◆ 2008.3.23.

 

復活節礼拝説教
――マルコ16:9-20によって――

 

 主イエスが墓の中から甦りたもうたとの報せが弟子たちのもとに届けられた時、殆どの人は信じなかったということを、福音書は語っている。主の死を悲しんでいた人ならば、復活の主に出会った時、事実をそのまま受け入れないではおられないから、直ちに信じて大いに喜んだ。けれども、主に出会った人から出会った報告を聞いただけの人は、まだ信じることが出来なかった。

 彼らが主イエスの死を悲しんでいたことは確かである。それならば、「主は甦りたもうた」と聞いたなら、その報せに飛びついたはずではないか? さらに、主御自身、復活を予告しておられた。それならば、その予告の実現を喜ばずにおられないはずではないか? その報せが信じられないとは、どういうことか?

 ――人間はそれほど不信仰に傾いているのであろう。そして、死人が甦ることは、旧約聖書でも言われ、主イエス御自身によっても予告されていたが、人々にはそれがある程度は分かっても、現実にはあり得ないと思ったのである。だから、事実そのものに出会わねばならない。

 我々は今では、復活のメッセージに聞き慣れて、抵抗なく受け入れているが、人間が素直に死人の甦りの告知を信じないことは、率直に言うならば真実である。だから我々はこれを単純に受け入れるだけでなく、神の計画によって起こるべくして起こった、と真実に信じなければならない。これを信じるとは、どう変化することであるか、どのようにして死人の甦りを信じるようになるのかを問い、不信仰から信仰へと前進しなければならない。

 使徒行伝17章で学んだことであるが、パウロはアテネのアレオパゴスで説教した。彼の説教は、偶像に満ちた町に触発されて、偶像でない真の神は、唯一であり、その神が万物を創造し、全地を支配したまい、この唯一の神のもとに、人類は種々の民族に分類・区分されているが、人類としては一つなる神において一つであると説いた。その時、アテネの人たちはこの耳新しい教えに興味を抱いたようである。さらに、万物を創造された神を、人の手で造った偶像に置き換えて、神に生かされている者がそのような偶像を拝むという無知な業を、神がいつまでも見逃しておられるわけはないではないかと警告するに及んで、人々は或る程度納得して、神の怒りを恐れた。

 けれども、この唯一の神が、全ての民に悔い改めを求めて、義をもってこの世界を裁くために遣わされた方を、死人の中から甦らせたもうた、と言った時、人々はこのような説教をするパウロをあざ笑い、興味はもう尽きたと言わんばかりに立ち去って行った。「死人の甦り」ということが出て来るまでは、人々の関心を繋ぐことが出来ても、復活となると、関心は切れてしまう。

 今、我々の身辺でも同じようなことが見られる。我々がナザレのイエスという人物について、その教えについて、その行動について、その悲劇的生涯について、彼を取り巻いた社会とそこに含まれていた数々の問題について語る時には、人々は興味をもって聞いてくれる。だが、彼の復活に話しが移ると、人々の興味はプツンと切れる。それは自分に関係のない話しだと思うからである。

我々自身はどうであろうか? 本来の我々は、ナザレのイエスという方が復活されたと聞いても、それはあり得ないこと、たといあったとしても、私とは関わりないこと、としか思わなかったのではないか? まして、遠い国の、遥か昔の人物に起こったことは、今の時代に生きる我々とは繋がりようもないではないか? そう感じるとしても無理はないかも知れない。

もっとも、偶像を刻んで、それを拝んでいる人が、その偶像と自分との関わりがあると信じているかというと、それは全くなかった。偶像を立ててそれを拝む習わしに馴染んでいたから、ほかの考え方が出来なかっただけであろう。

とするならば、キリスト教世界においても、単に馴染んでいて、抵抗なく聞けているというだけではないのか? 「復活者キリスト」という合い言葉を偶像にし、(ただし、この偶像は必ずしも彫刻、あるいは画像ではなく、人々の頭の中に設定された観念であって、キチンと論じられているために、十分納得できるように筋が通っている)その偶像を掲げ、また説くことが慣習となっているから、抵抗なしに、この季節になれば、そうしないではおられなくなり、イースター、イースター、と言って、お祭りをする。ただそれだけ、ということがあるかも知れない。

普通は偶像と呼ばないけれども、人が拵えたという点で、まさに偶像以外の何物でもない、生命なき物体、単なる観念、我々と関わりのないものが、救い主と呼ばれて、崇められ・尊ばれる場合がある。そういう偶像なら、我々は捨てて行かねばならない。復活節の機会に、我々は自分の頭のうちに据え置かれている偶像に過ぎない復活者像がないかどうか検討して、もしあれば、これを破棄するのである。

偶像を破棄するとは、言い換えれば、生きておられる主との生きた交わりのうちに我々が生きるということである。偶像破壊や偶像破棄はしなくて良いものとは言わないが、破棄すればそれで済むのではなく、偶像をなくすれば人はまた造ってしまう。つまり、そういう物を欲求する邪な傾向が我々の内に侵入しやすい。だから、それが入り込む余地のないように内面を変革しなければならない。

生ける主との関わり、あるいは交わりが確かなものであるかどうかを検討するためには、第一に、このお方が「私のために死んで下さった」ことを確かに把握しているかどうか。第二に、このお方の復活が「この私のため」であることを信じ、その恵みを受けることを求めているかどうか。この二点を吟味すれば良い。「私のため」ということがハッキリするならば、そのお方は私と無関係な方ではない。

「甦りたもうたイエス・キリスト」と言うだけでは、信じていないことになるとまでは言わないが、信じていなくても、そのように言うだけなら出来てしまう。心に偽るつもりはなく、否認してはいないのだが、心から信じるというところまで達しないで、信じる者の群れに加わっているだけ、という場合はあるのだ。それだから、今あげた二つの点について確かめるべきである。

 これは厳しい自己検討という程のものではない。キリストがこの私に関わっているかどうか?、つまり私に向いておられるかどうか? それは、そのように私に感じられるかどうかということではない。こちらを向いておられると感じたとしても、謂わば片思いでそう感じるだけで、事実はそうでないかも知れない。偶像の眼差しが、一定角度から見る人と目が合うように造られておれば、人々はその偶像のが私を見ていて下さる、と思うであろうが、そう見えるだけである。キリストが私のため、ということは、「私の罪のため」ということだと捉える時に、それは確かになる。

自分自身の罪を知るならば、その罪のために死んで下さったのはあの方だけであるから、もう、あの方は私と関係がない、とは思われないのである。これを確かめることは、十分なされたとは言わないとしても、これまでの教会生活のなかで、説教や祈りや讃美によって繰り返されている。それで十分だと思ってはならないが、救いの確かさを追い求める精進が命じられるのは空しいことではない。

ここまで言って来た自己検討、すなわち自分の罪ということについての検討は、その方向でさらに深めて行くことが出来る。それは、罪ということを、死ということと結び付ければ良い。

 アテネのアレオパゴスにおいて、パウロが死人の甦りの宣教をした時、殆どの人は関心を向けなかった。この日に信者になった二人の人の名前が挙がっているが、この二人が死人の甦りに関心を持ったから入信出来たのかどうか、それは分からない。生粋のギリシャ人であるこの二人にとって、「死人の甦り」という初めての言葉に捕らえられて、引き込まれることがあったかどうか。全くわからないが、恐らくなかったであろう。「死」ということについても、「罪」ということについても、彼らが関心を向けたかどうかは全く分からない。彼らのこれまでの環境から、そういうことに関心を引かれるような考えが育ったとは思われない。

それと対照的なパウロの場合を取り上げて見ると、かなり違う。彼はユダヤ教の中で育った。旧約聖書を最も深く掘り下げて読むグループの一つパリサイ派の学校で学んだ。聖書に書かれていることをただ理解するだけでなく、聖書が自分に語っているのを聞き取るように修練を受けた。

 彼がどういうふうに旧約の言葉を掘り下げる修練をしたかを、今、詳しく論じることは無理であろうが、彼にとって比較的基本的な理解として、死と罪との結び付きというポイントを押さえたことは我々にも分かる。そこをしばらく辿って見よう。

旧約の人々も人類一般の死を、誰もが蒙るもの、万人共通のもの、また約束の民の中においても先祖と同じように繰り返さて行くもの、として受け取っていた。その面から言うならば、アテネの人々と同じ意識であった。

しかし、パウロは死を、生まれて、年老いて、それから死ぬことを、自然の成り行き、自然のサイクルというふうには捉えていなかった。それは彼が深い思想を獲得したからではなく、聖書に書かれていたからである。すなわち、「罪によって死が入って来た」とローマ書512節で言う。アダムが神に禁じられ、「食べるな、食べると死ぬ」と言われた木の実を食べた。こうして一生苦労して土を耕し、遂に土に帰る者となった、と聖書は教える。

 神の戒めに対する背反、それが罪であり、その罪の報いとして死がある。これキリスト教では基本的な教理とされるが、イスラエル宗教でも普遍的教理であったと言うのは無理である。イスラエルの中にいろいろな解釈があって、統一的解釈による教理体系はなかった。キリスト教会で言うような「教理」、救いの筋道の教えは、ユダヤ教にはない。そこでは律法の戒めを守れと言われるだけである。

しかし、とにかく聖書を読むならば、死が罪の結果であると言われていることを受け入れずにはおられない。誰もが先祖たちが死んだのと同じように死んで行く。それを自然の成り行きだと見ることは出来ない。罪があるから死が避けられないのだ。罪があることは人々に自覚されていない場合もあるが、自覚のあるなしに拘わらず、罪のための犠牲を捧げること、また潔めの儀式は規定通り守られていた。

その犠牲は本来、獣を丸のまま祭壇に捧げることであって、生きた供え物によって神を宥めることを象徴していた。要するに、旧約の民の守った儀式は極めて形式的なもので人間の内面には全く届かないように思われたが、信仰者たちは、それらの儀式を守るとともに、その内に秘められているものを思いめぐらす内面の修練を受けていたのである。

 だから、キリストの死と甦りと、それに続くキリスト教会の建設、世界伝道、これらは思いもよらない飛躍だったのではない。――確かに、人間の考えでは予想も出来なかったことである。だから、思いもかけなかったことが手当たり次々に積み上げられて行くように見えた。その一齣一齣で驚きに打たれても、その素朴さは救いの障害にならないであろう。だが、使徒行伝で見ているように、使徒たちは、驚くべきことが次から次への積み上げられる、というふうには見なかった。彼らは預言されたことが成就して行く、という順序でことが運ぶのを捉えたではないか。

旧約の時代からの一貫性があったと後になって分かるという面はある。だが、常に全てが後になって分かるという捉え方ばかりではいけないのではないか。すなわち、我々には起こったことが後になって示されるだけでなく、神の知恵が御言葉によって予め示されるということがあり、それが成就する。「先に預言したことは起こった」とイザヤ書429節は言う。起こるべき事が起こる。それを教えられた者は知っている。これまでもそうであった。これからもそうである。だから、我々は将来を見る。

 

 

 

 

 


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