東京告白教会秋の伝道会講演

2000.10.22.東京告白教会にて


 1
 現代における責任の崩壊現代を特徴づけているキーワードは「無責任」という一語ではないかと感じている人が多い。正解と言って良いであろうと私も思う。ただ、私は無責任な現代を論じるのではなく、この風潮と戦い、戦う同志を呼び集めたいと願ってこの話しをする。
 昔は、「犯罪者型」というタイプの人間がいて、そういう人が犯罪をひき起こすのだ、とまことしやかに説かれ、多くの人はそうだと信じていた。こうして、何も悪いことをしていない人が「犯罪者型」に見えるというだけの理由で、隔離されたり拘禁されたりして、人権を剥奪される不条理が公然と行なわれた。
 今日では、人権尊重という見地からも、このような差別的な意見は退けられるが、もう一つ、人間をタイプで分けることが事実にそぐわないという点からも見直されるようになっている。すなわち、「犯罪者型」とは見えない、極く当たり前の人、むしろ真面目で善良そうな、社会的信用も低くない人が大規模な犯罪を犯す。それが無責任による犯罪である。例えば、大手の食料品製造会社の経営者の無責任な不注意から、中毒事件が起き、死者が出る。人が死ぬという点では凶悪犯と同じなのだが、こちらでは憎しみも殺意もないのに、人が殺される。そして、結果の大きさに気付いてから恐れることはあるとしても、実行している途中、あるいは不作為のうちにその結果を生んでいる時、罪の恐れは全くない。
 人間をタイプで分類することの間違いがほかにもある。今見たのと同じように、昔は、「無責任タイプ」の人は、人間の規格に合わない性格破綻者、人間失格者であって、「まともな人間」は、責任を持つものだと考えられていた。そういう区分は今では成り立たなくなった。人間に二種類あるのではなく、「まともな人間」とされていた者が「無責任」になるのである。
 犯罪を取り締まるべき警察官にも無責任の風潮が蔓延して、警察官の犯罪が連日の新聞記事になっている。余りにヒドいので、無責任型の人間が警官になっているのではないかと論評されたりするが、「無責任型」の人がいるわけではない。よもやと思われている人が犯罪を犯す。つまり、一応責任の持てる人と見做されていた普通の人間が、無責任人間になるのである。そういう状況が近年急速に社会の全面を覆うようになった。
 このような犯罪が増えて行くことの危険が我々を怖じ恐れさせるが、もう一つの恐怖は、真面目に生きて来た人が、ある時フト無責任な人間に転換するのではないか、自分自身の内にその可能性があるのではないか、との不安である。昔はそういう場合、情緒不安定な、病的なタイプの人がそうなったのだと説明して割り切ったのであるが、今では、全ての人の内にそのタイプが潜んでいることを否定出来なくなっている。
 そのような不安を癒す試みがさまざまになされている。誠実な試みもあれば、人の不安につけ込んで利益を貪ろうとする企業も多い。その宣伝に釣られる人も多い。そういう試みがどういう問題を持つかということに、私は今は触れない。今日は「自分で考える」ことに焦点を絞りたい。

 2
 無責任への落とし穴さて、普通の人間が無責任になるのは、本人自身の問題であるとともに、もう一つ、その人の属している「組織」の問題であり、その「時代」の問題である。本人自身の問題であるとは、本人の心掛けが悪いからこうなったという程度のことではなく、本人にも負い切れない、しかも本人から出ているとしか言えない要素があるということである。
 だから、罪については本人が処罰されることになるのであるが、その処罰ではことは解決しない。事態はいよいよ深刻になって行く。
 本人だけの責任にしてはならないものもある。個人としては善良であるが、組織人としては犯罪を犯す、あるいは犯罪に加担するということがある。警察官による犯罪が割合多いのは、警察というシステムに問題があるからであると、今日多くの人は気付き始めている。システムに問題があるからそれに属する一人一人の道徳心が緩むし、組織としての無責任を隠そうとしてまた新しい犯罪を作るのである。しかし、警察よりもっと問題なシステムが世にある。
 一番ハッキリしているケースは軍隊という組織であって、ここでは、本人の意志に反して殺人という犯罪が命じられる。戦争はこの組織を用いて大量の犯罪を生み出す。この組織の中では、殺人という犯罪が犯罪でなくなり、犯罪を犯さないでおこうとすることが犯罪扱いにされる。
 「若い人が無責任だ、これは教育が悪いからだ」という慨嘆を聞くことは稀ではない。
 一見そう思われもするのであるが、よく見直すと、年配者の無責任も結構多いことに気が付く。例えば、大企業や官庁のトップの無責任や手抜かりによって大事件が起こっていることが多い。
 今日、若者が事件を起こす時、本人がその責任を意識しないという問題があることは確かだが、その無責任感については彼の環境にも原因がある。原因となっている種々の要素を除去しないならば、事件の再発は防げないであろう。事実、同じ種類の犯罪が頻々と起こっているし、今後、増えこそすれ、減ることはない。
 こういう無責任が我々の社会の全体に広がってしまった。一つの無責任がさらに一つの無責任を誘発している。問題が拡がり過ぎているので、どこから手を着ければ正常化することが出来るか、どうしてこういう状態になったかを論じるのはなかなか難しい。しかし、手を拱いて何もしないとか、あるいはよそ事のように論評していては、それこそ新しい無責任の業を始めることであるから、現代の風潮を自分の責任外の問題として論評しているのは有害無益である。我々は一人一人、何とかして、無責任の精神状況から抜け出し、無責任の風潮に逆らって、現代の問題に責任ある取り組みを始めなければならないのではないか。
 今、「一人一人」ということを言ったが、ここに大事な問題点が潜んでいることに気付く人がいると思う。すなわち、今、問題にしている無責任の重要部分は、それぞれの人の意識から「一人一人」という面が抜けてしまったことなのである。「無責任」とは、一人一人が自分を見失っていることと、同じではないが、完全に重なり合っている。だから、我々は自分をどこかに棚上げして、今の世はどうだこうだ、というような批判をするのでなく、ここで自分の責任は何か、自分は何をすべきか、自分に何が出来るか、と考えて見なければならない。
 そこで、私は私なりにこの問題に一生懸命取り組みたいのであるが、皆さんも自分のこととして考えて頂きたいと思って、今日の話しを用意したのである。

 3
 失われた一人一人今日の無責任現象には、今限られた時間の中では論じ切れない多くの原因がある。それらの原因の相乗効果によって、急激な責任の崩壊が近年露わになったのだと説明することが出来る。その原因の主要な一つに、先ほど少し触れかけたが、戦争の問題があると私は考えている。戦争によって責任意識が緩み、戦後その緩みを引き締める道義回復の努力が行なわれないまま、ますます緩んで行ったのである。
 戦争とは、一つの国あるいは複数の国が、相手国を武力で威嚇して紛争を解決しようとする野蛮で姑息な手段であるが、その中で、相手国民を一人でも多く殺傷することが脅迫のためにはより有効だと考えられる。そこで、戦争で敵を殺すのは犯罪ではなく、名誉である、という「国民道徳」、すなわち、その国の中でしか、また戦争の中でしか通用しない道徳基準が国家によって作り上げられる。双方の軍人と一般国民は、相手国の国民を殺傷することに、殺人の自覚がないまま参与して行く。
 国家が道徳基準を作るということにそもそもの問題がある。すなわち、道徳の基盤になるのは人類という普遍的なものなのであって、国家ではない。もし、その国の民衆の道徳意識が国家に依存しているならば、平時はともかく、戦時には国民は政府の言うままに戦争遂行を善悪の基準とするという大きい誤りに陥る。以前の日本では道徳は天皇の定めた「教育勅語」を基準とするという考えがあった。だから、戦争が始まると世界共通の道徳は吹っ飛んでしまい、戦争に勝つことだけが人生の目的になってしまった。
 この国家依存の体質が改められていないから、今日の日本には、もう一度「教育勅語」を定めて欲しいと言い出す人がいる。それは、再び、「宣戦の詔勅」によって国民が批判力を捨てて、戦争目的に統合される準備になるという議論は、結論を急ぎすぎたものであろうか。
 ところで、昔は戦争に携わるのは軍人階級だけであったが、近代国家が戦争を起こす時は、国民全体をそれに巻き込むようになった。かつての時代でも、戦争はやはり不幸であると分かっていたから、戦争のやり方を国際法によって制限すれば、戦争の不幸を最小限に抑制することが出来ると考え、戦争法規を作った。その法規がもともと守ららせ難いものであったという事情に加えて、今日では軍隊の戦い方を規制したとしても、不幸を制限することが出来なくなって来ている。
 この戦争を国としても、また国民の各人も、罪の意識なく、むしろ「正義」の名のもとに行ない、そして負い目を感じることなしに、殺人その他の罪を行なったところに問題の起こりがある。それが「非常事態」なのだと言われたのであるが、「非常事態」が終結したなら、「非常事態」を宣言した責任者は、以前の正常な道徳水準を回復しなければならないのではないか。しかし、そういう処置は行なわれなかった。だから、敗戦国日本においては戦勝国に対する態度は改めたが、それは道徳的回復にはなっておらず、強者に対する温順で卑屈な屈従に替わっただけである。戦勝国には媚び諂うが、実際に苦難を嘗めたアジアの民衆に対しては、驕慢な姿勢をなかなか棄てきれないではないか。

 4
 戦争責任の問題の恐ろしさ「戦争責任」と言えば、戦争の最高責任者に戦争責任の意識がないということは、勿論大問題であるが、もう一つ、責任者の無責任を許している国民の無責任も問題にしなければならない。国民は自分の責任を追及したくないので、最高責任者も追及したがらないのである。
 最高責任者の責任問題、日本で言うならば「天皇の戦争責任」、また、天皇の責任が分かっていながら、正義以外の理由で訴追しなかった者の責任、すなわちアメリカの大統領と占領軍総司令官の責任、これはだんだん資料が出て来て明らかになっている。しかし、もう一つの問題、しもじもの者の責任は、まだ殆ど指摘すらされていない。
 敵国の民衆を一人でも多く殺すことが正義である、と日本人が口を揃えて言っていたことの後始末を付けないままに、日本は敗戦後、「平和だ、平和だ」とスローガンだけを塗り替えたのである。間違って戦争をしていたと多くの人は気付いていたが、どの国でも同じ間違いをしているではないかと考えて、殺人と殺人未遂に参与した自らの責任を問わないことにした。しかし、殺人をある条件のもとで許すことは、善悪の規範を緩めることであったのに、緩んだ規範を戦後締め直すことはしなかった。国は国民を戦争へ戦争へと駆り立てたが、戦後の道徳的建て直しは全然しなかった。国がしないなら、誰かが代わってすべきであったが、誰もしなかった。キリスト教会もしなかった。その責任は重い。だから、率直に言って、キリスト教には責任を論じる資格がない。
 一旦緩んだ規範は、時間が経って修復されて行けば良かったのだが、その逆に、世代を追ってますます緩んだ。東西の冷戦状態が長く続いたからであろう。その道徳の緩みのツケが、半世紀の後に廻って来たのである。
 今日の無責任な犯罪の多発を嘆く時、この現象が戦争の結果であることを見落としてはならないと私は思う。戦争の時代に多くの人が持った責任の条件付け解除、すなわち責任感の放棄、勝つためには何をしても良いという道徳心の混乱、これが世代から世代へと受け継がれ、無責任の度合いがだんだん大きく膨れて来たように、戦争時代からズッと生きて来た私には感じられるのである。

 5
 私自身の歩み戦争のことをここまで話したからには、一人一人の問題として、私自身のことを語らなければならない。これは今日の主題から見れば、脇道にそれた話しかも知れない。それでも、聞く人に何かの参考になると思って語って置く。
 私自身は戦争末期の一時期を軍隊で過ごし、小さい軍艦に乗って最前線にいたのであるが、生死を分ける境目を幾度か潜って生き残った。その経験の中から三つの項目だけを取り上げたい。第一は、何故戦争に参加したのか。第二は、戦争のさなかで何を感じたか。第三は、戦争で経験したことについて、戦後、どういう総括をして来たか。
1)なぜ戦争に参加したのか?
聖書の教えが平和を志向するものであることは特に教えられなくても知っていた。したがって、クリスチャンである私が戦争に行くについては、この点で得心が行くように解決して置かなければならない。私を納得させるように働いたものが三つある。一つは国家の政策である。教育、新聞報道、思想統制と弾圧などが行なわれた。それらは私を萎縮させて、反対出来ないようにしたが、心から納得させたわけではない。第二に、キリスト教会が政府のお先棒を担いで戦争政策を宣伝した。自意識の強い人にはいつの時代にも教会への反発があるから、教会を通じての説得が有効でなかった面もあるが、国家の宣伝よりは受け入れやすいこともあった。教会の犯したこういう誤りは教会が政府から脅かされて従ったまでであるから、教会の責任は軽いのではないかと考える人がいるが、その考えは間違っている。教会は国家の下部機関ではない。神に直属する。だから、教会は教会の主に対して責任を取らねばならない。
 さて、第三に、私自身が自分を説得した。だから私の責任は消せない。戦争に関しては私は最高責任者ではないが、自分の決定に関しては私が最高責任者である。「お前は已むを得ず戦争に協力したのであって、したがって、お前の責任は軽いのではないか」という考え方も出来るのであるが、私はそう思わない。私は国家の付属品ではなく、ある意味で国家から独立して、神の前に立つ人格である。国家に対する義務はあるが、全面的に従わねばならないわけではない。このことは戦後になってますます分かって来たのであるが、文字通りクリスチャンの末尾につく者であっても、戦争に行く前からある程度は承知していた。
 2)戦争の中で何を感じたか?
私は戦争を自分なりに意義づけ、その意義に納得して前線に出て行ったのである。その意義付けは、戦地に一歩足を踏み入れたとたんに崩れ去った。私の任務は輸送船団の護衛であって、常時死の危険に曝されていたが、敵の姿は見えない。戦争における残虐行為や凄絶な場面を一つも見ていない。残虐行為を見れば、もっと強く戦争反対の思いになったかも知れないが、私の場合は戦争の「無意味さ」、「空しさ」だけを見たのである。無意味なことに命を賭ける空しさしかなかった。
 戦争はただただ無意味である。その無意味なものに如何にも意義があるかのように、私も人々も言っていた。その誤魔化しに気付いたのである。では、その時からお前は反戦思想を持つようになったのか、と問われると、告白するが、そういうことを考えている余裕のない日々を過ごした。張り詰めた神経で警戒していないと、見えない敵にやられてしまうのである。せめて自分は醜くない死に方をしよう、と考えるのが精一杯であった。
 思い起こす度に恥ずかしさを覚える出来事がある。時々話しの中に出しているので、「またか」と思う方があろうが、初めて聞く方もおられるので、いっとき辛抱してもらいたい。私の乗っていた海防艦に一人の共産主義者が乗っていたのである。彼の思想のことは私以外の誰も知らない。彼は私がクリスチャンだということを知っていて、ある親近感あるいは安心感をもって自分の思想のことを打ち明けてくれた。彼は彼の理論に基づいて、目下の戦争を分析し、この戦争は日本の敗北によって間もなく終わるのだと論じた。彼は自分が共産主義者だということは秘めているが、共産主義は彼の中に生きていた。一方、私はクリスチャンだということを触れ回るわけではないが、隠していないから艦内ではみんな知っている。しかし、私のキリスト教信仰は私の中で息も絶え絶え、あるいは凍結していた。
 3)戦後どう考えたか?
戦後、私は自分で物を考える自由を取り戻し、考える生活を始めたが、また、神の召しを受けて、キリスト教の伝道を使命とする者となった。私は伝道をして教会を建てて行く時、かつての教会のように権力のお先棒を担いだり、流れの中で何の抵抗も出来ないような教会ならば、ない方がマシであると考えて来た。それとともに、私自身が、真実を誤魔化し自分を誤魔化してはならないと考えて来た。
 この考えを貫くためには、かつての自分の弱点を乗り越えなければならない。また教会に対して乗り越えるべき弱点は何であり、それをどのように克服するかを示すためには、相当に深く学ばなければならないということも分かっていた。この学びについては今日は全て省略させて頂く。
 私は教会の牧師の仕事をするだけでなく、キリスト教とは直接関係あるとも言えないことにも関わって来た。平和運動とか、人権運動とか、戦争の再発を防ぐことに、私は私の戦争責任を少しでも償うために、努めている。しかし、私が自分の戦争責任を踏まえて最大の打ち込みをしているのは、私自身が過ちを繰り返さぬキリスト者に作り直されること、そして教会を過ちを繰り返さぬものに建て直すこと、そのための祈りであり、学びである。敗戦以来のこの決意を私は一応貫いて来たと思っている。戦争の中で幾度か死に目に遭って、しかも生きて帰ったのだから、私が生かされたのは、自分のためではないのだということが分かっているからである。

 6
 自分を見出す自分のことについて語るのはこれ位にして、本論に帰る。先にも触れたが、無責任なことをして目につく人がいるその背後や周囲には、事件を起こすには至らないが、自分を失っている多くの人々が立っている。それが犯罪予備員であると言っても言い過ぎではないし、犯罪を支えている支援者だと見ることも出来なくない。普通の人間が、そよ風が吹く程度のごく小さいキッカケによって犯罪者になる。だから、起こってしまった犯罪事件だけを見て、現状を嘆いても何にもならず、一人一人が自分を取り戻すことを始めなければならない。
 しかし、「どうすれば失われた自分を取り戻せるのか? 『自分が失われている』とは、そもそもどういうことなのかが分からないではないか?」と言われるであろう。それはそうかも知れないのだが、では、現代人は自分が見出せない焦りを感じることが出来ないほど失われ、無感覚になってしまったのか。そうではない。
 多数とは言わないまでも、自分が何であるかが掴めない焦りを感じている人は少なくない。そういう人のうちには、自分が何であるかを確かめたくて犯罪を犯す実例がある。
 犯罪には行為になる前の「動機」があるとされる。貧困ゆえに人の物を取ったり、貪欲の故に強奪したり、憎悪の故に人を殺したりするのが従来は普通であった。しかし、物が豊かに溢れている今では、貧しくないし、物慾に執着してもいない。また人々がトゲトゲしなくなり、優しくなった時代の中で、人を憎んでもいないのに、行きずりの人を殺すというような、「動機」の読み取れない犯罪がボツボツ増えている。私は「動機なき犯罪」の同情者でも理解者でもないが、自分が何であるかを確かめたくて大ごとをしでかす人がいる異常事態は感じ取っている。
 その人の気持ちを代弁するつもりはないが、現代人が自分を見失っている不安が、ここまで膨れ上がっていることについて、注意を喚起したいのである。物が豊かな中で他人の物と自分の物の区別が分からなくて、悪いという意識なしに人の物や人の金を、自分の所有のように持ち去って使い果たすこともある。これは豊かさの中の所有感覚の麻痺であると説明することが出来るであろう。
 しかし、悪いとされていることが一応分かっていながら、敢えて「動機なき犯罪」を犯す人もいるのである。それは「自分があるのかないのか分からない」という存在感の稀薄さに漠然と気付いて不安だから、何かにブチ当たって自分の存在を確かめたい衝動を感じたのである。
 「誰でも良いから人を殺して見たかった」と言う犯人の言葉に人々は唖然としたのであるが、彼は人を殺すことの反応によって自分の存在を確かめることが出来ると考えたのである。それほど自分自身の存在が掴めなくなっているのだ。こういう犯罪は今後増えこそすれ、減ることはない。すなわち、存在の稀薄感が社会に行き渡ったから、この稀薄感を埋める試みが行われなければ、自分で存在の稀薄感を埋めようとして、飛んでもない犯罪を起こす人はなくならない。
 そのような人が特殊なタイプの人ではないということに注意して置く必要がある。もともと犯罪人型の人間がいたのではないのだと初めに言ったが、動機なき犯罪を犯す異常タイプの人間がいるわけではない。ここにいる人のうち、今、自分は存在の充実感を持っていると言う人が、明日、存在の稀薄感に耐えきれなくなるかも知れないのである。
 そういう危険がないと言えるであろうか。
 なぜ存在感が稀薄になったのか? その解明のためには現代社会の分析をして行けば良いのではないかと思うが、限られた時間の中では到底語り切れないから、理由の説明は省略しよう。自分が自分として生きているという存在感のある生活をすれば、すなわち、私が私であるということを取り返せば、あるいは自分を見出せば良い。
 では、自分を見出すにはどうすれば良いか? その問題を先ず取り上げても良いが、「責任」ということが明らかになって来れば、この問題は自然に解けるのであるから、今日の主題である責任の問題に移ろう。

 7
 レスポンシビリティー「責任」は英語で「レスポンシビリティー」と言う。これは「レスポンス」すなわち、答え、応答という言葉に由来する。「答責性」という言葉を当てることもあるが、言い方を変えれば内容が明確になるわけでもない。
 とにかく、「答える」のは、「問われている」という前提があるからである。「問われている」から「答えなければならない」のである。答えなければならないことが責任である。では、どこから問われているのか? それが分からなくなっていることが悲劇なのである。ただし、その悲劇は今に始まったものではない。むしろ、歴史の始まりの時からあったのである。
 そのことを聖書の初めに置かれている創世記、この書の第4章が描いている。聖書の物語りでは、人類の始祖はアダムとエヴァである。二代目はカインとアベルという兄弟である。この第二世代において、人類最初の殺人が行なわれた。それは兄弟殺しであった。
 カインがアベルを殺した。
 なぜ殺したかについて、聖書は理由と経過を語っているが、その理由は解説抜きでは分かりにくいであろう。その解説であるが、いろいろの説明で煩わしくなるのを避けて、一切省くことにする。解説がないため理解出来ない人は、これを「理由なき殺人」、「動機なき犯罪」と見るであろうが、そう見て支障はない。「動機なき犯罪」の原型がそこにあったと言うのは、いささか乱暴であるが、今日の問題と結び付けるために、そのように読んで置くことは許されると思う。
 とにかく、理由と言えるほどの理由なきままに殺そうと決意して、野原にアベルを連れ出して殺したカインは、死体を地に埋めて、土をかぶせる。誰も見ていなかった。死体は地の中に隠されたのであるから、物証はない。完全犯罪が成立した、とカインは考えた。――ここから本論に入って行く。

 8
 神の問い掛けカインは「自分が知らない以上、誰も知らない」と自信を持った。彼の良心には弟殺しの場面が刻みつけられたはずであるが、それも忘れる日が来る、と彼は予想したのである。彼にはたった今人を殺して来たという興奮すらないかのようである。このように、犯罪人自身が犯行を忘れることはあるのだ。良心の呵責に耐えきれず、自白した、という実例はよく聞くのであるが、そうならない場合も少なからずある。
 中国などの占領地で戦争犯罪を犯して、罰せられないまま帰って来た軍人が日本に大勢いる。そのうち、犯罪の事実を正直に語る人は例外的と言えるほど僅かであって、殆どの人は沈黙を守る。しかし、沈黙を通し切れないで悪夢に悩まされ、ついに自殺するとか、いまわの際に肉親に告白したりする実例が報告されるようになった。これは人々のうちに良心が生きている証拠だと言うことが出来るが、良心が目覚めている人はまことに少ないという証拠にもなる。
 人には当然良心がある、という議論をここから立てて行く事も出来る。しかし、銘々の良心では不確かであるから、良心以外の声を聞かなければならない、という議論を始める方が適切だとも考えられる。「良心の声」を取り上げて考える機会はまたあるであろう。今回はそれを省略して、良心を完全に眠らせたカインを、眠りの中から呼び起こしたもう一つの声に注意を向けよう。
 カインへの問い掛けをしたのは神であった。「お前の兄弟はどこにいるか?」と神は問いかけた。「お前は一人ではなかった。兄弟がいた。その兄弟がいなくなると、お前は天涯孤独なのだが、その兄弟はどこにいるのか?」 神の声はカインの孤独感を呼び覚ました。それでも、この声だけでは、また孤独になったことに気付かせられるだけでは、カインの良心は目覚めなかった。「知りません、私が兄弟の番人でしょうか」と彼はうそぶくのである。彼の良心に訴えても埒は明かない。彼には犯罪の証拠をつきつけることが必要であった。
 話しが飛ぶのであるが、カインに対しては効き目がなかった神の問い掛けが、創世記の物語りの文脈から全く外れたところでも、人の魂を揺り動かすという実例がある。今日の主題とは関係ない話しだが、ひとこと触れておきたい。第一次世界大戦の前、当時はドイツ領であったシュトラスブルクの大学教授になっていたアルバート・シュヴァイツァーは、アフリカの人々の現状を聞いた時、「お前の兄弟はどこにいるか」という神の言葉を思い起こした。彼は「知りません、私は私の兄弟の番人でしょうか?」とは答えられないのに気付く。これは彼にとって自分自身の発見でもあった。彼は大学教授を辞めて、医学部の学生となり、医師の資格を取って医療宣教師としてアフリカの奥地に行った。これは有名な話しである。
 この話しが成り立つためには、アフリカの人々が「他人」でなく「兄弟」なのだという把握が前提になければならない。そういう把握が彼のうちに長年かかって培われていたのである。その培われた経過を説明することは今は省略するほかないが、「お前の兄弟はどこにいるか?」という声が、人の生涯を激変させる力を、なお持っているということは、言えるのである。それは単に生涯の方向転換というだけでなく、忘れられた人の兄弟としての自己の発見であった。
 ところが、カインはその声を聞いた時、何も変わらない。「知りません、私がどうして兄弟の番人でしょうか?」と答える。彼は「知りません、知りません」と言い続けたなら、自分に暗示を掛けて、本当に事件を知らなくなってしまうであろうし、神も根負けして追及出来なくなると思ったらしい。
 それはまことに浅ましい考えであったが、彼の主張を検討して見ると、「私は私、弟は弟、私が弟の世話をしなければならない謂われはないではないか?」と理由づけた開き直りがある。この理由付けに共鳴する人ならいるのではないか? 「私が番をする責任を持っている人であれば、その動向をいつも見守っていなければならないであろうが、私は彼の番人ではないではないか? 弟は自分で自分のことに気をつけるべきではないか?」。しかし、兄弟を切り捨てることは、すぐには気付かなかったかも知れないが、自分を孤独に突きやることであり、兄弟との関わりの中に生きる自分自身を見失うことであった。
 カインのこの虚言に対して、神は一つの証拠をもって答えられる。「お前の弟の血の声が土の中から私を呼ぶのだ」。お前は自分の記憶の中から兄弟殺しの記憶を消し去ろうとしているが、流された血という物件は消すことが出来ないではないか。――もう逃げることは出来なくなった。
 旧約聖書には「罪なき者の血を流してはならない」という厳重な戒めがある。これを聞いて、「罪なき者など、どこにもいないのだから、人を殺すことは差し支えない」というような屁理屈を言ってはならない。ここでいう「罪なき者」とは、死の刑罰に該当しない者という意味である。
 悪人が己れの悪の故に自分の血を流させられるならば、血を流した罪の償いのために自分の血を流すのであるから、それは道理にかなっている。しかし、他人の血を流していない者に、その血を流させる権利は、人にはない。現在、イスラエル国において、イスラエル兵とアラブ人との間に流血事件が起きている。イスラエル人はイスラエル人なるが故に血を流させられ、アラブ人はアラブ人なるが故に血を流さねばならなくされている。これは「罪なき者の血を流す」ことであって、神はこのような暴力を許したまわない。
 旧約聖書によれば、血は人の血も獣の血も神に属するのである。血は生命を象徴するのである。だから、動物を殺して肉を食べることは許されるが、血は神に返さなければならない。人間の生存のために動物の肉を食べることは許されているが、生命を支配出来ると思ってはならない。まして人間の血は尊ばなければならない。神に属する血を人間が恣意的・暴力的に扱うことは許されない。それは神の権限を侵すのであって、流された血自身が神を呼び、神が報復される。
 ただし、故意の殺人ではなく、誤って人を殺してしまった場合、その人は「逃れの町」として指定されている町に逃れることが出来る、という規定になっている。
 「お前の兄弟の血が土の中から私を呼ぶ」。――「お前は『知らない』と言うが、お前の殺した弟の血は残っている。それは土に埋められ隠されたが、土の中から私に向かって呼ばわるのを差し止めることはお前に出来ないではないか?」と神は言われた。
 神は続けてカインに言われる、「今お前は呪われてこの土地を離れなければならない。
 この土地が口を開けて、お前の手から弟の血を受けたからである。お前が土地を耕しても、土地はもはやお前のための実を結ばない。お前は地上の放浪者になるのである」。
 土地は不毛になり、カインは故郷喪失者になった。
 「お前の兄弟の血が土の中から私を呼ぶ」。この言葉をありありと思い起こさせられた経験が私にある。15年ほど昔になるが、私は西パプアのマノクワリという町に行った。
 その町の何度目かの訪問の時であった。これまで時間がなくて訪ねることが出来なかった場所に行って見たかった。太平洋戦争の時、西パプアを占領していた日本軍がこの町に司令部を構えていた。その町の中で重要だった所らしい。かつて陸軍病院があった所。現在はカトリックの学校になっている。
 校庭の一角につる草がドームのように盛り上がって、穴を覆っている場所がある。かつて日本軍が人を斬り殺してこの穴に埋めたところを秘かに見ていた現地人がいた。戦後、日本軍が敗退した後で、そこを掘り起こしたところ、何人分かの人骨が出て来た。その人を特定出来ないので、また埋め戻したその場所であった。この説明を聞いた時、私の思いに浮かんだのは、「お前の兄弟の血が土の中から私を呼んでいる」という聖書の言葉であった。その言葉はよそ事としては聞けないと私は感じた。
 同じような惨劇の場所が、アジア・太平洋の全域、至るところにあることを私は承知していたが、現地を訪ねたのは初めてであったから、衝撃は強かった。そこで、聖書の言葉を生々しく思い出したのである。「お前の兄弟の血」という言葉が重くのし掛かって来る。私はハッとして、「そうなのだ。ここで斬り殺された人は私の兄弟だったのだ」と気付いた。また、私はそのような事件について直接には知らないとしても、罪なき血が流されて、土にしみ込んで行った事実は否定出来ない。もう私は「知りません、私が兄弟の番人でしょうか?」とは言えない。私は人殺しの当事者ではないが、人殺しをし、罪なき血を流した人が日本人である以上、私はその人とも無関係ではないから、日本人の罪責を負っているのだ。

 9
 根源的な問い「責任」とは「答える」ことである。「答える」とは、「問われている」ことがあってこそ始まるものである。では、誰が問うのか? 誰にも問う権利はある。特に被害を受けている人は問うことが出来る。誰が問うても答えなければならない。しかし、小さい者が問う時、無視されることがよくある。同等の者が問うても無視されることがある。
 上の者が問うと無視は出来ないが、言い抜け、責任回避が試みられる。
 神が問う時、言い抜けは出来ないのである。カインは詐って言い抜けようとしたが、神はアベルの血の叫びを聞いておられた。神の前では誤魔化しは効かない。そして神の問いは、答えがあるまで止むことなく責任追及を続けるであろう。その言葉は私にも及ぶのである。私の今することについての新しい問い掛けがあると共に、かつて他の人に語られた言葉、例えばカインに向けられた言葉が、そのままの力を保って、今度は私を目指して繰り返される。
 神は誰に向けて責任を問うたのか? たしかに、罪を犯した当人以外の人に向けて責任を押し付けたのではない。しかし、神の問い掛けは、問われたカイン当人以外の者の「責任」をも呼び起こした。その実例に私はマノクワリで出会った。当人の責任を問い質す神の声は、それ以外の人の責任をも呼び起こしたのである。
 カインの父であったアダムも、神の禁止に逆らって知恵の実を食べた後、賢くなって、裸の恥じを知るようになり、恥ずかしくなって姿を隠した。その時も神の問い掛けがあった。「アダムよ、お前はどこにいるのか?」 この問いも、当人以外の人の耳に、また心に届くのである。「人よ、お前はどこにいるのか?」 これが全ての人間にとって根源的な問い掛けなのだ。
 「カインに向けられた言葉を、あなたは自分に向けて語られたものとして聞きなさい」と言うならば、反発する人がいると思う。私たちクリスチャンは聖書の言葉を他人事のようには読まず、自分自身に向けられた言葉として受け取るよう修練しているのであるが、そういうことを学んでいない人に、創世記の言葉を、今、自分に突き付けられた言葉のように受け取ることは困難であろう。だが、何かの機会に人ごとと思っていた言葉が自分に突き刺さる。私自身も聖書のこの言葉を知ってはいたが、自分自身に突き付けられて、このように痛みを覚えるとは、現地に立つまではよく把握出来なかった。まして、現地を想像することも出来ない人に、これが分かることを求めるのは無理であろう。
 しかし、無理だということを重々承知の上で、「あなたの兄弟はどこにいるのか?」、「あなたはどこにいるのか?」という声が自分に向けられた問い掛けとして聞こえて来るよう、耳を傾けて貰いたい、と私はお願いする。
 その声が聞こえたなら、これまで、すぐそばにいても見えなかったあなたの兄弟が見えて来るはずである。それだけでなく、あなた自身が見え始める。
 どうであろうか。皆さんは私が上に述べたような読み方をするのは、窮屈で、陰鬱で、自虐的だと思われるだろうか。自分の責任を問うことを「自虐的」と批評する人が現代の日本で増えていることは知っているが、我々は窮屈な思いをしてはおらず、むしろ、こういう意識を持つことが出来るからこそ、世界のどこへ行っても、兄弟として振る舞うことが出来、信頼と相互理解をもって受け入れられるのである。

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