2005.10.03.


日本キリスト教会
日本軍慰安婦問題
と取り組む会


慰安婦問題になぜ関わるのか
――アジアの教会との関わりの中で――

渡辺信夫


  はじめに

 

 日本キリスト教会内での軍隊慰安婦問題との取り組みを、本格的、また積極的なものにしなければならないとの切なる思いが、今回の講演会の開催理由の一つになっていると私は理解している。命じられてこの講演を引き受けたが、私の講演で教会内の慰安婦問題に取り組む熱意が一挙に盛り上がるとは思っていない。むしろ、逆効果が出るかも知れない。状況はますます冷え込んで来て、慰安婦問題を扱う人々に対しては逆風が吹いている。
 ただし、私は不本意ながらと勿体をつけてこの講演を引き受けたのでは決してない。むしろ、喜んで、感謝して引き受けた。事情を言うならば、これまで慰安婦問題について纏まった話しをする機会がなかったので、以前からズッと考えることはしていたが、整理を着けていなかった。それらのことを、この際纏めて、信仰の証しを立てることが出来れば幸いだと思った。慰安婦問題についての講演をするのはこれが初めてであり、私の年齢を考えると、多分最後になる。
 慰安婦裁判支援で実践的な活動をなにがしかして来た。「実践的」と言ったが、私は団体の代表にはなっているが、活動的指導者ではなく、ただ推進する人々の意欲を失わせることのないように、と願って脇役の務めを果たすことを考えている。だから、慰安婦問題で講演をさせて欲しいと申し出たことはないし、また、講演を頼まれることもない。それでも、この運動に携わるからには、それなりの信仰の証し、また理論的な筋立てを持っている。それについては何時でも語る準備がなければならない。だが、実のところ余り準備は出来ていなかったのである。
 さて、今日の講演で、教会内に慰安婦問題についての関心が盛り上がることにはならないと言ったが、それは私が適任でないという理由だけではない。適任でないのも事実である。すなわち、私は、なるほど戦争をくぐって来て、今では数少ない戦場体験の生き残り組である。職業軍人でなくて、いわば臨時雇いの予備士官であるが、とにもかくにも士官であって、軍という組織の犯した罪を負わなければならず、その負い目から逃げることが出来ない者として生きて来た。それだけの責任を感じる経歴を持たない人とは、慰安婦問題でも、かなり違う意識と行動をして来たのは当然である。
 ところが、こと慰安婦事情について、私は直接的な知識を何一つ持たない。話しには聞いていたが、海の上で戦争していたから、そういう人を見たことがない。見たかも知れないが、全然気がつかなかった。――聞いていたと言ったが、陸軍部隊の中には大量の慰安婦がいたから、その噂が私の耳に入ったというだけで、正確な情報ではなかった。「朝鮮ピー」という呼び名は知っていたが、ピーというのは英語のプロスティチュートの略である。しかし、その多くが強制連行で連れて行かれた女性だということは全然知らなかったし、そうではないかと想像することもしなかった。
 自分も責任を負うべき分野であると意識するようになってからは、実状を知ろうと勉強している。だが、得た知識は主に出版された資料を通してのものである。近年は元慰安婦だった人に接して直接に聞いた体験談や、慰安婦裁判支援運動に関わって得た経験があるだけである。この程度の間接的知識では、素人のレベルであって、人を啓蒙し・説得する話しはまず出来ない。この程度で説得されては困るのである。
 もう一つ、私には惑いがある。それは、慰安婦問題であれ何であれ、話しを聞いて、感銘を受けても、そこから何かの実践行動が立ち上がることは殆どないのではないか、と経験上知っているからである。勿論、そういう話しがなされる必要はある。誰かが話さなければならない。だから、私も使命を感じて引き受け、一生懸命に語るつもりである。けれども、私の話しは強烈なパンチの効く証言でも、しびれさせる号令でも、巧みな話術による誘導でもない。たとい非常な説得力を備えた講演であったとしても、誘導されて始まった働きは、いつか息切れし、熱は冷める。
 では、息切れしないためにはどうすべきか。涸渇しない源泉を、みんなが銘々自分の内に、自分の手で掘りあてて持たなければならない。私に出来るのはせいぜい、皆さんが自分の内に源泉を掘って行く際の参考、あるいは示唆、あるいは祈りの勧めになるような話しである。そこまで出来れば上出来だと思っている。
 「号令」というものについて否定的に取れるようなことを言ったが、一つの運動には号令を掛ける人が必要である。ただ、私自身は号令を掛けない。私は号令嫌悪症になってしまった。これは私の身の内にコビリついた戦争後遺症である。号令を掛ける柄でない者が号令を掛けすぎた。そのトラウマで、PTSDになっている。そういうわけで、号令はそういう後遺症のない人に掛けてもらって、私はついて行く役を引き受けるのである。私は号令なしでも動けるが、私がそうだという実例を示したからといって、全体の運動が立ち上がることはない。号令が必要なのだ。
 行動の「源泉」という比喩を借りて語ったが、ハッキリ言って、教会では慰安婦のための運動に限らず、苦難を負う隣人への奉仕活動の「源泉」の水量が決定的に足りないのである。「お義理でやる」、「義務感からやる」、という人はいる。だから、号令が掛かると動く。クリスチャンであるだけに、重荷を負う人の問題は分かるし、割合まじめに課題を果たす。しかし、外から言われなければ動かない。自発的に課題を発見する能力が開発されておらず、ましてそこから行動を立ち上げて行く才覚がない。そういう訓練を教会で受けていない。このような働きは否定はしていないが、やり過ぎては信仰のために良くないのではないか、と何となく考えている。
 これは、教会が「ディアコニアあってこそ立つ」という初代教会的、また宗教改革的原理を疎かにして来たためである。このディアコニアについては後でまた触れたいと思う。
 
  韓国から負い目を指摘されて

 

 日本キリスト教会は、罪責を負う教会の課題の一つとして、慰安婦問題に立ち向かうことになった、という事情を思い起こそう。1990年のことである。ここに至る経緯、朝鮮長老教会への神社参拝強制に参与したことについて、今日は時間の関係で省略するほかない。私自身、日本キリスト教会の一般的な教会員が聞かされている程度の報告を、大会決議を携えて韓国教会に謝罪に行った人から聞いただけだ。私はそれを聞いただけで十分納得し、では、自分のなすべきことは何か、と捜し始めた。それ以上詳しい話しを聞かせてくれなければ何も動き出せない、というような感じは抱かなかった。
 詳しい説明がなくても良く分かり、すぐに何かを始めねばと考えたのは、私が自分自身の戦争責任という問題をズッと考えて来たし、軍隊というものを知っていたからである。教会の戦争責任について、60年代末から、雑誌論文や本を書いたり、あちこちで講演したりしてきたから、今日は何も言わないことにする。ただ、慰安婦制度を生み出した軍隊というものの実態については、これまで余り語らなかったので、少し触れる。
 軍隊という制度の中にはさまざまな悪がある。軍隊の実態は普通の市民には見せないし、また見えない。そこで軍隊を造った人たちがこれを美化しても、ウソだとは見抜けない。軍隊の中にいる人も、自分が或る意味で美化されるのに満足し、わざわざ軍隊の醜態を曝すようなことは通常しない。だから、普通に軍隊を見ている人たちは、見せられるままの軍隊が軍隊の本当の姿だと思ってしまう。
 軍隊は人殺し装置である。如何に効率よく多数の人を殺傷して戦闘能力を失わせるかが最重要課題である。その殺人意志は内側にも向けられ、サディズム(嗜虐性)となる。軍隊経験、特に下級兵士としての経験を持つ人には分かっていて、それが体験記や小説に書かれることも珍しくない。だから、経験がなくても読書によって分かっている人は多い。だから、このことには触れない。触れないけれども、知らなくて良いという意味ではない。軍隊というものの持つ不条理が見えなければ慰安婦問題は分からない。
 もう一つ、軍隊という集団の悪は、自分で浄化できるようなものではないので、その悪は軍人集団の外に吐き出され、軍人以外の人に処理が押し付けられる。これは軍隊の外の社会の問題として扱われ勝ちである。平時にはその通りであろう。慰安婦問題を一般社会の「買春問題」として扱おうとする人が今だに多いのはそのためである。しかし、日本の政府でさえ慰安婦制度に国家の関与があることを認めている。
 戦前は別として、日中戦争の上海事変段階以降、慰安婦制度が性病対策として軍隊組織のうちに取り込まれ、それ以来戦地にある陸上部隊では、いわば影として実物に必ず結び付くようになった。これは恥部であるから当然隠される。軍隊には多くの恥部があり、それは部外者には隠された。隠されていることはないものと看倣すという考えが内部においても日常化し、ますます大胆に悪とその隠蔽を行なって来た。隠されたものは敗戦時に証拠隠滅がなされた。実態を知らない部外者は、見えない物はない物と思い込みやすい。また兵士たちは命を捧げて国のために尽くしているという触れ込みがあって、兵士を崇高な存在と見る見方が作られてしまう。慰安婦制度は最も大きい恥部で、氷山の一角しか知られていない。実数も分かっていない。慰安婦問題とはそのような幅広いものであると捉えて貰いたい。
 私自身は慰安婦を見たこともない、と先に言った。それは、私がこの問題と全然関係がなかったということではない。軍隊にいたというだけで、繋がりがある。一例を語っておく。私は海防艦に勤務していたが、停泊中のある日、看護兵曹が「分隊士、今日は衛生教育を実施します」と報告に来た。「何だそれ」と質問して分かったのだが、性病予防の知識を授ける教育である。兵は一度はこの教育を受けなければならない決まりであった。これ以上のことは言わないが、性の問題がある。それは軍人でなくても各自に処理すべき問題なのだが、そこで病気を貰って来るということが起こり得る。艦内では治療が出来ないから、病気を持ち込ませない教育をする。それが「衛生教育」であった。道徳的要素は全然持たない講習で、性教育とも呼べない。性の問題を人格とか人権の問題として捉えないから、慰安婦とされる女性を非人間的に、性欲処理機関と扱うのは当然である。軍隊では戦時でなくてもしていたのではないかと思う。その要点はコンドームを必ず使えと命じることである。それを実行しないで性病に感染したならば、治療はしてくれるが、制裁を受ける。
 私は看護兵の職務の監督者ではないつもりであったが、艦には軍医はおらず看護兵曹が一人いて、艦内組織として彼は私の分隊に属するから、私に職務の報告をしに来る。そういう報告を聞くことが私の務めであったと気付いた。間接の間接かも知れないが、慰安婦問題に繋がるということはお分かりだと思う。軍隊の中で管理職の意味の職務を持たせられた者は、こういう問題を担わなければならなかった。
 もう一こと触れて置くが、陸軍部隊と海軍の特別陸戦隊、つまり陸に上がったままの海軍部隊には慰安婦がいた。海軍も慰安婦問題に相当深く関わっている。しかし、余り知られていない。慰安婦問題研究者に軍事知識がないから、陸軍と海軍が別々にやっていたことを一括して見ているようである。それなら、お前が研究すれば良いではないかと言われるだろう。その通りである。しかし、教会のために仕える召しを差し置いてこのことを研究するのは、少なくも私の職務ではないと確認している。さらに、もう一つ、海軍の海上部隊についてはどうか。陸軍の慰安所に相当する施設が軍港にはあったのではないか。あったのだ。しかし、どういう仕組みになっていたかを私は調べていない。それは民間業者の営みとして行なわれ、軍から補助金と現物支給があったのだと思う。士官のための施設は料亭の形を取っており、そこでは艦務会報と称する宴会が行なわれたが、宴会の後泊まって行く人もいた。そこには屡々投石があったことを聞いている。民間人が生活物資に不足している時に軍関係の所には贅沢品があったので民間人の批判があり、その投石を取り締まることは却って反感を助長するので、士官たちの自粛を求めるコメントがしきりにあった。

 

  問題の深みと広がり

 

 戦争の中で慰安婦たちがどんなに残忍な扱いを受けたか、訴える人は一生懸命に訴えて来たし、その苦痛に同情出来る人が多いから、比較的広く知られるようになった。その非人道的実状を語るならば問題の理解のためには手っ取り早いのだが、先に言ったように、私は実状を見ていないから、借り物の知識を披瀝しても話しは白々しく、感銘を呼び起こすことにならない。――まだ知らないという人は、読書なり何なりして知識の空白を埋め、その知識を想像力を用いてさらに膨らませ、生々しく捉えてもらいたい。
 ただし、書物を読むことによって問題が捉えられたということには殆どならない、ということも知って貰いたい。すなわち、慰安婦問題は戦争が終わるまでは、軍隊が彼女たちに何をしたかであったが、今ではそうでない。というのは、その問題が済んだという意味では決してなく、この60年間、国家がなすべくしてしなかった事後責任は何か、という戦後補償問題に問題の焦点が移ったからである。そこまで追跡調査しなければ、何も分かっていないのと同じである。
 さらに、60年間何もしなかったのは何故か。被害者が日本政府相手に損害賠償請求裁判を起こしても、全部敗訴に終わるのは何故か。日本は神の国だと考えているからではないのか。ここまで見きわめて置かねばならない。言葉を換えて言えば、国家に賠償をさせないのは誰であるか。また、どういう仕組みであるか。そこに我々自身がどのように関わっているか。――そこまで見えて来なければ、問題に取り組んだことにはならないであろう。
 90年頃から取り上げられ始めた慰安婦問題はアジア地域で強制的に徴発されて慰安婦とされた人々のことであるが、最初の頃は日本生まれの慰安婦もかなりいた。深津文雄という牧師が薄幸の女性たちの最後の時期に慰めを与え、人間として回復出来るようにと、千葉県に「カニタの村」という施設を建てていたが、この牧師も死に、彼女たちも死に絶えた。その当時もこの事業に対する理解は余りなかったが、国外の女性がこういう暴力を受けたと知った時、反応は国内の慰安婦の場合よりは大きかった。このようなことを知った以上、日本の名誉のためにも黙ってはおられない、という愛国心も作用した。アジアの慰安婦のことに関心が移ってしまって良いとは思わない。要は人間が余りにも粗末に扱われ、それについての関心が冷た過ぎたという問題である。私自身も当時この問題に冷淡であった。
 慰安婦問題を売買春問題の同類として見てしまう古い観念が未だに牢固として残っている。事実を調べて見ればスグ分かることなのに、調べようとしない。それには訳があるということに私が気付くのは遅かった。こういう事柄に首を突っ込むのはいかがわしいことに興味を持つ人間、という観念が行き渡って、おぼろげな知識をもとに人は論じる。キチンと知ることを避ける地帯を置いていなければならないと考えられている。
 この領域が曖昧なままであるから、売買春も解決しないし、性の問題は率直さを欠いたゴマカシになる。慰安婦問題が一般人の間ではなかなか真相が究明されない原因はこれだと思う。キリスト教も性問題の核心部に踏み込むことを避けたがる。昔、一時期、救世軍が廃娼運動をやってくれたが、他教派では品位を下げると思ったからであろう、おおむねこういう問題には触れたがらなかった。触れたがらなかった人々の責任は大きいのではないか。

 

  沈黙の50年

 

 もう一つ考えて貰いたいことがある。慰安婦問題の難しさは、女性の性暴力被害が一般にそうであるように、被害者が被害者であることを隠すところにある。被害者が声を挙げるまでに50年掛かった。オランダ人の少女が慰安婦にされた場合は早くから申告され、戦争中であったがその事実は国際的に知れわたって、軍はオランダ女性に対するレイプを止めざるを得なかった。そして戦後、加害者はBC級戦犯として処刑された。だが、アジア人女性に対する加害は、分かっていても追訴されることがなかったし、本人も被害の事実を隠した。ここには戦勝国によるアジア人蔑視という問題がある。
 性被害を受けた女性がその事実を語ると、被害を受けた方に落ち度があると看倣されて、周囲からバッシングを受ける。だから、言わない。語ると、もっと大きい被害が返って来る。強姦という犯罪はレッキとした犯罪でありながら、犯罪として立件して処罰することがなかなか出来ない。したがって、犯罪はなくならない。話しが飛ぶように思われるかもしれないが、米軍が駐留している沖縄で、米兵による性被害が今日もかなりある。その事実を訴える被害者が近年ボツボツ名乗り出るようになって、それで我々は漸く知った。それでも、まだ実態の全貌は知られていない。したがって、犯人が処罰されることは殆どない。米軍の優越権だけが保護され、被害者は泣き寝入りである。その実状を多数の日本人は知ろうとしない。そこにはさらに沖縄差別が絡んでいる。慰安婦問題はまだ続いている。これが我々の住む日本社会の歪みである。
 先ほどオランダの例を挙げたが、オランダ人なら皆被害の申告をしたかというとそうでもない。比較的多いというだけである。しかし、被害女性をさらに虐めるようなことはするまいとして来た社会がある。アジアには抑圧された弱い人をさらに抑圧する社会構造がまだ根強く残っている。その事実があっても何とも思わない。女性の人権を低いものと見る固定観念が抜き難くある。これは社会の改革と、社会に住む普通の人の意識の改革によって変えなければならない。道は非常に遠いのである。
 ここで視点を換えて、また新しく一つのことを取り上げたい。我々の周辺で一般的に見られるのは、慰安婦問題に取り組むのは当然女性であるという通念がある。それで良いのか、と疑う人は少ない。教会における慰安婦問題の集会も、女性の集まりであると考えている人が多いのではないか。今日の来会者の中には男性もかなりおられるので、結構であるが、だから、かなり進んだ社会でないかと見てはならない。
 社会の歪みの問題だという所まで明らかになって来たが、その社会は半数の女性と半数の男性から構成される。慰安婦問題の解決のために男性が参加しなくて良いのであろうか。男性のなかでの性問題が真面目に取り上げられるまでに男性自身が人権や人格ということを考えるようにならなければならない。
 私自身は上に述べたように、軍隊にいた責任を感じるので、慰安婦問題には関わって来た。90年に国際女性法廷が東京で開かれ、私は全期間は参加出来なかったが、都合のつく限り出た。そこである雑誌の編集者に会い、彼が国際女性法廷について雑誌に書いてくれるか、と言うので、一文を寄稿した。すると、それが韓国語訳されて、ある神学大学の発行する神学雑誌に載った。学問的論文ではなく、せいぜい神学的随想としか呼べないものがそういう雑誌に載ったのに驚いて、その訳者の来日の機会に、「あのような取るに足りない文章をどうして翻訳したのか」と尋ねた。この人は慰安婦問題の活動家女性であるが、こう答えた。「韓国では、慰安婦問題は女性の関心事であって、男性はこれを自分に関わりあることとしては捉えていない。だから、日本では男性も関わっているということを知らせたかった」。
 私はそれで納得して、韓国の人権思想の発展に役立ててもらえるなら、つまらない論文を発表して恥をさらしても良いと思った。
 日本の方がマシだと言いたいのではない。女性だけの運動になってはいけないと考えて努力している人が韓国女性の中にはいる。日本人女性よ、シッカリせい、と私は言いたいのだ。

 

  隠されたものを見ておられるお方

 

 重ねて言うが、問題の真相は隠されている。関与した人、加害者たちが隠すだけでなく、被害者も隠す。さらに第三者も、見たくないからなるべく見ないで済ませる。考えたくないから、なかったことにする。あるいは、被害者にとっては気の毒だが、戦争の中ではみんな苦渋を負って来たのだから、耐えてもらうほかないではないか、と被害者の負った苦難を第三者的に、なるべく小さく判定する、という問題である。
 神を信じる人は、こういう時に、神はどう見ておられるかを考える。人には隠されていても神は全てを見ておられる。人は見逃しても神は見逃したまわない。「神の前」という場を思い起こすことによって、全ての隠蔽は破綻する。だから我々にも見える。「見えなかった」と言えば免責されると思ってはならない。
 しかし、この論法は神を信じる人には通用するが、信仰を持たない人に押し付けることは慎重にしなければならない。ウッカリすると、自分を神の立場に立てて人を裁くことになりかねない。それでも、信仰者には二つの点で他の人と違った見方をすることが出来る。一つは神の前では誤魔化しが出来ないから、己れが真実を見抜いていると思い上がることはしないが、澄んだ目で真実を探求しようとする。その真実は人間がそのように思っているものではなく、永遠に真実として通用するものである。多くの場合、真実を隠すのは権力を持つ者である。そして、多くの人は真に恐るべきものを恐れないで、一時的な権力を恐れ、隠されたことを見破るのを躊躇して判断を誤る。しかし、神を知る者には権力の無責任をたしなめることが出来る。出来るというよりはすべきである。
 軍隊の悪が隠されると先に語ったが、隠す主体は軍隊を作る国家である。したがって、悪を隠す大規模な悪、これと対立することを考えなければならない。
 第二に、苦しみを負わせられた隣人に、自分自身が何をなすべきかを神の前でキチンと、誤魔化しなしに、考えねばならない。「己れの如く汝の隣り人を愛すべし」との御言葉が聞こえるのである。
 そういうわけで、第一点で見たように、誤魔化しなしに真実を掘り起こさなければならない。我々にこの世の悪人を裁く権威が委ねられているかどうかは軽々しく言えないが、悪を取り締まるべき公権力がその務めを怠っているなら、その無責任を追求するのは何ら越権行為ではない。まして、国家権力がその悪と、悪の隠蔽に関与し、その責任を取ろうとしない場合は、その無責任を追求することになる。主権在民の体制だからというだけでなく、これは教会の持つ抵抗権の一環として考えねばならない。
 ところで、ただ掘り起こせば隠れた犯罪事実が出て来るというわけには行かない。掘り起こす時の不注意によって、傷ついた人がさらに傷つく。だから、社会悪に対する憤りや正義感だけでなく、一つ一つの人間の魂についての深い配慮がなければならない。表側から見るだけでなく、内側から洞察しなければならない。
 第二点に関しては、私が何をすべきかの問題になる。我々は良心に照らして判断をし、行動をする。ことが困難であると見えても、諦めず、祈って神の助けを求めることが出来る。

 

 これらの広範な問題領域を取り上げて論じることは、一日二日ではとても出来ない。ただ、方向を定める平易な手がかりになるものがあるかと問われるなら、勿論ある。それは何か。第一に、「己れの如く汝の隣りを愛すべし」と言われるのであるから、人の痛みが分かること。本当の意味で分かるのでなければならない。本当の意味で分かるためには、虐げられている人の立場に立ってこそ分かる痛みというふうに言い換えればよいであろう。虐げられている人の実状は、通常、見えない。知らなくても済むようになっている。社会がそうなっていて、それを掘り起こすことは社会への反逆と看倣される。
 もう一つそれに添えて、神の前で自分の負い目が見えて来るという事実の一面がある。それを負うために自分のなすべきことは何か、それを追求する真剣さが必要となる。この真剣さがあれば、「あなたも行ってそのようにしなさい」という主の御声が聞こえて来る。この件についてはまた後で考えて見たい。
 第三に、神は全地の創造者また支配者であられ、イエス・キリストは「御心の天になる如く地にもなさせたまえ」と祈ることを命じたもうたのであるから、そのようなものとして世界を見なければならない。人間の権力の判断に委ねられていることが神の御旨から離れ過ぎてはいないかと監視する務めが、主の民にはある。すなわち、弱い立場の人の権利が侵害されてはならないということについて注意を喚起する務めである。

 

  教会として取り組むとは

 

 話しをまた初めに戻す。教会が慰安婦問題に取り組む意味が良く分からない、と言う人が多い。その人に対して、あなたは鈍感だ、あなたは不勉強だ、となじることは、間違いだとは思わないし、言い過ぎとも思わないが、これで問題が解決するというわけではない。だから、私は無関心な人たちを非難するつもりはない。むしろ、知るべきことを教会において教えられていない気の毒な人だと思っている。
 問題はもともと分かり難い仕組みになっているし、分かり難くするために我々一人一人がからんでいるという事情もある。それならば、分かっている者として、分かっていない人に分からせる労を執るべきではなかったか、と問われるであろう。確かにそうなのだ。けれども、少し違う面があるのではないか。「教会の業として」行なうというところに教会的な知恵を絞らなければならないのではないか。
 慰安婦問題に関わることは既存の運動体がしている。教会がこの運動に反対しているということなら問題であるが、現に教会に属する人でこの運動に参加している人もいる。その上さらに「教会として」何かをするということになれば、他の団体がやっていることの単なる後追いしか出来ないのではないか。こういう問いがあるであろう。その問いに答えられているであろうか。
 率直に言うが、「教会として慰安婦問題に取り組む」とはどういうことか。どういう独自性があるのか。教会の業として何が出来るか。……こういう問いについて真剣に考えられて来たとは思われない。「教会でもやっております。教会はこの世の現実に無関心ではありません」と釈明するためのアリバイ工作に過ぎないではないか、と見ている人もあるだろう。その批判に対して釈明する宣伝工作を始めたなら、もっとみっともないことになるし、何よりも教会の主が見逃したもうはずはない。
 これは初めに戻って仕切り直しをしなければならないことである。韓国の教会から要請されて、「ごもっとも」と言わざるを得なかったことは確かだ。意味を問い直す勇気がなかったなら、求められたことにはどういう意味があるかを内部で討議しなければならなかった。その議論を初めにして置けば良かったのである。しかし、初めにして置くべきことをしていなかったからと言って、白紙に戻す謂れはない。足りなかったことは、気がついた時に反省して補えば良い。
 二つの問題を良く見よう。一つは日本の教会の責任の取り方が韓国側からどう見えているかということ。言葉を換えて言えば、アジアがどう見ているかという問題である。人からどう見られるかを気にするのは、良心による反省ではないではないか、と言われるかも知れない。それはその通りであるが、日本人がこれまで欧米からどう見られるかを気にしながら、アジアの声を余りにも疎んじたことについて反省するのは当然である。隣人の忠告を謙虚に聞き、その勧めに含まれている意味をより深く掘り下げなければならない。慰安婦として日本女性でなくアジアの女性を用いたという問題があるではないか。
 もう一つは、韓国から特に要請されたとも言えないが、教会のもともと持っている務めである「ディアコニア」、これに関して目を醒ますべきである。ディアコニアを考えていたなら、この課題が与えられた時に何も難しいことはなかった。
 ディアコニアについて先にも少し触れたが、これは慰安婦問題を「教会として」取り上げるための基礎また前提である。この基礎がないから、問題が分からないのである。分からないまま、要請されたことを断れなくて引き受けたが、積極的な意味を見出しかねて、お座なりにやっているのではないかと見られる節がある。
 ディアコニアであるが、使徒行伝6章で見られる通り、初期の教会はすでに相当数の寡婦に日々の食事を提供していた。初めのうちは制度が整っていないから、主から仕えることを命じられた使徒が寡婦たちの食卓に仕えた。しかし、助けなければならない寡婦の数が見る見る増えて行き、援助が公平に行き渡らなくなる。それのみか、御言葉に仕える務め、すなわち説教の務めがおろそかになる危険が生じた。そこで使徒は教会員を呼び集めて、施しとか食事の提供の務めを負う7人のディアコノスを選出するよう提案する。ディアコニアはこうして制度化されたのである。助けを必要とする隣人を助けることは当然である。もし、そのような援助を自分の務めでない、と思う人がいるとすれば、主イエスの御言葉を思い起こして貰いたい。「これらのいと小さい者の一人にしなかったことは、すなわち私にしなかったことである」。
 以上は当然のことであるが、なお知らなければならないのは、教会がこの種の奉仕を心から実行しただけでなく、古くから制度的にやっていたという事実である。宗教改革の教会、就中、カルヴァンがその代表者として覚えられる改革派教会はこの制度をスッキリ仕上げた。教会が健全に建て上げられて行くためには、三本の柱が必要なのである。三つの務めである。説教の務め、すなわち牧師職。治める務め、長老職。仕える務め、執事職、つまりディアコニアである。執事職とは、教会内の下働きではなく、イエス・キリストが「私が来たのは仕えられるためではなく、仕えるためである」と言われたその「仕える」務めの代理を勤めることである。ディアコニア、執事職は私的な憐れみの実行ではなく、キリストの職務の公的な遂行である。韓国の教会が慰安婦問題を取り上げることを要請した意味はそこにあると見なければならない。
 韓国からこの要請があったのは、日本の教会が謝罪の思いを真実に持つなら、当然、慰安婦問題も理解できているはずだと見られていたからであろう。あのときから15年ばかり歳月が経過し、実状がかなり良く見えて来たが、日本の保守的大衆の中には慰安婦などというものはなかったと思う人が増えている。あるいは、そういう事実があったとしても、大したことではなかったと思うようになって来ている。教科書はついに慰安婦という文字を抹殺した。それは韓国側からは耐え難い苦痛なのである。日本の中でも教会は分かってくれている、という証しが欲しいのである。

 

  いと小さき者の一人になさざりしは

 

 すでに学んだことのおさらいであるが、「教会がなぜこの問題に取り組まなければならないのか」という問いに答えるためには、「善きサマリヤ人」の寓話に登場する祭司やレビ人を思い起こすことが適当であろう。彼らは半死半生の人が倒れているのを知っていたが、神に仕える務めを持つ自分には些末なこと、あるいは関わりないことであり、自分には先を急ぐ用事がある、と己れに言い聞かせながら通り過ぎていった。本当に仕事があったのかどうかも疑わしいのだが、それは今は問わない。しかし、通り過ぎる理由があったとしても、見て見ぬふりをすることが許されるかという問いは残る。
 イエス・キリストはどうされたか。………彼は静かな所に引きこもろうとしておられた時、病人が運ばれて来ると、自分の静かさは後回しにして、先ずその人を癒したもうた。「己れの如く汝の隣りを愛すべし」とはそういうことではないか。軍隊の性奴隷にされた人と、エリコ街道で強盗に襲われた人とは事情が違うのであろうか。「これらのいと小さき者の一人にしなかったのは、すなわち私にしなかったのである」という御声が聞こえるという点では同じではないか。何故これをするのか、と問う前にしなければならないことがあった。手を差し伸べなければならない人がいても、手を差し伸べないのはどういうことか、と問わなければならないのではないか。
 ところで、このような窮地にある人を助けるのは必要なことであるが、それは本来福祉行政の課題であり、行政の手の届かぬところは民間のヴォランティア活動として担うべきではないか、と言われるかも知れない。それと教会のディアコニアがどんなに違うかはすでに明らかだと思う。
 問題が広がり過ぎて収拾がつかなくなる恐れがあるので、極力簡潔に論じなければならないが、行政で何かが出来ていると思う人は実状を知ってから物を言って貰いたい。福祉行政に携わっている人を非難するのではない。今日の国家の政治の枠組みでは貧富の格差が拡大するばかりで、これは福祉行政の担当者がどんなに努力しても解決が出来ない。
 さらに慰安婦問題となると、今のところ国家の側では、何も責任がない、何もしないという姿勢である。これは慰安婦にされた人々の起こした訴訟が全部敗訴に終わっている事実から明らかになる。そのような国家の姿勢を放置してはならないから、それを国家に気付かせる職務がある。立法のための運動、裁判支援の運動がある。教会がこれを実行する時、これはディアコニアの一部であると我々は考えている。
 今後、慰安婦裁判で逆転が起こることはあり得る。しかし、被害の当事者の起こした裁判は殆ど終わった。生存している被害者はどんどん減って行く。そして、今日の日本における深刻な問題は、国家が正義に反する方向に傾いており、国家の機構の中でその歪みを是正する機能を持つ機関、すなわち裁判所が、正義の回復という自らの任務を放棄している点である。教会は長い歴史を通じて「教会と国家」についての思想を培って来た。教会の蓄積して来た思想的遺産を掘り出して役立てねばならない。
 被害者への配慮はヴォランティア活動によって果たされる部分もあるが、それに任せておく訳に行かないこともある。教会のディアコニアとヴォランティア活動の間に若干似ている面もあるが、本質的に別の領域のものである。
 すなわち、教会は不特定の私人のヴォランティア・グループではなく、公的なもので、神と隣人に対する責任を持ち、その務めのために制度を整えた団体である。この務めのために委員を選んでそれに担当すべき事項を委任する仕組みになっている。ディアコニアは、「奉仕活動をしたい人はやりましょう」と声を掛け合って出て行く活動ではない。お役所仕事とは全然違うが、教会の主から委託されたことを果たすのである。委員は自らに課せられたことが何であるかを祈って、熟考し、考え出して果たすのである。熟考しないなら何も見えて来ないであろう。教会には主から委託された課題がある。ヴォランティアには「主からの委託」という思いは全くない。だから、ヴォランティアが何かを始め、そのうちに止めても、それだけのことである。しかし、主からの委託を投げ出すわけには行かない。それを遂行するための力や賜物が欠けているならば、主に祈って賜物を頂かなければならない。
 我々の教会に課せられている課題を具体的に述べるならば、韓国の教会から、慰安婦問題に取り組むことによって、悔い改めの実を示すべきだ、と指示され、それに同意して帰ってきた謝罪使節は、求められたことの内容がどれだけの範囲のものであり、その主旨を教会内に浸透させるために何をすべきかを熟考しなければならなかった。自分で考えることが出来ないなら、考える委員を立てて委任し、それが正しく果たされたかどうかを、委任した側が検討すべきであった。現在、教会の委員会制度が、総体的に見て、機能不全に陥っているので、この問題は深刻に考えなければならないのであるが、今日はこれ以上は突っ込まない。
 どういう経緯で始まったにせよ、「慰安婦問題に教会として取り組みます」と対外的に約束したし、その約束が公けに報告されたのであるから、これが信仰告白に反するものなら別であるが、約束した以上は、信仰の証しに関わることとして懸命に担って行くべきである。これ以上の説明は不要である。「あなた自身を愛するように、あなたの隣り人を愛すべきだ」という神の戒めが分かっているなら、このような人がいることを知った以上は、直ちにことを始めるべきである。まして、課題を与えられたならば、この課題について不平を言うのではなく、主から恵みとして課題を与えられたと受け取らなければならない。
 ところで、慰安婦問題に教会として立ち向かっている教会は、日本国内にも海外にもない。韓国の教会は、私たちに「これをやれ」と助言してくれたほどだから、さぞかし先を走っているであろうと期待する人は多いと思うが、韓国でクリスチャンが慰安婦運動に対する指導力を持っているとしても、教会として関わっているのではない。私の推察であるが、韓国から要請されたことの主要な一つは、この問題について教会的に考え、考えたことを理論化しまた実践し、その報告を発信することだったのではなかったか。
 カトリックでは教会として取り組んでいるのではないかと思う人もあろう。かつては修道会に任せっきりであったこの務めを、教会的に取り上げようとする試みはなされている。「カリタス」という名で呼ばれ、我々のディアコニアに似た活動が行なわれている。「正義と平和協議会」という組織があって、代表者は司教である。昔からこの方面で活動している修道会は特別な課題に専念する使命を帯びる。如何にも充実しているように見えるのだが、実状はそうではない。何人かの熱心で有能な人がおり、国際的ネットワークを持っていて、情報は多い。だから大きい仕事が出来ているように期待されるが、実際の力は案外ない。何よりもカトリック部内の無関心層を駆り立てる力もなく、反対勢力を説得するだけの働きもない。――私はカトリックを貶める(おとしめる)ためにこういうことを述べるのではない。日本キリスト教会よりは余程シッカリやっていてくれていると思う。フィリピンにおける日本軍被害者女性は殆どカトリックだという事情もあって、そちらの方はかなり良くリードして貰っている。要するに、よそのグループを羨んでも何にもならない。
 さて、日本キリスト教会は、教会として取り組むという、他に例のない道を切り開くことをしているかと問われると、先に言ったように、そうではないと正直に答えるほかない。「慰安婦問題と取り組む会」というものが造られたが、この会も自分の道を見出してはおらず、力の源泉も掘り当てておらず、外部の運動から借りて来る発想に随いて行くだけの、二番煎じのアイデアを語っているだけのように見られる。他の運動から学ぶ謙虚さは確かに大事なのだが、学び取るだけでなく、他の運動体に我々の運動と発想のユニークさをもって貢献して行かなければ、教会として携わる意味が薄い。他に例がないとは、自分で道を切り開かなければならないという意味である。
 他から借りる発想としては、先に触れたように裁判支援と補償立法促進とがある。慰安婦問題に取り組む会としては、先に本岡さんの講演があったが、これは補償立法についてであった。それが先にあったから、私は元慰安婦の補償と名誉回復の法的措置に重点を置いて語って来た。私のして来たことも、ノンクリスチャンの運動体の発想と基本的には違っていない。指導的な原理を打ち出さなければならないとは私は考えていない。イエス・キリストは仕える者の道を行きたもうたように、キリストの民は仕えることを目指す。しかし、仕えることに徹するなら、独自なものが見えて来る。
 自分で自分の道を切り開くキッカケは、手近なところに幾らもある。例えば、教会の持つ国際的な繋がり。これを活用すれば、情報収拾は専門的知識を必要とするから難しいかも知れないが、情報発信は出来る。身の丈相応のことしか出来ないが、する気があれば広い射程が見えて来る。しようとしないだけである。源泉の水量不足なのである。

 

  人間回復を目指して 

 

 「慰安婦問題に取り組む」と言うが、具体的に何をするか。私自身が携わって来た実際経験をあげて語ることにする。
 私は、台湾の慰安婦の裁判の支援活動をする団体に加わった。そしてこの団体の代表に立てられたが、立候補して選ばれたのではない。私は私の戦争罪責感の重さ故に辞退できなかっただけである。私は先に言ったように号令が掛けられなくなった人間なので、号令は一度も掛けていない。運動方針を立ててみんなを引っ張って行くこともない。だから、裁判に敗けてばかりいたのだと言われるかも知れない。反論するつもりはないが、遥かに精力的に活動している方の指導する裁判闘争も敗けてばかりいたから、誰が代表になっても結果は同じであったと思う。しかし、こういう裁判闘争が必ず敗北に終わるとは思わない。勝つ裁判がめぐってくる。そうでなければ、裁判は公正の名を濫用する不正な装置でしかない。その日には適切に号令を掛ける人が立たなければならない。
 一教会の牧師が、裁判支援団体の代表になることは好ましくないと言う人はどこかにいると思う。自己弁護をするつもりはないが、今後のために言って置くと、牧師が代表を勤めることによる不都合はなかったと思う。牧師であるから教会の集会がある時は活動に参加出来ない。活動という面ではマイナスであったが、支援会の委員の方々はノンクリスチャンでも私の牧師としての職務を理解して、代表の欠けを補ってくれた。勿論、私も牧師の務めに支障のない限りは全ての行動に参加した。
 牧師の職務としては説教を語ることが最も重要であるが、このような運動に参加することによって説教の質が落ちることは決してないようにした。そのため、という訳では必ずしもないが、毎週の説教をインターネットに載せ、東京告白教会の説教が正しくなされているかどうか、検討したい人には自由に検討できる態勢を取った。そこまでやる必要はないと言われるであろうが、私にとっては慰安婦裁判支援はキリスト者の証しであるから、これが証しであると自分で評価するのでなく、外部からの検討が可能なように自分の務めをガラス張りの中に置いた。
 裁判支援活動のようなことをして、牧師の職務にマイナスにならないかと問われるなら、むしろプラスであったと私は思う。いろいろな学びを得た。一つだけ取り上げるが、裁判の原告となった元慰安婦の女性たちとつきあって、彼女たちの人間回復の経過を見守ることが出来たのは、人間というものを知るための上質の学びであった。初め、彼女たちは長い苦難と屈辱の生涯に痛めつけられ、オドオドしていた。或る人は原告になっていながら、実名が公表されることを拒否していた。しかし、日本国を相手の裁判闘争を重ねて行くうちに、彼女たちは逞しい人間になって行った。
 我々の関与を過大評価してはならないのは勿論であるが、人間としての尊厳を最も苛酷な方法で奪われて放り出され、廃人のようになっていた彼女たちが、日本国家と対決する中で、尊厳を回復して行ったのは見事である。先頃、台北市婦女救援基金会の企画によってこの被害者女性たちの写真展が開かれ、その写真を用いた写真集も出版された。日本では先ず三重県で写真展が開かれたのであるが、被写体となっている女性について面識のない来会者が多大の感銘を受けたと聞いている。私は写真集を見ただけだが、知っている顔が品位をもって写っているのに圧倒される思いであった。
 私にとって台湾以外の元慰安婦との交流はたまにしかなく、個人的な話し合いも十分出来ていないが、我々が台湾の元慰安婦との交流によって得たのとほぼ同じものが、他国の元慰安婦と日本にいる支援者との交流の中でも獲得されているということである。なるほど、と思う。
 「人間回復」という言葉は教会では誤解を招くかも知れない。すなわち、我々は復活の主イエス・キリストにおいてこそ真の人間回復があると信じている。日本軍の慰安婦とされて使い捨てにされ、廃人であった女性たちが、裁判闘争で鍛えられ、老境になって辿り着いた境地と、キリストと真実に出会った人の生まれ変わりを同一枠で論じてはならない。しかし、別の意味であるが、人間回復がここに見られる。かつては考えることが出来なかった国家との対決が彼女たちを強くした。キリストによる生まれ変わりを誇りげに言う人は、自分の生まれ変わりぶりが問われていることに気付くであろう。
 この活動に関与し始めた時、私にはこういった予想はなかった。日本という身勝手な国によって一生を台無しにされた人に申し訳ない。自分に出来る限り、償いをしなければならない、という動機しかなかった。しかし、これらの女性と共に歩む機会を与えられたことは、キリストに従う歩みに定められている私にとって、予想しなかった大きい学びを得る祝福である。
 この裁判闘争の間、被害女性と親しい交わりを持つことが出来たのは限られた人々であった。裁判の支援は口頭弁論が開かれる時に傍聴に行くだけで良いものではない。彼女たちを人格として理解しなければならない。そのために裁判のない時にも、時間と出費の許す限り台湾に行って、彼女たちをその生活の場に訪ね、一緒に生きるということを支援会のスタッフたちはして来た。支援会に入会している多くの会員にも同じような交流の機会を提供すべきだと私は考えていたが、実際問題としては殆ど不可能であった。しかし、裁判が終わった今、裁判で得られなかった物を獲得することに励まなければならないし、またそれが出来る道が開かれ始めた。来月に迫った支援会主催の台湾スタディーツアーはその手始めになるのではないかと期待している。

終わり

 

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