「それから、群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた」………。
ここでは、まだ主題である主の御言葉に踏み込んでいない。前置きというのであろうか。主が語り始める前の状況説明である。しかし、この部分をシッカリ聞いて置かなければ、主題である御言葉を聞き落とすことになりかねない。すなわち、ここでは、誰がこの御言葉の聞き手であるかが示されている。
それは「弟子」たちと「群衆」なのである。聞き手は二種類の人からなっていた。弟子、そして群衆である。弟子という言葉について、註釈を始めれば延々と続くので、今は触れなくて良いと思う。ただ、どういうふうに弟子が舞台に登場して来たかを、マルコの福音書によって一瞥しよう。この福音書では、最初の段階に、弟子は出て来ない。ヨルダン川でのバプテスマの場面では、主イエスのみがヨハネのもとに行きたもうたようにマルコは書いている。荒野でサタンの試みに遭われた時も、そこからガリラヤに行って福音の第一声を宣べ伝えたもうた時も、彼お一人である。つまり、マルコ伝は、他の三つの福音書と違って、その角度から見られたもうお方として、イエス・キリストを理解するように我々を導く。
ガリラヤの海辺を歩いておられ、シモンとその兄弟アンデレにお会いになった場面で、彼らはまだ「弟子」とも呼ばれず、ただ、それぞれの名前で呼ばれるだけである。「弟子」という名詞が使われるのは、もう少し先、2章15節で「多くの取税人や罪人たちも、イエスや弟子たちと共にその席についていた」という下りが、マルコ伝では最初である。
今、立ち入って論じることをしないが、「弟子」というのは、「取税人」とか、「罪人」とか、さらに、すぐ続いて出て来る「パリサイ派」という人たちと一応区別された扱いとして出て来る。一般民衆も弟子をそのように区別して見ていたと思われる。
弟子の任命についても、今日のところ、詳しいことには触れない。12弟子を立てたもうたという言い方は、マルコ伝では3章14節に初めて出て来る。この時には、使命が授けられたのである。弟子は使命を持っているのだから、群衆と区別されねばならないのは聖書を読む者にとって常識である。
しかし、大事な点は、弟子というものが最初いなかったということである。弟子がなくても、福音は成り立っていた。弟子が何かの役割を演じなくても、イエス・キリストお一人でサタンに勝利したもうた。当然のこととして理解すべきは、十字架もまた主イエスお一人で担い、お一人でこの御業を全うされたということである。最も優れた弟子といえども十字架の御業に参与出来なかった。
それは、彼らが素質・能力において劣っていたからという理由ではない。劣っていたことは否定出来ない。しかし、これは、まことの神であって、また、まことの人である主イエスのみが負い、かつ果たし得る職務である。今日は後で本論に入って、「十字架を負う」ということの意義を考えるのであるが、「我々も主イエスと共に十字架を負うのだ」と勇み足になってはいけないということを、最初にシッカリ見て置かなければならないのである。
次に、「群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せたもうた」という点に、注意を払って置きたい。「弟子」ということについて、考えれば考えるほど奥は深いが、今は定義しなかった。まして「群衆」そのものについては、定義を考える余地もないほどである。
群れ集まったこの人たちに、好奇心はあったかも知れない。しかし、求道心があったと言えば、おそらく間違いになる。求める者が少しいたかと思うが、もし求道の心があれば、群れてしまう人たちとは違った関わりをしたのではないかと思われる。とにかく、「群衆」と言われるのは、弟子以外の、主の後に随いて行く人以外の、せいぜい周りにいる限りの「その他大勢」である。熱い関心を持っている人も、関心はあるが距離を置いて見ている人も、敵意をもって見ている人も、自分には関わりがないと思っている人も、区別なく、全部ひっくるめて「群衆」なのだ。
主はこう言われた、「誰でも、私に随いて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、私に従って来なさい」。――これが本論である。
だが、ここでも、本論に入る前に解決して置かなければならない問題があるのではないか。「十字架」という言葉を、弟子は聞いたことがあるとしても、群衆はどうか。彼らに通じたであろうか。こういう疑問を抱いて、「十字架うんぬん」という語句は、後の時代に作られて、それが主イエスの口に入れられたのだと主張する人が出て来た。
こういう考えに我々は疑問を感じるのである。聖書の言葉を人間の納得行く線にまで引き下げて行くなら、どこまでも引き下げなければ、納得が出来なくなり、聖書は人間の理解力の中に空中分解してしまうのではないか。
では、どうなのか。――十字架の教えは、その前から教えられていたと捉えていなければならない。どういう実情であったかは、我々には十分には分かっていない。ここで「十字架」という言葉がそのまま使われたかどうかも分からない。旧約になく、ユダヤ人の語彙のうちにはなかったのではないか。ただし、旧約外典のマカベア書には、侵略者セレウコスがユダヤ人を十字架につけたことが書かれているから、それ以後のユダヤの民衆は十字架のことを知っていたのではないかと思われる。そうかも知れないが、ユダヤの民衆に十字架という語彙が分かっていたとしても、主が今語っておられることを理解する上では何の意味もなかった。
キリスト御自身がここで「十字架」という言葉を使われたかどうかは問題ではない。彼は「私は十字架の苦難を負う」という主旨の教えをしておられた。弟子たちも、群衆も、それを聞いていた。だから、ここで「十字架」という言葉に出会っても、その言葉が掴みどころないまま、心を吹き抜けてしまうということにはならなかった。分からなかったことは確かであるとしても、分からぬながら耳に残り、胸に残った。だから、福音書の中に書き残されたのである。
どういうことが以前から語られていたのか。――キリスト教擁護のために屁理屈を言っているのではないか。いや、そうではない。事柄の理解の手がかりは十分ある。例えば、マタイ伝26章24節で、「確かに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く」と言われた。最後の晩餐の場面である。もうこの時には、鈍い弟子たちも只ならぬことが起ころうとしている気配を感じていたであろう。
その後、間もなくゲツセマネに行かれ、そこで逮捕された時、「私が父に願って、天の使いたちを12軍団以上も、今遣わして頂くことが出来ないと、あなたは思うのか。しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか」と言われた。
今引いた二つの言葉で、主が重ねて言っておられる語句として、「聖書の言葉は成就する」というものがある。これがテーマの一端である。つまり、「メシヤの苦難と死」である。「聖書が言っていた」とは、約束されているメシヤ、キリストが「苦難の僕」として来る、ということである。ここには十字架という語ではないが、苦難を通じての罪の贖いが、旧約から新約への一貫したメッセージとして伝えられていたではないか。
ユダヤ人の間でこういう解釈が定説であったとは言わない。それでも、この解釈を支持する律法学者と民衆は、多数派でこそないが、ある程度いた。イザヤ書53章に書かれていることは無視出来ないから、そこに予告されている「苦難の僕」が、予告された救い主の来臨の姿として捉えられるところまで、踏み込んで聖書を読み解かねばならないと信じる人たちはいた。
「ユダヤ人は徴しを請い、ギリシャ人は知恵を求める」と使徒パウロはIコリント1章22節で言う。キリストであることの証拠として「徴し」すなわち不思議な力ある業、奇跡、それを披瀝して見よ、そうすれば信じよう、とユダヤ人は考えている、という意味である。これは、ユダヤ人とギリシャ人を対象とした伝道の経験を或る程度積んだパウロの判断であって、当たっていると言う他ない。もちろん、二つの民族の多数派についてこのような特徴が捉えられると言うのであって、例外なくこうであると決めつけているわけではない。
ユダヤ人は、圧倒されるほどの徴し、また堂々たる姿をキリストに求めた。しかし、イエス・キリストは「見るべき形なき」「苦難の僕」としての御自身を人々の前に示したもう。人々は「こんなに惨めな男は、メシヤでない」と拒否した。
主イエスが民衆の前に現れたもうた時のお姿がそれである。我々よりも誰よりも立派なお方でなければ、キリストに相応しくない、と思うのは根本的に間違っている。群衆に対して「十字架を負って私に従って来なさい」と言われた時のお姿は「苦難の僕」の姿であったと言い換えた方が分かり易いであろう。今引いたパウロの言葉は、さらに続いて、「しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝える」と言う。ここで纏めをつければ、来たるべきキリストについて預言者が予告したこと、キリストが御自身について言われたこと、使徒パウロがキリストについて証ししたこと、それらが、一線上に並んでいることに気付かせられずにおられない。
分かり易く説くならば、預言者の言葉に耳を傾けた少数の人々、キリストのお言葉に耳を傾けて彼に随いて行った人々、使徒の証しを受け入れた人々、これらの群れが、時代を超えて、信仰によって繋がっていることが見えて来るではないか。とするならば、今の我々の位置がどこにあるかも明らかである。
「十字架を負う」という言葉がここでの強調点であることは言うまでもない。しかし、それを「負う」のは私であるというところに力点が移って行くならば、主の言っておられることは曲げられてしまう。先に見たように、私がいなくても十字架は成就した、ということがシッカリ把握されていなければ、十字架を負うということの強調は、単なる悲劇的英雄主義に終わる。
「十字架を負う」とは、どういうことか。一般的に言うならば、苦難を引き受けることであるが、キリスト教会では、これが自己犠牲の献身であり、最高の美徳であると讃美される場合が多い。しかし、ここは慎重に扱わねばならない。十字架を負うことは、いろいろな局面に適用できる。だから、正当に語られる場合もあるが、自分を納得させて、これで宜し、と自己満足に陥らせる機会になる場合もあるし、人に重荷を負わせて、自分は負わず、それに気付こうとしないこともある。十字架を負うという言葉が良き業として有名であるだけに、濫用され、偽善の言葉になる恐れがある。その具体例を挙げていては、話しが長引き過ぎるので、今は触れない方が良い。
要するに、ことの順序として、第一にキリストの十字架、第二に私の十字架を思い見、それからまた第一に戻り、第二に降りて来る。こういう順序の洞察の反復をすれば良い。反復が必要なのは、不十分な理解に居座ることがないためであるが、何度も繰り返して考えるうちにだんだん本物になって行く、というものではない。先ず本物になって、それが繰り返されて磨き上げられるのである。
そのためには、何よりもキリストの十字架の意味の把握が本格的なものになっていなければならない。すなわち、己れ自身の罪についての認識、キリストによる罪の贖いが完全に果たされたことの確信、信仰による罪の赦しの把握、キリストの恵みに対する感謝の応答、これらの要点が確認されねばならない。別の言い方をするならば、イエス・キリストの十字架を直視することによって回心が起こり、そこで一線が越えられねばならない。
十字架はまだ心の定まらない群衆にも語り掛けられるということを先に触れた。分かっていない人にも、分かろうとしない人にも、聞く気がなくても、語り掛けられたのである。キリストの十字架が先ず分かって、それからでなければ、私が私の十字架を負うことには手が付けられない、ということは見た通りである。それはその通りであるが、キリストの十字架についてまだ全く分かっていない人にも、十字架を負うことへの呼び掛けがなされたことは確かである。
それにしても、自分を捨てることが求められている。それは自己否定の修練ということか。自己主張や自己顕示がギラギラしている時代であるから、自己否定の修練と聞くと、何と爽やかなことよと見られもする。しかしそれは違う。爽やかさの自己顕示をしても結局空しい。では、どうするのか。我々のために御自身を捨てたもうた方と向き合うことによって、我々も己れを捨てる者になるのである。