で、殉教に向ける思いが熱っぽ過ぎ、ことに殉教を最高の功績と仰ぎ、そう教える歪んだ見方があり、英雄崇拝に摩り替わる危険がある。これは排除しなければならないが、日本にはまともにこの事実に向き合うまいとする歪んだ歴史がある。

 韓国ではカトリック伝道の初期に大迫害があって、多くの殉教者が出た。その事実に目を背けることなく、言い伝えられ、その言い伝えが信仰的遺産となり、ずっと遅れて入って来たプロテスタントもこの遺産の分け前に与った。

 日本ではどうか。お上に刃向かって邪宗門を捨てない意固地な者らのことを目立って扱ってはならない、と人々は憚った。だから真正面からは取り上げない。しかし、事実としては抹消しようもないから、ハスに構えたような見方になる。つまり、そこにある本質的なことは目に入れないように見る。だから何も伝わらないし、伝えようともしない。韓国では伝えようとするから、伝わる。神社参拝の強要があった時、これに屈しない人がいたのは、一つは遺産の積み重ねがあったからであると私は思う。日本で殉教は教会の遺産にならず、西海の島々の観光資源に利用されるだけである。哀切で美しいが、そこからは何も受け継げないし、景色の美しさ以外に見えてくるものはない。

 無関係な話しのようだが、つい最近、イラクの民衆を支援するために危険を覚悟して赴いた人たちが気の毒にも人質に取られた時、同国人のうち多数の者は横柄な権力者と一緒になって、人質に取られた人を責めた。彼らの先祖が殉教して行くキリシタンを冷たく見殺しにしたのと同じ精神構造がうかがえるではないか。キリシタンの場合だけではない。その前に、一向一揆の信者たちの虐待に対する共感も同情も乏しかった。そういう風土の中で、われわれの抵抗思想も埋没している。

 


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