2006回顧と展望


2006年が厳しい年になることを我々は予想していた。その予想はすでに当たったと言って良いかも知れない。例えば、元旦の礼拝の中で起こった出来事は、事柄自体としては小さく、何事もなかったように扱って差し支えないものであったが、やがて起こるべきことのシルシであった。牧師が突然倒れて起き上がれない日が早晩来るということの覚悟が促されたのである。
 「しかし、牧師は倒れても、神の国は進展する。いや、進展しなければならない」と言われるであろう。結構な言葉だが、そのことが力ある事実として確信されているのか、それとも、建て前として唱えられているに過ぎなかったのか。それが明らかになる日が来る。
 一こと断って置くが、今年度中に牧師が退職するという予告ではない。私は御言葉を宣べ伝えるために召しを受けた者であるから、命が続いていて、自分の言語能力が神の言葉を持ち運び得るものである限りは、召されたままの位置に留まるつもりである。主が召しの終焉を通告されたならば従わねばならないが、余裕を残して引退するという考えは私には全くない。ただし、本人は生ける御言葉を語っているつもりでも、客観的にはそうでない場合がある。そういうことが起こらないために、聞き手、とりわけ教会の中から選ばれた長老と執事は、御言葉が真に語られているかどうかのモニターとしての責任を負う。
 また、当教会では、説教は全て完全原稿に基づいて行なわれ、御言葉が語られたかどうかの証拠を後からでも確かめることが出来るようにしている。また、その説教原稿はインターネットで公開されているから、何ぴとも立ち入り検査することが出来るようになっている。こうして置くことによって、御言葉が語られていないとの誹謗から主の教会を守ろうとしているのである。そこまでしなくても良いではないか、という意見はあろう。その意見に反対はしない。しかし、私の意見にも反対しないでいて貰いたい。説教は手抜きすれば、幾らでも手抜き出来る。全く準備なしで説教をしなければならない場合もあるから、一つの型で全てを律してはいけない。しかし、主の日の説教は予期されているのであるから、準備は出来る。他のことを削っても準備しなければならない。それが説教のために召された者としては当然である。
 牧師自身が行なうこの自己点検の能力を失った時は、説教はあるいはまだ続けられるかも知れないと解釈は出来ても、責任を問われ、申し開きをする位置には立てないと言うべきであろう。その時が牧師の退く時であると承知して置かれたい。すなわち、メモでなく完全原稿を書き上げることが出来るかどうかが境目になる。そういう事態は当分はもっと先であると見ることは出来ようが、毎週のように薄氷を踏むようにして境目を越えているという事実もある。牧師の引退の時期についての私の基本的見解は以上の通りで、これは長老と執事には話してあるが、異論がないようであるから、全ての教会員にも聞いて置いて貰いたい。

 

 小会はすでに長い間、牧師交代の基本的問題について論議を重ねて来た。また、牧師が倒れたとき、小会が御言葉の語られる教会を維持して行くことが出来るための最小限の訓練はした。すなわち、十分な祈りと審議を重ねないままに後継者選びをしなくて済むために、確信の持てる適任者が与えられるまでは、長老が代理を勤めて、御言葉の語られかつ聞かれる教会を守るのである。
 牧師交代の本質的問題についての議論をしたとはいえ、具体的なことには直ちに結び付かないが、本質的なことについてシッカリ考えて置けば、そこから導き出された結論、またその生み出す結果が、主の御旨にかなうものであると信じるべきであろう。軽率に決めたことを神の決定であるとし、責任を取らないことが正当な考え方であるとは思わない。
 我々の教会では、牧師が牽引力の大きい機関車で、後の人がそれに引きずられて行くのではなく、牧師は先立ち行きたもうキリストの後に随いて行く僕の一人であろうとし、教会員もまたそうであり、教会の組織はそのような教会に適合したものでなければならないという姿勢を取って来た。したがって、本源に遡って、より忠実でろうとするとき、他の教会と必ずしも同じ形でなくて良いと考えた。すなわち、教会の中に蔓延る因習的なものに対しては大胆に自由な態度をとることが出来た。
 キリストは進み行きたもう。だから、我々も前進する。そのとき、教会であろうとすることがキリストに従うことの妨げになってはならない。そのようにして我々は歩んで来た。今日までの歩みを回顧すれば、こういうものであったことが誰にも分かるはずである。具体的に言うならば、牧師は必ずしも卓越した勤勉な器ではなく、ただ、教会が何でなければならないかだけはシッカリ考えるようにしていたが、働きは鈍いほうであった。それで教会が立ったのは、長老と執事がシッカリしていたからである。長老と執事は、自分の教会だけでなく、他教会また他者への奉仕の姿勢、見識、また能力において、卓越したものとなるよう修練を積んで来た。
 そのように、キリストが先立ち行きたもうのであるから、我々も随いて行く。そして、歩みを進めるにつれて、次々と視界が開け、かつてはハッキリ見えていなかったものが見えて来る。道は一筋であるから、大きく変わったところはなかった。細部に関しては変更を厭わないが、基本線は変える必要がなかった。基本となるものは「試みを経た石」変更の必要のない土台であり、それは主から賜った石であって、その隅のおや石についても時代の変化に合わせて変えて行くという姿勢は取らなかった。
 戦後の60年、我々を驚かせるキリスト教の新しい試みが唱えられた。我々のしていることも新しい試みだと見た人もいる。しかし、我々は新しい試みを提唱したことはなかった。新しいもののように見えたとしても、古い歴史から学び、古い歴史に照らして吟味したものを実践した。
 新しい思い付きを軽々と実行する人たちとはそこが違う。その人たちは初めのうち元気が良かったが、間もなく息切れがし、行き詰まった。行き詰まって務めを投げ出す人もそこここに現れている。

 

 我々の教会は一番初めの時期から、「仕える教会」であろうと考えていた。初めの段階では「ディアコニア」という教会用語を使うことすら知らなかったが、ディアコニアの精神は掴んでいたと思う。先ず考えたのは、自己目的にならず、他教会に仕えることが出来る教会形成をすることである。それは、自分の教会を大きくすることを第一義とせず、教会の構成員一人一人が日基の中会・大会に仕えることの出来る人材になることが出来るように修練を積んで置くことである。その結果、我々の教会には、その規模の小ささにも拘わらず、中会・大会の委員の提供が求められた。この事情は理解されていると思うが、特に近年、長老で大中会の委員のなり手がなくなっているのである。
 時代の変遷があって、古い時代に成立した委員会制度をそのまま踏襲することが適当かどうか、という問題も起きているが、それは別として、中会から任務を委託された委員が、務めの委託という課題を真剣に考えていないために起こる委員の機能障害がある。各個教会内の奉仕は担うとしても、直接自分の教会の仕事でないことについては、奉仕という動機が余り働かないのである。
 古い日基の中には、日基の他教会のために尽力するという気風がまだあったと思う。新日基の初期にもその精神は古い長老の中に濃厚にあった。現在でも、伝えられたものを身に着けている人はいるが、ずっと少なくなっている。我々は古き日基の気風を受け継ぐことに然ほどの重きを置かなくて良いと思うが、教会が仕える教会であろうとし、教会員の各員が奉仕の出来る器として己れを整えて置く必要は教会が何であるかの原理から導き出されるものである。

 

 近年実行に移ったものとして、野宿する隣人への奉仕としてのパトロールが特記されねばならない。10年余、あるいは30年余になるアジアのキリストにある隣人へのディアコニアと同じように、我々の教会の歴史においては日が浅いが、ずっと以前から考え、探求していたものである。学びと準備が積み上げられてここに至った。主は我々に志を与え、それを発展させるために考え・学ぶ機会を豊かに与えて下さった。
 そういうわけで、開拓伝道の当初以来、数々の学びを身につけたが、路線の変更や修正はなかった。初めから、聖書と代々の聖徒の歩みにしたがって進んで来た。最初の方向付けは聖書と、改革主義の宗教改革によってなされた。ディアコニアはまさしく16世紀の改革者が実践していたものの現代的復原である。だからこそ、今日のようなキリスト教全体の無気力化の時にも我々は雄々しく立つことが出来、一貫した歩みを進めるのである。したがって、我々の教会としては、この方向付けを今後も守り抜かなければならない。

 

 我々の教会では、伝道所であった時代に「教会論入門」という書物を共同討議の中から編み出し、この書物は今日に至るまで広く読まれているが、ここには我々が今日取り組んでいる具体的項目の多くに触れていない。ありのままに言えば、その頃分かっていなかった事がたくさんある。しかし、基本的なことは確信をもって掴んでいたから、「教会論入門」は入門としては訂正しないままで用いることが出来る。
 ディアコニアは、我々自身の間においても熱意がさらに深まっているが、目標を同じくするキリスト者のうちにも関心は広がりつつある。我々はこの証しの運動を、宣伝によって広めようとは今のところ考えていない。宣伝を忌避する必要はないと思うが、宣伝にエネルギーを取られるよりは、実質的な奉仕をする方が主の喜ばれることだと思っている。
 ディアコニアは日本では近年ようやくキリスト者の一部で認知されるようになったが、教会が沈滞している時期だけに、これに期待する人もいるであろうし、政治の貧困な時代には、実際の必要もあるので、関心を持つ人は増えて行く。しかし、時流に乗ることはすまい。
 ヴォランティア活動としてややこれに似たことをする人も多くなるから、ヴォランティアと混同したままこれに関心を抱いている人もいるようである。しかし、我々はヴォランティアとして奉仕活動をしているのではない。ヴォランティア活動の中に見られる自己実現欲求と、主に仕える故に隣人に仕えることは全く別である。我々は単なる活動として成果を上げることを目指さず、主の喜びたもう道において隣人に仕えることを目指したい。

 

 教会の置かれている地の全ての人々の平和のためのディアコニアは、開拓伝道が始まって2年した時から考え始めたものであった。それまでは、牧師は個人として戦争罪責を考えて平和のための活動をしないではおられなかったのであるが、1960年4月、東京では初めてのキリスト者だけの平和集会と平和のためのデモ行進が行なわれた時、伝道所の全員がこれに参加し、それ以来、教会のディアコニアとしての平和運動を論じ始めたのである。
 その頃、平和運動に参加するクリスチャンの中には教会的な信仰者は少なく、その平和理論も共産党、あるいは社会党の理論の借り物に過ぎぬ場合が殆どであった。
 こういう歪みは1970年に日基が教会の靖国闘争を信仰告白の闘いと定義づけた辺りから変わって来、それに社会党の低迷が重なって、政党依存のキリスト教平和運動はなくなった。
 今日では、無党派の市民運動としての平和憲法保持の運動の中に、教会関係者が比較的重要な地位を占めつつあるという状況になっている。ただし、日本キリスト教団の中では、社会派は信仰的基礎がもともと弱かったから大幅に後退し、そのたため、平和も靖国も運動としては低迷し、日基は比較的良く頑張っていると見られている。しかし、日基においても信仰的基盤はなお多くの弱点を抱えている。御言葉が真実に語られていない教会で、平和のための活動がなされることには危惧が見られる。
 我々の教会のアジアの人々との連帯も、教会のディアコニアとして捉えられる。教会が神学的原理を把握しないで、この世のことに関わって行くことを、我々は必ずしも批判的には見ないが、我々の教会には宗教改革以来のディアコニアの遺産があるのだから、それを活用しないのは正しくない。我々はディアコニアの実践を行なうだけでなく、ディアコニアの源泉を掘り起こし、これを志ある人々に提供する任務も持っている。

 

 牧師交代の話しに戻るが、このような時に、我が教会のこれまでの姿勢が崩れないようにすることが重要である。原理的に言えば、牧師が教会を引っ張って行くのでなく、牧師はキリストに随いて行く。教会員も随いて行く。この姿勢が保持されれば、同じ行動が続けられる。人間としての努力あるいは器の適合によって、伝統が継承されるのでなく、キリストへの固着あるいは帰依が、言葉でなく、事実として受け継がれれば良いのである。
 交代が行なわれる際、それは正常の状態にある教会では、牧師だけの交代である。この世の団体であれば、不祥事の場合、あるいは時代への不適合の場合、指導者の総辞職・総入れ替えが必要になるであろう。教会にもそういう処置が必要な場合はあり得る。しかし、東京告白教会においては、そういうことがないようにこれまでは歩んで来た。それで間違ってはいなかったと思っている。
 牧師だけが入れ替わるのであるから、変化は最小限であるはずである。これまで、基本路線を守るために、その主旨をより徹底すべく改めることは屡々あったが、そのような変化は今後も起こるであろう。もし、変化が停止したならば、東京告白教会は初めとは別のものになったと言わなければならないのではあるまいか。
 後任牧師をどのように選ぶかは、確かに重要な問題であるが、後任牧師を選ぶ長老が正しく選ばれることは、それに劣らず重要である。執事の選挙も、考慮しなければならない具体的項目としては異なるものがあるけれども、務めの重要さに関しては長老と違いがなく、選挙の重要性も同じである。
 そういうわけで、差し当たって、我々の教会では、長老と執事の選びをさらに祈りを篤くし、精魂込めて行なって貰いたい。そして、選ばれた人は、人々からの選びを教会の主からの選びのように受け取り、主の御意図にそうように修練に励んでもらいたい。教会は、長老と執事がシッカリしておれば、しばらく無牧になることがあっても、崩れることはない。しかし、長老と執事が判断力を欠いた時には、教会は崩れ始め、修復には時間が掛かる。しかも、今は教会の破綻が生じ易い時代である。

 

 我々の教会では、久しい以前から、「御言葉を聞くことの飢饉が来ようとしている」あるいは「始まっている」と言い、また「教会の危機」を唱えていたが、ここ数年は「教会の崩壊」ということを叫ぶようになった。その叫びは好意的には受け取られていなかった。これは奇妙な感覚の人の偏った見解として扱われて来た。現在でも、大勢に変わりはないが、我々と同じことを言う人は若干増えている。我々の語る言い方は、言い方としてはやや認知が進んだと見て良いかも知れない。反論が出来にくくなっているからである。けれども、生ける御言葉が語られ、また聞かれるようになったかというと、そうではない。
 「生ける御言葉」という慣用句が普及したことと、御言葉がホントウに聞かれていることとは別である。御言葉を聞くとは、悔い改めが始まることである。「御言葉」という語句が語られる頻度は増えたかも知れないが、悔い改めが始まっていないならば、御言葉を聞いていないことになる。
 現在、教会の無気力化という問題は多くの人々の指摘するところとなったし、それが説教の低調と関係在ることに気付く人は増えているが、解決が始まっているとは言えない。生ける御言葉を語れば良いということは誰にも分かる。しかし、それが分かっているからと言って、その人が生ける御言葉を語っているわけでは必ずしもない。事態は年々深刻化し、また露骨になっている。このような事態を我々は冷ややかに論評してはならない。諸教会に仕えることを志している我が教会は、説教の貧困という問題の打開のための奉仕を考えなければならない。
 説教の水準というものが一応あると言うことは出来る。一般に、信仰告白に則って行なわれているなら水準に適うと看倣される。しかし、借り物の原稿を読んでいて、それで説教か、という問題がある。緊急の場合はこれで良いと看倣されるとしても、生ける御言葉が語られているかどうかという問いは、一度資格試験にパスすれば終生その資格があるというものではない。
 ただし、その資格が自分に本当にあるのかどうか、戦々恐々としていなければならないと考えるのも間違いである。御言葉を語らしめたもう主は、大胆に語る賜物をも用意して下さる。その大胆が本当の大胆さでなく、図太さになっている場合もあるから、説教者にはつねに祈りが必要である。
 それは通常の時代のことである。今は通常の時代ではない。試みの時代である。そのことを我々は良く弁えて置きたい。油断をしているとサタンに惑わされて、御言葉が十分語られていないのに、語られている、聞いていないのに聞いている、と錯覚してしまう時代なのだ。
 サタンが跋扈している時期であるから、正常な言葉であるのにサタンに悪用されることも多くなる。教会を建て上げるための言葉が、教会を毀つ言葉に転用されることも起こっているかも知れない。
 直接見聞して確かめたのではないから、間違って認識しているかも知れないが、諸教会において、説教が問題になることが現今多くなったのである。事件になるところはまだ目覚めているから問題になるのかも知れない。確かに、説教と言ってはならないオハナシが説教と呼ばれ、誰も疑わないケースは非常に多い。それは論外であるが、一応教理としては間違いないことが語られていても、オハナシと同じ水準のものとしてしか語られていない事例が多い。そういう教会で問題が起こる。
 私は過日、金目伝道所の牧師就職式に、東京中会から牧師と教会員に勧告するために派遣された時、生ける御言葉を語ることについて勧告した。その時、一般論として論じていては事態に追いつけなくなっているのを感じたので、「生ける御言葉が語られるように私自身も一生懸命やるから、あなたも一生懸命にやりなさい」と言った。謂わば、サタンとの白兵戦を演じなければ勝ち抜けない事態に至ったというのが私の現状認識である。□

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