2002.01.15.
東京中会靖国学習会
信仰告白の事態ということ


渡 辺 信 夫 
 
「信仰告白の事態」という言葉は、我々の教会の中で時々耳にするものであるが、馴染みある用語ではない。語られる機会が少ないのは、難しいからであると思う。原則自体は分かり易いのだが、キチンと考えて行くと難しい。だから、余り深く立ち入らない先に議論を打ち切る場合が多い。 
しかし、日本キリスト教会の中では、一応、或る程度の共通理解があると言える。これは日本キリスト教会が靖国闘争を始めた時からの姿勢であって、我々の教会は靖国法案阻止闘争を単なる政治運動でなく、「教会の闘い」、「信仰告白に関わる闘い」として位置付け、ヴォランティアでなく委員を挙げて戦って来た。このような取り組みをして来たのは、日本では我々の教会だけであって、他の教派においては、教会そのものでなく、教会内有志、あるいは教会の外郭団体がこの務めを担うという形をとっている。 

視点を変えて言うと、教会としての主体性を神学的に確認しないままにこの闘争に参加するとすれば、その案件を政策としている政党に接近して行くことになる。我々も一市民一有権者としてそのような態度表明をすることは何ら問題ではないが、政党の政治闘争に連動するとなると、政党独自の考えに巻き込まれることになりかねない。教会はそこでは政党支持者を獲得する組織に化してしまう危険がある。 
そのように、日本キリスト教会の中では靖国闘争は初期以来ずっと「信仰告白に関わる闘いである」と言われて来た。これは教会の歴史の中で「信仰告白の事態」という言葉で捉えて来た内容と同じである。これで何となく分かったつもりになっている。 

それでは、日本キリスト教会の中で事柄の本質的な把握が出来、また普及しているのかと言うと、出来ている面が全くないとは言わないが、そうでない面もある。分かっていないし、普及もしていない。私自身はじめからこの闘争に馳せ参じた者として、これが時の経過のうちにますます名目倒れになっている現状を深刻に憂えているが、自らの力不足で、問題点を十分抉り出すことも解決することも果たせなかった。その不十分さを恥じているので、大声でこの問題を論じるのを躊躇っていたのである。 

今回、この主題で講演することを求められて、引き受けたのは、準備が整って自信がついたからではない。依然として不十分なままであるが、私なりにこの課題について考えて来たことを纏めて置かないと、もう時がないかも知れないと恐れるからである。「時がない」とは、日本がドンドン悪くなっていて、今すでに遅すぎるのであるが、これ以上遅くなると、物が言えなくなるばかりか、まともに考えることさえ非常に困難な状況になるかも知れないし、我々の戦いの意味が変化して、単なる自己満足、あるいは後日のためのアリバイ作りになってしまうという意味である。もう一つ、私自身、すでに老醜を曝して生きていると人から指弾される歳になっているので、これ以上遅いと、論じることも出来なくなる恐れがあるからである。自分のことを語るのは聞き苦しいのであるが、私は戦争の中で青年期を迎え、前線に駆り立てられ、キリスト者として生きるとはどういうことかをそれ以来60年考え続けて来た。まだ分かっていないことが多いが、到達した所だけでも言い残して、次の世代に受け継いで貰いたいと思っている。 

用語の説明最初に「信仰告白の事態」という神学用語について解説する。この言葉は宗教改革の中で作られた術語である。したがって、プロテスタントの圏外では成り立たない考えであり、宗教改革の教会であろうとする意識の稀薄なところでは問題にされない。したがって、我々の教会が宗教改革の教会であろうとしているのかどうかという点を先ず洗い出さなければ、実りある議論を展開することは出来ない。しかし、今その問題に踏み込むと、講演の本論に入る時間はなくなるので、割愛せざるを得ない。この問題を一応クリアしたところを出発点として話しを始めることを了解願いたい。 

宗教改革が「キリスト者の自由」という主張を掲げたことは広く知られていると思う。 

「キリスト者の自由」という考えが今日の主題に大きく関わることは確かなのであるが、今日はこの「キリスト者の自由」についても論じない。実は、「キリスト者の自由」というスローガンが日本の教会の中で、深い理解なしに、歴史的知識としてもいかがわしいままで語られている事実を先ず問題にしたいのであるが、これまた時間を節約するために省略する。 

マルチン・ルターによって唱えられた時の「キリスト者の自由」の理論のうち比較的大きい部分を占めているのが「アディアフォラ」理論であるということは、知って置いてもらわなければならない。宗教改革における「自由」は、「良心の自由」また「信仰告白の自由」という形で提示される場面においてこそ重要であって、アディアフォラ理論はずっと意味が小さいと思うが、その大事な方のことは今日は多分論じている時がない。 

「アディアフォラ」とは「善とも悪とも断定出来ない」、したがって「しても、しなくても自由である」という意味のギリシャ語である。この言葉は昔からあるが、盛んに使われるようになったのは宗教改革以来である。 
カトリック教会は「行ないによって救われる」と教えるから、何を行わなければならないか、何をしてはならないかがハッキリしなければならない。そこで、行なうべきことを教会法によって規定する。何をすべきか、何をしてはならないかは、本来神によって定められているが、神によって定められていない部分も多いから、その部分については、教会が神に代わって定めることになる。つまり教会法である。したがって、神によって定められた律法と、教会の定めとは、現実には同列の権威のものとされた。 

それに対し、宗教改革では、神によって定められたことは守らなければならないが、教会の定めは神の定めと同列ではなく、絶対ではない。してもしなくて、もどちらでも良い、「アディアフォラ」であると悟った。アディアフォラではしてもしなくても同じであるから、行わない自由はあっても、そこには積極的な自由という意味はない。すなわち、アディアフォラ理論だけでは自由論にはならない。 
勿論、聖書が禁止していさえしなければ、何をしても良いというわけではない。律法の根幹は「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして神を愛する」ことと、「自分自身を愛するのと同じように隣人を愛する」ことであるから、この命令を正しく噛みしめれば、人間の生の全領域をカヴァー出来る。これは聖書を素朴に読むだけで十分明らかになることである。そういうわけで、一方においてはキリストにある自由ということが確立しているだけだが、他方においては生の全領域にわたる規範がある。 

上に述べたように、宗教改革の中では、絶対にこうしなければならないとは言えない「アディアフォラ」の領域があるという主張が確立したが、それとともに、もう一つ、アディアフォラを制限しなければならない事態があると考えられた。その事態は二つある。先ず、「躓きの事態」がある。これは非常に古くから教会の中で考えられて来たケースである。分かり易い実例として、パウロがコリント人への第一の手紙8章で取り上げているものがある。偶像に供えた肉が、その後市場に流れて売られる。それを買って食べることがキリスト者として許されるのかどうかが問題になったところである。 

偶像なるものは意味もないものである。だから偶像に供えられたからといって、何かの意味が加わったことにはならない。忌まわしい物になったわけではなく、これを食べるのも食べないのもアディアフォラである。しかし、これを食べることが弱い人の躓きになるという状況があるなら、食べてはならない。このことを言い表した定式が「躓きの事態」におけるアディアフォラの制限である。 

アディアフォラとして扱うことが出来ないもう一つの場合今述べた「躓きの事態」は聖書を人並みに読んでいる人には、全く平明に理解されていると思う。それならば、同じように「信仰告白の事態」も原理的には十分わかると思う。 
そのこと自体は善でも悪でもなく、したがって、しても・しなくても自由であるが、信仰告白が関係して来ると、どちらでも良いとは言えなくなる、そのような状況がある。 

宗教改革の過程でそういう場面が実際にあった。 
宗教改革当時のドイツ帝国は世俗国家ではあるが、現代から見れば、国家の理念の中に宗教的要素が濃厚に盛り込まれていて、名前も正式には「神聖ローマ帝国」であり、ローマ教会とペアになってキリスト教的理念を実現するためにこの国家がある、と皇帝たちは考えていた。つまり、ローマ教会に楯突く宗教改革が起こったことは、国家にとって不祥事であり、このような不祥事を解決するのが皇帝の使命であると考えられたのである。 
そこで、教会分裂をこれ以上拡大しないように凍結し、その間に再一致のための本格作業、つまり会議を開いて信仰告白その他を確定しようと考えられた。そして、それまでの暫定的な状態を固定して置く取り決めが起草され、この取り決めが「インテリム」と呼ばれた。「暫定信条」とか「仮信条」とか呼ばれる。プロテスタント側の言い分も一応取り入れたが、かなり妥協的でカトリック寄りのものであった。信仰的にはこの線まで譲歩で歩み寄らせ、礼拝形式はカトリックのものに戻して、それ守らせることを皇帝の権威をもって押しつけて来たのである。1548年のことであった。 

その時、改革者ルターは死んでおり、ルター派の中の穏健派は再一致のために譲歩しても良いではないかと考えた。その代表者はメランヒトンであるが、アディアフォラ理論を持ち出した。すなわち、礼拝形式は神の言葉によって直接に規定されたのでなく、「アディアフォラ」であるから、譲っても良いと言った。 
その時、マグデブルクの神学者フラツィッヒは「躓きの事態」と「信仰告白の事態」においてはアディアフォラはない、と断言し、多くの人がそれに同意し、この市の牧師たちは「マグデブルク告白」と呼ばれる宣言を発表する。この時、マグデブルクの牧師たちは、信仰のために武器を執って帝国の権威と闘うことも場合によっては必要であると主張した。その意気込みに押されて、インテリムの強硬実施は出来なくなったし、「信仰告白の事態」という考えは一応定着した。通常、教会の取り扱う事項ではないとされていても、アディアフォラでないなら、教会の取り扱う事項になる。 

問題をもう少し良く咀嚼して消化するために、16世紀以後のドイツの状況と、それと全く異なる日本の状況を比べて見たい。 
ドイツで「信仰告白の事態」という言葉が新しく捉えなおされる時があった。1933年である。ヒットラーが政権を執った。ドイツのプロテスタントの多数派はそれに靡いたが、少数派はこれを信仰告白の事態として受け止め、抵抗を始めた。その頃から、一旦死語のようになっていたこの言葉が甦る。 
誰が政権を執ろうと、永遠なる事柄と関わっている教会にとっては、どうでも良いように一応思われる。しかし、信仰の告白に関わる事態であるならば、どちらでも良いという態度をとってはならない。そこで戦わないならば、教会はキリストの教会であることを止めてしまうのである。この時代状況について解説が必要かも知れないが、これも割愛するほかない。分かり難いと感じる人はヒットラーの政治がどういうものであり、それに対する告白教会の戦いがどういうものであったかを自分で学習して貰いたい。 

日本にも同じような状況が起こった。国内体制は圧制的となり、国外には侵略が進んだ。その時代、旧日本キリスト教会の中にドイツの教会闘争にある程度の理解と共感を持つ人がいたが、日本の教会闘争はついに起こらなかった。その理由は、一つは、こわくて物が言えなかったことと、神学と信仰告白について分からねばならぬ程の基礎知識もなかったことにある。その時代のことを幾らか知っている者として、私自身がそういうキリスト者であったと証言しなければならない。こういうことを証言するもっと適任の人はほかにいるはずだが、彼らは言わない。分からなかったのだと言っても面子が潰れるわけでない若造の私が言うほうが簡単である。 

そういうことで、戦後、私は戦争中の自分について反省し、同じ過ちを繰り返さないために、自分を作り替えて行かねばならないと考えて来たが、こわくても言うべきことを言う信仰者にならねばならない、という目標と、分かっているべき最も基本的なことが分かるまで学びを深めなければならない、という目標を追求して来た。 
日本的な思想環境我々の身辺には、信仰告白の事態という考え方を成り立たせなくする雰囲気があるということにも一言触れて置く。日本では遠藤周作の「沈黙」という小説が割合評価されている。カトリックの作家であるから、カトリックの中でもてはやされるのは当然であるとしても、プロテスタントの中で人気がある。これは日本のプロテスタントの多数派が上記の宗教改革の精神から如何に外れたところにいるかを良く示す。 
徳川時代のキリシタン禁制の時に考え出された弾圧方法の一つに「踏み絵」というものがある。キリシタンであるかどうかを見分けるために、キリストやマリヤを描いた絵を踏ませて見る。カトリックではこういう絵に意味を与えて来たから、信者は決して踏まない。踏まないか踏むかは、信仰があるかないかに関わると彼らは理解しているから、信仰者であると自己確認をしている人は踏めないのだ。ところが「沈黙」の主人公は踏むのである。そして、その決断に共鳴するクリスチャンが日本には多い。 

では、我々が踏み絵を踏ませられたなら、どうするか。我々はキリストを描いた絵を偶像であると看倣す。それは破棄されねばならない。それならば踏みつけても良いわけだ。十誡の第二戒についての宗教改革の聖書理解は、聖書の本源の理解に立ち返っているから、描かれたキリストはキリストそのものと全く別だし、描くことがそもそも違法である。また、聖書が言うように「心に信じて義とされ、口に言い表して救われる」のであるから、信じていることは口で告白すべきである。黙って踏むか・踏まないかの行為によって信仰を表明することは聖書にしたがえば成り立たない。 

だから、踏む・踏まないは問題にならないし、踏んでも・踏まなくても同じだと言えそうである。だが、信仰告白が関わっている事態においては、事情が別である。踏んでも踏まなくても良いとは言えない。勿論、踏む・踏まないでなく、その前に、自分はキリスト者であると告白していなければならず、また出来るなら説明をつけて、「これは信仰告白の事態であるから、踏んでも良いのだが今は踏まない」と宣言して踏まないのである。 
実は弾圧の中で転んで、それを肯定しようとし、その意味付けを文学によって行ない、その文学が喜んで読まれている状況、これが問題だということに留意したい。例えば、あの当時、踏み絵は踏むけれども、隠れキリシタンという形で信仰を守ろうという姿勢の人もいた。その人たちにとっては小説「沈黙」が描いている世界、その意識状況は何の意味もない。そういう小説を喜んで読む事情は極めて異常だ、少なくとも特殊な時代状況だということになる。 

踏み絵の場合よりもっと生々しい実例がある。1930年代に日本で起こったことであるが、天皇の統治下で、神社参拝が全国民に課せられた。これは国民としての務めであるから、キリスト者も守るべきであって、またキリスト教信仰に抵触するものではないと説明された。この説明に日本の教会からは何も反対意見は出なかったが、韓国では命を懸けて抵抗する人はいた。日本でも「これはオカシイ」と思った人はいるようである。私は子供であったが、日曜学校で教えられることとは違うではないかと感じた。その時、「間違いだ」とまでは言わないとしても、「オカシイ」と言ってくれる大人がいたならば、私の人生は違ったであろうが、そういう大人の声は私の耳には全く届かなかった。 

だから、私は人生の半ばを過ぎてからやっと気付いて、声を届かせてくれなかった世代を告発することを義務として始めるとともに、同じ過ちを犯して次の世代の人を躓かせてはならないと考えて、叫ぶ声を大きくする努力をするようになった。 
神社参拝はアディアフォラではない。明白に第一戒・第二戒に抵触する。しかし、これを否定しなかった人の考えの中には、若干アディアフォラの発想に類似するものがあった。パウロが「偶像はなきものであると知っている」と言うように、神社は無内容なもの、無きものであって、拝むことに意味があるかどうかを論じることすら愚かであると断定して良い。だが、拝んでも拝まなくても同じだと言えば、明らかに間違いだし、強制のありなしに関わらず、拝めば神に逆らい、人に躓きを与え、信仰告白の放棄になる。 
すでに16世紀の人が考えていたこと、隣りの国では実行されていたことを、日本の教会はどうして学びもせず、また身につけなかったのか。私は宗教改革の勉強をして来たのだが、この事情がなかなか分からなかった。「信仰告白の事態」というような言葉があることは勿論早くから知っていた。しかし、そういうことを言わなければならないのは何故かということが分からなかった。分かったのは靖国闘争の渦中に身を投じてからである。そこで目が開けた。 

そこで良く分かったのは、この国でまことの神なる唯一の父、まことの唯一の主なるイエス・キリストを信じて生きるとは、非国民になることだということである。「非国民」という言葉を使ったが、極めていかがわしい言葉であることはご承知と思う。しかし、私は小さい時から教えられて、クリスチャンは非国民になってはならないと信じて来た。 

分かった以上は大声で言わなければならない。これが分かるだけのレヴェルで宗教改革を研究しなければ本物でないということも叫ばなければならない。しかし、叫んでも聞いてくれる人は余りいない。むしろ、宗教改革など古いことを学んでも役に立たないという意見の方が強いようである。これでは次の嵐が来た時に、教会が前の時以上に惨憺たる壊滅に至ることを予知させる前兆ではないか。 

問題の難しささて、「信仰告白の事態」に関して難しい点があると言ったが、今まで論じた限りでは、躓きの場合と平行に考えて、原理的に難しい点はないではないかと思われるであろう。 

難しいと言えば、原理を理解する難しさでなく、原理を実践する難しさ、正しいと分かっていても死を賭して実行しなければならない場合の難しさだけのように見えるかも知れない。実行の難しさについて、私は今日は論じないでおこうと思う。論じることによっては何も見えて来ない。これは考えたり討議したりする種類の問題ではなく、初めの時以来、祈りによってこそ解決が見えて来る種類のものである。 

しかし、理論構築の面でも難しいところは沢山ある。すなわち、原理的にはその通りであるが、その原理を現実に展開して行こうとすると、途端に難しくなる。それは「信仰告白の事態」という概念そのものに不完全さがあって神学的公理として扱えないからである。 

原理を展開して行く際の難しはが二つある。一つは、どういう状況が信仰告白に関わる事態であるかである。平生から信仰告白の事態であると分かっている事項ならば、信仰告白について考える時、当然考慮に入れられる。また、予想される問題であれば、牧師や神学者は普段から考えておかねばならない。しかし、予想出来ない事態が起こることは決して稀ではない。予想出来なかったのは視野の狭さとか、見通しの甘さによる落ち度と言えなくないが、今それを論じても意味はない。 

我々に予想出来る範囲を超えた事件は起こって当然であるが、それに対処する姿勢として我々に命じられているのは、「目を覚ましておれ」ということである。目を覚ますとは、単なる感性の問題ではない。ことがらを信仰的に受け止め、信仰的に対応することが出来る状態を維持して生きておれということである。 

それにしても、「これは信仰告白の事態だ」と判断するのは必ずしも容易ではない。だが、多様な判定があるということではない。それならば、アディアフォラになってしまう。信仰告白の事態とはアディアフォラが否定されるということだ。ただ、答えが出るまでに時間が掛かる場合がある。そして、時間が掛かるのは悪だと言い切ることは出来ない。遅れても行き着く人はいるし、早く着いたけれども節操を守れなかった人もいる。 
しかし、信仰の感性が目覚めていることは必要である。すなわち、「あなた方は時を知っているのだから」と言われたのは無意味でなく、信仰を証ししつつ生きることが妨害されている事態に鈍感であってはならない。だから、信仰告白の感性を磨くことが必要である。 

もう一つ、信仰告白の事態だという判断がどういう手続きによってなされるかという問題の難しさがある。信仰告白の事態の判定は信仰告白に関わる判定として扱わねばならない。すなわち、教会には教えるべき事項を決定する権能がある。教理の制定とか、信仰告白の制定と言っても同じである。 

その決定の権能は本来は教会の主に属する。しかし、主はその権能の行使を任職によって仕え人に委ねたまい、仕え人は会議によってこの権能を行使すると我々は理解する。 

だが、なぜ会議がその権能を持ち得るのかということについては必ずしも一致した理解があるとは言えない。私自身の考えはあるが、今はそれについて論じなくても良いと思う。 

会議において決定すべきであれば、会議が恣意的に運営されることがないように会議の法がなければならない。それでは、信仰告白の事態を会議において審議し・決定する際の法はどうなのか。これは明文化されていない。明文化された法がないということは、審議も決議も出来ないと言う意味ではない。会議の法の根源に遡って法を見つけ出すことは出来る。すなわち、教会の主は「二三人我が名によって集まるところに私はいる」と言われたのであるから、主の名によって集まるところで、主の意志を問うことが出来る。 
その会議であるが、既存の教会の教会法には会議の規定がある。その規定に基づく召集によって会議が開かれるのが正常なのだが、規定の外で、しかし教会の本源的な秩序に則って会議が開かれねばならない場合もある。例えば、1934年のバルメン会議は緊急性を持った「告白会議」として性格づけられているが、既存の教会法を超えた教会秩序に則って開かれた。しかも、この開催に当たっては既存の教会法による準備が積み上げられている。バルメン会議について興味を持つ人は少なくないが、これが教会秩序の面で多大の準備の労苦を積み上げたものであることが等閑視されている。 

実際問題として、議決は過半数をもって有効なのか、三分の二以上をもって成立なのかという問題がある。さらに、過半数にしろ三分の二以上にしろ、数が満たなかった場合、信仰告白の事態にはならないのか、という問題がある。論議を尽くす余地はあるが、信仰告白の事態であるかどうかが多数決の原理のもとに置かれて良いのかという問題がある。 

こうなると、教会の法の範囲内では決着がつかない。あるいは決定に至るまでに長期の審議を必要とし、性急な決議は再審を必要とする結果になるのではないか。しかも、信仰告白の事態は通常、素早い決断を要請すると思われる。したがって、正規の手続きによる決定でない緊急事態の決定を想定して置かなければならない。このことについて詳論する時間はないが、主の法廷の前の各人の良心の問題である。 

次元の違う世界原理的な難しさがあるのは、教会において守るべきもう一方の原理として「宗教と政治の分離」というものがあるからである。この「政教分離」は近代の憲法の規定であって、世俗の原理ではないかと言われるかも知れないが、イエス・キリストがピラトの前で「私の王国はこの世のものではない」と言われたのであるから、キリストの王国と地上の王国の分離は聖書の基礎によっていると言わなければならない。 

「私の国はこの世のものではない。もし私の国がこの世のものであれば、私に従っている者たちは、私をユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし、事実、私の国はこの世のものではない」。 

政教の分離ということを理解するために、近頃よく聞く「ジハード」という概念と対比させれば明快になるであろう。イスラムにおいては、戦争が奨励されているわけでは必ずしもないが、いよいよの場合には戦いが肯定される。ところがキリストの教えにおいては、キリストがユダヤ人に引き渡されるというような事態でも、剣を執って戦うことは否定されるのである。主イエス御自身が明言しておられる。だから、「信仰告白の事態」という理論も、主の言葉による制約のもとに置かれねばならない。信仰告白の事態だからと言って、武器を執って戦うことを肯定してはならない。アディアフォラでなくなるだけである。 

先ほど、信仰告白の事態という理論を提唱した人が、この同じ文脈のなかで武器を執って戦うよう激励した歴史に触れたが、我々はその主張をもっと厳正に検討しなおさなければならない。ここには「抵抗権」という古い思想を再確認した事実があり、その出来事を私は重視しているのであるが、抵抗権と信仰告白を無雑作に結び付けては危険であると考える。信仰告白の事態は信仰の名による政治的越境、緊急事態における暴力行使の是認にすり替えられて論じられたこともある。
 
パウロがローマ書13章で言った、公共の益のための剣の行使は神の許可したもうところであるという見解は、キリスト教の共通理解である。また、ローマ帝国がキリスト教迫害を止めるのみならず、キリスト教を国教化するに及んで変化が起こったが、それまでは、キリスト者は権力による剣の行使を認めはしたが、自らは剣を執る立場には立たなかった。ところが、キリスト教が国教となると、剣を執る立場にキリスト者が立つのは当然だという見解になった。また、正しい戦争があるという主張も自明のこととして考えられるようになった。 

しかし、これが神のみこころの正しい理解であるかという疑問が、ラディカルな宗教改革の中から出て来た。このラディカルな宗教改革に対して、ルターも、そしてカルヴァンも手厳しく批判している。それでプロテスタントの主流はその批判を受け継いで来た。私もその線を御言葉にしたがって受け継ぐのであるが、歴史学が進んで、ラディカルな宗教改革についても、国家間の戦争の実態についても、昔よりは精密な理解が出来るようになっているから、多少の修正は必要である。 

ラディカルな宗教改革を唱える考えの中に、宗教改革的原理の中核部分と言うべき「信仰義認」をおろそかにする傾向が容易に入り込む。それは、彼らの神学が神の言葉に忠実な神学であるよりも、霊的であることに重きを置いたからであると思われる。これでは宗教改革の本流から逸れたと言わなければならない。彼らの主張は彼らの基本的理解に沿っているので、その主張には今日耳を傾けるべきものがあると言えなくはないが、その主張が根底から是認されるとは言いがたい。 

聞くべき点として、「教会と国家の分離」という主張がある。これは当時とんでもない主張のように見られたが、今日においては近代国家ならどこでも認めている原理である。その先駆的役割を評価しても良いであろう。 

今日、教会と国家の分離を認めていないのは、イスラム国家だけである。イスラム国家においてはイスラム法が今なお有効性を維持している。(もっとも、近代国家で認められているから正しい、という考え方を我々は採らない。また、イスラム国家で受け入れられていないということを、正当性の証拠と看倣す考えにも与しない。)分離はイエス・キリストの一つの言葉によって基礎づけられると我々は見るが、分離というモチーフで全面的に色づけてしまうことにも無理がある。分離でなく、分離を越えての綜合を示唆する聖句がある。 

キリスト教会の中にも宗教と政治の一元化を目指す原理主義がある。その主張は近代的知性に取り残された人たちの遠吠えのように看倣されることが多い。その批判がまさに当てはまると言って良い面もあるのだが、その遠吠えから汲み取るべき訴えは何もないのか。 
原理主義は反知性主義や暴力主義と比較的容易に接近するので、忌避されることが多いのは当然であるが、これを批判する側の人々が、結局、相対主義や二元論や多元主義になって行き、自分の信ずるところが何であるか、自分自身が何であるかが分からなくなって行く。その時代風潮の中で、原理主義がある存在感を保っていることは否定出来ない。 
現実の原理主義が細部においては信仰箇条に忠実であろうとしているかのようであるが、大局的には、信仰、愛、希望の原理に背いているのではないかと私は疑うから、弁護はしないが、これを批判しても何も生み出されないことは心得ておきたい。 
この原理主義を持って来ると、あらゆる事項が信仰告白の事態になってしまう。そういうことはあり得ないわけではないが、神の国と地上の国との混同はいけない。無際限に信仰告白の事態として扱ってはならない限界がある。だから「私の王国はこの世のものではない」と言われた主の言葉の重さは忘れてはならない。 

もう一つ、原理主義の魅力は信ずることのために命を懸けるリアリティーにあると言ったが、原理主義にしかリアリティーはないのであろうか。我々の普通に告白している信仰にリアリティーが本来ある。それを回復させることは出来るし、しなければならない。差し当たって、説教がリアリティーあるものに復原されなければならない。 
この講演は初歩的なところから始めねばならなかったから、現代の状況を論じるまでには至らなかった。不満が残ることは遺憾である。そこで一言だけでも触れないままで話しを終わるわけには行かない。一言だけ言うが、現在は信仰告白の事態なのである。にも拘わらず、この事態からの逃亡が相次いでいる。その逃亡は告白すべき事項についての沈黙という形をとる。あるいは、婉曲な言い回しで逃げている。あるいは「私にはまだ分からない」という謙遜の装いによる職務放棄である。主イエスはヨハネ伝10章で、「羊飼いではない雇い人は狼が来るのを見ると逃げる」と説いておられる。逃亡には沈黙が含まれる。信仰告白の事態から逃亡している以上、その事態が現実であることは見えないのである。 

以上

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