東京告白教会五旬節伝道会
2003.06.04.

「剣をとる者はみな剣によって滅びる」


今日、話しの題として掲げた「剣をとる者はみな剣によって滅びる」という句は、聖書にある言葉そのままで、イエス・キリストの語られたものである。これは私の訴えたいと願っていることには違いないが、私が到達した確信の境地を語って聞いてもらおうというのではない。キリストの言葉として私自身、長年に亘って聞き、心に刻み、掘り下げて来たものを、皆さんも心に刻んで頂きたいと思って差し出すのである。

 初めに、この言葉をイエス・キリストが語られた時の状況を捉えて置こう。新約聖書のマタイによる福音書26章52節に書かれているものである。周辺状況を最小限知ってもらうため、少し前から通して読んでみる。「………人々が進み寄ってイエスに手を掛けて捕まえた。すると、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、そして大祭司の僕に切りかかって、その片耳を切り落とした。そこで、イエスは彼に言われた、『あなたの剣をもとの所に収めなさい。剣をとる者はみな剣によって滅びる。それとも、私が父に願って、天の使いたちを12軍団以上も、今遣わして頂くことが出来ないとあなたは思うのか。しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか』」。

 分かり難く感じられた部分もあろうが、難しい所はそのままにして、ことの経過は一応把握出来たのではないだろうか。キリストは逮捕された。その時、そばにいた弟子の一人が、咄嗟に剣を抜いて、逮捕しに来た者の一人に切りつけた。キリストはその弟子に剣を用いることを禁止された。「剣をとる者はみな剣によって滅びる」という言葉はその時に言われたものである。軽はずみな、衝動的な行為だからいけないと言われたのではない。剣を手段として用いることを禁じたのである。

 この時、剣を抜いたのは、キリストの弟子、ペテロであった。彼は一番古くキリストの弟子になった人で、弟子の間では指導的立場を自認していた。先生の直ぐ傍にいて、危険が及ぶ時には真っ先に、身を挺して護衛しなければならないと自分では承知していた。だから、直ぐ剣を抜いた。そして、キリストのお咎めを受ける。ペテロとしては当然の義務として剣を抜いたつもりなのだが、それはイエス・キリストの教えておられた生き方に反するものであった。

 しばらく脇道に逸れるが、ペテロのこの後の行動を追って行きたい。イエス・キリストが逮捕されると、それまで一つに纏まっていた弟子の団結はたちまち崩れる。彼らはみなイエスの弟子であることを知られないように散り失せる。しかし、ペテロは一旦逃げはしたが、スグに思い直して、先生の捕らえられて行った後を追った。彼には一番弟子としての責任感があった。さらに、体面というか、弟子の中で筆頭のものであるという面目を保とうとした。

 この晩、もう少し早い時刻であるが、イエス・キリストは「今夜、あなた方は今夜私を捨てて逃げるのだ」と語られた。その時、ペテロは、「たといみんなの者が躓いても、私は先生を見捨てるようなことはしません」とキッパリ言う。それに対してキリストは、「ペテロよ、今夜、鶏が三度鳴く前に、あなたは三度、私のことを知らないと言うであろう」と予告された。

 しかし、ことはイエス・キリストの予告された通りに展開する。ペテロは「その人を知らない」と三度言ってしまってから、自分の見栄っ張りと腑甲斐なさに気付いて、いたたまれなくなって逃げ出し、外の闇の中で激しく泣くのである。

 ペテロのこの一連の振る舞いは、そんなに大事なことでもないから、ここで打ち切って良いのだが、大事でないとはいえ、人間の弱さというものは、我々にズーッと付き纏う問題なのである。だから、それを指摘して置いた方が良かろう。私は子供の頃からペテロのこの記事を何度となく読み返して来た。重要とは言えないし、どこにもあることなのだが、心に引っかかって忘れるわけには行かないくだりである。人生経験を重ね、年をとるにつれ、重要さが分かるというのではないが、気になってならない。

 比喩を用いるなら、影のようなものである。影には実質はない。重さもない。だからといって無視は出来ない。たとえば、何かの絵を実物に似せて忠実に描くとする。

何を描いたものかは分かるであろう。しかし、実在感の乏しい絵である。そこに影を書き加えると、絵は俄然現実感を帯びて来る。言葉を換えて言うならば、陰影のない捉え方をしていては、何を言っているかは分かるとしても、ホントウのところが掴めていないということだ。輪郭がどうなっているかは第一に大事だと思うが、影の部分まで見えていなければ、分かったという気にならない。

 そのような意味で、ペテロの恐怖感、またその小心さの裏返しに過ぎない先刻の強がり、また咄嗟の場合の武力行使、これは小さい問題には違いないが、見落としてはならない。今日、「剣をとる者はみな剣によって滅びる」という主イエス・キリストのお言葉を学ぶに際して、それを学ぶ我々自身、また凡そこの言葉を投げ掛けられている人がどんなに臆病であるかを忘れないようにしよう。それを忘れるなら、議論は空転する。

 一歩踏み込んで語るなら、こういう細部のことまで考えられない人が今日増え過ぎたのである。自分がその局面に立たされたなら、どんなに恐ろしいかを考えることは、それほど難しいことではないのに、まともに考えることをしない。だから、人命をいとも簡単に扱って、人殺しを軽々とやってのけるし、人を危地に立たせる計画も平気で立ててしまう。

 昔の人の方が偉かったと言いたいわけではないが、例えば、1905年に、凱旋の日、ある将軍は「凱歌、今日幾人か還る」という詩を詠んだ。彼は自分の命令下に夥しい部下が戦死したことを知っているので、晴れやかな顔で凱旋するわけには行かなかった。その将軍を美化しようとは毛頭思わないが、人々は普通に経験を重ねて行けば行くほど、人の世の悲しみを味わい知る。現代ではその悲しみが感じられることもなく、知恵として蓄積もされず、伝承もされないで、忘れられて行く。

 全軍に対する命令権を持つ人は今では軽々と出動を命じる。一人一人の兵士の胸にどんな悲しみと恐怖があるかは、命令者の眼中に全くない。ましてや、その軍隊の出動によって向こう側の兵士と非戦闘員にどんなに大きい悲劇が起ころうとしているかは想像することも出来ない。これが現代の戦争である。このような戦争を繰り返して行くうちに、人間の精神はますます荒廃して行く。

 恐がりの反面が強がりだと言ったが、強がりは恐怖を克服しているということとは全然違う。恐怖に勝てない弱み、それを誤魔化すために強気を装っているだけなのだ。私は非常に多くの実例を見たのではない。しかし、自分自身幾度か戦場を体験したから、戦争の中で、自分を含めて、人間の隠し切れぬ本性の弱さが露わになるのを見て来た。しかも普段、大きい顔をしていた人ほど、危ない場面では取り乱すということにも気付かせられた。それほど多くの実際例を知らないから、分かったような顔で言うことはしないが、昔の戦記物に出て来る剛胆な勇士は作り話だと思う。

 コワイ場面でコワイと感じるのは当然なのである。コワイと思わなくなるのが貴いのではなく、恐くてしようがないけれども、自分の本分は尽くさねばならないから、なすべきことは果たす。勇気というものがあるとすれば、それはこういうものなのだ。勇ましげに大言壮語することと勇気とは別である。勇気とは責任感と誠実さの合わさったものだ。

 この話しを止めどなく語るわけには行かないので、抑制して本論に戻るが、今日、権力を掌握して、世界を危機に追いやっている人々のうち、一番目に付くのは、臆病でありながら自分ではそれに気付かない人々の一群である。彼らは私から見ればみな若い。戦争に行っていない。前線に立たせられて自分の腑甲斐なさをを思い知る経験のない人々、人間のうちにある弱さという暗い影を見ない人々が、いとも軽々と戦争政策を遂行している。

 イエス・キリストのお言葉に戻る。「剣をとる者はみな剣によって滅びる」。この言葉は、誰がいつ、どこで語ったとしても、少なくとも物を考える人ならば、スゴイ言葉だと感銘を受けるであろう。ただし、クリスチャンの中には、このような信仰の言葉は信仰のない人には分かるまい、と内々感じている向きがあるようだ。これは間違った考えだと私は思う。第一、「あなた方には分かるまい」と言う人自身、本当に分かっているのか、と問い直されなければならない。分かっていると思う人こそ実は分かっていない。

 もう一つ、この言葉には、あとで述べるように、深い所まで踏み込まない者には分からない面が確かにある。だが、そこまで達していない人も、それなりにこの言葉の真理に感動しないではおられないものがある。その感動を人から奪い取る権利は我々にはない。

 或る種の宗教には、道を窮めた人にしか知ることを許されない奥伝と言われる領域がある。そこまで達していない人には、教えてはならない大事な教えがあり、それこそ教えの真髄だとされる。しかし、キリスト教にはそういう秘密領域はない。真理は無差別に万人に開かれている。誰もが真理に到達するというのとは少し違うが、「求めよ、そうすれば与えられる」という約束があって、この約束は裏切ることがない。

「剣をとる者はみな剣によって滅びる」というお言葉も万人の前に公開されたものである。だから、我々はこういう言葉があるということだけでも知って欲しい、と訴えるのが自分の使命の一部であると考える。

 さて、「剣をとる者はみな剣によって滅びる」という言葉に、心を引かれる人が今日では以前よりかなり多くなったと私は感じている。以前と今日とをキチンと比較したわけではないので、私の主観的な思い込みかも知れないが、以前ならば、この言葉は冷やかしや罵りの的になったと私は記憶している。では、どうして変わったのか。

断片的にしか語れないが、私の体験を交えながら過去を振り返って見ることにする。

 1945年8月、戦争が終わって、翌年11月、新しい憲法が制定された。その中でこう言われている。

 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。

 この本文を新聞で読んだ時、私はショックを受けた。私よりもっと大きいショックを受けた人は少なくない。私は小さい時からクリスチャンであったから、正式に平和主義を教えられることはなかったが、聖書にそのような教えがあることは折に触れて耳に入っていた。しかし、1945年8月15日まで、日本では「平和」は禁句であった。

クリスチャンが平和を語ることがないように種々の脅かしや切り崩しがあった。その脅かしに屈したと思いたくないので、ゴマカシと言えばゴマカシであるが、クリスチャンたちは暗黙のうちに「時期尚早」という理論造りをしていたと思う。窮極には平和にならなければならないのだが、今それを言うのは早すぎる。つまり、究極的な平和を維持するだけの用意のある人間はいないではないか。ユートピア主義は信仰とは全く違うではないか。現段階では戦争遂行が必要なのだ。こういう論理を立てていたのである。

 私自身、こういう理論を良心の疚しさを感じることなく自分の中に培って来た。だから、戦争に行って来た。そして、戦争の空しさを味わわされて、悄然と軍隊から帰って来たのだが、大きい間違いをしたということは感じながら、どこが間違いであるかの見極めもついていなかった。長期に亘ってゴマカシの理論を複合的に重ね合わせて、自分の考えだと思うものを作り上げて来ているので、間違っていたと気付いた部分は除去したとしても、大枠はなかなか変わらなかった。

 それにしても、時が熟して平和が来るということは何時でも誰もが考えなければならない。戦争の中で「平和」という語彙を語ることは禁じられていたが、「平和のため」というスローガンならば戦争中でも言うことが出来たし、言わせられた。戦争遂行をさせようとする人も、「東洋平和のための戦争」というお題目を必ず唱えていた。これを唱える人のうち、大真面目にそう考え、自分の理論付けに陶酔している人もおれば、全然本気では考えず、ただ「平和のため」という名目を掲げれば無難であると知った悪知恵の人もいたことは私にも分かっていた。だから、戦後、「平和のため」というスローガンを聞いても、今度こそは騙されないぞ、と考えることは出来るようになった。しかし、新しい憲法では、「平和のため」とは言わない。戦いの段階の向こう側に平和を掲げるのでなく、端的に平和を据え、戦争放棄を掲げた。だから私は戸惑った。

 旧約聖書には「彼らはその剣を打ち替えて鋤とし、その槍を打ち替えて鎌とし、国は国に向かって剣を挙げず、彼らはもはや戦いのことを学ばない」という箇所が二箇所ある。これは新約聖書の「剣をとる者はみな剣によって滅びる」という言葉に繋がる平和の水脈である。そして日本国憲法がその水脈に繋がって流れを取り入れていると言っても過言ではないかも知れない。だから、クリスチャンの中には、これまでの肩身の狭い思いから解放される時が来たと喜んだ人もいるが、私は有頂天にはなれなかった。

 もともと窮極の平和を考えないではなかったのだから、「ついにその日が来たのか」という感慨もあった。しかし、「まだ窮極の日、終わりの日ではないのではないか」との疑いが消せない。人々は平和憲法を謳歌しているが、そのうちにまた再武装、国防、平和憲法破棄を言い出すのではないかという予感があった。

 何と言ってもまだ敗戦の翌年である。私は多くの日本人同様、自分の意見を表明することに慣れていなかった。そして実際、自分の思想だと言えるものを持つに至っていないと自覚していた。だから、新憲法に対して反対こそしなかったが、賛成と叫ぶ気にもなれなかった。

 自分の恥を曝す話しを続けるが、私が憲法の平和条項を重視しなければならないと考え、またそのことで声を上げ、行動を起こすようになったのは、ようやく1950年である。この年の6月25日、朝鮮戦争が始まった。その前年から私はキリスト教の伝道者として生き始めた。文字どおり紙一重の差で生き残るという経験を何度か経たので、生き残った命は自分のためには用いるまいと心を定めていた。与えられた牧師の務めはまさしくそのように生きることが出来る道であると覚悟した。

 朝鮮戦争が勃発したとき、私は第三次世界大戦の始まりだと受け取った。それを早トチリだと言われたくない。実際、在日米軍はこの戦争のために核爆弾を使用することを決め、辛うじて司令官の罷免によって破局が回避されたのである。

 もう一つ衝撃的だったのは、それまで「平和、平和」と叫んでいた人たちが、一斉に黙り始めたことである。特にキリスト教の指導者たちがそうであった。私は自分で理由付けをして戦争に参加し、将校の身分にさえなったことについて恥じ入り、謹慎して黙っていたのであるが、内心は、キリスト教会の指導者の責任がもっと重いと考えていた。戦争中、私は教会内では末端の信者であって、キリスト教を代表する意見を求められることもなかったから、余り変なことは言っていない。ところが教会の指導者らは変なことを語らせられていた。そのことについて私は彼らを裁こうとは思わなかった。しかし、彼らは戦争中キリスト者にあるまじき発言と行動をした。そのことについては明確な罪の告白と謝罪をしなければならない。私自身はすでに手を汚した者だから、教会の指導者を責める資格はない。彼らが自発的に罪責表明をしてくれることを願うのみであった。

 彼らはそれをしなかった。むしろ、戦争中の妥協について、あのようにしなければならなかった、そのお陰で教会は潰されずに生き延びたではないか、と自己を美談の主人公にした。彼らが相当に苦心したことは認めなければならない。だが、それは本人の口から言うべきことであろうか。また、彼らは弁明として利用できる事項は語っていながら、語らずに隠している多くのゴマカシがあるではないか。

 ところで、私にとってもっと深刻なことは、彼らが戦後一応の反省めいたことを言って、今度こそ平和のために努力する、命も捨てると宣伝していたのに、1950年6月25日以来パッタリと平和を口にしなくなったその変わりようである。

 そのような衝撃を受けて、私は、今度こそ命を賭けて平和を語らなければならない、と思い定めたのであるが、語るべき平和の言葉が自らのうちで余りにも貧困であることに気付いていた。戦後すぐに平和の勉強を始めるべきであったのに、戦争の空白を取り戻すためにすべき勉強が沢山あり、平和、平和と時流におもねる人々に反発して、5年遅れた。私の依怙地で遅れたと言うほかない。

 その時から近年に至るまでの道程を飛び越えてしまうのを許して頂きたい。憲法は数年で破棄されるかと危惧していたのであるが、簡単には廃止出来なかった。日本国内にこの憲法を守ろうとする意見がある程度あったからである。所謂護憲勢力が強かったということではない。護憲派はどんどん弱体化した。それとは別に、憲法を変えなくて良いと考える人がいる。その層は減らなかった。憲法は危機に曝されながらも定着したのである。その人たちが何を考えているかについては今考察している暇はないが、私は結論としてこれを「神の摂理」であると解釈するほかないと思っている。

 神の摂理というような解釈にはついて行けないと感じる方があっても議論しようとは思わない。これまで半世紀以上もったが、今後急速に覆るかも知れない。そういうものを摂理として有り難がっていては笑い物になるであろう。だが、とにもかくにも、日本人の中に平和を愛する人々が、多数とは言えないとしても、かなりの数いることはいる。アフガニスタンやイラクの戦争に日本政府は協力したが、民衆の中にはそれに反対する勢力がある。聖書の中の平和の言葉に好意的に耳を傾ける人が或る程度いる。

 勿論、楽観的に見ていては危険である。憲法の地位はいよいよ危なくなって来たし、憲法を改悪することはしないままで、実質的に憲法無視の体制が出来てしまった。また、憲法と矛盾する日米安保条約が憲法以上の力で日本を支配している。こういう違法状態のもとに置かれることによって日本国民の法意識が歪んでいる。

  「剣をとる者はみな剣によって滅びる」というイエスの御言葉を聞いて、うまいことを言った諺だと感心する人があろう。「驕れる者、久しからず」などの諺と同様、歴史に当てはめて、その通りと納得出来るし、これを将来に関する警告として、暴力を戒める際に用いることが出来る。イエス・キリストもペテロに対して、剣をとることは破滅になるのだから「剣をもとの鞘に収めなさい」と命令された。この警告を受け入れない人もいるのだが、必ず滅びると予告して間違いない。

 これが誤りのない警告であることは、事実に照らして見、結果から考えれば明らかである。だが、なぜそうなるのかを考えて見よう。

 剣とは人を傷つける道具である。この道具を突きつけて、相手を殺傷し、あるいは威嚇する。殺傷するのは、恨みがあって、報復したいからである。威嚇するのは、理にかなった説得が出来ないから、脅迫によって思いを遂げようとするものである。そのようなやり方が総じて斥けられる。

 報復はこの世の法律でも禁じられているが、なぜいけないのか。悪を行なう者には悪が報復されてこそ、衡平が回復するのではないか。「目には目を、歯には歯を」という原理があって釣り合うのではないか。ところが、報復する時、人はつねに過剰に報復し、さらなる過剰報復を呼び起こす。こうして、どんどんエスカレートして行って、収拾がつかなくなるではないかと人々は考える。この考えは正しい。しかし、イエス・キリストがこういう考えで剣を禁じたと受け取っては貧弱な解釈である。

 旧約聖書の申命記に「復讐は我にあり」との神の言葉が記されている。これは復讐する権利が人間から取り上げられて、神の占有となったという意味である。したがって、復讐する者は神から復讐の権限を奪い取ることになる。剣をとることには常にこの罠がある。

 聖書の中に官憲が剣を帯びているのは神の御心に叶っているという言葉がローマ書13章に書いてある。それではイエス・キリストの剣をとることの全面否定と食い違うではないか、という意見がある。これについて論じることは今日は省かせて頂く。警察権は必要だというのがキリスト教の一般の解釈である。

 「剣をとる者はみな剣によって滅びる」という言葉と結び付けて理解するのが適切であるもう一つのキリストの言葉がある。

 彼は捕縛されてユダヤの最高法廷である議会に引き行かれ、議会は彼を死に当たると判断したが、当時のユダヤ議会は死刑判決をする権限を認められていなかった。死刑はローマから任命された総督が、ローマの法律によって行なうものとされていた。

それで、ユダヤ人らはイエス・キリストを総督ピラトの法廷に連れて行く。

 ユダヤ人はキリストを神と宗教の冒涜者ということで裁いたのだが、この判断はユダヤの宗教的な法に則ったものであって、ローマの法律には馴染まない。死刑の理由にはならないのだ。だから、ユダヤの権力者は別の名目でイエスを総督に訴える。

「彼は自分をユダヤの王だと言っている」と告発する。すなわち、自分がユダヤの王なのだから、ユダヤ人はローマの支配から脱却して独立するのだと人々を煽動したと告げ口したのである。これまで、ローマの支配に服さなくて良い、ローマに税金を納めなくて良いと、ユダヤ人を叛乱に駆り立てる革命家は何人も出た。ナザレのイエスをその一人として殺せば片付くとユダヤ人たちは考えた。

 こうして、イエス・キリストは総督の法廷に突き出される。そこで言われた。「私の王国はこの世のものではない。もし私の王国がこの世のものであれば、私に従っている者たちは、私をユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし、事実、私の王国はこの世のものではない」。――これはヨハネ伝18章6節に書かれている言葉である。

 ナザレのイエスがこれまで人々に「私は王だ」と言われたことがあったかというと、それはない。言葉では言わないが、態度でそのように示したことはあったか。それもない。むしろ、神の僕また人の僕であるような、低い姿勢をとっておられた。悪い者には反抗するな、と教えられた。それだのに、どうして彼が自分を王と称した、とユダヤ人たちは言うのか。

 一つは全くの悪意から、彼を陥れて死刑判決を言い渡させるために偽ったのである。しかし、もう一面では彼らの推定は正しかった。イエスは自分を王であると言ってはいないが、言おうとしているらしい、と見たのである。

 ユダヤ人の間には、やがて本当の王が来て、王国を再建するという信仰が昔からあった。メシヤ信仰である。メシヤは王であり、救い主である。これは旧約聖書の多くの箇所に書かれている。メシヤとはギリシャ語ではキリストになる。

 ナザレのイエスがガリラヤの貧しい民衆の間で説教を始めた時、ユダヤ人のある人たちは、彼がメシヤではないかと考え出した。そのような期待は膨れて行ったが、イエス御自身は自分がメシヤであるとはついに言明されなかった。民衆の間では、彼がメシヤだと信ずる者とメシヤではないと言う者とに別れた。彼を総督に訴えたユダヤの指導者は信じていなかったが、民衆の中に信じている者がいるということを、イエス御自身がそう言っておられることにすり替えてこう訴えたのである。

 その訴えで総督ピラトの前に引き出された時、イエス・キリストは先に引いた言葉を語られた。ピラトはこの言葉を聞いて、これは政治犯に該当しない。つまり、無罪だ、と判決しようとした。ところが、ユダヤ人がそれに反対するので、民衆に満足を与えて鎮静させるために、十字架刑の判決をすることになる。この経緯は良く知られている通りである。

 この時、イエス・キリストは「私の王国はこの世のものではない」と言われた。

「王であるなら、支配する領域である国、王国を持つ。だが、私は王であっても、私の王国はこの世のものではない」。私の王国は、この世の王国と別次元のものだということになる。この言葉はピラトにも理解できた。みなさんにも分かるはずである。

 キリストはここで、この世の王国の在り方と、御自身の王国の在り方との違いを示しておられる。その違いが全ての点に亘って説明されているわけではない。ただ一つの点だけが語られている。その一つとは、キリストの王国が非武装だということである。

 この事情を説明して言われる。「もし、私の王国がこの世のものであったならば、私に従っている者たちは、私をユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし、事実、私の王国はこの世のものではない」。

 「私の王国がこの世のものであり、この世の次元のものであるなら、その王国の首である私を捕らえようとユダヤ人が襲って来た時、私に属する者は、私を渡さないように戦ったであろう。しかし、私はそのような武装抵抗を禁じたし、彼らも武力をもって私を守ろうとはしなかった。それはあなた方が見る通りである」。

 ここには、語られていないが、当然含まれている意味がある。すなわち、王国の首が取り去られて殺されても、私の王国は潰れない、ということである。一つの国にとって、その首が自然的な死によって死ぬ場合はともかく、敵の手で取り去られることは王国の消滅にほかならない。だから、戦争している国は、人々が沢山死んでも、それよりは国の首がその地位を守っていることの方を大切に思うのである。典型的なのは日本帝国であるが、戦争で軍隊はどんどん壊滅して行くのに、天皇の地位が保全されると約束されるまでは、何百万もの人を犠牲にして不思議とも思わなかった。そういうふうにして守るに価する地位であったのか、と後世の人々は不思議に思うのであるが、今そのことは触れない。キリストの王国はキリストが殺されても滅びなかった。

 むしろ、キリストが死ぬことが、キリストの王国の勝利であった。ここにキリスト教としては最も重要な意味の主張があるのだが、時間の点でそのことは今日は論じないで置く。ただ、キリストの死は敗北でなくて勝利であったということを覚えて帰って頂きたい。十字架という最も苛酷な刑によって殺されることが勝利だという、トンデモナイ馬鹿話し、これを今スグ理解せよとは言わないが、これを信じ、この信仰のためには命を捨てることが出来ると言う人が今でもいる事実を、打ち消すことの出来ない事実として記憶に留めて頂きたい。そのことの意味が解ける日が早く来ることを期待してやまない。

 キリストの無抵抗主義は自滅にほかならないではないか、と言っている人は少なからずいる。剣を放棄してしまえば、侵略されるに決まっている。だから、剣を持たざるを得ないではないかと言われる。武器は相手も持つのだから、相手より殺傷能力の大きいものを常に持たなければ意味がない、と言われる。その武器を、相手が先に使ってはこちらが滅びるから、先制攻撃を掛けなければ武器を持つ意味はない、ということになる。それよりは非武装の方が、要らぬ思い煩いをしないだけ有利ではないかという意見もあるが、残る問題が二つある。

 一つは人間に付き纏う不安である。何もないよりはあった方が安心出来る。つまり、何か形ある物に頼りたい。それが本当に頼りになるかどうかは極めて不確かなのに、見えない物よりは見える物に縋ろうとする。「備えあれば憂えなし」という諺が昔あった。昔はそうだったかも知れない。しかし、今では有事に備えて貯金して置くと貯金は目減りする。目減りを少しでも少なくしなければならないというので日夜憂えている人が多い。

 もう一つ考えなければならないのは、殺されることによって勝利するということである。この二点については今日は解説しない。

  「二つの王国」という議論立てが、キリスト教には最も古い時代からあった。これをどう論じるかで、実はかなりの違いが生じるのであるが、二つの王国という議論を認めないような考えはキリスト教でないと言って良い。すなわち、この世の中にドップリ漬かって、自分自身の中にもある二つの王国の確執をまるで意識しないようなクリスチャンの信じる宗教は、今、イエス・キリストのお言葉で明らかになったように、偽りのキリスト教なのである。

 さて、二つの王国があり、我々はその両方に身を置くが、大事なのはキリストの王国に属しているということであるのは議論の余地なしとされて来た。キリストの王国をこの世の中で表しているのがキリストの教会だということも理論としては明快に分かる。だから、教会は武力を用いない。

 例えば、武力で威嚇して、「痛い目に遭いたくなければキリスト教を信じろ」と圧力を掛けるようなことはすべきでない。こういうことはハッキリしているのだが、ハッキリしていることを誤魔化して、正当な目的のためには武力を用いて良いのだという意味の主張をする人は少なからずいたのである。武力ではないが、経済力で圧力を掛けることはさらに手広く行われているが、キリストの王国の主旨に叶わないことは言うまでもない。

 こういうことで、キリスト教が本来の線から逸脱したことについて、我々は常に批判し、そのようなキリスト教を本来のキリスト教だとは思わないでくれ、と世の人々に訴えて来たことについても今日は黙っておく。

 一人の人間が二つの王国という原理に生きることは平易だとは言えない。しかし、この原理そのものを理解するのは平易だと言うべきである。武力行使という一点を取り上げるだけでも、二つの王国の違いは歴然としている。キリストの王国は武力を用いないし、殺されても勝利するという原理を持つ。世の国々は王国であれ共和国であれ、武力を持たなければ国を国として維持することが出来ないということを原理として立っている。これまでズッとそうであった。

 ところが、この世で一つの国を建てて行く原理として「非武装」、「国の交戦権は認めない」、「国際紛争の解決手段としての戦争は永久に放棄する」、ということを打ち出した憲法が人類の歴史に登場したのである。これまでの考えでは間に合わない。

 「これはオカシイから、この憲法を成立させてはいけない」と主張する人は当時の日本には共産党以外にはなかった。キリスト教はそれと別の論理であるが、憲法の原理はオカシイから反対する、と言うことが出来た。反対しなかったのは、占領軍の権威で押し付けられて反対出来なかったから、という一面がある。

 私も反対しなかったが、自分の思想が未熟であったからである。それにしても、反対を表明することは出来た。それをしなかった責任が問われることは承知していたから、このことはズッと考えて来た。そして反対しなかったことが正しいと確信している。

 あの時、本心では反対なのだが、圧倒的戦力で日本を占領している占領軍の側から示された憲法案だから反対出来なかった、とあとから言い出した人がいる。その人は第二次世界大戦についても、自分は反対だったが、とても反対出来る空気ではなかった、と弁明する人たちである。すなわち、自分が正しいと思う意見があっても、多数意見の前で尻込みしたというだけのことである。

 私は反対しなかったが、分からない所が沢山あるので考えていた。まだ道の途中であるが、戦争の無意味さについてますます良く分かった。すなわち、戦争自体はますます大型化し、大量の殺戮を行なう。多く人を殺すほど武器として効率が高いという考えがあるため、ドンドン残虐な兵器が開発される。兵器開発競争もエスカレートする一方である。

 このような無意味な戦争を如何にも意味あるように人を騙す宣伝技術も発達した。

しかし、無意味なものを意味ありと考えさせようとする無理は、簡単にほころびる。

人が真理のために命を捨てる権利はある。この権利は人間の尊厳のために保存されねばならない。しかし、真理のために犠牲を覚悟するのは、人から強いられてではなく、洗脳されてでもなく、その場だけそう思い込ませられるのでなく、丁度、先ほどイエス・キリストの死が敗北でも破綻でもなく勝利であったと言った、そのような死に方こそ意味があるのであって、その意味はまた多くの人に認知される。結論的に言うなら、死の意味を国家が押し付けることは出来ない。

 国家は権力、武力などの力のシステムによって成り立つが、それと別の成り立ちをする領域があると我々は考えていた。すなわち、教会である。現在でも国家は大体そのようなものであるが、そのようなものとしては立ち行かないと今日、心ある人たちは気付きはじめた。そういうことを考えないではおられなくなったのが2001年9月11日であった。その後、国家のますます浅ましい姿が全ての人の目に明らかになった。

例えば、アフガン戦争とイラク戦争をしたアメリカである。アメリカだけではない。

アメリカに攻撃されて潰された国も国民に対しては威張っていたが、情けない国であった。アメリカに反対するだけの考えがなくて、確信のないままにその戦争の手伝いをしている日本の国も情けない。

 政府のやっていることを批判するのは簡単だが、批判してもこれを変革出来ない我々も情けない。神の裁きが下るであろう。

 キリスト教は一部を除けば、今回のイラク戦争に反対したが、戦争を止めさせるだけの力はなかった。見識としては間違っていないと信じるが、言うだけで、戦争を止めることが出来なかった責任がある。その責任を神の前に覚えなければならない。

 予定の時間を越したから、スッキリ纏まらないままで話しを閉じなければならないが、「剣をとる者はみな剣によって滅びる」という言葉は真理である。

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