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 2001.02.12.

福音伝道教団信教の自由を考える研修会

日本のキリスト者の願う国家とは?

第一の講演 
 


1

我々は神の国に属する民として、しかし今のところ地上の日本という国に住んでいる。
 我々は天上のことを思い、また地上のことを思わなければならないが、天上のことが常に優先するのは当然である。
 それでは、地上の国における務めはどうでも良いこととして軽んずべきであろうか。そうではない。主なる神は預言者エレミヤに命じて、バビロンに移されたユダの捕囚に手紙を送らせ、「私があなたがたを捕らえ移させたところの町の平安を求め、そのために主に祈れ」と命じたもうた。我々が現在いる地上は、我々の故郷ではなく、寄留の地、あるいは捕囚の地であるが、この地の平安を求めることは我々の義務の一部である。
 我々は主イエスから「大事に忠なる者は小事にも忠なるべし」と教えられている。この世のことは小事であるが、永遠の救いのことを第一に考える我々も、ここ地上で誠実に生きなければならない。また、「みこころが天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈るよう主は命じておられる。現世も神の支配のもとにあるのだから、ここを支配しておられる御旨に従わねばならない。「神の支配」と言ったが、もっと正確には「キリストの支配」のもとにあると言うべきであろう。すなわち、「私は天においても地においても一切の権威を委ねられた」と復活の主イエスは宣言されたからである。
 だから、キリストの民は、地上においてもキリストの意志が成るように働かなければならない。地上におけるキリストの意志の実現は、第一に、キリストの民である我々一人一人の内的・外的な生活、並びに、個々の信仰者を肢として、その集合体である教会の生命と使命、存在と職務遂行を通じてなされる。我々は主イエスが教えたもうたように「みこころが地にもならんことを」と祈り、かつそのように働くのである。
 そして、第二に、教会の外ではあるが、同じくキリストの支配のもとにあるこの世の秩序においてなされる。そのように祈るということは、祈るだけに留めるということではなく、祈る者に相応しい行動と発言が伴うのである。
 この他に、第三に、一般的な「摂理」によって御心が行われ、幸いと禍いが起こり、それも我々の祈りの課題になっているが、それについては今回は取り上げない。


 2

教会がその本来の使命を果たすものとして建て上げられるために、主は教会に御言葉を宣べ伝える使命を委ね、また、教会が御言葉によって建てられ、御言葉によって規制され、御言葉によって生かされるようにしておられる。また、教会の主は、教会がその使命を遂行することが出来るようにこれを保護したもう。
 そして、この世の秩序のためには、一般に「国家権力」と呼ばれているものを立て、ここに使命遂行に必要な力、権力を授けておられる。これはローマ書13章に「神によらぬ権力はない」と言われている通りである。
 この国家権力はキリストの支配のもとに置かれているが、キリストの民である我々がこの権力システムのなかで特権的な地位を占めるべきであると考えてはならない。むしろ、キリスト者はこの世では僕としての立場を貫かなければならない。なぜなら、主であるキリストはこの地上では苦難の僕であられたからである。我々の頭であるお方が僕であられた以上、我々は頭になってはならない。
 だが、彼は僕であられたがまた頭でもあられたのではないか。だから、我々も頭であることが必要ではないか。その通りである。我々は僕であると共に、また主でもあり、自由人である。だから、僕という側面だけを取り上げていてはいけない。しかし、我々が主であるのはイエス・キリストの歩みたもうた道においてである。彼は十字架を負って死に至るまで僕の道に徹して歩みたもうた。それ故に神は彼を高く上げてもろもろの名に優る名を賜わったのである。我々は十字架を負うて行かねばならない。我々に栄光を賜わるのは神の御心であり、その約束を固く信じなければならないが、すでに取れり、すでに全うせられたり、と思ってはならない。
 ただ、我々がこの地上にあって、言うべきことは、大胆に、何ものも憚るところなく発言しなければならない。そのように言うのは、我々が主人だからという理由付けによるのではなく、主の僕として、主の御旨を語らねばならないからである。


 3

以上に見た原理は明快であるが、いざ自分自身の現実に適用しようとすると、相当に難しい問題が次々に出て来る。
 第一に、地上の国は神から支配を託されていて、権力の行使によって自己の使命を遂行するものであるが、その権力はしばしば全く容易に悪魔的権力に化する。その実例を我々はすでに多数見て来ているから、具体的に論じることは省略して良いと思う。権力が悪魔化した時、人々の通常の生活に禍いを振りまくのみでなく、教会がその使命を遂行することを妨害する。教会は自らの使命達成に忠実であろうとする時に、妨害と戦い、また妨害を予見する知恵を持たねばならない。悪しき権力が自滅するのは確かであるが、自滅を待つだけで良いのか。
 大日本帝国がさんざん悪を行った末に自滅したのは我々の見る通りであるが、帝国の壊滅によって教会は回復したであろうか。――私は教会もまた殆ど自滅したと見ている。
 しかも、教会は大日本帝国のもとで殆ど自滅したことを認めようとしない。戦後、本当の覚醒をしていないから、戦時中自らが犯していた罪が見えていない。本当に悪かったと思うならば、二度とその悪を繰り返さぬだけの自己改革をしなければならないのであるが、それがなされていない。私は戦争中の教会の実態を知っている最後の生き残りになったので、教会が少しもよくならず、むしろ戦時中よりも悪くなっている面があると叫ぶのであるが、耳を傾けてくれる人は僅かである。ハッキリ言って、教会が主から委ねられた使命に忠実であろうとしているかどうか、極めて疑わしい。教会はこの世から受け入れられることばかり追い求めているのではないかと思われる。
 キリスト者は、権力が神から委託された務めを行わないのは、神に対する反抗であるから、そのような権力に抵抗しなければならないと知っている。しかし、武力によって抵抗することは禁じられているというのが今日のキリスト教のほぼ一致した見解である。
 イエス・キリストは「剣を執る者は剣によって滅びる」と言われた。また、ピラトの法廷において「私の国はこの世のものではない」と言われた。
 今言ったような「非武装抵抗」の余地はあることはあるが、非武装抵抗は精神的に高度な指導力がないと、実行は不可能である。すなわち、一つは、人間に本能的な衝動があって、それが理不尽な圧迫のもとで容易に「武装蜂起」に転じることは歴史の実例の示す通りである。そうならないように自己抑制をしていると、単なる屈従、悪虐の是認に終わってしまうかも知れない。成功と失敗という枠で見ることは出来ないのであるが、教会が信仰に基づいて非武装の抵抗をした実例は必ずしも少なくはない。今日はそのことにこれ以上触れることはしないが、全部の人に要求することは無理だとしても、教会の中の少数者は志を立てて、これまでの実際例を良く学んで、来たるべき日の抵抗のために備えなければならない。
 さらに、非武装の抵抗は武器を持つ抵抗に遥かに優る勇気を必要とするので、勇気の霊的修練の指導者がなければ成り立たない。主イエスは「体を殺しても魂を殺し得ぬ者を恐れるな」と教えておられるが、この教えは良く分かるとしても、その教えの実践のためには修練が必要である。では、どういう修練であるか。私は戦後だけでももう46年間これを追求して来たが、ようやくウッスラと輪郭が掴めるようになっただけで、人に教えるほどには至っていない。回答のヒントであろうと思うのは、韓国で神社参拝拒否を貫いた趙寿玉さんの実例である。
 
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権力そのものの側にある問題の次に、第二に我々の側に問題があって、神の国に属すると言っている我々が、実に弱くて、悪魔的権力に屈服したり、妥協したり、それどころか積極的に迎合したりしてしまうのである。
 では、そのように弱い者は、キリストの民と呼ぶに足りない外部の者なのか。そうなのだという主張もある。「キリスト者の完全」という教理を主張する人は結局そのような考えになって行く。だが、その主張が正しいならば、クリスチャンと称している者の殆どは排除されなければならない。
 しかし、これでは余りに厳しいから、基準を緩めなければならないと考える人がいるだろう。ところが、人間の判断によって基準の緩和を持ち込んではならない。それでは、キリストの群れは、キリストの群れでなくなり、自分で良いと思うように振る舞う集団になってしまう。現代の教会がこういう教会になりつつある、あるいは、もうなってしまったと私は憂いている。
 だが、試練が次々と課せられて、それらの試練を乗り切った者だけが神の国に入るという捉え方は正確ではない。我々は努力によって神の国に入るのではなく、恵みによって救われるのである。そして、キリストは「神の国は来た」と宣言し、神の国に生きる生活を始めさせたもうた。だが、神の国に呼び入れられる者は人間の目で見るところでは全く雑多である。「賢き者多からず、力ある者多からず」と言われる通りである。
 ただ、我々は「これで良いのだ」と開き直ってはならない。「既に取れり、既に全うされたり」と思ってはならない。「ただ、これを捉えようと追い求める。というのは、すでに捉えられているからである」と言われる通りである。
 困難の克服は神の国に入る人自身によってなされねばならない、と考えるのは正しい福音理解ではない。救いは恵みによってなされる。キリストは「父が私に賜った人々を私は終わりの日まで一人も失わないように全うする」と言われる。
 では、地上における難問は基本的に解決したのであるかと言うと、確かに、基本的にはキリストが解決したまい、そのキリストは勝利しておられる。その勝利が我々のものだと約束され、差し出されていることも確かである。ではあるが、キリストの勝利が我々のものであると約束されたが、まだ完全に自分のものとしてはいない。ちょうど、畑の中に宝が隠されてあるのを教えられて、畑を手に入れるところまで行ったが、そこに宝があるということを知っているだけで、それを見ていない。掘り出しもせずに放置していたなら、宝がそこにあるというだけでは意味がない。
 私に約束され、現に私に差し出されてさえいる恵みを、知っているだけでなく、実際に受け取り、味わっていなければ、知っているだけのキリスト教であって、観念に過ぎず、救いの現実はなく、力はない。約束が私において現実となることが私に委ねられているのであるから、我々には励みがなければならない。ここに修練がある。修練のコースは長いのである。
 例えば、我々が漢字を一つ習うとする。字の意味も、読み方も分かった。これで分かったということに成り勝ちなのだが、そこで終わらせてはいけない。その字を書かせられる必要がある。読めても書けないなら、本当は分かったことにならないからである。ここで練習がある。信仰に関することも同様であって、分かったと感じたところで終わらせては実りがない。これを実りあらしめるのは「修練」である。「艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生じる」というように、修練を受けて、ただ知っているだけの信仰は現実性を獲得して行く。
 では、修練を重ねれば、約束されたものは悉く手に入るのか。そうではない。終わりの日が来るまでは全うされないのである。だから、希望のうちに忍耐して待つことが大切である。
 
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さて、私は今日の話しの第一部の主要部分として「教会と国家との分離」という考え方を、問題を整理するための思考方法として身につけるべきことを論じて置きたい。「考え方」と言ったが、考える「内容」ではない。これを真理と思っては間違いである。近代国家では「原理」のように言われているが、仮説である。譬えて見れば計算の筋道であって、こういうふうに計算すればキチンと答えが出るが、手順を間違えると混乱してしまう。だから、手順には従わなければならない。手順としては、先ず分離して考えるのである。しかし、心の中で教会と国家が全然分離しているわけではない。我々は教会の中に生きており、国家の中にも生きている。双方ともに誠実な関わりでなければならないことは言うまでもない。
 考える内容ではないと言ったが、軽く考えて良いという意味ではない。教会と国家を分離して考えることをキチンとして置かないと、教会の自律性ということが良く捉えられなくなる。教会は地上では権力を持たないから、目を覚ましていなければ、権力を持つ者の作り出す秩序によって押し流されてしまうのである。すなわち、教会の主が教会に授けておられる使命を忘れて、国家の御用機関になってしまう。実際、日本においては、キリスト教会は戦争中国家の戦争遂行のための機関、また敗戦時には国体護持のための機関に成り下がった。このような自律性のないものになっていたことについての反省が真剣になされているであろうか。
 その反省が極めて浅いから、戦時中の教会の発言や行動について若干の自己批判はあるのだが、聖書の言う悔い改めにはなっていず、したがって生まれ変わりにもなっていない。あの過ちを繰り返さないための自己改革も行われていない。今日も国家の作り出す流れに流されている。国家が低迷すると教会も低迷する。そういうふうに、教会と国家の分離はまだ身に付いていない。
 だから、伝道、伝道、と叫んでいるけれども、大枠では国家の作り出した流れに流されているだけだというのが現実ではないのか。教会は国家の侵入出来ない領域において自己に委ねられた使命について考える神学を持たねばならない。
 
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さて、教会と国家、あるいは宗教と政治の関わりの歴史を振り返って見ることにする。
 大雑把に見るならば、昔は宗教と政治は一体のものとして扱われることが多かった。その典型的なものは日本で古い時代に言われた「祭政一致」である。政治のことを「まつりごと」と言うが、これはそのものズバリ祭りをすること、すなわち宗教である。政治の主権者である天皇が祭りを主催したのである。
 しかし、宗教が政治であり、政治が宗教なのかと検討して見ると、随分インチキがあることが分かる。すなわち、祭政一致というようなことを唱える人ほど、宗教の心とおよそ縁遠い利権あさりに熱心な政治家である。つまり、宗教は多数の民衆を動かすための名目にされている。宗教は政治を超越するものであるが、政治に利用されている。祭政一致というかけ声を叫んでいる人は保守政治家の中にいるが、祭政一致の実体が何であるかを探って見ると、かけ声だけで中味はない。政治をするに不可欠な醒めた知性がこのような宗教では少しも啓発されない。
 こういう考えの起こりを探って見ると、非常に古い時代の日本では、一つ一つの村落共同体の秩序が宗教的秩序であって、それを維持していたのが祭司、あるいは祭司に極めて近い肉親だったからかも知れない。あるいは支配権を執った豪族が、民衆の恭順を確認するために、自家の先祖祭りを人民に押しつけてそれを国の行事にして行ったからかも知れない。この二つの要素が絡み合っているように思う。
 こういう体制があったから、日本はアジアと世界を相手にする戦争に突入することが出来た。宗教が関係していると、何でも宗教的な装いに出来る。汚い戦争をしていながら、「聖戦」だと言うと、人民は信じて来る。負け戦をしていても、今に神風が吹くというと、人々は信じる。宗教目的はあらゆることを神聖化し、誤魔化しを見逃す。自分自身をも誤魔化すから、反省が起こって来ない。これが世界の平和維持にとって危険であるので、第二次大戦の後で、占領軍は皇室と結びついた神社宗教が国民全体を拘束する体制を撤廃させたし、日本国憲法は政教分離を明確に規定した。この憲法によって日本では初めて近代的な意味の信教の自由の権利が保障された。ただし、条文の上では一新され、また世界で最も進んだ規定になったのであるが、人々の心の中の変革は行われなかったので、政教分離の原則はなし崩しに後退している。
 幾つかの裁判があって、信教の自由、また政教の分離原則は細々と守られてはいるが、これに無関心な国民が多く、この制度そのものを否定しようとする動きがあり、その人たちは靖国公式参拝の実現という目標を掲げて、実質的に政教分離を骨抜きにしようとしている。

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信教の自由は旧憲法にも規定されていたではないかと言われるかも知れない。しかし、旧憲法下の自由は条件付きであった。その条件は政府の手中にあって都合の良いように操作できた。だから、自由に宗教活動が出来た時代もあるが、全く息の根を止められ、それどころかキリスト教の本質的な点で骨抜きされることもあった。例えば、キリスト者にも神社参拝が課せられ、キリスト教の牧師にも神道のみそぎの儀式が強要された。
 そのように政府の意のままに解釈されることは過去のものになった。
 ただし、今日本においては、信教の自由は大幅に侵害されている。まだ気が付いていない人が多いが、一昨年から昨年に掛けて、精神的自由を保障する体制は大幅に後退した。特に公立学校における日の丸・君が代の強制は、宗教行為を命じるものではないと言われているが、現状でも殆ど偶像礼拝の強要になっていると見るべきであろう。信教の自由の後退は、神社宗教の隆盛ぶりに現れている。それは国家の唱道によるものではないが、多数者の好みという装いのもとで、国家統制に近づいて行く可能性が大きくなっている。おそらく、日本国民は日本の国旗と国歌を大事にしなければならないということを突破口として、国家の作り出す価値のもとに国民を統合しようとの企てが進んでいる。このことの危険に対処する手段を考えなければならない時に来ているがが、理論的なことをもう少し考えて見る。
 政教分離は近代国家にとって自明の原理だと言われているのであるが、本当に自明であるかどうかは極めて不確かなように思われる。憲法は一応政教分離原則に立っているし、日本において国家神道の再発を防止するためにこの処置が不可欠であることを認めるが、クリスチャン一人一人が、政教分離原則と、自分の信仰とを結びつけて捉えているかといえば、そうでない場合が圧倒的に多いのではないか。実際、政教分離を聖書によって基礎づけようとすると、そういう聖句は極めて稀である。皆無と言った方が良いほどである。そこで、多くのキリスト者は政教分離は世俗のことであると考え、これを守るために身を入れることもないし、政教分離が侵害されても、信仰の重大事であるとは感じてないのである。
 政教分離原則という言葉を聞く時、そこに世俗性の匂いが嗅ぎ取られるのは無理もない現実である。すなわち、そこには世俗の考えが半分は入っているからである。こういう考えが西洋の近世思想の産物であることは指摘される通りである。これが一番ハッキリ打ち出されたのはフランス革命であり、その思想的基盤となった啓蒙主義である。

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この歴史を無視するわけには行かない。しかし、もう一つの歴史がある。そのうごきによって政教分離が実質的に勝ち取られて来た。それは余り注目されなかったことだが、キリスト教の歴史の一つの流れである。
 ヨーロッパにおいては、4世紀以来キリスト教が国教であり、宗教と政治、教会と国家は固く結びついて来た。16世紀の宗教改革もこの体制を崩すことは出来なかった。むしろ、宗教改革は国家の力を借りて行われた教会改革だと言えなくない。
 教会と国家の分離がヨーロッパで現実化されるようになったのは先にも触れたようにフランス革命とアメリカの建国であったが、フランス革命は多くの国では敬遠されたまま19世紀に至って一般化した。それを推進したのは教会の側であり、キリスト教会の中でも「自由教会」と言われるグループの努力であった。このことが余り注意されていないのは不思議である。自由教会の思想的系譜を引き継ぐと言えるのは福音派であるが、福音派の中では特に関心が低いのではないかと私は感じている。
 19世紀の30年代から、教会内分離運動が各国で行われた。それは大まかに言えば、国家と結びついた教会が、18世紀の啓蒙主義の影響を受けて自由主義化し、危機感を持つ伝統主義者が国教会と分離した教会を建てなければならないと感じたところから発する運動である。1834年にオランダで分離教会が出来る。1843年にはスコットランド自由教会が出来る。この二つの教会の運動が特に大きかったが、ドイツ、スイス、ノールウェイにも自由教会は成立する。その既成事実を国家の側では認めないわけには行かなくなった。これが教会と国家の分離である。
 これらの分離した教派は殆ど例外なく、国内伝道と海外伝道に力を注いだ。この人たちは19世紀に国際的連帯も考えて「エヴァンジェリカル・アライアンス」という国際組織を作る。日本の伝道の初期、このエヴァンジェリカル・アライアンスの演じた役割は絶大であった。すなわち、初期の宣教師は殆どこの運動の感化を受けた人であり、日本で最も古く成立したプロテスタント教会である横浜海岸教会は、このアライアンスの初週祈祷会から生まれたのである。
 また、このアライアンスに連なる人々は、伝統的な神学、すなわち聖書の健全な釈義と宗教改革の神学の復興に大いに努力した。20世紀において宗教改革の精神の復興がかなり進んだが、それは19世紀においてその先鞭を付けた人たちの後を嗣いだものである。
 この思想系譜の中に1930年代のドイツの教会闘争がある。

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「教会と国家の分離」という考えは、まるで反対の二つの思想の中から生まれたものである。教会の中で、古くは教会と国家を結びつけて考えるのが普通であった。この考えが破綻した。一方、国家の側でも教会との結合を当然のことと考え、国家儀式はキリスト教式に実施され、国家は宗教的に意味づけられ、神の意志を実現するための機関と見られた。ところが、啓蒙思想はその考えを否定して、神なき世界を考える。政治の考えの中に宗教を持ち込まない。
 その傾向のある政教分離思想にクリスチャンが賛成するのはおかしいではないかという意見があるであろう。一見、もっともな意見のように思われるが、キリスト教本来の考え方とどうなのか。キリスト教本来のものがむしろ分離の思想であったということを無視出来ない。すなわち、

 1)キリスト自身が言われた「私の国はこの世のものではない」は教会と国家の次元の違いを示す。教会と国家は次元が違う。だから混同は出来ない。
 
 2)4世紀の終わりまでは、キリスト教ではたしかに教会と国家の分離を実践していた。

 ローマ帝国はキリスト教を抹殺しようとして迫害していたから、教会と国家を結びつけることはあり得なかった。
 19世紀に教会と国家の分離を教会側の人たちが遂行したのは、上述のように教会の純粋な信仰が近代化によって崩れて行くことを恐れたためであった。国家と一体化した教会には、国家の近代化がモロに入って来る。だから、国教会と分離しなければならないということになる。
 19世紀の分離の場合、教会と国家についての本質的な考察が掘り下げられていたわけでは必ずしもない。掘り下げた人もいるし、掘り下げなかった人もいる。「自由教会」という呼び名は一応定着したが、「自由」がどういう意味で言われているのか分かっていない人が多数者であった。
 教会の熱心な人たちが国教会からの分離、したがって国家から分離した教会を考えざるを得なかったのであるが、熱心に考える人が必ず分離を結論とするかというと必ずしもそうではない。一つのケースとして、1630年代以降のスコットランドの「カヴェナンター」と呼ばれる人たちのことを挙げておく。「カヴェナンター」という名はこのほかに、スウェーデンにもあり、アメリカ経由で日本に幾つか入って来ている。これは全然別系統で神学的にも全く無関係である。
 スコットランドのカヴェナンターは王と国民の間の契約を重んじる。もともとスコットランドには王と国民の間の契約関係という考えが強いが、1638年の国民契約(ナショナル・カヴェナント)はキリストの主権を明確にすべき義務を王に負わせる。これを王が忠実に果たさない時には王との戦いも辞さない。したがって、ここには分離というよりは国王もキリスト教的原理に服せしめるという動機がある。
 今日ではカヴェナンターの考えは時代遅れで、現実離れしてしまっていると考えられているが、私は示唆に富んだものであると思う。



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ところで、教会と国家の、あるいは政教の分離の思想の問題性もある。
 
 1)教会と国家の分離は世俗化そのものになりきり、絶対者なき政治理念が理想の喪失を生み、また、政治権力の絶対化・悪魔化の歯止めにならなくなる。このことはすでに実例で明らかである。例証として、ナチス、ソヴィエト、及び天皇制日本の全体主義に見られたように、テロと欺瞞の導入によって権力の絶対化の道を突き進ませる。

 2)政治の宗教化が起こる。ナチズムとマルキシズムの場合に見られる通り、宗教から切り離された政治思想が疑似宗教を作り出す。これが宗教の領域を浸食する。その疑似宗教には自己絶対化の要素はあるが、自己改革の動機と力はないから、汚染と内部崩壊を食い止めることが出来ない。神の前に立つ人間という大前提を無視した政治理念は、自己絶対化に歯止めを掛けられぬままに、破滅に至るまで自己を拡張して行く。

 自己絶対化を防止するものとして、これまで考えられた最良のものはデモクラシーであろうが、これとて人間の傲慢を阻止出来ないことは、現代のアメリカ民主主義のグローバリゼーションの膨張の果ての破綻によって早晩証明されるであろう。また、デモクラシー国家も内部腐敗を自己浄化出来ない証拠が多くの国で見られる。
 今日、物を考える人の間で問題となっているのは政治哲学の消滅である。これまで、実際にどうであったかは別に考察しなければならない問題であったが、一応理念としてあったのは、「哲人政治」の理想である。哲学を持つ人が政治をしなければならない。古代ギリシャのプラトンにおいてこの考えが成り立った。そして、それと別に、東洋においても、例えば儒教でこの考え方は重んじられた。しかし、現代日本において、ついでアメリカにおいて、また軍事政権を成り立たせている国々において、哲学を持たない者が政治に携わるようになっている。それが宗教と結びつくことによって克服できるか、となると、決して肯定的な見通しは語れない。



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分離の反対の方向に行こうとしているのが原理主義である。それが最も顕著に見られる実例はイスラム教である。宗教的指導者が国家元首になる。西欧世界はこれを遅れたものと看倣して来た。そのような見方についての見直しがなされているが、私はやはりこのイスラム原理主義は問題であると思う。イスラムにおいても今は強い影響力を持つが、いつまでも続くわけではないであろう。イスラム原理主義はそれに帰属する者に解放感と自信を与え、原罪のところ自立を獲得出来たという達成感をもたらしている。だが、彼らの今感じている満足は宗教的なものでも思想的なものでもなく、戦争中に我々が経て来た単なる心理的で精神主義的な一時的達成感に過ぎない。必ずや破綻が来るのである。
 けれども、西欧世界、そしてその仲間入りをしたがっている日本において特に顕著であるが、原理主義の問題性を見抜くことが出来ていないと私は思う。すなわち、これは一つの宗教思想であって、その宗教性を捉えていなければ、批判にもならないのであるが、宗教的なことが分かっていない人が問題を考えるから、現象的にことが捉えられるだけである。
 原理主義をどう定義して説明するかということは、なかなか難しい。私も無関心でおられないので多少の学びをしているが、まだ良く分かっていないと正直に言うほかない。
 キリスト教にもこの動きがあった。それは克服したように見られるが、揺れ戻しが来ることもあるであろう。20世紀のかなり早い時期に、キリスト教の福音の自由主義化に対抗してキリスト教のメッセージの基本的なもの(ファンダメンタルなもの)を守らなければならないという神学者たちの主張が出て来た。この人たちが「ファンダメンタルズ」というパンフレットを出した。そこで、その人たちのことも「ファンダメンタルズ」と呼ぶようになる。ここから「ファンダメンタリズム」という運動が派生して、それは最初の頃の神学者の運動とは随分違う方向へと流れて行った。キリスト教の中ではこのファンダメンタリズムを「根本主義」と訳していたのだが、現在、世界的に問題になっている諸宗教の「原理主義」、これは英語では「ファンダメンタリズム」である。
 原理主義というものは全ての宗教に起こり得る。例えば、今日のインドでイスラムの原理主義とヒンヅー教の原理主義が衝突している。インドネシアのマルク地方でイスラム教徒とキリスト教徒の衝突が起こっている。もっとも、これは宗教戦争ではなく、国内に混乱を起こそうとする悪質な勢力の企みであるということが大体分かっているが、それにしても宗教戦争の形を取っている。生存を脅かされている人たちのうちから原理主義的指導者が現れて聖戦を鼓吹することが今後盛んになり得る。
 宗教がそこまで突っ走って行くのに歯止めが掛からない世界になってしまった。歯止めを掛ける思想は宗教の中から出て来るほかない。今はその模索の時代である。
 
 



 

 第二の講演
 


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今回の標題の固有の内容を第二の講演で語る予定である。しかし、直ちに内容に入ることは出来ない。私にとって、この第二部を語ることはかなり重い荷である。余り語り慣れていない内容だという事情がある。そして「語り慣れない」とは、平生、故あって語ることを差し控えているからでもある。そこで、その差し控える理由を説明しなければならない。さらに、語ることを差し控えたと言ったが、公然と語ることこそなかったとはいえ、折に触れて考える問題ではあったのだ。今回、この題を与えられ、ためらったが、語って来なかった事柄について強いて語らせられるのは主の御旨ではなかろうかと思い返して引き受けた。
 これまで語ることを差し控えたのは何故か。それは私の場合、勉強不足で自信がなかったからでもあるが、語るのは適切でないという自己抑制が働いていたからである。キリスト者がこういう世俗の事柄を語ってはいけないとは思わない。むしろ、語ることを使命とするキリスト者がいてくれれば良いと考えている。ではあるが、私自身はそういう使命を持っていない。何故なら、私は伝道者だからである。伝道者は主から召しを受け、務めに献身する。パウロは「キリストのために何でもする」と言ったが、務めに関わることであれば、何でもしなければならず、手を抜いてはならない。けれども、他のことは捨てるのである。
 伝道者としての務めは何か。私は福音を宣べ伝えて教会を正しく建て上げて行く使命を持つ。人数ばかり増えても、終わりの日に火で試される時、焼け落ちるような教会を建ててはならない。したがって、教会を正しく建て上げるに必要なことは何一つ省略してはならない。
 何よりも、語るべき内容であるが、語ることはキリスト教の何かの理論とか、解説とか、励ましになる例話とか、キリスト教の自己理解というようなものではなく、神の言葉でなければならない。神の言葉こそが教会を建て上げる。
 そして神の言葉とは、私が神の言葉だと看倣しておれば良いというものではなく、厳密にそうでなければならない。すなわち、神の民の中に代々に亙って受け継がれて来た、「書かれた御言葉」、聖書である。その聖書の言葉を忠実に解き明かして、棒読みではなく、「生ける声」とすることが私の職務である。この御言葉こそが教会を建て上げる。そして、聖書の説き明かしとしては出て来ないようなことを語ってはならない。キリスト者がどういう国家を望むべきか、というようなことは聖書の説き明かしとしては直線的には引き出せない。御言葉を聞いた人が、御言葉に促されて、どういう国家を追求すべきかを自分で考えることは大いにあるが、人から答えを押しつけられてオオム返しに答えるのでなく、自分の考えとして御言葉に導かれつつ自分で考える。また、自分で考えることが出来るように養うのである。
 教会を建て上げる務めがあるから、教会を建て上げるに妨げとなることが押しつけられる時には、犠牲が大きくても、この世に対して反論し抵抗しなければならないし、行動を起こすことも必要である。それは自分としてはかなりして来たつもりである。
 
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自分が努力して来たと満足して誇っているように聞こえたかも知れないが、誇るのではない。私としてはそれをせざるを得ない負い目があったからしたのであって、その負い目をまだまだ果たしていないと感じている。――自分のことを言わないようにして来たのだが、私は戦争の生き残りである。当然そこで命が果てていたはずの場面が何度かあった。それでも、撃沈されないで、生きて敗戦を迎えた。生き残った生は、私にとっては儲け物というよりは課題であり、負い目であった。この生を正しく用いなければ私は呪われると感じた。
 戦争中、オカシイと感じることは何度もあったが、ジックリ考えるゆとりはなく、敗戦後、やっと反省が始まったのであるが、キリスト者としてなすまじきことを私はした。
 私は軍隊の中で最も良心的な軍人であろうとしていたのだが、大前提が間違っていた。
 キリスト者として国家に尽くすのは当然だと思っていたその前提が間違っていた。天に国籍を有する者として地上の国家を突き放して見ることをすべきであったのに、国家ベッタリであった。
 さらに、私は自分の過ちを他人に転嫁しようとは思わないが、私の判断を誤らせた教会の指導責任に気付かないわけには行かなかった。聖書から真っ直ぐに、素直に、教えを受け取って教えてくれたなら、あのような教えにはならなかった。私は教会の責任を糾弾できる立場であると思うが、そのような糾明はもっと後の世代の人にやってもらえば良い。私は責任を負う世代として、自分の間違いを問い糾し、どの点で道を踏み違えたかを明らかにし、自分があのような罪を再び犯すことのないまともなクリスチャンになるとともに、教会を変革して、あのような間違いを繰り返すことのない教会を建て上げねばならない。そのためにこそ自分は生き残らせられたのだと考えて来た。だから、その範囲のことについては人よりも多く語ったかも知れないが、まだ質量ともに語り方が足りないと思っている。

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戦後そのように私なりに懸命に走って来たが、やって来たことを振り返って見ると、それは全て国家がしていることに対して「ノー」をいう形であった。「ノー」と言うだけではいけないではないか、消極的ではないか、と物知り顔に我々を批判する人がいたが、その批判をする方が間違っていることは明らかである。すなわち、私の確信によれば、これが「教会人」として守るべき限度なのである。積極的な政策を打ち出すべきだと思う人は政治家になれば良い。私はその務めを帯びてはいない。ただ、この世に生きて、政治にも或る意味で責任を持つのであるから、最小限「イエス」か「ノー」かを言わなければならない。「イエス」と言えることは殆どないので、「ノー」ばかり言うことになっているが、それしか言えない責任を私に問われる謂れはないのではないかと思う。
 国家が一つの政策を採る。それに対して野党が「ノー」と言う。その限りでは、私の「ノー」と野党の言う「ノー」は、響きとしては区別がつかない。したがって、キリスト者が言うのは共産党や社会党と同じではないか、と見られる場合が多かった。表面に現われた限りでは同じである。ここが違うのだといちいち釈明する必要のない場合が多いと思う。言っている立場が違うのだということを表明しなければならない時にはキチンと言うべきであるが、常にそう言うことには意味がない。
 それでは、野党の言うことと結局同じなのか。いや、実際に違うのである。違うということは黙っていても、しばらく時間を掛けて見ていれば見えて来る。例えば、勇ましく「ノー」と叫んでいた人が、叫んでも叫び甲斐がないと気付くと黙ってしまう。もっと露骨に言えば、「ノー」と言うことが票にならなければ黙る。しかし、信仰的に「ノー」と言う人は、諦めない。
 残念なことであるが、実質が野党の「ノー」と同じであるような「ノー」しか唱えないキリスト者もいる。キリスト者としてのアイデンティティーを失って、「キリスト者」という名だけは失っていないが、野党と同じになって、「名」が利用され、野党の勢力拡張に貢献するだけの人もいた。政党は他の党と競争しているから、利用できるものは何でも利用する。利用されたと言って腹を立てるには及ばない。しかし、政党への貢献を考えるならば、牧師を辞めて入党すべきであろう。牧師をしながら他の仕事をしなければならない場合はある。しかし、主によって召された務めが如何なる場合にも優先するのでなければ、兼業は許されない。

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キリスト教の政治理念を掲げ、これで呼びかける人がいて差し支えはないと私は思う。
 キリスト教の政党があっても良い。私自身はその政党に入党しようと思わないが、人が入党しようとするのを邪魔しようとは思わない。その政党が、キリスト教の立場で考えて、望ましい国家とはこうこういうものである、と打ち出すことは十分理解できる。
 望ましい国家とはこういうものである、とキリスト教政党が理想を掲げ、それに向かって使命を感じて努力することには意味がある。けれども、望ましいものはこれであると掲げながら、その実現のための政治行動を起こさないならば、それは遊びか、茶飲み話である。遊びにも或る程度意味があるかも知れないが、そういうことをしている暇が私にはない。
 したがって、今私が、「ノー」だけを言うのでなく、望ましい国家は何かを論じるからには、それに向かっての行動を起こさなければならないのではないか。私は心を入れ替えて政治行動を起こす気になったのか。そうではない。私は政治のことに打ち込む使命を今も感じていない。それでは、これまで自分に禁じていた禁を破って、遊びを始めたのか。そうでもない。
 私自身はこれからも、政治行動は「ノー」を唱えるという形でしか取らないであろう。
 しかし、「ノー」言う場所は野党の反対デモの行列の後だけではないのではないか。そういうことを近頃は考えさせられるようになった。「ノー」を言う場所・領域をもっと拡げ、開拓しなければならない。また、基本的には「ノー」であっても、ニュアンスの違う言い方が出来るのではないか。では、政党以外にどういう分野があるか。――いろいろある。例えば、裁判の支援がある。市民運動がある。インターネットでの自分の言葉による意見開陳がある。海外との意見交換がある。

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裁判のことは後から触れる。市民運動であるが、これが何であるかについて、今日何かを論じることは考えていない。また、これを持ち上げようとも思わない。市民運動の中には真面目なものがあるが、そうでないものもあるから、一律に論じることは出来ない。そして、政治が有用なものであっても、私としてはそれへの関与を一定限度に抑制しなければならないように、市民運動への関与にも、私の場合、勿論限定がある。ただ、市民運動と言っても多様性があるから、私の限界に抵触しないものはある。では、政治はいけなくて、市民運動なら差し支えがないという違いはどこにあるのか。政治は権力を用いて遂行される。その権力が運動する者を縛る。市民運動は権力の外で活動するから、運動主体の主体性を保全することが出来る。
 政治というものが人類の存続にとって有用なものであることは昔から考えられたので、政治権力を執行機関に委ね、権力の行使によって目的を達成するのは正当なことだとされて来た。もっとも、権力の行使が正規な道を逸脱することがないように、法によって規制するのは通常のことである。聖書も権力の行使を正当化していることは先に見たとおりである。このような思想が最近まで政党政治を支えて来た。
 ところが、このような政治に対する一般的不信がだんだん昂じて来たし、政治によっては解決出来ない問題があることの認識が拡がって、政治的でない「非政治的な」市民運動や、義務でも強制でもないし、報酬を条件とするサーヴィス産業でない、無償の奉仕を提供するヴォランティアの運動を呼び起こした。しかし、非政治的ということも、ヴォランティアということについても定義付けや規定がされていないから、共通認識がないままに、混乱している面も多いように見受けられる。
 法令によって運営されるのでない市民運動には、自己規制や自己修復のシステムも倫理性も持たない場合が多い。だから、やりたいことは衝動的にするが、無責任に流れるし、自己目的化の危険をつねに抱えており、持続性がない。協調性を欠いた運動体が乱立する嫌いがある。持続的活動をして来ることができた団体は、その運動体を支えて来た個人の品性や教養のお陰で存続したのである。それが欠けていると、分裂を繰り返して衰滅して行くほかない。政治的な運動よりもっと始末におえない場合もある。

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キリスト者が政治上のことで「ノー」と言う時、その「ノー」は野党の「ノー」と同一視されるという話しをした。具体的には「票」の数に換算される力関係が事を決めるのである。政治参加とは、票の多い少ないが決め手になるような土俵に上がってしまうことになる。そのような土俵で相撲を取ることが本当に必要なのであろうか。そう考えて身を引いてしまう人が増えて来た。
 政党は運動方針を決めて行動を起こしても、エネルギーの消耗ばかり多くて益がないなら、その行動を放棄する。だから、政党の言うことの或る面に共鳴して、それに加盟しても、共鳴していたそのことを言わなくなったり、運動方針の中から消え去る場合は珍しいことではない。教会が或る政党の運動方針の或る部分に共鳴してその政党を支持しても、その方針そのものが消えてしまう場合があるのである。
 もっと本質的な問題がある。政治というものは政権獲得の闘争であるから、勝ち負けがある。負ける場合を心配するのでなく、勝つ場合こそ問題になる。権力行使になるからである。その段階で大きい過ちを起こす危険が生じる。良いことのために権力を行使するのは政治の次元では正しいであろう。しかし、キリストは良いことであっても、権力を行使するのでなく、むしろ、その逆の方式を取りたもうたではないか。
 「異邦人の間では権力ある者が崇められるが、あなたがたの間ではそうであってはならない。あなたがたの間では、指導する者は仕える者にならなければならない」。主イエスはそう言われた。教会はその道を行くのである。これは教会と国家の次元の違いにまさに対応する違いである。だから、教会の国政参加は厳格に慎まなければならない。そこでは、主に「ノー」を言うだけになる。これが現在までのプロテスタントの大勢である。ところが、それが変わりつつある。「イエス」か「ノー」かだけでない多様な対応の仕方が出て来たのである。

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このような変化は国家像の変容、あるいは複雑化によって起こったのではないかと思われる。在来の静止した国家像が流動的なものに変化したとも言えよう。その変化は主として国家の枠を越える交流の多発によるのではないかと私は解釈する。政府は国民の負う問題に対応し切れないだけでなく、自分の責任において発生した問題を処理することも出来なくなっている。問題を起こしている政府の責任が市民運動によって追及され、政府は答えることも出来ない。例えば公害問題である。少数の人権感覚に鋭敏な人が多数者から白眼視されながら、危険を訴え始め、今では多数者がその危険を認めるようになっている。また例えば、阪神大震災のような災害、政府は適切に対応できないでいる時、ヴォランティアがドンドン被災地に駆けつけた。そこで非政府組織の活動が問題解決に当たり、政府は非政府的機関の行動をあとから支援するという形を取らざるを得なくなっている。
 もう一つ、国家像の変容を来たらせたのは60年代から70年代にかけて世界的に起こった若者たちの反乱、大学紛争、そこに含まれていた無政府主義の影響についてである。今日の市民運動が無政府主義の思想的系譜を引いているのかいないのか、私には分からないが、大学紛争に関わって挫折感を持たされた人のなかに市民運動に生き甲斐を見つけた人がいることは事実であるから、脈絡があるのではないかと考えられる。
 市民運動に対してキリスト教会は概ね冷淡であった。今でも得体の知れぬものという感じを持つ人が教会には多い。従来の「お上」と「下々」の関係や、行政とは住民サーヴィスであるという理解で社会を見て行くことに慣れた頭では、意味の分からないものかも知れない。その見方では日本の旧憲法体制の国家無答責の亡霊がまだ動き回っていて、国家の失策の責任は国民が受忍すべきであると考えられている。行政のサーヴィスという考えは古い「お上の」理解を裏返しただけで、サーヴィス依存の自立性のない人間を作り出す危険がある。財政状況が悪くなって行くとサーヴィスはドンドン手抜きされる。後には自立性を自ら鍛えることを知らない市民が取り残される。そこでもう一度「お上」による支配が回復する。

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しかし、この「国家無答責」という考えが如何に間違ったものであるかは、例えば、旧植民地の住民が強制連行で従軍慰安婦にされて、補償要求の裁判を起こすと、これまでのところ、全部原告敗訴になる。戦争中は彼女たちは日本国民であったから、国民全体が戦争で苦労したのだから、その苦労に補償する責任はない、という理論を日本の裁判所はぬけぬけと言うのである。それはオカシイではないかと言うのは非政府的運動である。この非政府的な運動をしている人たちが世界の人に対し日本の信用を辛うじて繋いでいる。
 今取り上げた従軍慰安婦問題は、日本の政党政治の弱点を明るみに出した。日本政府は村山内閣の時に初めて従軍慰安婦制度に国家の関与があったと認めた。ただし、資本主義政党の中には国家関与の事実も認めない代議士が今も少なからずいる。右翼政治団体はその事実すら認めず、従軍慰安婦裁判を支援する人のところへは脅迫電話がしばしば掛かって来る実情である。
 さて、村山内閣は従軍慰安婦にされて今や老齢になった被害女性たちのために、見舞金を贈ることを考えた。ただし、国家責任を明らかにする賠償という形は、議会の力関係からとれない。自民党の中にこのことに対する狂信的な反対があり、日本の議会政治はこれを妥協によってすり抜ける以外の道を知らない。そこで、当時与党であった社会党から出た案であるが、国民から基金を集めて見舞金を贈るという形にした。それは国家の責任を曖昧にするもので却って拙いことになるという反対があったが、国会はこれを可決してしまった。
 予想した通り、この見舞金はアジアの各国からの猛烈な反発を招いた。見舞金を受け取った元従軍慰安婦、あるいは集団レイプを受けた性奴隷も若干いるにはいるが、基金は大部分眠っている。日本政府は面子があるから、莫大な宣伝費を使って受け取らせようとしたが、多くの国では国会がそれに反対する決議をしている。この失敗は政府攻撃の格好の材料であるが、社会党が中心となって推進したので、今日少数党に転落した社民党を叩いても意味がないから余り取り上げられていない。とにかく、今日の政治の仕組みでは、この程度のことしか出来ず、中途半端で、却って禍根を残す結果になるということの一例である。
 では、非政府組織なら政府よりも立派なことが出来るかというと、そうではない。第一に、訴える人たちは国としての公式謝罪を求めているが、非政府組織は公式に国を代表することは出来ない。その限界を弁えねばならない。第二に、莫大な補償を非政府組織は調達することは出来ない。そこは政府にやらせなければならない。
 国家責任ということを認めない体質を日本は持っている。これを認める体質の国に変えて行かねばならない。ここには教会も参与出来るのではないかと思う。
 
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「ノー」だけ言っておれば足りた時代でなくなっているという経過を見て来た。いろいろ提言も出来る。言うだけでない、行動もすべきである。これは教会にとって新しい仕事を負わせることなのか。そうではない。むしろ教会に古くからある課題の再発見であると私は思う。
 その課題は聖書では「ディアコニア」と呼ばれている、施しその他の奉仕活動である。
 教会の隣人愛の実践であり、信者同士の助け合いではなく、援助を必要としている隣人があれば、未知の人であっても奉仕するのである。初期の教会はこれを熱心に行なっていたが、教会は次第に自己目的化して奉仕を忘れた。教会の本来の務めとしてディアコニアがあることを思い起こさせたのは、宗教改革の中のカルヴァンを代表とする一翼であった。その活動については今日は触れる時間がないが、私はカルヴァン研究者としてディアコニアの重要性強調して来た。
 ディアコニアの精神は宗教改革の後またもや後退した。そして日本のキリスト教は初めからそれの重要さを教えられていない。教会が未だ弱体であるから、先ず教会を大きくし、力をつけ、それから困っている人を助けるのが健全なやり方だと考える人が多い。
 初期からこう考えて来た。ところが、教会が大きくならないから、奉仕も出来ない、と多くの人は言い訳をしている。けれども、キリストが命じたもうたのは、持つ物が乏しくてもそれを分かち合うことであって、余裕が出来てからの施しではなかった。だから、教会は「仕える」ということについて出発点から間違った。
 「仕える」ということが聖書で教えられているから、我々はそれについて全然考えなかったということではない。かなり真面目に仕えて来たのである。しかし、何に仕えたか。国家権力に仕えることしかしなかった。私自身、キリスト者は最も忠実な日本人でなければならない、と教えられて、そうなるように努力して来た。戦争の時も、命を捨てることを厭ってはならないと考えていた。滅私奉公の優等生である。だが、これが奉仕になったのか。いや、その逆でしかなかったではないか。日本の野心によって侵略されて苦しんでいる人を支えることは全く念頭になく、侵略者を支えることをしただけであった。
 我々はディアコニアについて、ようやく近年になって本格的に考えるようになった。日本の教会が、早くから聖書の言うディアコニアを追い求めていたならば、侵略国家に追随することはなかったのではないか。
 第二次大戦後、旧日本帝国の悪事が次々と明るみに出た。そういう中で我々はこの侵略国家に仕えることしかせず、キリストに仕えることも、隣人に仕えることもしていなかったことを悟った。これが「ノー」と言う以上のことが出来なくなった一つの原因ではないかと私は今になって思う。すなわち、隣人に仕えること、それはまた当然、隣人について深い関心と認識を持つことであるが、このことを長年に亘って積み重ねて来ていたならば、国家に対する我々独自の姿勢や思想が築き上げられて来たのではないかと思う。
 そう思うように考えたのは、先に述べたが、非政府的な市民運動の中で、国の政治に対する「イエス」か「ノー」かという在来の単純なパターンでないものが生まれて来ていることから触発されたからである。教会のディアコニアは非政府的発想の元祖である。
 教会がディアコニアをチャンとやっておれば、そこで蓄積された知恵が、今日、いろいろなところで活用出来たのにと残念に思われる。
 それでは、ディアコニアを通じてどのような知恵が獲得され、蓄積されるのか。それは簡単に言えば、国家から自由な発想をもって問題処理に当たり、国家から自由な情報を獲得して考えて行けることだと思う。
 我々に毎日夥しく注入される情報は、私自身の場合もそうであるが、主として日本語で活字になり、電波に乗せられて来る。アジアの他国の人から羨ましがられるのであるが、日本語だけで広範囲の情報を集めることが出来る。そこには政府の統制や検閲は加わっていないと確かに言える。しかし、例えば、私が或る国に行って、自分の目でその国を見て確かめることと、日本でマスコミを通じて獲得していたその国についての情報とは非常に違う実態だということに気が付く。日本のマスコミがキチンと調査しないで書いている場合も少なくない。また、その国に関する多くの情報のうち、日本人の喜びそうなものだけがセレクトされて伝えられている。戦前の日本人が目隠しされていた状況と実は余り変わっていない。変わっているのは、日本人が今では自由に見ることが出来ていると思わされている点だけである。
 我々が殆ど日本語だけで用が足りていると思っているのと比べて、マスコミの発達していない国では、心ある人は母国語だけのニュース源では足りないと心得ている。例えば、台湾では日本のテレビを見ている人は多い。日本で衛星放送で外国のテレビニュースを見ている人は少ないのではないか。よその国では外国のテレビニュースを見るのは普通のことである。そこに日本との非常な落差を感じる。
 日本人は今なお鎖国の状態に置かれ、しかも鎖国だと思っていない。教会もそうであるが、教会は目覚めることが出来る。教会のディアコニアはその思い込みを打破することが出来る。なぜなら、ディアコニアは交わり、共有だからである。キリスト者の交わりは、もともと国境によって遮断されるものではないから、容易に国境を越えて行くことが出来る。さらに、キリスト者の国際的な交わりは、外交儀礼的なその場限りのお付き合いではなく、人格と人格との対話である。完全な一致でなくても、信頼を以て語り合うことが出来る。国際的なヴォランティア活動をしている人たちの間で、クリスチャンは羨ましいと言われるのを良く聞く。クリスチャンという名があれば良いというわけではないが、然るべきクリスチャンならば、他国に行った場合、その国のクリスチャンと直ちに本題に入った議論を始めることが出来る。ノンクリスチャンの場合だと本題に入るまでに何年も下準備をして信頼関係を作らねばならない。
 ディアコニアとは実際に困難の中にある人を実際に助けることであって、単なる同情ではいけないのであるが、向こうの人が求めているのは同情や援助ではなく、理解であるという場合が多い。理解が前提にならない援助は、援助の形をとる支配、相手の自立性の剥奪になりかねない。この理解こそが交わりの主要な要素である。
 
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以上を前置きにして、やっと我々の望むべき国家を論じることが出来る段になった。もはや時間が余りないから簡単に述べるほかないが、神が国家を建てておられる目的は、正義と平和の実現であるから、国家にこの任務を果たさせることが大切である。
 昨年の暮、東京で「戦時性暴力を裁く国際女性法廷」が開かれた。私はこれの全部の傍聴は出来なかった。何故なら、私は主の民であるから、主の日を礼拝の日として守らなければならないし、牧師であるから、説教の準備のための時間を確保しなければならなかったからである。
 その限度内で傍聴に行ったのだが、深く感じたのは、この法廷が「正義」によって裁き、損なわれた正義を回復しようとしているということである。そういう印象が強かったのは、私自身日本の裁判を時々傍聴しているが、日本の裁判所で、特に裁判長の判決文の中で正義という言葉が高らかに響き渡るのを聞いたことがないのと非常に対照的であったからである。
 私がこれまで関わった裁判は、国を被告とするものであったが、全部原告敗訴に終わった。原告は正義に訴えているのだが、裁判官は正義によって裁くことをしていない。条文に照らして被告に違反があったとは言えない、という論理に終始している。現に正義が侵害されているのに、条文に違反していないなら罪にならないと思っている。一例をあげる。戦争中、韓国の若者が徴用されて俘虜収容所の監視員になり、連合軍の俘虜たちは苛酷な強制労働に駆り出されて多くの死者が出た。俘虜たちと接触が多かったのは韓国人監視員であったから、俘虜たちの憎しみも主として韓国人監視員に向けられ、敗戦後、俘虜だった人の首実験で彼らが投獄される場合が多かった。
 この人たちがBC級戦争犯罪人として裁かれ、少なからぬ人は死刑を執行された。死刑の判決が出たけれども執行されないうちに巣鴨に移され、減刑されて出所した人もいる。サンフランシスコ講和条約でこの人たちは日本籍を失ったのであるが、服役を続けた。
 日本籍のBC級戦争犯罪人には国から補償金が出たのであるが、韓国・朝鮮籍のこの人たちには何も与えられなかった。この人たちは何度も政府に措置を求めたのであるが、相手にされないので、遂に裁判を起こし謝罪と補償を求めた。しかし、裁判は皆負けた。裁判所は政府に落ち度があることを認めない。私はこの裁判をズッと見て来たが、裁判官の口から正義を回復させねばならないという意味の言葉が出たことはなかった。
 聖書には貧しい者のために正しい裁きをせよと繰り返し言う。権力者の権利を守るために正義があるのではない。弱い立場の人々も人間として平等な権利を守られるかどうかで、正義が行われているかどうかが判定されるのである。そして、弱い立場の人々の蒙っている権利侵害は見えにくい。だから、寡婦と孤児の訴えを正しく聞け、と律法は命じる。裁判によって正義が回復すれば貧しい人の苦痛は終わるというのだ。私はそれは本当だと思う。裁判が正義を求めない国においては貧しい人の苦しみは果てしなく続く。次に、従軍慰安婦にされた女性たちの訴える裁判が始まった。裁判所の論法は同じであった。裁判所に訴えても正義は回復しない。それが日本の国である。
 こんな国が地上に存続を許されるのであろうか。従軍慰安婦の問題は国際的な輿論を巻き起こしている。我々はこの国にいる神の民である。我々の神が国に何を求めたもうかを我々は知っているはずだ。日本が正しい裁判をしない国であることについて、我々の責任が問われることはないのであろうか。
 
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次に平和のことを考えて見る。国はその内部で平和を維持し、他の国との間にも平和を維持するために存在する。しかし、その目的を果たしている国はまことに少ない。どの国も国を守るための已むを得ない行動だと言って他国を攻撃する。しかし、後になってその言い分が嘘であった、ないしは誇張であったことが分かるのである。
 攻撃された側では防衛のためと言いながら過剰防衛であると見て報復する。報復がエスカレートして行く。この悪循環を断ち切ることを命じたもうたのがイエス・キリストである。我々はキリストの民であるから、キリストの教えをこの世で宣べ伝えなければならない。
 日本国は占領下で新しい憲法を採択した。それは兵力を保持しないと明記されている。
 恥ずかしいことであるが、私はこの9条の条文を見た時、これはオカシイのではないかと思った。非武装の国に侵略しないほど世界は善良ではない。それが善良であるということにしておくのは怠慢乃至自己欺瞞ではないか。そう思っていた。しかし、ズッとこの問題を考え続けて、憲法の条文が正しいと考えるようになった。侵略される恐れがあるから武装する、ということに一旦なると、軍備拡張競争が果てしなく続く。非武装であるために殺される可能性があるというのはその通りであるが、武器を持つことによって被害を大きくする可能性もある。武器を持たない危険と、武器を持つ危険を天秤に掛けて見るということも実際は出来ないが、武器がある限り恐怖心と復讐心はエスカレートする。武器がなければ、エスカレートはない。
 私は実際の戦争を経験したのだが、ふだん勇ましいことを言っていた者ほど、いざという場面で怯え、取り乱す。そういう人が先に鉄砲の引き金を引くことになるであろうということも分かった。
 恐怖心を完全にコントロール出来る人が武器を持つなら、武器は不心得な者に出来心を起こさせぬ抑止力として安心かも知れないが、実際はそうは行かない。人間をそこまで完璧に教育することは夢物語である。それなら非武装の方が安全の確立は高い。
 さらに武器生産による公害と環境破壊がある。財政の圧迫がある。武器製造によって儲ける少数者とその利益を擁護する政治家がいることは事実だが、そういう人を儲けさせるために、途上国の人々がますます貧しくなるという事実に目を背けてはならない。
 私は今日、憲法擁護の講演をしにきたのでないから、憲法9条については舌足らずのことしか語れないのは致し方ないと思うし、お聞きのみなさんにも理解して貰えると期待する。大事なことは、キリストの民はキリストの御心を知って行わなければ、失格するであろうということである。

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