◆ 2009.04.05.

 

受難週礼拝説教


――使徒行伝17:1-3によって――

 

 使徒行伝17章に使徒パウロのテサロニケ伝道が記されている。我々はこの伝道について或る程度知識を持っている。テサロニケの教会に宛てての後年の手紙の中にも、それと合致する記憶が語られている。このテサロニケにおいて、説教で何が語られたかについても学んだ。その学びを繰り返すことに意味がないとは言わない。しかし、今日は、学んだことの復習でなく、テサロニケの人たちが初めてキリストの福音を聞いたように、我々も新しく聞こうとする。それを受難週の主日の朝に聞こうとしている。

 「パウロは例によって、その会堂に入って行って、三つの安息日に亙り、聖書に基いて彼らと論じ、キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中から甦るべきこと、また『私があなた方に伝えてるこのイエスこそはキリストである』とのことを、説明もし、論証もした」。この聖句を今日は学ぶ。

 テサロニケ人たちにとって初めて耳にする説教であった。それが三つの安息日に亙ってなされた。ユダヤ人であれ異邦人であれ、信じる人は信じた。そしてユダヤ人で信じない人は、パウロを排斥するために、ならず者を雇ってまで暴動を起こし、パウロは心ならずも立ち退いて、次の町ベレヤに移らねばならなかった。宣教の業は居残ったシラスとテモテによって継続されたから、テサロニケ伝道が放棄されたり、中絶したということではない。けれども、教会の礎を築く使徒的な働きは終わった。

 ここで我々が捉えなければならないのは、活動の時期が短かったけれども、中断されたのでなく、教会の基礎を据え終わったということである。このことに関し思い起こさねばならないのは、Iコリント310節以下に語られる言葉である。「神から賜わった恵みによって、私は熟練した建築師のように土台を据えた。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気を付けるが良い。なぜなら、すでに据えられている土台以外のものを据えることは誰にもできない。そして、この土台はイエス・キリストである」。――これはコリントの教会について言われたものであるが、テサロニケ教会にも通じる原理である。すなわち、教会の土台、礎はキリストであって、それ以外の何ものでもない。そしてその礎は、キリストの遣わしたもうた使徒によって据えられる。

 前の伝道地ピリピにおいても、激烈な排斥運動があって、パウロは投獄され、立ち去らなければならなかったが、これは異教徒による迫害であった。テサロニケの迫害は、ユダヤ人による迫害であり、その手始めである。このパウロ排斥の暴動と陰謀は次第に激化し、また広がって、パウロを殺さずには置かないという運動になることを我々は知っている。 しかし、ピリピでもテサロニケでも、使徒の伝道は短期間であったが、教会の基礎は据えられた。すなわち、イエス・キリストが基礎となって、そこに教会が、まだ見えない形においてであるが、建てられた。これ以上、誰かが基礎を据えることは要らないのである。

 なお一つ、一たび据えられた礎が取り去られることはあってならないことにも心を留めなければならないが、それについては今は触れない。

 このように、十分時間があったとは言えないのだが、教会の基礎は据えられた。では、基礎を据える工事として、人々に何が伝えられ、彼らが何を信じたのであろうか。それは3節に記されていることで、「キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中から甦るべきこと」である。これが眼目であった。

 この眼目あるいは要目、要点は先ずキリスト御自身の口から教えられ、それが使徒たちによって受け継がれたのである。パウロもまた使徒であるからそれを最も大切なこととして、最初の時からこれを語ったのである。伝道しているうちに型が出来たというのではない。

 何よりも先に、キリスト御自身がこの要目を誰よりも先に教えておられたのを我々は知っている。復習して置こう。キリストが語られたということは、マタイ、マルコ、ルカの福音書に同じように記されているが、今は先ずルカの福音書9章から引用しよう。20節から22節、「彼らに言われた、『それでは、あなた方は私を誰と言うか』。ペテロが答えて言った、『神のキリストです』。イエスは彼らを戒め、この事を誰にも言うなと命じ、そして言われた、『人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日目に甦る』」。ここに型が示されている。

 マタイ伝から引く方がさらに詳しく状況が分かるかも知れない。同じくペテロのキリスト告白に続いてであるが、1621節、「この時から、イエス・キリストは自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目に甦るべきことを、弟子たちに示し始められた」とある。

 「この時から」主イエスの、弟子たちを教える教育が新段階に入ったというのである。これまでは、悪霊に憑かれた人が彼を見て、「キリストよ、神の子よ」と呼び掛けたなら、悪霊に沈黙を命じたもうた。確かに神の子であられるが、まだそれを言うべき時でなかったのである。それは信仰によって開き示される真理であって、悪霊には直観的に分かったとしても、唱えてはならない。しかし、ペテロが「あなたはキリストです」と告白した。それならば、キリストが旧約の時代から聖書でどのように予告されていて、実際にどうなられるべきであるかを、正しく教えて置かねばならない時期になった。

 キリストを、約束された解放者、勝利者、王として持ち望み、その王のうわべの特徴を見るだけで、単純に主が来られたと信じるのは危険である。ある面ではそれで当たっているが、これだけでは躓きを乗り越えて真の信仰に達する事は出来ない。聖書に記されているように、キリストは「必ず」苦難を受くべき、そして三日目に甦るべき解放者として捉えなければならない。

 必ず苦しみを受けなければならない、そして三日目に死人のうちから甦るべき、と言われたのは、御自身の優れた能力によって将来を予見して、人々の反逆と御自身の受難を言い当てたもうたという意味ではない。それだけの能力を持っておられたことは当然であるけれども、言わんとしておられたのはそのことではない。

 キリストについての預言が旧約の時代から長い時代に亙って語られていた。キリストの来臨は、その預言の成就なのである。したがって、キリストは預言されていた通り、必ずこうなるべきであって、その通りであった。

 予告されていたのだから、その通り実現しなければいけない、という論じ方では、聖書に書かれていたことに符合する点を一つ一つ、謂わば機械的に検証しているだけで、それが救いの信仰に結び付くだろうか、と疑われるであろう。――その疑いはもっともである。幾つかの点で符合すれば納得出来て信じる、ということなら、昔話にもあるように、王の差し向けた使いが来る時間と符合していたから、あるいは幾つかのチェックポイントを満たすから、何でもない人を王の使節として受け入れてしまったという笑い話と同じではないか。確かにその通りである。来るべきお方を幾つかの点で符合したから本物だと確定する機械的作業は危険である。

 例えば、来たるべきお方が王として描かれる場合が預言の中に何度もあったのだが、王の服装や目印を見ただけで、「これがキリストではあるまいか」、「いやそうであるに違いない」と確定する人があってはならなかった。

 そうでなく、よもやキリストではあるまいと思われる点を目印としてキリストが来られると予告されているならば、その予告にしたがって、「躓き」を乗り越えねばならず、こうしてキリストを確認するならば、間違いない判断ではないか。

 イエス・キリストはしばしば「あなたがたが私に躓く」という警告を与えたもうた。「我に躓かぬ者は幸いなり」と言われたように、彼に躓かないでスーッと彼を受け入れる者は、確かに幸いな人である。しかし、「躓きは必ず来る」とも言われた。幼な子の純真さで彼を受け入れた者も、幼な子の時期を越え出る時には、躓きに直面するのである。その躓きを乗り越えた時に、罪からの救いが見えて来る。その躓きとは十字架の躓きである。言い換えれば、必ず苦しみを受けることである。十字架につけられることがあり得ない方が十字架につけられることである。

 テサロニケにおいて僅かな日数の伝道説教で教会の礎が据えられたとは、キリストが受け入れられたから、彼を礎とする礎が据えられたことを言うのであるが、キリストが受け入れられたのは、十字架の躓きが乗り越えられたからである。使徒は人々に十字架の躓きを突きつけ、これを信ぜよと呼び掛けて、その躓きを乗り越えさせたのである。

 ところで、十字架の躓きを乗り越えることが短期間で出来るのか、という疑問を持つ人がいるであろう。かなり長い期間に亙る教理の教育と、本人の自己省察を経て、罪が分かり、それによって罪の償いのためには義人の死が必要だということが分かり、その償いのために我々に代わって死んで下さるのは、罪なき神の子キリストのみだ。だから、キリストは私のために死なねばならなかった。こういう筋道が、我々の聞いている理論である。その筋道が短時間で辿れたということなのか。

 神のなさることだから、人間が通常50年かかることを神は3日で、あるいは一瞬でやってしまわれる、と説明することは出来る。その説明を呑み込むことの出来る人はいるであろう。しかし、説明されて納得することが出来るということと、恵みとしての救いを受け入れて信ずることとは、別の世界のことなのだ。

 救いとは我々の頭のなかに救いの道筋を差し込んで、それを分からせるということではない。キリストがその死によって達成したもうたことである。そのことがキリストの遣わしたもう使徒たちによって告げ示され、解き明かされ、それを我々が後になってから受け入れたということである。

 我々が受け入れたのは、我々に理解力があったから、求めていたからだだと言ってはならないであろう。我々よりも理解力のある人、また真剣に救いを求めている人で、未だにこのことが信じられない人が幾らでもいるではないか。

 パウロはテサロニケで伝道した時のことを後日この教会の信仰者に語って、「あなた方は私たちの説いた神の言葉を聞いた時に、それを人間の言葉としてではなく、神の言葉として――事実そのとおりであるが――受け入れてくれた。そして、この神の言葉は、信じるあなた方のうちに働いているのである」とテサロニケ人への第一の手紙の213節で言ったのである。

 パウロが優れた資質を備えた器で、他の人よりも大きい伝道の成果を上げたということは言えるかも知れない。しかし、そう言えたとして、どれだけの意味があるだろうか。人の言葉でなく、神の言葉が人々の心に浸透して、神の言葉が信ずる人々のうちで働いたのである。

 「キリストが必ず苦難を受けて死ななければならない。それ故に死にたもうた」。この言葉が伝える人間の感化力によって聞く人の心に届き、聞いた人を信じさせるのでなく、神の言葉であるゆえに信じさせ、こうして救いを達成する。それが大事なことである。そのことがかつてピリピにおいて、テサロニケにおいて事実となり、今ここで我々において事実となっているのである。

 受難週はキリストの死と苦難を普段の日に増して深く偲ばせる時である。しかし、それは年に一度受難劇を見に行って感動していることと同列のことではない。イエス・キリストが「私を記念せよと」と言われたのは、ときどき思い出せという意味ではない。彼が私に与らせて下さった命は、つねに私のうちで生き続けるのである。そのことを確認させる聖礼典が今日行なわれる。

 


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