◆受難週の説教2005.3.27◆

 

――ルカ24:1-12によって――

 

 「週の初めの日、夜明け前に、女たちは用意して置いた香料を携えて、墓に行った。ところが、石が墓から転がしてあるので、中に入って見ると、主イエスの体が見当たらなかった」。
 金曜日の夕方、主は十字架の上で息絶えたもうた。その亡骸を葬ったのはアリマタヤのヨセフであるとルカ伝には書いてある。主を慕っていた女たちはアリマタヤのヨセフの後について行くだけであった。安息日が近づいているので、彼女たちは主の亡骸に自分たちの手で香料を塗ることが出来ず、主の体が墓に納められるのを見届けるだけであった。安息日があけて、彼女たちは週の初めの日、最も早く墓に駆けつけたのであるが、墓は空であった。
 それを見て、「主は復活された」と叫ぶ人が一人くらいいても良かったと思うが、墓が空であることと、キリストが復活されたこととは結び付かない。彼女たちは恐れ、うろたえ、途方に暮れる。
 主イエスの復活を記録している聖書箇所は、殆ど皆そうであるが、この比類なき喜びのおとずれが伝えられた時、反応は非常に鈍かったことを伝えるのである。朝日が射し込んで、地の全面がパッと明るくなるように、主の復活の報せは全世界を喜びに包むはずではないかと思われるかも知れない。ところが、実際はそうではなかった。
 その先に記された福音書の記事を読もう。「そのため、途方に暮れていると、見よ、輝いた衣を着た二人の者が、彼らに現れた。女たちは驚き恐れて、顔を地に伏せていると、この二人の者が言った、『あなた方はなぜ生きた方を死人の中に尋ねているのか。その方は、ここにはおられない。甦られたのだ。まだガリラヤにおられた時、あなた方にお話しになったことを思い出しなさい。すなわち、人の子は必ず罪人らの手に渡され、十字架につけられ、そして三日目に甦る、と仰せられたではないか』。そこで、女たちはその言葉を思い出し、墓から帰って、これら一切のことを11弟子や、その他みんなの人に報告した。この女たちというのは、マグダラのマリヤ、ヨハンナ、およびヤコブの母マリヤであった。彼女たちと一緒にいたほかの女たちも、このことを使徒たちに話した。ところが、使徒たちにはそれが愚かな話しのように思われて、それを信じなかった」と記される。
 最初、空になった墓に入って途方に暮れる。しかし、二人の輝かしい衣を着た御使いが説明すると、彼女たちは主の言葉を思い起こして信じた。しかし、そのことを使徒たちに話すと、彼女らの信じたことは、信仰としては伝わらない。彼らは主の教えを思い起こすことが出来ない。それは女たちの考え出した愚かな話しであるとしか思われなかったのである。
 弟子たちは、主が生きておられた時、こういうことを聞いている。それを聞いたことも忘れたのか……。聞いたけれども分からなかったのか……。分かるには分かったが、分かるということと信じるということとは、全く別だということか……。かつて人々は、主イエスが奇跡をなさった時、圧倒されて信じた。弟子たちも信じてついて行ったことは確かである。奇跡を信ずることと、復活を信ずることとは確かに違うのである。見たから信じる、説明が分かったから信じる、というのと別の道を経て信じるに至るのである。
 我々においても、初めてキリストの復活について聞いた時、これが喜びの報せであると言われても、何のことか分からなかったではないか。反発した人もあろうし、反発すら感じないほど別世界のことのように聞き流す無関心の人の方が多かったはずである。復活のメッセージは心に届かないで、頭の上を通り抜けて行ったのであった。その時以来、何度も聞いているうちに、そのおとずれは乾ききった砂地に落ちた種のようにではあるが、とにかく心に届くようになって、それからまた幾度も失敗が繰り返されたあげく、やっと信仰の芽生えに至ったのである。
 さらに言うならば、一応クリスチャンと言われ、復活節の使信を喜びをもって受け入れるようにはなっているが、キリストの復活に私も与っており、私も死に対する勝利にすでに与っていることが、話しとしては理解しているが、復活の力の充実を感じてはいないというケースが少なくない。
 そういう人たちは、教会生活を続けるうちに、教会のしきたりに熟練したのである。すなわち、受難週が来ればキリストの御苦難を思って痛ましい思いに沈み込む。復活節が来れば苦難と絶望に対する勝利を覚え、これが人生の浮き沈みの原型になっているのだと納得し、キリスト教を信じていることに満足する。キリストが我々のために極みまでの苦難を受けたまい、しかも死に勝利したもうたことを教えてくれ、これほど見事に人生の苦難と勝利を示して、苦しみ多い人生の歩みを勇気づけて支援してくれる宗教はほかにない。そのようにキリスト教を有り難く思い、共鳴する人は少なくない。
 そのような受け止め方をしている人たちに異議申し立てをし、彼らに対して争いを起こすつもりはないが、我々の歩みはその人たちの歩みとは全く違うということをキチンと捉えて置こう。その違いをハッキリさせている言葉として、第一に「死人の復活」ということを学ばなければならない。
 今日与えられている聖書箇所には「死人の復活」という言葉はないではないか、と思う人がいるかも知れない。死人の復活についてならば、Iコリント15章が最も適切な箇所である。
 復活節に際して、我々が当然のこととして学ぶのは、キリストが十字架の死の三日目に復活された事実を伝える福音書の言葉であるのが普通である。福音書の語るそのことと、Iコリント15章でパウロが力説する「死者たちの復活」は、別のことではないかと感じている人がいる。クリスチャンと呼ばれている人のうちにも、キリストの復活の物語りは信じているが、死人の復活はパウロの教えだという程度にしか理解していない、すなわち、その程度にしか教えられていない人が大勢いるのだ。
 我々は「死者の復活を信ずる」あるいは意味の似ている「体の甦りを信ずる」と告白している。これが教会の古くからの信仰告白である。キリストが死んで復活されたことも信仰告白の重要な項目であるが、キリストの復活と死者の復活とは告白においては別項目であり、信条の中では別々の場所で述べられる。そのためであろうか、キリストの復活に留意する時、死者の復活という言葉には注意を払わないということが起こるのかも知れない。
 Iコリント15章の初めに「最も大事なこと」が書かれている。3節4節であるが、「私が最も大事なこととしてあなた方に伝えたのは、私自身も受けたことであった。すなわち、キリストが、聖書に書いてある通り、私たちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてある通り、三日目に甦ったこと……」と記されている。これが伝えられた最も大事な項目であることについては議論の余地がない。
 このことを前提としてパウロは次の問題に入って行くのであるが、12節で、「キリストは死人の中から甦ったのだと宣べ伝えられているのに、あなた方の中のある者が、死人の復活などはない、と言っているのは、どうしたことか。もし、死人の復活がないならば、キリストも甦らなかったであろう」と言う。
 キリストの復活と死者の復活を別のこととして分け、キリストの復活は受け入れるが、死人の復活はあり得ない、と言っている人がいたのである。そのような受け取り方をしているなら、キリストの復活はただのお話しに過ぎない。そのお話しを信じないで、理屈ばかり言って楯突くのは野暮だとたしなめられて、それなら、それをあったこととして信じて置こう、とする人はいるであろう。しかし、そのように信じることは空しいのである。
 旧約の信仰に立つ信仰者の中にも、「死人の復活」の教えが信ずべき真理の言葉として伝えられていたのである。そのことに注意を払わない人が多く、死人の復活がイエス・キリストの教えの中にはなかった、と思っている人がかなりいるようである。それは間違いである。
 今、ルカ伝を読んでいるから、ルカ伝の文脈で見るのが適当と思われるが、20章27節以下にサドカイ派の律法学者との論争が記されている。彼らは死人の復活というものはないのだという学説を唱えており、そのことでキリストに勝利することが出来ると予想して論争を挑んだ。だが彼らは完膚無きまで敗北を喫するほかなかった。主の論駁の見事さには、傍観者としてそこにいたパリサイ派の律法学者も敬服せざるを得なかったということも書かれている。
 イエス・キリストが死人の復活を教えておられた記録はないが、この時の論争を見れば、主イエスが死人の復活を重要視しておられることは十分わかる。また、主が何ゆえに死人の復活を重視したもうたかについても、一連の教えの中で明快に教えておられる。それは20章37節であるが、「死人が甦ることは、モーセも柴の篇で、主を『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼んで、これを示した」と説かれた。
 モーセに現われて、御自身を「アブラハムの神」と呼びたもうたということは、「かつてアブラハムが生きていた時、私は彼の神であった」という意味ではない。死んでしまった者との関係を挙げて、これが自身の存在証明であるような示し方を人はするのであるが、神はなしたまわない。
 これはモーセの書の柴の篇であると言われるが、言うまでもなく、出エジプト記3章である。モーセはエジプトからミデアンに逃れ、ある日、柴の中に燃えている火として御自身を示したもうた神に出会い、「あなたのお名前は何ですか」と問うた。神は答えて言われる、「私は主、在りて在る者、これが私の名である」。在りて在る者の前に立つ者も、生きてある者でなければならない。在りて在る者としての神との関係を根拠にイエス・キリストは死人の復活を証明したもうたのである。
 しかし、神は生きておられ、常に「在りて在る者」でありたもうのに、神を信じ、神の前に立つ者は死ぬではないか。人間というものは結局滅び失せるものでしかないではないか。真剣に考える人もそのように考える。しかし、神は言われる、「死人は生きる」この言葉は頻繁に出て来るとは言えないが、旧約聖書の中でもハッキリ語られている。だから、旧約の時代でも、信仰者は死への勝利、すなわち死者の復活を信じていたのである。
 その死者の復活の先頭に立つのが主イエス・キリストである。先立ち行きたもう主が復活したもうたからには、それに続く者も復活するのである。
 先週、我々は何度か、主の死を記念する、という言葉を聞きもし語りもした。これは大事なことである。ところが、キリストの復活を記念するという言い方は聖書のどこにもないのである。「キリストが復活して、ここでパンを割きたもうたから、ここに復活の記念碑を建てよう」というようなことはなかった。復活については、記念は要らない。復活は現実であり、つねに現在であるから、何かによって記念されることはない。記念ではなく、証しがなされる。その証しとは主を信じる私が生きているという事実そのものである。
 今日学ぶもう一つのことは、先にも言われたことだが、キリストが「聖書に記された通り三日目に甦りたもうた」こと、特に「聖書にある通り」というところである。死者の復活ということも分かり易いとは決して言えない。だから、キリストの復活の報せを聞いても、どう対応しなければならないか分からない人が多いのは不思議に思うには当たらない。
 同じように、「聖書にある通り」復活されたということも難解であるから、聞いてもどう受け止めて良いか分からないと感じる人が多いのである。「聖書にある通り」とはそれが確かに起こった偉大な御業であるというだけでなく、預言されていた、さらに書かれていた、そのことの成就として起こったという意味である。言葉を換えて言うならば、救いの計画が立てられており、それが現実化し始めたということが信仰の内容なのである。
 最も大事なこととして伝えられた信仰の項目の中に「聖書にある通り」という言葉がキーワードとしてあったことを我々はIコリント15章で読んだ。古代の信条のあるものは、この句を告白するよう定めている。
 それは今日読むルカ伝24章の復活節の朝の記録の中にはない。しかし、「聖書にある通り」という言葉の内容になることが25節以下にキリスト御自身によって語られている。「『ああ、愚かで心の鈍いため、預言者たちが説いた全ての事を信じられない者たちよ。キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったか』。こう言って、モーセや全ての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自分について記してある事どもを説き明かされた」。
 その後、二人の弟子は互いに言う、「道々お話しになった時、また聖書を説き明かして下さった時、お互いの心が内に燃えたではないか」。
 そして、場所をエルサレムに移してから言われる、「私が以前あなた方と一緒にいた時分に話して聞かせた言葉はこうであった。すなわち、モーセの律法と預言書と詩篇とに私について書いてあることは、必ずことごとく成就する」。そこでイエスは聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、言われた、「こう記してある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中から甦る。そして、その名によって罪の赦しを得させる悔い改めがエルサレムから始まって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。あなた方は、これらの事の証人である」。
 聖書にある通りということに関して、引用はこれで十分であろう。キリストの復活の通報は、最初、墓の中で二人の御使いによってマグダラのマリヤ、ヨハンナ、ヤコブの母マリヤなどの女弟子に伝えられ、彼女たちから使徒たちに伝えられた。この段階では、女たちは信じたようであるが、男の弟子たちは誰も信じなかった。ペテロは墓まで走って行って、中が空になっていることは確かめたのであるが、それは彼にとってただただ不思議以外の何事でもなかった。だから、先に見たように、主御自身が聖書を説き明かしたもう必要があった。
 今では、復活を信じると言っている人の中に交じっていると、自分もすでに復活を信じる者となっているように思われてしまうということがあるようである。だから、確かに信じているかどうか、自分で確かめなければならない。では、どういう確かめ方があるか。試練に遭えば、本当に信じていたのかそうでなかったかは明らかになると考えられるであろうが、自らを試練に遭わせるのは神を試みることと同じになる。我々の信仰の確かさのためには、聖書を深く読むことこそが有益である。

 


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