はじめに:欺かない教会を求めて
かつて福音派の集会で「教会論」の講演をすることになった時、主催団体の委員と前もって話し合う時を作ってもらった。私のうちにはまだ講演の構想が湧いて来ていなかったので、その集会に来るのがどういう人で、教会についてどんな意識や関心があり、この講演にどんな期待を持っているかについて助言を求めたのである。その時、ある委員は「教会成長という言葉に飽き飽きしている人が聞きに来るのだから、そういう話しでなければ、どんなことでも満足する」と意見を述べて私を驚嘆させた。「教会成長」という禍々しいものにウンザリしている人がいるらしいとウスウス感じていたが、広範囲に定着した怨念になっていることをその時に初めて知らされた。
私自身は「教会とは何か」、「教会はこれで良いのか」という問題を戦争中からズッと追及して来た。こういう問題にこだわり続けるのは、不幸な戦争体験があるからである。私は非常に未熟な、全く無名の信仰者であったが、クリスチャンは祖国のために犠牲を惜しまぬ、最も忠良な日本人なのだ、と教会で教えられることを信じ、自分でもそれで納得して戦争に出て行った。しかし、実際に見た戦争は考えられたそれとは大違いであった。つまり、国と教会に騙されたのである。自分が納得した点については教会の責任を追及出来ないと思っている。ただ、そのように前線に出て行く私を教会が支えてくれるのだと素朴に信じていたのに、教会は私を支えてくれるどころか、どんどん崩れて、消えて行くのが軍隊の中から見えるのである。――この事情は詳しく語らなければ分かって貰えないと思うが、今はその時間がない。戦争中の教会がどんな文書を出していたかを見て頂ければ、私の暗然たる気持ちが幾分か分かって頂けると思う。
その教会が、敗戦となると、掌をかえすように平和を謳歌し始めた。日本の再建はキリスト教によらなければならない、と自信に満ちて語り出す。その言葉が全く偽りであるとは思わなかったが、教会は自分自身の戦争中の情けない姿に目をつぶっているのではないか。同じ状況が起これば、また同じ妥協を繰り返すのではないか。そうならないために、先ず自分自身を変革すべきではないか。偉そうなことを言う資格はないではないか、という思いを禁じえなかったのである。
私は戦後4年して伝道者の道に入り、今まで50年間この道を歩み続けて来たが、私自身が味わわせられたあの惨めな思いを、次の世代の人たちに味わわせない教会を形成しなければならないと考えて来た。「教会成長」という新しい用語が唱えられるようになったのは知っていたが、別に関心をそそられることもなく、これに反感を特に持ちもせず、私の関知する事柄ではないと割り切って来た。この問題は私の神学的意識に取り上げられるに価しなかった。
教会成長と教会罪責
ある時、韓国に行って向こうの神学者たちと会食した折、さる神学教師が「最近の日本の教会成長はどうか」と問いかけた。私は思っているままに「日本においては教会成長よりも教会の悔い改めこそ緊急の課題です」と答え、座が白けてしまったことがある。不器用な答えだったことは認めるが、間違ってはいなかったと信じるし、咄嗟に答えた言葉から、「悔い改める教会」と全く異質なものを「教会成長」の理念が持っているのではないかと気づかせられた。それまで関心の外にあったものが関心の中に、それも極めていががわしいものとして入って来た。
「悔い改め」は教会にとって本質的な事柄である。「教会成長」という考えは、教会についての本質的思考を妨げるものではないのか。だから、自分の関知するところではない、と言っているだけでは済ませることが出来ないのではないかと考え始めた。それからまた、長い模索の時期が続いたのである。そして最近になって、やはり、「悔い改める教会にとって、『教会成長』の理念は馴染まない」という結論に導かれた。
近年、日本の教会の中では、教会成長とまさに逆現象である教会の衰退、地盤沈下、行き詰まり、無気力化が目を覆いたくなるほど顕著になっている。この現象を最も早く捉えて、教会の在り方を変えねばならないのではないかと考え始めたのは、私の知る限りでは、福音派の中の少数の人たちである。福音派以外では、教勢の停滞はそれ以前から慢性化していたから、特に行き詰まりの意識を触発されることにならなかったと思う。福音派はひたすら福音宣教の拡大路線を追って来て、これまでは、それなりの成果を上げているように見えていたから、そこに生き甲斐、あるいは存在意義を見出していた。だから、数的成長に行き詰まったとき、問題を受け止めるに敏感であり、その問題は深刻であった。根本的なところで確信が揺らいだ。
「信州夏期宣教講座」もこういった意識によって生まれた。信州夏期宣教講座そのものは全くエキュメニカルな運動であり、取り上げられている問題は全ての教派の共通の関心事項であるが、実際にこの運動を支える人々の過半数は福音派である。なぜそういうことになっているかの分析は今日の話しから省いて置く。
今回の講演会は、信州夏期宣教講座の趣旨を広く伝えて宣伝するための「エクステンション」であるから、これまでの講座の学びを通じて如何に我々の宣教が進展したかを語ることが出来れば幸いなのであるが、実情はまだそこまで行っていない。信州夏期宣教講座を始めて6年、我々は多くのことを学んだのであるが、宣教の成果を上げたり、路線の変革をするには至っていない。これまでやって来たのは、主として、日本宣教史の問い直しである。アジアから、沖縄から、つまりこれまで片隅にあるいは裏側に押しやられていた所から、宣教の全体を見直し、問い直し、欠落していたものを拾い出すことだけであった。
この問い直しは、今後も継続されねばならないが、問い直すだけでは、既往のものにしか目が向かない。また、過去の宣教活動の欠落要素については鋭利な問題指摘が出来るとしても、宣教の核心部分について積極的な提言は出来ない。さらに、「核心部分」と我々が思っている要素の外に、見落としている大事な要素もあろう。本質的なことと実践的なこととを分ける考え方そのものも問い直さなければならないであろう。こうして広範囲の問題を把握して整理しなければならない。それをなし得ないことに、もどかしく感じていたのであるが、実力不足で、これまでの線をなかなか越えられない。
今日の講演は、例年のエクステンションと同じように企画されたのであるが、エクステンションとして場所を別の場所に移すだけでなく、内容についても、従来取り組んで来た主題より拡張した問題を掲げることになった。私に与えられた主題は、講座の委員会で決定されたものである。私には荷が重過ぎるのであるが、この困難な時代に福音に仕える者として、逃げるわけに行かない課題だと思って引き受けた。
伝道の行き詰まりか、教会の実質の破綻か
さて、上に挙げたような「教会の在り方」の抜本的変革の欲求を持ち始めた人々以外は、状況を「伝道の行き詰まり」という意識で捉えているように思う。そして、この発想による限り、現状分析によって原因を社会の側に転嫁するか、あるいは「ノウ・ハウ」の追求に落ち着いてしまうかしかないのではないか。しかも、この人たちは、福音派以外の人たちの場合に特にそうであるが、「ノウ・ハウ」の追求だけでは、神学的にも・知的にも「低俗」と見られるのではないか、という恥じらいがあるため、自己規制が働き、なりふり構わず人寄せに狂奔したり、軽はずみな試みをしてはならないと考え、結局、新しい方策を打ち出すことに躊躇し、ここでも手詰まりになっている。
私自身の属している日本キリスト教会も、御他聞に漏れず「伝道の行き詰まり」に深刻に悩んでいる。過日、東京中会主催で伝道協議会を開いたところ、多くの人々が集まった。つまり、これは人々の憂慮の深さを表わす。しかし、「伝道の行き詰まり」として事柄を捉えている限り、教会の在り方そのものと、神学の内実との問い直しまでは踏み込めない。しかも、「ノウ・ハウ」を扱うのは、「神学的」な教会であると自任して来たプライドが許さないから、原則論を蒸し返すことしか出来なかった。そのために、何も新しい提言を打ち出すことも出来ず、不発のままで終わった。
ついでに言うが、福音派の少数派が教会の本質的な在り方を探求し始めて、何かが見えて来たか。こちらの方も、いまだに暗中模索であると私は見ている。それは、ハッキリ言って、神学的に思考する訓練が欠けているからであると思う。これまでの考えではいけなかったのではないかと着想するまでは誠実であったが、着想した後の誠実さが続かない。――しかし、長い目で見なければならない。これまで何も出来なかったのは、これからも何も出来ないという意味ではない。着想を掘り下げて行くために何が必要であるかを考え、欠けているものを獲得する努力を怠らないならば、道は必ず開ける。
とにかく、伝道の行き詰まりという現状の打開策は、人集めの伝道方策としてでなく、教会の在り方を考え直すところから再出発すべきである。それには先ず、教会とは何かを考えねばならない。それは伝道論より教会論ということになるのであるが、今日は「教会は成長するものだ」との固定観念から一旦自由にされなければ開けて来ないのではないかということを論じたい。
数的成長の思想の由来
教会の「成長」という言い方は新約聖書にもあるのだが、「教会成長論」という装いをもって宣伝されるようになったのは新しい。御存知の通り、マックガヴァーンという人が60年代に唱え始めた理論、あるいは方式である。アメリカでは、福音派の中で、今日なおかなり盛んに唱えられているらしいが、日本では冒頭に述べたように、すっかり下火になった。アメリカでも旨く行っているわけではないと思うが、理論の破綻を指摘した事例については私は知らない。日本では、この理論は効能を現わさないことが分かったから、人々は早々に手を引いたのである。――もっとも、日本で根を下ろせないものは外にも沢山ある。根が生えなくて残念に思われる思想や理論もあるので、根を下ろせなかった実績を攻撃材料として、それの価値が低い証拠であると決めつけるのは、貧しい論理ではないかと思う。そこで、もっと本格的な視点からこの理論を検証しなければならない。
すなわち、「聖書が言う教会とは何か」ということを先ず踏まえ、その教会にとって何が「成長」なのかを明らかにして、その教会が教会として成長して行くために我々はどのように仕えて行くべきか、という順序で考えを詰めなければならない。
聖書においては「成長」は先ず身体や植物の成長として語られ、比喩として、個々人の霊的成長、教会の成長に転化される。エペソ書2章21節、「このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、云々」。エペソ書4章15-16節、「愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。また、キリストを基として、全身は全ての節々の助けにより、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、それぞれの部分は分に応じて働き、体を成長させ、愛のうちに育てられて行くのである」。教会の成長に関してはこの二箇所を学べばほぼ十分である。どちらも、成長とはキリストにおいてのことがらであるとしている。
「教会成長論」はこの手続きを省略していた。こういうことを忘れてはならない、と主張した人はいたのではないかと思う。しかし、そういう人がいたとしても、教会成長論にとっては、そのような議論は単なる付け足しであって、議論の内容改善には全然響かないのである。そこで追求される成長は単なる数量の増加、伝道事業の成功でしかなかった。これでは自由営業の企業のマネージメントにほかならないのではないか。視点を換えて言えば、一人一人の人間、その人間の魂、その使命、その生涯の結末がどうなるかまでを視野に収め、同時にキリスト教会全体のこと、教会の歴史全体のこと、教会の将来を視野に入れた議論ではなかった。
今問題になっている「教会成長論」というものが、どういう歴史を背景において作られて来たかを瞥見することは無意味ではない。これはアメリカの福音派の中で考えられた。もっとも、唱道した人マックガヴァンは長老教会の宣教師であるが、今、教派のことは扱わないでおく。とにかく、福音派の外では問題にされていない。アメリカ以外の国、例えばヨーロッパ諸国では、イギリスを含めてであるが、福音派系の教会でも問題になっていないように思う。少なくともそういう文字を目にすることは少ない。そのようなアメリカ的特性を念頭に置かねばならない。
アメリカのキリスト教は、ジョナサン・エドワーヅなどにも見られるように、古い時代から「リヴァイヴァル」あるいは「アウェイクニング」を重視する。どちらも「覚醒」を意味する言葉である。今、これを特性として捉えるだけで、その是非を論じることはしない。
アメリカにはキリスト教世界からの移住民が移って来たが、移民たちの霊的生活は十分なものでなかったから、覚醒を促されることは必要であった。覚醒運動によって繰り返し揺さぶりを掛けられながら、アメリカのキリスト教は定着して行った。初期の日本伝道に携わった宣教師はみな、リヴァイヴァルによって海外伝道への献身を促された人たちであり、その体質は今日の日本の主流派教会の一部にも残っていて、リヴァイヴァル願望が時々顔を出す。
リヴァイヴァルによって活力を更新しながら、そして少しずつ変質しながら、アメリカのキリスト教は歩んで来たのであるが、次第に、リヴァイヴァルを重視する向きと、これに無関心、もしくは反発する向きと、二つに割れた。このようなハッキリした色分けはアメリカのキリスト教の特徴ではないかと思う。
リヴァイヴァルを重視する人たちは、次第にこれを一つの運動、むしろ率直に言って企業として遂行するようになり、自己目的化して行った。営利事業ではなかったが、事業には違いない。したがって教会から遊離したのだと思う。リヴァイヴァルは専門技術を持つ専属スタッフを中心とする一つの集団の事業として発展した。専門化することによって手段のパターンが決まってしまい、マンネリ化した。マンネリ化を避けようとする動機で、ペンテコステ運動の手法などが採り入れられたように思われるが、新しい手法というものは次々マンネリ化する。
マンネリ化では実りがないと気付いた人々の中から教会成長論が生まれたと思う。一発花火のようなその場限りで散って行く催し物でなく、一つ一つの共同体を成長させて行こうと考えたのは正しいと言わねばならない。ただし、その背後にある教会觀はどうであったか。その検討と掘り下げが甘い。「教会の成長」として考えられたのであるが、教会そのものについてはキチンと考えない人たちの間に、この提唱が受け入れられた。だから、教会の成長ではなく数字の成長になったのだと思う。
宗教改革における教会
アメリカと違って、ヨーロッパでは、キリスト教は早い時代に全域に行き渡ったために、数的成長の余地はなかった。もっとも、全地に行き渡ったとしても、それを後続の世代に継承させるだけの体制にまで整えなければ、信仰は途絶し、たとい形の上では継承されても、中味は変質を重ね、硬直化し、腐敗、衰退、消滅したであろう。ヨーロッパ・キリスト教がとにもかくにも持続したのは、それだけの構造の体制を作り上げたからである。その体制がどういうものであったかについて、今回は触れないが、教会成長を論じる人たちの間でも、この持続は行なわれてもいないし、考えられてもいないことは指摘しておく。
以上のようなわけで、ヨーロッパでは「成長」ということを、もし言いたければ、内的な成長を考えるほかなかったのではないか。したがって、キリスト教の内面化、思想の発展が行なわれた。思想の成長という点で、キリスト教は他の宗教と比較する時、際立っていることが誰の目にも明らかである。
教会の外のヨーロッパのキリスト教社会を見ると、それも成長と縁のない、停止し・停滞した、ある意味で安定した状態を長年に亘って維持して来た。この現状維持が崩れたのは、一つは宗教改革によって、教会の在るべき姿が打ち出され、古き教会から新しい教会への移行が起こり、プロテスタント教会が勢力を伸ばす。それに対抗してカトリック教会が失地回復に努める、という動きが起こった時である。
ただし、個別に実情を見て行くと、16世紀の宗教改革は、支配者の宗教をその領土の人民も受け入れる、「クユス・レギオ・エユス・レリギオ」という原則に立って実施されたから、カトリックからプロテスタントへの集団的移行、あるいはプロテスタントからカトリックへの集団復帰があるだけで、クリスチャンの総数は変わっていない。個々の教会と個々の人間において成長が見られたとは必ずしも言えない。
今いった「クユス・レギオ・エユス・レリギオ」の原則と離れて、カトリック地域に伸びて行ったフランス改革派教会、また公認されないままで各地で生き延びたメノナイトなどの分離派は、地域社会単位の集団改宗でなく、謂わば開拓伝道のようにして、一人一人改宗者を獲得して、基礎を確立して行ったのであるが、大迫害に遭ったため、「成長」という考えを持つ余地はなかった。
それでも、中世の静止した世界構造の中の静止した教会という把握の仕方を離れて、教会の成長・前進という理念は、理念としては語られるようになった。
第二に、カトリック教国による植民地経営と、それに結びついたカトリックの海外宣教がある。これと同じようにして、プロテスタントでは17世紀のオランダが東インド会社と一体化した海外伝道を始める。
海外宣教という、見ることの出来ない遠くの働きを支持している人々に、彼らの見ていない実情について宣教師が報告することはあらゆる意味において必然性を持つのであるが、その報告の中で、業績が数字化されることは避けられない。ここで教会の数的成長という考えが現実性をもって芽生えたのではないか。プロテスタントが海外宣教に熱意を持つようになったのは、18世紀になってからであるが、海外宣教の考えは、ほぼカトリックの後を追っていたと言って良い。
第三に、プロテスタント国に発達した世俗精神の代表である「資本主義」が、経済の成長という考えを作り上げ、それが人生観にもなり、教会觀にも入って来た。こうして、かつてはなかった数量的な意味の「教会の成長」という考えが教会用語の中に立ち上がって来たのである。
聖書における教会成長
先ほど少し触れたが、聖書では教会成長をどう教えているかを次に見たい。「聖書で」と今言ったのは、聖書が全体として何を指し示しているかであって、聖書の個々の言葉がどう言っているかという点にこだわっているのではない。聖書は全体として神の国を教える。神の民がどのような意味で選ばれ、どのように召され、神の民としてどのように維持されて、神の国の完成に到るかが説かれる。そして、神の国は主イエスが種まきの譬え、芥子種の譬えで教えておられるように、成長するのである。だから、成長しないのが正しい、とか、少数者へと収斂して行くのが正しい在り方だと言ってはならない。
ただし、聖書はまた一語一語、一文一文を押さえて読むべきものである。大掴みの捉え方では、読む人の主観が入り易いから、一字一句、書かれた文字に密着した読み直しが尊重されねばならない。そうすると、実際に読むのは部分的になる。聖書を個別的に読む時に、数的成長の励ましを読み取るときもある一方、成長の差し止めが命じられる場合もあるし、少数者になることが真実である場合もある。この両面を見て行かねばならない。読み取った一部分だけに固執してはならない。
それでは、全体として教えられる成長は何なのか。それは「神の国」、あるいは「神の支配」の発展として読み取られる。旧約における神の国から、新約における神の国、そして終末における神の国の完成へと一貫している。この一貫した線上で教会と伝道と救いが考察されなければならない。
数量は無視されているのか。そうではないと思う。「數が満ちる」と言われる。「海の砂のように、空の星のように、数え難い」とも言われる。ただし、ヨハネの黙示録が言うように、地上の大部分の人が滅びて、僅かの人しか救いに与れないという記述も重要であることを忘れてはならない。
しかも、成長の目標は、教会としても、教会に属する個々の肢としても、首なるキリストに合わせられることである。したがって、成長の度合いというものがあるとすれば、それはキリストの支配への服従の徹底、さらに具体的に言えば、自己否定の実践の度合いによって測られる。
個人の成長だけなく、教会論としては教会の成長を重視しなければならないであろう。それはキリストの体としての充実である。教会の機能の充実である。機能としては、一致を守ること、遣わされること、証しすること、仕えることがある。
先に触れたように、聖書は教会の成長を言う時、体の成長、種の成長を譬えとして引くが、決してそれ自体としての成長は言わない。キリストが首であられる体としての、またキリストの体におけるものとしての成長であり、目標は首なるキリストに達することであるような成長である。ただし、数的増加を排除しているわけではない。
成人した社会という考え
キリスト教の歴史では、教会の成長の問題はどう考えられていたか。教会が教会であることの神学的意識を持ったのは宗教改革であるから、教会の成長について考える基礎が据えられたのもその時期である。しかし、前述のように、宗教改革においては実際に教会成長を論じる機会はなかなかなかった。一方、本来の意味でない教会成長の考えが入り込んで来て、本来の意味の教会成長を考えるのを妨げて来た。
宗教改革の教会は、前述したように、政府の政治的決断によって教会改革をしたのであるから、教会の自立的判断でもなく、その地域内の全員が含まれる多数者の教会を造らざるを得なかった。初めから「多数者の教会」であるから、「成長」は数量の増加でなく、質的なものとして捉えられた。
20世紀に入って、キリスト教衰退の傾向が現われる。この現象を説明するために、「成人した社会」において、これは当然の結果ではないかと論じられるようになった。「成人した社会」という捉え方は、20世紀の中頃、一時はヨーロッパにおいて流行したが、私には納得出来ないものがあった。
大事なことも言われてはいる。成人した社会では人々は宗教や神なしで自立できると考えるようになったから、伝道しても聞いてくれない。だから、従来のように改宗者の獲得という宣教ではなく、こういう社会の中でキリスト者は少数者としての意味を発揮する証しを立てることによって存在意味を保つべきではないか、という考えが起こって来た。
「成人した」という表現が反語的な意味を持つと言うなら分かる。言い出した人の心の内には、この反語的意味があったように思うが、この言葉は、流行語として使われる段階ではその含みが忘れられた。すなわち、成人していることを客観化して見ることを忘れて、自己満足にすり替えられて行った。近代人は自らがもはや子供ではないと考え出した。しかし、その反面、幼稚化している。
幼稚化した現代人に対する問い直しがいろいろな面からなされるようになっている。その問い直しの中で、近代化の精神的支柱であったと見られるキリスト教に対する風当たりが、現今ではかなり厳しい。こういう状況の中で、「成人した社会」に調子を合わせたような教会の在り方を論じていては意味がない。むしろ、幼稚化した現代人に自らを問い直すべく迫ることこそキリスト教の使命ではないか。この点の努力が今日、非常に欠けているのではないか。
啓蒙時代以後、キリスト教が衰退の一途を辿ったのは、社会がキリスト教を受け付けないようになったからであると言われる。それは一面事実だと思う。しかし、社会が変わったからキリスト教が頭打ちになったというだけでなく、キリスト教そのものも変わって来て、生命力を失っているという面も見なければならない。
キリスト教が変わったというのは、近代主義を採り入れたために軟化し、弱体化したからであると説明する人がいる。それは或る面では当たっていると思う。しかし、近代主義を採り入れなければ、健全さを保つことが出来るのか。そうではないと思う。私は時代の変遷に柔軟に対応しなければならないと言うのではない。柔軟な対応は近代では貴いとされたのであるが、あれにもこれにも柔軟に対応することによって、自己同一性の喪失になっている場合が多い。硬直した反動の方にまだ将来性があると言えるかも知れない。
私はどちらかと言えば、近代的な考え方を拒否する側に立っているのであるが、近代的な考えに柔軟に対応しない方が、すなわちそれを拒絶する保守的な、硬直化した姿勢を取る方が、キリスト教の勢力を維持し、また発展させることが出来る、という考えには与しない。我々が古い考えを貫くのは、それが正しいからであって、それが実利的だからではない。真理にかなった道は狭く、その道を行く人は少ない。
現代は特にそういう時代である。
神が顔を隠したもう時
聖書は前述のように、全体としては、「神の国の成長」を語るのであるが、時には収縮して行くべきことを論じる。それがどういう場合であるかを聖書によって考察し、それが今日の状況に当て嵌まるのではないかと私は昨今考えている。
預言者イザヤは8章16節以下で、「私は証しを一つに纏め、教えを我が弟子たちのうちに封じて置こう。主は今、ヤコブの家に御顔を隠しておられるとはいえ、私は主を待ち、主を望みまつる。見よ、私と、主の私に賜わった子たちとは、シオンの山にいます万軍の主から与えられたイスラエルのしるしであり、前触れである」と言う。
その前のところで彼は言う、「主は、この民の道に歩まないように諭して言われた。『この民が全て陰謀と唱えるものを陰謀と唱えてはならない。彼らの恐れるものを恐れてはならない』」。つまり、民の立場にことごとく反対する立場に預言者はいる。人々は彼が神から委託されて語る言葉を聞かない。そこで、イザヤは教えを広めることを止めて、僅かな弟子のサークルの中に教えを閉じ込めて置こうとする。
このように、謂わば、伝道戦線を縮小している。その一方、イザヤは「主は今ヤコブの家に御顔を隠しておられるとはいえ、私はその主を待ち、主を望みまつる」と言う。神が顔を隠したもうことと、宣教の戦線の縮小とは結びついている。
教会の中には「少数者こそが本物だ」という主張がつねにあったと思う。こういう見解は多数意見となることはないが、世間でもつねにある。そこに感ぜられる純粋さは或る種の羨望の感じをもって見られているのではないかと思う。この主張に理想主義やエリート主義が結びつきやすい。
繰り返し述べたように、聖書は全体としては神の国の成長発展を語っているのであるから、神の民が少数で良いと主張することは間違いである。けれども、真実であるが故に少数でなければならない場合は確かにある。少数でなければならない事態を見落としてはならない。
例えば、戦時中の日本の教会は少数者の意識になりきれなかった。実際は少数者であるのに、意識の上では多数派のつもりであった。少数者であって良い、と割り切れたなら、抵抗も殉教も出来たのではないか。「主の羊の群れを散らしてはならない。その數を減らしてはならない」と牧師たちが考えたことは、単に自己保身のための口実ではないと私は思いたい。保身の動機が全くなかったと言いきるつもりはないが、殉教することが出来る程度の純粋さを持っていながら、教会の数的減少を来たらせてはならないとの固定観念の故に、判断力を失って、妥協せざるを得なかった事例があるのではないか。
勿論、今述べたことは庇いすぎかも知れない。何故なら、妥協した人たちは戦後、過ちを率直に認めて、悔い改めることをしなかったからである。しかし、ここでもまた弁護の余地があるのかも知れない。すなわち、伝道の好機到来の際に、人を躓かせるかも知れない痛烈な懺悔をしていては、教会成長の務めを果たし得ないのではないかと考え、心ならずも悔い改めを思い止まったのである、と言えるかも知れない。
しかし、ここまで言うと、この弁護はやはりオカシイではないかと感じる人の方が多いであろう。その感覚の方が健全だと私も思う。けれども、妥協した個々人の責任は免れないとしても、その人の考えを或る程度縛っていた「教会成長の理念」、「教会は成長しなければならないものだ」という固定観念にも責任はあるのではないかと私は考えたいのである。
聖書を読んで行けば、神の国の成長発展という単一理論では行き詰まる場面がかなりある。特に預言書の中に多い。それならば、今日の牧師にも預言者と共通する事態があるのではないかと考えなければならない。
今日の事態
<神が御顔を隠したもう時は旧約時代にだけであって、新約の時代にはもうないのであろうか。従来、神が御顔を隠したもうような機会はないものと見做した上で、教会論、伝道論、教職論が構成されていた。通常の事態のほかに緊急の事態があるというケースの設定は行なわれたが、神が御顔を隠したもうケースというものを理論化することはなかった。確かに、この理論化は危険であり、不可能である。しかし、現実としてはある。
神が御顔を隠したもう事態があるとの主張は、「教会成長」の理念が引き起こす困惑と別であるが、やはり、弊害があるかも知れない。ここでも、無責任な逃避の口実として濫用される場合があるのではないか。
今が御顔を隠したもう時であるとの判定はどこで下すのか。それは教会の公的な機関が下すべき判定ではない。事後に判定することは出来るかも知れないが、事態の渦中にある時には、教会の公的機関が決定すべきものではなく、御言葉の宣教の委託を受けている者が聖書に問い、御霊の照明を受けて慎重に判定すべきことである。これについては理論的に論証することは殆ど不可能ではないかと思う。この判定は神の領域に或る程度踏み込むことであるから、判定が間違ったなら、神から厳罰を受けなければならない。
では、「今日がその事態であるとお前は思うのか」と問われるならば、私は殆ど躊躇うことなく、今はその事態であると答えることが出来る。それは、今、伝道をしなくても良いという意味ではない。「時が良くても悪くても」全力を尽くして御言葉を宣べ伝えなければならない。ただし、その努力に比例して成果が挙がるということはない。努力すればするほど教会が少数になって行くということがあっても驚いてはならない事態なのだ。
預言者イザヤはこの事態の中で、「我々は主を望みまつる」と言った。彼はまた、「自分と自分の子たち、この少数者はイスラエルのしるしである」と言う。 この同じことが今日の教会で言えるし、言わねばならない。
結び:成長そのものは、少数者の中でも行なわれる
結びに入りたい。成長を放棄したように聞こえたかも知れないが、教会成長という説とそういう思い込みを破棄しただけであって、聖書の言う成長は捨てていない。むしろ、小さくなることによって、証し人としての教会は成長するのである
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