2009.10.18.

ローマ書講解説教第4

――1:5-6
によって――

 

 4節までのところで学んだことは「これが私たちの主イエス・キリストである」という言葉に集約される。今度はその次を学ぶ。この主キリストのもとにある我々の存在はどうか、我々の務めはどうか、そしてあなた方の立場はどうか、それを確認して行くのであるが、我々の在り方はこの主イエス・キリストを離れてはあり得ない。

 「私たちは」と、ここからは自分の側のことを述べる。私でなく我々である。使徒たる我々である。手紙の初めではパウロという差出人個人の名があっただけである。我々と言ったのは、第一にここで宣教の業に携わっているのは私個人でなく、グループだということである。第二に、この我々は「使徒」と呼ばれている働き人全体を含むと見て良い。が、特に、異邦人への宣教を使命とする伝道者のことを言う。このことをパウロは1113節で「私自身は異邦人の使徒なのであるから、私の務めを光栄とし」と言うが、異邦人の使徒であることの光栄を彼は常に覚えていた。

 私たちが「全ての異邦人を信仰の従順に至らせる務め」を受けたというが、主の命令であるとともに、エルサレム会議の決定という具体的な出来事を指すのであろう。すなわち、使徒行伝156節に記された会議が、伝道の領域を次のように区分したと我々は知らされている。エルサレムを中心とする教会は、パレスチナを活動領域として、ユダヤ人にキリストの来臨を宣言して先祖の受けた約束が成就したことを確信させ、旧約のイスラエルの民の子孫としてのキリスト教会を建てることを己れの使命として理解した。一方、アンテオケを中心とする教会は、その伝道活動を異邦人を対象にするものとした。二種類の教会はイエス・キリストを信ずる信仰においては一つであるが、信仰者としての生活や慣習では若干の違いを互いに認め合った。もっとも、この違いは余り年代を経ないうちに消滅し、同じになる。

 そういうことはあるが、パウロが異邦人のみを伝道対象としていたわけでなかったことは明白である。彼の伝道地域は異邦人の住む地、ユダヤから離れた海外であったが、基本原則としては、それぞれの地のユダヤ人シナゴーグでの説教から始まり、このシナゴーグにすでに出入りしていた異邦人求道者を引き込んで行くものであった。だから最初はユダヤ人が教会の中核であって、ユダヤ人の中にキリストの福音を受け入れない者が比較的多かったために、シナゴーグを出て別のところに集会場を持った。

 このような経過を我々は使徒行伝の中で多くの実際例に接して知っているのであるが、この後に、15節で「ユダヤ人を初めとしてギリシャ人にも」という言葉があるように、ユダヤ人から始まって異邦人に及ぶという順序をパウロは信じ、またそのように実践するのが彼の働きであった。だから、御名のために全ての異邦人を信仰の従順に至らせるように、という言葉を聞くとき、単なる外向きの活動とか、事業の拡大ということに心が向いてしまってはならない。

 パウロが異邦人への使徒であると自覚していたが、1520節にあるように「キリストの御名がまだ唱えられていない所に福音を宣べ伝える」ことを願っていたのである。パウロのローマへの関心もここから理解されねばならない。

 パウロがローマのキリスト者たちについてどれだけの認識を持っていたかは、書簡の中でいろいろな機会に触れることであろうが、異邦人への使徒という意識があったことは確かである。それとともに、ローマにいるキリストの民の中にハッキリ、ユダヤ人だと分かる名前の人もいるという事実がある。そして、特にユダヤ人に向かって語っていると取らなければならない箇所も少なくない。この二面を心に留めて置こう。

 ローマのキリスト者に対する手紙は15章で一旦終わったと理解される。すなわち、手紙の結びの挨拶と祝福が15章の終わりに書かれた。それを書き終えた後で、16章が書き足されたことは確かである。その16章に、知った人々への呼び掛けが列挙されている。この一つ一つの名を取り上げて行けば、いろいろな事情が浮かび上がって来る。ローマ書を解き明かすに先立って、16章の人名を見て行くことは一つの読み方として興味を覚えるやり方である。しかし、手紙の内容を讀む方を先にしないと、人間としての理解に傾き過ぎ、まるで小説を讀むようになってしまう。

 それにしても、ローマにおける福音宣教がどのように始まっていたのかについて触れない訳には行かない。すでにこの時にはローマに教会があった。8節に「あなた方の信仰が全世界に言い伝えられている」と書かれているが、ローマにキリストの教会があることは広く知られていた。そして、これに関心を持つ人々がいた。ただし、ローマで宣教が始まったことについて確かな記録は残っていない。ただ、周辺の事情は確認出来るから時期の推定は出来る。

 パウロがローマ教会のことを最初に知ったのは使徒行伝18章の初めに書かれている。アテネからコリントに移った時である。ほぼその頃アクラ・プリスキラ夫妻がローマから退去させられてコリントに来た。だから遅くともこの追放の年以前に伝道が始まった。すなわちキリスト紀元49年である。このアクラたちからローマの教会の事情をパウロは聞いたに違いない。ユダヤ人であるアクラ夫妻はローマから追放されたが、ユダヤ人でないキリスト者はローマに残って宣教活動を続けていたのである。

 話しが拡がり過ぎたと思うが、手紙の初めの部分で書いている言葉一つ一つが密度の濃いものであるため、それを味わって行く時、話しが拡がるのである。

 「私たちは恵みと使徒の務めを受けた」ということが学び取るべき主たる内容であるから、そこに踏み込んで行こう。

 「恵みを受ける」という言い方はキリスト者の間でふんだんに使われる。だから改めて学ばなくても分かっていると思う人が多い。なるほど、まだ分かっていないというよりは、分かったと思っている方が幸いであろう。だが、使徒パウロのような人でも恵みを受けているという言葉を繰り返しているのだから、分かっていると思っている人がもう一度味わいなおして無駄ではない。

 「恵みと使徒の務めを受けた」と言う。その恵みであるが、あなた方も恵みを受けているという意味の恵みは今は考えないで置く。パウロたちが受けた恵みだけを考えれば良い。ごく普通には、私があって、その私に恵みが与えられる、というふうに受け取られている。それはそれで良いが、そこでもう一歩踏み込んで、私があるから恵みを受けたというだけでなく、恵みが先行する。むしろ恵みに依って私があり、恵みによって恵みを受けた、というふうに捉えるのでなければ、恵みの本当の意味は捉えられていない。そのようなものとして確認していないところでは、「恵み、恵み」と頻りに言っていても、その恵みは人生のアクセサリーに過ぎない。

 我々が日ごとに与えられる食物、飲む水、吸っている空気、等々、数え上げることが出来ないほど恵みの実例はあるのだが、うわべの観察だけでも恵みと分かるものだけでなく、我々の根元的な在り方そのものが恵みとして在るのである。したがって、恵みを豊かに受けるとは、喜びに満ちてあることであり、感謝という姿勢になり、恵みへの応答を生み出さずにはおかない。

 恵みということをそのようなものとして捉えているからこそ、次の「使徒の務め」という言葉も生きてくる。恵みを受けたことと使徒の務めを受けたこととは並列し、結び付いたものとして捉えなければならない。

 旧約の預言者において、特にエレミヤの23章に特徴的であるが、彼らの職務である預言を「重荷」と言い表されたことを我々は知っている。語りたくないけれども、語れと命じたもうお方が絶対的な威力を持つお方であるから、服従しなければならなくて、重荷を負って務めを果たす、という意味で理解される場合が預言者にも使徒にも少なからずあった。今日でも宣教の命令は生きており、命令への服従として語らねばならないという面はある。しかし、「重荷」という表現を取るのは、その職務が任意のものでなく課せられた務めであり、かなりの痛みを伴う場合があるからである。ところが、福音を託されて語って行く際には、重荷は重荷であったとしても、それ自体が喜びのメッセージであるから、語ることも聞くことも重荷にはならない。主イエスはマタイ伝1130節で「私の軛は負い易く、私の荷は軽い」と言っておられる。

 「使徒」の称号については、この手紙の最初のところで聞いた。今日の教会では公式に使徒の職務を担っている人はいない。使徒は全部死んだ。しかし、ある意味で使徒の務めを担っている人は今もいるということを我々は知っている。「教会では全員が使徒なのだ」とも言われる。また、特に御言葉を語る務めに立てられている者は「使徒の務めを受け継いでいる」とも言われる。それはその通りであるが、今日は使徒が何のために立てられているかに注目させられる。「全ての異邦人を信仰の従順に至らせる」ためだと言う。

 「信仰の従順」とは何か。信仰は勿論神に対するものであって、信仰そのものが神への従順であるから、「信仰の従順」とは信仰イコール従順であるという意味を強く持っている。もう一つ「信仰への従順」、信仰に対して素直であることがある。ここで言う「信仰」を信じるべき箇条と言い換えれば分かり易い場合がある。また、各自が自らの内に与えられて保持している信仰に生活の全領域が一致して行くという意味がある。それは必ずしも他者に対し、あるいは外的な制度や規定に従順であるという事ではないが、真に服従すべきことに服従するのである。

 使徒としての務めには、恵みとしての喜びを齎らすという結果が伴うが、それとやや違って、務めの権威の故に強いて信仰の従順に屈服せざるを得なくさせるという面もあることも我々は知っている。実際、使徒には、伝道者であっても使徒でない者には行使することの出来ない、明らかに際立った権能があったから、使徒でない者が己れを使徒であると主張することは出来なかった。

 ただし、使徒は自らの持つ力への服従を要求することが許されるというのではない。使徒が聞く人々に求める服従はキリストの御名に栄光を帰するものであって、使徒の持つ権威の賞賛を意味するような服従ではない。

 次に「あなた方も召されて、イエス・キリストのものとなった」と言う。これは自分の側のことを語り終えたたから、あなた方について述べようというのではない。あなた方について語るのは7節である。ここでは、イエス・キリストのことについての続きとして、召されたあなた方のことが語られるのである。

 使徒が委ねられた使命と権威を発揮して、不信仰な者を信仰に入れた、ということは言えなくないように思われるが、それは違う。キリストから遣わされた者があなた方を召したからではなく、異邦人であるあなた方も私と同じようにキリストから召されたのだ。だから、キリストに属する者であるのと同様に、あなた方もキリストに属する。

 キリストがおられ、キリストの下に使徒がいて、それがキリストから遣わされて異邦人を召しに行ったのではない。

 先にも触れたが、ローマにいる異邦人キリスト者たちが、どのように召されたかについてパウロは殆ど知らない。行って宣べ伝えなければ信仰は生まれない。だから、誰かが行って宣べ伝えたに違いない。さらに、1015節が「遣わされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか」と言うように、誰かが遣わされたことは確かである。しかし、それが誰であったかは分からない。少なくとも使徒と呼ばれている人の一人あるいは何人かが遣わされて行ったのでもない。使徒でローマに最も早く来たのはパウロである。

 パウロは使徒たる己れの使命の重大さ、また使命に伴う責任の大きさについて分かっていたが、使徒がローマに行って宣教したことは知らない。つまり、使徒でない伝道者がローマに行って福音を宣べ伝え、それによって信ずる者がローマでも起こされたことを知っている。その人の名は分かるかも知れないが、彼の知らない人であった。ユダヤ人であったか、異邦人であったかも分からない。しかし、とにかく、遣わされた者が行って伝えたのである。つまり、主の御旨があって、使徒の業が及ばない所で、宣教が始まっていた。そのことをパウロは人間の働きを越えた驚くべき事実であると感じている。

 あなた方はこうしてキリストに属する者となった。そのことが次の学びである。

 


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