|
――――マタイ28:16-20によって――
2002.03.31.02復活節説教――マタイ28:16-20――マタイ伝における主の復活の記事は簡潔である。明け方に墓を訪ねたマグダラのマリヤと、もう一人のマリヤに、先ず御使いが現われて、「イエスは死人の中から甦られた。
見よ、あなた方より先にガリラヤへ行かれる。そこでお会い出来るであろう」と告げる。ついで、主イエス御自身が彼女たちに、「行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこで私に会えるであろう、と告げなさい」とだけ語られる。そこから、ガリラヤの出来事に移って行く。 他の福音書が書いているように、エルサレムで、エマオで、いろいろな出会いがあったが、それらはマタイ伝では省略されている。ガリラヤの山における出来事の占める位置がかなり重要である。すなわち、復活の主とまみえることには、復活された事実の確認という意味だけでなく、「死人の中からの甦り」という最も基本的な真理の御使いによる宣言が先ずあるのだが、そこから、もっと先に踏み出して、使徒たちの使命に関わることが示される。主の復活そのものについての学びよりも、復活された主との関わりにおける信仰者の在り方、信ずる者の使命が教えられるのである。 「さて、11人の弟子たちはガリラヤに行った」。12弟子のうちイスカリオテのユダだけがユダヤの出身であって、それが離れて行った後、弟子たちは皆ガリラヤ出身であった。だが彼らが、故郷に帰ったということではない。主が「ガリラヤへ行け」と命じたもうたから、ガリラヤへ行ったのである。主を失って、失意のうちに、出て来た町に戻ったのではなく、人生をやり直すために帰ったのでもない。ガリラヤが彼らの出身地であったことを考えても、殆ど意味がない。彼らはガリラヤへ行けと命じられて服従したのである。 復活の主がエルサレムで現われたもうたことを記している他の福音書の記事と食い違う点について、今は論議しない。「あなたはガリラヤに行け、そこで私に会えるであろう」と我々は聞くのである。復活の主と出会う場所がこのように指定されているならば、そこへ赴かなければならない。どこででも会えるとはマタイの福音書では言われていない。我々においてもそうではないか。指定されたところまで行かなければ、主に会えないこともある。その場所はあの懐かしいガリラヤである。 さらに、主は一つの山を会見の場所として指定しておられる。それがガリラヤのどの山であるかを特定しようと努力した人は少なくない。だが、努力の結果、推定で得られた答えは幾通りもある。その一つ一つを吟味することは、それなりに興味深い学びではあるが、今日は省略する。すなわち、ガリラヤに現存する特定の山の姿を見、そのたたずまいを考えて聖書のこの箇所の示す情景を把握し、ここに差し出されたことの意味を読み解いて行くのではない。聖書が山について語っている所で示唆されるさまざまの意味を考えて見たいのである。 山を直ちに聖なる場所とする考えが、多くの民族の中に山岳宗教として弘まっているが、そういう教えは聖書にはない。それ自体が聖であるような所はない。主イエスはヨハネ伝4章21節で、「女よ、私の言うことを信じなさい。あなた方が、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」と言われた。礼拝を特定の場所に結び付けることはキリストの来臨によってなくなったのである。「霊とまことをもって」礼拝するのが真の神礼拝である。 ただ、山の上で重要な出来事が幾つか起こった歴史は思い起こしたい。ちょうど、高い山に登ると、下界は雲で覆われているが、幾つかの高い峰が雲の上に突き出ているように、聖書の全歴史を見ると、幾つかの峰々が見える。それらの峰々の上に高く聳えるのがイザヤ書2章2節の幻の山である。「終わりの日に次のことが起こる。主の家の山は、もろもろの山のかしらとして堅く立ち、もろもろの峰よりも高く聳え、全ての国はこれに流れて来、多くの民は来て言う、『さあ、我々は主の山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道を我々に教えられる。我々はその道に歩もう』と」。 このように終わりの日の高い山との関連で、我々は聖書の山々を把握するのであるが、幾つかの重要な山が見えて来る。例えば、シナイ山。モーセはシナイの山で神から律法を授けられた。シナイの山はイスラエルが神と契約を結んだ場所であった。 ヨシュア記8章30節以下によると、モーセの後継者ヨシュアはカナンの地に入ってから、エバル山に全イスラエルを召集し、モーセの書き記した律法を人々の前で石に書き写し、またそれを悉く読み聞かせた。つまり、シナイの山で起こったことをエバル山で再現したのである。その山でなければ神の言葉を聞くことが出来ないというわけではない。 場所はどこでも良いのである。ただ、御言葉を与えられることの意味が確認され、深められるためには、山でそれが与えられたことを思い起こすのが非常に有益である。 マタイの福音書では、主イエスの御生涯の中で重要な意味を持つ山の上の場面が、ほかに二つある。一つは、5章の初め、「イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄って来た。そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた」。こうして所謂山上の説教が始まる。 すでに気がついている人が多いと思うが、モーセがシナイ山で律法を教えたのに対比される大いなる出来事がガリラヤの山で起こっている。モーセよりも遥かに偉大なお方イエス・キリストがおられる。律法よりも偉大な福音を与えたもう。むしろ、ローマ書3章21節で、「律法とは別に、しかも律法と預言者とによって証しされて」と言うように、旧約の律法は来たるべき福音を証しするためのものであった。旧約において山の上の出来事が忘れてならない原点であったのに劣らず、新約においても山の上の教えは原点と言えるほどのものである。だから、主は律法の廃止でなく成就だと言われた。 「行くように命じられた山」と書かれているが、正確には「命じられた山」である。命じられたとは、そこに行くように命じられたと取ることも出来るが、かつて命令を与えたもうた所と取ることも出来る。命令とは戒めである。旧い戒めに対する新しい戒めである。「昔の人に『殺すな。殺すものは裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなた方の聞いているところである。しかし、私はあなた方に言う、うんぬん」という形で、マタイ伝5章21節以下に新しい戒めを教えておられる。これは弟子たちの心に強烈な印象を残している。「命じたもうた山」とは、この戒めを与えたもうた山という意味ではないかと考えられる。 もう一つの山は、17章の初めに出ている。「6日の後、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変わり、その顔は日のように輝き、その衣は光りのように白くなった。すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた」。所謂「山上の変貌」である。ガリラヤであったらしいが、この山もどこか分からない。しかし、特定しなければならないと思う必要はない。 「6日の後」。これはペテロが「あなたこそ生ける神の子キリストです」という告白を捧げた6日後である。この告白もマタイ伝では重要な事件の一つである。ペテロの告白に答えたもうたと見るべきであろう。 最小限、山上の説教と、山上の変貌と、復活の主の山上の顕現、この三つの山の上の出来事を結び合わせたならば、それぞれの含む意味相互の関係も明らかになるし、この第三の出来事の重大性が浮き出して来る。三つの出来事は共通性を持っている。マタイ伝は確かにその結び付きを我々に示唆している。これが、この箇所を解く鍵になる。 「そして、イエスに会って拝した」。彼を見て礼拝したのである。これまで、主イエスを礼拝するということは、時にあったが、切なる願いを持って来るような場合に起こったことであって、原則的にはなかった。彼は僕の形を帯びておられたからである。拝すべきお方として御自身を示したもうたのは、一度、山上の変貌があっただけである。しかも、「山の上で見たことは、人の子が死人の中から甦るまでは、誰にも語るな」と言われた。その際に僅かの時間に垣間みられた御子の栄光が、復活によって明らかにされた。そこでキリスト礼拝が始まったのである。 「しかし、疑う者もいた」。………これまた難解な箇所である。11人のうちに主を見てまだ疑っている人が何人かいたということか。そうも取れるが、疑う人がその場にいたとは必ずしも取れない。この山上の出来事については疑っている人がいる、という意味かも知れない。 弟子の中に主の復活を疑う者がいたことは、ヨハネ伝20章にあるデドモと呼ばれるトマスの実例からも確かである。トマスはラザロの復活を見た人で、甦りについてはかねがね教えられていた。それでも、聞いただけでは信じられなかった。だから、11人の中になお疑う人がいたとしても大騒ぎするには及ばない。 しかし、主を見て礼拝して、それでも信じなかったということではないのではないか。 不信仰は克服されるのである。不信仰なままで使徒としての職務を始めたのではない。 確かに、福音を語る者は、信じて語るのであって、語る者自身が半信半疑で語るということはあり得ない。疑ったままで全世界に福音を伝える人はいなかった。 「イエスは彼らに近づいて来て言われた、『私は天においても地においても、一切の権威を授けられた』」。勝利宣言であり、主権宣言である。11人に近寄って、顔の直ぐ前で言われた。すでに見ているのであるから、宣言は必要ないではないか、と言われるかも知れない。しかし、宣言はやはり必要である。これまでの僕の姿でおられたのを見慣れている人たちには、そのイエス像を描き直せと迫りたもうのである。キリストの姿に大転換が起こった。 ピリピ書2章に書かれているキリスト讃歌がこの事情をよく纏めている。「キリストは神の形であられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、却って己れをむなしうして僕の形を取り、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、己れを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。それ故に、神は彼を高く引き上げ、全ての名に優る名を彼に賜わった。それはイエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものが膝を屈め、またあらゆる舌が『イエス・キリストは主である』と告白して、栄光を父なる神に帰するためである」。 次に言われる、「それ故にあなた方は行って、全ての国民を弟子として、父と子と聖霊の名によって、彼らにバプテスマを施し、あなた方に命じておいた一切のことを守るように教えよ」。復活の主の命令である。 天においても地においても一切の権威を持ちたもうお方が派遣される。どうして、苦難の僕からの派遣でないのか。主から遣わされた者は、苦しみを負いながら宣教に携わるのではないのか。――なるほど、遣わされる者は十字架の福音を宣べ伝える。栄光の福音を宣べ伝えるのではない。 しかし、派遣したもうのは勝利の主、栄光の主である。すなわち、キリストに遣わされた者は至る所で艱難と迫害を受けるのであるが、しかし主の勝利に結局は与るのである。行った先々で苦渋を極めた闘いの果てに力尽きて倒れ、屍を野に曝し、後に続く者も屍を曝す、というのではないのだ。「あなた方はこの世では悩みがある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている」と言われる方が遣わしたもうのである。 神の国を宣べ伝えるのであるから、遣わされた人の語る言葉も勝利の言葉である。世俗的な意味の勝利者、成功者ではないが、どんなに苦労し、どんなに目に見えた成果を上げ得なかったとしても、敗北者では決してない。 「全ての国民を教えよ」と言われる。以前、主イエスは弟子を伝道に派遣したもうた。 その時のことが10章5節にあるが、「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町に入るな。むしろ、イスラエルの家の失なわれた羊の所に行け。行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。病人を癒し、死人を甦らせ、ライ病人を潔め、悪霊を追い出せ」と命じたもうた。 あの時は期限付きの伝道実習のようなものであったから、範囲が限定されたと説明することが出来るかも知れない。今回、「天国は近づいた」とのキリストの福音は成就した。キリストが贖いを達成されたからである。したがって、キリストの言葉が全世界の福音であることが明らかになった。全世界とは、第一に旧約における選びの民と異邦人の区別が、新約においてはなくなったことを示す。第二に、キリストの主権の前に国家が立ちふさがることが出来ないという意味である。 行った先々、そこは異邦人の地であって、人々はキリストの来られることについての約束を何も聞いていない。それでも、遣わされた者の足が踏む所は、全てキリストの支配する領域なのだ。「神の国は来た」と我々も宣言する。まだ夜のようではあっても、昼歩くように歩き始める。 「父と子と聖霊との名によってバプテスマを施せ」。それがキリストの勝利の徴しをキリストに属する者の体に刻むのである。 主イエスが出現したもう前に、バプテスマのヨハネがヨルダン川でバプテスマを施していた。それはイエス・キリストのバプテスマの前触れのようなものであって、「罪の赦しを得させる悔い改めのバプテスマ」と言われた。主イエスが宣教活動を始めてから、彼自身はバプテスマを授けることはなさらなかったが、弟子たちがイエスの名によるバプテスマを授けていた。これが主の昇天の後も続いた。例えば、使徒行伝19章で、パウロがエペソの人々に授けたのはイエスの名によるバプテスマと書かれている。これも罪の赦しを得させる悔い改めのバプテスマである。罪の赦しのための贖いの成就はキリストの十字架によってなされたのであるから、イエスの名によるバプテスマという呼び方は間違いとは言えない。 だが、主が正式に命じたもうたバプテスマは、イエスの名によるバプテスマではなく、父と子と聖霊の名によるものであった。今日も主の教会が世界を通じて守っている形式はこれである。すなわち、父が贖いを計画し、御子がそれを実現し、御霊が御子による贖いを信ずる者に齎らしたもう。そこで新しい命が始まる。そのことがバプテスマによって確認されるのである。 「あなた方に命じておいた一切のことを守るように教えよ」。バプテスマを授けるだけではない。キリストの王国が実現し、キリストの民が召し出されて集まる。彼らはキリストの民に相応しく生きなければならない。守るべきことを全て教えて守らせなければならない。そのために主は弟子を教えておられた。こうしてキリストの民が形成される。 主は16章18節で「私はこの岩の上に私の教会を建てる」と言われたが、そのことがいよいよ実現に向けて動き出す。 「見よ、私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」。これは約束であり、保証である。我々が苦戦していても、つねに共にいたもう主は勝利したもう。だから、我々も勝利者なのである。 |