これは1999年10月25日から27日まで、長野県上田市で行なわれた第4回信州カルヴァン・コロキウムの初めに行なわれた基調講演です。
「信州カルヴァン・コロキウム」は毎年10月下旬に開かれています。主催は、日本キリスト教会上田教会四竃更牧師をを中心にこの地方の各派の牧師や信徒が毎月開いているカルヴァンの『キリスト教綱要』を読むグループです。年に一回、他地域からも同志を集めて、泊まりがけで集中的にある主題のもとに学ぼうというものです。四竃牧師が司会をつとめます。
今年は「聖書の権能」がテーマでした。
このコロキウムに来年から参加したい希望者は直接、下記 四竃牧師と連絡を取って下さい。
(上田市大手1-6-1  四竃更牧師)

第4回信州カルヴァン・コロキウム
基調講演
カルヴァンにおける御言葉と聖書


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 『キリスト教綱要』」という書物は、「神認識」(つまり神についての知識)を秩序立てて一つの体系に纏め上げたものである。『綱要』の冒頭に「神認識」と「我々の自己認識」が認識の最も中心的なものであり、両者は共に重要であり、分かちがたく結びついていると説かれている。この二つのうち、「自己認識」には『綱要』のあちこちで言及されているが、『綱要』が主として論じるのは「神認識」である。では、「自己認識」は特にどこで論じられるかと言えば、人間の自由意志を扱う章において論じるところが自己認識の焦点になっていると思われる。『綱要』の第2版(1539)から最終版の一つ前の版(1554)に至るまで、第1章が「神認識」を、第2章が「人間についての認識」を標題とし、原罪、腐敗、自由意志の欠如、恩寵の回復の不可能性をその内容とする。『綱要』最終版ではこの部分は第2巻1-5章に移される。
 認識の重要性に関しては、この二つの間に優劣をつけがたいが、「神認識」に第一の地位があると見られる。だから「人生の目的は神認識である」とジュネーヴ教会カテキズムが冒頭で言う通り、教会の教えを「神認識」の一点に収斂させるのは逸脱ではない。神認識は我々自身の認識と結びついているのであるから、「神認識」と言われていることのうちに、人間認識が、謂わば本体に添う蔭のように含まれていると見ることは容易に承認されるであろう。
 この神認識は「知るに益ある認識」、あるいは「救いを得させる神認識」と呼ばれるものであって、「益」すなわち「救い」に関わる認識である。これは人間の知的作業・探求・思索によって獲得され、紡ぎ出され、練り上げられ、積み上げられた認識ではない。すなわち宗教哲学とは違うのである。
 そのような、救いを得させる神認識は、自然的神認識、すなわち自然を介しての、あるいは生来人間に備わった能力による認識でなく、神が語りたもうことによる、すなわち聖書による認識でなければならない、という論旨で聖書論が始まる。だから、神認識の源泉として聖書を把握し、その位置を確定し、それから順序立てて認識の各項目、すなわち教理の各条項に進む、というのが全体の構造である。なお、人間認識も正確には聖書によらなければ確かなものは得られない。『綱要』の初めから第6章に至るまでの5章は謂わば導入部であって、6章からが『綱要』の本論であると言って良い。それぞれの章の主題は次の通りである。
 6章:「創造主なる神に達するためには、聖書が我々の導き手また教師となることが必要である」。
 7章:「聖書の権威が確信されるために、如何なる証しによって保証されねばならないか。その証しは聖霊である。そして、聖書の信憑性が教会の判定に依存しているというのは不敬虔なつくりごとである」。――この部分がカルヴァンの聖書論の中核部分である。
 8章:「聖書の信憑性を確立するために人間理性の達し得る限度内で、十分確かな証明がなされる」。――聖書の証しとなるのは聖霊であるが、人間の理性もある限度内では役に立つのである。この部分を読む人は物足りなさを覚えるかも知れない。私はその感じを否定する者ではないが、この章でカルヴァンがどんなに敬意を払いながら聖書を読んでいるかが分かると思う。
 9章:「狂信者たちは聖書を却け、直接的啓示に飛び越して、一切の敬虔の原理を転倒させる」。――この章には今回のセミナーでは入らない。この章にはカルヴァンの特色がある。後期の版に詳しく論じられるようになったのであるが、ラディカルな改革者と対決して、聖霊による直接啓示に飛び越して行く危険を指摘し、言葉の優位と「書かれた聖書」に固着する。
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しかし、聖書論も、本論というよりは序論であると見ることは出来る。ただし、それ以前の章が導入的序論であったのとは違って本格的序論である。基本的教理条項の中に聖書についての教理が入るのか入らないのか、これは深刻な対立を生む相違ではないが、二つの考えがあり得る。例えば、ジュネーヴやハイデルベルクのカテキズムは聖書論を教えない。それでいて、聖書の上にシッカリ立った教えをしている。これらは初歩的教理を教えるためのカテキズムであるから、教理の前提としての聖書論は扱わなかったのである。
 『綱要』はもとカテキズムの拡大版というべきものであるから、やや学問的に「基礎論」として認識の起源や、それを起源として設定することの妥当性を扱う部分、聖書についての教理は初めは含まれていなかった。当時のカテキズムの一般的性格から言えば、カテキズムは初歩的基礎教理の教材であるから、使徒信条、十戒、主の祈り、サクラメント、等の項目について解説すればよかった。
 だが、もっと丁寧に論じる時には、聖書論を全ての教理の要目の入り口のところで論じておく必要がある。すなわち、神認識がどこから来るかを明確にするという聖書の位置づけである。
 これが本論に入るのか序論に入るのかについては今回は議論しない。しかし、序論であるとしても、省略して良いという意味にはならない。少なくとも教会の教えの務めを担う者は、務めを遂行する姿勢を整えるために、聖書論を明確に把握して置かなければ、源泉に依拠する教理を確実に教えることは出来ない。
 今日、教会が霊的に疲弊していると言われ、私もそれに同感であるが、教会の霊的疲弊は教えの疲弊の結果である。そして、教えの疲弊は聖書論の弱体化に基づくのだと私は思う。説教者自身が書かれた御言葉である聖書から聞くという姿勢を確立していないから、伝えるべきことが伝わらないし、伝える者の立場が確固たるものとならない。
 この問題は三つの面に分けて考察すべきであろう。
 1)一つは「自由神学」と言われる流派の人たちの問題である。彼らの間では聖書の権威は信じられていない。聖書は古代ユダヤに成立した個々の文書が一つに統合されたものであると見ている。この文書に様々の分析が加えられ、文章は解体されて、個人の思想や社会思潮へと分解される。この立場と方法に対応して、取るべきところがあるかどうか、反論すべき点は何かを明らかにする必要がある。
 2)第二に、聖書の語る事柄(ザッヘ)の重要性を忘れていないけれども、書かれた聖書の文字と正典性への固着にさほどの重要性を置かない人たちがいる。確かに、教会の原初の福音宣教はザッヘに接した者の証言であって、書かれた文字を読み解いた者の講釈ではない。しかし、第二世代以降は、書かれた文字によって言葉のリアリティーに触れた者の証言である。書かれた文字は副次的なものでなく、参考資料でもない。説教の唯一の源泉である。
 3)第三に、自由神学に対して敵意を示しはするが、書かれたテキストへの密着を疎んじる人々がいる。福音派と称するリヴァイヴァリストの中にこういう人たちがいる。彼らは聖書の霊感や権威という合言葉はしきりに口にするようであるが、実際に語るのは恣意的なアッピールであって、聖書テキストの文脈に則して読む修練を放棄している。合言葉は空しい御題目になる。

 ここで、『綱要』の各版で聖書論がどう扱われているかを瞥見したい。
 1536年の『綱要』初版は全体に亘って聖書の引用に満ちているが、聖書論はない。1539年の第2版では第1章「神認識について」に数ページに亘って聖書論が述べられる。1543年から45年の版においては、基本的には先の版と同じである。1550年から54年までの版も基本的には同じで、やや詳しくなった。
 1559年の決定版では抜本的に構成が改められ、今日見ることが出来るような形になった。以上、形の上で触れただけであるが、カルヴァンが聖書論をだんだん詳しく論じるようになった過程がこれで十分分かるのである。
 宗教改革における聖書論の必要性は、改革の第二段階に至って自覚されたものであることは周知の通りである。最初は改革のメッセージ、あるいはやむにやまれぬ叫びだけであった。『九十五箇条の提題』はキリスト者の生が悔い改めそのものでなければならないことだけを主張した。その悔い改めの理論を深めて行く中で、ローマ・カトリック側が悔い改めを「教会法」に基づく行為として主として捉えるのに対抗して、「信仰によって義とされる」という確信を宣言する必要が生じた。これが改革すべき中心的教理条項の主張であった。
 次に、この改革要求に対してローマ・カトリックの論客は要求の根拠がないと言って拒否する。彼らがいう根拠は教会の伝統であり、諸会議における同意であるのに対し、改革者は教会に対して他者であり、教会を越えている「聖書」こそが根拠であると言った。それに対し、ローマ側は聖書の権威を立てたのは教会であって、教会の権威が優先すると主張するので、改革者は聖書の権威を立てた。これが聖書論の形成過程のあらましである。
 一方、宗教改革に触発されてラディカルな改革要求が現われる。このラディカリズムの根拠は霊の直接啓示である。これは聖書論を飛び越える。しかも、ある面ではカトリックの主張と通じ合うところがある。そこで宗教改革は1520年代末期以来二つの正面の敵と戦わなければならなかった。こうして宗教改革的聖書論の骨格が形成される。
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 それでは、自然的神認識はどうなのか、という疑問があるから、答えて置かねばならない。改革派神学においては、自然的啓示は理論的には肯定される。『ベルギー信仰告白』(1561)の第2条にそれが掲げられる。「我々は神を二重の方法によって知る。すなわち第一に、全世界の創造と保持と支配において、(中略)第二に、神の聖なる御言葉において、遥かに明らかに且つ十分に我々に知られるべく差し出された。(以下略)」。
 近世の初期にオランダのプロテスタントの中で自然科学の開拓的研究が盛んであったが、これを促したのは上記信仰告白であったという解釈が行なわれている。この説の真偽を私はまだ検討していないが、間違ってはいないと思う。
 ただし、自然的啓示はあるが、それが自然的神認識を成り立たせるものではない、ということもハッキリしている。「神について知るべきことは被造物において明らかであるから、言い逃れの術はない」とローマ書で言う通りである。この聖句にカルヴァンも『ベルギー信仰告白』も準拠している。
 ここで「認識」(コグニティオ)という言葉についてのカルヴァンの理解に関して、若干の注釈を差し挟む。
 認識という事柄についての理解が近代とそれ以前とでは違うという事情に触れて置かねばならない。古代以来、認識は対象の模写であると考えられていた。対象としての実体があるから認識が成立する、というのである。しかし、近代の理解では認識があってこそ存在があるというふうに把握される。理論的にはカントが認識の構造を解明したのであるが、哲学者の間の認識論と一応別に、人々の間の通俗的理解でも、自覚されないままに客体と主体の転換が起こっている。
 昔の理解では、神があるから神認識があり、神が神認識という行為を成り立たせる主体であると捉えられていた。近代においては、多くの人は神認識の主体を人間だと思っている。我々の内にもそのような観念が知らず知らず入り込んでいる。神認識が客体的なものでなく主体的でなければならない、というような主張が堂々と唱えられるが、その意図は理解出来るとしても混乱がある。この点くれぐれも用心しなければならない。近代的な意識を持ち込んでは問題が複雑化する。持ち込むならば、それなりに入念な処置をしなければ、計算ミスを犯す。実際、そういうミスを犯す人が少なからずいる。 現代に生きる我々は、近代以後の状況に置かれているのだから、近代的な思想と無縁であるかのように思ってはならない。近代的思考の残滓がかなり残っている。反近代主義を叫んでいる人にも近代的な思想が入り込んでいる。しかし、今回は近代的な認識理解にどう対処するかというような哲学的問題には関わらないで置きたい。したがって、問題を単純化して、カルヴァンが考えたように、神が主体であるから人間の神認識がある、という立場を取って置く。
 神が主体であって、神が認識を授けたもう。我々が「認識する」のは、神によって「認識させられる」からである。さてその認識させる方法としては、全く直接・無媒介な手段、すなわち「直観」もあるが、これは今回取り上げない。神学では扱いきれないからである。直接的でないとすれば、媒介によるのであり、「言葉」による認識と「事物」による認識とになる。
 「事物による認識」と言ったのは、前述の自然的神認識である。事物しか見えないのであるが、人は事物の背後に事物を超えた超越者としての神存在を、謂わば、チラッと垣間見るのである。しかし、そこでは、せいぜい事物の創造者・支配者としての超越的神存在に対するある思いしか得られない。したがって認識の確かさはなく、持続がない。また、救い主としての神を知る認識は殆どない。多少それに関する思想が追求された例はあるが、獲得されたのはあやふやな想念・期待であって、この認識には確かさがない。祝福の欠如のもとにあっては欠如する祝福への憧れが強いが、憧れがあることと、祝福に満たされていることとは、あくまで別である。
 確かな神認識は、神から語り掛けられる「言葉」による認識である。謂わば、源泉から水が流れ出て潤いを与えるように、神からの言葉によって神認識が人々を潤おす。では神の言葉とは何か。最も素朴な形では、神の語り掛けである。例えば、アブラハムに「父の家を離れて、私の示す地に行け」と言われる。モーセに対して「私はヤーヴェである」と言われる。それは聞いた人の心に刻まれ、終生持続するものであるが、それだけでは聞いた人だけのものに終わる。この形は「託宣」と呼ばれる。
 神からの語り掛けを聞いた人は、その言葉を共にいる人々と分かち合う。だから、アブラハムの妻も、アブラハムが後見人となっていた弟の子ロトも、僕たちも、出発する。託宣は多くの場合、特定の個人に与えられるのであるが、届く範囲は個人に留まらず、その個人の位置を占める共同体に及ぶ。共有、分かち合いという原理がある。
 それと共に、アブラハムはこの言葉を次の世代に語り伝え、次の世代はその次の世代に語り伝える。この伝承はアブラハム一族の謂わば世襲財産であるが、アブラハムが聞いたと同じ効力を伝えられる人々の間で持つ。直接に託宣を受けた者と、伝承によって受けた者とでは、印象が大違いではないか、と思う人は多いであろうが、「印象」というものが神の言葉の伝達においてどれほどの意味を持ち得るであろうか。印象を位置づけるのは近代思想である。
 この伝承がやがて書き留められる。ここで重要なのは「書き記せ」との神の命令があることである。伝えられた人、聞いた人が、忘備録として書き留めるというのとは根本的に違う。その文書が集積され、「聖なる書」と呼ばれるものとなる。書き留められた言葉も、最初聞いた人に対すると同じ効力を持つ。すなわち、神認識を成立させる源泉となる。
 書かれて「文字」となるところで重大な変化があったと見る見方がある。IIコリント3章の霊と文字を対置させる扱いから、影響を受けて、アウグスティヌスの「霊と文字」の思想を介在させて、『綱要』第1篇9章で批判される人々に繋がる思想系列がある。
 今日では言語を文字から解放する考えが普及しているから、音声として聞いたものと文字になったものの違いが考えられている。音声と文字の違いは宗教改革でも意識されていて、「ヴィヴァ・ヴォックス」という語が強調された。この言葉は説教を指すのであるが、言葉自体は書き留められる前の言葉にも当て嵌まる。そして、宗教改革では文字とヴィヴァ・ヴォックスとの一致が捉えられていた。この捉え直しが今日手薄になっている。言葉を文字化する意義、文字の有効性について今日、議論がもっと深まらなければならないと思う。
 聖なる書が正典という性格を帯びるまでには歴史的経過がある。たしかに、正典という観念は時代が進んでから出来た。しかし、それ以前のテキストが正典になることによって意味内容が変質したわけでは決してない。
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 そのように認識の構造が明らかになった上は、認識の源泉の権威を論証しなければならない。ここで持ち出される論証は、第一に書き留めることが神の意志であるということである。人間のメモではない。歴史史料でもない。勿論、これを史料として用いることは出来るが、本来はそのためではない。
 第二に、書かれるのが神の意志への人間の服従としてなされるだけでなく、神が御霊の働きによって文書を成立させたもうという点が重要である。聖書の霊感という理解はテモテに宛ててのパウロの手紙によって知られるが、パウロの考え出した説ではなく、それ以前のユダヤ教から受け入れられていたものであることが分かる。
 「聖書の霊感」はカルヴァンによって特別に力説されて、「聖書霊感論」を立ち上げることはなかった。カルヴァンは霊感を勿論信じているが、霊感論を強化する必要を感じていない。生ける御言葉を聞き取っている者には、この文書が霊感によるという由来の説明はさほど必要ではない。カルヴァンよりも17世紀の改革派、また16世紀では改革派よりもルター派の一部に強固な主張が見られた。
 カルヴァンが強調したかったのは、聖書の霊感起源ではなく、聖霊による聖書の権威の証しであった。また聖書を読む際の聖霊による照明イルミネーションであった。
 聖霊によって書かれたとは、聖霊によって読まれなければならない、という意味にもなる。このことは後でまた触れるが、聖霊によって聖書は初めから権威を備える。
 書き留めることによって証拠を残すという意味もある。すなわち、契約の証拠である。だから、人間が書き加えてはならないし、書かれたことを削除してはならない。契約の改竄になるからである。
 しかし、文書があるというだけでは、それは唯の文字ではないのか、と疑われるかも知れない。ただの文字ではない。そこに聖霊の証しが伴うのである。しかし、それと共に、理性で出来る限りの論証をしなければならない、とカルヴァンは言う。
 今回のコロキウムの主題に「カルヴァンにおける聖書の権能」が選ばれたのは、今日キリストの教会において聖書の権威が無視されているという事情、したがってまた信仰の曖昧化と崩壊、それに対する危機感があり、信仰を取り戻し、聖書の権威を再建しなければならないとの志があるからだと私は思う。
 現代の問題に16世紀のカルヴァンが答え得るのか、という問いを持ち出す人がいる。その人がカルヴァンと同一の路線を守っているなら、その問いに答えなければならない。しかし、カルヴァンとは別の見解に立って、ただ古い神学は新しい事態に役立たないという理解に基づく揶揄を述べるならば、取り上げる必要はない。我々にはそれほどの暇はないからである。
 カルヴァンがかつて言ったことを再確認すれば、今日の問題が解決出来る、というふうには我々は考えない。一つには、昔の人の言った言葉を繰り返したとしても、必ずしもそれを本当の意味で自分のものにしているとは言えないという事情があるからである。これは歴史に学ぶ学びが持つ本質的な問題である。昔の人は歴史の機能を先ず鑑として、すなわち、それに照らして今の己れを知る手段として理解した。この点では今日なお十分に有効である。
 そこから派生することであるが、鑑にはまた一つのサンプルの意味がある。その主要な任務は現代のサンプルと衝き比べて見ることである。具体的に言うとカルヴァンが聖書の権威を真剣に論じていたのに今の我々はどうなのか、ということになる。
 鑑にはまた、模範という意味がある。そこには、倣うべき、模倣すべきものという意味が含まれる。つまり、今の人がソックリのミニアチュアになる。この面では確かに問題がある。時代錯誤という一語で退けられかねない。
 だが、ある意味で模範であるということは言った方が良いと私は考える。模範は努力目標であって、我々には努力が足りないから、必要なのである。
 我々が今日直面する聖書問題には、カルヴァンの知らなかった局面も少なからず含まれているから、そのままでは役に立たないと言われるのはもっともである。したがって、我々が今日における回答を出す場合の指標・指針となるという点では確かであるが、今日における理論構築としては、叩き台として用いるに過ぎないという限定がある。カルヴァン以上にこのことに有用な聖書論を書く人がいてもいっこう差し支えはない。ただし、我々はカルヴァンを学ぶ中で今年は聖書論を選択したのであるから、今年だけカルヴァン以外に乗り換える必要はない。
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 カルヴァンの聖書論で現代人に不満足感を与えるものの一つは正典論であろう。では正典論で我々がどれだけカルヴァンを乗り越えたのか、と問われるならば、少なくとも私自身に関しては、カルヴァンの考えた線から殆ど進んでいない。カルヴァンの時代に正典と経外典の区別はすでにあった。カルヴァンが聖書と言う場合は殆ど正典と見て間違いない。彼は説教では経外典を解き明かすことはしなかった。だが、経外典の排除はしていない。経外典は特にカトリックとの対立の中で教理条項の源泉としては排除されるだけである。ジュネーヴの牧師たちが改訂に改訂を加えていた『ジュネーヴ聖書』には経外典も含まれる。経外典排除の姿勢が打ち出されたのはカルヴァンの晩年、あるいはカルヴァンの後継者の世代になってからである。
 カルヴァン研究者の間でもまだ明らかになっていないのは、旧約聖書の原典を扱う神学の問題である。旧新約を統一的に見る見方は古くから定着していた。それはラテン語の『ヴルガタ聖書』のお陰である。ところが宗教改革は『ヴルガタ』がカトリック教会によって教会の聖書に対する優位の証拠として用いられることに反発して、『ヴルガタ』がなくても聖書はある、という態度が取られる。この主張が周知のように二方面に展開される。一つは、民衆梧への翻訳である。もう一つは原典への回帰である。
 宗教改革が新約研究において早くからギリシャ語原典に依拠しようとしたことは周知の通りである。だが、旧約はヘブル語で研究しなければならない、という線はそう古くからはなかった。ヘブル語原典からの翻訳をするだけの学問水準はキリスト教会になかった。初期宗教改革の旧約の翻訳はヘブル語原典によっていない。
 プロテスタントの中でユダヤ教のラビについてヘブル語を学んで、ヘブル語研究が進んだのは1530年代である。今この事情について詳しく述べることは省略するが、カルヴァンはヘブル語原典で旧約を研究した第一世代の神学者である。
 ここに起こって来た大きい問題は、ヴルガタ聖書とマッソラ・テキストとの文言の食い違いである。この食い違いを、かつてはヴルガタの翻訳としての不完全性ということで片付けていたのであるが、今日では『ヴルガタ』の元になった七十人訳、そして七十人訳の元になったであろうところの、失われたもう一つのヘブル語原典以来の系譜の違いの問題として考えるようになっている。こういう問題があることすらカルヴァンは知らなかった。だから、我々にとって解決は難しい。カルヴァンに則しているだけでは解決出来ない正典問題が今日あることは事実である。
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 今日における聖書の権威の崩壊は啓蒙時代に端を発すると言われることが多いようであるが、私はまだ良く解明出来ていないながらも、もっと前から進んでいて、啓蒙期からそれが露な形を取り始めたように思っている。したがって、福音派の人たちは自由神学に反発して聖書の権威に対する信仰を自分たちは守っているように言うが、額面通りには受け取れない。つまり、「聖書の権威」、「聖書は神の言葉である」という条項を受け入れているかどうかではなく、神の言葉である聖書に則した、どういう説教をしているかによって判定しなければならないからである。
 この夏、教理教育学校で「歴史における福音の説教」という題の講演を課せられて語ったのであるが、その講演と同じ構想の話しをここに挿みたいと思う。ことが説教の問題になって来たからである。
 その構想とは、簡単に言えば、説教が救済史の中に位置づけられていることの強調であった。神がおられ、神の民がおり、神の民に向けて神が言葉を語りたもう。救いの歴史の初めから終わりまでこれが続く。そういうものとして神が昔イスラエルの父祖に語りたもうた託宣も、それについてイスラエルの親から子に語り伝えられた伝承も、伝承の文字化も、新約の福音書伝承も、その記述も、今日の説教の課題も、理解し、実践する。こういう発想であった。今回も、御言葉と聖書を救済史の中に位置づけて我々は捉える。この捉え方が最も分かりやすいし、間違いも少ないのではないかと思う。
 この歴史的把握の中で重要な位置を占めるのが宗教改革的御言葉理解である。神の言葉の解き明かしの説教は神の言葉である、という表現は改革者ハインリッヒ・ブリンガーが『第二スイス信仰告白』の中で述べたものであるが、これは宗教改革における共通認識であった。ルターも「生ける声」としての説教を重視している。
 宗教改革の聖書主義は、教会の伝統を重んじるという言い分によって教会が自己改革の拠り所を見失ったことに対する反発である。伝統は教会の中で受け継がれているものであるから、伝統重視は教会自身の声に聞き従うことになる危険が非常に大きい。したがって、教会の外から教会に対して適応される客観的な尺度がなければならない。それは聖書として古くからあったのである。
 しかし、これで聖書論が完成したと見てはならない。尺度・規範という機能があることは確かであるが、聖書は単にそれだけではない。それは生ける声となって鳴り響かなければならない。宗教改革の聖書論はそこまでを射程に収めたものであった。
 近代的理性が重要視されて以後、聖書の権威が揺らいだと言われることがあるが、上に述べた神の言葉の語られる歴史の大枠を踏まえている人には、動揺は起こらないはずである。聖書の権威を疑う考えの手掛かりは、福音書の食い違いという事実と、それを追及する分析的研究方法であった。
 福音書の記述の食い違いは昔の人も十分気づいていた。その矛盾を指摘する批判者は昔もいた。しかし、彼らはそこを矛盾としてでなく、ハーモニーとして見た。異なった福音書記者の手を経ることによって、異なった記述になったが、本来は一つなる神の言葉であるとして読む人は動揺しなかった。
 聖書を批判的に読む人は昔の人が聖書の含む矛盾に気付かなかったかのように思っているが、これは事実誤認である。昔も、少なくとも16世紀以後の本文釈義においては、違いは分かっていた。しかし、分析に終始せず、綜合を行なう。つまり、神の言葉として聞くのである。
 聖書が神の言葉として聞けなくなったのは不信仰による、と言ってしまえば、それきりであるが、歴史的推移を見て置く必要がある。一つには、聖書を神の言葉として聞かせる務めが教会において十全に機能しなくなったという推移である。教会の宣教機能の衰退であると言えるのではないか。なぜそうなったかのプロセスも追って行かなければならないが、私にはキチンとしたことがまだ言えない。恐らく、教理とパイエティーの分離という問題があるのだと見当をつけているだけである。
 もう一方で、聖書研究の対象である聖書が単なる文書として扱われるようになった。すなわち、以前は聖書研究は聖書の内容を聞き取ってこれを神の民の中に鳴り響かせるためのものであった。近代的な学問の普及によってその構造が崩れて、学問のための学問の一端としての聖書研究になってしまった。
 批判的方法に問題があるように先に言ったが、方法には確かに問題があるが、その方法を用いる研究者がどこに立っているか、その姿勢がどうであるかに大きい問題がある。神の民が神の言葉を聞く歴史の中で聖書に聞き続けるという姿勢がなくなったのである。こういう姿勢の回復は絶望的ではないと私は考える。
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 カルヴァンは理論をもてあそぶ人でなかった。ということは、彼は終始生ける神を問題にしていたし、生かされている人間、その集まりである教会を問題にしていた。したがって、神概念や人間概念を論理的に処理して提供することは、彼にとって関心外の遊びであった。神が働く神であるという点がしばしばカルヴァンの思想の特色とされており、それに特に異論を唱えるつもりはないが、働く神よりも「私は生きる!」と言われる神である点にカルヴァンの神理解の中心がある。このことが今回の学びを実りあらしめるための第一の前提である。この前提抜きで聖書について語ることは我々にとっては意味がない。
 生ける神はまた、「語る」神である。神は今も語りたもうのであって、かつて語りたもうた、というだけではない。キリスト教は神がかつて語りたもうた記録を大事に保管したり、それに忠実に注釈をつける作業をしているのではない。
 神が今語りたもうとは、今日においては特に説教の問題になる。神が直接語ることは終わったとは言わぬが、その大部分は文書化され、それの解き明かしが宣べ伝えられるので、聖書論は説教において神が今語りたもうことと切り離して論じることは出来ない。説教は聖書を解き明かすことであって、先ず説教者による釈義があり、それを踏まえて説教に仕立て上げられるのだという理解が一般にあるが、説教者の作業としてはそれで良いとしても、甚だ不十分な理解である。
 今回は説教論が主題なのではないから、説教についてはこれ以上触れないつもりであるが、神が今も語りたもう事実を片時も忘れないようにしよう。そうでなければ、説教はかつて語りたもうた神について語るものになってしまう。これが第二の前提である。
 神は無に対しても、悪魔に対しても、語り得たもう。したがって、神の語り掛けの対象を限定することは出来ない。しかし、それは抽象的理論であって、実りある知恵としては神の語り掛けの固有の対象があると理解したほうが良いであろう。その固有の対象は天使ではない。神が語り、それを最も正しく聞き、また服従するのが天使であることは言うまでもないが、天使のために聖書が与えられたのではない。天使にはその必要がないのである。
 次に、一般の被造物、また人間一般に対して神が語りたもう場合があり、それには如何なる存在も耳を閉じてはならず、また従わないわけには行かないのであるが、これらも御言葉の固有の対象であるとは言えない。神の語り掛けの固有の対象は「契約の民」である。聖書が教会において正式には旧・新の契約の書と呼ばれるように、契約の民に与えられた契約書である。
 このことは、明確に神との契約関係を意識しない人にとって聖書は意味がない、と言おうとするものではない。聖書は封印された書ではないし、限られた人しか読んではならない秘められた書ではない。口頭で伝承されていた間は限られた共同体の中でしか聞けなかったとしても、書かれたからにはオープンな書となったのである。書かれたとはコピーを取ることが出来るという含みである。書かれた聖書は、印刷術の発明以前に、全ての教会で公に朗読されていたのである。だから、印刷術が発明された時、第一号の出版物は聖書であった。経典をこれほどオープンに扱う宗教は他にない。今では誰でも金を払えば聖書を買うことが出来、自分の好きなように読むことが出来る。それが神の御旨であると主張する明白な根拠はないが、定価をつけて本屋で売られていることに対し異議申し立てをした話しを聞かないし、我々自身も躓きを感じることはない。それは神の民の外の社会の事柄であって、適正な値段で販売されているなら何も言うことはない。
 神との契約関係に生きていない人にとって、聖書は古い書物の一つである。一つの古典としても十分尊敬をもって読まれるに相応しい。彼らは古典としてこれを読む他ないが、古典として読むうちに、他の古典との違いが次第に見えて来て、もはや相対化して読むことが出来なくなる場合があることは我々の知る通りである。人々が単なる古典として聖書を読んでいることを我々としては必ずしも歓迎出来ないのであるが、異議を唱えることは出来ない。文字になり、書物になり、売買されるものになったのは成行き上己むを得なかったことだ、とは考えていない。
 説教は今日においても、第一義的には、契約の民に対する契約の神の語りかけである。説教の度ごとに契約の更新・再確認が起こる。そういうものとして聖書を教会に読ませる務めが御言葉の仕え人にはある。しかし、契約の民の外にいる人に聖書を読ませ、分からせることが務めであると理解している説教者が多い。
 実際問題としては、未信者も信者の群れに加わって御言葉を聞く場合が多い。その場合、未信者を排除することは間違っている。だが、未信者が説教の主たるターゲットであるとするのは誤りである。群れに加わった者には初めは分からなくても良い、というふうに割り切るのは適切ではないが、彼らは神の民とせられたからには、分からなくても分かるのである。説教者は分かる以上のものを与えることが大切である。それを抜きにして、理性で分からせようとのみ努力する時、分からせることも出来ず、「分かる」という以上の生命的なものを与えることにも失敗するのである。
    おわり
 
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