東京告白教会長老・執事・委員研修会
基調報告講演1999.09.23

「少数者の教会のディアコニア」

渡辺信夫


   
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 我々の教会が少数者の教会たらんことを目指している、と言うのは必ずしも正解ではない。我々はただキリストの教会であろうとし、この目標を自己を偽ることなしに実行しようとし、その結果、小さい教会になって行く現実があるから、その現実を受け入れているだけなのだ。
 ただし、殆ど本能であろうが、自分の側を大きくし、多数者になろうとする願望が我々に根強く あるので、それを克服するためには、「敢えて少数者たらんとする」という気張った言い方を選ぶ場合も生じる。そこに誇張があると見るのが正しいであろう。しかし、それなりの意味があって誇張がなされるのであるから、その点も良く弁えておきたい。誇張を自ら認める物分かりの良さによって、強調すべき点を弱めるならば、その人自身の見識の高さを売り込むことにはなろうが、教会のためにはならない。
 ところで、教会が小さいという現実と、ディアコニアの実践とは両立できないのではないか、と多くの人は考える。常識的には、納得できる議論である。それなら、少数者の教会はいつまで経ってもディアコニアの実行に踏み切れないのであろうか。今日まで、日本の教会がディアコニアに真剣に取り組まなかった理由は、主としてそこにあったのではないかと思う。
 少数者であることとディアコニアとは矛盾する、と一般に考えられているこのディレンマを乗り越えなければ、教会は委縮し、ディアコニアの理論は空中分解する。我々は我々の教会のディアコニアだけでなく、日本の多くの教会のディアコニアに役立つような、真理に適った学びを今日したいと思っている。
 我々は理論的・原則的には、一応そのディレンマを乗り越えて来た。すなわち、教会は先ず自立体制を確保した上でなければ、対外的な奉仕は出来ないという間違った思い込みがあるから、ディアコニアを始めることが出来なかったのだと我々は考えた。どんなに小さい群れでも、御言葉が語られねばならず、御言葉を宣べ伝える務めが機能していない所に教会はない。そのように、本来、ディアコニアのない所には教会はない、と言うべきである。だから、どんなに小さい群れでも、教会であるならば、御言葉が説教されるとともに、ディアコニアが行なわれなければならない。これは原則としてハッキリしている。
 今言ったことは、一人の人間に還元して見れば、また良く分かるのではないか。御言葉を聞き始めた人は、まだ初歩だとしても、キリストの後にしたがって歩み始めた人であるから、助けを必要とする人を見たなら、成長するまで待ってもらうのでなく、その場で助けずにおられない。小さい群れでも、御言葉を聞き始めたからには、ディアコニアが始まるはずである。そうならなかったのは、ディアコニアが付け足しの機能であると考えられたからである。これは教会理解の根本的欠陥である。
 ただ原理を論じて、欠陥をあげつらうだけでは、解決にならないのみか、批判を受ける人をますます委縮させるほかないかも知れない。これではディアコニアの目的からそれてしまうので、原理論に今は深入りせず、小さくてもディアコニアの実践出来る道を開拓しなければならない。
 さて、今日の主題から予想される内容として、少数者は能力が乏しく、作業能率も悪いので、あれもこれもすることは出来ない。自分たちに出来る範囲で、なすべきことは何かを絞らねばならない、との前提に立って、「少数者にも出来る奉仕は何か」を探すのが今日の研修会の課題であると取る人が多いかもしれない。この発想を却けるつもりはない。しかし、それを裏返した発想も出来る。それは、「少数者だからこそ出来る何かがある」という着眼点の獲得である。この方が我々には相応しいのではないか。おもにこの発想にしたがって見て行きたいと思う。
 
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 ところで「少数者にも出来る奉仕は何か」という発想から生じる一つの具体的な線は、少数のキリスト者が中核となって、キリスト者でない多数者をも抱え込み、教会外の資金も導入して、法人を設立し、奉仕事業を起こすという行き方である。我々の周囲で「キリスト教的事業」と言われているものは大部分これである。
 少数者には何も出来ない、との諦めをこうして打開した知恵と勇気は素晴らしい。また、少数者の言い出したことであるのに、外部の人々が協力したのは、信頼を得ていたからであって、少数者であるにも拘わらず評価を得る実績を作っていたことも貴い。
 日本で見られるキリスト教的医療法人、福祉法人、学校法人はすべてこれである。法人の理事のうちの一定数はキリスト者であるが、全員キリスト者である場合は殆どない。教会外からの資金導入のために、キリスト教に理解のあるノンクリスチャンの有力者が参加する。施設を運営するスタッフも大部分ノンクリスチャンである。多くの場合、国や地方自治体からの財政援助があって運営されている。したがって、文部省、厚生省、その他から指導を受けることにもなる。
 だが、国や地方自治体の財政援助で、経営は成り立つとしても、キリスト教的特色を発揮することは出来ない。そこで、キリスト者の職員にはキリスト教的犠牲が要求されると共に、外部で理解してくれるキリスト者の間に募金を訴えて、キリスト教らしい奉仕活動を維持して行く。
 今、この行き方を批判しようとは思わない。実際には経営優先主義に傾き、数々の歪みが起こる場合があるのだが、今はそれをあげつう場でない。むしろ、良い働きをしている団体が少なくないし、キリスト教主義でない団体と比較して、一般にも「良き聞こえ」があると見ておこう。学ぶべきことは多い。我々がその事業を援助して、キリスト教的特色を発揮させるために協力する必要は大いにある、と言いたい。教会はこのような事業に、人材の提供や精神面での協力を惜しんではならない。
 日本のようなキリスト者の少ない国においては、この方式はキリスト教国におけるよりも必要度が大きいのではないかと思われる。今後、盛んにこそなれ、衰退して行くことがないようにしたい。宣教団体が全額の資金を持って来た昔はいざ知らず、今では、キリスト者だけの自己資金でひとかどの大学や総合病院を建てることは出来ない。とすれば、これらの部門からキリスト教は手を引くほかない。また、キリスト者だけの閉鎖的事業団体でなければ、奉仕にならないのかどうか。これは別に検討すべき問題であろう。
 ただし、教会の直接のディアコニアとしては、このような純粋に信仰告白共同体でない活動団体を作ることが本来の道だとは思われない。ディアコニアは宣伝のためのものではないが、一種の信仰告白、また一種の宣教活動である。そこでは教会の主体性が必須条件である。
 教会のディアコニアから始まった事業であって、今日では国の援助で大部分の運営費を賄う機関になっているものも少なくない。それが教会の手を離れて別の法人となっている場合、我々が干渉することはない。だが、例えば、どこかの教会の幼稚園が学校法人となって外部の援助と監督を受ける場合などにつては、教会のこととして黙っておられないかも知れない。教会の保育園が福祉法人として地域における奉仕活動をすることについても、監督機関からの干渉が始まったことが報告されている。――このような干渉は当事者の認識不足から来ているので、それをキチンとたしなめる見識がこちらに必要である。
 さらに具体的に我々とも無関係でない問題として、近年、NGOやNPOへの政府補助が具体化され始めている。教会のディアコニアはNGOやNPOに該当するから、そういう援助は受けて良いのだという意見が今後出て来るであろう。私はこの場合、補助を受けることが絶対に間違いと言い切れるかどか確信がないが、かなり警戒感を持っている。少なくとも、現在の日本国家は教会のディアコニアを理解して補助するだけの精神性・道義性を持っていない。先進国に遅れをとっていては恥ずかしいという国益追求が主たる動機になり、政府の果たし得ない国際的奉仕活動を民間団体に下請けさせようとしているだけに思われる。したがって、補助を受けると、国益のための貢献が要求され、目的は容易にすり替えられる。我々は基本的には「教会と国家の分離」の線を守りたい。
 「教会と国家の分離」原則は形式的なものではなく、我々の考えの実質をなすもので、教会の霊的性格、あるいはアイデンティティー、教会が教会であることの維持に関わるものであり、したがって、これによって教会の姿勢を正すのみでなく、教会の実践を考えるその考え方の基準として整えておかなければならない、と私は思う。
 具体的なことで一つ触れて置かねばならないのは、ディアコニアのために教会と別な福祉法人を設立しなければならないという考えは我々にない、ということである。それを絶対的に拒絶するとまでは言わないが、今のところ考える必要もないし、将来も考えないで置くことが出来れば良いと思っている。法人組織にすると免税措置を受けることが出来、経済的援助も得られる。それだけに政府の介入の機会にもなる。
 
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 さて、「少数者だから出来ることがある」と言うと、現実離れした、精神主義の、独善的議論、あるいは筋の通らない強弁のように取られるかも知れない。しかし、「少数者だから見えることがある」と言うならば、いくらか分かってもらえるのではないか。多数者側にいては見えなかった問題が、少数者には見える、あるいは少数者になることによって新しい発想がもてる場合が多いのである。このようにして見えて来る問題の解決を、目標にすることは当然出来るのである。見えているのに実践しない、というふうに切り離す態度が不真実であることは言うまでもない。
 ただし、目標にするとは、必ずしも着手することと同じではない。目標には出来ても、少なくとも当面は手が出せないことはあろう。だから、見えて来ている課題の中から、実行出来るものを選び取らねばならない。
 さて、少数者である方が有利なのは何故か。これを先ず考えて置かねばならない。我々は少数者原理というものを主張しているのではない。少数であることが善で、多数者であることが悪だと決めつけてはならない。少数者になれば必ず物が見えて来るわけではない。基本的に言えば、キリストに在る者は新しく創造された者であり、従って新しい世界を見る。これが原理である。しかし、キリストにある者の再生はなお不完全であって、目から鱗が落ちきっていない。そこでもう一つの原理を導入しなければならない。キリストに在る者は少数者にならざるを得ないという事実があるがこれは、実際の結末であり、主イエスが「狭き門より入れ、これから入る者は少ない」と教えたもうた現実である。そこで、狭き門から少数者の道を行く時、新しく物が見えて来る。少数者になることは目の鱗を落とし、有害な何ものかを取り除く機縁として、かなり有効である。
 では、有害な何が取り除かれるのか。それは神の前に「真実な人間であることを妨げる要素」であると私は思っている。多数者の組織の中にいると、自分自身が人間であることを忘れるとともに、相手を人間として見る目もなくなる危険が非常に大きい。実際、多数者の中にいることによって、自分を喪失して組織の一部、非人格的な部品になることも多い。それと異なり、少数者の集団は組織力が弱いから、私人を組織人に変えてしまうことが出来ず、「人間であること」が比較的容易に保てる。そこでは、比較的容易に囚われずに物を見ることが出来るとともに、人格と人格の交わりを結ぶことも比較的容易だ。多数者の組織を負った代表者になると、組織の機関であることが一人の人間であることに優先してしまいがちである。機関である人間に人間としての交わりが全く不可能だとは言わないが、容易でなくなることは確かである。交わりのない所には、ディアコニアは成り立たず、援助関係や支配関係が出来てしまう。
 具体例として極めて適切なのは、主イエスが用いたもうた「善きサマリヤ人」の喩えではないであろうか。サマリヤ人はユダヤ社会においてまさに孤立した少数者、あるいは疎外された例外者であって、蔑視と圧迫と排除のもとに置かれていた。だからこそ、人間としての純粋な感覚を保つことが出来、倒れている人を見た時、見て見ぬふりをすることが出来なかった。他方、祭司とレビ人は多数者の代表であり、組織人であった。もっとも、彼らに倒れている人が見えなかったわけではなく、見えたのである。見えたけれども、見えなかったということにして置くために、道の反対側を選んで通り過ぎた。偽善行為である。そして彼らは偽善の口実作りのしやすい立場にいた。
 ディアコニアのことを余り考えなかった時、我々はサマリヤ人の目で物を見ることが出来ていなかった。例えば、在日韓国人が踏みつけられている者の立場で日本人社会の歪みを指摘する叫びを挙げてくれて、我々がやっと気づくというような経験が多かった。我々もだんだん自分で目を開くようになって、サマリヤ人の目で物を見ることが出来るようになって来つつある。では、全ての人がサマリヤ人の目で見ることが出来るようになるか。社会が変わることは期待すべきであろう。しかし、どんなに良い社会になってもサマリヤ人はあるし、また必要なのではないか。サマリヤ人になるとは嫌われ者になることである。嫌われ者になることを恐れていては、物が見えて来ない。
 我々の教会は対外的にはかなり広い交わりと奉仕の場を開拓して来ているが、これは少数者の教会という方向を目指していたから出来たのだとということに思い当たるのである。我々が小教会であったのに偶然にこれが出来たのではなく、少数者だったから出来たのであり、大教会にはこういうことは出来なかったのである。では、小教会であれば必ずこれが出来たのか。そうでないことは、他の小教会を見れば分かる。それらの小教会は、形は小さくても、少数者であろうとする意識はなく、大教会追随の姿勢、すなわち多数派志向に身を任せていたから、見えていることが見えなかったのだ。
 例えば、アジアの諸教会との交わり。これが我々に与えられたのであるが、我々だけが特権的にこういう機会を持ったということではない。機会は他の教会にも十分あった。むしろ、交通の便利な場所に、目立つ会堂を建てている、また知名度の高い教会の方が、アジアその他からの来客に接する機会は多かった。しかし、機会があっても教会員はその機会を利用しなかった。少数者としての意識と目とを持たないから、機会を機会として捉えることが出来なかったのである。すなわち、大教会の意識のあるところでは、一般教会員は特別な務めを託されているのでない限り、対外的な事柄に責任をもって関わることは出来ないと思ってしまうのである。
 さて、今日まで、我々は少数者の道を行くことによって、ほかの道からは見えない問題をいろいろと見て来た。そして、見えて来たことを自分たちの間においては勿論のこと、なるべく広くキリスト者の間で分かち合おうと努力して来た。我々の語ることに全然関心を持たないキリスト者や、我々を奇矯で極端な発想をする分派主義者とけなす者もいたが、分かってくれる人も少しはいた。ということは、我々は少数者の教会という道を辿らざるを得なかったし、その道を最初は必ずしも自覚的に選び取ったのではなかったが、これが例外者的な、正常でない道を取ったかのように思われたとしても、むしろ、この方に普遍性があり、公同の教会との関連を強く把握出来るということである。これが歳月を経て次第に明らかになって来た。
 やや自負をこめて言うが、我々はこの40数年に亙って、普遍性のある「教会論」を日本のキリスト教界に提供し、それが広く認知されて来た。我々の歩んだ狭い道からこそ、広い世界の公同教会に通ずる道筋が見えたから出来たのである。もう一つ、それが出来たのは、時代の流行の神学を追わず、古いと言われながら、カルヴァンとともに、本質的な事柄を考えて来たからであるということも押さえて置きたい。カルヴィニズムを標榜する人は他にも多いが、我々の場合は少数者の目を失わなかったために、カルヴァンの言わんとすることが良く見えたのだと思う。
 したがって、我々が今日この学びの中で追求するのは、「我々の小さい群れに何が出来るか」というような姑息な主題ではなく、日本の全教会に通用し、役立つ、具体的な課題である。別の視点から言えば、これまで我々は教会論の原則面を主に見て来て、実践的としても原則的なこと、すなわち神の言葉の説教に力を注いで来たのだが、今日はディアコニアの具体面について考えることになる。
 
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 我々の教会は40年に亙って例外者と見られかねない狭い道を歩んだと言ったが、我々が離れて来た広い道は何であったのか。それを振り返って置くことは、今歩いている我々の道をハッキリさせるために役立つように思う。
 41年前、我々が日本の一般の教会と一見異なると思われる道を取り始めた時、我々は基本的認識において間違っていなかったが、まだ見えていなかった面が沢山あった。それを明らかに見せてくれたのは、一つは最初の線に沿いつつ基本的な学びを一貫して深めたことであり、この線上で初めの頃には見えていなかったディアコニアが見え始めた。
 第二に、60年代後期に始まった日本キリスト教会の靖国闘争があった。日本の教会が日本の中に取り込まれて、キリストの教会の本来の姿勢を失っていたことを、その時に思い知らされ、すでに始めていた日本的なものからの脱却をさらに意図的に遂行するようになった。これと同一線上のものとして、教会の戦争罪責とアジアとの関わりが我々の課題として大きく浮かび上がった。
 我々が脱却しようとした日本の教会の問題的な体質は、日本伝道の一番初めからあったと言えると思うが、ハッキリした形は1890年頃に作られたものである。これは日本キリスト教会が簡単信条を採択し、神学的にはルーズになり、また外国宣教師の働きを制限し、長老主義を曖昧にし、しかも国内伝道に大きい力を注ぎ、それ故に戦前の日本の最大の教会になる道を歩み始めた年である。
 我々は日基のこの伝統を輝かしいものと教えられて来た。そして、教えられて来たことを真に受けて、これを誇りと思っていた。しかし、靖国闘争のなかで、この性格こそが問題なのだと気づかせられた。
 詳しい話しは今はしないが、1890年というこの時から日基は四つの問題を抱え込んだ。一つは、日本の国家への追随・隷属・同一化である。この性格が骨の髄まで浸みとおったため、国家を客観化して見ることが出来なくなった。二つは、近年ますます見えて来るようになった問題性であるが、多数派志向、あるいは多数者への擦り寄りである。三つ目は民族的なものの優先、国際性と教会的伝統の破棄である。第四に伝道優先のために諸事業からの撤退の体質である。この四つの問題の底にある信仰そのものについての問題に我々は気づいているが今日は触れない。
 1890年という年は、明治憲法と教育勅語が発布され、近代的天皇制が形を取った時期であった。この体制の中に日基は深い考えなしに嵌まり込んだ。逆に言えば、だから、最大教派になれたのである。ことがら自体としてはさほど大きい意味はないが、象徴的意味の大きい「内村鑑三不敬事件」が起こったのはこの翌年一月である。すでに感じている人が多いと思うが、1999年の日本がこれと同じ道を取り始めたのである。
 当時の日基の指導者は情勢の変化をある程度感じ取ったらしい。政府が力をもって締めつけて来る。それに対して教会はもっと数を増やして対抗する他ない、と感じたのではないかと思う。だから、教会としてなすべきことがいろいろあるのが分からなかった訳ではないが、それを差し置いて「先ず伝道」という方針を固めた。そして、他教派と比較すれば大きいと言えても、日本の中では微々たる力しか持ち得なかったし、その教勢も強化の一途を辿る国家権力によって制せられて、ついに国家の言うがままの合同に屈し、戦争に協力するような、基礎のハッキリしない教会になってしまった。多数派志向という体質は以前からあったが、以前はリヴァイヴァリズムに結びつく多数派志向であり、この時からは努力型の教勢拡張主義になったのではないかと思う。
 1890年の日本国家の方針転換は、詳しい研究をしている人によれば、その数年前から天皇の周囲で始まっていた。教会側ではそれに気づいていない。かつてリヴァイヴァルによって教勢が躍進したことの再現が期待できなくなっている現状認識はあったらしく、努力に努力を積んで教勢を拡大しようとした。同時に、知的な面の努力も各教派の中では抜きん出ていた。こうして、戦前、日本での最大の教派になった。しかし、権力の攻勢の前に無力であった。というよりも、権力側と同一体質を持つため、戦いにならなかった。多数派志向というのでない目をもって見ていたなら、別のものが見えたはずである。
 この時の日基の失敗は、中産階級にターゲットを置く伝道であったという理解が、戦後一時盛んであった。汲み取るべき要素のない理論だとは思わないが、それならばターゲットを変更すればうまく行くという理解にすり替わったため、不毛に終わった。我々は階層の問題ではなく、多数派志向の問題であると今では考える。どの階層にも良心的少数者はいる。多数派を目指す時、少数者の居所がなくなってしまう。教会も少数者の居所にならなかった。
 
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 日本の教会で常道と見られているものから我々は随分それた。しかし、それは脱日本化であるとともに、改革主義的伝統への回帰、公同教会への復帰であった。最初の意識は改革主義への回帰の意図の方が強かった。だから、我々は復帰し行くべき目標の実質についてかなり学んだ。
 この脱日本化は日本の国益ということを考えない、反日本的なものであるが、結果的には日本の信用維持に少なからず貢献している。すなわち、国益追求主義が実際に諸国民の顰蹙を買って、国の不利益を招いているのと対照的に、我々は諸外国の人々の間に日本人への信頼を辛うじて繋いでいる。
 さて、改革主義の伝統を謙虚に学んで行くとき、我々がそれまで取り上げることが出来ないままに来た「ディアコニア」が課題となって立ち上がった。ディアコニアへの関心は今日では日本の教会の中にある程度高まって来ている。だが、ディアコニアを語る人の多くが我々と別の発想をしているらしいことに留意する必要があろう。
 かなり多くの人の発想は、これまでのような説教一本槍の戦法、ないし改宗者獲得主義では、教会はジリ貧になる他ないのではないか、というところにあるらしい。説教ばかりしていては相手にされないから、ディアコニアによって外部の人々の関心を引き、内部の人にはディアコニアの働きに打ち込むことよって充実感を味わわせようというのである。世界の教会のおおよその傾向もこれであって、宣教の概念を拡張して、広い領域における福音の証し、特にディアコニアを宣教に含ませるべきだと考えるようになっている。――この見解に我々は異を唱えるつもりはない。だが、彼らが我々と同じ路線で考えているとは思わない。
 教会の中にディアコニアへの関心がやや高まったのと同じ時代に、一般社会ではヴォランティアの思想が市民権を持ち始めた。そのために、教会の中にさえ、ディアコニアとヴォランティアを混同して考えている人が多くいる。一見似ているかも知れない。しかし、一方は主の委託に基づく主と隣人への奉仕であり、他方は自発的自己実現である。
 先ず、教会の基本的方向であるが、我々は改革主義の線に沿ってディアコニアを考える。すなわち、御言葉に従う教会という出発点から我々にはディアコニアの道が見えて来た。ところが彼らは「御言葉」ということを言うかも知れないが、主権的御言葉という理解はなく、発想は教会論的であるよりも、社会的、実用主義的で、現代社会に如何に適合するかという考えである。しかも、社会的発想として非常に重要な政治問題、国家の在り方、教会と国家の問題、戦争と戦争罪責の問題、天皇制・日の丸・君が代問題、これらを取り上げているとは思われない。国民統合の方向に向かっている日本の中で、流れに抗するわけではなく、むしろ流れに乗って事業の効率をあげて行こうとしている、あるいは少なくとも反対の考えがあっても妥協の沈黙をしているのではないかと見られる。
 ディアコニアは御言葉の支配のもとに行なわれる御国に関わる業である。ちょうど御言葉が語られても必ずしも聞き従われるわけでないのと同じく、ディアコニアも必ずしも人々から歓迎されるわけではない。福音ならば喜ばないだろうが、ディアコニアならば喜ばれる、と期待するのは甘い。ディアコニアは必ずしも相手の要求を聞いてあげることではないからである。それは神の国がある意味ですでに始まっていることの証しとして行なわれる。
 少し具体的に言うならば、神の国は高きものを低くし、低きものを高くする公平の実現である。(ただし、これを共産社会の実現というふうに矮小化してはならない。)富める人も欲求を持ち、貧しい人も欲求を持つ。手近なところにいる富める人の欲求に応じているならば、彼らから評価されるが、本当に助けを必要とする人は無視される。見るべきことを見ないままに、見えることだけを処理するという間違いがあるのではないか。主イエスは宴会に招くのは貧しい人であるべきだと教えたもうた。この世において報いてくれないから、そういう人に対してこそ善を行なうべきである。
 ここには難しい問題があるが、今述べたように、判断の一応の目安になることは教えられている。確かに、見えていることを差し置いて、見えない問題を探求することは容易でないし、見える現実からの逃避の口実になるかも知れない。社会的正義の判断を下すことも容易ではない。勿論、ここで我々の判断の不完全さは神によって寛容に扱われるから、判断の間違いを恐れるという口実のもとに、実行を怠ることが許されるわけではない。ある程度努力しなければ見えて来ないことは確かであるが、非常に遠くまで出向かなければならないと考える必要はないであろう。我々の日常生活の限界内で目に触れるところで対処すれば良い。また、公平の尺度は、我々自身と、我々の出会っている人との間に適用すれば良いのであって、もっと困っている人が他にいるということを口実に、目の前の人の助けを拒む謂れはない。
 正義の実現は国家もある程度、裁判や行政を通じて行なう。それは力、権力、強制による実現であって、教会の方法とは全く無縁である。では、どう違うのか。神の僕は力を与えられてはいるが、それを手段として用いない。力のない者の立場で正義を行なう。これはイザヤ書42章で学ぶ通りである。
 
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 少数者の教会の行なうディアコニアについて考えて見よう。教会の方法と国家の方法は対極にある。初めに言って置いたが、教会と国家の分離は教会の事柄をキチンと考える際に守るべき考えの筋道である。簡単に言えば、国家のやり方から引き離したやり方が教会のものなのだ。
 国家について考えて見る。イエス・キリストは人間を救うために来られたのであって、国家を救うために来られたのではない。しかも、我々が今「国家」と言っているものは歴史の中での産物であって、歴史の変遷のうちでさまざまに形を変え、その意味も変えて来た。だから、相対的・暫定的なものとして捉えなければならず、不徹底な捉え方をしていては大きく道を誤るのである。しかし、権力はしばしば宗教的な装いをするため、我々の判断が狂わされることがある。
 「上にある権威に従え」とはパウロの書にある言葉ではあるが、我々はこれを殆ど神の言葉と見做して、不都合はない。すなわち、神は人間の社会が秩序を保つことを命じておられるのであって、支配と従属の関係が神の意志であると考えることはいらない。むしろ、支配関係には神に代わる権力の生じる危険がある。だから、「人に従うよりは神に従うべきである」という根本原則が教会では初めから確立している。この根本原則を踏まえた上で、秩序維持のための権威を重視するのである。
 昔は上に立つ人を尊敬することによって秩序が維持されるという考えが強かったが、今日では、上に立つ人は法によって秩序を維持するのであるから、人の地位を重んじるのではなく、法を重んじなければならない。
 1)交わり ディアコニアは物のやり取りの場合はコイノーニアと言うが、コイノーニアは人格と人格の間では交わりである。交わりは御霊の賜物である。御霊によって結ばれている者同士の間だけでディアコニアが成り立つというのではないが、交わりと無関係にディアコニアがなされるなら、単なる物のやり取りであり、ビジネスであり、慈善事業であり、与える者と受ける者の関係は屡々依存と支配の関係になって行く。それは物の面では公平であり正義であると見えるかも知れないが、見せかけの公平である。 国家が行なう援助政策は交わりを生み出すことは出来ない。それを批判しても無意味である。国家は所詮その程度のことしか出来ない。
 交わりを結ぶことに関しては小さい教会が断然有利である。教会員相互間でも教会員が他の人を知る場合でも大組織は致命的障害になるとは言えないとしても、克服しなければならない多くの問題が生じる。
 人間の能力に限度があるから交わりを余り広げることは出来ない。しかし、現に日本の社会はドンドン国際化して行くから、教会としても交わりを狭めているわけには行かない。そこで分担ということになろう。ただ、人為的に線引きをすることとは違う。交わりは賜物として与えられるものだからである。
 2)情報 交わりの項目に含めても良いが、交わりは相互理解であるから、理解のための情報の交換・共有が必要である。後で述べるように祈りの課題に関して、我々は真実な祈りのために相手の情報を持たねばならないということを知った。情報によって祈りはさらに立ち入った祈りに成るが、祈りによって情報は詳しくなり、情報としての質が高まる。そして、良質の奉仕情報を持つことは、ディアコニアにとって有意義である。 情報蒐集は少数者の教会にも出来る。大組織の方が情報蒐集に便利なように思われるかも知れないが、国家の集める情報は膨大なものになるとしても、ディアコニアには必ずしも役立たない。むしろ、関心をもって個人あるいは少数者が集めた情報の方がディアコニアには役に立つ。情報の質が違うから当然である。
 情報は交わりの副産物のようなものであり、交わりが基本的には個人と個人の関係であるから、情報も個人的であり、それはそのまま公の共有にはならない。これを共有に適したように編み直す必要がある。
 共有すべき情報を共有するにも独自の方法があるのではないか。非人格的な方法は取れない。或る人のもつ情報を何もかも人に伝える必要はない。ただ、どこにどういう情報があるかを互いに知りあっておれば足りるのではないか。謂わば、道だけを付けておいて、必要なものは必要に応じて送れば良い。
 3)祈り 祈りがディアコニアの門戸であることを我々は長年の経験の上で悟った。祈りは働くことと違う別個の世界を持つ。祈りによって働かなくても済むように思い込んでしまうのではないか。祈りに深入りすることは働くことと別な世界を作ってしまうのではないか。また、一方、働くことによって祈りの余地がなくなるのではないか、という考えが何となくある。
 しかし、その考えは働くことも祈ることも本格的にはしていないところから来る無責任かつ無内容な推察である。
 数年前から我々は祈りの課題を選んで、その課題について祈ることを始めた。このような祈りの課題を奇妙な企画と考えて批判する人がいたが、祈祷会に出て祈る人には、不自然なものとは思われなかった。祈りの課題を祈ることによって、ディアコニアの世界が開けて来るのである。
 我々の祈るべき課題は無限にある。その無限の中から関わりのあることを選び出して祈るのは祈りの領域を狭めることではなく、散漫な祈りを引き締めて集中させる処置である。例えば、日本のキリスト者の間では祈られたこともない東チモールのことを我々は祈っていた。この祈りによって、謂わば楔を打ち込むようにして、事柄との関わりを身に付けるようになって来た。
 何も知らない対象について名前を挙げて祈っても空しい言葉ではないのか、と思われるかも知れないが、知らない状態から祈り始めて、祈りの中で対象を把握して行く。そこから奉仕に展開する。これが健全な祈りの筋道であると思う。
 さて、以上のようなことを論じていて、実際の場合にどう役立つのか、実際のディアコニアを直ぐ始められるようにマニュアルを作るべきではないか、という問いが出るかも知れない。それに答えるが、私はマニュアルを作ることは出来ないし、作るべきでないと考えている。作ることが出来ないのは、非常に多くの場合を想定しなければならず、その全てについて考慮することは夥しい時間をここに投入しなければならなくなるからである。我々は何が起こってもそれに対応出来る基本姿勢だけを身に付けて置くほかない。基本姿勢が出来ておれば、予期しない事態に直面しても間違わずに判断できる。 
 さらに言うならば、マニュアルを与えられなければ何も出来ない機械的人間ばかりを作ったことが、現代の人間と社会の問題であって、教会はこの風潮に乗ってはならず、これを打破しなければならないのである
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