◆説教2001.10.14.◆ |
ヨハネ伝講解説教 第93回
――ヨハネ9:6-7によって――
「イエスはそう言って、地に唾をし、その唾で泥をつくり、その泥を盲人の目に塗って言われた、『シロアム(遣わされた者、の意)の池に行って洗いなさい』。そこで彼は行って洗った。そして、見えるようになって帰って行った」。
すでにこれまでの解き明かしで明らかになったように、この出来事のなかで一番大切なのは「シロアム」という言葉、その意味するところである。この「シロアム」、遣わされた者、神から遣わされた御子キリスト、さらにキリストから遣わされる者、これに目を開かれることが当然重要になって来る。すなわち、単なる奇跡ではなく、遣わされたお方、イエス・キリストに目を開かれ、キリストから遣わされた己れ自身に目を開かれる奇跡なのだ。 この奇跡は、ただ生まれつき目の見えなかった人が見えるようになった奇跡、というだけの出来事と同列に扱うことの出来ない特別な奇跡である。すなわち、主イエスの奇跡は一般に、神の国が力をもって近付いており、それが或る意味で始まっていること、神の国の力を持ちたもうお方がここにおられることを感じさせずに置かない徴しであるが、そういう徴し以上のものである。すなわち、何かを指し示す徴しという以上に、指し示されている事柄そのものの現われ出たものでもある。 福音書に記されている盲人の目を開きたもうた奇跡は数多くあるが、その殆どが、比較的単純な動作として実施されたことを我々は知っている。すなわち、多くの場合、主は盲人の目に手を当てて祈りたもうたのであろうと理解される。さらに、時には、ただ「見えるようになれ」と言われただけであった。キリストの力を示すためにはそれで十分であった。 ここでは、地に唾をし、その唾で泥をこね、その泥を盲人の目に塗り、それから、シロアムの池に行って洗え、と言われ、彼をシロアムに遣わされたのである。そしてその人が池で目を洗うと目が見えるようになったのである。それゆえ、一連の出来事の一齣一齣を見て行くべきであると思われる。それは、主のなさった「行為」、盲人に対する「命令」、また盲人の行なった「服従」という要素から成り立っている。 盲人が命令に服した事実は、この出来事の見落としてならない一部である。しかし、この奇跡が盲人の協力によって成り立ったと言うならば、明らかに間違いである。いわば脇役のいない、イエス・キリストの独り舞台である。この盲人は、その服従の業を含めて、言うなれば主役によって用いられる小道具である。では、取るに足りないものかと言うならば、そうではない。こうのように、小道具を用いて行ないたもうたこの出来事の含んでいる意味の豊かさを、手抜きなしで読み取って行きたい。 主イエスのなされたことでは、先ず、唾を塗られたことがあるが、泥を捏ねるのでなく、ただ唾だけをつけて癒しの奇跡を行ないたもうた事例がマルコ伝8章23節にある。それはベツサイダで行なわれた。「イエスはこの盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その両方の目に唾をつけ、両手を彼に当てて『何か見えるか』と尋ねられた。すると、彼は顔を上げて言った、『人が見えます。木のように見えます。歩いているようです』。それから、イエスが再び目の上に両手を当てられると、盲人は見詰めているうちに、治ってきて、全ての物がハッキリと見え出した」。――これは、盲人の目を開く奇跡の一つのケースをかなり詳しく、かつ生き生きと描いている記事である。マルコ伝の7章31節以下には、デカポリス地方を通り抜けて、ガリラヤの海辺に来られた時、人々が、耳の聞こえない、口も利けない人を主イエスのもとに連れて来たのでお癒しになったことが書かれている。この時もその人の舌にご自身の唾をつけて癒しておられる。 唾を用いたもうことは他にも割合多かったと見て良いであろう。すなわち、人は大昔から唾の持つ治癒力を知っていて、これが伝承され、怪我をしたときには唾を付けて治した。民間療法の中では最も広く普及したものである。薬屋で売っている薬や医者がくれる薬よりも良く効く場合がある。 シロアムの池の奇跡の場合にも、そのことを考え併せて良いであろう。唾と泥が癒しのための薬として使われたと考えることは間違いではない。泥を薬として用いる例は珍しいものではない。だが、ここでは、唾は泥を捏ねるために水の代わりに用いられたと取った方が良いのではないか。そして、泥をここで用いたもうたのは、薬であると見るよりは、神が土を捏ねて人間を造りたもうた、という旧約聖書の最初の物語りへと我々の思いを向けさせるための道具であると受け取りたい。すなわち、主イエスはこのことを通じて、新しい人間の創造がイエス・キリストによって行なわれるということへと我々の注意を喚起したもうのである。 勿論、新しい人間の創造が一瞬にして出来たということではない。今学んでいる出来事も、新しい人間が少しずつ目を開いて行く事情を我々に示している。生まれつきの盲人の目を開ける奇跡があって、その次にこの奇跡に対する反応とその展開があったというのではなく、9章全体が一つの奇跡をなしていると読んだ方が適切である。38節の「すると彼は『主よ、信じます』と言って、イエスを拝した」というところが奇跡の完成を語っているのである。見えなかった目が見えるようになったというだけでは、奇跡はまだ終わっていないのである。「主よ信じます」という告白、そして彼を拝する礼拝まで行かなければならない。 主イエスはこのように処置して置いて、次に「シロアムの池に行って洗え」と命じたもう。行くことと洗うことと、この二つが結び付いている。この場で癒しが行なわれたのでなく、シロアムまで遣わされて、そこで主の御業を見たのである。先ず行かなければならない。 ここで「シロアムの池」について語ることは、絶対不可欠と言うほどのものではないが、この池のあった場所や来歴はよく分かっているから、触れて置いて無駄ではないであろう。これはエルサレムの下手、ケデロンの谷の一角から湧き出していた泉の水をトンネルで下に引いて集めた溜め池である。列王記下20章20節にヒゼキヤ王が貯水池と水道を掘ったことが書かれているが、この貯水池がシロアムの池であるということは異論なく承認されている。 この池はエルサレムがバビロン軍によって破壊された後にも残り、バビロンに捕らえ移された者らが帰還した時も残っていたのであり、ネヘミヤ記3章15節に「シラの池に沿った石垣を修理し」とあるところの「シラの池」は「シロアムの池」のことであると考えられる。また、この池はネヘミヤ記2章14節に「王の池」と呼ばれているものと同じであると思われる。 今、シロアムと同じ意味の「シラ」という言葉を見たのであるが、「シロ」という呼び方もあった。創世記49章10節にあるヤコブの祝福の中に、「杖はユダを離れず、立法者の杖はその足の間を離れることなく、シロの来る時までに及ぶであろう」と言われる。 シロという言葉は明白ではないが、来たるべき者を指すことは確かである。これは地名とは関係ないが、シロはシロアムと同じである。つまり神から遣わされるメシヤのことである。シロアムという言葉がさまざまに簡略化されて語られた。 昔の記録によれば、シロアムの池はエルサレムの城壁の外、もしくは内側の直ぐの所にあった。ルカ伝13章4節に、「シロアムの塔が倒れたために押し殺されたあの18人は、エルサレムの他の全住民以上に罪の負債があったと思うか。あなたがたに言うが、そうではない。あなた方も悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう」という、現在の我々に感銘深く受け取られる主の御言葉がある。聖書本文から逸れたことを言うが、110階建ての高層ビルが崩れて六千人の死者が出た事件を今日の我々はここで連想せざるを得ないのである。したがって、今日の我々は我々自身の悔い改めを促されずにはおられないのである。シロアムの塔というのは、城壁の一角の櫓ではないかと推定されるのであるが、シロアムの池から遠くない所にあったのであろう。 イザヤ書7章に、スリヤ王とイスラエル王が連合してエルサレムに攻め寄せた時、ユダ王アハズに会って預言を伝えるために、預言者イザヤが息子シャル・ヤシュブを伴って上の池の水道の端に出て行くくだりが述べられている。今日はその預言に触れないが、非常に有名な、また重要な箇所である。これはスリヤとの戦争に当たって、水の確保が心配でならなかったからアハズが視察に行ったことを示すのであるが、王は上の水道を見に行ったのである。また、この場所はエルサレムの町では一番高い所で、それだけに城壁が最も低くなっていて、攻め破られる危険性が最も大きかったらしい。だから防備を確かめようとして見に来た。このように不安に駆られている王に預言者は、落ち着いて静かにし、神に寄り頼めば救われる、と信仰の勧めをする。 同じイザヤ書36章に、アハズの次のヒゼキヤ王の時代に、アッスリヤ王セナケリブが大軍を差し向けてエルサレムを攻めさせた時、その将軍ラブシャケが同じく「布さらしの野へ行く大路に沿う上の池の水道の傍ら」まで来て、兵士の聞いている前でヒゼキヤを罵り、神に信頼することの愚かさをあざ笑うくだりが書かれている。 上の池、上の水道というからには、下の池、下の水道があったわけであるが、それがシロアムの水道である。アハズ王の代には下の池と水道は完備していなかったのではないかと思う。アハズの子であるヒゼキヤがこれを造ったのである。水道が完成したのは紀元前680念頃であったと思われる。 しかし、水源の泉あるいは井戸はずっと昔からあった。ダビデがエルサレムを先住民エブス人から奪う前から、井戸は町の城壁の下にあって、その水は縦穴によって城内に汲み上げられていたらしい。そのことが、サムエル記下5章8節にある「水を汲み上げる縦穴から登って行って」という言葉から読み取れる。井戸に侵入して、その縦穴をよじ登れば、城内に忍び込むことが出来たのである。その泉は「ギホンの泉」の名で呼ばれた。 シロアムの池はそのように、ヒゼキヤの時代に出来たが、それ以前から泉はあったのであり、それは水量が多いとは言えないが、流れ出ていた。イザヤ書8章6節に、「この民は緩やかに流れるシロアの水を捨てて、レヂンとレマリヤの子の前に恐れくじける」との不信仰の叱責の預言があるが、この言葉の中にある「シロアの水」はギホンの泉から流れ出る流れの名前であった。シロアもシロアムも同じ意味である。シロアの水の流れて行く先に造られた溜め池がシロアムの池である。 今イザヤ書8章から引いた言葉は、シロアの水が神の御守りを象徴するものであり、それは勢いたけく、漲りわたる大川の水に対置されている。そしてシロアの水では足りないと見て神への信頼を放棄する者には、大川の水がせき入れられ、すなわちアッスリヤの軍勢が全土を席巻し、国の破滅を来たらせると言われる。 主イエスの当時、仮庵の祭りの終わりの日に聖所の床に水を流す儀式があったことを、7章37節との関連で述べたが、この水はシロアムの池から汲むことになっていた。だから、その日、主が「誰でも渇く者は、私のところに来て飲むが良い。私を信じる者は、聖書に書いてある通り、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」と言われたのである。 「シロアムの池」という名を唱えるごとに、人々がそれらの関連を思い起こしたかどうかは分からないが、エルサレムの歴史を思い返す時には、かなり重要なことを物語る地名であることは確かである。 しかし、この盲人の乞食がシロアムという名を聞いて思いめぐらすべき事項を良く考えたであろうか。恐らくそうではない。彼が見えるようになってそのまま帰って行ったことは、彼の忘恩ぶりをよく示していると見てよいのではないか。目は見えるようになったとはいえ、本当のものはまだ見えていない。 「シロアムに行って洗え」と言われて、この盲人はそれに従ったのであるが、反抗しなかったというだけで、心から服従したわけではない。また、何か良いことがあるかと期待したのかどうかも分からない。彼が見えるようになることを激しく求めていたと想像する根拠もないのである。むしろ、嫌々従ったと考えた方が実情に合っているのではないか。原型があるのである。 主イエスが町で盲人に出会いたもうた地点からシロアムの池まで、多分道は下り坂になっていたと思うが、下って行ったことを取り立てて問題にすることは差し控えて置く。 ここで思い起こされるのは列王記下5章8節以下に記されるスリヤの軍勢の長ナアマンの物語りである。彼は重い皮膚病に罹った。イスラエルから略奪して来た一奴隷少女の話しで、サマリヤにいる預言者エリシャのことを知り、是非癒して貰いたいと願って、スリヤ王の添え文を携えて来た。 預言者エリシャはナアマンに直接会いもせずに、使いを介して、「ヨルダンに行って七たび身を洗え」とだけ指示した。ナアマンは憤慨して、こんなことなら国にはもっとましな川がある、と言って国に帰ろうとする。ナアマンの僕たちが主人を諌めて、駄目でもともとだから、無駄と思っても、とにかくやって見よ、とヨルダンに行って体を洗わせる。七度体を洗うと癒された。このことを我々は主イエスによる癒しの下敷きとして、あるいは原型として思い起こすべきである。 盲人はシロアムの池に行って目を洗った。「洗う」という言葉も大事な意味を秘めているように思われる。我々はヨハネ伝13章で主イエスが弟子たちの足を洗いたもうた出来事を学ぶのであるが、主イエスは単に謙遜の模範を示したもうただけではない、洗うことの意味を示しておられる。「すでに体を洗った者は、足のほかは洗う必要がない。全身が綺麗なのだから」。体を洗った者も足は洗い続けなければならない。 では、目を洗うとはどういう意味を持つのか。これは第一に、全身を洗うこと、すなわちキリストの名によるバプテスマを暗示している。テトス書3章5節には「私たちの行なった義の業によってではなく、ただ神の憐れみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、私たちは救われたのである」と語られる。再生とはまた聖化である。 シロアムで目を洗うことが再生そのものであったとは言えないとしても、その一部であったことは明らかである。 第二に、目を洗うことにより、目を潔くして、遮る物を取り除き、光りを見ることが出来るようにするのである。5節で「私は世の光りである」と主は言われたが、光りが世を明らかにするのに対応して、人間の側では目を明らかにする。光りが闇に輝いても、闇がこれを悟らなかったならば、光りは救いにならないで、滅びを来たらせる裁きである。光りが照ったならば、目を洗わなければならない。示されたことをハッキリ見て知るようにしなければならないのである。 |