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2001.05.03.
残りの者・教会・国家
――東京告白教会春期修養会基調講演――  


はじめに

昨年から今年にかけて、日本の政治状況はいよいよ混乱し、逼迫し、我々はこれまで以上にこの国のために祈らずにおられなくなった。そして、この時期に我々のなすべき実践は何であるかと、これまで以上に真剣に祈って問わざるを得なくされている。さらに、我々のなすべき実践も一段と増えたことを覚えている。 
しかし、これまで予想もしなかったことが起こったとは思わない。政治家の志と資質の低下と、それに乗じた民族主義の活発化は予想したところであって、政治の腐敗と民族主義の横行は、こののちさらに激化して行くと思うが、新しく考えなおさねばならない問題ではない。 
ただ、政治家の質的低下に以前から気付いていたとはいえ、これほど酷くなるとは思わなかったし、低落が政治家の質に留まらない事態は十分予想の視野に入れていなかった。これまでは政治が悪くても民衆は健全だと考えていたが、政治が悪くなると人間の全体としての品位が落ちると考えざるを得なくなった。 
また、教育の低下という問題は、靖国闘争を始めた30年前から我々の教会としては指摘していたところであるが、全面的崩壊に至った。 
裁判官の資質低下も目に余るものがある。正義感や人権感覚が欠落している事なかれ主義の人間しか裁判官になれないようにしているのではないかと思わせられる。総じて、日本人全体が質的に地盤沈下を起こしている。つまり、我々の見方はかなり甘かったのである。総じて、日本が全面的に崩壊を始めたのである。 
そういうわけで、政治を良くするための政治闘争や、裁判のための支援闘争をしているだけでは追いつかなくなってしまった。もっと根元的な治療をしなければ日本はもう浮かび上がれない。この根元的治療こそ、キリストの福音を託されている教会固有の務めである。教会は数を増やすというようなことだけに精力を用いていてはならない。そういうことがいよいよ明らかに見えて来た。 
教会には、本来の任務を暫く差し置いて、そこからはみ出すこともしなければならない緊急事態というものがあるかも知れない。例えば、礼拝の途中で隣家が火事になったなら、礼拝を中断して手伝う。けれども、今日は緊急事態ではあるが、教会の本来の任務以外のところに手を広げなければならないとは言えないのではないか。むしろ、この世の危機の打開は、他の面ではスッカリ手詰まりになってしまい、この世の知恵では解決が見えなくなっているところを、教会の霊的知恵をもって見抜いて、立ち向かって行かなければならないようになっている。 
私自身の半世紀余りの牧師としての経験を振り返って見ると、かつては、(もう少し正確に言うと、占領状態から解かれて日本が一応独立して以来、近年までのことであるが。)キリスト教に対して人々は何の期待も持っていなかった。日本の現状を憂えて何とかしようとする人々はいたが、彼らにはまだ自信があった。私が肌で感じていたことだから、主観的で、正確でないかも知れないが、彼らは自分の考えには行き詰まりがないという自信があったから、キリスト教に対して謙虚な姿勢は取らなかった。これは近年ガラッと変わった。イデオロギーの底が見えたことも理由の一つであろう。処方箋がない。そして、世の中はドンドン悪くなって行く。人々がキリスト教に期待するようになったと言えば、言い過ぎである。しかし、キリスト教から何ら聞くべきことはない、というような姿勢はもう取れなくなっている。 
では、キリスト教会にはそのような期待に応える実行力があるかというと、ないのである。世の知恵を越える知恵があるか。ないではないか、と思われるのが実情である。教会は、特に日本の教会は、この世の知恵の後追いばかりして来て、社会の先頭に立って前進するという気概と姿勢を失って久しい。近年は時代の閉塞感が教会の内部に浸透し、教会はますます無気力になった。教会に差し出された豊かな水源があるのに、その水を汲み取ろうとする人がいなくなっている。だから自ら涸渇するとともに、世の人々の渇きを癒すことが出来ないのである。 
ところで、今の時期はまた、私自身の生涯と、日本キリスト教会の50年の歩みを振り返る機会であった。私は新日基の最初から牧師として参与している数少ない生き残りの一人になってしまったので、50年前について思い起こし、また語る機会があって、教会の中の憂うべき状況を改めて感じ取っている。50年を振り返って何か力が湧いて出るようなことがあったかと問われるならば、それはない。正直に言って、ますますガッカリさせられた。しかし、50年の節目は反省の時であった。教団離脱はあれで良かったとは安易には言えないが、基本線として正しいものを示されたという確認はある。私自身についても反省すべきことがいろいろ見えて来た。ただ、今日は、現代の教会が如何に涸渇しているか、という問題にはなるべく触れないで、課せられた修養会の主題を追求して行くことにする。 
私は自分の能力の限界を弁えているので、平凡にコツコツ学んで行くうちに、次第に深まりもし、身にも付く、そしてそれが教会のお役に立つ、そのような学問をして来た。 
ところが、こういう神学の仕方は、1945年以後の日本では物笑いの種にこそなれ、尊ばれることはなくなった。私の場合、それで恥じ入りもしなかったから息長く続いたのであるが、新しい物を追っていた人が、年をとって走り続けることが出来なくなっているのと比べて、幸福であったと思う。私がまだ走り続けることが出来るのは、一つには、この道の奥深さが分かっているので、自分の至らなさを少しでも埋めるためには、学びを止めることが出来ないからである。また、この道を走り続けるならば、僅かながらも前進があるとの確信があるからである。私は謂わば豊かな鉱脈を掘り当てた果報者である。私はその豊かさを独占してはならないので人々に分かち合おうとするのであるが、共感してくれる人は非常に少ない。 
今日、私は基調講演の前半で古い知恵の掘り起こしのような話しをし、後半に現在と近未来の話しをしようと思っている。 
 信仰告白の事態教会の古い知恵として今掘り起こさねばならないものの一つに「信仰告白の事態」という事柄の捉え方がある。これは靖国闘争の初期に我々が気付かせられたものである。日本キリスト教会は靖国闘争を信仰告白に関わる戦いであると捉えてこれに当たることになった。 
日本キリスト教会は、教団を離脱した当時、「信仰告白、信仰告白」と憑かれたかのように叫んでいた。教団にいては告白が持てないというのが離脱の最大理由であった。当時、教団は信仰告白を持っておらず、我々が信仰告白を作るよう要求した時これを拒絶した。それで我々は信仰告白を持つ教会を建設すべく教団を離脱した。 
ところが、教団離脱を知らない年齢層が教会の多数を占めるようになった頃から、信仰告白を叫ぶ声はフッツリ途絶えた。それは何故か? 信仰告白をただ強調するだけでなく、信仰を告白することの意味を問うて行かねばならなかったのに、それをしなかったからである。それを問い、さらに問いを深める絶好の機会として靖国闘争が始まったのであるが、教会はここで告白を深める学びと戦いを怠ったのである。 
信仰告白に関わることであるから、教会は挙げてこの闘争に取り組まなければならなかった。そこで、教会の組織もこの戦いに合致出来るものにならなければならない。だから、教会の組織として大会、中会に靖国委員会が設置された。ところが、この点で、建て前だけが先走りして、実質がそれについて行けないという現実が起こった。例えば、委員会は一応活動するが、委員がお義理でやっているとしか思われないことがますます多くなった。組織があっても、それを生かし切れないという問題はどこにもあるものであるが、我々の告白教会としては、苦闘して乗り切って来た。だが、殆どの教会では解決の目途が立っていない。――だが、今日はこの問題はこれ以上は突っ込まない。 
靖国問題に対して日基全体として如何に不熱心かを示す証拠はたくさんある。例えば、中会の靖国委員が企画して、聖書に学ぶ靖国学習会を開くが、人は余り集まらない。きまった顔ぶれしか集まらない。中会関係の他の催しならばもっとたくさん集まるのである。聖書に聞かねばならないということについては反論は出来ないのだが、では本気で聖書に聞くかと言えば、それはしない。つまり、在り来たりの聖書の読み方では、そこまでしなくても良いことになっていると考えられるからである。在り来たりのやり方をしていたから旧日基が戦争の中で破綻したということの反省がない。 
教会が靖国闘争をすることに対して大っぴらな反論はない。「日の丸・君が代」の強制に反対というような議決も、今では支障なしに成り立っている。他の教派と違うと言えば言えなくはない。これが信仰告白に関することだというのが一応の建て前となって、了解を得ている。しかし、この理解はかなり不確かであるから、今後チョットしたことで覆る恐れは十分あると私は予想している。 
信仰告白に関わることであると言うなら、なぜそうなのかを理論的に明らかにし、納得し、確信しなければならない。この理論的掘り下げは、心ある人々によって追求されて来たが、まだ不十分だということは、この問題に取り組んで来ている私が一番よく知っている。建て前は一応あるが、この建て前が容易に取り換えられる日が早晩来るのではないかと心配する。 
理論的に明らかにしなければならないこととして、特に「信仰告白の事態」という問題について語って置きたい。これはジャーナリスティックな用語ではなく、神学の術語である。この言葉は時々使われるから、気付いている人は少なくないと思うが、本格的に論じられたことはない。だから、この言葉の出て来る前後関係から或る程度は意味を感じとれるのであるが、キチンと押さえることが困難である。この言葉を語る人自身、必ずしも正確な理解を持っていないのが現状である。 
「信仰告白の事態」とは「信仰告白」そのものではない。信仰告白は文言によってことを規定している。信仰告白の事態は定まったものでなく、信仰告白が行われる場所、状況で信仰告白の本質に関わる事態である。 
この言葉についての初歩的な説明をあちこちでしているから、すでに分かっている人がこの席では多いと思うが、重複を厭わず初歩的な説明から始めたい。この言葉は宗教改革の戦いの中から生まれた。だから、宗教改革の遺産の一つである。 
宗教改革がドイツで起こって、忽ち広まったのであるが、全体として見れば、まだまだ少数者であった。多数者はカトリックであり、権力は多数者側についていた。そして、権力はこの少数者を多数者に併合させることによって支配の安定をはかろうとした。ドイツ皇帝は1548年、勅令によってプロテスタントに規制を加えて来た。先ず、教会の教理であるが、改革側が強く主張する教理条項は一応認める。一応認めるとは永久的に認めるということではなく、会議を開いて本格的に討議して決着を見るまで、暫定的に認めるということである。 
また、プロテスタント側は牧師の独身制を廃止しており、多数の牧師はすでに結婚していたが、これも暫定的には認める。ただ、礼拝形式はカトリックのそれに統一されねばならないと規定された。 
このように押しつけられた条件を、受け入れるか否かでプロテスタント側が割れた。一方の妥協派は、礼拝形式は本質内容ではないから、受け入れて良いのだと主張した。 
この主張がなされた根拠について触れて置かねばならない。宗教改革以前、カトリック教会は教会に関するあらゆることを教会法で規定していた。教会法違反は罪になる。良心を苦しめるのである。 
プロテスタントも教会の秩序を否定したのではないから、教会の法として必要な規定は作ったが、聖書的根拠の曖昧なことは規定にしなかった。だから、これまでは守らなければならないとされたもののうち、かなり多くのことを、守ってもよし、守らなくてもよし、という中間的な、無色なものとした。これを「アディアフォラ」というギリシャ語で呼んだ。宗教改革で「キリスト者の自由」ということが主張されたのは有名であるが、その自由論の中で最も重要だとは言わないが、かなり大きい位置を占めるのがアディアフォラ論であるということまで承知している人は存外に少ない。 
このアディアフォラ論には初めから制限が設けられた。それは、アディアフォラであっても、人を躓かせる場合はアディアフォラではない、という除外である。言うまでもなく、これはIコリント8章を根拠にした議論である。偶像に供えた肉を払い下げて市場で売る。多分、屠殺場から市場運ばれたものよりは値引きされていたであろう。これをクリスチャンが買ってきて食べるのは差し支えないはずである。そもそも偶像なるものは存在しないのであるから、偶像に供えた肉が他の肉と異なるわけはない。 
しかし、キリスト者が偶像に供えた肉を食べている事実を知って躓く人がいるならば、その人を躓かさないために、キリスト者は自由を放棄する。では、他人の良心によって自分の自由がなくなるということか? そうではない。自分の良心のために食べないのであると言われる。つまり、人を躓かせても何とも思わない良心を持つことがキリスト者の自由なのでなく、躓かさないように自分の自由を自分でコントロールするのが本当の自由なのだという理論が宗教改革の比較的早い段階で打ち出されていた。アディアフォラの除外例として「躓きの事態」があるのである。 
今言った理論の次の段階、またその発展として「信仰告白の事態」という除外例が論じられるようになったのである。そこで、礼拝形式はアディアフォラだから、カトリックのものを採用しても良いのだといって妥協する理論の欠陥が明らかにされる。 
結局、プロテスタント側では、「信仰告白の事態」を根拠に皇帝の押しつけを拒否する意見が勝ったのである。だから、宗教改革の信仰告白が骨抜きになることは免れたと言えると思う。 
この「信仰告白の事態」論には、必然的にとは言わないが、かなり密接な関係のもとに「抵抗権」理論が結びついている。もう少し詳しく言うならば、「信仰告白の事態」を根拠に皇帝側からの要請を拒否した指導者たちが、同時期に教会には抵抗権の理論があると唱えた。この話しは時間的にとても無理だし、是非、今日論じなければならないというものでもないようだから、今日は論じない。関心のある方は私も本を書いているから読んで貰いたい。今日は「信仰告白の事態」という線で留めておく。 
ただ、「抵抗権」の考えと、「信仰告白の事態」の考えとの共通点に注意を向けて頂きたい。共通点というのは、どちらも除外のケースとして主張されたということである。 
原則論ではなく、控え目なのである。原則は自由なのだけれども、躓きがあるなら制限する。原則として肉を食べてはならないというのではない。 
同じように、キリスト者だから原則的に抵抗権を主張するというのではない。原則的は、「上にある権威に従う」のである。聖書の言う通りである。しかし、原則通りにしては神の御旨に反することになる場合がある。そこで、神の民には神の御旨に従うために、上にある権威に抵抗する権利があることを確認していなければならない。――これは普遍的な「人権」の原理に基づいて理解されたものではない。少し難しく言うなら、「自然法」に基づいて主張されるのではない。自然法に基づいて、人間には抵抗する権利があるという事は、我々も認めており、抵抗権理論を大いに強調した神学者、それはカルヴァンの弟子たちと言うことが出来るが、この人たちも認めている。ただ、上にある権威に従え、という聖書の教えがあって、この教えを正しく守ろうとする時、その原則的教えの適用という段階で、「人に従うよりは神に従うべきである」というもう一つの原理を確認しなければならなかった。 
アディアフォラの広い領域があることは確かである。信仰者は、触るな、食べるな、というような規制に縛られないで、自由に決定してよい広い領域を持っている。それが原則である。しかし、場合によっては自由を制限しなければ自由が消えてしまうこともある。飲むにも食らうにも、神の栄光を顕すことが出来る自由があり、何を飲み、何を食らうかも原則から言うと自由なのだが、その自由を自ら制限しなければならない場合がある。そうすることによって、自由は単に「何々して差し支えない」という消極的なものとしてでなく、もっと高度な「人の徳を建てる」自由として発揮出来るのである。 
だが、「信仰告白の事態」と、そうでない事態とは見分けられるのか。何でもかでも「信仰告白の事態」だと言ってのけることが出来るのではないか、という疑問が出されるかも知れない。 
その見分けは容易だとは言えないが、ハッキリつく。しかし、我々の目が覆われていて、あっても見えない場合ないと言えない。日本のキリスト教には伝統的に目を覆うヴェールが掛けられているから、見えるはずのものが見えないことになっている。問題を明らかにする良い例として、戦前1930年代における神社参拝の強制を取り上げることが出来る。 
これは「キリスト教信仰を捨てよ」という形で迫って来たものではない。「あなた方がキリスト教を信じ続けるのは自由だ。だが、神社参拝はこの国の支配者に対する敬意を表わすことの一つとして、天皇の先祖に敬意を表わすのであるから、国民としての務めなのだ。これは神を信ずることに何ら抵触しない」という論法で押しつけられて来た。 
日本のクリスチャンはこれに簡単に靡いた。韓国ではそうは行かなかった。韓国にも屈服した人は多いのだが、彼らは一応それが間違いであると判断していながら、抵抗出来なくて脅迫に屈したのである。日本にも脅迫はあったが、朝鮮におけるそれと比べるならば、まだ脅迫と言えないほどの軽いものである。韓国では脅迫が取り除かれると、神社は一斉に破壊された。日本ではそういう例は見られない。勿論、ここには、その神社を尊敬している人がいるのだから、その人の納得しないうちに神社を破壊することは社会的良識に欠けるという理由がついている。けれども、この理由が本当の理由になっているかどうかは、もっと突っ込んで考察しなければならない。 
その考察は今は棚上げして置いて、間違った神社参拝をしたことについて、少なくとも自分自身は徹底的に悔い改めなければならない。ところが、それがなされたか? 少なくとも、キリスト者の神社参拝は公けに行われたのであるから、それが間違いであったという悔い改めが公けに行われるべきでなかったか? それは頬かむりになっている。 
あれで良かった、と開き直る人は流石にいない。しかし、間違いであったと正式に表明することもなかった。 
目糞が鼻糞を笑うような話しであるが、日本のキリスト教の一派には、神社参拝を大いに行なうべきだと教えた人がいる。この教派はキリストの再臨を強調していた理由で官憲の大弾圧を受けたため、そちらの方ばかりが強調され、神社参拝を肯定した失敗は忘れられているのであるが、神社というものは唯一の神エホバの一つの現われであるから、神社を拝むことによって唯一の神エホバを拝むことに結局なるのだと教えていた。 
その教派は、今ではそのような教えをしていないから、間違いを認めていると看倣すことが出来るが、かつて自分たちの教派の指導者が教えたことは間違いであったと公的に表明しないと、雑草を刈り取ったが根をまだ残したままであるのと同じではないか。この説は神の本質と神の啓示についての実に危険な誤謬である。日基の中ではさすがにこういう好い加減な教えをする牧師はいなかったのではないかと思うが、こういうことを言っている人がキリスト教の中にいるということは私の子供のとき聞いた覚えがある。 
ただし、その場合、これが間違いだとは教えられなかった。 
今日においても、教会にはいろいろな人がいるのだから、靖国のことや従軍慰安婦のことや「日の丸」・「君が代」のことは教会で語ることが出来ない、と言う人が多い。つまり、それを誠実に考えるのも考えないのも、アディアフォラだと言うのである。それでイエス・キリストを信ずる信仰が良心の曇りなく告白できるであろうか。これは「信仰告白の事態」と言わねばならないことではないか。 
「信仰告白の事態」においては「アディアフォラ」は成り立たないという考えが日本のキリスト教にないのは、先ほど伝統的なヴェールで覆われていて見えなくされているからであると言ったが、これが一つの原因である。その伝統がいつから始まったかについて、私は詳しいことを今は論じられないのであるが、キリシタン迫害の時からハッキリしたのである。 
そのヴェールの原因をさらに問うならば、一つには日本人の考え方の曖昧性、もう一つにはカトリックの教えの曖昧性からこういう結果が生じた。「偽装転向」という言葉はその当時はなかったが、事実としてはあった。偽装転向した人は「隠れキリシタン」になった。例えば、「踏み絵を踏んでも、キリストさまは赦して下さる」という理由付けで、踏み絵を踏み、しかし信仰は守ろうとした人はいるようである。だが、本当に信仰を守ったのかというと、信仰を捨てる言い訳を信仰の言葉を用いてしただけである。 
偽装転向にもいろいろあって、一時的に偽装せざるを得なかったけれども、隠れて礼拝を守り続け、300年の後に名乗り出て迫害を甘受した浦上キリシタンのようなケースもあるし、平戸島、生月島などに残るような、土俗化してしまった隠れキリシタンもある。 
カトリックでは「信仰告白の事態」という理論が成り立たないので、踏み絵を踏んだこと、すなわち信仰告白を誤魔化すことについて判断が出来ない。むしろ、あれでよかったと認めてしまう理論がかなり横行している。これが日本人の好い加減さにマッチして、これこそ本当のキリスト教だと思ってしまう人がプロテスタントの中にもいる。もっとも、カトリックの中には、高山右近のように信仰のためには祖国を捨てるのが本当だと考えたい人もいる。カトリックにも流れが二つある。一方では教会の戦争責任というような問題は決して考えない。 
このような日本人の伝統的心性と非常に違う意識をキリスト教は持ち込んだはずである。今、少し触れた戦争責任の意識、これが日本にもともとなかったとは言わないが、表立って取り上げられることは確かになかった。だから、こういう意識を持たないままクリスチャンになって、そのままでいる人と、御言葉を聞くことによって意識が変わってきたクリスチャンと、二種類の人がプロテスタントの側にもいる。この二種類のうちどちらが本物であるかという理論闘争が行なわれているわけではないが、どちらが本筋であるかは弁えて置かなければならない。 
信仰告白そのものには抵触しないが、「信仰告白の事態」として捉えるならば明らかに否定しなければならないことであるのに、曖昧にして置くということがある。信仰告白の事態の理論を受け入れていないからである。その失敗を一度は赦されるとしても、ここが問題点であったと指摘されているのになお失敗を繰り返すならば、それは赦されるであろうか。 



 20世紀における信仰告白の事態

「信仰告白の事態」という言葉がその後の教会の中でどういうふうに語られたかについて私は詳しくは知らないが、20世紀に至ってこの言葉が大きくクローズアップされるようになったことには触れなければならない。 
それは1933年以後のドイツにおいてである。この年ヒットラーが権力を執った。上にある権力に従わなければならない、という姿勢を取って来た教会に対して、新しい問題が突きつけられた。「抵抗権」ということはまだ大っぴらには語られなかったが、目覚めた神学者の間ではこの問題への取り組みが始まっている。先に述べた通り、今日は抵抗権のことは論じない。 
この同じ事態の中で、今が「信仰告白の事態」であるという自覚が生じた。この世の政治の問題は「アディアフォラ」であると原則的には言えるのであるが、原則を通用してはならない事態もある。「今がそれだ」と人々は感じた。だから、当時の権力の言うままにならない教会を、国家教会を離れて建て上げた人々は、自らの教会を「告白教会」と呼んだのである。告白教会は「信仰告白」を掲げる教会というだけでなく、「信仰告白の事態」に対処できる教会という意味を持つ。告白教会の牧師は給料を停止され、指導者は軒並み強制収容所に放り込まれたのである。 
日本でも、1930年代にドイツの教会闘争はある程度正確に・誠実に紹介されていた。それは旧日基の知的レヴェルが高かったからである。しかし、知的レヴェルは高くても、信仰の姿勢はシャンとしていなかったので、自分たちが同じ「信仰告白の事態」にあるとは感じなかった。 
日本でこの言葉が「自分の言葉」として使われ始めたのは、先にも触れたように1969年日本キリスト教会の靖国闘争の中においてである。ただし、この言葉が身に付いたものになったと断定することは今日も難しい。一つは、教会の直面している問題を御言葉に照らして考え抜くことを嫌う雰囲気が教会に濃厚だからである。御言葉から聞いて、それに従うという姿勢が非常に稀薄である。この世の風潮に流される。教会外の新聞や雑誌は読むから、そこに書いてある言葉を有り難がって使うことはする。そういうことなら、喜んで聞く人は少なくない。 
もう一つ、教会の外からよりも教会の内から、教会の伝統の精髄の中から聞き取ることが教会の学問であるという精神が確立していない。勿論、教会の伝統の声を全部有り難がって受け入れる必要はない。掃き捨てなければならない伝統も多い。だが、耳を傾けるべき声もある。それを読み取ることが全ての信仰者に義務づけられているとは言えない。しかし、神学を学ぶ者や、神学校で教える者にはその義務がある。このようにして、「信仰告白の事態」という考えは日本の教会に定着すべきであった。しかし、日本キリスト教会の一部にこのことを論じる人がいるだけで、定着に至らない。他教派では論じられてさえいない。信仰告白が大事だという考え自体が確立していないからである。 
そこで、いよいよ「信仰告白の事態」の内容に入って行く。どういうことが「信仰告白の事態」で、どういうことがそうでないのか? ハッキリ言って、なかなか難しい。状況によってその事態であったりなかったりするのである。「信仰告白」の事柄に関わるかどうかは、成り行きまで読み取って、総合的に判断しなければならないからである。 
信仰告白にじかに関わることであるなら、信仰告白の中で確定して置くことが出来る。 
例えば、キリストは再臨しないというようなことは異端であると決めることが出来る。 
しかし、信仰告白の条文の中に決めて置くことができないアディアフォラがある。場合によっては抛って置いて差し支えないが、場合によっては抛って置くと教会の命とりになる。その判断は厳密にかつ総合的に下さなければならない。それが出来る叡知と誠実さが教会には必要である。 
判断基準は勿論聖書であるが、聖書を判断基準とするとは、聖句を抜き取って来て当てはめれば済むようなことでない場合が多い。聖書全体の主旨に沿うとともに、言葉を厳密に受け取って、誤魔化しのない解釈をして判定を下さなければならない。それは気が遠くなるほど面倒な議論を経なければならないのではないか? そうでもない。 
今、「誤魔化しのない解釈」と言ったが、誤魔化しであるかどうかは「良心」で分かる。誤魔化しは良心から発するからである。良心の目を先ず暗くしなければ、理論の誤魔化しは出来ないということを我々は経験から知っているであろう。 
ついでながら、これは今日の話しの中で一言是非触れて置かねばならないことであるが、「信仰告白」とは「良心」の問題であることが見落とされ勝ちである。これを掲げていさえすれば告白的だということにはならない。宗教改革の時、時代のキャッチフレーズと言って良いほどの響きをもって唱えられていたのが「良心の自由」である。このキャッチフレーズは、その時代には「自分の信仰を告白する自由」というニュアンスで語られていた。すなわち、自分は福音主義の信仰を持つが、良心が脅迫のもとに曝されているため、信仰を表明することが出来ない、というようなことにならないのが「良心の自由」である。 
こういう本来の意味は、日本では分かり難いのかも知れない。日本は大事なことを曖昧にして置いても良心は気に留めないという精神風土である。信じていても「信ず」とハッキリ言わず、信じなくても「信じない」とは言わず、心の中でもそう思っていない。 
それで通せる。曖昧なままにして置いても良心に何の蟠りもない。信仰告白が大事なものだと言っている教会の中でも、良心賭けて言い表すことはむしろ稀であって、お題目を固守するのと同じ程度のものになっている。 
こういうことだから、戦争罪責のことを放置して置くことが出来るし、謝罪、謝罪と言う時もリップサーヴィスとしてぬけぬけと言えるのであるが、信仰告白の好い加減さと共通している。だから、ヨーロッパの人々が自分の信仰をハッキリ告白しようとして戦った宗教改革や教会闘争は良く理解出来ない。良心の自由という言葉も本来の意味からかなりズレたものとして語られている。 
「信仰告白の事態」の判定は確かに平易でない問題であるが、その判定に良心が加わっていることが分かれば、却って難しくなると言う人はあろうが、これでスッキリすると感じる人もいるはずである。 
残りの者の教会の組織と活動「残りの者」という言葉は聖書の中で稀なものでなく、教会において馴染みのない言葉とは言えないということについて、我々は長い間聖書研究をして来たから、繰り返し語る必要はない。しかし、「残りの者」と「教会」とが相反するとまではいわなくとも、含む意味は違うという考えがあるのではないか。この考えは危険である。 
「残りの者」という言葉に最も良く反応するクリスチャンは無教会主義者であろう。彼らは制度を持ち、目に見える形を取る教会は、エクレシアの頽落したものであるという考えから、教会の外に出たのである。しかし、形を取らない群れもやはり頽落するという事実があったから、戦後は戦前ほどには教会に対して対立的にはならない。むしろ教会派の中に無教会派よりも深い罪責感覚が培われているということに気付いた人もいる。それでも、教会側よりも敏感に彼らは「残りの者」に共感を覚えるはずである。そして、自分たちを「残りの者」と同定しようと考える。我々が「残りの者」を強調する時、それが無教会的なものになるかも知れないので、注意して置きたい。 
教会ではなく、教会の残りの者こそ重要だと言わんばかりの調子でこれまで論を進めて来たのだが、我々は決して「われは教会の残りの者を信ず」とは言わない。「われは教会を信ず」と言うのである。教会に背を向けて、残りの者、残りの者、と言うのではなく、教会が現実には残りの者であることに注目せよ、と言うのである。 
我々は、教会のうちに多数派志向の傾向が強くて、自分たちは残りの者であるということを意識せずにはおられないのであるが、教会の本質を考えると、教会の残りの者という現象は、本来考うべき対象でなく、教会にこそ目を注いで考えるべきである。残りの者、それが教会なのだという真実があって、我々はそういう教会を建てて行くのだ。教会を否定したり、他教会との間に格差があるかのように思ったりはしない。ただ、教会が残りの者であることを否定する人々とは一緒に戦うことは難しいと思う。 
残りの者の教会では、自覚ある少数者一人一人がシッカリしていなければならないのであって、組織は意味を持たず、むしろ禍いであるというふうには考えないようにしよう。個々人がシッカリしなければならないことに我々も異論はないが、個々人が確立することによって教会が建つのでなく、教会が確立してこそ教会の肢がシッカリするというふうに我々は考える。非組織のゲリラのようなものとして残りの者の教会とその戦いを考えることは正しくない。確かに、組織を作って組織維持に精力を費やすのは、神の教会にとって相応しいことではない。しかし、キリストの体なる教会は、体が関節や腱や神経によって結びついているように、小さくてもキチンとした秩序を持つのである。それは一般の教会の持つ制度の形と異なるものではないであろう。 
若干違うところがあるとすれば、実際の戦いに即応する秩序でなければならないから、務めの担い手の選出は厳密でなければならない。今日の多くの教会は、数的成長を求めた後遺症として組織が慢性的に機能不全になっているが、残りの者であることの自覚に徹した教会はそういう症状にはならない。また、我々は妥協しないとやれないという考えは一切持たない。 
さて、残りの者の活動は基本的にはこれまでの教会で論じられていたことを超えるものではない。説教とか、牧会とか、ディアコニアとかについて論じ始めたなら、これまで言っていたことの蒸し返しをするだけであろう。したがって、教会の種々の働きについての各論は省略する。しかし、その論は空論にならず、それぞれの働きは空回りすることの少ないものになる。 
教会の基本的な機能以外に今考えて置くべきことに幾つか触れる。政治的状況が狂って来ると、社会の全体も狂うことは、我々が経験している今日の現実である。良き政治は神からの良き贈り物であり、悪しき政治は神のくだしたもう禍いである。しかし、良き政治は天から降ってくるものではなく、神から与えられた時のもとにおける人間の叡知、志、善意、努力の作り出すものである。 
教会は神の御旨を知っているのだから、御旨に適うことが行われるための政治活動をするのか。それはしない。政治は地上的権力をもって正義を実現することであるが、教会には地上的支配権力を委ねられていないと我々は信じている。教会は仕えることを通じてこの世を整えて行く。 
ただし、この世の政治が歪んでいる時、我々はこれを変えて行かねばならないので、上にある権威への従順という形は必ずしも取らない。現政府に圧力を掛けることもある。 
だが、そうだとしても、政府と張り合う力を獲得し、行使することはない。「私の王国はこの世のものではない」と主イエスはハッキリ言われた。 
そうであるが、我々は王の王であるキリストの知恵に与っているのであるから、政治権力を握ることはしないが、この世を正しく治める知恵を持っていることは確かだし、またその知恵による判断を示すことは決して間違ってはいない。知恵を権力によって行使することはなくても、その知恵を示すだけでも、社会は益するのである。だが、その知恵をこの時代のために用いて欲しいと要請され、権力を委ねられることはないか。それはあり得る。その要請に応じるのは信仰的に不純であるか。そうではない。政治的使命を信仰をもって神から受けて、信仰によって担うことは十分あり得る。このような人材提供の形で教会が隣人に仕えることはあって良い。この人材は、人々から期待されるからではなく、神のこのような召命を受けたと確認したからこの務めを始めるのである。 
その人を教会は祈りによって支える。ただし、彼は依然として教会の肢であるが、教会という機構を代表するような使命は持たないと考えるべきであろう。 
政治団体ではないが、ある影響を社会に及ぼす運動体がある。悪いものとして、例えば、信者獲得を目標にし、その点では成果を上げている新宗教の団体がある。教会がそれと異なることは言うまでもないが、どこが違うのか。それらの団体においては団体の拡張が自己目的になっている。拡張のためのエネルギーを人々から吸い上げて、それによって自己を拡張する。そこに生じる動員力を用いていろいろ悪いことをする。ただし、人々からエネルギーを吸い取るだけではやがて飽きられるから、吸い取るものの見返りに、今日の社会の中で得にくくなっている安らぎ感、満足感、達成感、現世的利益を与えている。このような団体のあるものが著しい成果を上げているが、成果を上げ得ないものとの違いは経営戦略の上手下手にある。それをここで論じることには意味がない。 
注意して置かねばならないのは、それらの手段によって満足感や達成感を得ようとする、精神的に飢えた人々が非常に多い時代だということである。教会はそのような団体と別の次元にある。 
今述べたような宗教結社でなく、社会教育団体あるいは非営利団体という名で纏められる団体との関係はどうか。教会の本来の活動のうちには社会教育とか、非営利の社会貢献という理念が組み込まれている。あるいはむしろ、結果的にそのような影響を世界に与えていると言う方が正しい。 
教会がそういう問題に触れる場合があることは当然である。ただし、教会は御言葉を宣べ伝えることを主たる使命とし、その主要使命の結果として奉仕活動をするのであるから、奉仕活動として類似面があったとしても、教会の本体がその活動団体の中にドップリ入り込むことはない。また、教会は今の世では少数者として立つのであるから、運動体自体が自己拡張的な性格を持ちやすい以上、注意しないと齟齬が生じる。しかし、ある繋がりが出来ることは確かであり、その繋がりを通して教会的ディアコニアの一端が遂行されることも確かである。 
この方面で私は一昨年から台湾の元慰安婦の裁判を支援する会の代表にさせられているので、その経験を整理して置きたい。慰安婦裁判の支援会の代表に男性がなることは異例のことである。また牧師がこういう仕事をするのも異例のことである。異例というだけで躓きになりかねない。が、その躓きは無視するほかないと思っている。 
私がこの実践を通じて聖書の読みを深められる経験をしたかというと、それはない。このことは当然だと思う。もしここから聖書の本当の読み方が示され、鍛えられるというのであれば、全ての牧師はこの種の実践をしなければならない。だが、このような実践は御言葉を聞き取ることに関してでなく、御言葉を聞いた者がどう答えて行くかの面に関するものである。 
この仕事のため、例えば、土曜日に説教準備の時間を犠牲にして、出て行かなければならないことが時々ある。支援会の働き手は、クリスチャンでない人でも私の牧師としての仕事に支障がないように気を遣ってくれるが、それでも必要な時は、準備を他の日に済ませて、土曜日に出かける。それが辛い場合がある。しかし、辛いことは他にもあるわけで、辛いことを全部除去するのが正しいとすれば、人生の辛さを覚えている人の心に響かない説教になってしまう。 
慰安婦の裁判を支援することがそもそも怪しからん、という意見の人もいる。その風潮がやや強くなって来た。中学校の社会科教科書から一社のものを除いて「従軍慰安婦」という文字が消えた。したがって、牧師がこのようなことをするのは飛んでもない、と考えている人がクリスチャンといわれる人の中に増えて行くはずである。伝道のマイナスだとその人たちは言うであろう。我々の教会にそういう人が入って来たならば、牧師の更迭を叫ぶに違いない。それは必ずしも夢物語ではないと思う。 
そういう人たちに対しては、伝道のマイナスどころかプラスであることを示せば黙らせることが出来る。しかし、それはかなり難しい。伝道というものは目に見える成果を確認することが出来にくい業だからである。 
だから、目に見える成果のことは今は触れないで、やがてその成果が見られるか? 今主が良しと見ておられるか? を考えなければならない。このことについては私は全く確信を持っている。かつて日本の教会は、「これで良いのか?」と疑いながらハッキリしたことを言わなかった。そのことで裁かれたと私は信じている。だから、もう一度裁かれることがないようにしている。 
日本軍の戦時性暴力の被害者になっている女性たちの叫びは、一言で言えば「正義の回復」である。正義の回復の叫びが諸国から上がっているのに、日本の裁判を通じては正義が回復しない。これが日本の地位を世界において著しく下落させているのであるが、日本人の多数者は気付かない。その時に、日本の少数者が正義の回復を叫んでいるから、辛うじて日本の品位が信頼されているという状況である。そういう時に日本の教会が、日本大衆には受けが良くないことだから黙っていようと言っているなら、日本の心ある人は教会を見捨てる。いや、何よりも神がそのような教会を見捨てたもう。神は正義を要求したもうからである。ハッキリ言い切ってはいけないかも知れないが、神は日本の教会を見捨てたもうたのではないかと思われるのである。 
神の求めたもう正義は、説教壇で叫んでいるだけでは届かぬ場所がある。教会に来る人には届くが、来ない人には届かない。しかし、その人たちがこれを聞かなくて良いということにはならない。神は万民に正義を要求したもう。教会の外にも要求しておられる。 
 むすび結びとして、残りの者は終末の備えをすることを確認しておく。聖書で「残りの者」について語られる場合、常に終末、あるいは終末に極めて近い段階のこととしてそれを語っている。終末とは世の終わりであって、個々人の生涯の終わりや、一つの時代の終わりのことではない。 
この点を見落とすと、残りの者の信仰は勝ち残った者の驕り高ぶりやエリート意識と異ならぬものとなり、残りの者に負わせられた使命も見えなくなる。残りの者とは適者生存ということとは違う。その全く逆である。 
 

 

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