今回の教理学校は「教会における教え」を主題としている。その主題に関して、私は歴史的考察の分野を担当する。ところが、教会における教えを歴史的に取り上げて論じるのは、限られた時間の中では殆ど不可能である。勿論、総論的な論述をすることは出来るが、そういう話しは、歴史の実態が見えなくなる、かなり抽象的な議論になるのではないかと思う。そこで、教えの歴史を「教えの務め」という視点から見るようにしたいと考えた。そうすれば、抽象的な議論にならず、しかも問題の領域の全てを見通すことが出来るのではないか。
ところで、教会に主が立てておられる「教える務め」の観点から見るとしても、歴史的に考察して行くという課題を果たそうとするならば、この「務め」について、代々の教会がどのよう考えまた実施して来たかを、年代順に、また系統別に取り上げなければならないであろう。それは一回の講義には到底盛り切れない長大な内容になるし、語る時間が与えられたとしても、準備する時間と能力が限られてしまっている私には、担い切れないであろう。そこで、私が重要と考えるところを歴史の中からピックアップして語るほかないと考えた。
「歴史」という時、歴史的発展とか歴史の中における「教え」という思想、また「務め」という思想の成立の経過が語られるのでなないかと期待する人がいるかと思うが、私はそのような観点でこの主題を見ることはしないつもりである。私が見たいのは神の民の一貫した歴史である。ただし、一貫しているとは、どこを切っても同じ物しか見られないということではない。
順序として、初めに、16世紀の宗教改革がこの務めをどう把握したかを述べる。宗教改革について先ず語るのは、この問題の神学的解明の方向付けとして、宗教改革こそが最も的確な指示を与えていると信ずるからである。これが今日の講義の第一部である。歴史を語るというよりは、歴史から聞くと表現した方が良いような話しになると思うが、事実を見て行くつもりである。
第二部として、宗教改革が回復しようと志したものが何であったかを見る。それは聖書がこの務めについてどう教えるかを考察することにほかならない。
宗教改革における教えの務め聖書研究の共同体宗教改革がマルチン・ルターを主人公とする英雄物語として語られることは少なくない。確かに、ルターが死を覚悟して信ずるところを披瀝した決断がなければ、宗教改革の歴史は動き出さなかった。また、ルター個人とその内面を理解しなければ、宗教改革の深みは把握し切れないであろう。しかも、その面だけでは宗教改革を捉えたことにならない。ルター派の宗教改革には英雄崇拝的な気風があって、共和制に繋がるような改革派の宗教改革と異なるが、ルター派の宗教改革においても、ずば抜けた天才がいて全体を率いたのではなく、多くの有力な指導者が協力していたことを忘れてはならない。
宗教改革を大衆の変革であると性格づける見方がある。これは間違いではないが、今、大衆の果たした役割について論じ始めると、当面の主題と余り関わりのないものになるから、それには触れない。重要視したいのは、地域の牧師たちの共同作業として、宗教改革が各地で立ち上がったという事情である。
ドイツの宗教改革では、地域ごとに政府の主導のもとで宗教改革が遂行された面が強調され過ぎる嫌いがある。それは事件の現象面であって、事実ではあるが、政治史に偏した見方になる。むしろ、その地域で教会に仕える牧師たちの共同の決断によって宗教改革が動き始めたという実情にこそ、我々は目を向けなければならない。
では、地域の牧師たちの共同体が当時どのようにして形成されたかについて、一般論として詳しく論じることはここではしない。それよりも、本来、地域の牧師たちの共同作業があるのが当然であったと言って置くだけで良いであろう。非常に古い時代から、教会の仕え人たちは協力して務めを果たしたのである。すなわち、単立教会という理念や形態は本来なかったのである。ただし、本来の、そのような共同による務めの遂行という形態は、殆ど忘れられていたのが宗教改革前の実情であった。大きい町の司教座聖堂では、複数の聖職者の参与する機関があったが、それらは教会の本来の務めとは関係のないものになっている場合が多かった。
牧師たちが自らの使命にとって本質的な事柄のために集まる必然性を感じるようになったのは、精神的危機にあるという時代意識があったからだと思うが、その証拠を挙げて論じることは今は出来ない。容易に指摘出来るのは、人文主義の影響のもとにある都市と都市近郊で、聖書を共に学ぶ気風が教会人の間に起こったという事実である。そして、そのような学びの中から、宗教改革への志が生まれた。際立って有力な指導者がそこにいなくても、同輩の者の協力関係から動きが始まる。
都市あるいは都市周辺で起こった宗教改革に関しては沢山の例証がある。都市と関係ない農山村の領邦においては事情が別であるから取り上げないが、そのような地域においては自発的な宗教改革が成り立たない、あるいは領邦にいては宗教改革の先鞭をつけることが出来ない、という一般論を言うつもりはない。ただ、我々の知る限りの実例ではこのようになっている。それらはいずれも人文主義の聖書研究が浸透した地区である。
南ドイツとスイスに顕著に見られる。ここで、説教者たちの間に、説教者、牧師としての使命の意識が明確になって来た。この意識の明確化が宗教改革の遂行と一本になっている。
一つの実例を挙げるが、1524年、「アンスバッハ条項」なる文書が作られ、その地の教会が宗教改革を始めている。
南ドイツのアンスバッハ=クルムバッハ辺境伯領と、それに隣接する帝国都市ニュールンベルクは、ドイツの中で人文主義が進んでいた地域である。この地区にあるハイルスブロンの修道院も学問好きの修道士の多い所であった。スイス諸都市の人文主義者との人間の交流も繁くあった。
北ドイツのルターの宗教改革に共鳴したチューリッヒの67箇条提題(1520)に続いて、1524年夏、23箇条のアンスバッハ条項が作られ、討議に掛けられ、宗教改革が動き出す。この条項の起草者を特定することは困難である。その項目を掲げるならば以下の通りである。
1. 七つのサクラメントへの反論。
2. 告解の規定の廃止。
3. 罪を赦しあるいは繋ぐ教皇権・司教権の否定。
4. 免償の否定。
5. 二品による聖晩餐。
6. キリストの体のサクラメントを濫りに持ち回ることへの反対。
7. ミサにおけるキリストの体の奉献の廃止。
8. ラテン語典礼の廃止。
9. 洗礼をドイツ語で行なう。
10. 司祭の結婚禁止規定を廃止。
11. 血族結婚その他についての教会の許可権の廃止。
12. 修道誓願の廃止。
13. 説教と聖礼典の務めのためでない司祭の絶対的任職の廃止。
14. 救いのためにはキリストへの正しい信仰と信頼のみが必要である。
15. 人間意志が善も悪も自由に行ない得るとの見解に反対。
16. マリア、使徒、およびその他の聖人が執り成しをするとの教理への反対。
17. 教会に聖像を置くことへの反対。
18. 教会で行なわれる諸儀式の検討。
19. ローマ教会の定めた祝祭日の検討。
20. 金曜日に肉その他を食べることを禁じる規定の廃止。
21. 真の教会は御霊と信仰に立ち、キリストの体であり、キリストのみを首とする。
22. 神の言葉に基づかない規定に従う必要はない。
23. 聖書は教会によって説き明かされなければ誤謬になるという主張への反論。
ついで翌年作られた12箇条の「ニュールンベルク条項」(1525)を見たい。
この条項はアンスバッハ条項と関連するのは勿論であるが、前者の改訂ではなく、別個の構想によって起草された。彼らの討議の雰囲気に少しでも接近するため、項目だけでなく条項本文を見よう。(古いドイツ語で、私にとって難解な言葉も少なくないが、意味を大きく取り違えていることはないと思う。)
1. 主なるキリスト自らヨハネ16章で言われる。「聖霊が来たならば、罪と義と裁きについて世を罰するであろう。罪についてというのは、彼らが私を信じないことである。
義についてというのは、私が父のもとに行き、あなたがたが私を見なくなることである。裁きについてというのは、この世の君が裁かれることである」。それ故に、聖霊の器であるべき全てのキリスト教的説教者は、初めに先ず、罪が何であるか、また、人々は罰せられることを示すべきである。
2. パウロはローマ書3章で、「律法によっては罪の認識が来るのみ」と言い、7章では、「律法によらなければ私は罪を知らなかった」と言う。しかも、理性は律法によって義が来ることを理解する。それ故、正しい説教者は、何ゆえ律法が与えられたか、如何に用いるべきかを示すべきである。
3. 次に聖霊は、義について世を罰するのであるから、如何なる義が神の前に認められるかを熱心に示さねばならない。
4. パウロはローマ書1章で、「神の前に通用する義は福音を通して現われ、その義は信仰から来て信仰に至らせる」と言うのであるから、キリスト教的説教者は、福音が何であり、如何にして義に役立つか、すなわちそれが人のうちに生じる実りが何であるかを示さなければならない。すなわち、信仰と希望と愛がその実である。
5. 聖霊は第三に、「世は裁きについて罰せられ、この世の君は全てそれに属する者とともに罰せられる」と言いたもう。そこに古きアダムが属し、これは既に裁かれた。また我々も属するが、我々はIIコリント3章の言う、「死に同意する死の務めを帯びた律法によって罪を知り、それによって罪のうちから義と認められた」のであり、またローマ書6章の言うように、「洗礼によってキリストの死のうちに葬られた」のであるから、学識ある説教者は、洗礼が何であり、何を意味し、我々のうちで如何なる働きをするかを示さなければならない。
6. 洗礼は我々をキリストの死に合わせて葬り、それによって古き人は死に絶え、我々を試みる禍いなる分派はこの死によって葬られるのであるから、福音的説教者は、神の言葉がこの死について教える所、また分派を避くべきことを、最も純粋に、最も明快に、最も勤勉に示さなければならない。
7. 義はキリストただ一人が御父の前に得たもうたもののうちにあるのであるから、我々は彼におり、彼は我々にいたまわねばならない。彼によってでなければ、見ることも把握することも出来ない御父に行くことは不可能である。それ故、彼はまた「あなたがたは間もなく私を見なくなる」と言われたが、これは祭壇のサクラメント[聖晩餐]が信仰者に示す確かな印しまた保証と一致し、勤勉な説教者はこのサクラメントが何であるか如何にして我々のうちに働くかを示すのである。
8. キリストはヨハネ伝15章4-5節で「私に留まっている者には私もその者のうちに留まり、彼は多くの実を結ぶ」と言われ、その実によってその人は知られるのであるから、思慮深くかつ熱心な説教者は、正しい実また良き行ないが何であるかを示し解き明かし、またそれ故、人は業によって義とされるのか、義によって良き業に行くべきかを明らかにしなければならない。
9. キリストはマタイ伝15章[9節]で「人間の教えに他ならないものを教える者は私を空しく礼拝する」と言われたのであるから、有益な説教者は何が人間の教えであり、どこまで信じて良いか、あるいは信じてはならないかを熱心に示しまた解き明かさねばならない。
10. 神によって立てられた上なる権威を軽んじるべきであるという人間の知恵による間違った意見が弘められているから、平和的な説教者は人が如何に上なる権威に従順であるべきかを熱心に教えなければならない。
11. 我々は神の言葉を説教によって示すのみでなく、良き模範をもって教え悟らせ、また人は偽りの説教によって惑わせられるのみでなく、堅く禁じられている罪深い生活によっても損なわれるのであるから、思慮深い説教者は何が危険で、どう避けねばならないかを最も勤勉に示さねばならない。
12. パウロは「淫行の者や汚れた者は神の国を嗣ぐことがない」(Iコリント6:9)と言い、キリストは「全ての人が童貞となる言葉を捉えるのではない」(マタイ19:11)と言われたのであるから、教会の仕え人は結婚すべきであり、離婚した者は同じ人と再度結婚すべきである。
この条項はアンスバッハのものよりも、具体的で教えの務めについての意識がハッキリしている。そして説教者が宣べ伝えなければならない要目は何であるかを考察している。これが宗教改革の核心部分であったことは言うまでもない。
このほか幾つもある比較的著名な実例は省略する。改革派の宗教改革に関しては、1535年にエムデン地方の牧師たちが宗教改革を決議した。しかも、この牧師たちはすでにアウクスブルク信仰告白を提出していたザクセンの宗教改革には加わらないのである。この決議の実行のために、領主は、指導者として、有名な学者ヨハンネス・ア・ラスコを招くことになる。
このように、余り名を知られていない牧師たちが、各地で力を糾合して宗教改革を始めた。私はこの動きこそ宗教改革の中心線であると見ている。だから、我々が今の時代にあって宗教改革から引き継がなければならないのはこの線である。
説教の改革説教者自身が聖書研究の中で、自分が何であるか、何のために召しを受けたのか、何を語るべきか、を考えたことから宗教改革が始まった。であるから、宗教改革は説教の改革、あるいは説教の回復である。そのためには、第一に、説教者自身の自己改革があった。これは内的なものであって、必ずしも外面に表現されてはいないが、見落とすことは出来ない。これを意識改革というふうに受け取ることは甚だ不十分である。聖書用語で言うならば「悔い改め」である。ルターの宗教改革が「悔い改め」の追求から始まったことは広く知られている通りであるが、これを歴史的知識として持つだけではいけない。
第二に、説教の回復の妨げとなっているものの除去作業が宗教改革であった。会堂の中から偶像を除去するとか、礼拝を犠牲奉献と位置づけるミサの廃止、また礼拝形式の改革というような処置が最初に行なわれた。これがルター派と著しく異なる改革派の宗教改革の特色である。ルター派ではこの面がない。古い形式はそのうちに廃れて行くと期待されたようである。一つの考えではあるが、期待通りに古い形式が改められたことは余りなかった。
それとともに 、第三として、改革された説教の成果として教会改革が遂行された。それは御言葉を聞く人一人一人の改革の結集としての教会改革である。それは別の側面から言えば、自立した人間の集まりとしての御言葉に服する教会の形成である。さらに言えば、その教会は思想生産力をもっており、新しい時代を造りだした。
今「説教の改革」と言ったが、「改革」とは、新しくなるというだけではなく、むしろ当時の意識から言えば、本来のものへの復帰である。
神の言葉の説教は神の言葉説教というものは、どんどん堕落して行く危険を孕んでいるということに我々は気付いている。パウロが「我が談話も我が宣教も」と言ったように、宣教と談話の区別がある。どちらも、信仰の勧めとなり、教会を建て上げるために役立ち得るのであるが、主から委託された言葉を取り次ぐ公けの宣教と、自らの判断によって、善意をもってではあるが語る私的なものとは同じでない。しかも、実際について考えれば分かるが、この二つの間の境界線は必ずしも明確ではない。少しでも気を許していると庭が雑草だらけになるように、説教、説教、と言っているだけでは、説教がただの講話、感話、茶飲み話しになってしまう。ついに、礼拝は儀式になって、説教は消滅してしまうことになる。
中世の中期以後、説教の復興運動が起こるが、これは必ずしも教会の改革にならなかった。むしろ、修道会による教会の外での精神的改革運動だったのである。
宗教改革の発端は、ルターの止むに止まれぬ魂の叫びであって、初めから教会の改革を目指したものではなかった。ルターはローマ・カトリック教会を大枠で認め、その腐敗部分を修正すれば良いと考えていた。しかし、彼の提案が根本的に否定されるのに出会って、彼も根本的に考え直し、根本からの改革を始める。そこでは、訴えるべきことが沢山あるので、とにかく説教をしなければならない。
ルターの説教理解について詳論を今は省くが、彼は神の言葉として書かれた聖書と、「生ける声」があることを把握する。これは説教者に己れの職務を自己検討させる上で重要な機縁となった。
そこで、説教が何であるか、また何でないかが規定されなければならないとともに、人の声で語られるものが生ける御声であるために如何なる確信と修練が必要であるかが探求される。これが宗教改革の取り組むべき真剣な課題であった。それ以前の時代にはこの規定がなかったのである。
説教についての宗教改革的定義として有名なのはブリンガーによって書かれた「第二スイス信仰告白」である。
説教の内容規定神の言葉の説教は、天上の教理の伝達であって、説教者が神の御心を忖度して、御心に副ったと思われることを神の言葉と看倣すものではない。また、信仰の益になると思われる敬虔な勧めをすることでもない。その程度のことなら、主の名によって偽りを語った偽預言者と違わない。神の御旨に副う意図をもって語ったから良いというのでなく、神から来たと確実に言える言葉を語らなければならない。
預言者の場合は、神が召し、語るべき言葉を与えたもうことによって、その語るところが神の言葉であることはハッキリしている。召しは不可欠であるが、召しは全権委任や能力の賦与ではない。召されて器となるが、器だけでは働きにならないので、そこに内容が注がれなければならない。
教会が説教者を立てて御言葉を語らせる時、召しが真実にあるかどうかを確認するのは当然であるが、内容の注入はどうなるのか。預言者が御言葉を受けたような意味で随時、神が自由に託宣を与えたもうのか。そうではない。全ての預言を全うするキリストが来られることによって、託宣は原則として終わったのである。新しく付け加えられることはなくなった。
そこに「正典」としての聖書が成立する。キリスト教会が聖書正典を確定したのはズッと後であって、聖書正典の成立については、もっと詳しく論述しなければならないのだが、今回は時間的に無理である。とにかく、イエス・キリストが預言者の職務を完成し、これを完結させて地上を去って天に昇りたもうたという出来事に付随して、直接の託宣は集結した。正典成立の整理作業は残ったが、確かに、最早新しく言葉を加えることはなくなった。
こので付け加えなければならないのは使徒の言葉の位置についての考察である。キリストが昇天されて、そこで新約聖書が完結したのではなく、キリストの昇天から使徒の働きが始まり、これが正典に謂わば補充として加えられる。そして、最後まで生き残った使徒であるヨハネの受けた黙示に初めて、「この書の言葉に何かを付け足し、あるいは何かを差し引く者は呪われる」との御言葉があって、ここで新約聖書は完結することになっている。
使徒書も聖書としての位置を保っているが、キリストの言葉と業を記した福音書と区別して、使徒の言葉と業を記す使徒の書は位置付けられている。そして、使徒の後継者は使徒と同じ務めを行なうのであるが、その務めを使徒職とは呼ばない。このことをどのように理解すれば良いか。それは神の直接の命令である律法の戒めには戒めの解説が伴っていたように、キリストとキリストの言葉には使徒による解説が必要であった。
解説はその後の時代にも必要であるが、基本的に必要なものが、その後も止むことなく付け加えられるのでなく、基本的なものの追加は使徒の一代で完了した。そして、これが基準としての位置を保った。そこで事実上あった正典を正典でないものと区別して確認する作業だけが残った。
正典という言葉とその概念は教会の最初からあった。Iコリント15章2節に「もし、あなた方が、いたずらに信じないで、私の宣べ伝えた通りの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われる」と言われるように、そこに正典という言葉はないが、基準に従うという姿勢は確立している。正典を確定することはそのことなのである。正典と我々の間で言われるのは「カノーン」という語である。これは尺度、物差し、定規、基準という意味である。基準となるのは66巻の聖書であるというのが我々の理解であるが、そういう理解でなしに基準を定め置くことが久しく行われた。信条をカノーンと呼んだこともあり、教会法、教会規則をカノーンとすることもある。聖書の正典を基準にすると言う見解の確立は宗教改革によるのである。正典と外典の区別は古くからあったのだが、この区別を強調する考えは宗教改革から来た。すなわち、プロテスタントが死者のための祈りを否定したのに対しカトリックは外典を惹いて反駁を加えたことがある。そこでプロテスタント側は外典の排除を確立した。
この正典が召された器の職務遂行のための内容である。預言者が託宣を受けた如くに、説教者は聖書に聞き、それを語るのである。聖書以外のことは語らないのである。
しかし、これではまだ理論として不十分ではないか。すなわち、召されたと自分で言っており、教会もそれを認めているし、その語るところは聖書から外れていないならば、正しい説教者と認めるべきか。在来の教会の尺度では、それで説教者と認めるためのチェックポイントは足りたのであるが、今日では説教の空洞化が起こっていて、聖書を語ってはいるが、それが「生ける声」になっていないという問題が生じている。チェックが名目だけの抜け穴にならないための再吟味が必要になっている。
聖書釈義聖書が重んじられるとは、聖書という物体が尊いものとされるということとは別である。聖書が書き留められた目的に正しくかなって機能しなければならない。生ける声となるための手続きの一つとして聖書釈義がある。この方法は人文主義の学者が開発したと言って良いであろう。したがって、宗教改革と人文主義との接点があるのであるが、人文主義に説教者のスピリットを付け加えれば宗教改革的説教になると受け取るのは不十分な理解である。
今、詳しい議論を繰り広げることは時間が許さないから、簡単に纏めさせてもらうが、神の言葉を語る者は聞くことから始めねばならない。そして、聞くときに余計な意味を読み入れないで、聖書テキストの本来の意味を読み取らねばならない。ここで有効な助けになるのが人文主義の開発した方法である。テキストが書かれた本来の形はどうであったか。その本来の意味は何であったか。それを先ず明らかにする。
勿論、それで終わるのではない。釈義されただけでは生ける声になっていない。生ける声になるのは、生ける声を鳴り響かせる装置としての仕え人である。それは機械的なスピーカーの装置ではなく、生きた人間である。同じ務めに召されても、その務めにある者の語る語り方にはかなりの違いがある。とすれば、優劣があるのか。人間的尺度から言うならば、確かに優劣がつく。しかし、主はそのような優劣があることを許したまわない。一旦、召されて任務を授けられたならば、同格と看倣さなければならない。人間が尊ばれることが起こってはならない。
この平等の原理を維持するためには、教職平等原理の確認だけでは足りない。いわゆる悪平等、無責任な同権思想がはびこるかも知れない。それを予防するために、第一に教会における教理の統一を計らなければならない。第二に、教職の全員にかなり高度な聖書研究の修練を課す必要がある。
説教者の選任と訓練初期の宗教改革の指導者は全てカトリックからの自覚的な離脱者であった。教区司祭、修道司祭、あるいは信徒であっても人文主義の方法によって聖書研究をしてきた学者である。教会的身分のあるなしや種類の違いは問題にされることがなかった。
ただ主から召されたとの自覚は明確であった。そして、教会法による任職のサクラメント、按手という儀式によって説教者としての実質を獲得するという在来の考え方は否定された。カルヴァンを初めとして、任職の儀式を経ないで務めに就いた実例は少なくない。務めそのものは儀式の手続きに依存しないと信じられていた。
教会の会衆も任職の儀式を重要視しなかった。彼らにとっては務めの実質が大事であった。つまり、正しく御言葉を宣べ伝える説教をするかどうかである。
では、召しを受けたと自覚する者は誰でも説教職に就くことが出来るのか。ここに危険が入り込む隙がある。検証を経ない自己意識だけで、主の任職を規定することは出来ない。これは当時ラディカルな人たちの間で行なわれていた無秩序、また霊感を受けたと自称するだけで務めを是認出来るという考えである。では、本人の意識を他者がチェックするというのか。これは理にかなったように見えるが、主の召しを人間が判断するという危険がある。あくまで主ご自身が判定したもうのでなければならない。その主の判定に人間が仕える道は設けられている。
人間が仕える道としては、1)すでにその職務に就いている同労者の会合における判定と、2)御言葉の聞き手の判定がある。そこで判断の対象になるのは説教と、説教する者に相応しい行状である。
召命の真実性が確認されることと表裏一体をなしているのは、召命を受けた側の意識と、その現われとしての召命に服する姿勢である。カルヴァンはこれを「準備」と呼ぶが、前もって備えが出来ていた者に召命が降るということでないのは論ずるまでもない。
この「準備」という言葉では言うべきことが十分語られたとは思われないから、主旨を汲んだ上で、理論を組み直すべきであろう。
1)主の召しは、よしと見たもう者を召す絶対的に自由な行為であるから、召される者の側の適格性や可能性、人間の間におけるあらゆる意味での地位や評価を条件とするものではない。
2)予定論の構造における選びと召しの把握が、務めへの選びならびに召しの理論の基礎になっている。教職論の基礎は予定論である。予定論による修練は務めにある者の自己確認のために必要である。
3)前項と同様、主によって始められたことが主によって完遂されるという原理があり、これは予定論で言う「聖徒の保持」であるが、任務遂行に必要な賜物の賦与の約束が確信される。
4)召された側の努力説教者たることの規定は、召されているとの事実と自覚、聖書からの指示、古代教会から得た教訓からからなっている。
5)召しの再検討これは召しを受けた者同士の間における相互検討である。御言葉の研鑽と行状の修練とからなる。これの実行のために、毎週牧師会が持たれるべきであった。
6)聞き手による召命の追認会衆が説教者の招聘権を一部持つ。この器を通じて神の言葉が自分に向けて語られると確認出来るかどうかは、聞く人にとって真剣な問題である。聞き手の判断が全てとなるのは危険であるが、聞く人の確認が除外されることも危険である。だから、聞き手が承認しなければ、招聘は成立しない。
訓練の原理1)聖書を読む学力の訓練、釈義、人文学の手法改革主義の宗教改革において説教者の養成を制度的に考えた初めの例、また典型は1559年のジュネーヴ・アカデミーの規則であった。それによると、神学を学ぶコースに入る前に長い教養コースがある。
このことについては学識に重きが置かれ過ぎていないかとの懸念がしばしば表明され、また現実に履行が困難だという事情がある。それを知った上で敢えて実行したのは人文主義系の改革者の理想主義であったと言えるかも知れない。
しかし、このグループの改革者の考えから言えば、このような準備は必要であった。これは知識偏重というのではないが、聖書原典主義という原理があるのだ。古典主義的教養主義があったのではない。
聖書を原典で読み、原典から釈義することは、カトリックにおいては重要ではなかった。優秀な人が学びたければ学んで良い。しかし、通常の説教者は教会の言葉に習熟し、教会の指示に従っていさえすれば良いのである。教会はかなり平易に聖書の教えを噛み砕いて、説教のノウハウを伝えてくれる。したがって、教える務めにある者に高度の学識は必要ではない。これは実際問題として考えてもっともらしく見える面を持つが、宗教改革者は受け付けなかった。聖書を解釈する原理を教会が独占し、教会が教会改革の基準になってしまうからである。
聖書を原典で読むとは、口では簡単に言えるが、チャンと読めている人は非常に少ないのが真相である。原典主義は、中途半端なままで受け継がれているため、読めもしないのに知ったか振りをする似非教養人の説教者を生み出しているかも知れない。我々の泣き所である。
今日では神学教育の中から聖書の原語の教育を取り除き、伝道者が速成され、見せ掛けの学識をなくそうという企てはかなり広く行なわれるようになった。だが、それで有力な伝道者が生み出されるようになったかというと、むしろ否と答えねばならないのではないか。では、どうすれば良いか。原典主義は矢張り一つの立場として生き続けるであろうが、それを補うものを打ち立てねばならないのである。
2)教理条項の体系化、あるいは教えの順序、スンマ、あるいはロキの方法神の教えは聖書の中に十全に与えられている。けれども、聖書が与えられただけでは、その扱いが分からず、困惑するほかない場合が多いであろう。そこで聖書の中にある教えの全体を、要約しなければならない。
別の言葉によるならばカテキズムである。説教者はカテキズムに即して教え、またカテキズムを作ることが出来なければならない。それはどのようにして教えられたか。的確に掴むことは困難である。
3)説教職を支配や管理の務めから解放カトリックにおいて教会は「霊的」とは称せられるが、この世の国との境界線が必ずしも明らかでない世俗機関、要するに一種の権力支配機構、時には集金機構でさえある。
宗教改革は教会のものとされていた世俗の物を出来る限り世俗に還元して教会を本来の職務に相応しく身軽にした。
カトリックの説明によれば、ペテロはキリストから鍵の権能を受け、これを後継者であるローマ司教に委ね、後継者は下部の者に委ねて行使させるのが職務の機構である。その鍵行使の末端は告悔のサクラメントである。すなわち、教会の肢は少なくとも年に一回、司祭の前に出て、自分の罪をことごとく告白して、その償いの方法について指示を受ける。それを実行したならば赦しが得られる。こういう制度をカトリックは教会における最も大事なものとして作り上げた。
この権能の行使は、一方では業の功績による罪の償いであり、恵みによる、キリストの十字架の贖いによる、信仰をもって受けるべき罪の赦しの否定であり、他方において、司祭の権力の温存である。信徒は司祭の権力に逆らうことが出来ない。
キリストがペテロに授けたもうた「天国の鍵」とは何かについて、カトリックとプロテスタントでは理解が根本的に違う。カトリックでは告悔に際して行使されるのが鍵の権能であるが、プロテスタントでは福音の説教が天国の鍵なのである。これを信じて受け入れるならば罪の赦しに与る。
教える務め以外の務めルターの宗教改革は教会の務めを教える務め一種に絞った。福音を宣べ伝えることが最も重要であるから、この処置は教会の本来の姿勢への復帰の第一歩であった。しかし、新約聖書に描かれている教会には、確かにそれ以外の務めもあったのであるから、説教職の回復だけではまだ道半ばである。
務めを一種に限ると、他の名称の職は説教者の下位の職になってしまう。ディアコーン(我々の間では執事と訳される)という名称のものは残ったが、牧師補として位置づけられる。下級職である。
改革派では務めを多様なものと捉えた。新約聖書でも治める務め、仕える務めがある。
それを復元して、長老職と執事職を確定した。これが任職を受けた教会的職務であるという点が重要である。
使徒と預言者主の民を教える者使徒・預言者という職務は今日の教会には設けられていない。我々は或る意味で使徒であり預言者でなければならないと自己を諭し、また務めにある者にその要求を突きつけるのであるが、この要求は教会法の規制ではない。
使徒・預言者は今日の教会では原型という意味で規制力を持っている。原型を一旦今日的モデルに置き換えて、今日的モデルが現実の規制をするように取り扱うのである。しかしまた、原型に立ち返ることは、務めの活性化のために常に必要である。
神は昔、モーセを通じてその民に律法を授けたもうた。この律法こそ主の民の主の民たる所以を保持するものである。これを神と民との契約として捉えても良い。その旧約のモーセに対応するのが新しい契約のキリストであり、律法に対応するのが福音である。
相対応する二つの契約がある。これらの二重のものをキリストの教会は二つとも受け入れて、一本化して捉えている。旧・新約の書に書かれた言葉が神の民の信仰と行ないの規範であると我々は信じている。聖書のこの規範性を明確に理解させてくれたのが宗教改革である。カトリックでは聖書の重要性は言えても、重要なものの一つとしてしか扱われないから、規範性は曖昧になる。宗教改革が規範を聖書のみに限ったのは適切と言うほかない。
しかし、旧・新約の関係が明確になっていなければならない。キリスト教会がキリスト教会として十全な意味において成立したのは、我々の伝統的理解によれば、主の復活の後50日して聖霊が降った時である。その時、聖書と呼ばれていたのは旧約書だけであった。この時点では新約書もなく、信条もなく、職制もない。新しい契約の徴しであるバプテスマおよび聖晩餐は制定されていたと見て良いが、使徒が12人いて、ほかに、当時「弟子」と呼ばれた信仰者がいただけであった。
それでは、新約聖書は教会が出来た後から付け加わったものか。そうではないと我々は理解している。新約聖書とは、使徒に託されていた御言葉を文書化し、それを結集した物である。新約の内容は教会の初めの時からあった。使徒行伝2章のペテロの説教に見られる通り、キリスト教会は旧約によって説教をしており、古い約束の成就を宣言する新約は、旧約の解釈原理として教会の初めから生きていた。旧新約の並列という扱いは知られていなかった。「新しい契約」という言葉は旧約の中で知られていたが、これの実態に触れるのは主の最後の晩餐においてであった。
旧い契約にだけ固執して新しい契約を見ないのはユダヤ主義である。教会の中にもそういう動きがあった。また、旧き契約は新しい契約によって置き換えられたという立場を取ろうとする人がキリスト教の中にはときどき現われる。その考え方はラディカリズムと言うべきである。これはイエス・キリストによって明白に否定されている。マタイ伝5:17-20を読みたい。………。
このことが教えられているにも拘わらず、キリスト教の中にラディカリズムが時々起こって、旧約を廃止し、律法を廃止しようとする。宗教改革時代にもラディカリズムが或る程度力を持った。ルター派の中にもその傾向を持つものがある。世間のラディカリズムとは少し違うが、福音を強調する余り、律法の意義が捉え難くなる。
改革派ではそういうことがないかのように言われるが、キチンと学んでいないと、何派に属するかは意味を持たなくなる。間違いを犯さないようにキチンと学ばせることが必要である。
旧約から新約への一貫性の把握旧約から新約への一貫性を把握することが重要である。「一貫性」とは一枚岩のように同質のものが固定的に連続しているという意味ではない。始めたもうたお方が必ず全うしたもうということなのだ。
旧約と新約、あるいは律法と福音の二つを焦点とする救いの歴史である。だから、旧約から新約へという経過を取る。ただし、旧約の破棄ということはまだない。歴史であるから、方向性と動きがある。紆余曲折があるが、展開が見られる。このように捉えるとき、一貫した神の民の歩みがあることが理解される。
この神の民の群れを「教会」と呼んで良い。旧約のもとにある教会と、新約のもとにある教会との一貫性がある。勿論、旧約と新約の「相違」という重要な点も見落としてはならない。程度の差は大きい。それでも、本質的には一貫したものがある。すなわち、常に恵みが先行し、恵みは常に永遠なるものであり、常に神は全能者として働きたまい、常に御言葉が力を持ち、常に御霊の働きがある。
今見たのは約束の本質に関わることであるが、その実際の遂行も一貫している。すなわち、旧約の民にも新約の民にも、一貫して、御言葉の仕え人が必要であると神は見たもう。神は「言葉の神」だからである。その御言葉は、直接に鳴り響く場合が例外的にあることはあるが、通常、原則的には、主の定められた日に、民が一つに集まったところに、(すなわち、神の民の集められたもの、それがエクレシア、教会である)神の建てたもうた器を通して宣べ伝えられる。それは昔は祭司によって読み聞かせるという形で公布された。解説はなかった。シナイにおいては律法の読み聞かせが行なわれ、読み聞かせられて、民が「アァメン」と言う時、契約の確認または更新が行われた。これが聖所において、カナンに入って後、シケムにおいて、またその他の機会に繰り返された。
そこにやがて預言者による解説が加えられるようになる。
預言者が立てられたのは、律法だけでは足りないところを補うためではなく、契約の律法に真実に立ち返らせるために、また律法の解説のために遣わされた。律法の教育、読み聞かすことだけなら、制度的に立てられた祭司が携わったのであるが、文字の説明だけでなく、御霊による解釈をする「生ける声」が必要であった。それは神が、制度によらず、時に応じて、自由に預言者を召して、御霊をともに働かせることによって御言葉を与えて語らせたもうた。
旧約における預言者の務めを新約において担うのは使徒である。使徒はキリストの任職によるのであり、したがって一代限りのものであって、使徒の後継者は本質的に言って、職務て使徒と同じであるが、名称としてはもはや「使徒」とは呼ばれない。使徒のもっていた数々の賜物は、使徒の後継者に自動的に継承されるのではない。特に、「力ある業」のような能力は、使徒時代で一応終わったというふうに宗教改革は理解した。だから、宗教改革の教会では、奇跡を大々的に取り上げるようなことはしなかった。教会の基礎を据えるべき時には、特別な賜物が必要であったが、この時代でそれは終わったのである。この点、カトリックとも、プロテスタントの中の過激派とも違う。
旧約における預言者は通常性を持った職務ではなく、預言者の規定はなかった。預言が与えられた者が預言をする。したがって、預言を受けたと勘違いした者が自らを預言者として主張するというようなことは珍しくなかった。また、真の預言者とは言いがたい「預言者のともがら」という律法に副わない民間宗教的職業宗教人の集団もあった。これを規制するためには、預言者の語ったことが成就するかどうかで見極めるほかなかった。
新約における御言葉の務めは通常の職務である。教会は早い時期からこの職務の規定を作っている。と言うよりも、教会の規定の最も重要な部分が御言葉に仕える務めの規定である。そして、語るべきことは直接に与えられるよりも、教会に与えられている御言葉を教会の規制のもとで語るという形になる。
祭司職の終焉旧約における重要職務であった「祭司職」は終熄した。ここには旧・新約のかなり大きい違いがある。それはへブル書が言うように、キリストが祭司の職を「ただ一度」完成されたからである。この点、旧約の祭司職が新約の教会に引き続いて担われているかのように考え、それを根拠としてキリストの犠牲を継続的に捧げる「ミサ」を作り出したカトリックは決定的な誤りを犯した。ただ、キリストが祭司職を全うしたもうた故に、キリストに与る者らは、全て祭司職に与るということは言える。だから、他者としての祭司によってではなく、自分自身でささげ物を捧げることが出来るようになった。取り分け、自分自身を「神の喜びたもう生きた供え物」として捧げる。また、信者同士、互いに祭司となって取り執しをし合う。これらは重要なことではあるが、職制として行なうのではない。万人祭司を職制として、したがって職制の否定のように考えた人たちは、教会にアナーキズムを導入してしまった。
牧師も信徒の一員として祭司職に与るし、牧師は口で教えるだけでなく身をもって模範を示さねばならないから、この実行に熱心でなければならないが、牧師が職責として行うのではない。むしろ、信徒の一人一人がこれを行なうように、熱心に指導しなければならない。
キリストの職務預言者も使徒もキリストを指し示し、証ししていた。しかがって、彼らの職務の解明はキリストの職務との関連によってのみ行なわれる。
したがって、使徒・預言者は原型であると先に言ったが、その原型はさらにその本源であるキリストの務めに遡らなければ十分に明らかになることはない。この点を詳論するためには機会を改めるほかない。
要するに、預言者・使徒を十分に理解するとは、彼らの語る言葉を通じてキリストが明らかに見えて来、彼らの職務を通じてキリストの伝達が行なわれるということでなけれならない。
結び時間がないので結びに入らなければならない。
神は昔も今も、通常の方法としては、務めに立てられた者の口を通して語りたもう。通常でない場合については今は触れない。
神が務めに立てられた人を通じて語りたもうというのは、仮説でもなく、擬勢でもない。神の言葉のリアリティーが、務めにおいて示されなければならない。しかし、今日、このリアリティーが喪われている。少なくとも稀薄になっている。神の言葉を語ることの擬勢が行なわれ、それでよしとされているのではないか。我々は学びによって神の言葉のリアリティーの回復を追い求めるのである。
目次へ