五旬節説教2004.05.30

使徒行伝1:6-2:4によって――


 五旬節は、聖霊降臨の記念の日として、教会で祝われて来た。キリスト教国では、民衆の生活の中にこの祭りが定着しているようである。しかし、年間の暦の中の一つの季節の祭りとしてこれを守ることは、我々にとって殆ど意味がない。「幸いにして」と言うべきであろうが、この時期には季節感覚との結び付きが弱いので、我々の間では、五旬節が季節行事として定着することはなかった。降誕節や復活節の頃になると教会に集まる人が何となく増えるということがあるようだが、五旬節には伝道会で人集めをしない限り集まりが盛んになることはない。諸教会では、思い出したように、五旬節と結び付けて、伝道会を開くのであるが、伝道の意気阻喪した時代の中で、「伝道!」、「伝道!」の掛け声も振るわない。
 しかし、そんなことで意気が上がらなくても良いのである。イエス・キリストの教えは教会の数的成長と殆ど関係がない。イエス・キリストは、「十字架を負って私について来なさい」と言われたのであって、十字架を負おうとしないし、キリストのあとに従い行こうともしない人を、ただ集めるだけでは意味がない。
 我々はこの時、むしろ、聖霊の下ることの自分自身にとっての意味、また聖霊降臨の出来事について、思い巡らし、またその確認をしなければならない。年毎に五旬節が巡ってくるのは、忘れていたことを思い出させて、活を入れるためでなく、「聖霊を信ず」と告白する信仰が、地上の生涯の中で、一歩一歩固くされていることを、思い起こさせることによって年々確認させるためである。したがって、この日、聖霊が季節の雨のように自然に降って来たと想像し、またそのように我々にも降り注いで、我々が恵みに満たされることを期待しては間違いである。
 さて、主の弟子たちは約束を信じて、聖霊の下るのを待ったことは良く知られている通りであるが、「待つ」とは準備し、準備を完了したということであった。
 「エルサレムから離れないで、かねて私から聞いていた父の約束を待っているが良い。すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなた方は間もなく聖霊によってバプテスマを授けられるであろう」。使徒行伝1章4節5節に記されている主の言葉であるが、これは五旬節の10日前に与えられた約束である。弟子たちはこの約束を信じて待った。しかし、約束の成就まで10日掛かったと考えるべきではない。約束はずっと昔から与えられていた。
 使徒行伝2章16節に書かれていることだが、聖霊が下った出来事について、ペテロは「これは預言者ヨエルが預言したことにほかならない」と言った。そういう解釈が信ずる者の間に生まれていたということに注意を促される。
 思いも掛けない出来事が起こって、これはどういうことだろうかと、慌てて聖書を調べ、聖書のどこそこに、これこれのことが書いてあったのは、今起こっているこのことの預言だったのだと思い当たるというケースもあったはずである。一般に、敬虔なユダヤ人の間では、以前から「聖書を調べる」ということが重んじられていた。例えば、使徒行伝17章11節には、「ここにいるユダヤ人は、テサロニケの者たちよりも素直であって、心から教えを受け入れ、果たしてその通りかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた」と書かれている。「調べる」という言葉は、上面を見るのと違って、探求し問いただすことをいう。こういうことが、エルサレムにいる主イエスの弟子たちの間で行なわれていたと考えられる。
 先週の主日の説教の中でも聞いたことであるが、主が十字架に架けられ、ローマ兵が主の着ておられた衣服をはぎ取って、くじ引きで分けていることを聞いて、余りにも心なき業に、弟子たちはただただ胸を痛めたのであるが、あとで聖書を繙いて、詩篇22篇の中にこのことが預言されていたのを発見して、彼らの胸は感動で震えたのである。そういうことが、五旬節を迎える準備として起こっていた。ヨエルの預言をキリスト預言として見直したのも、五旬節を迎える備えとして行なわれていた共同の聖書研究の中においてであった。
 使徒行伝の、特にその初めの頃の記事に、聖書の引用がしばしばあることに我々は気付いている。主の昇天の後、五旬節までの間にもあった。1章16節を見ると、ペテロは「兄弟たちよ、イエスを捕らえた者たちの手引きになったユダについては、聖霊がダビデの口をとおして預言したその言葉は、成就しなければならなかった」と言っている。ユダの悲惨な死について彼らは聞いたのである。その後で、ダビデの詩篇の中にこのことの預言を見出した。
 先ほど触れたヨエルの預言の成就がこの日になされたという発見、これが五旬節を迎える準備の中でヨエル書を読んでいたから出来たと取る解釈、これを根拠づける証拠はない。けれども、ペテロのこの語り口を生き生きとしたものとして聞き取るならば、ヨエルの預言について、以前に教えられたことをフト思いついて語ったと取るよりも、今し方、新しく読み取ったところと結び付けて感動をもってこれを語っている、と受け取るべきだと思われて来る。この時のペテロの説教の中に、詩篇の引用が多いということは、弟子たちの聖書共同研究に、この時には、詩篇が特に用いられていたことを示すのではないかと思われる。
 彼らが共同研究をしていたと言ったが、120人くらいの人が参加していたのであるから、我々の経験している小人数の聖書研究とは違うであろう。聖書講義に近いものだったかも知れない。
 彼らが、ユダの脱落によって生じた欠員を補わなければならないと感じたのも、聖書研究からであろう。12という数、これはイスラエルの12支族の数で、イスラエルを象徴する大事な数であるから、その数を揃えて置かなければならないと思い付いたということはあったであろう。しかし、「その職は、ほかの者に取らせよ」という聖句が詩篇109篇8節の、我々の聖書では「その財産をほかの人に取らせよ」という言葉になっているものをもとにして論じられているのだから、詩篇の研究から生まれたことは確かである。
 我々の普段している聖書研究のタイプから見ると、聖書からの着想が唐突なように感じられるかも知れない。だが、集まって一緒に聖書を読み、それから祈り、また聖書を読み、また祈る、そういうことを集中的に行なっていたと考えずにおられないであろう。これが、約束を待つ姿勢であった。
 このような集中は、そう長くは続かなかった。飽きたのではない。仲間割れしたのでもない。使徒たちがそれぞれの働き場に出て行ったからである。初期には集中的に共同生活を営み、その期間に教会の基本的な性格が定まり、それから世界に散って行ったと大まかに捉えることが出来る。
 実情に立ち入ると、彼らが自発的に世界伝道に出て行ったという要素は実のところ弱く、ステパノの殺害に始まる大迫害が、彼らを余儀なく散らしたのである。しかし、散らされて見て、こうなるべきであったのだと彼らは納得したので、迫害の後エルサレムに戻って来ようとはしなかった。
 しかし、初めにエルサレムに結集し、そこに篭ってていたことは大事であった。主イエスも「エルサレムから離れないで待て」と命じておられる。約束の成就を待ちつつ、或る期間集中的な共同生活を営んで、その間に教会の骨格を作るということが必要であった。同じことを今日の教会も繰り返さなければならないとは必ずしも言えないと思う。けれども、かつての教会がそのような時期を持ったこと、その事の意味、これは忘れないで置きたい。
 6節にこう書かれている。「さて、弟子たちが一緒に集まった時、問うて言った」。弟子たちというのは、15節に「120ばかりの人が一団となって集まっていた」と書いてあるのと同じような状態を指すのであろう。彼らはこの日のために召し集められたのでなく、すでに集まっていたのである。そして、問う、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。
 弟子たちは、主イエスの復活に接して、大いなる勇気と確信に満たされていた。王国を復興する時が来たのではないかと思っている。この状態は、ルカ伝24章21節に書かれている復活節当日の、エマオへの道の上の場面と結び付ければ、かなり事情が分かって来るのではないかと思う。すなわち、クレオパという弟子が「私たちはイスラエルを救うのはこの人であろうと、望みを掛けていました」と言った。そういう期待をもって集まっていたのに、この方を祭司長たちや役人たちが、死刑に処するために引き渡し、十字架につけた。しかも、三日目の今朝、その墓まで荒らされて、空になっていた。二重の災難に遭ったのだ。そうクレオパは説明した。
 しかし、主は本当に復活されたのであるから、彼らの期待も復活した。イスラエルの復興の時がまさに来た、と彼らは思った。
 ナザレのイエスは生まれ育って30年、無名の普通人として過ごしておられたが、ついに「時は満ちた。神の国は近づいた」と宣言したもうた。そして、「私について来なさい」と一人一人を召して、宣教活動を開始された。その言葉の力、その御業の力、その人柄の真実、すべて、彼が王国を立てるために神の遣わしたもうた器であることを裏付けているように思われた。それで、人々は彼の後について行った。
 彼が十字架につけられたので、人々は挫折して散り失せたが、その復活を信じて再び結集した。今度こそ王国建設の大号令を発するときではないのか。そういう思いを込めて、「国を復興なさるのは今この時ですか」と問うた。その大号令が下ったなら、自分は真っ先に駆けつけて。一番の手柄を上げようというものである。
 人々の期待は斥けられた。「時はあなた方の知るべきことではない」。時を知って、人に先んじようというような思いは許されない。あなた方にはそれと違った使命がある。あなた方はその浅はかな考えを改めなければならない。また、その使命のために、今から準備せよ。
 たしかに、彼らは学び直さなければならなかった。イスラエルのために神が救い主を送りたもう、ということを知っているだけでは余り意味はない。祭司長もそれくらいのことは知っていたが、肝心の救い主を拒否して、十字架につけてしまった。
 神の約束がどういうものであったか、もっとキチンと学ばなければならない。神は、曖昧な伝聞として約束が伝えられて行くのでなく、一人一人が書かれた御言葉を調べることが出来るようにしておられる。だから、これを調べなければならない。
 聖書を調べることによって、彼らの心得違いはただされるであろう。すなわち、彼らの理解は霊的名救いを肉的に引き下げたものなっている。これは聖書を学び直すことによって修正しなければならない。
 次に、その使命とは何か。「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで私の証人となる」ことである。証し人になるのはここにいる全員である。ここにいる全員とは使徒たちだけでなく、120名ばかり集まっていたその全員である。
 「聖霊があなた方に下る時、あなた方は力を受けて、私の証し人になる」と言われた。そのことの実現の有様が2章の初めのところに記されている。
 さて、2章1節であるが、「五旬節の日が来て、みんなの者が一緒に集まっていると、………」。みんなの者が集まったというが、みんなとは、12人の使徒、その補充を選び出した母胎である120名ばかりの弟子たち、それに婦人たちも加わっていた、その集団であろう。
 彼らはずっと一団となっていたのかどうか。彼らのいた所は、13節に、「その泊まっていた屋上の間」と書かれていたその場所だったのかどうか。それは最後の晩餐の守られたその二階座敷だったのかどうか。その箇所に居続けたのかどうか。そして大きい音が天から起こって来て「一同がいた家一杯に響きわたった」というその家はどこか。………いろいろに考えられるし、いちいち検討することに興味がないわけではない。しかし、今日は細々としたことに思いを向けないで、一点に注視しよう。聖霊の働きについて学ぶのは、要するにみんなであり、一杯に満ちることであった。12人に幾らプラスされたかとか、120人になおどれだけ加えれば良いかというのは間違いである。聖霊は全てを満たしたもう神である。
 聖霊の働きの一つに「充満する」という御業がある。それを象徴するのが「家一杯に響き亘り」、「一同が聖霊に満たされた」という表現である。聖霊は満たして下さる。みんながいろいろの国の言葉で語り出したとは、バベルの塔以来の人間同士の言葉の通じない悲劇が福音によって克服されることを表したのだと解釈されている、我々もその解釈に従うのであるが、全てを満たす御霊によって言葉の隔てが打開されるという面も見て置きたい。
 日の光が天空を満たしたかのように感じられることはあるが、日の光はすぐに陰るのである。雨は沢山降っても満たしてくれない。海には水が満ち満ちているかのようであるが、引き潮になればずっと引いてしまう。人間の業が何事も満たしきれないのはいうまでもない。彼らは満たされない思いを持っている。考えるだけならば、何も欠けたところのない充満を考えることが出来るかのようであるが、実際そういうものを空想して見ようとしても、我々の空想力は弱くて、空間を満たし切れない。それほど、造られたものの力は貧弱なのである。
 神は充満を持ち、充満を言葉で説明されるのでなく、充満の事実を実現したもう。すなわち、聖霊によって実現したもう。その聖霊をキリストの名によって人間に賜ったことが驚くべき大いなることである。
 人々は偶像を造り、それを神らしく造ろうとするが、偶像には充満させる力はない。人間が持つほどの能力もない。しかも人間はこの偶像を神にしておけば神としての働きをしてくれるかのように思っているのである。偶像、作り物としての神、考えの産物としての神には、充満の力はない。キリストの言葉は今や聖霊の充満力によって我々に満ちるのである。


         


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