◆ 2009.04.12..

 

復活節礼拝説教


――マタイ28章によって――

 

 マタイの福音書においては、主の復活という当日未明の出来事と、何日か後の復活の主の使徒たちへの顕現、ならびに彼らの派遣が、別々に書かれている。復活の事件はエルサレムにおいてであるが、主が復活して墓から出て来られた現場は、誰も見ていない。しばらくして、そこに駆けつけた数人の女たちが主の御姿を見て、使徒たちに「ガリラヤに行け、そこでお会い出来る」と伝えるよう命じられる。正式に使徒たちに顕現されたのはガリラヤの山においてである。

 墓石を開いて立ち上がってこられる場面は、人間の目には直視するに余りにも崇高な圧倒的な輝きに満ちた光景であって、俗な言葉で「目が潰れる」ほかない。女たちへの顕現も、見るに堪えられる程度に緩和された姿であった。顕現したもうた復活の主との出会いは、そのような御姿においてであった。

 使徒たちへの顕現は、エルサレムを離れて、ガリラヤの、使徒たちには熟知された山の上で行なわれ、その場所で、世界宣教への派遣命令が与えられた。そして、主は御体をもっての顕現を、40日間に限定したまい、日が満ちると、御姿は人間の目の前から去ったのである。

 これがどういうことであるかを説明するのは、墓の中においても、オリブ山においても、二人の御使いの役目であって、人には任されない。墓の中では「あなた方は十字架につけられたイエスを尋ねているが、ここにはおられない。ガリラヤに行けば会える」と聞かせられる。オリブ山ではこう言われた。「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなた方を離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなた方が見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。

 重なり合う出来事がハッキリ区別されて記されることは、我々にとって理解しやすい。すなわち、復活事件が、そのままでいきなり突きつけられたなら、我々は驚愕し、恐怖に陥り、混乱して、判断が出来なくなる。墓が空になり、そこに納められた体がなくなったとはどういうことか。主が復活されたとはどういう意味を持つか。それは我々にとって何なのか。このことを知ったからには我々は今からどう生きるべきか。……それが捉えられないままに、あれこれの驚きの体験を纏まりないままに語り合っているだけかも知れない。

 主の復活の場面に出会えた人は限られていた。その限られた人の仲間に、自分も加えられたいと願うことは、いけないことではないと思う。しかし、その事実に出会えなかったことを信仰にとっての致命的欠落と思う必要はない。見ずして信じることは出来る。むしろ、見ずして信じることこそが、信仰の通常の在り方なのだ。その確かさは聖霊によって保証されている。復活の信仰が時代が下るに連れて低下して行くと考える人は大きい間違いを犯している。

 復活節に当たって、諸教会で主の復活の出来事が語られるのは当然のことである。この日を復活節として守れと主が命じたもうたのではなく、教会のしきたりとして古くから行なわれ、今も守られるのは、復活の事実を忘れないための記念である。確かに、主イエス・キリストの復活は、事実として、確認のために語り継がれて行かねばならない。

 しかし、注意したい。人生のなかに種々の記念日が定められ、それぞれ、それなりの意義を持っているが、それと同列のこととして、キリスト者の一年の暦のなかに主イエス・キリストの復活の記念日が設けられたということなのか。……それでは、ただの春の季節の祭り、それに多少の色づけをしただけではないのか。それと違うということを思い起こさねばならない。かつてあったことを忘れないように繰り返し心に呼び起こすことではない。今のこととして捉えなければならない。もし我々が思い違いをしているなら、是正しなければならない。

 キリストの甦りは歴史の中で起こった歴史的事実であるが、それだけでなく歴史を突き破っている。人が全て生まれては死んで行く歴史の中にはめ込まれてどんどん過ぎて行くのではない。それは今も変わらぬ事実として我々に関わっている。

 教会は初めの時から主の死を記念するパン割きを守っていた。では、主の復活の記念として何か行事があったか。何もないのである。日曜日を「主の日」と呼ぶようになったのは、ヨハネ黙示録の中に証拠としてあるが、それは主の「復活の日」という意味で始まった。さらに、キリスト者が週の第一日に礼拝を守ることはかなり早くから始まったのだが、一番初めは、ユダヤ教の仕来たりと共通に安息日に礼拝を守っていた。

 一番初めのキリスト教会の意識は、キリストがその死と復活によって贖いの業を成し遂げたもうたから、毎日が安息日であった。同じく、キリストが全ての死者の甦りの初穂となられたのであるから、キリストにあって生きる者には、毎日が復活節であった。これは今もそうでなければならない。一年のうち一日だけ主の復活を記念するようになったのは、後退あるいは縮小、矮小化である。

 人類の長い歴史の中で、主の復活の出来事に出会った人はごく僅かしかいない。それ以外の人は、選ばれた民に属している人でも、死人の復活が約束されたのを信じて待ち望んでいた旧約の人か、それとも、後で主の復活の証言を聞いて信じ、主からこの使信を宣べ伝える使命を受けた人か、とにかく、そのような関わり方によって復活の主の命に与った人である。我々はその後者である。

 新約の民で、その第一陣として墓のそばで主イエスにまみえたマグダラのマリヤ、その他の女たちと、その次に主イエスに出会った使徒たちとの違いは、つけないことにしておく。Iコリント15章では復活について、こういうふうに言っている。「私が最も大事なこととしてあなた方に伝えたのは、私自身も受けたことであった。すなわち、キリストが聖書に書いてあるとおり、私たちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目に甦ったこと、ケパに現われ、次に12人に現れたことである」。

 マルコ伝169節には「週の初めの日の朝早く、イエスは甦って、先ずマグダラのマリヤに御自身を顕された」とあるのに、Iコリント15章はそれと違う捉え方をしている。すなわち、マグダラのマリヤたちのことはなかったかのように、主御自身の福音を携えて地の果てまで遣わされる者への顕現が第一に扱われている。

 復活そのものと、復活の体をもっての顕現、この二つのことは一つであるが、理解のために別けて扱われる。その顕現も40日で打ち切られ、それ以後と区別されたことは、混乱を避けるために幸いであった。しかし、切り離されてはならない。すなわち、宣べ伝えられる復活は、単なる信念ではなく、世界の中に始まっている確かな事実なのである。見てはいないけれども、見たのに劣らぬ確かさがある。すなわち、御霊によってキリストが常にともにいますのである。かつてキリストが甦りたもうた、その出来事を、真実なる事実として信じるだけに留まらない。今も私が主とともに生きているという証しが全世界に展開されているのでなければならない。

 16節には「さて、11人の弟子たちはガリラヤに行ってイエスが彼らに行くように命じられた山に登った」と書かれている。

 この事実については聖書のここだけにしか書かれていない。マルコ伝では、御使いがマグダラのマリヤたちに「今から弟子たちとペテロの所に行って、こう伝えなさい。イエスはあなた方より先にガリラヤへ行かれる。かねてあなた方に言われた通り、そこでお会いできるであろう」と言ったと書いている。これもガリラヤでお会いになったことを示すが、山の上ではない。ヨハネ伝では21章にイエス・キリストのガリラヤにおける顕現が語られている。だが、ガリラヤの山ではなく海辺である。最初の弟子たちが召された場所がその海辺である。

 そのように、事実としての記述が一致していないために、事実としての顕現の確認が薄れて、信仰心の描き出した象徴とか、心象風景として理解され勝ちであるが、その理解では主の命令が命令でなくなって、自分で覚悟を決めた使命感になってしまう。だから、そういうことにならないようにシッカリ読んで捉えよう。

 主が十字架の死を遂げられた後、弟子たちは散らされ、恐れて、隠れ潜んだ。それを再結集させたのはペテロである。主は彼に言われた、「シモン、シモン、見よ、サタンはあなた方を麦のように篩いに掛けることを願って許された。しかし、私はあなたの信仰がなくならないように、あなたの為に祈った。それで、あなたが立ち直った時には、兄弟たちを力づけてやりなさい」。――主は弟子団が十字架に躓いて一旦崩壊してしまうことを予知しておられた。

 ペテロが纏めたのは11人である。失われた一人については今日は触れないでおく。欠けた一人が補充されたのは、主がオリブ山から天に去って行かれた後である。それまでは欠員のままであった。一同がガリラヤの山に行き、そこからまたエルサレムに引き返したのは短時日の間のことである。

 一旦ガリラヤに行かせ、そこで出会って、使命を授けたもうたことは、使徒行伝に書かれていないが、それまでの主の伝道活動また弟子の訓練が主にガリラヤにおいて行なわれたことは確かである。そこに連れ帰って再出発させようとの御心であることは十分理解出来る。

 再出発ではあるが、初めの時との一貫性・連続性がある。同じ山でなければならないということはないであろう。しかし、主の苦難に触れて一旦躓いて散ってしまい、もう一度集められて先の時の召しを思い起こしている者には、確認を強くされるために有効であった。

 その山がどこであるかは書かれていないから、疑わしいと言う人もいる。しかし、我々には「ガリラヤの山」と聞いて、山の名は分からないけれども、直ちに思い起こすことの出来る山の場面がある。マルコ伝3章の13節、「さてイエスは山に登り、御心にかなった者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとに来た。そこで12人をお立てになった」。もう一つの場面はルカ伝612節である。「このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた。夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から12人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった」。

 その山なのである。かつてこの山で12人をお立てになって、彼らを傍におらせて、訓練したもうたのは、この日のためであったことがハッキリ分かるではないか。

 その山はかつて主が群衆を見て山に登り、そこに座し、弟子たちがみもとに集まり、主が群衆に対して「幸いなるかな、心の貧しき者」と語られたあの山であったかも知れない。これはマタイ伝5章以下に記された教えである。また、山の上で御姿が変わり、栄光が輝き出たあの山かも知れない。このことはマタイ伝17章、マルコ伝9章、ルカ伝9章に書かれている。その出来事も考えて良いことだが、使徒の使命ということに今は的を絞る。

 彼らに向かって言われた、「私は天においても地においても一切の権威を授けられて。それゆえに、あなた方は行って、全ての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなた方に命じておいた一切のことを守るように教えよ。見よ、私は世の終わりまで、いつまでもあなた方と共にいるのである」。

 このくだりは世界宣教への派遣と呼ばれることが多い。それは間違いではないが、復活し、顕現し、派遣されたことがズンズン進んだように受け取ると、実際とのギャップの大きさに躓いてしまうであろう。

 世界宣教への派遣ということに教会が目ざめたのはズッと遅い。そして、世界宣教ということを教会が流行語のように語って心を燃やしていた時代はもう過ぎ行こうとしている。波に押し出されて、伝道!伝道!と言っていた人たちは伝道の行き詰まりの中で、元気なことは言えなくなっている。

 大事なことは、全人類をクリスチャンにするということではない。死んで甦られたキリストが、世界の主となられたことである。それがここで宣言される。キリストの主権を確認することが第一である。キリスト以外のものが主であるかのように振る舞っているのに追随してはならない。キリストが主であられることを、効果的な宣伝によって広めるよりも、自分の主はこのお方のほかにはない、と明言し、事実をもって証しするのである。

 全ての国民を弟子とするとは、数を増やすよりは、国と国、民族と民族の差別を設けることなく接することである。

 キリストが世の終わりまで共にいてくださる保証があるのであるから、キリストと共に生きているとはこういうことだと、その実を示すのである。

 


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