2005.07.29.
日本キリスト改革派教会
中部中会平和集会にて
今、キリストを主と告白する
渡辺信夫
昨年のこの時期に皆さんとお会いして、我々の共通に直面する課題について語った。1年経った今、本質的な問題は同じであるはずだ。したがって、昨年と基本的には同じ話しをすれば良い。
しかし、おそらく皆さんの中には、同じことを語っていては、どんどん進行している世界の破滅の対策としては追いつかない、と考えている方が多いのではないか。すなわち、この1年の間だけを見ても我々の身辺は著しく変わり、ずっと息苦しくなった。社会は犯罪によって大きく歪められた。――貧富の差は増大し、職業倫理によって維持されていると思われていた社会の安全はなくなったし、親殺し子殺しが示すような人間の崩壊が進んで行く。世界的に見ても、テロと戦争はどこでも泥沼化し、終熄する見込みは立たない。人々は希望をもって生きることが出来ない。
こういう時こそ、キリスト教会が人々に愛と希望を与えなければならないのであるが、その教会が閉塞感に陥って、使命を果たせなくなっている。すでに昨年、我々は危機が迫っていることを語り合っていたが、今年、事態は一層暗くなっている。
近年の変化、それは我々の外側に見られるだけではないと思う。我々の精神の内部が侵食されているのではないか。すなわち、我々の感覚は、異常なことが次々に起こるため、驚きや衝撃にもだんだん馴れて、異常なことを異常に思わなくなっている。正義が失われて行くことについての怒りも、嘆きも、薄れている。神の宜しとされることがどんどん消されていても、何とも感じなくなっている。こういうことが続くと、その次には、私自身が神に逆らうことを企てても、これが今の世では当たり前のことなのだ、と平気になり、罪の意識を持たないことは、もう現実になり始めている。
イエス・キリストの福音は依然として我々の間で説かれている、と我々は考えているが、少なくも、それを聞く者の感覚は以前のままではないということを意識しなければならない。御言葉が語られているかどうか、という問題は別として、語られているとしても、聞かれているかどうかという問題がある。
こういう中で、我々の間には、キリスト教が掲げていた原理が崩れ始めたのではないか。キリスト教の立っていた前提はガタガタになってしまったのではないか。だから、根本から考え直さなければならないのではないか、と迷っている人がいるかも知れない。それに対して、「いや、キリストが主であられることは永遠の真理であるから、変更の余地はない」と言い切る人もまだ少なからずいる。私もその一人であるし、今夜ここに集まっている人は皆そうである。
しかし、永遠の真理を旗印として掲げることは正しいといえ、その旗印が、生きた、また人を生かす、力ある、また人を奮い立たせる証しになっているか、ということになると、問題は別である。旗は立っているが、中味は別かもしれない。旗を立てたままで舟は流れに流されているのではないか。そのうちに、旗を立てているのも恰好の悪いことのように感じられて、旗を降ろして、片付けてしまう、ということに成りかねない。
この前の戦争の中で、多くの教会は、実際、旗を降ろしたのである。その事を語る人は少ない。私はその頃、軍隊の中にいた。軍隊に召集されてそれに応じたのは、軍国主義に屈服したということであるが、屈服だと認めることを避けていた。自分はこの通り、クリスチャンであることを表明している、と自分の健闘振りに満足し、しかし信仰の実質は著しい弱体化、あるいは妥協であった。だから、教会を批判する資格はないのだが、まだ私人としての私の方が健全な信仰を守っているのではないかと思われ、教会がどんどんヘンなことを言うようになって行くのをハラハラしながら見ていた。
その教会が、戦後には、何事もなかったかのように、しまってあった旗を取り出して、掲げたのである。戦時中の姿勢について反省し、「教会と呼ばれる資格はありません」と言って悔い改め、それから旗を揚げるのなら良かったが、悔い改めを表明しつつ伝道する教会は殆どなかった。個人として悔い改めを表明する少数の人がいただけである。大多数の人は、自分たちは信仰者としての務めを果たそうとしたが、世間がそれを許さなかった。自分たちはさまざまな犠牲を払いつつ教会を守って来た、と言った。それはあながち嘘ではないが、語られていない事実が沢山あることを私は見ている。
日本の教会は敗戦によっても変わらなかった。変わったと言うとすれば、もっと悪くなった。戦争中の妥協の罪の上に、悔い改めをしないという戦後の罪を重ねたからである。悔い改めをした、と言う人がいるなら、本来の悔い改めが何であるかを問わないで、むしろ、悔い改めと似て非なる決まり文句にスリ換えてしまったその罪を糾明しなければならない。60年前に悔い改めの時があったが、その時をやり過ごしたから、今はもっともっと深い悔い改めをなすべきである。この機会を見過ごしたなら、立ち直りの機会はもう来ないかも知れない。
今言ったことはキリストの名によって建てられた教会に対する侮辱ではないか、と言う人があろう。キリストの名によって建てられたことは認めなければならない。が、キリストが建てたもうた、と言って良いかどうか。「キリストの名によって建てられた」という決まり文句が踊っているだけかも知れない。
「キリスト教はもう崩壊をはじめているのではないか」と感じる人がいるのではないかということに先に少し触れたが、私はそれを飛んでもない妄想とは思わない。「裁きが神の家から始められる時が来た」とペテロ前書4章17節の言うことは好い加減には聞けない時代である。
敗戦から60年。あの時の実状を知っている人は僅かしかいなくなった。あの時の教会の苦悩と醜態は以後の世代に殆ど引き継がれていない。そこで露呈された教会の問題を引き続き負い目として担って行くことは、ますます疎んじられている。そして教会はますます意気消沈した状態である。昨今の教会の空気を見ると、戦前とまるで同じものがある。すなわち、教会は続々と黙り始めた。もの言わぬ民になって行く。
教会の外を見ると、教会内と同様、「見ざる、聞かざる、言わざる」という姿勢の人が増えているが、それでも、危機感を持ち、こんなことで良いか、何かしなければならないと動き始めている人が多少いる。例えば、「九条の会」という会の運動が各地に広まっている。教会にもそれに関わっている人は多いと思うが、教会内にそれに並ぶような独自の動きは殆ど見られない。
「教会は、この世の人たちに後れを取らないように、シッカリやりなさい」と言いたいのではない。教会がこの時代の中で、真実を求めて何かをしていると、教会の外にあって何かを求めている人は、「ここには何か本当のものがあるのではないか」と考えて、教会に接近して来るということは確かにある。著しい現象とは言わないが、以前より見聞きする機会は多くなった。平和運動とか、人権運動とか、そのような関心から教会に接近し始めた人は確かにいる。それと関連のあることであるが、教会を疎ましく思わなくなった人は確かに増えた。「だから、伝道の行き詰まっている時代に、これは有効な伝道手段だ」と考えている人がいるのではないかと思う。
その考えを退けなくても良いかも知れない。が、伝道の数的効果を考えてするなら、意味はない。数的効果という考えは、福音の宣教にとっても、真の社会的貢献の活動にとっても縁のないものだからである。ただ、「人間としての真実」……、これは社会運動においても窮極には問われることであり、その点でキリスト者の「人間としての真実」は真価を発揮するであろう。
「人間としての真実が問われる」とは、具体的な形で表わすならば、我々がイエス・キリストに対して偽らないように、人に対しても偽らないこと、真理のためには損失や犠牲を厭わないこと、また時の流れが変わっても、正しいと信ずることを貫くことである。
人のために良い働きをして感謝されたり、誉められたりすることは決して稀ではない。ヴォランティア活動の多くはそのような評価を得て、その評価によっていよいよ励むという循環の構造に支えられている。誉められてはいけないというわけではないが、この世ですでに報いを得てしまうようなことでは、天に貯えられている宝は無くなっているのだと主イエスは言われた。だから、この世における良き報いを期待してはならない。
実際は、良い事をして、感謝されないどころか、迫害を招くことがある。福音に関することがそうであるだけでなく、社会のためになることをして、それで嫌われる場合は極めて多い。すなわち、人々の善悪の判断の基準は、多数者がやっていることと同じかどうかであって、人のためであるかどうかではないからである。
聖書は、旧約聖書からしてすでにそうであるが、義人の苦難というテーマを我々に突きつけている。あってはならないと思われることだが、実際にある。だから解けない問題である。アベルは義人であるが故に殺された。証し人の多くは殺された。しかし、キリストが殺されて、甦りたもうたのであるから、この問題は解けた。それを教えられている我々は正しいことのために苦難を負うことが出来る。それがキリストの民の使命である。その使命について、教会は特に今日シッカリと説かなければならない。
今、日本はまだそれほど悪くなってはいないと言えるかも知れないが、安心してはいけない。「君が代」を立って歌わない人は刑罰を受ける時代がもう始まっている。良いことであっても国民輿論がその逆である場合は、良いことに対する迫害の覚悟がないと勤まらない。この覚悟はこの世の人には難しい。正しいことをして苦しむのは、この世では価値あることとも考え難いが、イエス・キリストのみあとに従うことを教えられている人には、宝を天に積むことだと納得できるはずである。だから、我々は真実を貫く事が困難になった時代の中で真実を貫くことが出来る。
しかし、今日はこういう話しはこれ以上はしない。実例を語っておれば、話しは聞きやすいし、聞く人々を奮い立たせるには有効である。けれども、そういう奮い立つ話しを聞いているだけでは、思想は深まらないし、実例を語って行く時、逆の実例もあることを語らぬわけには行かなくなり、しかも、反対の実例の方がずっと多い。
こういう時代の中で、我々はシッカリ考えることが出来る力を養って置かねばならない。すなわち、我々は仕える僕であるから、聞くべきことを素直に聞いて課せられたことを果たすようにしなければならないのは当然であるが、また、仕える者として、良く仕えることの出来る器となるために、自分を整えて置かねばならない。
今、教会が無気力になっていると言ったが、それは教会が考える人を育てないで、考えない人を増やして来たため、自分の播いた種を刈らなければならなくなったということではないかと私は思っている。考えねばならないことが続々とあるのに、考えることをしないから、素直に信じようという気持ちは起こらないわけではないのに、何も出来ないで、どんどん無気力に落ちて行くというのが今日の多くの教会の実状である。
私は戦後5年して伝道者の道を歩みを始め、以来55年間この道を歩んで来た。そして、その中で、偉そうに聞こえるかも知れないが、すべきだと思ったことは手を抜かなかったし、一生懸命に考えていた。そう、自分では思っている。なぜ一生懸命やらねばならなかったかというと、私は戦争に参加するという大きい間違いを犯した。しかも、戦争で死ぬべきところを生かされて帰って来たから、一生涯、懸命考え、また働かなければならなかったのである。どういう出来事があったかについては、話し始めると時間を取り過ぎるので、今日は触れない。
私は戦争の中で間違った判断をした。それが分かったからには、同じ間違いを繰り返してはならない。とともに、他の人にも私の犯した間違いをさせてはならない。だから、自分の間違いについては、気付いている限り手抜きしないで語って来た。
私が間違った考え方をしたのは、責任逃れのために言うのではないが、教会が教会として教えるべきことを教えていなかったからである。だから、教会が真実な教会となるように働くのが、死ぬべきところ死なないで帰って来た意味であると考えた。今もまだ務めを果たし切れていないから、生かされて働いているのだと思っている。
このようにして一途に歩み続けたのは、第一に、聖書が「我が足の灯火」であり、またカルヴァンが信仰の手引きをしてくれたからであると思っている。もう少しハッキリ言うならば、かつては私と同じように平和のために働き、平和のために叫んでいた人で、今では言うことは言うが何も動かない、あるいは言うことすらしなくなった向きがある。
その人の神学が私の神学と違っていたからである。彼らは聖書に聞き従うことを大事なこととは思っていなかった。自分の中にキリスト教の精神が宿っていて、その精神に従ってやって行けば、いちいち聖書に聞き、聖書に従う必要はないと彼らは言っていた。ところが、彼らの内なる声は時代の変化の中でだんだん衰えて、9・11の頃にはものを言わなくなった。
その聖書を読む読み方について、最も分かり易く手引きしてくれるのはカルヴァンであるが、人々は「カルヴァンなどは古い、今では人間の知恵がもっと進んでいるから、後ろ向きになってはいけないのだ」と言っていた。そういう人たちともっと論じ合うことが必要だったと言われるかも知れない。だが、時間は限られているから、無駄なことに費やしてはならないと私は思っていた。その人たちが早晩ものが言えなくなることは分かっていたし、それは文書で発表していた。私の予告通りであったと得意になることは愚かである。彼らが考えを改めてくれることを期待する。
どういう違いがあるかについて、今は詳しく論じることをしないので、当面必要な部分について、荒削りのことしか語れない。彼らは彼らなりにキリスト教的精神に立っているつもりであったかも知れないが、我々のように繰り返し聖書を読み直して自己自身を点検し、また教会の中に流れている「この日、言葉をかの日に伝え、この世、知識をかの世に送る」という精神の中に生きることをしなかった。
今日は「教会と国家」という主題を中心に据えて語ろうと思う。「教会」と「国家」を一対として括る捉え方、これは、今日では珍しいものではないが、昔は日本語の書物において見ることは余りなかった。ヨーロッパの神学書ではよく見るのである。戦後、私が自分のキリスト教理解を根本的に検討しなければならないと痛感して学び出した時、「教会と国家」という言葉の組み合わせが、私の読む本には割合よく出て来るのを感じた。言葉としては別に難しいとは言えない。けれども、この二つを対にして捉えるその神学的な考え方がよく飲み込めていない。教えてくれる人もいなかった。分かっていないという意識があるだけに、大変気になっていた。それが分かるようになるまでに約30年掛かった。
では、今から30年勉強すれば分かるようになるか。それは違う。30年やっても何も分からない人がいるであろうし、30年しなくても分かる人はいる。或る程度の年期を入れることは必要だが、或る状況に置かれることが必要である。どういう状況か。私においてはそれは私の属する日本キリスト教会の「靖国闘争」であった。
日本キリスト教会では、自民党が靖国神社国営化を図った時、教会として反対行動を始めた。しかし、教会が福音宣教以外のことをしない体質の教会であるから、教会としてこういう行動をすることには疑問があった。個人でするなら、積極的に賛成だが、教会としてするというのはどうなのか。いろいろ議論があった。その議論の中で、これは私が言い出したのではないが、「教会の信仰告白に関わることではないか」という意見が出て、この問題を一生懸命に考えて来た人たちはそうだと捉えた。
そうだと捉えた人が良く分かって同意したのではない。率直に言って私自身、理論的に良く分かっていたわけではない。だが、軽々しく賛成したのではない。その段階では理論的に分かったのではなく、直観的にそうだと思わせられ、その後学びを深め、行動の経験を積んで、確信になったのだが、そういう直観が成り立ったのは、一つは我々の間で日本キリスト教会の存在意義は、日本に告白的教会を建てることにある、という主張をしきりに語っていたので、まだ言葉にもなっていなかったものを「これだ」と言うことが出来た。もう一つ、ドイツにおける告白教会の闘争を勉強していた人が比較的多かったからである。今一つ上げるならば、教職の中に戦争の悪魔性を経験して来た有力な論客がいたことである。その代表者は一昨年世を去られた小川武満牧師である。
ここで少し時間を費やすことになるが、私自身がよく分かっていない状態から、どのようにして分かるようになったかを語っておきたい。
戦後、自分自身の戦争への関わり方が間違っていたとスグ気が付いたのだが、それはキリスト者として持つべき社会的意識が低過ぎたからであるという反省になって行った。それでも、社会科学を学びの中心に据えなければならないという考えにはなれなかった。
社会科学を学んでいる人たちが、私よりは余程的確に戦争を捉えていたから、私のような飛んでもない自己流の解釈をして、戦争と、自分が戦争に関わって行くことの意味付けをするようなことはなかった。彼らは私よりはマシな人であった。そういうマシな人は或る程度いたのだが、その人たちの知恵では、戦争を食い止められなかったし、この人たちの学問的知恵は、戦争遂行のための計画経済を進めるために役立てられた。戦後、政府を実際に動かすエリート官僚の中にはこういう人がいたし、高級官僚の道を離れて左翼運動に転進した人もいる。戦後の左翼運動はそれなりの働きをしてくれたと思うが、人間作りはしてくれなかった。
「だから、社会科学では駄目だ」というのは短絡し過ぎた考えであるが、社会科学というものに絶大な価値を認めることは出来なかった。人間として生きるには、もっと大切なものがある。自分自身の生と死を掘り下げることは社会科学には出来ない。
上に言ったのは戦後になって分かったこと、また考えたことだが、戦争がまだ終わらない時に、「自分は社会主義者だ」と悪びれずに言う人と出会ったことがある。
私は戦争末期の8ヶ月を海防艦という950トンの軍艦の乗組員として勤務したのであるが、部下に一人の共産主義者がいた。正確に言うと直属の部下ではなく、他の分隊員であるが、当番兵として身の回りの世話をしてくれた人である。
彼は軍隊に入る前、共産主義の地下運動に連なっていた。まだ特高警察のブラックリストに載っていなかったし、顔も覚えられていなかったが、怪しまれて尾行されたことがある。慌てて汽車に飛び乗って、持っていたパンフレットを細かくちぎり、汽車の窓から少しずつ散らして、証拠を湮滅した話しなどを聞かせてくれた。勿論、彼がそのような経歴を持つ共産主義者であることは、艦内の誰も知らなかったし、私も黙っていた。彼の方では私がクリスチャンであることを知っていたから、クリスチャンなら話しが分かるだろうと見込んで秘密を語ってくれたようである。
彼は共産主義が正しいと確信を持っており、共産主義理論で明らかなように、戦争は近いうちに日本の敗北によって終わると断言した。私が他言しないと信用したからではあるが、上官の前で禁じられた思想を堂々と披瀝するのは立派なものだと思った。私がクリスチャンであることを隠していない点は彼よりも堂々としていたように見えるかも知れないが、私はそれで何の危害も受けていなかった。
クリスチャンであることは隠していなかったが、私のキリスト教信仰たるや実に好い加減なものであった。それは権力に屈服して行くものであり、時流に流されるし、まことに情けないものであった。だから、共産主義者の前でキリスト者として恥ずかしいと思った。それでも、共産主義の方がキリスト教よりも立派だと思う気にはならなかった。神が生きていますことは私にとっては確かな事実であり、「神なし」と単純に言い切ることには随いて行けない。彼らが共産主義思想を持っていない者のように振る舞うことは許されるとしても、キリスト者がキリスト者でないかのように装うことは出来ない。それだけの深みというか、確かさがこちらにはある。彼が共産主義を真理として把握する所と、私がキリスト教を真理として受け入れる所とは、どうも違うらしいとその時考えた。その他にも共産主義を真理として受け入れることの出来ない理由があった。
そういう訳で、社会的に物を考えることは無視すべきではないが、のめり込むことは出来ない。もし、のめり込まなければいけない、と言われるならば、拒絶するほかないという考えは、曲がりなりにも信者である私にはあった。
戦後の日本の教会では、戦前余りにも精神主義的であったことへの反動であるが、社会的に考えることが重要視された。だが、私はこの考えは半分は正しいから受け入れたが、半分はおかしいのではないかと感じていた。しかし、論争するだけの力がなかったから、と言うべきであろうが、社会的に考えることこそ真理に適っていると言っているクリスチャンとは争わなかった。社会的に考えようという人たちは、戦争責任というものも社会に還元して、自分自身の罪責には考え及ばない。それでは思想としては貧困であると思った。
そのように意見の違う人とは言い争わなかったが、自分のうちで、信仰と思想を深め、また確立し、外ではうちなるものと矛盾しない限り、誰とでも協力しようと心を決めて、実行して来た。もっとも、キリスト教信仰を受け入れている同じ所に共産主義思想を受け入れている人が、自分と同じ信仰を持つとは考えなかった。そういう人は私の知る限りでは、全て信仰を抛棄したか、思想を抛棄しているから、当然であろう。
それではどうなるかと言うと、そのころ私が自分なりに纏めていたところを言えば、最も基礎的な場には「信仰が」あり、その次には、信仰に立ち、かつ自己矛盾を起こさせないように絶えず自己検討をする「思想」の領域があり、その次に、末端として、思想によって決断する「行動」の領域がある。行動は信仰の証しであるから、無視してはならないが、人は信仰によって救われるのであるから、行動を重視し過ぎてはならない、というふうに整えられれば良いと考えていた。
このことでも人と議論したことはないが、ほかのクリスチャンもほぼ同じ事を考えているから論戦の必要はないと思ったのである。実際のところは、自分で考えたとはいえ、その頃の私の考えは、殆ど全て本で読んだこと、したがって人の考えを借りたものに過ぎなかった。だから、ほかの人も同じ考えであったに違いない。
もう一つ、これも本で読んで、受け入れたのであるが、この場合の本は、聖書、また聖書に関する本である。だから、思想を借り物として受け売りするのではないと思う。Iコリント15章2節で、「あなた方が徒に信じないで、私の宣べ伝えた通りの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われる」と言う。それに従うならば、こういうことである。
聖書では、「今の世」あるいは「この世」と「来たるべき世」を対置させる、この対置が「世」というものを把握する際の根幹となる。この「世」というのは世界の世を書くが、時代の代とも書く。すなわち、空間であるとともに時代という意味を持つ。時というものを離れて世界を捉えることは出来ないのである。
さて、私はこの世に生きているけれども、この世に属するのではなく、来たるべき世に属する。したがって、私は今の世と、来たるべき世との緊張関係を弁えており、その緊張関係を知る者として、信仰の決断に重点を置く。
今あげた二つの捉え方は、二つとも大事だと思った。二つの捉え方の間には一纏めに出来ないものがある。それは矛盾しているからではなく、我々の貧弱な知恵では神的真理をスッキリ纏めることが出来ないからであって、一つの説明でカヴァーし切れないところを他の説明で補うほかないのである。
しかし、世についてのこの二つの考えのうち第一のものを私は破棄と言っては言い過ぎかもしれないが、大幅に修正しなければならないと今では思う。どこが不具合かと言うと、その捉え方は啓示に即したものではなく、理性で考えただけという弱点を持っている。したがって「教会と国家」の二つの領域を考えに入れて論じることがこれでは十分出来ないのである。昔の人は理論的には未発達の点がいろいろあったが、国家というものについて、かなり深いところまで考えていたように思われる。この世の権力は世俗のものと言うほかないが、それでも、神が立てたもうたものであって、そういうものとして、主の故に重んじるべきであると教えた。これは、地上的権力に無条件で従い、絶対に抵抗してはならない、ということではない。権威は神から来ているのであるから、神に逆らうものとなった時には、もはや従うべき権威ではない。従わなくても良いというだけでなく、むしろ抵抗すべきだということになる。
この世における我々の生き方を論じる時、「教会と国家」の二つを結ぶ基軸を捉えることが大事だと私は思うのだが、それに共鳴せず、「教会と社会」という軸でしか捉えられないのではないか、と言う人が割合いる。少し大雑把過ぎる分け方だと私自身も認めるが、ヨーロッパよりもアメリカの神学に傾いている人には、教会と国家という言い方はしても、キチンと捉えられていない。本心は教会と社会しかない。
その人の信仰がヒューマニズムに成り下がっていると言い切ることはしないが、その人の国家観はヒューマニズムの延長である。だから、国家悪と戦うにしても、その基盤は自分の考える正義や自由で、神から示されたものではない。そういうわけで、どんどん弱体化して行き、幾らでも自己弁護が出来るのである。
教会と国家という二つの領域があるという言い方は、聖書ではそのままの形ではしていない。けれども、教会と国家という枠組みで捉える方法は聖書に基づいてキリスト教会の中で作られ、教会の歴史の中で磨かれて来た。4世紀に教会に対する迫害が止み、一転して教会が社会で厚遇されて以後、教会が堕落したという言い方は今日では常識化して、いろいろな機会に取り上げられている。それはそれで間違いではないと私は思うが、歴史的に、また社会科学的に「コンスタンティヌス体制」という言い方をすれば、勘所が掴めるわけではない。神学的にはまだ問題の指摘にまでも至っていない。
神学的には、「教会と国家」という枠を立てて考えるようになって、はじめて神学はこの問題の解明を始めたのである。それから千五百年余り、遅々たる歩みであったが、教会はこの問題を考えて来た。国とか国家という言葉は聖書に出て来ることは出て来るが、その意味と実態は必ずしも同じでない。
では、教会と国家という捉え方は、時代とともに変わって行くのか、というと、社会学とか政治学で扱うと、時代とともにどんどん変わるのであるが、神学はそのような変化する面を扱わない。
使徒行伝4章19節で、ペテロとヨハネは「神に従うよりも、あなた方に聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断して貰いたい」と言うが、ここに教会と国家についての最も基本的な捉え方が示されている。同じ意味の言葉が5章29節にも出て来る。「人間に従うよりは、神に従うべきである」。
ここには「国家」という言葉は出て来ないが、国家を考える時、最も基本的な点についてはこれで良い。
使徒たちが今引いた言葉を語った相手は、単なる私人ではなく、ユダヤの議会である。それは国家を代表するものとは言えないかも知れない。この議会はモーセの時代に、モーセを助けるために神によって立てられた長老という機関である。むしろ、教会と呼んだ方が適切ではないか。――そう言っても良い場合がある。しかし、この場合は国家に類するものと捉えるべきであろう。
細かなことをクドクド述べたくないが、古代のイスラエルにおいては教会と国家はしばしば合一している。荒野の幕屋で集会を開いたイスラエルの群れは、礼拝共同体であると同時に、政治的共同体であった。ここでは、教会と国家の分離はなされていない。やがて、イスラエルには祭司が立てられ、礼拝共同体を取り仕切るようになり、ズッと遅れて王が立てられ、祭司と王とは異なる機能を持つことがハッキリする。
王が立てられる前は、王の機能、すなわち統治という機能を果たす者はいなかったのかと言えば、いたのである。それは各氏族の長老であり、長老たちは氏族ごとに頻繁に会議を開くと共に、定期的に全氏族の連合の会議を開いていた。王はいなかったが王制がなかったというだけで、氏族連合という制度の国家はあった。
使徒行伝の時代、ユダヤの国家はなかった。ローマから派遣された総督が支配していた。確かに独立国ではなかった。しかし、無秩序なままに放置されていたわけではなく、総督ピラトによる支配が行なわれており、その支配のかなりの部分は70人議会による自治に任されていた。独立国という条件には当て嵌らないが、ユダヤの国はあった。
神は人類を最も優れた被造物、神の形を担う者として創造されたので、人類が無秩序なままに破滅して行くことがないように、「政治」また「制度」という人為的な業を行なって、自らを守ることを宜しとされた。そこで、特定の人が他の人々から権力の行使を委ねられるようにし、そのために立てられた者を重んずべきであるとされた。これはペテロが第一の手紙の2章13-14節で、「あなた方は全て人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい。主権者としての王であろうと、あるいは悪を行なう者を罰し、善を行なう者を賞するために、王から遣わされた長官であろうと、これに従いなさい」と教える通りである。
ペテロとヨハネが、「神に従うのと、人に従うのと、どちらが正しいか、考えて見よ」と言った時、「人」というのは単なる人間のことではない。単なる人について、これと神と、どちらが上かということを論じることは無意味である。ここで「人」と言われるのは、神の御旨に適って、権能を行使することを許されている人、その人は敬わなければならないと言われている人のことである。敬いまた従わなければならないのであるが、その人が窮極の支配者である神に反逆することを命じるならば、従わなくて良いばかりでなく、反抗する方が正しい。
これは使徒行伝で見られるように、キリスト教会の発足時における姿勢であり、それに留まらず、宗教改革の教会も信仰告白の一つの箇条として掲げた姿勢であった。そして、今日の教会にも共通する。
今日の教会の課題になっているものとして、「抵抗」というテーマに触れないわけには行かない。感覚的に言っているだけで、データを押さえて論じているのではないから間違っているかも知れないが、「抵抗」という言葉を聞く機会が多いように思う。勿論、抽象論ではなく、抵抗しなければならない時になっているではないか。教会として抵抗について毅然たる指導原理を示さねばならないのではないか、という含みで言われている。しかし、教会の中で「抵抗」という言葉が聞かれるならば、これに対する拒否反応も強くなっていると感じている人も少なくない。
抵抗を唱える人も、教会が立つか倒れるかに関わる問題として捉えているが、その逆の立場の人もそれなりの真剣さをもって教会の事を考えているかも知れない。それならば、これについて論じ合うべきであろう。軽々しく事を決めてはならない。
しかし、理論を窮めるとこまで突き詰めれば、正解か。そうではないと私は今のところは思う。今のところそうだと言うのは、将来もっと優れた道が発見される日があるかも知れないという意味であるが、それでも、その論法で得られた結論も、根底から覆されるだろうと思われる。
我々は考える機能を与えられ、十分に考えなければならないのであるが、考える機能によって真理に到達すると約束されてはいない。確信と慎みが必要である。我々に与えられている主の言葉はこう言っている。「あなた方は自分で気をつけていなさい。あなた方は私のために、衆議所に引き渡され、会堂で打たれ、長官たちや王たちの前に立たされ、彼らに対して証しをさせられるであろう。こうして、福音は先ず全ての民に宣べ伝えられねばならない。そして、人々があなた方を連れて行って引き渡す時、何を言おうかと前もって心配するな。その場合、自分に示されることを語るが良い。語る者はあなた方自身ではなくて、聖霊である」(マルコ13:9-11)。
終わり。