2005.05.5.


東京告白教会春季修養会主題講演


金銀は我になし、我にある物を………
――考える教会のディアコニア――

渡辺信夫


  初めに

 

 「金銀は我になし」。――この言葉を教会で聞く機会は多かった。すなわち、ほとんどいつも、「金銀を与える代わりに、我々はイエス・キリストによって立ち上がる力を人に与えることが出来るのだ」という話しになって行った。つまり、伝道精神を昂揚する激励演説になって行く。それがこの聖句の間違った使い方だと言うつもりはないが、今日は、そういう話しではない。
 また「考える教会」という言い方に抵抗を感じる人がいるかも知れない。そう感じることがいけないとは思わない。自分たちは「考える教会なのだ」という、慢心がありはしないかと疑うのは、必ずしも悪意ある邪推ではないと私は思う。我々は自分が賢い人間だと思い上がることがないよう、己れを戒めなければならない。
 しかし、我々が「考える教会のディアコニア」という主題を掲げたのは、思い上がりではない。むしろ、今日の世界的危機の中に置かれた教会の危機を見詰める時、考えねばならなくなっているからである。考えなければ何をするにも行き詰まってしまうのが今の時代である。
 我々の教会は、ずっと長い間「ディアコニアの教会」であることを求めて来たが、ディアコニアの具体的な働きはなかなか起動しなかった。知恵が熟していなかったからである。ようやく近年それが始まった。始まって見ると、予想はしていたが、予想通り、あるいは予想以上に教会は生き生きと元気付いた、と少なくとも私は感じている。すなわち、説教に力が籠ってきた。
 こういうふうになって来た事情の説明に時間を掛けることは、今日は出来ないが、簡単に纏めて言うなら、教会が本来の姿勢を取り戻しつつあるから、本来の力も快復されつつあるのだと言って良いであろう。
 ところが、ディアコニアが順調に動き出したかというと、我々の今関わっている活動に関しては行き詰まっていないが、世界全体が崩壊を始めているのだから、困難は増すに違いない。これは考えて置こう。
 もう一つ触れて置きたいのは、主題と別件であるが、私自身に関することである。私が燃え尽きる蝋燭のようにフッと消えてしまう、あるいは、生きてはいるが、語るべきことが残っているのに、語り忘れてしまう、そういう日が近いかも知れない。その意識から焦って語る場合があれば、寛大に聞いて置いて貰いたいという願いである。

 

  ディアコニアの教会

 

 教会がディアコニアの教会になるべきだ、という主題を掲げ、これを訴え、初歩的な学びをする修養会を開くのも、十分意味のある企てである。しかし、我々の教会の中では、そういう基礎的なことは半世紀近く取り組んで来たし、また模索し、今も勉強し続けている。だから、ディアコニアについて今初めて聞く人に向けて語るような話しはしなくて良いと思う。しかも、今、世界の教会は衰退期に入っていて、いろいろな意味でディアコニアについて本気で学ばなければならなくなっている。――衰退と言ったが、日本の教会は特にそうだ。だから、学びを深めて貰いたいのだが、そこでまた問題にぶつかる。
 ディアコニアについて説明を聞けば、分かることは分かる。が、ディアコニアを起動させるだけの力がない、と感じている教会が多いというのが実状のようである。「教会を維持する、あるいは教勢の衰頽を食い止めるだけで、精一杯。とてもディアコニアまでは手が伸びない」と思っているようである。
 実はその考え方そのものが間違っているのであって、その考えを切り替えなければならない。切り替えれば道は開ける。このことは、我々の教会の中ではほぼ十分分かっていて、ここで繰り返す必要はないのであるが、おさらいという意味でなら、しばらく初歩的なことを考えて良いかも知れない。
 「とてもディアコニアを実行出来ない」と考えている人たちの基本的な考えは、「先ず教会が確立しなければ、あるいは教会として確立していなければ、教会的ディアコニアは出来ず、非教会的ディアコニアによって教会は崩れて行く」というところにある。あるいは、もっと本格的に論じたい人は、「御言葉が正しく語られることによってこそ、教会は正しく建てられる。だから、説教がシッカリしなければならない」と言う。つまり、説教が確立し、教会が確立し、そうなればディアコニアが出来る、という順序が頭にある。だから、教会が確立するまでは、強盗に会って半死半生で道の傍らに転がっている人がいても、見ないことにしておく、ということになる。
 その順序が原理的に間違っているのだが、実際問題としても、そのショッパナから躓いているようである。神の言葉の説教という決まり文句は旗印として掲げられるが、それが空虚なお題目になっており、身に付いたものになっていない。原則論をお題目のように唱えるだけでは何にもならないのだと思い立った人が、「説教が大事だから、その説教の相互研鑽をしようではないか」と言い出すと、同労者から相手にしてもらえない、という事実が多いのである。だから、とてもディアコニアまでは到達出来ない、という感じになる。
 こういう間違いが起きるのは、実践が先立たないからである、と論じる実践家がいる。だが、私はそれは正しくない議論だと思う。先ずディアコニアを実践すれば、それを準備訓練として、やがて御言葉をよく聞くことが出来るようになるか、というと、そうならない場合が多い。すなわち、旨く行った場合、実践に自己満足して、御言葉を聞かなくても求めないままでおられるようになり兼ねないのである。そして、旨く行かなければ、実践から遠ざかるほかないであろう。
 それでも、主の自由な選び、主のなしたもう先行的な自由なお働きというものがあって、人間の錯誤にも拘わらず、主の計画が達成されることはある。だから、我々が裁判官になってはならない。――それでも、教会には教会の作法があるから、ヴォランティアの呼び掛けのようなことを語っていては、人は集まったとしても、教会は建たないし、ディアコニアも成り立たない。
 難しく考えることは要らない。ペテロが使徒行伝6章で、貧しい寡婦の食卓に仕えるディアコニアに携わる人を、教会の中に立てるように提唱したのは、使徒自身が食卓に仕えることに精力を取られ過ぎて、御言葉に仕えるディアコニアが疎かになってはいけなかったからである。すなわち、「御言葉に仕えるディアコニア」と「貧しい寡婦の食卓に仕えるディアコニア」はどちらも主の教会のディアコニアであって、矛盾はない。両立する。そして、順序として、教会は前者を第一の務め(ディアコニア)、ディアコニアの中心として持っている。このことがハッキリしているなら、混乱は起こらない。しかし、説教をすること、またそれを聞くことが御言葉へのディアコニアであることが、教会でよく教えられていないらしい。その点を是正すれば良い。ここで本論に戻ることが出来る。

 

  崩壊する世界の中で

 

 世界が崩壊して行く――。人間が崩壊して行く――。これは毎日のように目の前に突きつけられる事実である。このことについて、今日は何もコメントをつけない。また、これが世界に対する神の裁きであるとか、警告であるとかいう解釈について、考える必要は大いにあると思う。しかし、今日は触れない。触れていけないということではない。今日の主題がそれとは違うという単純な理由によってである。
 けれども、世界が崩壊しないがごとくに、昨日と同じように今日が繰り返され、今日と同じように明日が繰り返されるのであると考え、その前提に立って、己れの務めを一途に行えば良い、と言おうとするのでもない。世界は崩壊を始めたのである。心得て置かねばならないのは、崩壊して行く世界こそ、我々がディアコニアを行なう場所であり、崩壊して行く世界の中で窮迫している人こそ、我々が仕えて行く隣人なのだということである。世界の崩壊が神の裁きであるかどうかと別問題として、崩壊で傷ついた人を助けなければならない。こういうことは最小限考えて置かねばならない。
 これまでの時代の人々は、崩壊の時が来ることは認めていたが、現に崩壊を始めたという事実は知らなかった。ただ、鋭い洞察力を持つ人だけがそれを予感した。あるいは高度な思想性を持つ人が終末論を思想として把握した。そして、十分には分からぬながら、その人たちの言うことは本当だと感じて随いて行く少数者はいた。
 ところが、現代では、崩壊は予感としてでなく、データとして目の前に示されている。危機感は大衆のものになった。だから、気がつかない人の方がまだ多いとはいえ、気がついている人の比率が高まって行く。キチンと比率を調べたわけではないのだが、私自身の人生の後半では周囲を見ると、崩壊を感じる人はずんずん増えている。
 昨年、アクラで開かれた世界改革派教会連盟の総会に提出されたヴァンダナ・シヴァというインドの物理学者のリポートは、「人類は今、崩壊に向かって落下しているように思われる」という言葉で始まる。少し前なら、こういう言葉は穏当を欠くと非難されたのであるが、今では、これはおかしい、と言う人の方がおかしいとされるようになったのである。
 2001年の9月11日、この日に起こったことについて私は何も注釈しないが、この頃から世界の崩壊が始まっていることを感じ取る人が増え始めた、ということは指摘できる。こういう事件を繰り返さないために、とアメリカでは航空機の乗客のチェックが格段に厳しくなったが、テロそのものは全体として全然減らない。航空機を使ったテロがないだけで、世界は空前のテロ時代に入った。それも、敵味方に分かれている中の敵を狙うのでなく、無差別に狙う。味方中の味方である自分を殺すのであるから、自分以外の人の区別が考えられなくなるのかも知れない。テロのニュースを聞かない日はない。当然、こういうニュースを聞いても驚かない人が増えて行く。そして、このような悲劇にも人々が動じなくなることは、危険なことだと憂える人もまた少なくない。
 その危機感は一時的な波ではないのか、と言う人がいるかも知れない。確かに、我々の人生には、行きつ戻りつする局面が少なからずある。悪くなって行くと悲観したが、結局は良くなった、ということはある。人々が戦争の悲惨と愚かを見て、人類の将来に絶望した時期は何度もあった。だから、現今の悲観的状況もこのままではないと言える面はあるであろう。しかし、傷ついては癒される循環がこれまで通り続くとは言えないということに、人間の知恵は気付いた。つまり、回復はあるが、だんだん衰弱して行く病人のようだ。――その問題が明らかに見られるのは、資源の食いつくしである。木は切ったあと、次のことを考えて手当して置けば、何十年かの後にはまた切る木が育っている。しかし、石油や石炭は掘り尽くすと、それは再生しない。

 

  崩壊のバロメーター

 

 資源の枯渇に注意を促す警告は、20世紀の中頃に上がった。その忠告を聞く人は確実に増えており、思想としてはかなり大きい流れになっているが、天然資源を貪り取らせない施策の実行はなされないどころか、資源は急激に減るようになった。自然が世界崩壊のバロメーターであった。今我々の目は、資源という物に向けて注がれるよりも、それを枯渇させる人間の愚かと貪欲、あるいは悪いと分かっていながら止められない弱さ、むしろ邪悪に向かうべきであったと思うが、そういう精神革命は起こらないままであった。人間の崩壊が世界崩壊のバロメーターである。これは宗教の無力化と言わなければならない。
 宗教というものは人間にとって不要な物となったという意見が我々の時代の前から盛んであった。我々はそういう時代を生き抜いて、いろいろな事を見て来た。宗教不要論は、第二次大戦の後には一段と盛んになったと思う。しかし、宗教の消滅は起こらなかった。むしろ、宗教と名のつく現象が盛んになって行く。この現象が永続するとは思わないが、当分は衰えないだろう。これが本当に宗教であるかと問われるならば、そうではないと言うべきである。昔から宗教の名で偽りの宗教が入り込む実例はあったから、驚くことはないかも知れないが、似て非なるものが蔓延り過ぎた。とにかく、今盛んな宗教は今日の人類が直面している危機から目を逸らさせる役割を演じている。そして、まともな宗教は無力であり、無気力である。崩壊に立ち向かう勇気を与えない。
 キリスト教は、文明が最も進んだ社会においても生き残ることの出来る宗教であると、多くのクリスチャンは考えていた。しかし、人間自身の愚かさによる世界の破壊、また人間の破壊を止められないという責任が最も大きいのはキリスト教である。イラク戦争が始まろうとする時、まともなキリスト教団体はみな戦争反対の宣言をした。イラク戦争の動員力として利用されているキリスト教があるではないかと言われるが、それはまともなキリスト教ではない。戦争反対をこれだけ言った宗教はほかにはない。しかし、大事なのはここから先であるが、キリスト教の言論は戦争を止めることが出来なかったのである。
 この大問題に教会は立ち向かわねばならないのであるが、我々は今日、そういう大きい問題に立ち向かうための修養会をしているのでない。このような破壊の進んでいる世界の中で、我々の担わなければならない奉仕の務めは、昔のままの考えと方法ではいけないということが見えて来ている。そのことについて考えるのである。根本的な意味では聖書の教えは正しいし、服従しなければならない点ではこの後も変わらない。だが、問題が広がって、昔の人が考えたままの考えでは追いつかなくなっている。だから、新しく考えねばならない。 
 人間の作った物は、平時においても、出来たその日から腐り始める。だから、気を付けていないと腐敗してしまう。こういうことは、昔から人類の知恵であった。今でもその知恵が通用する部分は大きく、この知恵を忘れない人はいる。そういう人はどんどん減っているが、まだかなり生き残っている。だから、この知恵を大事にしなければならない。しかし、昔の知恵を大事にするだけでは間に合わなくなっている。そこで、いつも考えていなければならない。「考える教会」という言葉はキザで、嫌らしい響きを帯びていたが、今では考えないではおられない。
 平易な譬えを用いるなら、嵐の中で、船のあちこちに漏水が起こっている。それにはいちいち手当していなければならない。そのようなことを、手抜きなしにやって行くこと、これはこれまでの時代でも当然の知恵であった。今もそうだが、今では破れが至る所に現われるし、これまでの常識では見つけられなかった新しい種類の破綻が次々起こっている。それに対応すること、それが教会の考えることなのである。そうしないと、ディアコニアは成り立たなくなっている。
 ここで「考える」ということについて少し考えて置かねばならない。この言葉の意味が変わって来ているように思われるからである。少し前までは「考える」人と「考えない」人とは、まるで身分、学歴、住んでいる場所の違いであるかのように見られていた。以前から人間の価値は生まれや育ちと関わりないと言われていたが、考える人と考えない人とは、頭を使って仕事をする人か体を使って仕事をする人かで分けられた。今ではそうではないと言われるようになっている。どうなったかと言うと、ダブルスタンダードを使えない人と平気で使える人の区別である。
 例えば、ある国が植民地を支配し、本国と植民地では別々の法規を適用する。大部分の人は、おかしいとも思わない。少数の人はオカシイではないかと感じるが、これに抗うことはしない。これは間違っているとハッキリ指摘し、論証することが出来る人、これが考える人である。かつて私自身は考える人であるつもりだったが、考える人になっていなかった。それがいけなかったと気付き始めて60年になり、昔よりは大分よく考える人になったと思うが、まだまだである。旧い植民地体制はなくなったが、もっと悪性のダブルスタンダードが政府によって作られ、押し付けられている。「おかしい」と思う人はまだ少ない。我々は早く考える人にならなければならない。そうでないと、ディアコニアを実行出来ない。

 

  金銀からの自由
 
 「金銀は我になし」とペテロが言ったのは、「金銀があれば、あなたに上げることが出来る」という含みもあったはずである。金の出し惜しみの口実として、この言葉を持ち出してはならない。実際、使徒的教会は貧しい寡婦の日々の食事の世話をしていたのである。その実態はよく分からないが、7人の執事がフルタイムの働きをするほどのことをしていたのである。
 金を出し惜しんではならないが、金を出せば隣り人としての任務が果たせると言えるのか。そういう考えの危険さにも注意しなければならないと思う。金持ち、権力者、行政側には、金を出せば良い事が出来る、問題は解決するという考えが特に強い。そして教会にもこれに同化してしまう考えがある。例えば、昨年のアチェ沖の津波と地震の場合、教会も義捐金を集めて送った。これは悪いことではないが、金を出すだけで済ませようという安易な考えがあるのではないかとの感じは否定し切れない。
 クリンケンの「ディアコニア」を読んで、また考えさせられたことであるが、金のある人からない人へと、金の流れる道を開けば良いのか。これも必要な一面であるが、一方的な流れが出来れば良いというものではない。富の偏りが極力ないようにし、それでも偏りが起こった時には金のある所からない所に流れる道をつける。これは政治がすることである。それは愛のあるなしとは無関係に、権力によって公平を実現する。
 教会は権力を持つべきではないから、ある所からない所へ物や金銭を移動させる時には、強制的には出来ない。自発性を引き出す。しかし、それは満足感や自尊心におもねることをするのではない。
 神が「己れのごとく汝の隣人を愛すべし」と命じておられることを教会は教え続ける。これは絶対命令であるから無条件で服しなければならない。すなわち、隣人を愛することの見返りを期待してはならない。来たるべき世において大いなる報いがあるとか、宝を天に積むことになるのだという説明がなされたことがあるが、これを物質的に理解していたのでは一種の欲望の刺激である。
 来たるべき世においてエンジョイするのは霊的祝福である。それは約束のなかに留まっているのであって、この世では味わえない。この世で報いを得てしまうならば、先には何もない。ただし、主は来たるべき世における報いの謂わば味見、謂わば約束手形、謂わば模型、謂わば先取りとしての喜ばしい物、ある意味の満足を与えたもう。それは使徒行伝20章25節にしか記されていない主の言葉、「受けるよりは与える方が幸いである」の示す事柄である。幸いが期待される、あるいは約束される、というのでなく、与えられたのである。
 このことで一点注意して置かねばならないのは、与えても与えても幸いにならないで、むしろ不幸に落ちて行くようにしか見えないことが事実あるということである。義人の苦難という事実がある。しかし、主の言葉がこれで廃れるわけではない。むしろ主の十字架がこれによってハッキリして来る。したがって、「己が十字架を負いて我にしたがえ」との御言葉の深みがこうして見えて来る。
 とにかく、与える者が、与えることによって受けることは正常のこととして許されている。そういう与え方をしなければならない。ところで、与えるモノとして、金は確かに最も便利であるし、これを無視することは自分のカリスマの過信であったり、神を試みることになるのでしてはならないが、金はしばしばディアコニアの最も空虚な手段になる。
 では、どうすれば良いか。金を送ることが必要な場合はあるのだから、そこで送り手の受ける益が何であるかを把握しなければならない。例えば、我々が野宿せざるを得なくされた人たちのためになにがしかの金を醵出する。その時、我々は祈りもしないで金銭を放り投げるように投げ与えることはしないであろう。祈りがあるとは、相手の人、その人を取り巻く状況に、神の前で関心を持つということである。すなわち、その人と、それを取り巻く世界を知り共有するという益を受ける。それは私が聴講料を払って学者の講義を聞くよりも、もっと深い知恵となり得るものである。
 そうなるためには、与える者と受ける者との関係を密接にする努力が必要である。もし、与える人と受ける人とが直接の受け渡しをするのでなく、取り次ぐ人が中に立つならば、その人は金銭や物資を届けるだけでなく、その逆の流れも成り立つように努力しなければならない。ところが、インド洋津波の時のように、金を送るだけでは、多少の説明が加わっていたとしても、相手の顔が見えない。
 こういうことを偉そうに言うのは恥ずかしいのであるが、我々自身、若干金を送っただけで、それ以上のことはしていない。これを恥ずかしいと思っているのは、それ以上のことが出来ると知っていながら、しなかったからである。

 

  援助でなく、理解を

 

 97年だったか、ビアクの地震と津波の際、我々はもっと多く働いたし、教会としてなし得るこういう奉仕があるのだという発見をした。それまで、インドネシアと関係はあったが、ディアコニアらしいことは殆どしていなかった。その時の経過を振り返って見たい。
 81年に西パプアで最初に友人となった人の一人、カレル・フィル・エラリという、今は世界改革教会連盟の委員をしている牧師から、「我々は援助を求めるのではない、理解を得たいのだ」と教えられた。まことに至言だと思ったので、理解することには努めた。
 日本が金持ちの国だということを向こうの人たちは知っている。どこでも、ということではないが、会堂建築を始めている教会に行き会った時は、必ずと言って良いほど、日本の資金協力の依頼があった。そういう時、自分に出来る範囲で若干の寄与はした方が良いのではないか、と心は動くのである。しかし、長い付き合いを望むなら、心を鬼にして、金銭を与えないようにしなければならない、とインド・ワークキャンプの時に教えられていた。私は理解者たらんと志しているのだから、特別なことが起こったのでない限り、援助はしない、と決めていた。要請があると、そういうことをその都度、丁寧に説明するのである。この説明はなかなか辛いことである。あっさり約束したり、その場で若干の金額を渡す方がずっと気が楽である。幸い、向こうの人は私の説明で納得してくれた。
 理解というものは総合的また持続的でなければならないとともに、人格的でなければならない。私は知り合った人の名を覚えるために相当の努力をした。ニコニコと楽しい交わりの時を持つだけでは殆ど意味がない。カタコトの話し合いであっても「何々サン」と呼べる関係でなければならない。また、その関係は信頼関係でなければならない。信頼してもらうためには、向こうとしては先に持ち出せない問題を、こちらが先に掴んでいて質問するのが良い。一つは日本の侵略戦争の時の辛い思い出である。そういうことは世代が代わってもチャンと受け継がれている。日本の戦争責任を語る日本人は信頼されるのである。第二点は彼らが今インドネシア国の中で受けている差別に関してである。したがって、そのことで独立運動に走り、辛酸を舐めている人たちについての情報を持っていると身内のように扱ってくれる。
 その関係の要点を挙げて見ると、1)初めからキリスト者としての交流であったから、不信を除去するまでの時間の空費なしに、相互に理解を深めることが出来た。これはキリスト者でない、しかし国際的な人間関係を求めている人から羨まれている。このことの意味をキリスト者自身もっと捉えなければならない。2)関係の持続のための通信と訪問の反復をした。これには努力が要る。3)日本の侵略責任を弁えた上で、現地の住民の現在の苦境について理解しなければならない。侵略した側の若い世代には自国の戦争責任についての学習が必要である。その上に、現地の人権の事情について情報を積極的に集めなければならない。こういう情報は、その性質上、政府によって隠匿されるから、積極的姿勢がなければ見えて来ない。

 

  一つの実際経験

 

 こういう関係が出来ていたところにビアクに災害が起こった。これは特別な事態であるから援助しなければならないと心を決めた。私はスグには行けない。だが、ヴォランティア団体の代表として直ぐに行こうとしているが、現地との接触の手づるを持たないために苦慮している有光という人が助言を求めて来た。そこで、空港からビアク中会の事務所への道順を教え、また以前ビアク郡の行政の長であったホヴェイさんの名を上げて、渡辺の紹介だと言うようにと助言した。
 ホヴェイさんとは2度目に西パプアに行った時に知り合った。マノクワリの大会から帰る時、サティアさんが連絡して、ビアクではホヴェイさんが世話してくれた。その親切に答えるために、それ以後ビアクに立ち寄るごとに彼と会っていた。
 私の紹介だけで直ちに道が開け、ビアク中会の全面協力によって援助活動が開始された。援助物資の運搬の早かったこと、量の多かったことではグアムの米軍基地の送ってくれた物が抜群であったが、それは空港に長いこと野積みされ、その間に軍人たちによってどんどん荷抜きされて行った。教会を通じての援助物資は目減りなしに被災者に届いた。教会には金がないが情報があった。それを提供することによって、援助が有効に出来た。「金銀は我になし。されど我にある物を汝に与えん」。聖書にあるのと意味は少し違うが、それでも、聖書の意味に反することなしに、奇跡としてではなかったが、少しの努力だけで道が開けたのである。
 また、当時、大学院学生で比較的時間が自由であった小塩さんに、ビアクまで飛んで行って貰い、災害援助のノーハウを獲得してもらった。ここでも、今引いた聖句が奇跡としてではないが、専門の熱帯農業の知識と手足を使って奉仕が出来た。また、金を多く使うから良い奉仕になるわけでは決してないという確信が固められる体験があった。私も遅ればせながら現地に2回行き、家も家財道具も、そして家族の何人かをも奪われた人たちがテント張りの礼拝の場で大きい声で神を讃美している中に加わって、大きい励ましを得た。
 我々の教会は遅れて諸教会への訴えを始め、募金をし、かなりの金銭を集めたが、教会外のNPOが醵出する額とは比べ物にならないほど貧しかった。募金目標額は一千万であったが、集めたのはその三分の一にも届かなかった。我々はその金は委託されたものと受け取り、その全額を被害者に届けた。
 額は少ないけれども、貧しい教会が貧しいままで、援助を必要としている兄弟たちのために意味のある働きをしたのだと自分では思っている。その働きの基礎として常時つとめるべきことは「交わり」の構築であった。金銭の醵出は必要が起こった場合の臨時の努力であって良い。
 その時と比べると、04年のアチェ沖の地震に際しては何もしなかったも同然である。金を送るだけであった。金は日基の渉外委員会で集めて、ジュネーヴに送る。もう顔は見えなくなっている。その金がやがてジャカルタに送られて来る。顔はますます見えない。金はそれからスマトラに送られる。イスラム圏の被害者に届くまでには、あと何段階も経なければならない。教会の中で金の受け渡しが行なわれている限りは、銀行の手数料だけしか減らない。しかし、それから先は何やら理由がついて、金額は見る見る減って行ったはずである。インドネシア人を非難するのではないが、あの国はそういう国なのである。今回の災害に際して日本政府がインドネシア政府に送った援助米が、それと分かる印をつけたまま市場で売られているとニュースは伝える。あの国には善意の人はいないのか。たくさんいるのだ。だから、善意の人の手から手へと援助金が渡るようにしなければならなかった。日本政府は向こうの政府に金を渡し、どんどん減った金が苦境にある人たちに渡る。今そのシステムを問題にすることは棚上げするが、教会がそれと同じ事をしていて良いのか、と問うことはして置こう。
 日本はインドネシアと近いのである。ジュネーヴよりも近いのである。日本の教会から誰かが、見舞いを兼ねて現地を訪れ、被災者に一番近いところまで金を届けることは、もう少し知恵が働いたなら出来たのである。それをしなかったことについて、私自身は責任を感じている。
 人間の顔が見える所まで追って行くことを考えるなら、教会関係ではないけれども、「インドネシアの民主化を支援する会」という団体から現地入りした佐伯さんに金を託すことも出来た。教会として援助活動をすることの意義を大事にしなければならないことは分かっているが、一旦ジュネーヴに送って、人間の姿が稀薄になって、それがまたアジアに送られるということで、アジアにいるキリスト者としておかしいと感じないのはどういうことか。

 

  今日の具体的な問題

 

 ビアクの時のような奉仕の道の発見が、今回のインド洋津波に際して出来なかった主な理由は、アチェがキリスト教と関わりを持つことの極度に困難なイスラム地域であったという点にある。だが、私としての反省を言えば、自分の老齢化による能力低下、それを理由とした怠慢があったことと、また国外に関して一生懸命に多方面のことを考えていなかったここ数年の空白がある。
 以前は2年位の間隔でインドネシアを訪問していた。この頻度が私にとって経済的限度であったし、これ位の頻度で訪れることは必要だと思っていた。訪問の費用は自分で捻出すべきだと考えているので、本を書いて、印税を得て、交通費に充てた。
 その訪問の持続が難しくなったのは、不在中の説教を担当してくれる人を得難くなったからである。すなわち、渡辺鈴女教師が金目伝道所の牧師としての責任を負うようになった。その任務を解かれた後も、応援に行かねばならない日の方が多いという状況では、説教を代わってもらうことが殆ど出来なくなった。出国しても日曜日には帰っていなければならない。
 それでも、熱意があれば道は開けたはずであるが、体力が低下しているから、熱帯地方の長期に亘る旅行は難しくなった。それで、不本意ながら西パプアの教会との関係を維持することが出来なくなる。4年前に行った時、これでお別れだと言って来たが、やむを得ぬ撤退だと思った。
 私としてはまだこちらで仕事を続けているから空白感はないのだが、西パプアの人から見れば、テテ・ワタナベという日本人が来て日本の戦争罪責について語っていたことは、歴史としては継続せず、それは消されて、昔話しの一つになってしまった。自分が消されたことは、なかなか深刻なことである。自分を主張するために名を残そうというのではないが、歴史の継続についての責任を考えるべきである。私自身は何も出来なくなったし、私は忘れられて良いが、理解とか知識というものは、教会の中で何らかの形で引き継がれるべきではないか。今からでも途切れた所を修復すれば、結び付きは生かされる。
 ない力を振り絞ってでも何かしろ! 倒れるまでやれ! という結論にしたいのではない。主は能力の低い者にも、その人なりになし得る道を備えて下さる。力は惜しみなく出さなければならないのだが、大事なのは力でない。頑張りでもない。知恵を絞ることである。その知恵は上から来る恵みである。
 ただし、その恵みは受け取る姿勢でいなければ受けられない。災害と災害援助についての評論のような話しなら、姿勢が出来ていなくても口だけで言える。しかし、そのような評論は、奉仕者集団ではあって、評論家集団ではない教会においては、何の意味も持たない。評論しか出来ないことは教会として恥である。その恥かしさを私は今回感じた。そして、この際、我々の姿勢を建て直さなければならないと思った。
 砧公園のパトロールが始まったことと、私自身の老化が進んだことなどが重なって、私自身に関しては、国際的ディアコニアのためには、労することも、考えることも、かなり手抜き、あるいは撤退するようになった。それで宜しとはしないが、已むを得ないと考えていた。
 私個人としては後が続かないことについて憂慮し、それを訴えることはした。だが、問題の打開に取り組むことは出来なかった。教会として非力であったからだと解釈しても、責任逃れの詭弁にしかならない。教会には富も力もない。それでも出来ることがあるはずである。むしろ、小さいからこそ出来る。貧しいからこそ出来る。その証しを立てることが、教会として本当にやっているのかどうかの分かれ目になる。
 
  金銭がないから出来る
  
 我々は「あれもこれもやろう」というふうには考えていない。多くの仕事を果たすことが出来るように、財力のある大教会を建てようという考えは持たなかった。小さい教会でないと出来ないことがあるから、我々は小さい教会を建て上げよう。小さい教会でも幾つか集まれば、大教会のする以上の戦いをすることが出来る。
 我々は身のほどを弁え、狭い持ち場だけしか担えないことで満足すべきだと思った。他の区域は他の教会が持ち場にしてくれると期待された。こうして、最低で3つ位の志を同じくする教会が立ち上がり、ネットワークを張れば、ある程度の広さの区域をカヴァー出来るはずであった。やがて、そういう教会が少しずつではあろうが、増えてくるはずではないか。――ところが、誤算と言うべきか。他の区域に手を着けてくれる群れは出て来なかった。
 東京告白教会だけでなく、他教会もこの志を共有し、ともに戦うためには、この志を広めてくれる人を生み出さなければならない、という考えは初めから持っていた。呼び掛けもした。何人かの人を西パプアに連れて行くこともした。だが、聞いて共鳴してくれる人はいるが、実行してくれる人は、牧師の中にはいなかった。日本の教会では牧師が一個の教会に拘束され、広域の教会的奉仕が出来ないように固定化されている。東京告白教会は叫び続けているが、このままでは立ち枯れになる恐れがある。しかも、こういう奉仕の必要がいよいよ緊急になっているのである。
 我々が他の教会にもっと強力に勧誘すべきではなかったか、という疑問はあると思う。事業的手腕のある他の人がリーダーシップを取れば、もっと事業の拡大が出来たかも知れない。しかし、事業としてディアコニアを建て上げても、それでは僕として仕える道を行く働きにはならなかったであろう。イエス・キリストはそのような形でご自身の事業を拡げて行くことはなさらなかった。
 ただ、我々のしたやり方が最高なのだ、と胸を張って言うべきでもないと思う。試行錯誤をして来たのである。へり下りが必要である。しかし、へりくだりというものは、容易に何もしない開き直りにすり替わるから、注意しなければならない。
 私自身は、もう老人になったから、仕事を控え目にしなければならないと考えたことが、慎ましさであったかも知れないが、それ以外のマイナス要素を自分自身と自分の周囲に及ぼしているのではないか、と考え直している。
 能力が落ちていることは厳然たる事実であるが、事故防止、危険予防、安全確保の名目で務めをカットすることは、世間では常識であるが、教会は必ずしもマル呑みすべきではないのではないか。教会は別のことを主に問うべきである。

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