2008.12.14.

東京告白教会修養会

「主の来たります日までの伝道」

 

渡辺信夫


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 中会・大会で「伝道」の主題で協議会を開く機会が近頃非常に多い。それは多くの教会が、伝道の不振、教勢の低下について不安を抱いていることの現われである。日基だけでなく、日本のキリスト教各派に共通の傾向がある。では、何か解決の目途が立ったかというと、それはない。

 東京告白教会においてはどうか? 伝道について、冷静ではあっても、無関心であってはいけないという意識が初めからあった。その思いは近年深まっていると思う。大声で伝道の呼び掛けをすることはこれまでもなかったが、今も大声で檄を飛ばす人はいない。それでも、いろいろ考えている人は少なくないと思う。この機会に、問題を整理し、我が教会として、今日また明日の伝道についてどういう原理を踏まえ、どういう実践をするかを探求して行かねばならない。

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 世界の大部分において今日キリスト教が著しく劣勢になっていることに多くの人が気付いている。我々の世代の間に目に見えてこの衰頽が起こった。1945年第二次世界大戦の終結が引き金となって衰頽が始まったと思う。戦後の初期、教会の隆盛が見られたが、それは戦争で失われたものを取り戻す努力の現われの一端であって、以後、低落は盛り返されることなく衰え続ける。

 それは戦争および戦後におけるキリスト教の無力をこの世が見抜いたということである。個々の例を挙げれば、世の人々から尊敬を得るキリスト教の業績は多い。それでも、キリスト教への信頼は失せた。人々の求めるのは霊的な豊かさでなく物質的な豊かさになった。その傾向に翳りが見えるようになったではないか、と言う人があろう。私もその意見に賛成なのだが、ここで話しの方向を変えて、景気の良い話しをしてはならないと思っている。キリスト教はおしなべて下降線を辿るようになったことをハッキリ見定めて考えを進めたい。

 キリスト教の衰頽を不幸なことと考える人は多いが、嘆いても意味がない。良い事ではないが、不幸としか言えないものか、そこをキチンと考えて見たい。気休めの無責任な思い付きは慎まねばならないが、逆境を好機として捉えることを我々は学んだはずである。ただし、好機というのは教勢の逆転ではない。むしろ、少数者になって行くべきだと心を決めたほうが良い。今日はその方向で伝道を考えたい。

 人々がキリスト教を相手にしなくなったと見る人は多い。それは一面では当たっているが、それだけの考えでは、人々の好みに取り入ろうとする手段を求める。我々はむしろ、神が教会を篩いに掛けておられると信ずる。――篩いに掛けるとは、良い者と悪い者を選り分けるという意味ではなく、試練によって鍛えるという意味である。

 これまで我々の頭にあった教会のイメージは、欧米の教会をモデルにしていた。大きい教会、世をリードする教会、それが全く間違いであったとは言わない。欧米の教会に見習うことの意味はあった。しかし、欧米で教会の衰頽が顕著に進んでいることが示す通り、そのモデルはモデルとしての意味を失った。では、何が新しくモデルになるのか? そういうモデルはないのだ。見習って行くべき手本はない。真似でなくて、自分で考えて作って行くほかない。

 手本に縛られることはなくなった。欧米の教会のモデルとして我々に対して最も大きい影響をつぎ込んでいたのは、近代の欧米教会の「伝道」理念である。実際、我々の身辺で語られていた「伝道」理念は、聖書にある初めからのものそのままでなく、近代欧米のキリスト教によって歪曲され、着色されていた。

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 我々が聞かされたり・語ったりしている「伝道」理念、それがキリスト教の或る時代に形作られたものであることに注意して置きたい。キリスト教は長い時代に亙って枝分かれして来たが、枝分かれした枝の幾つかで、特別な花が咲くように、或る種の教会が伝道を主張した。だから、どのタイプのキリスト教でもそれなりの信仰生活が身に着いているのであるが、どういうタイプでも伝道、あるいは入信の勧誘を盛んに行なって来たわけではない。或る枝においては伝道の熱心があり、他の枝ではそうでない。伝道の主張をしないキリスト教は、キリスト教と言えるのか、と非難する人はいるが、事実としてそういうキリスト教は広い地域に根付いている。例えば、中近東のシリヤ教会、エジプトのコプト教会などは、ヨーロッパの教会に見られるような伝道はしていない。しかし、古い伝統を今も守っている。

 また或る枝が、或る時代には、国内外への伝道者派遣に熱心であったが、或る時からその活動がなくなる、ということはある。欧米の教会がこれであると言うことは差し控えるが、伝道活動が熱に浮かされた時代的なものに過ぎなかったのではないかと疑われるケースも多い。

 では、世界のキリスト教を類型にしたがって分け、或る類型の教会にしか伝道の働きが見られないのか? そうでない。「キリスト教」と言っても、聖書に基準を置いているものでなければ議論にならないから、その枠の中で論じるが、聖書にしたがって行こうとするキリスト教であれば、一定の型によってではないし、熱意の程度もさまざまだが、福音を広く伝えて行く課題を自覚していることが見られる。

 どのように人を信仰に導くかも一概に言うことは難しいが、伝える言葉があって、それを伝える。その言葉に至らせるまでの、言葉以前のものも重要な意味を持っているから、それを含めるが、あくまで言葉に重点を置きたい。

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 定着した型であるかのように思われているのは、「拡大」、「増加」が教会にあるべきだとの観念である。

 果たして信者の数を増やすことが至上命令なのか? それを至上命令と考えなければ教会は成り立たないと思うから、数が増えないことは罪であるという思い込みが生じ、その意識によって、ますます気分が落ち込んで来ているという実情ではないか? 

 一昔前のキリスト者には、キリスト教の量的発展は聖なる出来事のように受け取られた。それは、このような著しい発展は教会以外に例を見ないからであった。武力で急速に伸びる国はあったが、間もなく衰えた。教会の発展は永続的であった。だから、人々はここに比類なきもの、聖なる歴史の続きがあると素朴に感じた。しかし、この固定観念は消滅したのである。

 教会の歴史が聖なる歴史、世界の救いの歴史であると信ずることは間違いではないと私は思う。しかし、この考えは正しく捉えていないと、聖でないものを聖なるものと思い込み、逆にいえば、聖なることを俗化させ、救いの出来事を世俗化させる。ここには真に聖なることと、キリスト教の名において行なわれるが実は世俗的なこととの、無意識な、あるいは作為的な混同ないし混合が行なわれる。数の増加を聖なる至上命令だと強制的に押し付ける。それは事業拡大を方針とする企業が従業員にノルマを強制するのと同じである。

 そのような混同を区別しなければならないという意識が起こり始めたのは宗教改革の時期である。その時は宣教そのものの純粋化が行われたが、それについて今日は議論を省略する。そして宗教改革において教会の内的改革が行なわれたが、以後の時代、宗教改革の感化を受けた国において、教会と国家の制度面での分離の意識は進んだ。だが、具体的なことでは、伝道という業と世俗の営業の混同はむしろ深まった。経済の占める位置が大きくなって来たからであろう。事業を数字で評価する便利さが行き渡り、経済的に考える考え方が伝道の効果を求める面で大きくなったからであろう。

 キリスト教国による海外伝道は、その国による植民地経営と密着した一種の文化侵略になる。それだけでない面があるという反論は十分可能であり、また必要である。しかし、正当な面があるという理由によって、正当でない面を受け入れてしまうわけには行かない。

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 具体的に見ると、プロテスタントの海外伝道の発端は、全て植民地経営をするヨーロッパ強国の事業であった。それより古いカトリックの海外伝道はもっと露骨であったが、カトリックの伝道については今日は触れない。全ての点で密着していたとは言えないが、伝道と文化的侵略は多面的にまた深く結び付いていた。この問題性に気付いた人たちは、間もなく国家から切り離された伝道団体、あるいは教会の海外伝道局が伝道を行なうように切り替える。

 しかし、国家から分離した伝道局という機関が行うとしても、派遣元の国からの有形無形の関与があった。この問題を明白に指摘したのは、中国共産党によって行なわれた1950年の外国宣教師の全面追放である。中国のキリスト教会は「三自愛国」という運動によってこの窮地を切り抜けた。この三自愛国については今日は説明を省略する。

 中国共産党が外国から派遣され・支援される伝道を拒絶したことについて、その実施が権力的に行なわれた方法に関しては、多くの問題があるが、伝道の弊害を指摘したことについては、十分考えなければならない。それも、伝道される側への顧慮が必要だという程度の問題でなく、伝道する側の、伝道の本質についての理解が問われているという意味である。

 200年前にはイギリスは阿片戦争によって通商に関する諸権利とともにキリスト教の伝道活動の権利を獲得したのであるが、この意識や姿勢は1950年には保持出来なくなった。キリスト教が禁止されたわけではないが、伝道の実際面で大きい位置を占める国外からのミッションと切り離されることは、事実上の禁止に近かった。それを欧米大国政府が問題にしなかったのは正しい選択だったと思うが、中国内部の問題としては国家の権力行使の行き過ぎがあった。

 中国のことでは、もう一つ「文化大革命」と呼ばれる運動がキリスト教の破壊を進めたが、この運動はそれ自体で崩壊して行くような脆いものであったから、間もなく消滅し、中国の社会は正常化した。

 私は今年はじめて中国を訪問した。前々から行って見たいと考えていたが、自分自身そこを訪ねるだけの資格がないという罪責意識があり、また中国における国家権力の行使に抵触する発言をすることは差し控えた方が良いと思った。情勢が変わったから、私が行っても良いと考え直した。とにかく、行って実際を見て来なければ、議論は空転するばかりである。私にとっては日本のキリスト教の明日は自分が生涯を掛けて取り組んだ課題であって、そこに中国のキリスト教との関わりが大きい位置を占めるに違いないと思われる。だから、見て来なければならない。

 行って見て、或る程度は書物によって予想した通りであったが、そこで生きている人と出会ったことは学びの前進であったと思う。だから、訪問する以前よりも、中国伝道について、また伝道そのものについて、ずっと踏み込んで考えるようになった。だが、向こうのキリスト者と語り合う時間は十分なかったので、なすべきことについては、まだ何も見えて来ない。

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 何が見えて来なければならないと考えていたかと言うと、15年に亙る日本の侵略戦争による中国教会の被害と、革命後半世紀近い鎖国の経験から、中国の教会が得た知恵である。それが見えなかったとは、私の側の観察力の不足が主要な原因だが、向こう側にもまだ何も示せないこと、空白期が終わったから新しく始めよう、という意気込みが感じられるだけであった、ということである。私としては、戦後ずっと「教会と国家」について考えて来たから、中国側の考えるキリスト者と語り合いたい。しかし、一度行っただけでは語り合う相手を見つけられなかった。

 その後、対話を始めてはいない。新しく対話を始めるエネルギーが私には欠けている。だから、エネルギーを使わないで、すでに吸収していた古い知識を再利用して考えた。

 私自身が伝道について本質的に考えてそれを言い表したのは「教会論入門」の伝道に関する章であり、その中で、伝道とは「終末的事態の展開」であると言った。恥ずかしながらそれだけである。間違ったことは言っていないと確信しているが、殆ど半世紀になる昔に言ったことを、激変の時代を経て、ただ繰り返すだけでは、怠慢・無能と評価されるであろう。先に言ったことを言い直す必要はないが、説明をしなければならない。理論としても実践としても「終末的事態の展開」を証しすべきであった。それをしなかったのは、怠慢だったからでなく、無能だったからである。

 「終末的事態の展開」という理念を展開しようと、自分でもいろいろ試みたのである。伝道の現場の観察は、東京告白教会の牧師の職務の許す限度までは出掛けて行って、見て来た。見たことについては発表する場を自分では開くことをしなかった。すなわち、広く訴えるための論文を書くことはしなかったが、教会の「やどり人」に報告し、少なくとも告白教会の中では、獲得した知識と見解を共有し、「伝道する教会」という理論の地盤を深くつき固めることはしていた。それでも、過去に語ったことをさらに突き破って語るには至らなかった。

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 「終末的事態」は終末的なものであるから、それ以上展開のしようもないではないか。そもそもこういうテーゼを立てたことが間違いだったのではないか、と非難されかねない。そういう非難を浴びることはなかったが、批判であれ賛成であれ、そこまで踏み込んで議論してくれる人は現われなかった。ということは、この言い方をするだけでは余り意味がないということでもある。

 「終末的事態」という言葉を私が使ったのは、その言葉によって把握されるような神学的諒解事項がすでにあったからである。すなわち、イエス・キリストが世に来たって、語りまた成したもうたこと、それをキリスト者たちは「終末的事態」として捉えている。すべての伝道の営みはここから出発する。だから、始められて以後のことを「展開」と一括して呼ぶことは間違っていないと一応言える。

 「展開」という言葉を使ったために、事柄を分かり難くしたという問題があったかも知れない。我々は「展開」という言葉を聞く時、平面的に捉えてしまい勝ちである。固まっていたものが拡散して行く。そして個々の部分では細部に亙って作用をして行く。そこまでの場面を思い描くことはなされる。そういうモデルを考えるところで停まってしまうのではないか? 

 「終末的事態の展開」と言っているだけでは、もっと深めかつ持続させるべき営み、またそこから派生するいろいろなこと、までは考えが行き届かないような単純なモデルしか考えられない。「終末」を聖書から聞き取ると、そこにはさらに立ち入って論じなければならない、「終わりの始まり」から「終わりの終わり」まであるということが分かって来る。こういう言葉が、今ではクリスチャンの間では使い慣れて来た。

 展開というなら、それに対応して、そこに参入することを考えねばならない。昔から言われていた言葉で言うと、主イエスが「私について来なさい」と言われたことである。具体的には主の日の礼拝への結集、聖晩餐における主の体に与ることである。

 終末的事態は地上に落下する隕石のような、衝撃的ではあっても、その爆発でことが終わってしまうようなイメージとして捉えられてはならない。終末的事態の中からも、何かが生み出されて行く、そのようなイメージがなければならない。謂わば、終わりの終わりを目指して打ち出された飛行物体のようなものとして捉えなければならない。万物の終わりが来るまでは働き続けるのである。一貫して伝道し続けるのである。終末が始まったけれども、まだ終わりでなく、終わりが始まっただけで、まだ先に将来がある。将来に備える業が「終末的事態」の中に含まれるということまで捉えていなければならない。

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 「終末的」という捉え方は、「一回的」という捉え方、また言い方と重なっていると見られるが、その通りである。我々の生活の重要な局面では、やり直すことや、循環することは否定される。人生の真剣さはそのことの反映、やり直しのきかぬこととして規定されて来ている。

 勿論「繰り返し」の大切さということも論じられ、それを端的に示すのは「忍耐」という徳である。終末的事態だから忍耐は要らないと言うならば、終末信仰そのものが破綻するほどに重要だということは教えられて来た。この点に関しては今日は述べなくて良いと思う。

 「忍耐」という時、それが個人的道徳に矮小化されて受け取られる嫌いがある。個人としての忍耐の修練は確かに最重要事項の一つであるが、その世代その世代が教えられて忍耐を身につけるというだけでなく、教会全体が忍耐する体として主の来たもう日まで進んで行くという意味がもともとある。線香花火のような煌めきは、否定されないまでも、高く評価されることはない。

 教会は終末を今生きているということが論じられる一方で、今生きる終末は瞬間的なものとして捉えられるだけでなく、それと共に教会の中の「世代」について考えられている。「世代」を論じる時、これを輪切りにするような捉えかたが行なわれることについては、もう少し深く、かつ慎重に考えて置かねばならない。聖書の中には一つの世代を輪切りにしたような言い方がされる例がある。例えば、民数記14章に記されていることであるが、カデシ・バルネヤで神に背いた世代は、それから40年間、この世代に属する者は、ヨシュアとカレブの2人の例外を除いて、悉く死に絶えるまでは、約束の地に入ることを許されなかった。その世代がスッポリ抜けたように除外されたと捉えて良いであろう。

 しかし、見た目にハッキリ、ある世代が欠落していることが見えたと思ってはいけない。その頃、一世代が40年と言われていたのであるが、40年経てば同年齢の者が一斉に死んだということではない。人々はそれぞれの時が来て死んで行く。カデシ・バルネヤで神に背いた時、その反逆に参加した者は、成人の年齢以上の年齢層であった。彼らが罰を受けて一斉に死んだのではなく、その年齢層の最後の一人が消滅まで、神はヨルダンを越えることを許したまわなかった。その間、一人一人世を去って行くことと、一人一人新しく生まれて加わって来ることがあって、目に見えて増えることも、目に見えて減ることもなく、一団としての民は一定しているように見えたのである。

 「世代」と言われるものは、統計としては数字やグラフでキチンと出るし、長い歴史を論じる時には、どの世代というように把握すれば分かるが、人は必ずしもキチンと捉えて言っているわけではない。ある年代からある年代までの集団を言う場合であったり、人が生まれて、成長して、老いて、そして死ぬという周期、サイクルと重ね合わせて捉えられる場合であったりしている。一人の人について考えるだけなら、その一生は一本の線のようなものに描けば良い。初めがあって終わりがあり、それ以前も以後もない。一方、集団を世代として言うならば、死んで行く人がある一方生まれて育って来る人もいるから、譬えるならば螺旋階段がずっと先まで伸びているのを考えれば良い。

 ところで、聖書にしたがって教えられている「教会」の歩みは、基本的には一本の直線である。初めがあり終わりがある。中間に起こったキリストの死と復活は一度きりである。この「一度きり」の出来事に与って、我々一人一人は生涯を貫いて終末を生きるのだが、それはすでに救いが始まったということであるとともに、そのことを基本としつつ、しかもサイクルを重ね、それが謂わば螺旋形に続いて伸びて行き、その螺旋の先端で終末の永遠に接する。

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 キリストの来臨によって「終末的事態」になったのであるから、主にあって死ぬことは、永遠に主とともに生きることと同じになった、とキリスト者は捉える。そして、主が再び地上に来て、死人を甦らせたもうまでは、終わりであるが、終わりが始まったのであって、終わりの終わりにはなっていない。終わりの終わりはまだであるが、すでに先取りされ、確かである。その状態は、謂わば目覚めの時を待ちつつ眠る状態だということも受け入れられている。この二つの捉え方が矛盾していないと我々は理解している。

 今ここで、シッカリ捉えて置かねばならないのは、この螺旋に譬えられる部分が終末的事態に当たるということである。平たく言うならば、死ぬ人が永遠に接するように、生まれて来て、そして育ちつつある者も、終末と接していて、最終の時に繋がるように成長している、ということである。そして全体としての教会は、終わりの日になって初めて審判を受ける。幼い時から終末的事態にある、あるいは永遠の時を生きる、というのは分かり難いが、これは祝福の状態にあることと捉えれば良いであろう。

 「終わりの日が来れば火によって試される」とIコリント313節が言う。が、また教会の受ける試みは不断にあるのだとも語られている。ここでも二重の捉え方をすべきである。不断に主の試みを受けると明白に理解できる場合は稀であるかも知れない。終わりの日の試みは見えるけれども、それまでの試みは見えないからである。

 通常、試みであるかないかを決めるのは個人の判断であって、主の試みであると思う人には試みであり、そういう人においては試みを経た成長や練達を見ることが出来る。そのような実りある試みは、殆どすべて個人的判断によって試練として受け止められる。

 教会全体が今現に試みを受けていると意識することは極めて稀である。教会として試みのもとにあるとの査定は、教会の決定機関が下すのであるが、そのような決定がなされたことは今では殆どない。その教会的決定は礼拝の中で通告され、旧約時代の習わしにしたがって「断食」が施行され、悔い改めが布告されるが、教会の全員が試練を真剣に受け止めることには必ずしもならない。

 教会の決定機関がそのような統一的判断を下すことは、状況が一人一人別であるので、判断そのものとしても難しいし、実際の決定手続きも難しい。だから、「これは試みではないか」という仮定的な言い方で、説教や勧告や奨励の中で示唆されるのが殆どである。その示唆を聞いて考えたことがない人もいる。その人たちにとって、主の日はいきなり臨み、いきなり到来して、忽ち焼き尽くす。これまで「ここが教会である」と言われていたものが、反省の暇もないまま、瞬時に燃え尽きて何も残らない、ということになるのではないか?

 伝道とは終末的事態の展開だと論じられ、その「展開」を頭の中で考えていたが、実際に展開されず、修練になっていなかったとすれば、伝道も教会も何もなかったということになるかも知れない。

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 ヨーロッパの戦災に遭わなかった町々には「昔これが教会であった」と伝えられる建物が沢山ある。そのことを教会がなくなった実例だとは言うことは出来ない。昔その教会に通っていた人たちの子孫が別の世代として別の教会に集まっているからである。しかし、今教会に集まっている人たちの子孫が、どこにもいなくなるということはないのか? 簡単には言えないが、その恐れがあると思っている人はいるであろう。

 宴会の招待を受けていたが、いざ宴会の時刻になって、誰も集まらないという譬えを主イエスは語っておられるが、その事態は、我々自身において、我々の子たちにおいて、現実になるかも知れない。

 我々がそのようにならないと思うならば、螺旋になぞらえられる教会の今後の歩みがどうなるかの見通しを持っていなければならない。今の世代が生きているうちは教会はあるけれども、この世代が死に絶えたなら、教会はなくなるということでは、結局教会はなかったのと同じである。永遠との繋がりを持たないからである。

 人類の絶滅があるという考えは昔は現実的なことと見られていなかったが、今では考えられ得ることになっているのと同じように、キリスト者の絶滅、教会の絶滅を考えることは出来るようになった。それは考えとしてはあり得るとしても、自分がそう考えることはすまいと我々は思っている。だが、何もしないでそう考うまいというのは、単なる気休めに過ぎないのではないか?

 地球環境の崩壊に気付いた人たちは、自然の仕組みに繰り込まれていたサイクルが機能しなくならないよう、サイクルがスムーズに循環するように努力を始めた。だが、それと同じように、キリストの民のサイクルを図るようには行かない。

 木の葉が芽生えて、茂って、枯れて、地に落ちて、分解されて、それが木の根に吸い取られて、木の養分になって行く、というような循環は人間の特にキリスト者の世代間にはない。しかし、螺旋という譬えで捉えられるようなサイクルはある。すなわち、単純な反復ではないが、「繰り返し」ということはある。旧約歴史のかなりの部分を占めるのは、先祖の歩みを子孫が踏襲したのである。旧約に多く見られるのは、死ぬことを「先祖と同じところに行く」という表現である。父と子は別の歩みをしていたようであるが、結局同じ所に収まる。これは一見同じところを回っているかのようでも、螺旋を一回りして、一段前進している。したがって先の世代そのままの繰り返しではないが、先の世代の経験が言い伝えられて、或る程度活用される。こういう旋回を繰り返しながら世代から世代への螺旋は終末に近づいて行く。こういうことは新約の時に生きる我々においても十分に言える。

 近代の社会においては、世代の反復・世襲はないと考えられ、職業の世襲もないことになっている。例えば、政治家の世襲は胡散臭いものと見られる。信仰の世襲は最も煩わしいものとされる。そういう風潮の中で信仰者の子供が信仰から離れて行くのは当然だと考えられるようになる。だが、職業のようなものは多種多様であって親から受け継げないとしても、人生のケジメの付け方は、親が子に見習わせるものではないか? それがなくなれば、人間であることは消滅し、人間の遺伝子を持った動物がいるだけになってしまう。だから、親が子を育てるという定めは軽視してはならない。

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 国の政府は人口統計をして、何十年か先の人口を考える。先のことは一応計算出来る。しかし、教会ではそういう未来人口の計算は出来ないからしなかった。だから、各教派は人数の著しい減少に怯えている。螺旋の続きがあるものと思い込み、将来の財源をそこに期待していたのに、それがないと分かったからである。

 我々が螺旋の先を考えるのは、将来の財源というような世俗の憂慮ではない。我々は祝福の約束に基づいて将来を考え、終末的事態の展開のことを考えるからである。それは死んで行く人もあるが、生まれて来る人もいるという人間社会の通常の循環が行なわれていれば、余り心配しなくて済んだこととは別である。ところが、教会内の生命のサイクルは停まったのではないかと思われるようになった。これが今日多くの教会で「高齢化」という言葉で呼んで怯えている事情である。人はそれぞれ年齢を加えて行くものであって、そのこと自体当たり前のことである。むしろキリスト者においては年齢を重ねる祝福がある。高齢化を教会が怯えることは間違いである。

 今日騒がれているのは、主に教会の継承者がいないという問題である。ところが、これはいろいろな芸術、技術、職業部門において戦後ずっと問題にされて来たことと似ている。その問題は解決したとは言えないが、解決の努力がされている。その真似をすることは出来ないが、解決のための努力から啓発されることはある。今の若い人には到底勤まらないと言われた部門、例えば古典芸能の分野で若い人が結構育っている。

 「キリスト教的生き方」は古典芸能とはまるで別だが、そこに打ち込む生き甲斐という点で他の生き方を凌駕する。その生き方の後を追おうという人が出て来て決して可笑しくない。だが、実際はいないようだ。そういう人が生み出されないように働いている力があるのかも知れない。少なくとも、この人の生きるように自分も生きたいと思わせる生き方をするクリスチャンがいれば、後に続く人は随いてくる。随いてくる人がいないとすれば、随いて行こうと思わせない人々に問題があるからではないか?

 世代間の継承のことに時間を掛けたが、「伝道」の問題は次の世代の教育で尽きているわけではない。また教会における世代も親と子の関係だけのものではない。アブラハムの肉の子でない者がアブラハムを父とするようになった。そのようなことが、自分の子の外の範囲まで及ぶ。

 我々は少数者の方向に向かうと言った。勿論、数が減って行く方向を選択するということではない。少数者という意味を持つ志ある群れとなって行こうという意味である。その姿勢を取ることによって、我々の前にある道が見えて来るし、我々と同じ方向を取ろうとする人が加えられて来る。

 ただし、我々の志、これはもっと積極的にもっと賢く発信して行かねばならない。時代が変わるのだから、流れに流されないで掲げ続けるためには知恵が必要である。このために祈りが必要である。工夫と努力の余地も大いにある。

終わり

  

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