2010.05.09.

ローマ書講解説教第12

――1:19-23
によって――

 

 今日讀むところは聖書の中で最も理屈っぽいところではないかと思う。だから、その理屈っぽさを嫌う人が多いのだが、今日取り上げられている問題を論じようとすると、このように理屈っぽくなるほかないのではないか。すなわち、神において知り得べき事を、知ることが出来ないようにしているのは、人間の本性の腐敗にあるという事情を明らかにしようとすると、このような手厳しい論じ方にならざるを得ないのである。

 したがって、ここは忌まわしくても直視する他ない。たとえば、醜い顔をした人が、その醜さを見ることが辛いので、鏡を見たがらない。それは理解できるとしても、事実から目を背けることは宜しくないのである。だから、面倒で、辛いとしても、我慢してここを讀まなければならない。

 さて、神について知り得る事柄が天地創造このかた明らかであるにも拘わらず、それを知ろうとしないから、神の怒りが降るのであると言われる。この明確な言い方に対して反発する人は多い。その反発を和らげるために、言い方を穏和にしようとする人がいるであろう。しかし、反応を和らげたところで、信仰と不信仰との対話が始まるわけではない。話し合いを始めたとしても同じ議論の繰り返しをするだけである。

 むしろ、「信仰の論理」と「不信仰の論理」が如何に違うかを明晰に示す方が、考え直させる機会となって、そこから転換が起こるかも知れない。穏やかに語ろうとする論理を導入する試みは結局失敗し、信仰の姿勢もグラグラし兼ねない。信仰は「信仰の論理」によって表明されなければならない。

 「神について知り得ることは、本来明らかである」と言われると、果たしてそうなのかという疑念が起こるかも知れない。その疑念は不信仰者からも起こるが、信仰者から起こされるもののほうが面倒である。面倒というのは、教会で教理を教えられた人は、その教理が間違っていたというわけでは必ずしもないのだが、「福音を知るまで、私は神を知り得なかったではないか」と頑なに主張することがあるからである。確かにそうであって、かつてはキリストなく神なき者と言う他なかったのに、キリストによって神と和解したから、神を知ることが出来たと彼らは教えられた。そして教えられたことを鵜呑みにしたと言うよりは、心からそう納得したのである。

 これは面倒な問題ではない。ローマ書が言う通り、神について知り得べきことは人間には明らかであって、分かるはずであったのだ。すなわち、神は人を被造物の中の最も優れた者として創造したもうた。神は造られた物を見て善しと確認したもうた、と創世記1章の終わりに書かれている通りである。神に創造された人間は、神を知る幸いに恵まれて、ことごとに神を讃美し、感謝し、神と人との間には祝福された交わりがあった。人は神を正しく知ることが出来た。

 神が人をエデンの園に置きたもうたということは、この状態を表したものである。そして、神が人をエデンから追い出されたこと、また、それに先立って人は神の近付きたもう足音に恐れて、物陰に隠れたということは、神と人との本来の交わりが失われたこと、したがって神を正しく知ることが出来なくなったことを言う。この不幸の発端は人が神から禁じられたことを犯したからである。

 アダムが罪を犯し、その生涯を神の怒りと呪いのもとに過ごさざるを得なくなり、遂に死んだとしても、その子は新しく、親とは別の人生を歩むではないかと考えられるであろう。ところが、罪を犯した人の呪わしい性質は、その子に受け継がれる。その子は神の御顔を仰ぎ見る者として生まれ出たのではない。だから、神について教えられなければならない。

 整理を付けて言うならば、神を知ることが出来るように初めの健全な状態に創造された人は、自らの罪によって光栄ある地位と資質を失った。神を知り得るようにされた者が神を知ろうとしないのは、彼自身の罪責によっている。だから、自分で責任を負わねばならない。20節に「弁解の余地がない」と記されている通りである。

 「神について知り得べきことは、初めから明らかである」ということについて時間を取ってしまったが、ここはもっと単純に論じても分かるし、そうした方が良いかも知れない。パウロがアテネに行った時のことを使徒行伝1716節以下で読んだが、パウロがその時に感じたことと、ローマ書119節以下で論じていることとは一見、別の話しのように思われるが、同一人物の心が同一の事柄に反応したもので、食い違いはない。使徒行伝に書かれたことを、我々自身もアテネの街を歩いているかのように受け止めることが出来る。

 アテネは学問と芸術の神アテネに捧げられた町であった。市全体が芸術品であって、町には至る所に芸術品があった。そのことを使徒行伝は「市内に偶像が夥しくあるのを見て心に憤りを感じた」と記している。パウロにとって憤りを催させる偶像、それはアテネ市民にとっては、この町の守護神を讃美し、彼らの宗教心を表明する神像である。ここには人々の宗教心が表れている。彼らは得々として神像を奉納し、それがこの町の文化水準の高さを示すものであると考えている。しかし、パウロはそこに人間の忌まわしさを見た。

 話しが少し逸れるのであるが、我々自身にとっての警告がここに読み取られる。我々の身辺にも夥しい偶像がある。今日ではコピー技術が進んで、偶像の複製が我々の日常生活の至る所に侵入して来ている。それを拝んでいる人は我々の中にはいないのであるが、芸術品として評価出来るのではないかと思ってしまう機会はある。パウロのように、いやパウロに限らず、律法によって偶像を忌むべき物であると教えられた聖書の民たち一般のように、偶像を見て憤激することが我々には余りにもなさ過ぎるのではないか。

 「偶像とは見ていない。それらは芸術として評価されているだけだから、信仰的な問題はない」と我々は言う。それで話しは済んでいる。これ以上問題を掘り起こすことは徒に騒ぎを大きくするだけであって、むしろ慎むべきだとされている。

 我々として警戒しなければならないのは、偶像と見ていないのだから、信仰の支障はないと言って済ませられるかということである。偶像と思っていないとしても、それが事実上偶像として作用する場合がある。例えば、金銭を偶像と思っていない、と誰もが言うが、少なからぬ人々の間では、金銭が偶像の役割を演じている。またかつては国家の秩序が、偶像と思っていないから、それに無制約に従っても、偶像礼拝の禁止命令を犯すことにならないと言われていた。しかし、それは誤魔化しであった。偶像でないつもりの物が容易に偶像の役割を演じる物に変化する。気がつかない間に我々の信仰が空洞化することはある。むしろ、そういう工作が常時絶え間なく進んでいる。だから、主の民はこの点で、いつも目を覚ましていなければならない。

 パウロはアテネのアレオパゴスで説教した時「あなた方は頗る宗教心に富んでいる」と言った。これがアテネの人を褒めた言い方でないのは言うまでもない。「宗教心とは何か」ということを詳しく論じることは今は要らない。これは「神を恐れること」という意味の言葉である。その宗教心と、今日ローマ書で学んでいることとは関連している。すなわち、神について知るべきことは、神が明らかにしておられるから、万人が、多種多様の現われ方であるが、宗教心を持っている。宗教心を持っているということは、神について知るべきことを知らねばならないという意識があることの一つの証明になる。この宗教心は人類共通のものだと認められる。

 人類共通のものなら、それぞれの人は自分自分の神観念を自己吟味し、修正し、発展させて、共通のものとしての質を高め、だんだん一致に近づかせて行ったかというと、決してそうではない。

 かつて人々の間では考えが余りにまちまちであった。そのために部族と部族との間で戦いがあったが、そういう不和は次第に纏まりがついて、平和を共有する領域が広くなったと言われている。もっとも、これと真反対の考え方、また真反対の現象もあって、平和は以前よりも一層ひどく崩壊しているという見方も成り立つ。世界は良い方向に纏まって行きつつあると、簡単に言わない方が健全であろう。

 それはそれとして、人類が共通性とか普遍性とか、一致の法則ということを目指して、それなりの成果を上げて来たことは認められる。だから、支配と隷属、威嚇と屈従というような関係ではいけないという言い分は、現実適用は別問題として、法理論とか学問上の原則としては世界中で共通するようになった。

 ところが、宗教心の共通性というようなことでは全然進歩していない。みんなの認める宗教はこれだ、と提唱する人がいても、必ず反論が起こるのである。宗教間の戦いはかつてなかったほど激烈であり、宗教対立を調整する理論も一向に進展しない。宗教は阿片のようなものだから、これをなくせば万事良くなるという理論がもてはやされた時代があるが、その理論によって事態はさらに複雑になっただけである。人は思い思いに自分の偶像を刻み、自己絶対化、すなわち人を顧みない主張を押し上げて行く。

 23節に「不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這う物の像に似せたのである」と言われる。これは聖書の古くからの教えである。神について知り得べきことは明らかなはずだが、人々は銘々勝手な思い付きを言うのである。

 20節に「神の見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性」と書かれてあるが、これは注目すべき一点である。「見えない」という点が神について知るべき第一の点である。「神は霊である」というのも同一の主旨である。だから、目に見えるものを神の尊厳の現われとして立ててはならず、ただ霊とまことをもって神を礼拝するというところに帰着する。

 ところが、多くの場合、というよりは全ての宗教が見える形において神の尊厳を表せば良いと考える。こうして、神に相応しい栄光を帰する道を外れたのである。神は十誡の第二誡において全て己れのために像を刻むことを禁じておられる。見えない神を見える形に置き換えてはならないのである。

 アロンがモーセの不在が長びいた時、金の子牛を作って、これこそが我々の主なる神である、として礼拝させ、モーセが甚だしく怒ったことがある。アロンはこうしてこそ主ヤーヴェを目の当たり見て、礼拝することが出来る優れた方法であると思ったらしいが、神が最も激しく憤りたもう背反である。他の神を拝むのでなく、主を拝むのだから良いではないかと思ったのだが、それをどういう名で呼ぶかでなく、形なき神を形なきままに礼拝することが正しい。人間が考えて神のデザインを造ってそれを神に当てはめて、それを神として礼拝するのは冒涜である。

 偶像禁止は第二誡でほぼ十分であるが、先程読まれたイザヤ書449節から20節は分かり易さとしてはこれ以上ない書き方をしている。神によって造られた人間がデザインして神を造るのであるから、逆さまであり、神の被造物よりさらに低い位置にある物を造る矛盾である。その低い位置の物をより高い位置にある人間が拝むことは明らかに間違いだということがどうして分からないのか、と慨嘆している。神冒涜であるだけでなく、人間が人間以下のもの言わぬ像に礼拝することは人間冒涜になっている。

 さらに明快な道を主イエス・キリストが示したもう。ヨハネ伝424節で言われた御言葉、「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまことをもって礼拝すべきである」。これは十誡の第二誡と矛盾しないばかりでなく、礼拝の原理をさらに明らかにされたものである。

 偶像礼拝は聖書ではハッキリ禁止されていた。キリスト教の中でもその禁止が緩んで、ドンドン姿勢が崩れてイスラムの人から笑われるようになった。それを、宗教改革の時また引き締めが行なわれて、旧約の規律を回復したが、宗教改革から五百年も経ったので、いろいろ乱れが生じて来ている。偶像という名を使わないから偶像ではないという安心感から気の弛みが生じた。しかし、偶像と言わないだけで、事実上偶像の役割を果たす物が次つぎ立てられて、霊とまことをもってする礼拝が廃れて行く。

 これを立て直すのは古くからの十誡第二誡を聞き直すことから始めなければならないのであるが、主イエスは「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまことをもって礼拝すべきである」との言葉は旧約の律法の完成である。神について知るべきことが本来そうであったように明らかになるのはここである。

 


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