聖木曜日説教2004.04.08◆

―――ルカ22:14-34によって――


 ユダヤの暦の1月15日、それはユダヤ人にとって感銘深い日であった。14日の午後になれば、人々は家の中からパン種を取り除き、パン種に象徴される異教的文化の爛熟と頽廃を取り除いて聖潔な民としての姿勢を整える。――7日にわたる除酵祭の初めである。
 やがて夕方になると、小羊を屠って神に捧げ、それを家中の者が、何一つ残らないように食べ尽くす。――過ぎ越しである。ユダヤにいる人は勿論、ガリラヤに住んでいる人も、海を越えて遠くに散っている人も、何年かに一度はエルサレムに上って過ぎ越しの祭りを守った。
 この過ぎ越しの食事の中で、一家の主は家族一同に過ぎ越しの由来を教える。すなわち、過ぎ越しは神がモーセを用いて、その民イスラエルを、エジプトの奴隷の状態から解放し、御自身に仕える民として立てたもうたことの記念である。それ故、この民は神に仕えるという目的のために自由にされ、神以外の者への隷属から解かれ、そして神に仕える規範としての律法を与えられ、これを守るという契約を神との間に交わしたことを、この祭りの中で確認する。
 彼らの信仰生活の中で一番大事なのは、神殿礼拝ではなかったかと理解している人は多いであろう。しかし、正確に言うならば、そうではなかった。イスラエルの民が神殿を持たなかった長い時期がある。神殿の原型である幕屋すらなかった時、彼らは解放されるとともに過ぎ越しの食事を定められた。
 また、彼らが神殿を破壊され、彼ら自身も他国に囚われ人として引き行かれ、70年に亘ってバビロンに居留地を設けなければならなかった時にも、過ぎ越しを守り、神の民であることの自己確認を止めなかった。神殿礼拝という制度的な形式の基礎として、家族の礼拝があった。
 この除酵祭と過ぎ越しの祭りの形式を初代キリスト教会が引き継いだ。それは、将来を見通すことの出来る賢者が教会の中にいて、この形式の有用性を評価し、ユダヤ教的なこの形式をキリスト教会の中に残そうと考え、その着想が成功したというようなものと理解してはならない。
 過ぎ越しの形がキリスト教会の中に残されたのは、イエス・キリストがこれを御自身の教会において、世の終わり、御自身が再び来られる時に至るまで守るよう定めたもうたからである。すなわち、主イエスは過ぎ越しの食事を守って、「私の記念としてこのように行いなさい」と命じたもうた。
 コリント人への第一の手紙5章には、「私たちの過ぎ越しの小羊であるキリストは、すでに屠られたのだ。故に、私たちは古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種の入っていない純粋で真実なパンをもって祭りをしようではないか」と記されている。過ぎ越しとかパン種を取り除くという、旧約的な言葉遣いがあるが、旧約的な儀式を引き継いでいたわけではない。けれども、旧約の民が目指し、しかも達せられなかったことが、キリストの教会においては達成されているという感謝の思いがこの言葉に溢れている。
 主イエスは最後の晩餐において、これが過ぎ越しの食事であると言われた。別れの食事ではない。交わりの食事でもない。過ぎ越しにかこつけた会合でもない。過ぎ越しそのものである。こう言われる、「私は苦しみを受ける前に、あなた方とこの過ぎ越しの食事をしようと切に望んでいた」。ここで、「切に望んでいた」と言われた言葉を読み過ごしてはならない。主がどんなに切にそれを望んでおられたかは、弟子たちも気付かず、我々も気付いていないかも知れない。
 過ぎ越しの祭りの前に主イエスが逮捕され、殺される可能性が大きかった。マタイとマルコが伝えているように、祭司長たちは、主イエスを捕らえて殺すことに決めていたが、「祭りの間はいけない。群衆が騒ぐから」と言い交わしていた。すなわち、過ぎ越しの祭りの前に、実行しなければならなかった。
 受難週の初め、「棕櫚の日曜日」とキリスト者たちが呼んでいる日に、主はエルサレムに入城し、それから連日、朝早くから夕方まで宮に行って説教をし、大勢の群衆がそこに詰めかけ、彼を取り巻いて説教を聞くので、祭司長たちは祭りの前に主イエスを捕らえようと躍起になったが、ついに捕らえることは出来なかった。そして夜には主イエスは都を出て行って、オリブ山の秘密の一角で宿っておられた。これは21章37-38節に記されている通りである。
 過ぎ越しの日に、過ぎ越しの成就を宣言しなければならないから、それ以前に逮捕されてはならない。そのことを主は切実に考えておられた。ついに過ぎ越しの当日が来た。夕方になって主イエスは市内に入って、過ぎ越しを守る二階座敷に入りたもうた。祭司長たちは主イエスを捕らえることが出来なかった。だから、過ぎ越しの食事を弟子たちとともに守ることが出来る。「苦しみを受ける前に、あなた方と過ぎ越しの食事をしようと望みに望んだ」と主は言われる。そして、その望みが達成したことに満足しておられる。
 苦しみを受けなくて済んだという意味ではない。殺されるのであるが、過ぎ越しの前に殺されてはならない。そういうことになっては、過ぎ越しと、イエス・キリストの死の結び付きを示すことが出来なくなる。だが、それを結び付けることが出来た。だから、キリストの死の意味はハッキリ示せるようになった。勿論、キリストの死はこの時期でなくても、十分な意味を持つと見なければならない。キリストの永遠の御業は季節と関係がない。実際、使徒たちの教会では、時の限定なしに、毎日、主の死を記念してパン割きを行なった。それは十字架の福音の宣教が特定の季節にしか行なわれないものでなく、常時行なわれるのと同様である。
 言って見れば、旧約の歴史という線があり、新約の歴史という線がある。ユダヤ教では前者だけを大切にする。キリスト者の中には、後者だけを大切に考える向きが少なからずいる。しかし、これは間違いである。旧約の民に約束され、彼らの内の真の信仰者等はその約束を待つという使命を悟っていた、その約束のテーマは、メシヤの来臨である。そのメシヤは来て、過ぎ越しの小羊、また過ぎ越しに関する一切が、真に目指したのが何であったかを明らかにされる。すなわち、彼こそが真の小羊である。
 事実上、二つの線は結び合っているのだが、人間によって理解されるところでも、結び合っていなければ、確信を支える支えは弱いであろう。ユダヤ人たちは肉による先祖の受けた恵みを語り継いで行こうとする。これだけでは、受ける恵みを肉的なものに限定し、霊的な祝福、真の自由を見えなくする危険、また恵みを単に自民族に限定して民族宗教に留まる危険、また自民族の国家が繁栄することが目的になって、永遠なるものが見えなくなる危険を抱えている。
 イエス・キリストが御自身を接合点として、旧約の線と新約の線を連ね合わせたもうたことが見えて来ないならば、救いの確信は弱く、恵みの豊かさは覚束なく、救いの歴史が端から端まで見通せない。
 キリストはこう言われるのである。「あなた方に言って置くが、神の国で過ぎ越しが成就する時までは、私は二度とこの過ぎ越しの食事をすることはない」。――こういう意味である。今、私はあなた方とこの地上における過ぎ越しを守っている。地上の過ぎ越しは今この時成就した。しかということは、私が次に会う時、それは神の国の祝宴なのだ。し、もう一つの過ぎ越しがあることを忘れてはならない。ここにその展望が開けた。それは私の再臨を待って完成する神の国における過ぎ越しであって、これこそが全き救いであり、神の国の祝宴である。私はその日まではあなた方とともに飲み食いすることはない。その日を待ちなさい。それは遠くない。
 また言われる、「あなた方に言って置くが、今から後、神の国が来るまでは、私は葡萄の実から造ったものを、いっさい飲まない」。
 この言葉の調子は、誓って約束する確かさの調子である。そして、その時は極めて近いという調子がある。今は春であるが、半年後に葡萄の収穫があり、それを仕込むとあと何週間かして葡萄酒ができ、飲んで祝う。そのことと重ねて言われたのかどうかは分からないが、そういう含みで言われたのかも知れない。それほどの切迫感がある。とにかく、最終コースに入ったのである。
 ルカ伝の最後の晩餐の記事では、ほかの福音書と違って、杯が二回まわる。神の国が来るまでは私は葡萄の実から造ったものを、いっさい飲まない、と言われたのは初めの杯である。
 2度目の杯、これについては20節に「食事の後」と書かれていて、教会の中で伝統的に守られている杯である。混乱がないように説明をつけるが、過ぎ越しの食事は一つの儀式として行なわれていたもので、その儀式の順序も定まっていた。その中ではこの過ぎ越しの祭りの中で、何度か杯がまわったのである。キリスト教会の聖晩餐として定着した形式における杯は、ユダヤ人たちが「祝福の杯」と呼んでいたもので、Iコリント10章16節に、「私たちが祝福する祝福の杯、それはキリストの血に与ることではないか」と言われているところに、もとの呼び方を残している。
 19節に言われる、「またパンを取り、感謝してこれを割き、弟子たちに与えて言われた、『これは、あなたがたのために与える私の体である。私を記念するため、このように行ないなさい』」。
 普段、聖晩餐の礼典の中で繰り返し聞いて、馴染んだ言葉である。それを主の最後の晩餐を偲ぶ今、主の口から聞きなおして、新しく与えられた言葉であるかのように聞くのである。神はかつて御自身の民をエジプトの奴隷状態から解放したもうた時、その恵みを覚え、代々に感謝するようにと、過ぎ越しの祭りを制定したもうた。それはそれで大きい意味を持つことではあったが、過ぎ越しを守って来た歴史は終わったのである。
 「これは私の体である」。旧約の過ぎ越しの儀式では、年々、その都度、小羊が屠られた。しかし、新約の過ぎ越しにおいては、獣が繰り返し屠られることはない。私が小羊なのだ。そして、ここで割かれるパン、これがあなた方のために殺される私である。
 私は繰り返し屠られた小羊のように、繰り返し捧げられるのではない。私はただ一度、私自身を捧げるのみである。ただ一回で十分であった。しかし、一度で完了したことは繰り返して確認される。あなた方は、ただ一回で全うされた私による贖罪を、記念し続けなければならない。
 「食事ののち、杯も同じようにして言われた、『この杯は、あなた方のために流す私の血で立てられた新しい契約である』」。
 「新しい契約」と言われた時、「古き契約」がこれによって更新されたことを示しておられる。古き契約はシナイ山において締結された。その模様は出エジプト記24章3節から8節に亘って書かれている。そこを読んで置く。………
 古き契約の際にも「契約の血」が必要であった。それは雄牛の血であったが、今回、主イエスは私の血と言われる。人が犠牲の獣の血を振り掛けられることによって、神と人との契約は効力を得る。それが古い契約の場合であった。新しい契約においても同じであるが、新しい契約では、キリストの血が注がれねばならない。
 キリストの血を注がれることとして、バプテスマが語られることがあるのを思い起こす。バプテスマの場合は水であるが、水で潔めるというのは、旧約になくはないが、旧約の言い方にしたがうならば、潔めるのはむしろ犠牲の血であった。バプテスマが潔めであるのは、初めから水であると考えられ易いが、旧約の儀式の本義に遡って考えるならば、血を注がれてこそ潔められる。そして、その血はキリストの血を指していた。
 バプテスマの儀式に際して、新約聖書では水しか用いられないように書かれているのであるが、これは、血の潔めが水の潔めに替わったと理解すべきでなく、キリストの血が私に注がれていることの徴しであると理解しなければならない。
 今バプテスマについて見たことを否定する必要はないのであるが、主イエスは今は聖晩餐について述べておられるのであるから、我々の関心をバプテスマの水でなく、聖晩餐の杯の葡萄酒に向けなければならない。葡萄酒を飲むことと、バプテスマの水を注がれることは、同じことを指し示すのである。


 


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