◆ 2006.12.24.

待降節礼拝説教
――コロサイ1:15によって――

  「御子は見えざる神の「かたち」であって、全ての造られたものに先立って生まれた方である」。この1節を今日は学ぶ。
 降誕節に読まれる聖句は、通例、主イエスのベツレヘムにおける御降誕のくだりである。カイザル・アウグストの支配下、クレニオがシリヤ総督であった時、人々は人口調査を受けるために、各々本籍地に帰った。ダビデの子孫ヨセフも、妻マリヤと共に、住んでいるナザレからベツレヘムに一時戻って、そこに滞在中、初子が生まれた。そのようにルカは記している。
 今朝の礼拝で我々が聞く箇所は、特に主の降誕の歴史について述べたものではない。しかし、「全ての造られたものに先立って生まれた」と言われるのは、確かに、生まれたこと、誕生についてである。ベツレヘムにおける誕生とは違った意味の誕生である。それは、全ての造られたものに先立って存在されたということであって、普通に言う誕生・出生とは別のものである。その違いの特徴を挙げるならば、母からの、肉体をもっての誕生でなく、父からの、永遠の誕生である。
 コロサイ書の115節から18節あるいは20節までは、そのころ教会の中で歌われていたキリスト讃歌を引用したものではないかと思われる。これが讃美歌として歌われていたことの、確たる証拠はない。しかし、この部分が「キリスト讃美」という主題で纏まっているのは確かである。韻を踏んでいるかどうかについて、ハッキリしたことは言えないが、言葉と内容の排列また展開は、まさしく詩である。詩であると言ったのは理論的な論述でないという意味ではない。理論的にもシッカリ語っているが、聞く人に理解させる力があるだけでなく、讃美の歌として、我々を引き入れて、共に讃美させる、そういう力がある。これは、ピリピ書26節以下にある「キリストは神の形であられたが……」という有名なキリスト讃歌と、形も雰囲気も似ている。だから、同じような事情のもとで、教会の中で歌われた讃美を使徒が手紙の中に取り入れた、と考えて無理なく納得出来る。勿論、使徒が書簡を書きながら、ここに至って一つのキリスト讃美を書かざるを得なくなったと解釈する人がいても、異論を述べる必要は全くない。
 この讃美、あるいはこの告白文が、いつ作られたかについて論じることは今は要らない。歌の由来についてスッキリした説明がなくても良い。むしろ、漠然としたままにして置く方が相応しく感じられると言うべきだが、すでに歌われ、あるいは唱えられていた言葉が、ここに引用されたという思いを共有する人は今日も少なくないであろう。
 「クリスマスだ、クリスマスだ」と言われる。クリスマスなのだから、キリストがお生まれになった時のことを福音書から学ぶのが最も適切ではないか、と多くの人は考える。もちろん、マタイ伝とルカ伝にある御子の降誕の記事を、この季節に改めて学び、知識を深めることには、十分意味がある。ただし、季節と結び付けると、キリスト降誕の記念が季節に限定され、季節と感覚的に密着させられた風物詩のようなことになる。
 最も古い時代の教会は、「キリスト降誕の日」を定めておらず、そのような日の特定を考えてもいなかった。他方、主が捕らえられ、あるいは渡された夜、十字架に架けられた金曜日、死人の中から甦りたもうた朝、約束にしたがって聖霊が遣わされた日、それらの日は、教会の最初の時期から、年ごとに記念された。それと比べると、キリストの誕生の日に関心を寄せる人はいなかった。
 キリストが人の子として、幼な子として、マリヤから生まれたもうたことはハッキリしている。しかし、その季節は知られていない。それが1225日だと定めたのは、何百年も後になってからである。この日をキリスト降誕の日と定めたのは、単なる思い付きに過ぎなかった。しかも、その思い付きの拠り所は、この時が、自然宗教においては、太陽神の死滅と再生の時と考えられていた「冬至」に当たるからである。
 古代人は現代人には思い及ばぬほど、自然の移り行き、わけても太陽の昇る方角、沈む方角に敏感であり、観察は精確であった。秋から冬に掛けて太陽は一日一日遠ざかって行き、それに連れて太陽から送られて来る光線も熱も衰える。そして、最も衰えた陽が沈んだ次の朝から、太陽は近寄り始める。人々はこれを神秘なことと感じ、彼らの宗教に結び付けた。
 旧約の宗教には、季節と結び付いた祭りが取り入れられていた。新約の宗教は、もはや民族の生活慣習とは無関係な普遍的世界宗教であるから、或る国民とか、或る民族にだけ適合した慣習は持たなくなった。年々守られる祝日は、受難週、復活節、五旬節だけである。それ以外のキリスト教会の祝日は後世になって設けられたものである。
 キリスト教が降誕節を取り入れたのは、それで良かったのではないかと言う人はいる。また、年の終わりの寒さの厳しくなって来るなかで、救い主の降誕に思いを馳せ、貧しい隣人を顧みることや、過ぎ行こうとする年を振り返って、己れの罪を顧み、罪の赦しをさらに深く捉え直すことは有意義ではないか、とも言われる。それは当たっているかも知れないが、この議論は今日はしない。
 ところで、クリスマスが設定されていなかった時代、キリスト者たちは貧しい人のことを一度も心に掛けず、己れの罪とその赦しの恵みに無頓着であったのか。いや、それどころか、むしろ逆である。人々は年に一度短期間だけでなく、常時、自分の隣りにいる人が乏しくなっていないかどうかを思い巡らせ、また自分の罪については毎日悔い改めて、キリストの十字架の贖いを受け入れていた。
 クリスマスが制定されていなかった、ごく初期の教会は、キリストの世に来たもうたことを、どのように受け取っていたか。これを、彼らの唱えていたキリスト讃歌の一ふしによって学ぶことにする。
 「御子は、見えざる神の形」。――これが、来たりたもうた御子を把握する第一点であった。この言い方には、神が「見えざる神」であることが前提として捉えられていた。当然のことであるが、これは極めて重要である。
 人類は神を見ることが出来ないので、何とか見えるようにしようと、様々な神を考え出し、それを形あるものとして作り出した。これが宗教である。神を作って、見えるようにして置かなければ、不安でたまらないというのが内心の事情であった。この不安状態は今日も我々の身辺に漂っている。
 ところが、真の神は、人の手で作った像によって御自身が表わされることを、極めて峻厳に禁止したもう。十戒の第二戒の厳命する通りである。十戒の中で第二戒だけは、違反者に対する神の報復としての厳罰規定を伴っている。子孫まで呪われる。
 偶像を造って拝む者も、偶像が所詮は朽ちて行くものであって、神そのものでないことはほぼ感じているはずである。神は人間の目では見ることの出来ない「隠れた神」であるということを、深く考える人なら、漠然とではあるが、気付かずにはおられなかった。そして隠れた神は、隠れている故に神秘なものとされ、また不気味なものとして恐れられ、その神を怒らせないことが諸宗教における祭りの大部分である。
 我々の信ずるまことの神は、それと全く違う。人が神を考えずにおられなくなって、神を求め、神が生きておられることを論証するのではない。神が永遠者として先ず存在しておられ、神が我々を選び出し、御自身の民とし、この民と契約を結びたもう。したがって、御自身について我々の知るべきことを、御言葉と御霊を通じて教えておられる。その御言葉を伝えるために、神は随時、宜しとしたもう器を起こしたもう。その実例として代表的なのは預言者である。
 ここまでは、旧約の民イスラエルも普通に知っていたことである。しかも、神は旧約の時代から、来たるべき日には御自身について、もっと豊かな認識が与えられる、すなわち、キリストが来られて、明らかになるべきことの一切が明らかにされる、と約束された。この約束は、ヨハネ伝4章に出て来るサマリヤの女性も知っていたほどである。すなわち、彼女は主イエスに「私はキリストと呼ばれるメシヤが来られることを知っています。その方が来られたならば、私たちに一切のことを知らせて下さるでしょう」と申し上げている。
 神は人間の感覚を超越しておられて、見えない神であるが、御自身を、あたかも「見える形」において示すように、明らかにする、と約束したもうた。その約束は成就した。
 「見えない神の見える形」は、時が満ちるまでは示されなかった。しかし、時は満ちて、キリストは来たりたもうた。それによって、キリストを受け入れる者は、サマリヤの女の言ったように一切を知った。これはヨハネ伝118節に「神を見た者はまだ一人もいない。ただ父の懐にいる独り子なる神だけが、神をあらわしたのである」と言うのと同じである。これはまた、ヘブル書の冒頭に、「神は、昔は、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られたのである」とあるのと主旨は同じである。
 「キリストは神のかたちであられる」。これはピリピ書26節の言葉で、コロサイ書の今日の箇所と同じように聞こえるが、「形」という語の原語は別であり、言わんとする意味も同じではない。しかし、本来見えない神が、見える形を示したもう、という点ではごく近いことを言っている。
 見えざる神は、見ることによらず、聞くことにより、すなわち「言葉」によって御自身を伝達したもう、というのが聖書の宣教の基本的方向である。だから、我々は見えるものに目を注ぐのでなく、御言葉に聞き、聞くことによって信じる。
 では、今日学ぶところにある「かたち」はどうなのか。御言葉と別のものを指しているのか。「神を見た者は一人もいない。だが父の懐にいます独り子なる神がこれを顕したもうた」という聖句は、姿ではなく言葉によって示したもうたという意味に取るべきであろうか。
 このことについて軽々と「分かった」と言わない方が堅実だと思うが、ヨハネ伝149節で主イエスは言われた。「ピリポよ、こんなに長くあなた方と一緒にいるのに、私が分かっていないのか。私を見た者は父を見たのである。どうして、私たちに父を示してほしいと言うのか」。この御言葉はまた我々にも向けられた言葉であると受け取って、よく考えねばならない。キリストを「見る」ということには大事な意味がある。
 勿論、ここでは、肉体をとって来られた彼を見るということに限定してはならない。しかし、御言葉を聞くことなら、旧約時代にも出来た。それでも、神を見ることは旧約のもとでは出来なかった。キリストが肉体をとって世に来たりたもうたことには絶大な意味がある。大転換が起こったのである。
 だから、キリストを見ることを軽んじて、御言葉をただ理解しているだけでは、ユダヤ教のままである。御言葉を聞くことを観念化していてはもっと悪い。主なるキリストが我々の目の前にリアルに差し出されていることを捉えないなら、生きた信仰ではない。「聞いた。分かった」と言いながらも分かっていない場合がある。だから聖礼典が行われるのである。
 ただし、また繰り返すが、キリストにある「かたち」を、目でだけ見る物件として捉えてはならない。このことを明らかにするために、15節の残る後半を熟読しなければならない。「全ての造られたものに先立って生まれた方である」と言われる。
 こんなに古い時代に、よくぞここまでキリスト理解、キリスト論を発展させたものだと感心する人がいるかも知れない。だが、これは間違った理解である。キリスト教会の中でこういう神学を発達させたのではない。神が見えざるお方だというのが旧約の教えであったと同じく、この部分も旧約の言葉を受け継いだものである。
 箴言822節、「主が昔その業をなし始められる時、その業の初めとして私を造られた。いにしえ、地のなかった時、初めに私は立てられた。まだ海もなく、また大いなる水の泉もなかった時、私はすでに生まれ、山もまだ定められず、丘もまだなかった時、私はすでに生まれた。……」。
 ここで「私」と言っているのは、箴言の主題「知恵」である。そして旧約聖書で知恵と呼ばれているものは、「ロゴス」、すなわち、言葉という語に置き換えた方が適切だということを言い出す人がキリスト以前のユダヤ教の中に出て来て、その解釈がキリスト教に受け継がれている。ヨハネ伝の冒頭「初めに言葉があった」という句は、したがって旧約に由来するものと認められている。旧約の知恵の思想は、全ての知恵が明らかになった段階で纏められたものでないから、夾雑物を含む。箴言にも知恵が造られたと言う所がある。だから、その指し示すまことの知恵、すなわち、Iコリント124節で「神の知恵なるキリスト」と記すその知恵、つまりキリストの光りのもとで、総点検されなければならない。だが、基本的には知恵は旧約から新約への一貫性に則って読まれる。
 コロサイ書115節も、そのように旧約から受け継がれたものを、まことの光りによって照らしなおしたものである。言うならば、先には朧げであったものが、時満ちるに及んで明瞭に輝き渡るようになって来たのである。

 


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