◆説教2001.11.11.◆

ヨハネ伝講解説教 第96回

――ヨハネ9:18-23によって――

主イエスによって目をあけて頂いた盲人は、「その方のことをどう思うか」と聞かれた時、躊躇わずに「預言者だと思う」と答えた。これは問うた人にとって迷惑な答えだったようである。主イエスが安息日に盲人の目を明けたもうた事件について、パリサイ人は正統的なのか異端的なのか、判断を下しかねていたのである。安息日に何の業もしてはならないという神の律法を破ったのではないか、という解釈と、生まれながらの盲人の目を明けることが出来た人が、罪人であると言えないではないか、という解釈とが争っていた。その決着がつかないうちに、「彼は預言者である」という癒された当人の証言があった。これを受け入れてしまうと、最終回答が出たとまでは言えなくても、決着に向けての方向が確定する。預言者は神から遣わされたのだから、これと争ってはならない。
 自分たちに不利な結論が出ないために、パリサイ人たちは、手を変えて、盲人が見えるようになった奇跡は事実無根だったとしようとする。生まれつき目が見えなかった人が生涯の途中で見えるようになるというようなことは、あった試しもないし、あり得ないことである。あり得ないことであるから、事実はなかったのだ、ということにしたいのである。目が開かれたというのは作り話しか、勘違いであったということが明らかにされねばならない。――18節の「ユダヤ人たちは、彼がもと盲人であったが見えるようになったことを、まだ信じようとはしなかった」というのはそういう事情である。
 信じない人は、信じないのが正しいということを立証しようとして手段を尽くす。先ず、生まれながらの盲人であった人と、今、目が明いてここに連れて来られた人とは、別人であることを証明したいと思う。だが、本人に聞いて見ると、「私がそれだ」と答える。目が見えなかった者が見えるようになった。その答えをユダヤ人たちは受け入れたくないのである。本人が、癒してくれた人は預言者である、とイエスについて好意的に言っているから、ますます怪しい。それは客観性を失った好意的な思い入れだから信用出来ないではないかと見たようである。
 近所の人は、この盲人が「私はそれだ」と言うのを受け入れたが、近所の人々はまだ信用ならないから、本人を同定するために、もっと確かな証言者として両親を呼んで来させた。この人たちは初めは意見を求められたはずであるが、彼らの姿勢はだんだん裁判官のようになって行く。それにつれて、初めはパリサイ人と書かれていたのが、ユダヤ人と書かれるようになる。権威ある公的な裁判になったということではないかも知れないが、律法学者の姿勢は裁判官の姿勢そのものである。
 「ついに彼らは、目が見えるようになったこの人の両親を呼んで、尋ねて言った、『これが生まれつき盲人であったと、お前たちの言っている息子か。それでは、どうして、今目が見えるのか』」。
 正式の裁判の時のように、この人が癒された当人であるかどうかの同定がなされ、生まれつき本当に目が見えなかったのかを確かめる。この時の雰囲気を理解する一つの鍵になるのは、22節の記述である。「もし、イエスをキリストと告白する者があれば、会堂から追い出すことに、ユダヤ人たちがすでに決めていた」。尋問の前に脅かしを掛けたということではないであろうが、両親は状況を知っていた。このことがあるから、両親は呼び出された時、嘘はつかなかったが、主イエスに味方すると見られる結果にならないように、口ごもった言い方しかしなかったのである。その「会堂から追い出す」ことに決めていたという事情は、パリサイ人が主イエスによってなされた奇跡を認めたがらなかったことの背景でもある。
 「会堂から追い出す」という言葉は、ユダヤ人の会堂から、したがってユダヤ人の共同体から放逐、追放、破門されることである。その具体的な実施の仕方は的確にはわかっていないし、この時点でその事実があったのを疑う人もいる。この「会堂から追い出す」という言葉はヨハネ伝にだけ現われる語彙で、3度出て来る。2回目に出て来るのは12章42節で、「しかし、役人たちの中にも、イエスを信じた者が多かったが、パリサイ人を憚って、告白はしなかった」と記される。イエスを信じて告白すると、会堂を追い出されるので、それを恐れて、信じたけれども告白しなかった者がいたという事情が記されるのである。
 三度目にこの言葉が用いられるのは、16章2節の主イエスの言葉であって、これは告別の説教の中に出て来る。「人々はあなた方を追い出すであろう。更に、あなた方を殺す者がみな、それによって自分たちは神に仕えているのだと思うときが来るであろう」と記される。これは初期のキリスト教信者は、ユダヤ人であるから、同時にユダヤ教の会堂に属し、そこから追放され、迫害されるという事情を主が予告したもうたものである。
 16章の御言葉は近い将来の苦難を予告したもので、これは分かるが、9章と12章に出て来る「会堂から追い出す」という言葉は、同時代のことを言ったとすれば分かり難くなる。次の時代に当てはめて読めば、かなり明らかになって来る。この言葉については後でもう少し詳しく見ることにしたい。
 初めに戻るが、盲人を見えるようにすることは、キリストであることの決定的な証拠とまでは言えないとしても、有力な証拠の一つであることは論ずるまでもない。思い起こす場面がある。バプテスマのヨハネが最後の時の近いのを予感して、獄中から弟子を派遣して、「来たるべき方はあなたですか。それとも他に誰かを待つべきでしょうか」と尋ねさせた時、主イエスは言われた。「行って、あなたがたの見聞きしたことをヨハネに告げよ。盲人は見え、足なえは歩き、ライ病人は潔まり、耳しいは聞こえ、死人は生き返り、貧しい人々は福音を聞かされている。私に躓かない者は幸いである」。マタイ伝11章、ルカ伝7章に記されていることである。
 バプテスマのヨハネのような人にとっては、盲人が見えるようになることはキリストの到来のしるしとして十分なものであった。例えば、イザヤ書35章5節には「その時、見えない人の目は開かれ、聞こえない人の耳はあけられる」とある。その時が来たのである。しかし、盲人が見えるようになるくらいのことでは大して感動しない人もいたのである。
 さて、「イエスをキリストと告白する者があれば、会堂から追い出すことにユダヤ人が決めていた」とは、キリストとユダヤ人の対立関係を示すものであるが、どういうことであろうか。そのように決めていた事実があるのであろうか。――もう少し遅い時期なら、そういうことがあったであろうことは容易に認められる。先も12章42から引いて、「役人たちの中にも、イエスを信じる者が多かったが、パリサイ人を憚って、告白はしなかった」というところを読んだが、主イエスのご在世中にこういうことがあったという証拠は見られないのである。だが、パウロがまだ回心していなかった時、イエスをキリストと告白するユダヤ人を裁判に掛けたのであるから、会堂から追い出すことは当然であった。だが、主イエスがまだ裁きを受けておられない段階で、ユダヤ人がこのような決定をくだしていたのであろうか。我々がこれまでに知っているのは7章32節にあったことであるが、祭司長とパリサイ人がイエスを逮捕させるために下役を遣わした。逮捕するとは裁判を開く用意があったことを意味している。もっとも、この時、下役は逮捕命令を実行しないで帰って来る。会堂から追い出すことに決めていたというのは我々には分からない。しかし、あり得ないこととも言えない。
 ユダヤ教の中に「会堂から追い出す」という呼び方ではないが、ほぼこれに当たるような戒規規定があった。いろいろあったのである。マタイ伝18章で、主イエスは将来の教会において守るべき秩序を定めておられる。それは、兄弟が罪を犯しているのを知ったなら、知った人が先ず一人で行って忠告し、悔い改めを促し、聞き入れられなかったなら証人を連れてもう一度行って忠告し、それでも聞かなければ教会に訴えて、教会の処置に委ね、教会にも聞かなければ異邦人のように扱え、と言われた。これがキリスト教会の最初の戒規規定と見られるが、ユダヤ教の会堂の戒規規定と幾らか似たところがあったと考えられる。その所で、最後的に異邦人のように扱うというのは、会堂から追い出すことに当たるのではないかと思う。
 「イエスをキリストと告白する」ことについては、先に引いた12章でも見たが、そういうことをした者は会堂から追い出された。イエスをキリストと告白することをユダヤ人が極度に忌み嫌ったことは理解出来るが、会堂から追い出すことをしなければならないほどの社会問題になっていたのであろうか。そうではなかったのではないか。この「告白」に関して、主イエスご自身が、ご自分のことをキリストであると公言しないようにと禁じておられたのは我々のよく知っているところである。マタイ伝16章20節、これはペテロが「あなたはキリスト、生ける神の子です」と告白した時であるが、「その時、イエスは自分がキリストであることを誰にも言ってはいけないと、弟子たちを戒められた」と書かれている。それは十字架と復活の成就する時までいわば封印されていた。
 主イエスご自身が禁止されたのと全く別の意味においてであるが、ユダヤ人の社会で、イエスがキリストであると告白するのは、ユダヤ教信仰からの逸脱であった。伝統的宗教を破壊するまがまがしい流行と見られたであろうとは考えられるが、十字架以前にイエスをキリストと告白するユダヤ人がいて戒規に処せられた事実を見出すことは難しい。しかし、イエスがキリストであると心の中で期待する人がいたことは確かである。それを予防するために、追放処分をもって威嚇したことはあったかも知れない。またイエスを信じていない人でも、彼がキリストであることが全くあり得ないと判断するのは無理であった。メシヤはイスラエルの中から出現するのであるから、イスラエルならばキリストになることがあり得た。ただし、可能性があると認めることと、信じて告白することとは全然別である。
 「告白」という言葉は教会用語として定着したものである。すなわち、信ずるところの御名を告白して、洗礼を受けて、正式に教会の肢となったのであっる。順序としては先ず基本教理を教えられ、告白する信仰についての確実な知識を得た人が、告白し、父と子と聖霊の名によって洗礼を授けられた。
 今日学んでいる聖書箇所では、告白という語は出て来るが、立派な告白をした例証について真の告白がどういうものかを学ぶのではない。両親が告白を避けた実例、また本人が告白に到達した実例について学ぶだけであるから、今回は告白について十分触れることは出来ない。ただ、ここでは、告白そのものではなく。「イエスをキリストと告白する」ことについて学んでいるのであり、ここにこそ告白の真髄があるということに触れて置かなければならない。
 ユダヤの議会がナザレのイエスを死刑にする決定をした時、彼らはこの人がメシヤであることも、預言者であることも決してあり得ないと確定したのであって、それ以前には、メシヤであるかも知れない可能性、預言者かも知れない可能性は残っていた。可能性があるからといって、そうであると断定し、そう告白することは出来ない。
 イエスがキリストであると告白することは、いずれにしても出来なかったのだが、秘かにそう期待することは出来たし、イエスをキリストとは言わず預言者の一人と見ることも禁じられてはいない。
 したがって両親がここで憚ったのは、禁じられていることではなくて、それに幾らか近付くこと、あるいは近付いていると見られることであった。すなわち、「私たちの息子の目をあけてくれたのはナザレのイエスです」と言っても、それだけでは追放にならなかったはずであるが、疑われるかも知れない。つまり、必要以上に恐れたのである。
 確信のない所では、恐れはどこまでも増えて行く。例えば、僅かの金があるだけでも今日一日の生活に足りる。いや、何もなくても神が守って下さるという信頼があれば平安に生きることが出来る。明日のことを思い煩わなければ、今日のことは今日一日で足りるのである。ところが、信頼のない人は、万一の場合のための蓄えが必要であると考える。ところが、蓄えが出来ると、その蓄えがなくなる恐れが出て来る。たしかに、蓄えたものがなくなる事故が全くないとは言えない。そうすると、別の所に蓄えをしなければ心配になる。それで安心か。いや、まだまだ心配は増えて行く。このようにして、不安はどこまでも拡張して行く。
 仲間から放逐されることも恐れである。イエスをキリストであると告白すると、身に危険が及ぶ。一旦恐れが身に付いてしまうと、危険を避けるためには、イエスをキリストと告白しないだけでなく、イエスを憧れもしないし、良い人だと評判を立てることもしない、いや、その人のことは何も知らない、その人は私と何も関わりがない、というふうに、どんどん関係を断ち切って行くのである。
 ちょうど、ペテロが大祭司の家の中庭まで入り込みはしたが、人から声を掛けられると、怯えて、「その人のことは何も知らない」と言ってしまったようなものである。あの人と一緒にいたことがあるではないかと言われても、直ちに身に危険が及ぶわけではなかった。たとい危険であるとしても、そこで悪びれずに言い表すことが出来たのであるが、恐れを抱く人は、恐れなくてよいことまで恐れ、恐れをどんどん増殖して行く。こうして、不安から貪りになり、また飽くことを知らない軍備拡張にもなる。
 両親はこの人が自分の息子であること、生まれつき目が見えなかった事実を認めなければならない。それを否定すれば偽りの証しを立てることになる。20節に、「両親は答えて言った、『これが私どもの息子であること。また生まれつき盲人であったことは存じています』」とある通りである。
 両親はこれを証言の限界にしようとする。それ以上は言うまいとする。「しかし、どうして今、見えるようになったのか、それは知りません。あれに聞いて下さい。あれはもう大人ですから、自分のことは自分で話せるでしょう」。
 ここに嘘はない。しかし、両親は語るべき真実を語り尽くしたか。いや、語るべきことの幾分かを保留している。それは本人に語らせるべきであるという言い分は一見正しい。本人がもう大人であるから証言能力が十分あるということも真実である。伝聞では証言にならないから本人に語らせるのは大事である。それでも、語るべきことをまだ語っていない。生まれつきの盲人の目が見えるようになって、一家が如何に喜びに浸ったかは証言できた。証言すべきであった。それは語られない。キリストとの関係が彼らの家にも入って来たのであるが、それを外に置き、距離を保ち、無視して置こうとしたのである。
 両親が語らなかった最大のものはイエスの「名」である。イエスという方が目をあけて下さったことを息子から聞いたのに、親たちはそれについては黙り通そうとした。本人が語れば良い、というのは一応正しいかのようである。しかし、主が如何に大いなることをわが家にしたもうたかを聞いていて、それを証言しなくて良かったのであろうか。
 この9章では生まれ付き盲人であって、見えるようになった人が、初めは「私がそれだ」という証しから始まったのであるが、神から遣わされた人へと目が開かれ、次第に「告白者」として育って行き、遂に告白の真髄に到達する経過が示されている。それと対照的な、出来るだけ真の告白から逃げようとする両親の姿勢も見ることが出来る。自分が語らず人に語らせる。言うべきことを残りなく語るのでなく、感謝を語りきらない。イエスの御名を十分鳴り響かせない。その間違いを犯さないように警告されるのである。

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