◆説教2001.09.23.◆

ヨハネ伝講解説教 第91回

――ヨハネ9:1-3によって――

 9章の初めから10章の39節まで、いろいろな出来事が並んでいるが、繋がった一つの物語りである。8章の終わりまで続いた仮庵の祭りの出来事とは別の時期である。その時期は10章22節に、「その頃、エルサレムで宮潔めの祭りが行なわれた。時は冬であった」と書かれているところから、大体のことが分かる。仮庵の祭りは秋である。そこから冬まで飛んでいる。「宮潔め」とはイエスご自身が2章14節以下で行っておられる神殿の粛正とは全然別である。年中行事として行なわれる「宮潔め」は、マカベアの時代、宮が異邦人に占領されて汚され、また破壊されたので、これを修理して、改めて神に奉献した献堂式で、その日を年々記念していたのである。
 主イエスは仮庵の祭りののち、引き続きエルサレムに滞在されたのか。ガリラヤに行かれたのか。ユダヤの地方を回っておられたのか。――10章40節に、「イエスはまたヨルダンの向こう岸、すなわち、ヨハネが初めにバプテスマを授けていた所に行き、そこに滞在しておられた」と書かれているから、仮庵の祭りの後にもそこに行かれたと考えることは出来なくない。だが、「また行かれた」とは、洗礼の後久しぶりに行かれたということなのか、仮庵の祭りののち一度行って、その後、宮潔めの後にまた行かれたということなのか、確かなことは分からない。今それを問題にしても答えは出て来ないから、この空白の時期については触れないで置く。我々の知識が断片的であっても良いとしなければならない。また、何のために今回の上京があったかについても詮索できない。
 宮潔めの祭りに加わるためであったかも知れないが、この祭りに関連した主イエスの御言葉は語られなかったようである。――とにかく、今回の上京の間、実に多くの重要な教えを語りたもうた。その言葉は我々の胸を刺し貫き、また慰めに満ちている。
 第1節は言う。「イエスが道を通っておられる時、生まれつきの盲人を見られた」。
 これがエルサレムにおいてであることは言うまでもない。場所はどこでも良いのであるが、14節に、「イエスが泥を作って彼の目をあけたのは安息日であった」と記されている点は重要である。主はその日、宮に上って祈りを捧げ、それから町に下りて来られたのであろう。「道を通っておられた」とあるから、これは町の中で起こった事件であろう。あるいは、この盲人は人通りの多い神殿の入り口、それは幾つかあったのだが、例えば使徒行伝3章にあった生まれながら足のきかない人が座っていた「美しの門」の傍らに座っていたのかも知れない。
 「安息日」という記述から直ちに思い起こされるのは、5章に記されていた38年の長患いの病人の癒しの奇跡が、やはり安息日に起こったということである。安息日に働くことをパリサイ人たちは問題にした。安息日が何のためにあるのか、その意味は何か、何をこの日に思い見なければならないのか、というような本質的なことに彼らは思いを向けず、極めて外面的な振る舞いに関する律法解釈にのみこだわったが、9章でも同様である。彼らの側について言うならば無理解の単なる蒸し返しである。
 しかし、出来事自体について見るならば相違点もある。5章の記事では、主イエスは「私の父は今に至るまで働きたもう。私も働くのである」と宣言しておられる。すなわち、永遠の父と永遠の御子の同質であることがこの奇跡によって明らかにされた。そこでは、御子ご自身が何びとであるかが焦点になってズッと議論された。
 9章でも、安息日に癒しの業を行なったことについての論戦がなされる。5章のときは癒された人が38年病床に臥したままであったことについて、誰も注意を向けず、枝葉末節にこだわる議論がふっかけられたが、ここ9章では、癒された人が「生まれつきの盲人」であった点をめぐって考えなければならない。
 「生まれつき」の盲人である。つまり中途失明者ではない。中途失明の人にとっては生涯の途中で起こった損失の打撃は深刻である。しかし彼らの場合、失なう前に持っていた経験、得ていた知識と人生観を活用し、失明の衝撃を謂わばバネにして、目の見える人以上の実績を上げることも稀ではない。それに引き換え、生まれながらの盲人は、光りを見たこともない。見るということがどういうことかも知らない。だから、周囲の人に余程丁寧に教えられない限り、「見えるようになりたい」と願う気持ちも起こらないのである。失明の不幸を知らない。失なわれたものの大きさを知らないから、取り返さなければならないものがどれだけ大きいかも知らない。それ故に、不幸を知っている人よりも或る意味ではもっと不幸なのだ。現状から這い上がって行く力のバネになるものも持たない。
 38年寝たきりの病人に、主は「治りたいのか」と先ず問うておられる。治りたいという意欲がどんなに熾烈であっても、何にもならないことが38年間の経験ですでに証明されているのであるが、それでも、治りたい一心で主に縋る一人の人をここに見る。その切実な意欲に我々も幾分か心をゆさぶられずにおられない。しかし、今回のところでは、この盲人との予備的折衝は全然なしに、泥を目に塗った後、「シロアムの池に行って洗え」と言われた。命じられた人は従順にその通り行なったのであるが、これで見えるようになる、失なわれた人生が取り戻せる、といった期待があってしたわけではない。
 我々は主イエスが盲人の目を開けたもうた奇跡をほかに幾つか知っている。盲人が見えるようになる奇跡を一律に扱ってはならないということに注意して置きたい。例えば、エリコの町にバルテマイという名の乞食がいた。彼はナザレのイエスがここを通過して行かれるということを聞いて、「ダビデの子イエスよ、私を憐れんで下さい」と叫んだ。主は彼に「私に何をして欲しいのか」と聞かれる。バルテマイは「先生、見えるようになることです」と答える。主イエスは「行け、あなたの信仰があなたを救った」と言われる。すると見えるようになった。――これはマタイ、マルコ、ルカの福音書に共通に書かれている感動的な物語りである。バルテマイは目は見えなかったが、伝聞を聞かせてくれる人がいたため、ナザレのイエスについて知っており。彼がダビデの子、すなわちメシヤであるとの確信をすでに或る程度掴んでいた。だから、人がその発言を押さえ込もうとしても黙らなかった。
 冬のエルサレムの町で、あるいは宮の入り口で、安息日に主イエスの出会いたもうた盲人は、見るということがどういうことかを知らないのであるから、「見えるようになりたい」と願うことも知らない。ナザレのイエスについて何の噂も知らなかったらしい。
 人は道端に座って物乞いしている彼を憐れんで、なにがしかの施しをしていたが、この隣人に情報を共有させようという親切心はなかった。エルサレムで今、ナザレのイエスという方がセンセーションを巻き起こしているという話題を伝えてくれる人もいなかった。彼の両親のことが後で出て来るが、両親も生まれながらに盲人であった我が子を不憫に思ったには違いないが、これを一生懸命に教育して、目の見えないハンディキャップを少しでも補ってやろうとは全然考えていなかったと思われる。
 「イエスが道を通っておられる時、生まれつきの盲人を見られた」。イエスが見られたのである。ここに一切の解決がある。弟子たちも見た。けれども弟子たちは何も出来なかったどころか、意味のない議論をするだけであった。盲人の側ではどうか。一団となって通って行く人がいるという気配は感じたであろうが、ただそれだけである。
 創世記18章に記されているが、アブラハムは昼の暑い頃、三人の旅人が通り過ぎようとする時、「わが主よ、もし我汝の前に恵みを得たらんには、願わくは我を通り過ぎたもうなかれ」と叫んだのである。だが、この盲人は呼び掛けることも知らない。「求めよ、さらば与えられん」という主イエスの教えは重要な教えであるが、この人は「求める」ということが何であるかも知らないのである。主は彼を見られた。彼はしかし主を見ていないのである。主の見たもう目と、主を見る目とが合うということも起こらなかった。彼はただ見られるだけであった。
 見ることの有難味の分からない者に、見る恵みを与えるのは勿体ないことではないのか。まるで豚に小判ではないか。しかし、自分自身を振り返れば誰でも分かるように、我々は相応しくない者であるのに恵みに与ったのである。我々が相応しいという条件を満たすまで恵みが差し止められたのではなく、恵みが先に来て我々を相応しい者にしたのである。
 この盲人を癒すために、主イエスは先ず泥をこねて目に塗りたもうた。泥に目薬の働きと効能を持たせるということでないのは言うまでもない。言葉を与えるだけでなく、何らかの物を与えて具体的に関係を意識させるために、ご自分の唾で泥を作って盲人の目に塗られたと解釈することは出来るが、「泥」という物質から我々が先ず容易に思いつくのは、創世記1章にある通り、神が土で人を造りたもうたという創造の御業である。
 何もないところから造りたもうたのである。土から人間を創造したもうたのである。すなわち、ここで人間の回復が示されたと取っても正しいが、むしろ新しい人間の創造が象徴的に示されていると読み取るほうがさらに適切である。
 人間があって、その人間が自分は何であるかを考え、自分が如何に悲惨であるかに思い当たり、そこから脱出するために何をすべきかを探り、救いを求めるに至る。あるいは、自分が何であるかを尋ねて旅に出、自分が自分であるためには何をすべきかを考え、求むべきものを探り当てようとした。そして、ついにナザレのイエスに行き着いて、これこそ私が全生活を懸けて求めていた救い主だと直感して、彼に向かって呼び掛ける、ということがあっても良いし、その探求は我々の内にある思いを掻き立てる物語りである。しかし、今日、このところで学ぶのは、それと全く別の事柄である。求めることも、叫ぶことも知らない彼を主が認め、主が近付いて来られる。主だけが働きたもう。主は無からの創造をここに始めたもう。呼び求めることも、恵みに答えることも人は知らないため、先ず、呼び求める器、恵みを受ける器を創造したもう。
 この経過を余所事と考えないようにしたい。我々は求めることが出来るようにされているのに、求むべきお方を求めない。それは罪だ、と考えるのも意味のある着想であろう。しかし、我々は求めることすら知らなかったと考えた方が、もっと実情にかなうのではなかろうか。我々は救いのキッカケになるものを掴むことすら出来ない。エリコのバルテマイのように、救いを求めて叫ぶのが本来の人間の姿だと言えるとしても、そのような人が現実にはいないし、我々が先ずキリストを求めたのではなかった。主は恵みを受ける器を先ず造って、それに恵みを注ぎ入れたもう。そういう救いのモデルがここにある。
 2節に移る。「弟子たちはイエスに尋ねて言った、『先生、この人が生まれつき盲人なのは、誰が罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか』」。
 弟子たちのこの問いとそれに対する主イエスの答えは、今日学ぶ中心点ではないが、これだけ取り上げても絶大な意味を持っている。弟子たちが問うこういう問いは、昔あっただけでなく、今日もあり、それが人々の重荷になって、人を苦しめているのではないか。
 「イエスは答えられた、『本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ、神の御業が、彼の上に現われるためである』」。
 「神の業が現われる」とは、この盲人の目が開かれるという奇跡を意味しているのは言うまでもない。では、その奇跡の有難味を増し、劇的効果を上げるために。神は彼をこれまで極度の悲惨のうちに閉じ込めておられたと言うのか。人間の不幸を手段化して神がご自身の栄光を顕す、それは余りにも神の身勝手ではないのか。――そういう反論が早速起こされるであろう。
 この盲人が代表しているような不幸を我々は今日至る所で見ている。遠い国で一挙に何千人もの人が殺されるというような不幸だけでなく、我々の比較的身近なところでも、生まれながらに重いハンディキャップを負った子供たちや、生まれながらの禍いとは言えない事故で不幸に陥って行く人が多く、そういう現実を見る時、我々は語るべき言葉を失なうのである。
 それらの不幸を目にして、「これは神の御業が現われるためなのだ」と言って平然としているならば、躓きを引き起こす以外の何ものでもない。しかしまた、人々の不幸に同情しても、それ以上何も出来ないなら、自己満足の同情だけでは実りはない。
 大きい不幸に打ちのめされた人が神を恨むのは、もともと神を離れている人間にとっては当然の論理かも知れないが、その人々の気持ちを思いやったところで何にもならない。主イエスの語りたもうたこの言葉をシッカリ把握すること、これを人にも確信させることが大切である。「あなたの不幸はあなたが神の栄光を顕す機会になる。ここにこそ慰めがある」。そう確信をもって言わなければならない。
 弟子たちはこの盲人を見た時、哀れを催したであろうが、これは本人の罪か、親の罪か、と考える方にズレて行った。彼らがこう考えた事情が何であったかを先ず解明して置きたい。彼らは不幸が罪の結果であると迷信的に考える。これは一般的な考え方である。そこで、誰の罪か、親か、先祖か、本人か、と考えて見る。
 主イエスはここで人の悲惨が罪の結果であるという考え方を否定しておられるように見えるが、必ずしも常にそうだったのではない。例えば、ルカ伝11章50-51節の御言葉を思い起こしたい。「アベルの血から、祭壇と神殿との間で殺されたザカリヤの血に至るまで、世の初めから流されて来た全ての預言者の血について、この時代がその責任を問われる。そうだ、あなた方に言って置く、この時代がその責任を問われるであろう」。
 ――これは先祖の罪の負債がこの時代に一挙にのしかかって来て、この時代が破綻すると予告されたものである。これはエルサレムの滅亡の預言である。今の時代の人が特に悪いから今の時代に裁きが来るというのでなく、かつての時代以来の累積された負い目がこの時代に一度に落ち掛かって来る。子供が罪を犯したのではないが、親の罪が子にのしかかって来るという現実は今もある。それを無視してはならない。
 しかし、弟子たちがここで質問した発想は、実際は「運命」という迷信と、もう一つ、善には幸福が、悪には不幸が伴うという「因果応報」の迷信である。不幸がどこから来たかが分かっても、説明をするだけで、事の解決にはならない。例えば、先天的な病気を持って生まれた子を抱える親たちが、この子がこのような不幸な生まれをしたのは親の私が悪かったからであると考え、自分を苦しめることは今もあるが、それによって何も解決せず、不幸をますます大きくする。そういう不幸な考えは昔あったが、文化が発達したならなくなるかと言うと、なくなっていない。その不幸な意識に押しひしがれている人々が今も多くいるのである。取り巻く人々もそうのような目で不幸な人を見る。
 主イエスはルカ伝13章4節で、「シロアムの塔が倒れたために押し殺されたあの18人はエルサレムの全住民以上に罪の負債があったと思うか。あなた方に言うが、そうではない。あなた方も悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう」と警告された。罪があって、禍いが起こり、その不幸で罪の問題は帳消しになるという位に考えている人が多い。
 彼らはまた、「正しい人には禍いは来ない。禍いを蒙っている者は、自分のせいでそうなっているから助ける必要もない」と思っている。しかし、我々は聖書に教えられて、正しい者こそ苦難を受けるのだと知っている。主の僕は苦難の僕である。義人ヨブは最大の苦難の人であった。神の独り子は極みまでの苦しみを受けるために世に下りたもうた。そのことを見落とす時、信仰は幸福主義に摺り変わってしまう。
 「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない」。ここに主は呪いとなる迷信的な考えを取り払いたもう。人々は運命の前に意気地なく屈服するが、キリスト者は雄々しくそれに立ち向かって行く。主はこのように語って、人々の目を神の栄光に向けて高めるよう促しておられる。

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