東京告白教会五旬節伝道会
2004.05.30.

人に従うよりは神に従うべきである――抵抗の原点――



 大変な時代になっている。世界が至る所で破れ、そして崩れている。細部に目をやると人間そのものが崩れて行くのが分かる。
 時代がこうなって行く中で、一生懸命、流れに抗して生きなければならないと考える人が、多いとは決して言えないのであるが、しばらく前よりは増えたと感じられる。自分自身の身を守るためにシッカリしなければならない、と思う人もいるが、自分自身よりも、隣り人を守るため、人類の危機を何とかして食い止めるために、力を絞り出さなければならないと考えている人もいる。
 記憶しておられる方があるかと思うが、我々の教会では、外部に向けて公開のメッセージを発する時、このところズッと、人類の崩壊、世界の崩壊、精神の崩壊、というようなことを言い続けて来た。こういうことを叫ぶ人は多いとは今尚言えないが、増えていることは確かである。
 少し前まで、人々は「高度成長」という掛け声に踊らされて、何も考えなくなり、ただひたすらに働かされ、働いて得た儲けは快楽と生活の便宜のために使い、それによって得られる満足感を己れの生き甲斐であると思っていた。
 その後、不況の時代になり、人々はその打撃によって意気阻喪し、無気力に陥り、その間に、世の中はますます不透明になり、索漠とした空気になり、気がついた時には、おかしくなっていた。世の中がおかしくなっただけでなく、この社会を構成している一人一人の人間が判断力を失ない、おかしくなっていた。
 こうして、次の時代になだれ込む。もっと悪い時代がやって来た。昔なら犯罪の動機にならなかったことが動機になって脅迫や凶悪犯罪が起こる。犯罪の動機になる前に、それを抑え込むことが人間の通常の営みとして行われていたのが、今では過ぎ去った物語りである。
 政治家たちのウソの発覚が毎日のように新聞に載る。彼らは露見しない限りはウソを言っても良いと思っているらしい。不真実なことを言って、ことを決めて、その後どんどん約束違反が起こる。例えば、日の丸・君が代の法制化をする時は、強制しないと約束して置きながら、一旦決まると目に余る強制である。ウソが日常化し、脅迫が日常化し、残虐事件が日常化した。道徳が崩れるから政治が崩れ、政治の崩れが道徳を一層崩し、文化を崩し、国家内の秩序と国際秩序の崩壊を促進している。
 全体的に見て、最も大きい関心事は、理由にならないことを理由にして、したがって多くの人が全然納得しないままに、戦争が始まることであろう。――もともと、戦争というものは、理由がないのに、もっともらしい理由を作って始めるものであった。その理由が好い加減なものであったことは、戦争によって大きい被害を受けて、やっと分かる場合が多かった。初めからその戦争の理由の誤魔化しを見抜く人は、いたとしても少数であった。
 ところが、現代は情報の叛乱する時代だからであろう、戦争の愚かさ、戦争の理由の好い加減さ、また偽りに目を開いている人が、割合いるのである。政府側が隠している情報がインターネットでどしどし洩れて来る。そういう情報を集め、かつ共鳴する人たちは、やはり少数者ではあるが、かなりの数いる。そして、そこには、これまで「少数者」という言葉が引きずっていた悲壮感はない。「少数者」という言葉の意味が違って来たという問題があるが、それは今日は取り上げない。今のところ、もっと表面的なところで論じるだけにするが、人数の上で、必ずしも少数者と言えない人々が、広い範囲にわたって戦争反対の意志表示をしている。にも拘わらず戦争は止まない。正論では動かない。これが世界的な動向だということをわれわれは知っている。
 反対しない人の方が、比較すれば多くなるので、いかがわしいと分かっていながら戦争の勃発を食い止めることは出来ない。それで戦争は始まってしまう。人々の感覚がおかしくなって来る。軍隊に出動命令が下る。軍隊は、昔なら勇気凛々と出征したのであるが、今はハイテクノロジーを駆使する実務者集団の海外出張である。使命を感じ、生命を賭して、したがって悲壮感を漲らせて、戦いに出て行くというのが、昔の戦争のパターンであった。
 恥ずかしい話しであるが、私の若い頃、まさにそのような悲壮感に満ちて戦争に出て行った。自分が参加している戦争の意義を証ししなければならないと感じ、一生懸命に考え、また道徳的な生き方をしようと努めていた。私がそうしたのは、私が愚かであって、人に騙されていたからだと言える面が大いにある。だから、自分の馬鹿正直さと、それを生んだ当時の雰囲気を弁明しようとは思わない。それでも、あの頃は、戦争をする真剣さというものがあった。曲がりなりに、戦争の意味付けをした。今、意味が分からないままに、業務命令で戦争が行なわれるようになった。これで良いのであろうか。
 
 戦争中の学生に相当に大きい感化を与えた書物に、岩波新書の「ドイツ戦没学生の手紙」がある。第一次世界大戦に動員されて、帰って来なかった学生の手紙が編集されたものである。学生として死んだのであるから、筆者は全部無名の若者である。したがって、名前で人を引きつけることは出来ない。無名の青年がいつか発表されることを予想して、内容を練りに練ったというものでもない。それでも、一つの状況の中で書き残した言葉、遺書になるとも予想しなかった文章が読む人の心を揺さぶった。
 今、その本を読んで見なさいと若い人たちに勧めるつもりはない。私自身も今では醒めていて、これは戦争に参加することに意義があると考えさせる宣伝の役割を演じたものである、と見抜いている。「総力戦」という理念が作られ、従来の国家においては、戦争に直接関与することのなく、むしろ、それに批判的な傾向を生みやすかった危険分子である高学歴の階層の者を、納得の上で戦争に動員する手段として開発されたものの一つではないかと今では考えられる。第二次世界大戦を経験し、その後の小規模の戦争、また冷たい戦争と呼ばれ、大国が威嚇しあう競争を経験して、今では、国家というもの、また国家の起こす戦争についての思想が変わった。そのため、こういう書物を書く人も、読む人もなくなっている。戦没学生の手紙にやや似ているのは、出版の効果としては全く逆であるが、戦争の無意味さを訴える若者たちの手紙である。ヴェトナム戦争に従軍したアメリカの若者たちが書いた文章が読まれるようになった。
 国のために命を捨てる真剣さの典型として、第二次大戦末期に、私の属する世代から「特攻隊」が出て行ったことを例に上げれば、分かって貰えるかも知れない。その精神が崇高であったと言うのは差し控えるが、それなりの生真面目さがあったことは誰もが認める。そういうものが、かつての戦争にはあった。今は違う。
 話しを複雑にするし、今日論じようとしている主題、「抵抗」にとって最も必要な項目とも言えないかもしれないが、「国家」というものについての意識が変わって来ている。昔は「国家の大義」というものがあることになっており、それには従わねばならない、だから、国家の方針に逆らうことは犯罪である、と見られた。今では国家の側もそうは言えなくなっている。最近のことであるが、韓国で、イラク戦争に参加することは良心的にどうしても出来ないと公言し、軍隊内で不服従を実行したカトリックの学生がいる。軍事裁判に掛けられたけれども、法廷はこれを有罪と判決することが出来なかったという事例がある。日本では自衛隊の中でイラク行き出動命令拒否という事件は起こっていないが、アメリカの軍の中では起こっている。こういう反軍思想による抵抗が起こるのは世界的傾向である。裁判が起こった時、日本の裁判官がこの問題を裁くだけの見識を持つかどうかは疑問であるが、人類の思想の動向はこういう方向に向かっている。とにかく、戦争をする理由を大きい顔で唱えることが出来にくい時代なのだ。現在のイラク戦争を見ればよく分かる。
 湾岸戦争の時もそうだったし、アフガン戦争の場合さらにそうであり、イラク戦争の場合もう一段とその傾向がハッキリ認められるようになったが、戦争を始める時、掲げられた理由は当初から疑わしいものとされていた。しかも、その虚偽は次々と明白になって来る。反対者も多くなって行く。戦争をすることの愚かさが見えて来る。それでも戦争は止まない。
 以前なら、こういう時には、戦争を止めなければならない、と一国の政治指導者は決断し、終戦工作を始めたものである。それが国の政治を預かる者の持っていなければならない哲学であった。それが今ではないらしいのである。アフガン戦争でも、イラク戦争でも、終戦の交渉相手を潰してしまう戦争であったから、国と国とが対決するのでなく、戦争を起こし、軍隊の指揮系統をシッカリもっている国軍と、国として組織されていない民衆、あるいは私人の集まりの抵抗との殺し合いであるから、戦争を止める交渉が成り立たない。ずるずると殺し合いは泥沼に入って行き、人々が次から次へと殺され、兵士たちの道徳感覚はますます麻痺して行く。
 戦争であるから、国と国とが存亡を賭けて争う中で何が起こっても不思議でない、ということは昔も言えた。それでも、昔なら主権国家と主権国家とが争う時には、終戦処理、戦後処理が国の責任で行われた。ところが、今では戦争は起こるが、戦争を止めさせ、戦争のあとの修復をするものがなくなった。今日の戦争状態の中で何か人間味のあることをしようというとき、国家のする人道支援は偽りになり、多かれ少なかれ反国家的なヴォランティアの善意によらなければならなくなっていることを人々は認めている。簡単に言うならば、近世に成り立った「国家」(ステイト)というものの意味、その在りようが変わって、国家が空洞化したのに、政治家はそれに気付いていないということである。この問題は、今の時代に生きる者として考えなければならない緊急の課題であるが、別の機会に譲るほかない。
 とにかく、恐ろしい事態が始まっているのである。道理が通らない時代になったのである。では、道理でない何が支配しているか。一応それを「悪」とか「暴力」と呼ぶことにしておくが、力が問題なのではなく、力を用い、力を支配する道理がないことが問題なのである。
 昔からこういうものはあった。「無理無体」とか「理不尽」という言葉は結構使われていた。しかし、こういう言葉は古風な、時代遅れの、だんだん忘れられて行く言葉だと期待して使われていたように思う。つまり、人々は「無理が通れば、道理が引っ込む」というような諺の通用する野蛮な段階は、原則的には克服されたのだと思っていたのだ。ところが、「無理が通れば道理が引っ込む」とは最も現代的な諺ではないかと思われている。人間は昔と比べて少しも賢くなっていなかった、ということが明らかになっている。
 こういう時代に、手を拱いているわけには行かない。また、「ハンタイ」、「ハンタイ」と叫んで輿論形成をするだけでは何も起こらない。そういうことに気付く人がいるのは当然である。では、何をすべきか。最近、耳にする機会が多くなった言葉として「抵抗」がある。今日はその抵抗について考えたい。また、抵抗という言葉が聞かれる機会は多くなったが、それにしては実際の抵抗がなかなか立ち上がって来ないで、パレードばかりが賑々しく行なわれている事態も考えたい。
 本当は、緊急に抵抗しなければならないこの時代の、もう一つ先の時代を読まなければならない。先にも言ったように、近世の国家観を組み換えなければならない時に来ている。それは思想家、また預言者の課題であるが、われわれ普通の人間には、そういう課題を担うことは荷が重すぎるであろう。目覚めた抵抗者であることがせいぜいである。ただ、一こと触れて置くが、この先を視野に入れて置くことは必要である。「この先」とは何のことか。それも話せば長くなるし、最小限のことしか言えないのであるが、「今の時代は終わった」ということである。今の時代を越える目で今を見なければならないということである。これはもう、かなり宗教的な問題である。
 
 「抵抗」という言葉は古くからのもので、珍しくないし、使い慣れていて、意味も良く分かっている。言葉の説明は省略させていただく。ところで、この言葉がヨソの人によって用いられたことも良く知っているが、自分自身のこととして語られる機会は実に少なかった。「言葉としては分かっているが、自分たちには欠けていたもの」という意識でこの言葉を使っていたように思う。
 第二次大戦が済んだ後、外国から、特にヨーロッパから、戦時中の抵抗運動についての情報がボツボツ入って来る。その情報をわれわれは貪るように聞いた。今度は日本で抵抗が始まらなければならないと思っていたからである。
 私自身、ついには最前線に立つという形で戦争に参与したのであるが、道を誤ったことを悔いて、学びを全面的にやり直したのであるが、新しい学びの中で心に引っかかる一つの言葉が「抵抗」であった。
 アメリカの占領下で、アメリカ軍の言いなりになっていることについて抵抗しなかったのか、と問われるならば、なかったと答える。自分たちが経験して来た日本の軍隊の理不尽さと比較すれば、アメリカの軍隊のしていることがズッとマシに見えたからである。ただ、一種の抵抗であろうが、アメリカからはなるべく学ばず、ヨーロッパから学ぼうという姿勢は保つことに努めた。そこで「抵抗」を思想として学ぶことが出来たのであるが、もし当時の波に乗ってアメリカに学ぶことをしていたなら、今話しているような話しは出来なかったであろうと思っている。
 ヨーロッパどころか、もっと近くで、日本軍が軍事占領していた中国で、多くの人がさまざまな形で抵抗運動をしていたことをわれわれは戦争中ウスウス知っていたが、詳しくは戦後になって知らされた。私が直接に体験した戦争は、海の上で、アメリカの圧倒的戦力と技術を相手にする戦いであったから、日本の軍隊がアジアの人々の抵抗を呼び起こす如何なる理不尽な振る舞いをしたかは直接には知らなかった。
 韓国でも日本支配のもとで様々な抵抗が行なわれたことを知った。これらの国では、抵抗が身についている。しかし、われわれのものとしての抵抗運動と言えるほどのものはなかった。今でも立ち上がりが鈍い。だから、抵抗という言葉は頻繁に聞くようになったが、われわれの間では抵抗ということの実質はなかなか立ち現れて来ない。今日はその問題を考えて見ようと思っている。
 
 今日はキリスト教における抵抗の思想について語ることが主になる。クリスチャンでない方にとっては関心の持ちにくいことだと思うが、それが現代のこの国の人々にとって有用だと信じるから、この話しをするのである。
 「抵抗」がキリスト教の専売特許でないことはお分かりと思う。抵抗の歴史を調べて見ると、宗教と関係のない抵抗運動もあるし、ほかの宗教と関係深い抵抗の実例も多い。日本で知られているのは室町時代末期の本願寺派の「一向一揆」である。僧侶と信徒が結集して悪政に反抗して戦った。日本ではその種の抵抗運動は、徹底的に弾圧されたため、火種は残らない。語り伝えることもない。だから、この運動は、日本人の精神の伝統に良いものを加えることにならず、むしろ、お上に逆らうことは恐ろしいことであり、いけないことであるという観念、あるいはトラウマを植え込んでしまった。これは抵抗思想だけでなく、思想一般の発展の芽を摘んだことになったと私は思う。
 キリスト教関係でも1637-38年の天草・島原の乱がある。この時は日本におけるキリスト教は組織としては壊滅していたから、教会の教職が指導することもなかったが、民衆の宗教心が用いられた。そして、結果は一向一揆の場合と同じように完全に壊滅させられた。壊滅させられた恨みも残らないほどに消し去られた。汚染された土を入れ替えるように、土地の住民は別の所から入植させたのである。
 このような宗教一揆を宣伝したり顕彰したりするつもりはないが、こういう事件が起こり得たことは容易に理解できるのではないかと思う。すなわち、宗教は一般的に言って、正義とか人道とか人権というものについての鋭い感覚を磨いてくれる。
 次に、多くの場合、宗教は絶対的で普遍性のある聖なるもの、絶対者を崇めるから、権力が不正を行ない、それが度を過ごすと、人民の被害だけでなく、神の正義が傷つけられているという公けの憤りになる。宗教的人間が、この世において自分の蒙る不利については超然とし、何も反論しないのは普通のことであるが、公けの問題、声を上げることが出来ないほどの弱い人が虐げられる場合、その人のため、また公けのために叫びを上げることは珍しくない。その宗教人が直接宗教上のことでなく、正義の要求の叫びを上げたために、批判に曝された権力から、報復として迫害を受けることは比較的多かった。こうなると、初めは必ずしも宗教的な性格を持たなかった抵抗運動が、宗教的色彩を帯びて来る。そして、宗教面での指導者が抵抗運動の指導者を兼ねる場合が多い。この場合、宗教的信服と軍事的服従とが合体するから、戦闘力が大きい。
 こういう運動を権力が弾圧すると、宗教的抵抗は弾圧に対して強いのである。宗教がない場合とくらべて断然強い。その理由の一つとして、宗教は全て信仰、信念というものを根幹とするため、抵抗が困難であっても、神がわれわれ正しい主張を持つ者の側についておられる、という信念がそれを支えるということがある。抵抗運動は相手が遥かに手強い場合が多く、したがって、宗教的な運動でない場合には、大抵つぶされる。こういうときに、抵抗して苛酷な弾圧を招くよりは、抵抗しないで、弾圧も受けないでいた方が有利ではないかという考えに変わってしまう。あるいは、抵抗を止めさせるための金銭的買収によって懐柔されてしまうからである。しかし、宗教的信念は金銭の誘惑にも強い。不正に対する怒りを、買収という不正をもって懐柔しようとする試みに対しては怒りはますます募るのである。
 さらに、抵抗が決定的に不利な場合でも、宗教的抵抗者は屈しない。殆どの場合、最後の一人が死ぬまで戦いは止まないのである。何故そうなるかと言うと、先に取り上げた信念に加えて、宗教の要素として、世俗的価値基準と矛盾する聖なる価値基準があり、そこでは、逆転とか、千年王国の出現という期待が生まれるからである。九分九厘負けていても、あとの一厘で逆転することはあり得る。その期待が0.1パーセントの蓋然性として見込まれるのは世俗の見解であって、世俗の知恵ではそういうリスクは避けねばならないのであるが、宗教においては、強烈な期待として現れ出る。こうして、死を恐れない抵抗になる。
 さらに、力を出し尽くして、勝ち目は完全になくなったとしても、宗教的信念には「来世」がある。この世で逆転が起こらなかったけれども、かの世で起こると確信することは出来るのである。
 その信念を奪おうとして数々の企てがされても、宗教には、試錬に耐える「忍耐」という伝家の宝刀がある。思想として整っている宗教ならば、必ず「忍耐」の教えを身に着けている。この宝を失いさえしなければ、絶対に「降参」と言わない論法が備わっている。だから、宗教的抵抗は断然強い。
 
 それなら、抵抗して勝つためには、運動に宗教を導入すれば良いではないか。これは一考に価する。少なくとも、抵抗という問題が自分自身に問い掛けられていると感じている人なら、自分自身にどれだけ抵抗が出来るのか、議論だけでなくて犠牲を払うことが出来るのか、ヘナヘナと腰砕けにならない骨格が自分にはあるのか、そういうことを考えてもらいたい。宗教の問題はかなり近いところにある。
 ところが、今まで信じていなかった人に、抵抗のために必要なのだからと強制して、いきなり信仰を持たせようとしても、それは無理だ。最後まで抵抗をやめないほど宗教は人の心に根を下ろすのであって、根を下ろさない好い加減なものは抵抗に役立たない。
 信じるということと、信じた振りをしておくこととは、一見して区別出来ない場合があるとしても、その違いは必ず明らかになる。ただし、一旦信じたなら、決して信仰から離れないというわけではない。信じたことはウソでなかったが、躓くことはある。ただし、その場合、必ず立ち返って、信仰は復活する。なぜか。譬え話的に説明すると、恩寵の糸に繋がれていてこそ信仰は成り立つのであるから、信仰を捨てたと見える場合でも、恩寵の糸で結ばれていたのである。
 関連してもう一つ触れて置かねばならないのは、宗教と良心の関係である。人はある問題について見解を持つが、新しい事実が出て来たりすると見解が変わる。もとの見解を動かさないようにすることが貴いと考える必要はない。学者の学説もそうである。学説を変えても良心は傷つかない。正しいと心で思いつつも、何かを憚ってそれを表明しないならば、その時には良心は痛む。
 ところが、宗教の基礎的原理についての確信は変更出来ない。変更出来るものは、宗教的信念とは呼ばない。一種の学説のようなもの、臆見を信じていただけである。たとえて言えば、これまで着ていた衣を脱ぎ捨てて新しい衣に着替えても、着物は良心と結び付いていないから、良心には何ら影響はない。ところが「私は信ずる」というその信仰は、良心と深く結び付いているから脱ぎ捨てることは出来ない。
 話しを逆にしては、ことが難しくなるが、考えて貰いたい。「私は信じない」という不信仰、これも主張しぬくためには、良心と結び付いた決意でなければならない。しかし、良心の事柄として不信仰を貫くケースは、ないとは言わぬが、非常にまれである。このことはここまでにして、話しをもとに戻す。
 お気付きの方もおられるであろうが、先に述べたような意味で宗教を信じているのでない人が多い。信じたことにしているが、慣習としてそうするだけで、本気では信じていない。だから、彼らは衣替えの程度の気持ちで宗教を都合によって替える。それでも、一応宗教を信じていることになっている。それがウソだと決めつけることは出来るようであるが、人の心の中にまで立ち入ることはすべきでない。それは遠慮とか、慎みとかいう礼儀の問題ではなく、神だけの管理しておられる領域に人間が踏み込むことであるから、恐れなければならないとわれわれは思う。だから、その人が「信じる」と言ったなら、その言葉を確かめることはしなければならないが、それ以上は踏み込まないのである。宗教の境域は言葉の真実を信じ合うのである。自分が真実な言葉を語るとともに、相手の言葉も真実とみなすのである。
 しかし、「信じる」と簡単に言うことが出来ないのは分かっているから、相手に軽々しく「信じます」と言わせないようにする慎重さ、丁寧さ、誠実さが、人間として必要であると私は考える。
 そういうわけで、信じているかのように本人に思い込ませることはすべきでないから、信仰を持たせて、抵抗を有効にさせるというような試み、抵抗が目的であって信仰は手段だというようなことは試みるべきではない。
 だから、「今は抵抗をしなければならない時だから、本物の抵抗を貫くために、本物の信仰を持ちなさい!」と皆さんを説得するつもりは、私にはない。
 
 キリスト教が抵抗の宗教だと言うのは、余り適切な言葉ではないが、ウソではない。キリスト教は最初の時から抵抗していたのである。今日の話しの題、「人に従うよりは、神に従うべきである」という題は、その抵抗の表明として実際に語られた言葉そのままである。
 その時のことを語っておく。イエス・キリストが死んで、三日目に復活され、それから数えて50日して、キリスト教の伝道が始まったのであるが、その何日目のことであるか分からないが、ごく初期であったことは疑いない。その日にキリスト教迫害が始まった。
 キリスト教伝道が始まっていたことは語った通りであるが、イエス・キリストがユダヤの最高の法廷で死刑の判決をお受けになり、当時、ユダヤの機関は最高の刑罰を行なう権威を認められていなかったので、その次にローマから来た総督のもとで十字架刑を執行された。この事情はエルサレムに住む人々は皆知っていた。
 キリストの弟子たちはエルサレムの宮でユダヤの人々に、「あなた方が十字架につけて殺したナザレのイエスを、神は甦らせたもうた。われわれはそのことの証人である」と宣言した。イエス・キリストの墓が空になっていたことは、スグに評判になったようだが、彼が復活されたというメッセージが公然と宣べ伝えられるようになるにはまだ何日か経たねばならなかった。
 キリストの弟子たちによる説教が、日に日に大きい反響を呼び起こしたので、ついに「イエスの名によって説教してはならない」という禁止命令が出た。
 エルサレムの宮の中には自由に説教して良い区域があって、イエス・キリストも生前そこでよく説教しておられた。その時は説教は禁止にならなかった。
 弟子たちが説教を禁止された時、全面的に差し止められたというのではない。「イエスの名によって」語ることは禁じられたが、イエスの名によってでなく、神の教え、聖書の教えを語るならば差し支えはなかったのである。
 しかし、弟子たちにとっては、「イエス・キリストの名によって」語ることこそ眼目であった。この点についてもっと詳しく語りたいのだが、「抵抗」という主題があるから、時間の都合上簡単に済ませる。キリストの名によって語るのを禁じられたことに彼らは抵抗した。そして、「神に従うよりも人に従うことが正しいかどうか、考えて見てくれ」と反論する。
 
 ここでは神への服従と、人への服従が対立するものとして取り上げられているが、この両者は必ずしも常に対立するものではない。ここで「人」と言われているのは、どんな人間に対しても、という意味に取れなくないが、ここではそれと少し違う。
 ここで言う「人」は公権力を持つ人間という意味である。そしてキリスト教では、社会の秩序を維持するために立てられている王とか、首長とか、議会の議員というような人に従うことを勧めているのである。この点で飽き足りないものを感じている人がいるかも知れない。もっとラディカルに、人間の権威を重んじることは全て否定した方が良いのではないか、と考える人は少なくないと思う。しかし、そうではない。多少不満なところがある権力にも従うべきだ、というのが聖書の教えなのだ。
 人間が権力をもつのを否定するとスッキリするように見えるかも知れない。それでみんなが良く理解しておれば問題はないかも知れない。ところが、権力を廃止すると、直ちに、自分こそ権力を握るべきだ、と思う人が続出して、秩序はさらに乱れるのである。そういうわけで、多少不満があっても、特定の人々に権威を持たせて置く方が秩序は保てるのである。
 しかし、権力を持った人間を立てて置く必要があるとしても、無条件で権力を預けることは危険である。人は権力を用いて権力を拡張させる。そうならないためには自分を省みる自制心を持てば良いのであるが、それは道徳の問題であって、政治とは一応別である。政治のことは政治の論法で整えなければならない。
 だから、権力の座に就く人には就任に際して宣誓が課せられる。この宣誓にもとる場合は権威を剥奪されて良いという意志表示をするのである。権威を立てる者の側から言うならば、真理に叶う職務を行なう限り、それに服従する、という条件がつく。言葉を換えて、宗教の立場で言うならば、神の命令に抵触するような命令を権力者は発してはならないし、もし、そういう命令が出たならば従ってはならない。抵抗が起こるのである。その抵抗が合法化される。
 これは「抵抗権」という名で呼ばれる原理であるが、キリスト教は初めからこれを持っていたし、主張していたし、抵抗権を行使していた。いや、キリスト教以前、新約聖書もなかった時代、旧約聖書にそれはハッキリ書かれていた。ただし、抵抗は暴力行使ではない。キリスト教の中で、抵抗ということを真面目に考える人々の間で、往々にして武力を行使する抵抗を実行するケースがあるが、キリストの名によって武力を行使することはハッキリ間違いである。キリストはご自身が逮捕される時、剣を抜いて戦おうとした弟子をたしなめて、「剣を執る者は剣によって滅びる」と言われた。
 さて、纏めて言えば、神に従うという第一の原則がある。これは抵抗するしないに関係なく、信ずる者にとって最も大事なものである。神を信ずることと神に従うこととは切り離せない。神に従うという第一の原則を侵害しない限りにおいて、上に立てられた人に従うという第二の原則があるが、その条件に従わない権力者がいるならば、それには従わない。抵抗するのである。こういう原則は、いろいろな宗教の中でキリスト教が最もハッキリさせて来たと言えるであろう。
 ここで一つ註釈を入れなければならない。神を信じない権力者に、神を信じる者は従ってはならないのか。そうではない。これは昔からハッキリしたことである。
 旧約聖書の時代、の一つのことであるが、ユダヤの国がバビロンに滅ぼされ、国のうちの主立った者は捕囚としてバビロンに捕らえられて行った。その人たちに預言者エレミヤは、手紙を送って、「あなた方が捕らえ移された町の平安を祈れ」と勧めをしている。その町が早く滅びるように祈れとは言わなかった。
 地上に平和が守られることを神は重んじておられる。平和を守るための務めを担う人には、地上のよき政治が委ねられるのであって、その人が神を信ずる敬虔な人でなければならないということは必ずしもない。
 この点、今日もキチンと捉えていない人がクリスチャンの中にもかなりいる。政治の問題と信仰の問題とは次元が別なのである。ところが、それを混同して、何でも信仰的でなければならないと考えるのは、非常に危険とは言えないとしても、拙いということは承知して置きたい。敬虔な信仰者であるけれども、政治家としての適性に欠けるならばみんなが迷惑を蒙ることになる。
 しかし、政治のことと信仰のこととを分けなければならないとしても、先に見た通り、政治の事柄である抵抗に関しては、信仰者が、ただし本当の信仰者でなければならないのであるが、信仰者、あるいは宗教的信念を持つ人が、断然強いという事実がある。これは、抵抗という問題を手がかりに、自分で考えて頂きたい。私は私で考えている。すなわち、今、抵抗をしないならば崩れてしまう世界のなかで、抵抗しないでおられるようなキリスト教では本来のキリスト教ではないからである。イエス・キリストは、「あなた方は地の塩である」と言われた。塩であることを止めているキリスト教会があるなら、それはもう消えて行くほかない。
 もう一つ考えて貰いたいことがある。悪の問題。これは緊急の問題であると思う。悪の問題は人類の歴史の初めからあるものだが、今われわれが直面しているのは、これまでになかった様相の悪である。目に見えるところでは、政治の領域における悪に関心が向かうのだが、それだけでないはずである。
 昨今の急激な政治の世界の崩れぶりを見て、人類がこれまで接したことのない悪の面が現れていると感じている人が増えている。悪という言葉では扱い切れなくなって、悪魔的なもの、と言わなければならなくなっているのではないか。これまでは、悪を正義の力で制するとか、道徳によって克服して行く、と言われ、それで人々はおおむね納得していたのであるが、これまでの考えでは間に合わなくなった。
 今日の講演会に何かの解決を期待して来られた方もあろうが、私はむしろ、もっと深刻な問題を投げ返して私の話しを終わる。

目次