2005.05.15.


東京告白教会五旬節公開講演会


「誰があなたの隣り人になったのか」

渡辺信夫


 今日は「隣り人」ということについて、一緒に考えたいと願っている。この「隣り人」という言葉は、キリスト教ではよく使われる。しかし、ほかの社会では聞く機会が余りなく、馴染みがないかも知れない。それでも、聞いて分からない難しい単語ではないと思う。だから、「隣り人」ということばについて、解説することは省略しても良いのではないかと思う。
 そこで早速、問題に取りかかりたい。すなわち、隣り人同士の支え合いで成り立っていた社会が、急激に崩れて行く現代の危機という問題である。いきなり、そういうことから始めても、話しが通じなくはないはずである。今は、隣り人の見出せない、生きるのに苦しい時代である。
 どの国の言葉にも、「隣り」とか「近所」という意味の言葉、したがってまた、「隣りの人」、「近所の人」という意味の言葉はあると思う。言葉がある、というようなことでなく、人間と人間の間には、結び付かざるを得ない事情がある、と言うほうが適切であろう。
 少し前までは、近所同士の支え合いで社会が保たれていた。それが良かったと単純に言い切ることは出来ないかも知れない。というのは、隣人の結び付きが権力によって組織化されると、これは相互に監視し合う恐ろしい社会になるからである。人と違ったことを語ったり、考えたりしてはいけないのだ、と銘々は自己規制するようになる。一人一人の人間を押し殺し、自由も個性もなくしてしまう危険がある。――60年前までの日本は、典型的にそういう社会であった。隣組という組織が作られ、国の中の全ての人が戦争目的に結集させられていた。おかしい事をおかしいと感じることさえ出来なくなって行った。
 だが、必ずしも悪い面ばかりではない。隣りが助けてくれるから生きて行けた、という面もあった。かつての日本は貧しかったから、弱い庶民は支え合わなければ生きて行けなかった。今、生活の仕方が大分変わってしまった。金持ちになった日本人は、昔なら近所の人たちに支えられてこなしていた事を、行政のサーヴィスにやってもらったり、あるいは、サーヴィス業者に金を払ってやらせるようになった。例えば、葬式である。近所に死人が出ると、近所の人たちがワーッと集まって万事を取り仕切ってくれた。今では死者を葬ることに関する一切を業者がやってくれる。近所の人が何も知らないうちに、葬式は終わっている。
 業者は葬儀のあとの会葬者へのお礼の挨拶までやってくれる。故人とは何の関係もなかった人が、挨拶をする料金をもらって、挨拶をする。当然、鄭重ではあるが、心の篭らない、出来合いの、白々しい言葉を並べるだけである。それでも良いと考える人がいるので、こういうことでも商売になる。このように、一人の人の死が、一見鄭重に扱われているかのようであるが、その鄭重さは金銭で買った品物と同じである。自分の言葉で訥々と語る真実や、近所の親しさが、金銭に置き換えられてしまった。それに馴れて、オカシイとも思わない風潮になった。
 今挙げた例が全てであるとは勿論言わないが、隣人の結び付きで出来ていた社会が、見る見る崩壊していることは確かである。社会が崩壊しているため、一つの地域に人が大勢住んでいることはいるが、支えにならないという不安と孤独をめいめいが感じている。――これは、私に言わせるまでもなく、多くの人の感じている現代の問題である。そこで、現代にはこういう問題があるではないか、考えなければならないではないか、と人々に精神的な教えを与え、聞く人に考えさせてもらったという感じを起こさせ、考える人間になった思いを取り戻させている人もいる。そういうことも商売として成り立つ社会になった。

 

 しかし、そんな話しは聞き飽きたと言う人もいるであろう。我々の教会でも、かなり前から、公開講演を開く度に、社会の崩壊とか、人間の崩壊というようなことを、耳障りかも知れぬが、語っていた。それは今では誰もが語ることになった。これは大変なことだと思う人は殖えたけれども、思うだけでは何も起こらない。その間に、世の中はますます壊れて行った。
 「世界が壊れて行く」という警告を科学者たちが語り始めたのは新しいことではない。人々はその警告に気を留めなかった。警告する人は少数であるから、注目されなかったのであろう。科学者と言ったが、多くの科学者がいる。その殆どは利益を求める企業に雇われ、企業の利益に奉仕するのと引き替えに生活の資を得ている。だから、企業の不利益になることは分かっていてもなかなか言えないし、また事実が見えなくなってしまうこともある。しかし、少数の良心的な科学者が発する警告を聞く人は少しずつ増えた。
 何かしなければいけないと思い立つ人は、少ないながら出て来ている。隣り人がなくなったと嘆くだけでは何にもならないのだから、「自分こそが隣り人にならなければならない」と考えるとともに、人々にも呼び掛ける。こういう人がクリスチャンの中に比較的多いということに気付いている向きも少なくない。クリスチャンがそういう使命感を持つのは当然である。
 今日の講演会の題を見て、そういう話しを聞くことになるのではないか、と予想した人がいるかと思う。私はそういう呼び掛けを無意味な、あるいは月並みなことと蔑視するのでも、嘲笑するのでもない。今日、そういう訴えが必要だと考えている。ただ、今日の会ではそれと違う話しをしようとしている。つまり、隣り人のない時代の中で、私が隣り人になってあげなければ、と考えようと呼び掛けるのではなく、それを逆の側から考えて、「誰が私の隣り人になったか」、それを捜し求めようではないかと呼び掛けたいのである。
 キリスト教の講演会であるから、どうせキリスト教の宣伝だろうと予想した人もいるであろう。だが、その予想とはやや違った話しになると思う。むしろ、私としては、キリスト教が、「隣り人」、「隣り人」、と強調し、自分が隣り人になるのだという意識ばかり盛んに駆り立てるが、実際には隣り人になり切れていない。にも拘わらず、少なくとも他の人よりはマトモな隣り人であるかのように思い上がっている。そういうことはないか。そのことを反省をしようではないかと私は呼び掛けたい。
 
 自分自身の経験をさらけ出すのは恥ずかしいが、私は小さい時から「自分自身を愛すると同じように、隣り人を愛さなければならない」という聖書の言葉を教えられて来た。この「自分自身を愛すると同じように、隣り人を愛さなければならない」という言葉について、昨年秋の講演会で取り上げた。それを聞いたことを前提にして、今日の講演が計画された。それを聞いていない方も多いようである。聞いていなかった方のために、今その話しをここで繰り返すことも出来ないから、その講演の記録を読んで頂きたいとお願いしたい。とにかく、「自分自身を愛すると同じように、隣り人を愛さなければならない」。――これは神の命令であり、聖書の中では一番大事なことと言われるのであるから、逆らうことは出来ないと感じていた。
 「では、お前は神が分かっていたのか」と問われるかも知れない。分かっていたとは決して言えない幼稚な状態であったことは確かである。それでも、「分かれば信じる。分かるまでは信じない」というものではないということを、幼稚ながらに考えていた。キチンと分かることは大切であるが、「分かる」ということの延長上に信仰の地平が開けるというものではない。――この問題に今日はこれ以上は踏み込まないでおく。別の機会を設けて論じ合わなければならない。今日は、神の命令だから従うほかないと私が感じたということを、とにかく飲み込んで置いて貰いたい。
 ところが、「従わねばならない神の命令であることは分かっているが、それに従うことは私にはとても難しい」と私は長い間感じていたのである。だから、クリスチャンであると名乗り、またそのように振る舞ってはいたが、まともなキリスト教信仰に踏み込めていない後ろめたさを持っていた。この不徹底さを最終的に整理させられたのは、私の場合はハンセン病の人々との交わりによってであった。
 ハンセン病は昔、癩(らい)と呼ばれ、普通の病気ではないとされ、本人だけでなく、その家族まで恐れられ、したがってその偏見の対象とされた人たちは、非常な苦しみを嘗めた。実は普通の病気の一つに過ぎない。治療法が発見されていなかったというだけの理由で、特別扱いされていた。この病気を発病した人の多くは自殺を企てたが、人間はそう簡単に死ねるものではなかった。もっと痛ましいのは、この病気を負って生きて行く我が子が不憫でならないので、親が子を殺し、自分も死のうとした実例が少なくない。この病気を患った人たちを収容している療養所は、世界の苦悩を凝集させた場所と言われた。
 「天刑病」という忌まわしい名前まで使われていた。これは謂れのない偏見である。その偏見に基づいて、国家がこの病気を病む人に対して重大な人権蹂躙を行なって来たこと、そのことで裁判が起こされ、政府側が負けて謝罪し、補償金を支払ったということが先年あった。それでも、まだ偏見は根強く残っている。偏見というものは病原菌のように蔓延するし、条件が整えば発生し、温存され、再生もする。今日もまだ払拭し切れていない。医学的には解決した。行政の問題も一応解決した。しかし、人々の心にある問題、偏見や差別を生み出す歪み、これは殆ど解決していない。
 隔離しなければ伝染が恐ろしい、という考えから、そういう人を目につかない遠くへ追いやってしまう風潮が強い中で、キリスト教は比較的開けていた。イエス・キリストご自身が、この病気の人と人間らしい接し方をしておられたという、当時としては驚くべき例外的なことがあったので、キリスト教は、病者の救済に関しては最も熱心な宗教であった。教会内にも啓蒙活動は盛んであった。だから私も普通の子供としては、この面での知識は割合多く持っている方であった。しかし、不徹底な知識であるから、偏見の除去には役立たず、かえって人一倍の恐怖心を持ったというのが実状である。
 というのは、当時、「救癩」という言葉で救援活動をしている人たちが、この働きを意義付け、奉仕する人を美談の主に仕立て上げるために、病気の恐ろしさ、忌まわしさ、それを信仰によって克服して病者を愛したかを、誇張したからである。私は知恵が足りなかったからであるが、自分は信仰が弱くて、とてもその悲惨さを直視出来ないと思ってしまった。
 戦前からの一人の友人がいる。彼はある時、賀川豊彦の「しののめは羽ばたく」という小説を読ませた。それから言った。自分の父親はこの病気に罹り、長島愛生園という療養所でキリスト者としての生涯をすでに閉じたことを語った。その小説の主人公ではないが、それを取り巻く群像の一人として彼の父が登場していた。
 そのような最高度の秘密を私に語ってくれたことは、非常な驚きであったが、私に対する並々ならぬる信任を示すものであると私は受け止め、彼の真実に尊敬と感謝を持った。彼はついで、その父の足跡を偲ぶため、また父の友人であった存命者たちを訪ねるために、時々愛生園に行っているのだ。今度の春休みに行くことにしている。君も一緒に行かないか、と誘ってくれた。
 私のためになる学びと思って誘ってくれたことは分かったが、恐怖心を克服することは出来ず、しかも恐怖があると率直に言うことも出来ず、いろいろ理由をつけてそれを断った。彼の誠意が分かっているだけに、その真実に答えるだけの真実が私にないことについて、私はまた苦しんだのである。
 分かって貰えると思うが、こういう負い目の意識。これは、借金と同じで、利子がつく。負い目をケロッと忘れる場合もあるが、強烈な印象を受けると、その記憶は風化しないのである。その友人との交わりはズッと続いていたから、忘れることはなく、利子が殖えて行った。

 

 こういう、心苦しい、恥ずかしい状態を乗り越える機会が、20年後に訪れた。その間に戦争の経験があった。「あそこで私の人生は終わったはずだ」と感じることが何度かあったので、私はどんな所へも怖がらずに行ける人間に一応なっていた。「好善社」というハンセン病のクリスチャンのための団体から遣わされて、長島愛生園の中にある聖書学舎で講義をすることになった。
 恐怖心は使命感に置き換えられていたが、その使命感というものこそが問題だと悟らせられた。使命感によって道を切り開かねばならないほどの障壁は、もともとなかったのである。人間の空想、誤解、あるいは悪意が恐怖を作り出し、その恐怖を克服するために使命感を立ち上げ、その使命感の強調が恐怖心の増加という悪循環を作り上げていた。使命感を強調して意気込むことは、偏見を再生産することにしかならない。何も怖くないのに、障壁のようなものが立ちはだかっているかのように自分に思い込ませていた愚かさに気付かせてもらった。その島に隔離されている人と実際に話し合った時、偏見は何もしなくてもスーッと消え失せた。人間と人間との間に、意味のないものが意味あるもののように介入して来ると偏見が始まる。その介在物を取り除ければ、人と人とは隣同士なのだ。
 私の愚かさを捨てさせてくれた力は、向こうから来たのである。向こうの人が私の隣り人、私の兄弟であることを示してくれた時、私は隣人として、兄弟として回復された。私が勉強して、悟りを開いて、捨てるべきものを捨てるに至るという道がなかったとは言わない。そういうふうにして偏見を乗り切った人もいるのである。本来そういうものだ、と言うべきかも知れない。しかし、私の場合、自分の勉強や精進によって内側から開けるのではなく、外側から開けてもらった。
 「ということは、お前がそれだけの、つまらぬ人間だったというだけのことではないか」と言われるならば、「全くその通り」と答えるほかない。世間の人がまだ目を開いていなかった時代に、私が先覚者として何かをしたというなら、それもそれで人に教えるものが何かあったであろうが、遅れていた私が、人々のたくまざる好意に支えられて目を開かれたと語ることにも意義があると思う。
 20年前に友人が秘密を打ち明けてくれたのも、外からの働きかけであったということが見えて来た。こういうふうに、全て閉ざされた扉は、外から開けてもらうのだと、一般論として言おうとするならば、もう少し詳しい議論が必要であろう。外からヘンなものが入って来たかも知れないからである。だが、私に関しては一応これで解答になる。すなわち、隣り人という交わりは、こちらから「隣り人になってあげましょう」と言って出掛けるよりも、向こうから「隣り人として近づいて来る」という方向で始まるものなのだ。
 だから、外からの働きかけに応じる素直さが必要だということにはなる。「それで本当に全てなのか」と問われるであろう。理屈はいろいろ言えるが、今必要なのは理屈ではない。「私はこうであった」と言うだけで十分だと見て頂けるのではないか。
 
 「誰があなたの隣り人になったのか」という今日の標題は、聖書から取ったものであるが、イエス・キリストは「隣り人である」とか、「隣り人であるべきだ」という教え方はされず、「誰が隣り人になったか」という意味深い問い方をされた。答えを与えるのではく、問い掛けをされた。すなわち、考えさせて、自分で答えを得させるという教え方をされた。出来合いの答えがあって、それに自分を当てはめて行けば良いようにされたのではない。考えなければならないのである。見出そうと努めなければならない。「隣り人である」ということなら、誰でもそうであるつもりなのだ。しかし、実際は隣り人としてなすべきことをしていない場合が多い。
 聖書がそういうことを述べている箇所を引いて見よう。イエス・キリストは次のような譬えを語られた。

 

 「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物を剥ぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま逃げ去った。すると、たまたま一人の祭司がその道を下って来たが、この人を見ると向こう側を通って行った。同様に、レビ人もこの場所に差し掛かって来たが、彼を見ると向こう側を通って行った。ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人の所を通り掛かり、彼を見て気の毒に思い、近寄って来てその傷にオリブ油と葡萄酒とを注いで包帯をしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやって下さい。費用が余計に掛かったら、帰りがけに私が支払います』と言った。この三人のうち、誰が強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。

 

 これは新約聖書の中でも特に有名な「善きサマリヤ人の物語り」と呼ばれる物語りである。イエス・キリストの創作なさった寓話であって、実話ではない。しかし、荒唐無稽の作り話や興味本位のお伽話しではない。
 この場面を想像した方が出来事の全体を捉え易いかも知れない。エルサレムからエリコへの道。私は行ったことがないから見てきたように話すわけには行かないが、これはズッと下り坂である。途中に町はなかった。樹木の余りない山の斜面を降りて行くようである。盗賊が頻繁に出没したかどうかは分からない。人の行き来は割合あったはずで、そう危険な道ではなかったであろう。それでも、犯罪はあり、危険はあった。この場合の犯罪は、単なる物取りではなく、ローマの支配に対する抵抗運動のための資金集めであって、それが拒否されたから、物取りだけでなく、暴行を受けたのだと論じる人もある。大いにあり得ることだが、これに固執するだけの理由は十分ではない。
 旅人が持ち物も金も奪われ、暴行を受けて、半死半生の状態で道端に投げ出されている。いろいろな人が道を通りすぎる筈であるが、イエス・キリストは通行人を3人で止めておられる。半死半生になった人を見て、いろいろな人がいろいろな反応をしたであろうが、いろいろな反応ということには関心がない。反応は二種類であった。傷ついた人の隣り人になった人とならなかった人とである。ならなかったタイプの人は二人であるがその違いは無視される。二人ともユダヤの宗教家、祭司とレビ人である。一番尊敬されていた地位の人たちであった。
 隣り人になったのは誰か。それはユダヤの人たちから見て、よもや、と思われたような人、サマリヤ人であった。このことについては少し註釈をつけなければならない。サマリヤとユダヤは昔は一つの国であり、宗教も民族も一つであった。次に、別々の国になった。それでも、同族であるから争ってはならない、と自制していた。しかし、国と国の関係は次第に疎遠になり、北にあったサマリヤはアッスリヤという大国に侵略されて滅び、国のうちの主だった者は外国に連れ去られ、アッスリヤは他の国から他民族を連れて来て住まわせ、以来、民族も宗教も政府も別々になってと言われている。
 もっとも、この二つの国が別の人種、別の宗教の国になったかと言うと、そう伝えられたことは確かであり、サマリヤの住民の入れ替えがあったのも事実ではあるが、新しく入った人たちは結局、サマリヤにもとからあった宗教に同化したらしいのである。そして、ユダヤの宗教とサマリヤの宗教は、そう違うと言えない似たものであった。しかし、似ているだけに、却って対立が険しかった。そしてユダヤ人の側が断然優越感を持っていた。
 説明はこれくらいにしよう。この話しを良く理解するためには、自分自身がそこを実際に通りかかったと考えて見よう。私だったらどうするか。こういうところでは誰もが自分自身の身の危険を考えるであろう。もっとも、当時のユダヤの事情からすると、祭司やレビ人は人々から尊敬されていて、強盗に襲われることはなかったと言われている。そうであったかも知れないが、ここは良く分からない。
 イエス・キリストはこういう譬え話しによって、宗教家の実態がどうであるかを民衆の前に暴露されたのだと解釈する人もいる。すなわち、彼らは人前では良いことをして見せるが、人の見ていない所では、助けなければならない人がいても、見えなかったことにして、通り過ぎて行ったのだと真実を衝いた話しをされたのだというのである。私は牧師であって、いわばユダヤ社会における祭司に相当する立場にいるから、この譬えのこういう解釈にはギクリとする。自分はそうでないつもりではいるが、理由付けをして逃げ出すかもしれない。けれども、イエス・キリストがそういう意地の悪い例を持ち出して祭司の権威を失墜させようとされたとは思わない。彼は、非難すべきことがあれば、いつも堂々と正面から断罪されたからである。
 一般の人がこの譬え話しを聞いて、宗教家の偽善を笑い話にしたと見ても良いであろう。しかし、むしろ、よそごとではない、自分にもそういうことが大いにあり得る、と気付いて、恥ずかしくなる、そういう思いを味わわせる例話を引かれたのである。
 強盗もユダヤ人であり、強盗に傷つけられた人もユダヤ人である。祭司とレビ人もユダヤ人である。ユダヤ人である祭司やレビ人は、人々の模範にならなければならないのだから、傷ついた人を当然助けなければならない。そして、サマリヤ人はただでさえ憎まれているのだから、強盗に遭ったなら殺される可能性は大きい。そして、サマリヤ人がユダヤ人の面倒を見なければならないということはない。だから、サマリヤ人こそ、この場を見なかったことにして、道の反対側を急ぎ足に通って行ってもおかしくなかった。ところが、事実はその逆であった。
 イエス・キリストはこれを語り終えて、律法学者に「この三人のうち、誰が強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」とお尋ねになった。問われた者としては答えないわけに行かなかった。そして、「誰か」と問われたことについては、この答えしかなかった。実はこの場面は、この律法学者が質問した所から始まる。彼は自分の正しいことを主張するために質問を始めたと書いてあるのであるが、必ずしも不純な動機でなしに、律法学者同士が聖書の解釈について討論することはあった。この場合も真面目な探求心で討論を始めたと見て支障があるわけではない。
 この場合、隣り人を愛さなければならないと言われているが、「隣り人とは誰か」という問題から入って行った。隣り人について、この律法学者は或る程度の答えを持っていたと思う。それは、隣り人と言うに価しない人は隣り人として愛さなくて良い、という見解であったと思う。
 イエス・キリストはそれと真反対の見解を持っておられた。それはマタイ伝5章43節に記されている。「『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなた方の聞いているところである。しかし、私はあなた方に言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ」。
 キリストの教えがこういうものであることを、質問した律法学者が知っていて、「敵を愛する」というような甘いことでは、成り立たないではないか、と問おうとしたのかも知れないし、そういう悪意なしに素朴に質問しただけかも知れない。しかし、どちらにしろ律法学者は脱帽するほかなかった。
 隣り人がいて、助けなければならない。にも拘わらず、その人を助けないで逃げてしまう、隣り人が隣り人として見えなくなってしまう場合があるということを、譬え話で示されたのである。そして、よもやその人が隣り人であることはあるまい、と思われるサマリヤ人が隣り人であった。「裏をかく」と言っては不適切であるが、律法学者の思いもよらぬところから正しい解答が示されたのである。
 この世で犯罪が起こり、被害者が出て、誰かが助けなければならない。このような状況が日夜我々を取り巻いている。誰かが助けなければならない。それは誰か。私がそれにならなければならない、と思うのも一つの答えである。しかし、今日聞くのはそれと別な答えである。答えと言わない方が良いかも知れないのだが、それは思い掛けない人、よもやと思われる人である。
 ほんとうの意味で私の隣り人になって下さったのは、このイエス・キリストである。その方について、今日は何も語っていないのだから、この方こそまことの隣り人だと言っても、無理な言い方かも知れない。だが、そのことを言いたかったという私の本心は、納得は行かなかったとしても、是非聞いて、心に留めて置いて頂きたい。ただし、キリスト! キリスト! と叫んでおけばことが済むというふうには私は考えない。私はキリストこそが隣り人だということは前から知っていた。しかし、隣り人を隣り人として受け入れることは、出来ているつもりであったが、まだ出来ていなかった。隣り人ということのなかには、こちらが受け身になって受け入れるという要素があるのだ。そのことに目が開かれなければならない。
 善きサマリヤ人の譬えが示すように、隣り人はユダヤ人には「よもや」と思われるような人であった。あなた方にとって、よもや隣り人ではあるまい、と思われる人にこそ留意してもらいたいのである。この姿勢がないと、真の意味で隣り人として近づいて来て下さるお方を見落としてしまう。

目次