夏の教理教育学校

歴史における福音の説教

1999.08.25.日本キリスト教会神学校にて

渡辺信夫


 
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 私に課せられた題は「歴史における『福音の説教』」であるが、これを「歴史における『神の言葉の説教』」と言い換えさせて頂こうと思っている。理由は、こうした方が私の考えていることを語りやすいからである。そして企画者の意図に外れることにもならないと思うし、 題の変更によって聞く方々に不利益は生じないものと信じる。
 「福音の説教」ということになったなら、イエス・キリストが「時は満てり」、「汝ら悔い改めて福音を信ぜよ」と言われたその時点から「福音」の説教が始まったのではないか、それ以前には「律法」の説教しかなかったのではないか、という見解が持ち出されるかも知れないのである。この問題はキチンと処理しなければならない。そこで、福音の説教の歴史がその時からのものと捉えては正しくない、ということを先ず詳しく述べなければならなくなる。神の言葉はズッと以前から説教されていたのである。私は神の言葉が旧約の時から世の終わりまで宣べ伝えられるという見地に立ってこの講演を進めている。
 キリスト以前から語られていた神の言葉を「福音の説教」として扱うことが出来る。例えば、ハイデルベルク信仰問答の第19問で、福音が「最初楽園で示された」と言うように、アダムたちが楽園から追放される時、呪いの言葉のうちにではあるが、その呪いに限界があることを示して、創世記3:15に「女の裔が蛇の裔の頭を踏み砕く」と予告される。これを「福音」と解釈することは出来るのである。しかし、福音が語られたというよりは、本来福音でない言葉が語られたけれども、そこに福音の到来を予告するある種の閃きが示された、と解釈するに留めた方が適切ではないかと私は思う。あるいはまた、律法が宣べ伝えられることは結局、福音の必要を語ることだという議論も出て来る。このことを論じていては時間を取る。無駄に時間を費やすのではないが、主題からそれる。ここで福音と律法の相違を論じることは適切でないと私は考える。そこで、簡略化して「神の言葉の説教」について語ることにして、先に進むのが適当である。
 もう一つ、この題から「説教の歴史」の講義を期待した方があるかも知れないが、そうではないことを断わって置きたい。説教の歴史を語る時間があれば、取り上げるのが本当である。しかし、今回はそれだけの時間はない。

 
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 神と人との関係について考えて見たい。我々の神はつねに言葉を語る神としてご自身を啓示したもう。「神」と言われるものが数ある中で、ヤーヴェはご自身がこの点において他の神々と決定的に異なることを、旧約聖書の至る所に宣言しておられる。これが「物言わぬ偶像」との違いである。十戒の第二戒で、神がご自身の形を像に刻むことを固く禁じたもうたのは、見えざる神を見える形に変え、霊にいます神を物体によって表現することが不正であるだけでなく、言葉をもってご自身を伝達したもう神を、言葉以外の方法で認識し・把握しようとする試みが冒涜になるからである。
 そのように、神と神の民との関係は、終始、「言葉」による関係である。そして、言葉による関係とは、神が語り人が聞く面とともに、人の側から神に言葉を差し出すという面もある。すなわち、祈り、願い、讃美である。今回は祈りのことは扱わないが、ひとこと、我々からの言葉が神からの言葉への応答であるのみならず、我々の讃美も祈りも神がこれを我々の口に入れたもうからこそ成り立つ、という点に注意を喚起したい。人間の自然感情から、また生来の言語能力から、あるいは社会の中で養われた言語感覚に基づいて、神への讃美と願いが発するとする考えは却下しておく。

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 上に述べて来たことの反面として、「語る神」に対して、「聞く民」があるということをキッチリ捉えて置く必要がある。ただし、ここでは、聞くものがいることを前提として、神の語り掛けが行なわれるのではない、という原理を第一に確認しなければならない。これは、神の言葉に関するもっとも基本的な理解また確信である。この確信が失われると、神の言葉を神の言葉として把握することが出来なくなる。
 言葉は人間も語っており、人間にとっても極めて大事なものである。言葉を持つからこそ、人間は被造物の間で傑出した地位に立つ。そして、言葉は本来真実でなければならず、言葉に信頼が置かれなければならないという点から、神の言葉を人間の言葉との類推で考えることも禁じられていない。けれども、神の言葉と人間の言葉を同一平面に並べることは出来ない。――人間の言葉は相手との相関関係の中にある。聞く人がその言葉を理解しなかったならば、理解しなかった責めを負わねばならないけれども、そういう分からない言葉を語ったほうにも落ち度があるとされるのである。ここでは、語る側と聞く側は基本的には対等であり、相対的である。一方が正しく他方が間違っているという場合は当然あるが、それは人間としての存在を否定する根拠にはならない。正しいことを言っている人と、正しくないことを言っている人とが入れ替わる場合が稀ではないではないか。
 ところが、神が語られる時、聞く人間が神と対等であると考えてはならない。神の語り掛けは絶対的である。神の言葉を聞いて分からない責任を神に帰してはならない。責任は人間にある。「汝、物を言う時は正しとせられたもう」とある通りである。
 もっとも、神の言葉が相対的であるように見える場合もある。例えば、神が先に語ったことについて「悔いたもうた」という言い方が旧約聖書にはしばしば出て来る。こういうのは擬人的表現であって、人間の理解力の線まで神が表現をレヴェルダウンされたに過ぎないと容易に説明がつく。
 それでも、単なる表現と言ってはならない場合もある。例えば、アブラハムがソドムのために執り成しをし、義人が50人いれば滅ぼさない、との約束を取り付けた上、さらに、もし5人欠けたならば、10人欠けたならば、と問いを重ねて行く。その時、神はまるで譲歩するかのように基準を切り下げて行かれた。もし、アブラハムが問わなかったならば、神の憐れみは隠れたままで、見出されなかったであろう。
 一般的に言えば、「求めれば与えられる」。「門を叩けば開けて貰える」。求めなければ与えられない。叩かなければ閉ざされたままである。そういう相関的な関係がある。信仰も、踏み込んで求める時、もっと深い世界が開けて来る。恵みの泉は汲めば汲むほど豊かになる。汲まなければそれは分からない。信仰に与えられているこの約束は確かに重要である。それにしても、神の言葉が絶対的であるという原則は動かない。

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 聖書が最初のページで教える通り、はじめに地はただただ虚しく暗黒であったが、神が「光りあれ」と命じたもうと、光りが存在を始めた。神の言葉によって光りは存在へと呼び出される。神の言葉には無から有を創る力がある。
 次に神はこれに「光り」という名を与えたもうた。「名を与える」とは全面的な支配を意味する。創造された物に「神が名を与えた」という言い方に疑問を感じる人がいるかも知れない。人間の社会生活の中で言語が発達して、例えば、日本語では「ピカリ」という擬音から「光る」という動詞や「光り」という名詞が作られ、その語彙が天地創造物語りに適用されたのではないか、と考える人は多いであろう。その議論に反論することは要らない。しかし、人間が物に名前をつけるという行為、これは言葉の最も基本的な起源であると考えられるが、言葉の起源が神に由来するということに対しては、神を無視しない限り、異を唱えるわけに行かないであろう。人間の言葉には起源がある。その起源によって人間の言葉は支えられている。だから、言葉は信用すべきものとされ、信用出来ない言葉は語るべきでないとの暗黙の了解が人類の間にあるのではないか。 言葉の起源は、社会生活の便宜上の同意や暗黙の申し合わせであろうか。人は言葉の起源まで遡って考えることはしないが、言葉が日常性を越えた深い意味を持ち、かつ確かで、真実でなければならない、と漠然とではあるが、考えているはずである。物の名前を与える機能が神に由来するということは、言葉の根源に関わり、かなり重要なのだ。
 第二に考えたいことは、「神の言葉が聞く者を創造する」ということである。旧約のイスラエル、新約のキリスト教会、これは他の被造物と同じ次元で創造されただけでなく、「神の言葉を聞くために」創られた産物である。この事情は角度を変えて「選び」と呼ばれ、また「召し」と言われる場合も多い。――選びの問題は、御言葉の理解に関して非常に重要である。だが、これを論じ始めると、それだけで時間を超過することになるから、今回は触れただけにする。
 神の言葉が聞く者を創造するとの確認がないと、聞く人のいないところで宣べ伝えることの意味が見出せなくなる。聞きたいという需要のある所でのみ、あるいはその需要がある程度の数量を見込める所でのみ、神の言葉を頒布することが成り立つという発想になる。それでは商業行為ではないか。確信をもって伝道するためには、御言葉が聞く人を創り出すことを信じなければならない。
 「救霊」という言葉が福音派の中では熱心に語られる。「往きて宣べ伝えよ」と主が命じたもうたのであるから、この熱心には意味があると見られる。しかし、「神の言葉が聞く人を創り出す」という確信を踏まえた上で「救霊」を追求しているのかどうか、と問わねばならない。魚がいるから網を下ろすというのは間違いではないが、それは需要のある所で供給を行なう、そしてそれなりの成果を得る、という経済的行為とどれだけ違うのか。魚がいないと分かっていても命じられれば網を下ろすのではないだろうか。

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 第三に、神の言葉によって創造された聞き手は、創造の完了とともに神の手を離れ、以後、自立的に聞き、考えかつ語るようになるのか。そうではなく、最後まで神の言葉のもとにあり、それに統治され、生かされる。
 近代的な理解に際してしばしば用いられる時計の比喩がある。時計職人によって時計が作り上げられると、その作品は作者の手を離れて動き出す。被造物は無から存在に至るまでは創造者を必要とするが、創造された後は創造者から自立する、という考えは、もともとあったが、近世に至って特に顕著になり、人間は神によって創られたが、神なしでも独り歩き出来るのだという考えが露骨になった。そして、この考え方が、神の言葉を聞く姿勢にもかなり入り込んでいる事情に我々は気づくのである。
 旧約のイスラエルの中にもこの傾向はあった。彼らは自分たちの宗教の創始者がヤーヴェ神だということは弁えている。神礼拝の儀式は絶やさない。しかし、その儀式は形骸化し不純化していた。宗教的であるが、神を本気で信じてはいない。宗教的であることは社会を維持するために不可欠なのである。それはその社会を自立させることに過ぎない。この頽落を食い止めるために立てられたのが預言者である。
 同じようなことはキリスト教会の中にも見られる。教会が成立して以後は自立し、神の言葉に対して自立した判断を持つ、と考えている人が少なくない。そこでは、「神の言葉の説教」と称する宗教的形式はあるが、それが形骸化して、神の言葉が本当は語られておらず、聞かれてもいない、それで当り前とされている、という事態があるのではないか。そうならないために、教会には預言者的機能がある。今日の説教者はその機能の担い手である。にも拘わらず、その職務も教会の自己目的化の中に組み込まれているようである。
 以上のことと関連して、御言葉の作用が、聞く者を創り出すだけでなく、「聞く者をつねに聞く者たらしめる」という点をも見落としてはならない。
 第四に、神の言葉を聞く側の自己意識として「教会論」が立ち上がらねばならないということに一言触れたい。これも触れるだけに留めるほかないのであるが、教会論がシッカリしないところでは、「御言葉、御言葉」と叫ばれながら、御言葉を聞く姿勢が結局確立しないし、養われもしない。
 初めは聞きたいとの願いもなかった者が、御言葉を語りかけられて後は、聞く者となり、聞く者に相応しくなろうとする精進が生まれるのである。それを成り立たせるのが教会である。教会が教会であるところでは、神の言葉を聞く人が生まれ、そして育て上げられるのである。

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 もう一度出発点に立ち返るが、言葉の神は、昔も、今も、後の時代でも、その民に語りたもう。これが連綿と続いて説教の歴史をなしている、と大まかに言うことが出来る。この歴史の流れの中に我々も置かれていて、今の時における説教の歴史の継続に新しく参与しているのである。ところで、歴史における神の言葉の説教の語り方はどうなっているか。
 これについて学ぶ手始めに、ヘブル書1章1-2節に聞く。「神は昔は預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、この終わりの時には、御子によって私たちに語られたのである」。……昔と今とで語り方が違うと言うが、これは預言者によって語るのと、御子によって語るのと、二通りしかないという意味に取ってはならない。いろいろな語り方があることの一端が示された。そして、「御子によって」語られることに決定的な意味があると言われるのである。そこで、いろいろな語り方を整理して見よう。
 i)神が自ら、何も通さずに語りたもうことがあった。アダム、セツ、ノア、アブラハムなどの父祖たちに語られた場合、これは多くの場合直接の語り掛けである。
 ii)御使いを通じて語られる場合もあったが、御使いを介さないで語られた場合と本質的に異なるとは考えられない。実際、御使いから聞いているうちに、いつの間にか語り手が神になっている記事がある。
 この二つの場合に亙って、神はつねに仲保者キリストを介して語りたもうはずであるから、そこにはキリストがおられたのだ、と古代教会の教父は考えた。大事な指摘であるが、今日は、その通りであると言うだけで素通りして先へ行く。
 iii)モーセという人を仲保者を通して語られることもあった。人間モーセを通して語られたのは、神の直接の顕現、神の言葉の直接の提示に人間が耐えられないからである。モーセは仲保者的な役目を帯びているが、出エジプトとシナイ契約という重要事に関わる。モーセが仲保者職にあることを理解しなければならないが、神が手ずから石に律法を刻みたもうたという事実を考え合わせねばならない。ここにモーセの手は加わっていない。
 iv)「預言者」を通して語られることがあった。旧約時代の神と民との契約はノアの契約、アブラハムの契約、と進んで、シナイ契約によって完了した。しかし、a)民の側では契約履行がつねに危うくなるので、契約を全うするために預言者による警告が必要であった。また、b)古き契約が新しき契約によって更新される日が来るとの預言が必要であった。
 v)上記の四つの語り方は常時なされていたわけではなく、神の声が聞こえない時もあった。その時には、さきに神の声を聞いた人が聞いたことを「言い伝え」(伝承)によって語り伝えていたから、「言い伝え」を通して神の言葉が語られ、聞かれるという形をとった。また、言い伝えが書き留められたので、書かれた文字を「読み上げる」朗読によって神の言葉が民に伝えられた。

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 以上が旧約時代における神の言葉の伝達方式である。新約時代はどうか。非常に大きい違いは、「旧約の人たちはあなたがたが見ている事を見ようとしたが見ることが出来ず、あなたがたが聞いていることを聞こうとしたが聞けなかった」と主イエスが言われる点である。しかしまた、「アブラハムはこの日を遥かに見て喜んだ」とも言われる。遥かにではあるが見たのである。ハッキリは見えなかったが、遠くから見た。
 また、「汝ら行きてもろもろの国人を弟子とし……」と言われているが、選民と異邦人の区別は撤廃され、宣教の規模が地の果てまで拡大された。ただし、本質的には「神の民」への呼び掛けである点で変化はない。血統による区別と国語の違いは撤廃された。神の言葉の語りかけそのものは、先のヘブル書の表現によれば、
 vi)「この終わりの時には御子によって語られた」。それでは、「御子によって語られる」ことでお終いになったのか。そうではない。究極のことが明らかになったという意味では、キリストが来られて終わりになったのであるが、まだ終わりではない。しかも、イエス・キリストは世を去って行かれた。彼の再臨までは終わりにならない。では、神が語りたもう出来事はもう終わって、かつて語られた言葉を思い起こし、記録を反芻することしか残っていないのか。
 vii)そうではない。キリストの言葉、すなわち御子において神が語りたもう言葉は、書き留められ、書かれたものが読まれ、解き明かされる。すでに神の言葉は旧約聖書の中に書き留められ、書かれたことに何を加えても、ここから何を減らしてもならないとされていたが、同じように、新約においても「書き記せ」と命じられる。そして、キリストのお立てになる御言葉の仕え人によって書き記された御言葉が語られる。それでは、旧約時代に長い時代に亙って神の言葉を聞いた人がそれを語り伝え、また書き留めたように、新約時代にもキリストの立てたもうた御言葉の仕え人の言葉が書き留めて聖書に加えられて行くのであろうか。そうではない。書き留められたものが聖書の正典とされることは使徒時代で終わった。それ以後、説教は「正典」の解き明かしである。
 「この終わりの時」と言われて以来、語られることは本質的に同じである。すなわち、キリストにおいて明らかになった究極の真理、それ以上の真理が新しく明らかになることはもうない。それが説教者の口を通じて語られる。こうして、神が御言葉を語りたもうという態勢は最終段階に移り、キリストの再臨によって閉じられる時までは、説教者が語るという形を取るのである。

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 ここでもう一度初めに戻って、神が御言葉をもってその民に関わって来られるところに、つねに神の御霊の働きがあったことを重ね合わせて理解したい。「御言葉の力」ということを我々は言うが、御霊なしに御言葉に力があるのではない。御霊の働きは常にあるので、特にそれについて語られないことも多いが、御霊を度外視して御言葉の伝達を考えるのは全く空虚なわざである。ただし、聖霊の働きの事実を連ねて歴史をここで述べることは要らないと思う。
 聖霊は他から規制されることがなく、他のものによって定義を受けることもない、神そのものの一つの「在り方」(これをギリシャ教父は「ヒュポスタシス」という言葉で呼んだ。「位格」と似た言葉だが、彼らは「位格」(プロソーポン)では満足しなかった。)として存在したもう。聖霊は必要に応じて自己を規制し、また限定したもうが、聖霊について我々の側から定義づけをすることは根本的に無理なのである。これが聖霊論の成立を難しくしている事情である。(御言葉において示されている限りでなければ聖霊は理解出来ないのである。)しかし、神は霊として存在し、あらゆる御業において聖霊をもって働き、また霊を伴わせて御言葉を送りたもうのであるから、御言葉の語られる説教に聖霊の関与があることを無視するわけには行かない。
 簡単に言うが、人間は神の言葉を必要としていながら、神の言葉を聞かせられても、分からない。聖霊によって心が照らされることがなければ、神の言葉を神の言葉として聞き取ることも出来ない。今日においても御霊に照らされること(イルミネーション)は御言葉を聞く全ての者に必要である。
 神の言葉が語られる側面においても、語る者における聖霊の働きは不可欠である。出来上がった教会の教えならば、機械のような正確さで、間違いなく教えれば、伝わるのではないかと考えられるかも知れないが、伝わるものがあったとしても、それは情報だけである。生かす言葉としての神の言葉は伝わらない。

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 キリスト教会の初めの時以来、このようにして説教職を帯びる者が神の言葉を語るという体制を整えて来た。では、説教者がどのようにして起こされるのか。
 神がご自身の言葉を託すべき器を起こして、それを教会に遣わしたもうのであろうか。そう言っても良いかも知れないが、ここはもっと緻密に考察すべきであろう。すなわち、永遠の言葉であるキリストが、教会にご自身を与えたもうたのであるから、神の言葉は教会に委託されたのである。だから、旧約時代に、その都度その都度神が預言者を直接に召して遣わしたもうたのとは違う形になった。召命と派遣は原則として教会の中で起こる。
 ただし、教会が御言葉を我がものとして、意のままに御言葉と御言葉の務めを操作し、手加減するということではない。御言葉は教会に託されているが、教会の中に一体化しているのではなく、教会を越えている。教会は御言葉の支配を受けるのである。
 また、キリストがご自身を教会に与えたもうたという点はハッキリしており、また確かであるが、教会がキリストを受け入れ、キリストにあって生きているかという点についてはまだ甚だ不確かであり、時として教会が反キリストのものになっているのではないかと思われる場合もある。
 キリストと教会との結合の「しるし」として、教会には聖礼典が与えられている。だが、「しるし」が直ちに「実体」であるとは言えない。「しるし」が信仰をもって行使されるところにこそ「しるし」の表わそうとする事実が把握される。「しるし」が独り歩きすることはない。だから、聖礼典が行なわれていても、現実の教会がキリストから離れているということはある。キリストの体であるべき教会が首であるキリストから離れてしまっている場合はあるのだ。
 ではキリストの教会と言えるものとそうでない教会の違いはどういうふうに見分けるのか。我々の判断には限界があるから、明らかな異端、キリストの御言葉に対する露な冒涜が見られない限り、一応説教が語られ、聖礼典が守られているならば、それが信仰の教会でないと断定することが困難な場合が多い。
 教会はそこで、教会たることの「基準」を定めて、教会ならざるものにならないように努めて来た。その基準として古代教会が先ず考えたことは、「規範」(尺度)、ギリシャ語で言う「カノーン」である。規範として先ず「信仰規範」がある。実際に「信仰規範」という用語が使われるようになったのは2世紀の終わりであるが、そのようなものは極く古い時代からあった。
 規範としては、また聖書正典(カノン)がある。聖書に直接・間接に則って制定された教会規則、教会法も規範(カノン)である。教会が会議を開いて何かを決議した時、その決定条項は「カノン」と呼ばれたが、規範の意味である。神から与えられた聖書が基本的な規範になり、その規範に則った二次的な規範が次に立てられる。
 教会は御言葉を語って来たのであるが、御言葉を語ることの意味について神学することを知らなかった。神学的自己意識がないから、この務めから逸脱しても自覚されず、矯正されないままに破滅する危険があった。実際、教会は説教することを忘れたのである。教会が説教を忘れた時、そこには御言葉によらない信仰指導が行なわれた。御言葉によらないカウンセリングである告解や、儀式、美術が御言葉を弱め、ほとんど廃棄するに至った。そこには当然偶像政策が伴った。
 御言葉を語ることについての自覚が教会の中に生じたのは宗教改革の時期であったと言わねばならない。
 ただ、教会で説教を聞くという、キリスト時代、使途時代の風習は徐々に衰えながらも、教会から完全にはなくなっていなかった。だから、再び火が燃え上がるための火種は残ったという事情を見落としてはならないであろう。

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 カトリック教会で説教が殆ど忘れられたことは事実である。人々は聖礼典を型通り受け、ミサという儀式に出席し、告解に行けば、それで信仰が維持され、育まれるものと思った。それでも、曲がりなりに聖書朗読と説教が続いていた。この伝統的形式まで破棄する人はいなかった。
 それを説教がなお生き続けていたことだと評価するには無理がある。原始宗教を別として、全ての宗教に説教はある。「語り」という形式における宗教的なものの伝達が行なわれなくなると、宗教は持続出来ないからである。キリスト教が宗教の一種として生き延びて来たと論じても、意味はないではないか。
 さて、宗教改革において神の言葉を語ることが意識されるようになったと言ったが、説教論が成立したと言っても良い。宗教改革における説教論の完成は「第二スイス信仰告白」における「神の言葉の説教は神の言葉である」との定義である。そこを引用する。第一章の第二項である。
 「(神の言葉の説教が神の言葉である)したがって、今日神の言葉が、教会において、正しく召しを受けた説教者によって告知されるとき、神の言葉そのものが告知され、信仰者に受け入れられることを信じ、それ以外の神の言葉を虚構したり、天よりの言葉を期待したりしてはならないと我々は信ずる。また、現在では我々は告知されている神の言葉に留意すべきであって、告知する教師に留意してはならない。たとい彼らが悪人であり、罪人であっても、にもかかわらず神の言葉は真実にして善なるものであることを止めない。我々はまた真の宗教の教育は聖霊の内的照明に掛かっている故に、外的な説教があたかも無益であるかのように見るようなことは考えない。それ故に、次のように記されている。「人はおのおのその隣に教えることはない。なぜなら、全ての者は私を知るようになるからである」(エレミヤ31:34)。「水注ぐ者も、植える者も無であり、神が成長させたもう」(Iコリント3:7)。「まことに、天の父によって導かれるのでないならば、誰もキリストに来ることはない」(ヨハネ6:44)。そして、聖霊によって内的に照らされなければ、誰もキリストに来ることは出来ない。けれども、我々は神の言葉が外的に宣べ伝えられることを神が欲しておられるのをも確かに知っている。使徒行伝において、神は聖霊により、あるいは御使いの務めによって、ペテロの務めなしでコルネリオに教え得たにもかかわらず、彼をペテロに向けさせ、このペテロについては御使いは「この人があなたに為すべきことを語るであろう」と言ったのである」。
 信仰告白の歴史において、それ以前に説教の問題を取り上げたものに、「四都市信仰告白」その第一章がある。
 「以上のようにして、ここ約十年、キリストの教理は、神の特別な恵みを得て、以前より確実・明確にドイツ国内を通じて議論され始め、他の地域におけると同じく、当地でも、我々の間で、学識者、わけても教会でキリストを教える位置にある者の間で、我々の宗教の多くの教理条項について、すでに公になっていたことだが、日毎に増大して行く論争が行なわれるようになった。そこで必然的な成り行きとして、サタンがその企みを実行して、大衆は闘争的演説によって全く危険なまでに引き裂かれたのである。聖パウロが「聖書は神の霊感によるものであって、教えるに有用であり、なおまた、罪が犯された時は、捉えて矯正し、義に向けて陶冶とうやするに有用であって、こうして神の人が完全にされ、全ての良い行ないに整えられる」[IIテモテ3:16]と記すところを考察して、聖なる御名を恐れるとともに、この社会に迫る確実な危険にかんがみ、我々はついに、我々の間で説教の任務を行なう者たちに、聖書に含まれたこと、あるいは確かにそれに基づいており、そこから示唆されること、それ以外を教えてはならないと命じた。すなわち、このような不一致によって混乱した場合、昔もいつの世でも、いと聖なる教父、司教、君主たちをはじめとして、私人もまた、聖書の見えざる権威に避け所を求めたのである。このことについて、聖ルカはキリストの福音を聞いた時に聖書を調べたテサロニケの貴族たちを賞賛し[使徒行伝17:11]、パウロはテモテにこのことでの最高の努力を望んでいる[Iテモテ4:13]。聖書の権威によらずしては如何なる教皇も自己の決定への服従を要求せず、教父も自己の著作への信頼を求めず、君主もその法律の権威を決して求めなかったのである。こうしてついに1523年に開催されたニュールンベルクの神聖ローマ帝国の大いなる国会で、聖なる説教がこの聖書に依るべきことが決定された。聖パウロが「神の人は聖書によって、完全にされ、全ての良き業について教えられる」[IIテモテ3:17]と証言したことが真実であるならば、聖書に恭しく問うことを努める人には、キリスト教的真理について、救いの教理について、何一つ欠けることはないのである」。
 これが四都市信仰告白の第一章である。しかし、それよりさらに早く、ここで言及されているように、ニュールンベルクの国会で、説教の内容は聖書であるべきだという線が打ち出されていた。
 そして四都市信仰告白のその条項の原型となったと見られるのは第二バーゼル信仰告白である

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 さらにそれ以前にニュールンベルク条項(1524)がある。
 1. 主なるキリスト自らヨハネ16章で言われる。「聖霊が来たならば、罪と義と裁きについて世を罰するであろう。罪についてというのは、彼らが私を信じないことである。義についてというのは、私が父のもとに行き、あなたがたが私を見なくなることである。裁きについてというのはこの世の君が裁かれることである」。それ故に、聖霊の器であるべき全てのキリスト教的説教者は、初めに先ず、罪が何であるかを示し、また、人々は罰せられることを示すべきである。
  2. パウロはローマ書3章で、律法によっては罪の認識が来るのみと言い、7章では、律法によらなければ私は罪を知らなかったと言う。しかも、理性は律法によって義が来ることを理解する。それ故、正しい説教者は、何ゆえ律法が与えられたか、如何に用いるべきかを示すべきである。
 3. 次に聖霊は義について世を罰するのであるから、如何なる義が神の前に認められるかを熱心に示さねばならない。
  4. パウロはローマ書1章で、神の前に通用する義は福音を通して現われ、その義は信仰から来て信仰に至らせると言うのであるから、キリスト教的説教者は、福音が何であり、如何にして義に役立つか、すなわちそれが人のうちに生じる実りが何であるかを示さなければならない。すなわち信仰と希望と愛である。
  5. 聖霊は第三に、世は裁きについて罰せられ、この世の君は全てそれに属する者とともに罰せられると言いたもう。そこに古きアダムが属し、これは既に裁かれた。また我々も属するが、我々はIIコリント3章の言う、死に同意する死の務めを帯びた律法によって罪を知り、それによって罪のうちから義と認められたのであり、またローマ書6章の言うように、洗礼によってキリストの死のうちに葬られたのであるから、学識ある説教者は、洗礼が何であり、何を意味し、我々のうちで如何なる働きをするかを示さなければならない。
  6. 洗礼は我々をキリストの死に合わせて葬り、それによって古き人は死に絶え、我々を試みる禍いなる分派はこの死によって葬られるのであるから、福音的説教者は、神の言葉がこの死について教える所、また分派を避くべきことを、最も純粋に、最も明快に、最も勤勉に示さなけれ ばならない。
 7. 義はキリストお一人が御父の前に獲得したもうたもののうちにあるのであるから、我々は彼におり、彼は我々にいたまわねばならない。彼によってでなければ、見ることも把握することも出来ない御父に行くことは不可能である。それ故、彼はまた「あなたがたは間もなく私を見なくなる」
 以上の条項は
 i)説教で教えるべき要目が何であるかを示し、特に「第二スイス信仰告白」では、
ii)教えるべき事柄の客観性を示している。

 
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 このような説教の意識が神学的思索と説教実践から生まれたことは言うまでもないが、こういう見解を生み出す基礎訓練が、聖書の緻密な研究、また聖書の釈義的説教にあったことを見なければならない。教会改革の主張は必ずしも聖書研究からでなくても生まれる。しかし、それでは神の言葉に聞く教会とはならない。神の言葉を聞く教会たらんとして改革される時には、聖書から促されるのである。
 聖書は旧約時代から、神の言葉を書き留めたものとして尊ばれ、神の言葉そのものとほぼ等しいものと受け取られて来た。しかし、聖書論と言うほどのものはなかった。したがって、聖書論を強調することもなかった。聖書論が教理の一項目としての位置を持つようになったのは宗教改革の時からである。
 聖書論が教会の教理として確立していないから、聖書の位置は伝統的に慣習的に重要視されていたとしても、自覚がないために、聖書を重んじる姿勢が崩れて行き、あるいは形骸化しても、修正が効かなかった。
 宗教改革は、教会における聖書の位置を確認した事件である。これと説教についての教会の意識の明確化が結びついている。聖書論と説教論はペアになっている。宗教改革の時以来、説教は聖書を解き明かすことであると捉えられるようになった。しかし、解き明かし方がまちまちであるという問題がある。そのために、同じテキストを解き明かしていても、かなり違った解釈を語るのは通例のことである。この解き明かしを統一する努力が重ねられたが、宗教改革以後、解き明かしはますます多様化の方向を辿る。 このことにもっと詳しく論及しなければならないが、聖書解釈論に立ち入ることは今日の課題ではないから、割愛せざるを得ない。ただ、聖書解釈は、聖書が何を目指すかを把握していなければならない、ということだけは言って置く。

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 宗教改革では、御言葉は説教において解き明かされるべきものと考えられた。解き明かされないならば、御言葉はいわば封じられたものだと改革者は考えた。それでは、「聖書朗読」はどうなのか、という質問が出るであろう。このことをしばらく考えて見たい。
 従来、教会では聖書朗読の理論的意味付けは十分になされていなかったが、重要性は自明のことと考えられ、教会の実践においては大きい位置を占めていた。古い時代には、一人一人の信仰者が聖書を手に取って読むということは実際上あり得ず、公の場で朗読を通じて聖書の内容を一人一人に伝達するほかなかった。
 勿論、宗教改革者は聖書朗読を無視しなかった。かなり重んじていたのだと私は思う。しかし、彼らが聖書朗読に言及する機会は少ない。その事情を考えて見るに、
 i)宗教改革の当初は朗読すべき標準テキストが確定していなかった。民衆の言葉への翻訳は出来、普及していたが、訳文改定がある期間やむことなく加えられていたから、確定には至っていなかったという事情を知らなければならない。宗教改革の教会が朗読さるべき標準テキストに関心を持つのは17世紀になってからである。
 ii)改革者は宗教改革前に経験したラテン語聖書の機械的朗読に不真実で空疎なものがあるのを感じていた。彼らは朗読より解き明かしを重視した。
 iii)聖書は急速に普及しており、教会は各人に聖書を所持し、家でも読むことを奨励したが、それでも礼拝出席者が聖書テキストに接するのは主として朗読によってであった。また、聖書は「聞く」ものとして理解されていた。
 iv)礼拝における聖書朗読の意味について、宗教改革当初は認識が足りなかったかも知れない。
 主イエスがナザレの会堂で安息日に聖書を朗読し、それから、「これは成就した」との宣言を含む解き明かしをされた記述が福音書にあるが、朗読に説教が続く。後期ユダヤ教のシナグーグ礼拝の形式を初代キリスト教が引き継いだことがここから読み取られる。テキストが読まれ、それに解き明かしが伴う。そして、解き明かしは、説明であるよりも宣言の性格を帯びていることがキリスト教の礼拝で基本的に守られなければならない。しかし、聖書朗読も解き明かしの付属物、前置きのようなものではなかった。 聖書朗読の訓練をするようにとパウロがテモテに勧めているが、朗読訓練は古い時代から重んじられた。しかし、今日も牧師の訓練のカリキュラムの中には入っていない。

 
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 以上述べて来たところから、今日における説教者が、かつての日の預言者に相当する地位を引き継いでいることは明らかである。私がこの講演で訴えたいと思うのがそれであることはすでにお分かりであろう。神の言葉は今日では説教者を通じて語られ・聞かれるべきであるが、そのことの認識が一般に弱くなり、この務めを正しく果たそうとする恐れもなく、したがって語るべきことが十分語られず、伝えられてもいない。また、説教から十分御言葉を聞けないため、他のところで補っているという実情である。説教ではキリスト教的常識、あるいはキリスト教的情緒は語られているとしても、神の言葉は本来の形では語られていない。だから、信仰も悔い改めも生じないのではないか。 この問題の検討に入りたい。第一に、この務めへの参入が召命によって起こることが十分確認されていない点を指摘しておく。あるいは召命の意味がズレて、職業化し、生活の資を得る公認の手段という意味になっている。「牧師も人間なのだから」という分かりの良い思いやりがなされることは場合によっては必要であるが、この思い遣りが召命と真っ向から対立することがあるし、本人がこの思い遣りを自分自身に適用するに至っては、召命の地位は崩壊する。召命という言葉は使われているが、神の言葉を語るべく召されたとは到底思われないような結末になる事件が頻々と起こっている。むしろ、召命とはそういうものだという理解が穏当なものであるとの見解が定着している。職業選択の自由という原理のレヴェルに説教者の召命が引き下ろされてしまった。
 第二に、そのような器として立てられた者において、務めのための修練が余りにも疎かにされている。召されてこの務めに立てられたのであれば、恐れと喜びをもってその務めを担うに相応しく己れを整え、磨き上げなければならないのに、修練が安易過ぎる。
 誰が語るかではなく、何が語られるかが重要であると、先に引いた「第二スイス信仰告白」第1項は言う。これは4世紀末、ドナティスト論争が起こって、信仰的妥協を犯した司教にはサクラメント執行の資格がないと言われた時、アウグスティヌスを代表者とする教会人たちは、サクラメントの効力は執行する人間にあるのでなく、サクラメントその自体にある、と主張した。そのサクラメントの「事効」の思想が宗教改革で説教に適用された。これは正しい。爾来、この原則が守られて来た。
 しかし、悪人であっても教理的に正しければ、説教として正当であると言えるのか。そう安易に言えないことを宗教改革の人々は知っていた。だから、説教者の行状は厳しく検討された。悔い改めが勧告され、それを肯わない場合は職務を剥奪された。

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 「土の器」というパウロの表現がしばしば好んで語られる。これが「土の器だから仕様がない」という免責を意図した文脈で語られることが多い。それはパウロがこの言い方を用いた意図に叶っているであろうか。
 土の器であっても、器は器である。器には規格がある。1リットル入りの器は、土であっても、木であっても、ガラスでも良いが、1リットル入らなければ話しにならない。パウロは自分は土の器ではあるが、この器には宝が盛られていると言った。すなわち、彼に託されている御言葉は残りなく語り伝えなければならない。宝を盛るだけの容量がなければ失格である。
 誰が伝えるか、ではなく、何を伝えるか、が大事であるということを、「土の器」という言い表しは表現している。しかし、この言い方を用いることによって今日では、土の器が中身を損なっても当然だ、と開き直るために語られている。
 日本支配時代の韓国でキリスト者にも神社参拝が強制された。その時、神社参拝は宗教ではなく国民の統合を象徴する儀礼であるから、キリスト者が神社参拝をしても罪にならない、と長老教会の総会は決議させられた。その時、この決議に従わない牧師、長老、一般信徒がいた。信徒に率先して神社参拝をした牧師もあるし、自分は神社参拝はしないが人には参拝するなとは言わない人もいた。しかし、牧師たる者が間違いを見て、それを間違いだと糾せないようでは牧師ではない、と信ずる人たちはハッキリと反対した。彼らは投獄され、そのうちの50人ばかりの人は獄中死をした。殉教である。
 牧師も人間であるから、節操を守り切れない場合があっても同情すべきではないか、その人の生存権を否定してはならない、という議論がある。しかし、他の務めはともかくとして、少なくとも御言葉を語るべく召しを受けた者にはその同情の余地はない。

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 第三に、この召命のいわば「制度的保障」を目指したと言うべき教会の教師養成と教師試験の制度が、実際に機能していない。召された者であるかどうかを人間的判断によって判定出来るかという問題があるのは確かである。人間的な判断では不適格であるとされる者が主のみこころに叶っている場合はあり得るし、その逆もある。だから試験制度の判定が絶対的とは言えないということは昔から分かっていた。だが、真に召しを受けた者であるかどうかを人間に可能な限り努力を尽くして検討し・検証しなければならない。
 ところが、恐れと戦きとをもってこの制度が運営されているとは思われない。教師試験や教師試補試験に合格しているが、務めを放棄しているケースが近年余りに多すぎるではないか。また、形の上では放棄になっていないが、実質的に務めを十分果たさぬままに務めに居座っているケースはさらに多い。本人に問題があるのは言うまでもないが、合格させた者の責任が問われなければならない。検定がやりっぱなしになっている。教会全体として務めを軽んじているということになる。
 結果として、務めを課したもうた主が侮られるようになっている。これが教会の崩壊を促進する一要因である。
 相当広範囲に起こっている教会崩壊の一端がこの現象である。今後、さらに崩壊は顕著になるに違いない。しかし、例えば、エレミヤの時代、正しい預言を語る預言者はエレミヤ一人であった。「預言者」と称する者はたくさんいたがみな偽預言者であった。それと比較すれば、今日、真実な説教を回復しようと真剣に努めている人は、多数ではないとしても、一人ぼっちではない。戦う同志がいる。戦いを回避することは許されないのである。
 この戦いは「制度的保障」の回復をも目的に含むのであるから、教会政治的戦略をもった戦いである。しかし、政治的思考や行動に先立って、ここに関わる者が己れ自身の職務を回復すべく真剣な精進を始めなければむなしいのである。

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