東京告白教会修養会基調講演

闘う教会

1999.12.12.東京告白教会にて


はじめに


 今日、教会が危殆に瀕していると我々は考え、そう語って来た。(この事情については今日は繰り返さないが、ますます事態は深刻になっているから、もっと声を高めねばならないのが実情である。)我々はこの状況の中で「危機だ、危機だ」と叫ぶことに意味があると考えていたのであるが、叫んで同調者が増えても、同調者は必ずしも我々と志を同じくするものではなく、その同調はただのムードになりかねない場合もある。
 そこで、評論家のような議論を捨てて、この危機と身をもって闘って行こうと考え直した。そのためには、危機の実体が何であるかを突き止め、如何なる闘い方をすべきかを学ぶとともに、それを克服するだけの霊的な力を上から祈り求めねばならない。そこで「闘う教会」という主題が修養会のテーマとして急浮上して来た。
 主題に入る前に、これまた我々の論じていることであるが、今日の危機が人間の落ち度によって生じたと言うよりも、根本的には神の裁きとして起こっている点に思いをいたさなければならない。我々は神の御旨に逆らって何かをしてはならないし、事実、何も出来ないからである。
 神の裁きとして現状の行き詰まりがあるというなら、何ゆえ神の裁きが下ったかを突き止めねばならない。義なる神は理由なしに裁きを下すことをなさらない。神が裁きたもう理由は我々の側にある。こういう前例は、そう屡々あるわけではないが、例えば、預言者エレミヤの時代にエルサレムが滅亡したのは、罪の故の裁きであった。具体的には幾つもの種類の罪を挙げることが出来るが、一つに絞るならば、偶像礼拝の罪である。日本の教会の場合も、人間がつねに罪を犯すという一般的なことだけでなく、歴史の一定の時代、すなわち1870年代から1945年までに、特別な偶像礼拝、神ならぬ物に対する礼拝をしたという罪がある。その罪についての然るべき悔い改めをしないから、神は裁きたもうた。こうして今日の教会の行き詰まりとなった。

 
闘う教会という捉え方

 さて、「闘う教会」という表現は、そのままでは聖書に出て来ないが、教会の本質的な在り方を捉えた神学用語であって、聖書にかなった言い表わしである。これは古代教会で使われ始めた。お聞きになったことがあるかと思うが、ラテン語で「エクレシア・ミリタンス」という。
 「闘う教会」という神学用語は、勇ましく闘って敵する者を制圧する教会という意味にとって大きい支障はないのであるが、これでは気勢を上げる掛け声に終わり、教会の本質的な在り方を究明せぬまま幕切れになる虞れがないとは言えない。「闘う教会」は景気付けの標語ではない。教会の実体を深く洞察して捉えるためのものである。 基礎的なところから考察するならば、「勝利の教会」(エクレシア・トリウムファンス)と対照的に捉えられる概念である。ここで言う「勝利」は完全な勝利を収めて凱旋することであり、したがって、「勝利の教会」とは、全うされた教会のことで、天上の教会というのと極めて近い。教会は勝利を約束されており、既にある程度それを獲得したと言って良いが、現実の教会はその実現の約束を信じつつ、今のところは苦闘している。勝利の希望と確信は揺るがないが、「勝った勝った」と浮かれているのではない。これが「闘う教会」の意味である。
 マタイ伝10章34節に主イエスは「地上に平和を齎すために私が来たと思うな。平和ではなく、剣を投げ込むために来たのである」と言われたが、天上の教会を地上に完成させるためではなく、闘う教会を始めさせるために来たと言われたと取ってよいであろう。――ここでは引き続いて「私が来たのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をその姑と仲たがいさせるためである」と言われるので、闘う教会とは、教会員の一人一人が家族の中で信仰の闘いをすることであると取られるかも知れない。しかし、家族の分裂は教会の初期のもので、主がここで言われる闘いは永続するものである。


 
如何に闘うか

 
それでは、「闘う教会」とは、他と闘うよりも自己自身と闘うものか。確かに、自己との闘いが非常に重要な要素である。特に、教会に属する個々人の闘いにおいて、闘うべきおもな相手は、自分自身の中に残っている古き我である。キリストは勝利し、我々は謂わば勝利の凱旋に随行するのであるが、まだキリストのものに成りきっていないから、完全に主のものに成り切るための闘いが自分自身のうちに残っている。
 だが、闘いを全て内面化してしまってはならない。我々の外側にも闘うべき相手はある。すなわち、「我は天にても地にても一切の権威を与えられた」と主が言われるのに、キリストの主権に従わないものが地上には多く蔓延っているのである。それらを服従させなければならない。キリストの栄光のための戦いは地上に置かれている教会の課題である。これはまた「御国を来たらせたまえ、御心の天になる如く地にもなさせたまえ」と祈る者の祈りに伴う行動である。
 先に、神の裁きを来たらせた我々の罪としての偶像礼拝、具体的に言えば天皇礼拝と神社参拝に触れた。これは今日、我々の間では行なわれていない。けれども、もう二度と起こり得ないように根絶されたか。いや、根は抜き取られないままに残っていて、また機会があれば生え出るのである。これは日本的な雰囲気に巻き込まれたと言うよりは、神を神としない罪と言った方がスッキリする。
 闘う教会にとって、もう一つ考えるべき項目と見られて来たのは、闘う相手が単に地上的なものだけでなく、したがって闘う闘い方が、人間的・肉的なものであってはならないという点である。エペソ書6章12節に「私たちの闘いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と権威と、闇の世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する闘いである」と言われる通りである。この言葉は、今朝も礼拝の中で聞いたところであるが、我々の闘いが血肉に対する血肉の戦いになってしまってはならない、ということを弁えさせるものである。
 教会の現在の状況が「闘う教会」であって、来たるべき日に「勝利の教会」として全うされるとは、簡単に言うと、先に述べた通り、キリストがすでに勝利しておられ、その勝利に我々が終わりの日に完全にあずかるまでの中間の事態・状況に今いるので、キリストの勝利にあずかる約束とそれに対する確信が事柄の中心に据えられ、その勝利を我々において現実化して行く過程、これが教会の闘いなのだ。言い換えれば、キリストの勝利を自分自身と自分に関わる全ての現実に適用して行くことである。

神の言葉の規定する闘い

 戦いについての聖書の記述は非常に多いから、それを拾いあげて絞り込んで並べて行けば、我々の戦いがどういうものであるかがハッキリすると考えてよいであろう。
 先ず重要視したいこととして、旧約聖書にはイスラエルが戦いの時に神の箱を担ぎ出したという記録がある。例えば、エリコの町を攻める時、神の箱を先頭にしてラッパを吹く行列が一週間に亘って城壁の周りを回った。そして、鬨の声を挙げると城壁は崩れ落ちた。これは神がそこに現臨し、勝利したもうたことを意味する。「神の戦い」ということがしばしば語られている。これは「戦い」ということについての我々の理解の基礎を提供している。すなわち、戦いの主体は神なのだ。イスラエルが勝利することによってイスラエルの神の栄光が顕れるのではなく、イスラエルは神が戦って勝利したもうその勝利に参与するだけなのだ。
 したがって、勝利に与るために為すべきは何か。何もしないことである。ただ、神に信頼して、静かにしていることだけが必要なのである。ユダのアハズ王の時、スリヤとイスラエルの連合軍がエルサレムを包囲攻撃した。その時、神は預言者イザヤを遣わして、アハズに語らせたもう。「気をつけて、静かにし、恐れてはならない」。これが第一になすべきことである。
 アハズ王はエルサレムの防備を確認するために水道を視察に行った。水道がシッカリしておれば、エルサレムは長期の籠城に耐えることが出来る、というのが彼の考えであった。しかし、神の指示したもうことはそれと異なっていた。「気をつける」、「静かにする」、「恐れない」、この三点を学ぼう。
 「気をつける」とは聖書に頻繁に現われる言葉である。特に、主イエスが再臨を迎える用意として、「気をつけていなさい」と言われたことは最も重要である。単に注意深く、緊張しておれということではなく、終末から引き出すことの出来る姿勢である。 「静かにする」とは、神に依り頼む信頼である。信頼のないところでは狂躁状態や大言壮語や徒に動き回ることが生じる。
 「恐れない」のは、神が守りたもうと信じることから来る勇気である。
 新約において、そのことは一層ハッキリする。神がキリストにおいて勝利したもうた。キリストが勝利したから、キリスト者も勝利する。順序を間違えてはならない。キリスト者が個々の戦線において勝利することによって、首であるキリストに勝利が齎されるとしたり、キリストの栄光を証ししたりするのではない。
 ピリピ書3章12節に「私がすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕らえようとして追い求めているのである。そうするのはキリスト・イエスによって捕らえられているからである」と語られているが、これが闘う教会の根拠と現実をよく言い表わしていると思う。
 
闘う相手

 闘うとは、つねに相手があって闘うのであるから、何が闘う相手であるかはハッキリ掴んでいなくてはならない。ここで思い起こされる聖句は、先に挙げたエペソ書6章12節で、「私たちの闘いは血肉に対するものでなく、もろもろの支配と権威と、闇の世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する闘いである」。
 もろもろの支配や権威が闘う相手なのである。では、支配や権威とは何なのか。地上を支配している力、地上に君臨している権威であろうか。これは押えて置かねばならないことの一つである。だが、地上の権威と戦うことしか眼中にないとすれば、我々も闘いの場を地上に下ろして、同一次元に立ってしまう。これでは血肉の戦いになってしまう。
 教会はこの世の政治には関わりを持たないのだと語られることが多い。それは確かに一面の真理である。しかし、どのような政治の在り方にも超然としているというのが正しいのか。「超然」と言うと尤もらしく聞こえるのであるが、自分では超然としているつもりであっても、そう思っているだけで、実際は流れに流されながら手も足も出ないというのが実情ではないのか。あるいは悪へ悪へと流れて行く傾向を助長することに終わるのではないか。「超然」とは闘わないで逃げている卑劣と無責任を、体よく言い換えて誤魔化しただけではないのか。――これは1945年までの日本のキリスト教を反省する時、誰もが考えることではないだろうか。
 しかし、かつてと逆に、キリスト教が政治運動をするのが良いとも言えないであろう。実際問題として出来もしないし、たとい何ほどかのことが出来たとしても、一種の政党となって中途半端な政治運動をしただけである。具体的に言うと、昔の日本社会党に接近し、その後追いをするようなキリスト者の政治運動になった。ところが、日本社会党は崩壊・分裂してしまったから、社会党に凭れ掛かっていたキリスト者の運動も倒れてしまった。こうなることは初めから見えていた。率直に言うが、キリスト教的知恵が足りないため、物を見抜くことが出来なかったのである。
 どんなにマシな政党があっても、政党は政党であって、今は権力を持たないとしても、それを取ろうとしているのが政党である。政治とは理想を権力によって実現するもので、その権力はキリストの支配のもとにあって、権力すなわち悪と考えない方が良いが、キリストの本来の支配は御言葉によるものであって、権力支配は少なくとも若干は常に御言葉の支配と矛盾する。
 権力を用いて悪を制圧し、良いことを行なうのは、国家の本来の意味であるが、教会は霊的に仕えることを通して神の御旨を遂行する。仕えるのは、御言葉への奉仕、すなわち神奉仕と、隣人への奉仕ディアコニアである。隣人への奉仕とは、隣りにいる人が喜んでくれれば良いというものではなく、本当に助けを必要としている身寄りのない人を特別に顧みなければならない。そういう人たちが国家体制の中で必然的に疎外されると断定はされないとしても、往々にしてそうなっている。その欠陥を指摘することは体制に対する反逆であるとされかねない。ここでも悪との戦いが重要な要素であるが、悪に対してであってもキリスト者は暴力的に戦うことをしない。
 そのようなわけで、我々の闘いを見る視点を地上に引き下ろしてはならない。天のところにある悪の霊との闘いとして先ず把握しなければならない。霊的な闘いである。地上的な闘いの要素である憎しみや加害や暴力はあってはならない。では何があるか。愛と祈りと忍耐が主要武器になる。
 
受難を忍ぶ


 暴力的に対抗しないとは、暴力を受忍するということだけではないが、受忍ということを先ず考えて置かなければならない。イエス・キリストは、12軍団以上の武力をもって反対者を制圧することが出来たにも拘わらず、それをしないで、悪しき権力によって捕らえられ、殺されたもうた。これがキリスト者の戦いの原型である。「悪しき者に手向かうな」と言われている。「苦難を忍べ」と言われる。
 ただし、全ての場合にこの原型通りに実行しなければならないと考えるのは正しくない。正常な状態では正しいことと幸福とは結びつく。正しいことを行なって幸福を享受することは罪ではない。しかし、その通り行かない場合もある。その時は受忍する。そして、受忍を経て勝利に至る。それまでは待たなければならない。もう一つ考えねばならないのは、不法に対抗して裁判に訴えることが出来るのか出来ないのかという問題である。
 パウロがカイザルに上訴した実例がある。そのパウロがコリントの信者には、不正をむしろ忍べと勧めている。どちらも考えられる。教会の使命達成が妨害される場合、教会は裁判で闘う場合もある。ただし、この世の裁判所に訴えるのであるから、この世の法律以上の高次な法律による審判を期待してはならない。せいぜい信教の自由が保障されているのに、その自由が侵害されたことを訴えて、原状の回復を要求することが出来るだけである。それでも、こういう裁判に我々が関係することは今後あり得るのではないかと思う。最近、宗教団体の中で行なわれる犯罪行為に警察力が介入するという事例が頻々と起こる。これは憂えるべきことで、宗教団体への警察権力の介入が当たり前になった暁に、虚偽の理由付けをして警察が教会を取り締まることは十分起こり得る。その時には我が東京告白教会は全く霊的な闘いをしているにも拘わらず弾圧されるであろう。
 闘いの一環として裁判闘争も考えなければならない。しかし、今回は時間の関係で割愛し、忍苦だけを取り上げる。

殉教の神学


 どういう形で受忍するかが明らかにされねばならない。ここで「殉教」ということについて考えるのを避けてはならないと思う。我々は率直に言って殉教について考えることを避けて来た。それにはそれなりの理由付けがあり、その理由付けが全て間違っているとは思わない。
 けれども、何かと理由付けをして、殉教について考うまいとしているうちに、殉教が実際の問題となった時にも、少なくとも選択肢の一つに殉教があるということを考えられなくなってしまった。余り深く考えないで、「殉教」という言葉を口にする人がいる。それを揶揄する世俗的反発があり、軽々しく論じてはならないのではないかという慎重論がある。慎重論はもっともである。ただし、このもっともらしさの中に誤魔化しが潜んでいることを見逃してはならない。
 殉教について考えることを差し控えた事情を、今私個人のケースについて語って置く。戦争が始まって、キリスト者は殉教を覚悟しなければならないのではないかといった雰囲気が、教会の中に何となく漂い始めていた時のことである。ただし、そのような考えを促す議論が教会の正論とされていたわけではない。むしろ、その逆の主張、「殉教でなく殉国」という主張が教会の中でもリードしていた。
 それが胡散臭いものだから、キチンと考えて見たくて、キリシタンの殉教について書いてある歴史書を読んだ。戦争で物資が不足し、本が出せなくなり、買えなくなり、人々の興味を引かない売れ残りの本しか本屋の棚に並ばなかったという事情もあるが、誰も買わなかった「日本キリシタン宗門史」という文庫本を私が買って読んだのは、クリスチャンとして関心があったからである。読んでみて、名もない人々が殉教して行くのは感動的であったが、その書物自体が殉教を奨励し、殉教者を生み出した伝道事業を美化するために書かれたことが見え見えであった。その不純さに辟易した。しかも、私は忠実なプロテスタントであろうとしていたから、「信仰の義」を否定する「殉教の功績」という捉え方に反発した。
 実は、私の躓いた二点を取り除いても、殉教を考えることが出来る、いや、そうしてこそ正しく考えることが出来るのだ、と教えてくれる人がいてくれれば良かった。しかし、いなかった。結局、私は教会の中の迷える羊で、キチンと考えられなくなった。戦後になってから、殉教のことを考えなければいけなかったのだと反省することは時々あったが、時間を掛けて考えを煮詰めるに至る前に、多忙に紛れて、考えが散ってしまった。
 昨今、殉教について考えを決めて置くべき最後の機会が来ていると感じているが、本格的に研究して説得力ある殉教論を書き上げるには年を取り過ぎたと思う。それで、説得力ある殉教論にはならないが、私自身は覚悟を固めなければならないと思い、また固めている。それは理論にならず、個人的な覚悟に過ぎないと言われればその通りである。戦争で死ぬ覚悟を決めたのに、死なないで還って来た男が、五十何年経ってから、今度は死を覚悟するのだ、と言っても、失笑を買うだけであろう。それはその通りである。だが、誰もが納得する殉教論があり得るのか。勿論、何事についても反対する人はいるのであるから、殉教論が完璧に仕上げられたとしても、批判を免れない。それは別として、殉教論が教理や理論にはならないのではないか、理論化すると嘘になってしまうのではないかと私は思っている。
 それはともかくとして、今になって思い当たるのは、教会の中には、代表的人物こそが先ず殉教するという順序が何となくあったという事情である。(何となくあったという曖昧な表現が気に障る人もあろうが、これは法則にはならない。さりとて無視して良いと言ってはならない。)例えば、ローマの大火があってキリスト教迫害が本格化した時、ローマの信徒たちはペテロを安全圏に逃れさせようとする。教会が迫害されても使徒が生き残っておれば、教会がまた建て上げられると考えたのである。ペテロも自分の命が惜しいからではなく、教会のために自分が生き残らなければならないと考えた。しかし、一旦ローマから逃げ出したペテロは、キリストととの出会いを経験して、またローマに引き返す。そして殉教する。これが規則や模範になったのではないが、その精神が引き継がれた。
 戦略的には拙いかも知れない。戦争では、下級の者を死なせて上級の者が生き延びるように大体なっている。下級兵士を訓練するに要する期間は3ヶ月、将校を育てるには何年も掛かる。だから、上の階級の者ほど得難い人的資源であるという経済的理由がある。教会にもこの理論が転用されるようである。しかし、教会の闘いは本当はそれと違うのではないか。キリストが十字架に付けられなかったなら、もっと伝道出来たという議論は成り立たない。教会では上も下もないが、謂わば上に当たる代表者がある。それが真っ先に血祭りに上げられる。その覚悟が出来ている人が牧師や、中会議長や、大会議長になるのでなければならない。かつての日本キリスト教会では、大会議長が朝鮮のキリスト者に神社参拝を説得しに行ったし、日本キリスト教団では創立の時、総会議長が伊勢神宮に参拝に行った。これは狂った秩序ではないか。
 現在の日本キリスト教会にそれだけの理解と気構えが出来ているとは思われないが、少なくとも我が東京告白教会では、牧師は迫害の矢面に真っ先に立つ覚悟がなければ、告白教会という名の実を示すことは出来ない、と私は思っている。そんなことをすれば潰れてしまうと言われるであろうが、それでも潰れないで生き返るものこそ真の教会であり、人間の配慮によらなければ潰れるような教会なら、潰れても大したことはないと考えて良いであろう。
 ただし、牧師が殉教予定者名簿の筆頭に上げられているということを、取り立てて語るべきではないように思う。「あなたがたの中で首になろうとする者は、僕にならなければならない」との主の御言葉は、代表者の第一番の犠牲を示唆していると見て間違いないが、犠牲になるということでその人が持ち上げられる危険を考えねばならないし、実際に犠牲にならなかった場合の躓きも考えておかねばならない。戦争中、自分たちは命を捨てるのだと威張っていた軍人が、敗戦の時、醜い行動をしたことは国民の目の前にさらけ出された。また、戦場の経験によると、普段大言壮語している人ほど、イザという時に意気地なくなるものである。教会の闘いでもそうであろう。このようなことは祈りの中で決断され、黙って心に刻んで置き、必要な時に必要な処置が取れるよう準備しているべき原則である。これは法則化や理論化に馴染まないし、宣伝材料にしてはならない。

闘いの秩序


 闘いという時、闘うための戦略、戦術、そして秩序がある。秩序なしの闘いの実例としては、体制に対する反体制の闘いがある。これは「ゲリラ」と言われる。ゲリラとは戦争と言うにたりない小戦争の意味である。体制側は名目だけかも知れないが、一応法規によっている。して良いことと、してはいけないことの区別がある。ゲリラの側には区別がない。今日の市民運動は反体制的というほど戦闘的でない場合が多いが、体制的でもなく、体制の外側に立ち、ハッキリした秩序を持たない。秩序という言葉やその考えに対する嫌悪感が強い。
 キリスト教の闘いを市民的なもの・反体制的なものと見、したがって秩序という考えにこだわってはならないと思っている人が多いようであるが、これは危険である。キリスト教の闘いは教会の戦いであり、教会は国家の体制とは全く異質であるが、秩序を持つから、一つの体制である。
 ここで、先ほど来、話題になっている市民運動のことを少し考えて見たい。我々の社会で「市民運動」といわれるものが拡がったのは近年のことである。以前は、日本人は「国民」という旗のもとに統合され、規制され、クリスチャンも国民として統合される体制の中に自分の居場所を見出そうとしていた。勿論、それはキリスト教のアイデンティティーの喪失にほかならなかった。
 戦後、階級的な見方が労働運動を通じて普及し、戦争を起こすのは支配階級であり、戦争で苦しむのは被支配階級であるから、被支配階級が平和運動をしなければならないという宣伝をした。キリスト教もこれに若干乗ったのである。キリスト教は無産者の側に立たなければならないとか、キリスト教と社会主義が結び付かなければならない、というような主張が声高に叫ばれもした。そして教会の体質そのものは階級制という考えに馴染まなかったので、教会の発表する文書と教会の実際行動が食い違うような場面がよくあった。
 次に市民社会の時代が来て、共産党も階級政党であることを放棄した。政党に指導される労働運動は衰微し、市民運動が盛り上がるようになった。市民運動が政府に出来ないことをやり遂げるという面もある。市民運動が政府のすることを、恐らく良い意味であろうがぶち壊すことも、最近のWTOの総会で現われて来ている。
 市民運動はまだ日本社会には定着していないが、クリスチャンの間で、これはキリスト教に馴染むものだと受け取られている。今年、日米安保の新ガイドラインのことで全国的に反対運動が拡がったが、多くの地域で運動の中心になっている人の多くはクリスチャンであり、政党が呼びかけたのでは集まらない人々が、キリスト教団体や教会の呼び掛けによって集まる。「日の丸・君が代」問題ではキリスト教会が反対運動の中核にならねばならないであろう。
 我々の教会も、慰安婦問題ではかなり踏み込んで市民運動に協力しているが、キリスト者であることと市民であることとは抵触しないから、矛盾を感じないで済む。市民としての奉仕は基本的には在来のディアコニアの枠内で処理出来る。
 しかし、教会の働きが市民運動と同一次元になってしまうのは問題である。教会としては教会の主の命令への服従として市民社会への奉仕をしているのであって、他の人とは発想の原点が違う。その違いをことさらに強調することには意味がないが、「この世に深入りしてはならない」との警告はこの運動においても必要である。
 市民運動を批判することは今は必要ないし、これに携わる人々が善意でかなりの犠牲も惜しまずにやっていることを認めて良い。ただし、我々の場合、市民的行動の基本を問われるならば、「己れの如く汝の隣を愛すべし」という戒めへの服従がある。他の人々においてはその基本がない。せいぜい「ヒューマニズム」だと言われるだけで、ではヒューマニズムの基礎は何かと問うと、何も答えられない。こういう違いは弁えて置かなければならない。
 「市民」というのは、権力によって組織されない民衆のことである。国家から割合自由で、国家よりも人間性を重要視するから、外国人も加わることが出来る。キリスト者は権力によっては組織されていないから、市民であるという一面を持つ。しかし、キリスト者はキリストの王国の民として、キリストの法と秩序によって組織されている。キリスト者が外国と連帯するのも人間性に根差したことでなく、キリストが世界の主であるという点に根差す。このキリストの王国への帰属がキリスト者の間でもなおざりにされている風潮を私は憂える。このような把握では浅薄なのだということを警告する責任が我々にある。教会の靖国闘争が市民運動の次元に下がってしまった問題がある。日基の靖国運動にもその危険が濃厚にある。

建てるための秩序


 さて、教会は教会としての秩序を維持するから、この世の体制と反体制の対立に巻き込まれないが、教会の秩序とは何か。キリストの支配はこの世と異なるから、この世の秩序についての理解を横滑りさせて教会に当て嵌めるのは的外れである。
 教会の秩序については三つの点を見るべきである。一つは「仕える」ための秩序という観点である。もう一つは、全てのことは「建てるため」であるとの観点である。そして第三点として、規律を考えて置きたい。

 1)教会の秩序はあらゆる意味で「仕える」ためであり、闘う教会においても仕えることが見落とされてはならない。勝利の教会は支配するが、闘う教会は支配してはならない。より良く仕えるためにどうするか、という観点で教会内秩序と、教会間の秩序、教会と教会外との秩序は基本的には定まって来る。

 2)オイコドメオーという言葉が教会の秩序のキーになる。これは家を建てるという意味の言葉であったが、教会用語としては霊的な意味で教会の体を建て上げること、及び個々人の信仰を固くすることである。この霊的な意味が薄れると、教会の形を整えることを教会形成と考えるようになる。個々人に関しては、ただ気持ちを傷つけないことだけが建徳的であると言われたりする。
 教会は弾圧との闘いの中に置かれる時、到底、秩序を維持してはおられないのではないかと考えられる。それは一面真実である。今日、教会の会議が教会の闘いの顧慮もなしに、危機を感じない泰平を謳歌するかのように営まれていることに危惧を感じる人がいるであろう。私もその危惧感に少なからず共感する。
 しかし、中会・大会制度は本来16世紀の宗教改革の闘いの中で生まれたものであり、これが最も闘い易い制度であるという事実も無視されてはならない。

 3)闘う教会にとって規律を守ることは重要である。規律は教会がキリストの教会であることの自己確認として必要なものである。これを忘れるならば、教会の闘いは思想的ゲリラになってしまう。規律に関しては論じる時間がないが、その焦点に位置するのが聖晩餐における主の現臨であるということを確認して置きたい。
終り

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