◆ 2008.3.16.◆ |
受難週礼拝説教
――イザヤ42:1-4によって――
「私の支持する我が僕、私の喜ぶ我が選び人を見よ」と主なる神は言われる。主なる神は、御自身でなく、御自身の立てた僕、御自身の喜びとする僕、それを見よ!と示したもう。 神が御自身を指して「私を見よ」と言われるのは通例の、また当然のことである。実際、我々は神につねに目を注ぐべきである。ところが、ここでは「私を見るのでなく、彼を見よ」と神は言っておられる。ただし、我々が神から目を背けて、主の僕に関心を集中せよということではない。この僕は特別なものとして立てられた。神そのものを見るのと、同じだけの重味をもって、「彼を見よ」と言われる。 この「僕」というのは何か? 少し前の41章8節に「我が僕イスラエル、私の選んだヤコブ、我が友アブラハムの子孫よ」と言われていた通りであって、イスラエルの民を指すと考えられる。44章1節ではさらに明瞭であって、「我が僕ヤコブよ、私が選んだイスラエルよ」と呼びかけられている。しかし、単純にイスラエルの民を見よということではない。すでに聖書の至る所で示されたように、イスラエルは神の恵みを受けつつ、その恵みに相応しからぬ背反を重ねている。そのイスラエルを、神を仰ぎ見るようにして見よ、と言われたのでないことは確かである。 「見よ」という言葉は、直ぐ前の41章29節にもある。そこで示される「人を惑わす者」、「無き者」、要するに「偶像」と対照的に、「主の僕」が立てられ、それを見よ、と強調されたと解釈する人がいる。偶像と主の僕とを対立させると取るのも、有意義な読み方であると思うが、偶像との対比は余りにも当然ではないか。 ここでは「私が支持する」、「私が喜ぶ」、「私が我が霊を与える」というふうに、神御自身が御自身との関係の中で御自身の僕を立てておられることに注目しなければならないのではないか? それでは、「主の僕」とは誰であるか? そのことを明らかにするために、旧約の該当箇所を一つ一つ当たって見ることは無駄であるとは思わない。だが、新約聖書がイザヤ書のこの聖句をそのまま引いている箇所があるのだから、そのまま受け入れれば理解は早いであろう。それはマタイによる福音書の12章17節以下である。「これは預言者イザヤの言った言葉が成就するためである。……。 主の僕とはイエス・キリスト、神の独り子なる我らの主、キリスト教会が代々に亙って、御父の右に座したもうお方と告白しているお方である。では、先に少し触れたことだが、僕とはヤコブのこと、またイスラエルの民のことという読み方は破棄しなければならないのか? そうではないと思う。むしろ、キリストこそが僕の道を全うしたもうたからこそ、キリストにおいて人は神の僕となることが出来、またならねばならない。けれども、キリストが僕たるの道を先ず全うされたことを確認しないで、我々も僕だという方に移って行くとすれば危険である。今日はヤコブ、イスラエル、そして我々がここで言われる主の僕の道を全うしなければならない、という教えに説き及ぶことは時間的な理由によってであるが、しない。 僕とはキリストだということにまた戻るが、今見たマタイ伝には、主イエスが直截に「イザヤ書にある主の僕は私のことである」と言われたとは記していない。ある時の主イエスの言葉またみ業に触れて、「これはイザヤによって預言されていたことの成就であった」と弟子たちが言っただけではないのか? つまり、そのことを聖霊が示したもうたから分かった、と彼らは福音書記者として、また主の教えを受けて来た弟子として証言しているだけではないのか? だが、これこそ使徒の書や福音書において、キリストが御自身を証しして、ここに真実があると告げたもう時の論法である。 主イエスはそう言われなかったのに、弟子たちがそのように信じ込んだのであって、実際におられたナザレのイエスと、弟子たちがキリストだと信じて作り上げたものとは別のものであった、と主張する人があるが、これは間違いである。新約聖書で読んでいる通り、キリストの取られた言い方は、近代人の常識とは違って、一見ワザと難しくし、間接的な言い回しを用いて、それによって、より確かに、より深く信仰を把握させる論法であった。信ずる者はこの言い方に則って受け入れているのである。 ただし、主イエスが、ご自分のことを端的に「僕」と言われたことがかつて一度もなかったと思ってはならない。それどころか、御自身を「僕」と呼び、また呼ばせたもうた機会は少なからずあったと考えなければならない。だから、使徒の教会の中で「主イエス」という呼び名が当然のこととして定着して行ったのであるが、「僕イエス」という呼び方も使われていた。例えば、使徒行伝3章13節に「私たちの先祖の神は、その僕イエスに栄光を賜わったのであるが、あなた方はこのイエスを引き渡し、ピラトが許すことに決めていたのに、それを彼の面前で拒んだ」と言う。他にも数回、同じ意味で僕イエスという呼び名が使われている。イザヤ書以来の用い方が或る程度定着していたことが分かる。 ここまでは、イザヤ書の言う「主の僕」が誰のことであるかを第一に考えて来た。そして、この呼び名が我々の主イエスにこそ当て嵌ることについては、問題なくハッキリした。まだ必ずしもスッキリしていないのは、彼を「僕」と呼んだり「主」と呼んだり、場合によって一定していないからである。 であるが、そのことについて難しく考える必要はない。「僕」であることと、「主」であることとは一致している。それが新約聖書的信仰告白である。そのことが明快に語られているのはピリピ書2章6節から11節、「キリスト讃歌」と呼ばれる下りである。「キリストは神の形であられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって己れをむなしうして僕の形を取り、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、己れを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。それゆえに、神は彼を高く引き上げ、全ての名に優る名を彼に賜わった。それはイエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものが膝を屈め、また、あらゆる舌が『イエス・キリストは主である』と告白して、栄光を父なる神に帰するためである」。 初めに帰って、「見よ、私の立てた我が僕を」と神が語りたもうたのは、神が我々に御子キリストを仰ぎ見させるための呼び掛けである。 そのことの意味をハッキリさせるために、もう一つの場面を思い起こすべきであろう。 荒野において、イスラエルを撃った禍いの中で、モーセが青銅で蛇を作って人々にこれを仰ぎ見させ、こうして禍いが止んだという事件があった。そのことをイエス・キリストは人々に思い起こさせ、また意味を明らかにして、ヨハネ伝3章14節で、「ちょうどモーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければならない」と言われた。つまり、キリストが十字架の上に上げられ、つまり殺され、人々がそれを仰ぎ見ることによって救いを得るのだと。 旧約の中で、預言者イザヤが「見よ、我が僕を」との神の声を聞かせたことには、いろいろな意味が含まれていて、そのいろいろな意味を引き出して考え合わせねばならない。が、大事なことは「十字架のキリスト」が掲げられていることである。アモツの子預言者イザヤは、後の日に起こるべき救いの出来事を語った。それは十字架の上に掲げられたキリストを見よ、という言葉に置き換えられて良い。あるいは、パウロがガラテヤ書3章の初めで、「ああ、物わかりの悪いガラテヤ人よ。十字架につけられたイエス・キリストが、あなた方の目の前に描き出されたのに、いったい誰があなた方を惑わしたのか?」と言った言葉と置き換えることも出来る。 「十字架のキリスト」こそが「僕キリストを見よ」と言われる言葉に最も相応しいことは、イザヤ書42章2、3、4節に明らかであるが、また53章の預言は僕の苦難に関して特別に際立っているが、今42章を読む限りでは、苦難だけを際立たせることは必要ではない。「苦難の僕を見よ」ということがテーマではないからである。苦難を受けたもうたことは最も重要な点であるが、詳しく言えば、苦難によって僕の務めを全うされたから、栄光を受け、その民の救いを全うされた、ということがテーマなのである。 2節に進む。「彼は叫ぶことなく、声を上げることなく、その声を巷に聞こえさせず」と言われるのは、苦難の中で沈黙された、苦難をあからさまに示したまわなかった、という意味を含むことは確かである。仰々しく叫ぶことをしない。すなわち、自己宣伝めいた苦難告知をされなかった、という意味である。あるいは、表現によって分かるのでなく、表現を超えた静かな確信として捉えらるべきだ、と言うのである。 人々が悲劇を尊重しているのを批判することは要らないと思うが、キリストを悲劇の主人公にして、彼の悲劇的な生と死の故に彼を崇めるということでは、一時的な感動を呼び起こすことは出来るとしても、それだけで終わってしまう。あるいは、人々が十分馴染んでいる同じ悲劇を何回も見に行くのと同じなのである。悲劇を見に行って、その都度心を洗われた思いになることを貶す必要はないとしても、キリストのご苦難をその程度のものとして受け取っていては、彼の死による我々の贖いは、象徴として分かるだけで、罪の赦しの確信には至っていない。 彼は叫ぶことなく、声を上げることなく、その声を巷に聞こえさせなかったが、信ずる者は彼の苦難とその意義を捉えたのである。 次に「また傷ついた葦を折ることなく、ほの暗い灯心を消すことなく」と言う。ここは昔からキリスト者の間で愛誦された名文句である。主イエスがマタイ伝11章7節で「風に揺らぐ葦」という譬えをお用いになったのも、人間としての共通感覚を示されたものである。「人間とは葦である」という殆ど人間の定義のように広く行き渡った哲学者の言葉もこれに由来する。現代のクリスチャンの間では「傷ついた葦」という言葉は余り聞かれなくなったかも知れないが、それでも知られている。多くの人がその意味をよく捉えて使っていたかどうかは別問題である。人々は自己自身の弱さ、煮えきらなさ、それを慨嘆しつつ、しかし弱さに責任を転嫁すれば逃げ道を逃げ切れると思っているかのように、この比喩を愛好したのである。 「傷ついた葦を折ることなく、ほの暗い灯心を消すことなく」とイザヤが言うのは、この僕自身が「傷ついた葦」であって、しかも傷ついた己れ自身を倒れさせることがないように毅然として立てているとともに、同じ「傷ついた葦」である仲間の人間をも支えて、砕かれないようにしている。そして、僕そのものも「ほの暗い灯心」のようであって、パッと燃え上がる火のように世を照らすというのではないが、さりとて、火種がどうしても燃え上がらず、次第次第に細れ行くというのでもない、つまり、派手な燃え方はしないが、決して消されることのない火種として持続する、と言うのである。それは華々しくはないが、真実に、誠実に、道を示す。 「彼は衰えず、落胆せず、ついに道を地に確立する」。――「道」とは掟とか秩序、また教えという意味もあるが、ここではそれらを含め、救いを頂点とした神の御業の完成を言ったものと取るのがよいであろう。 「海沿いの国々はその教えを待ち望む」。――「海沿いの国々」という言葉は旧約の古い時代の表現によく出て来るが、その頃の人たちが知っている世界の西の果てであって、今日いうギリシャの多島海の辺りを指す。彼らにとって東は先祖の来た所として比較的良く知られていたが、西に行くほど馴染みが薄くなり、海沿いの島々まで行けば知識はなくなる。 そのような西の果ての地でも、主の僕の出現と、その使命の完成が待ち望まれているというのである。来たるべきメシヤは、主の民の間で期待されているだけでなく、世界の救い主として地の果てからも待たれ、望まれていると言うのである。傷める葦を折ることさえない弱々しいメシヤが、救い主として待ち望まれるとは、我々にとって分かり難く、まして西の果てにいつ人々にこの教えが受け入れられるとは到底思われない。なぜ海沿いの国の民がそれを受け入れることが出来るかは我々には説明出来ない。しかし、我々に説明出来るか否かは別として、地の果ての民は弱きお方でありしかも勝利者であるキリストの来臨を望み待つのである。 |