◆受難週の説教2006.4.9

 

――イザヤ52:13-53:12によって――

 

 イザヤ書53章――正確には、5213節から、5312節まで――「主の僕の歌」と普通呼ばれる章句、これは、旧・新約を通じて聖書の中で際立って難解な、独特な箇所である。昔から今に至るまで論争の的になっている。
 誰が書いたのか、どの時代に書いたのかも議論される。それについては、我々の救いに関わることでないから、分からなくて良いとして置こう。が、「主の僕」と言われるのが誰であるかは、知らなくて済むことではない。
 我々は今朝、その論争の学習を蒸し返すのではない。どういう論争があったかを手短かに紹介しようとも思わない。ユダヤ教においては種々の解釈がなされるとしても、キリスト教では一本化されている。
 使徒行伝を学んで来たから、覚えておられると思うが、「僕イエス」という、今日の教会ではいささか奇異に感じられさえする呼び方が、初代教会の中でなされていた。使徒行伝3章と4章に何度も出て来る。「僕」という言葉がこれらの箇所だけ「ドゥーロス」でなく、「パイス」というギリシャ語になっているので、これが教会における特別な語彙であることも見たいと思うが、今は省略する。実例を引けば、430節には、「御手を伸ばして癒しをなし、聖なる僕イエスの名によって、徴しと奇跡とを行なわせて下さい」と祈ったことが記録されている。
 この呼び名が末永く用いられたとは思われない。呼び名としては「主イエス」に統一される方が適切であったと誰も思うであろう。しかし、イエス・キリストを、イザヤ書でその到来が予告されていた「僕」なるメシヤであると捉える理解、その信仰は、ずっと受け継がれている。
 イザヤ書53章に関して、もう一つの使徒行伝の箇所を思い起こす。我々の使徒行伝の学びは、やがて第8章に入って行くが、その26節以下にピリポによるエチオピヤ人への伝道のキッカケの出来事が記されている。エチオピヤの女王の宦官が、エルサレムで礼拝を捧げ、帰途につき、荒野の道に馬車を走らせながら、預言者イザヤの書を読んでいた。まさしく、53章であった。ピリポが馬車と並んで歩くと、そこを読んでいる声が聞こえた。そこで、二人の間でやりとりが始まる。ピリポによる御言葉の解き明かしが終わった時、宦官は洗礼を受けたい、と申し出、信仰を告白して洗礼を受ける、という場面である。
 「やりとり」と言ったが、ピリポは先ず問い掛ける。「あなたは、読んでいることがお解りですか」。――宦官は答える。「誰かが手引きをしてくれなければ、どうして解りましょう」。
 いずれ、その箇所になって、詳しく読むことになるから、今は簡単に見るに留める。宦官にとって分からないのは、預言者が誰のことを言っているのか、自分のことか、ほかの人のことか、という問題であった。それさえ分かれば全部解けるということではないが、何が何だか全然分からない、というのではなかったようである。何か感ずるものがあったから、読むのを止めなかったのである。
 「苦難を負う僕」とは、預言者自身かも知れないという解釈は今もある。エチオピヤの宦官に、イザヤ書を読む予備知識がどの程度あったかについて、私には全く分かっていない。が、とにかく、預言者が、自らも苦難の中を生き抜いた者として、自分のことをこう語ったのかも知れない、と考えることはこの宦官に出来たのである。
 今でも、世界は苦しみに満ちている。それどころか、世界の苦難はいよいよ深まって行くように思われる。その苦難について、何とも感じない人が多いことは事実であるが、考えないではおられないと思う人が、少しずつ増えているのも事実であろう。そのような人たちのうちに、現代の苦難の僕と、自分自身を重ね合わせて読もうとする動機が強まって行くことはあるであろう。そのことを思うと、状況はずいぶん違うけれども、宦官が、これは誰かが自分について語ったことかも知れない、と感じたことはあり得たと思われて来る。
 それはそれで尤もなことと思う。ただし、ここで、そのように自分の感じと世界の現状とを読み込んでしまうならば、イザヤ書がここで語っているメッセージから外れてしまう。本来、預言者は自分のことを語るのではない。また、御言葉を語るかのように装って、実はそこに読み込まれた自分を語るのでもない。誰か他の人のことを語る。このことはシッカリ捉えて置こう。
 旧約の時代、ユダヤ人の間で、これが誰のことを言うのかが、議論された。昔から、容易に理解出来る箇所ではなかったからである。いろいろな説が主張されて来た。ユダヤ民族の苦難と、来たるべき日の栄光を待望する預言だという解釈が、彼らの間で一番共感を得たようである。ユダヤ人の苦難と使命を追求しようとしたと見ることは、出来なくないと思うが、これはユダヤ人の民族意識や、愛国心に容易にすり替わってしまう。そして、この民族の自己中心的実際は、預言の本旨からいよいよ離れて行くのであるから、取り上げる必要はない。
 特定の個人を指すのではないかという説もある。そのうち、エレミヤ書に生々しく描かれている預言者エレミヤ、これこそ「苦難の僕」だとするのがユダヤ人の間では、今でも有力だということである。しかし、これは無理だと我々は直ちに言う。エレミヤの歴史を語ることは感動的であるかも知れないが、将来を照らす預言にはとうていならないからである。
 さらに、アナトテの祭司ヒルキヤの子である預言者エレミヤが、救いについての深い教理を説いていたことは認められるとしても、イザヤ書53章に述べられている、誰かが代わって贖いを果たす、という原理をエレミヤから読み取ることはかなり難しい。もともと小羊が燔祭として捧げられること自体に、まことの小羊が罪人に代わって殺されることの象徴があったが、それはユダヤ教では教えにはなっていなかった。
 エレミヤが民のために苦しみを受けたと言うことは出来るが、「まことに彼は我々の病を負い、我々の悲しみを担った。………彼は我々の咎のために傷つけられ、我々の不義のために砕かれた。彼は自ら懲らしめを受けて、我々に平安を与え、その打たれた傷によって、我々は癒されたのだ。我々はみな羊のように迷って、各々自分の道に向かって行った。主は我々全ての者の不義を、彼の上に置かれた」という53章の真髄をなす真理また奥義は、エレミヤには当て嵌らない。
 では、我々はどう理解すべきか。――旧約の民の中に、ここで示される苦難と栄光の僕が「来たるべきメシヤ」であるという確信が、必ずしも多数者の支持を得ていたのではないが、連綿と受け継がれていた。すでに、イザヤ書の初めの方で学んだ通り、アモツの子イザヤは、来たるべきメシヤについて、預言者の中では最も多く語った人である。そして主イエス・キリストも、預言者の中ではイザヤに言及される場合が特に多かった。イザヤ書が預言の書のうちの筆頭に置かれるのは古くからの順序であるが、キリスト教会において、イザヤ書の位置はさらに確立する。イザヤ書53章がメシヤ預言だということは最も無理のない解釈である。
 このようにイザヤ書53章を解釈する人が、キリスト以前からいたのである。神がそのような人々を選んで、呼び出しておられたと言うべきである。
 来たるべきメシヤを待ち望む民、これこそがアブラハム以来の主の民の、主の民である理由の、根本であるという確信が、敬虔なユダヤ人の間に受け継がれた。だから例えば、ルカの福音書が記す通り、イエス・キリストが生まれてのち、初めてエルサレムの宮に両親に運ばれて来たもうた時、シメオンは、「主よ、今こそ、あなたは御言葉の通りに、この僕を安らかに去らせて下さいます。私の目が、今あなたの救いを見たのですから」と讃美した。シメオンは来たるべきメシヤを待っていた民の一人であったことは確かである。
 ルカが続けて述べる女預言者アンナが、この幼な子のことを、エルサレムの救いを待ち望む全ての人に語り聞かせたと記されているのも、同じ事情である。「エルサレムの救いを待ち望む者」とは、預言者アンナの指導を受けていた、おそらく多数ではない信仰の群れであった。
 こういう人があちこちにいたことを、福音書や使徒行伝から読み取るのはさほど困難でない。
 彼らは、信じて待ち望んでいた通りのお方が来られたこと、いや、待ち望んでいたよりももっと明確な御姿で御自身を示したもうたこと、すなわち、まさしく苦難のメシヤとして十字架につき、そして予告された通り三日目に甦りたもうたことを見、彼を「救い主」として信じた。これは、我々が福音書から使徒行伝にかけて、一貫して聞き取ることである。
 この信仰を持っていた人が、五旬節の朝、約束の聖霊を受けて、教会を建設し、福音を世界に広める活動に入った。すなわち、神の民の一筋の道は、世界に広がったが、広がっただけでなく、このようにして今日も続いている。広がりよりも続いていることの方が重要であろう。
 これこそが神の民の歴史の本流である。我々もその流れの中にシッカリと位置を占めている。だから、この信仰を次の世代に伝え、我々が世を去って後も、この信仰がこの世界の中に立ち続け、こうして世の終わりの日、キリストが再び来たって、全ての約束を成就したもう日に至るのである。
 長いこと序論に当たることを述べて来たが、本文に触れない訳に行かない。5213節から入る。章の区切りと合わないように見られると思うが、聖書の章の区切りは、詩篇は別として、もともとなかった。近世に入る頃から章の区分が始まり、節に分けることも始まったので、それ以前の信仰者は今日の分け方と無関係に読んでいた。
 「見よ、わが僕は栄える。彼は高められ、挙げられ、非常に高くなる」……。
 ここから読み始めると、新鮮な感じを受ける、と言う人もあろう。多くの場合、我々は「主の僕の歌」を、彼の苦難を歌ったものとして捉える。だが彼の名誉回復は53章の終わりになって語られる。だから、先ず苦難、その後で栄光、という順序で把握するのが通例であり、それが間違いだとは言えない。
 だが、その逆の順序で語られても、間違いではない。耳慣れた順序と違うという新鮮さが感じられるだけではない。讀み換えることによって、普段気づかなかったことが見えて来る。すなわち、苦難そして栄光、というふうに並べると、後ろに置かれたものと取られ勝ちな「栄光」が、こちらでは前面に出て来る。救い主の栄光は、よく聞いているのであるが、分かっているつもりであっても、本当は良く分かっていないことがあるのではないか。順序を換えて見ることは一つの霊的修練である。
 むしろこの方が本来の順序だと言うことは出来るのである。感覚的には逆かも知れない。人間の感覚は神の栄光に適合していないので、栄光が先に来ると、そこで混乱を起こしてしまい勝ちだからである。しかし、先ず栄光を見上げ、それから、彼の受けたもうた苦難に下って来る方が、正確で整った、また満遍なく内容を網羅した理解になるのではないか。そう考える機会が時々はほしい。
 その次にはもう、「彼の顔立ちは損なわれて人と異なる」という言い方になるから、これは受難の姿である。ただし、5214節以下531節まで、主に言おうとするのは、救い主なる御子の受難による我々の救いが、「福音の宣教」によって伝達されるということである。生々しく見させられれば何かを感じるところであるが、見るのでなく、聞くのである。聞くことによって信じるのである。だが、聞いて躓くことが多い。
 「誰が我々の聞いたことを信じ得たか。主の腕は誰に現れたか」。聞いて信じた者は嘆かわしいほどに少ない、と言われる。
 まさに、主イエスの言われるように、十字架の福音は「躓き」である。だから、多くの人の躓くところを我々が躓かないで、信じることが出来るようにと、祈り求めねばならない。祈る者に「主の御腕」、すなわち「力」が現れて、こうしてこそ、人は信じることが出来るのである。
 キリストの苦難がテーマであることは言うまでもないが、ここで重要なのは「我々のため」の苦難、「我々に代わって」の苦難、したがって彼の受けた苦しみによって「我々が、私が救われた」ということである。
 「まことに彼は我々の病を負い、我々の悲しみを担った」。「彼は我々の咎のために傷つけられ、我々の不義のために砕かれたのだ。彼は自ら懲らしめを受けて、我々に平安を与え、その打たれた傷によって我々は癒されたのだ。我々はみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主は我々全ての者の不義を彼の上に置かれた」。この「我々の」という言葉、我々の不義、すなわち我々の罪という言葉、したがってその罪から解放された事実、罪の赦しの恵みに注意しよう。
 世界が今、苦難に取り囲まれていることは、先にも触れたが今日の重要問題である。苦難に押しひしがれている人々について、我々は無関心であってはならない。しかし、今日の問題である苦難に関わることは良いとして、我々のために苦難を負って下さったその方の御苦難と、今の世の隣人の苦難とを混同したりすり替えたりしてはならない。我々に代わって苦難を負いたもうたその苦難が捉えられてこそ、我々は立つことが出来、隣り人の苦難に向き合うことが出来るのである。それゆえ、今週、彼が我々のために苦難を負いたもうたこと、我々の罪という問題が解決されたことに、特に思いを向けよう。