◆説教2001.06.17.◆

ヨハネ伝講解説教 第80回

――ヨハネ8:19-20によって――


 主イエスが、「あなた方の律法には、二人による証言は真実だと書いてある。私の場合、私自身と私の父による二人の証しがある」と語られた時、パリサイ人にはその意味が掴めなかった。イエスが自分について語っておられるだけで、父の証しというのは苦し紛れの屁理屈ではないかと見えた。だから、主イエスの言われる議論の偽りを暴き出そうとして、「あなたの父はどこにいるのか」と問うのである。 
パリサイ人のこの問い掛けは、彼らの悟りの鈍さ、あるいは頑なさを表わしていると我々は感じる。それはその通りだが、それだけで片づけて良いか。これと似た悟りの鈍さは我々のうちにもあるのではないか。そのことに気付こうとしないなら、自分はパリサイ人のように鈍くないし、頑なでもないと自己満足するだけで、実情はパリサイ人と同じ、あるいはむしろパリサイ人よりも正しいと自負するだけ、なお一層悪性の思い上がりを持っていることになるのではないか。 
イエス・キリストは「私を遣わされた父も、私のことを証しして下さるのである」と言われた。これはパリサイ人が「あなたは自分のことを証ししている」と言ったのに対する答えである。父が証ししておられるという事実を強調しておられることに気付かなければならない。パリサイ人にはそれが全く分からなかったのである。 
自分自身について考えて見よう。我々はイエス・キリストから言葉を聞いている。他の人はともかく、ここにいる我々は、キリストの証しの言葉は真実でない、などとは毛頭感じていない。いやいや聞くのでなく、大いなる喜びをもって集まって来て、これを我々は大きい感動をもって聞いており、これこそ自分たちの絶対に服従すべき命の言葉であるとして受け入れている。だから、パリサイ人の聞き方とは全然違うと言わなければならないであろう。 
しかし、今ここで問題になっていることに目を向けたい。パリサイ人は主イエスがおられて、語っておられる事実だけは、目に見えるから分かっていたが、父が御子について語っておられる事実については、全く考えつきもしなかった。それと同じように、我々も、キリストの父が今語っておられる事実を全く無視していることはないであろうか。 
すなわち、二人の証人による確実な証しが立てられている事実に無頓着になって、イエスの言葉を聞いていることはないか。そうなると、証しではないものとしてキリストの御言葉を聞くことになる。 
今、主イエスの言葉を、感動して、一生懸命に聞いて、吸収している、という人は多い。それは自分でそう思い込んでいるだけかも知れない、と言うと余りにも心ない言い方だと反発される。しかし、一時は熱心に聞いたが、やがて熱が冷めてしまった実例は少なくない。 
ただ、思い込みに過ぎないかも知れないという問題は複雑になるので、今は取り上げないで置こう。しかし、実際問題として、確かに、かつては真剣に聞いていたけれども、今は忘れているという人は多い。忘れている者にとっては、主の御言葉はないのと同じだと看倣されている場合が数多くある。要するに、熱心に聞いてはいるが、その御言葉の確かさ、証言としての確かさに全く無頓着な聞き方があるのだ。 
人々を感動させる言葉を、今の時代に向けて如何に語るべきか。そういうことを一心に考える人がいる。それは結構だが、ここで問題はそれではない。「証し」が今問題なのだ。証しとは、今聞かれている言葉だけについて言われるのではない。証言というものはその場限りの言葉ではなく、証書・証文というのと同じであり、確かめて、その場で封印されて、後の世まで保存されるものである。「自分は忘れたから、ないも同然だ」と放言するわけに行かないのが証しである。人間だから忘れることはあるかも知れないが、本人が忘れても、証しは残るのである。我々がキリストから聞く御言葉は、そのような証しなのである。過ぎ行く言葉ではない。我々の聞いているのはそのような証しであることを弁えるために、キリストが語っておられるだけでなく、キリストを遣わされた方がいっしょに語っておられることをシッカリ覚えなければならない。 
二人の証人による動かぬ証しとして御言葉を受けているかどうか、ということを我々は反省し、思いめぐらさなければならない。こちらが忘れてしまえばキリストも忘れてしまわれ、御言葉というものは聞かなかったのと同じになり、なかったものにして置ける、と考えてはならない。こちらが忘れても、証しだから残っている。だから、我々に約束されている救いは確かなのである。信じない者は裁かれると予告されたことも確かな証しである。 
さて、「あなたの父はどこにいるのか」とパリサイ人は突っ込んで来た。この質問はどういう意味であろうか。いろいろなことを読み取ることは出来るのだが、ここでは二点に限って見ておく。一つは、父が証しすると言うけれども、あなたがそう言うだけで、あなたのことを証しする父はここにいないではないか。父がいるなら示して見よ、という意味である。父を示せないなら、あなたの屁理屈は破綻するだけではないか、とパリサイ人は勝ち誇ろうとする。 
ところが、こういう言い方は、パリサイ人だけのものではない。14章8節以下にこう記されている。「ピリポはイエスに言った、『主よ、私たちに父を示して下さい。そうして下されば、私たちは満足します』。イエスは彼に言われた、『ピリポよ、こんなに長くあなた方と一緒にいるのに、私が分かっていないのか。私を見た者は、父を見たのである。どうして、私たちに父を示してほしいと言うのか。私が父におり、父が私におられることをあなたは信じないのか』」。 
ピリポが最後の晩餐の時に語った要求と、パリサイ人が仮庵の祭りの終わりの日に言った要求は全く別の状況における発言で、語っている姿勢も根本的に違い、内容は殆ど逆だと言えば言える。しかし、考え方の基本線は同じではないか。父は見えないではないか、という疑問が込められている。これは最後の晩餐の時、すなわち主イエスの弟子教育の最後の時の語り合いのなかに出てきた言葉であって、最終段階に至ってもピリポに分かっていなかったということを明らかにしている。だから、我々もそれと余り遠くない所にいるのではないかと考えて見なければならない。 
父は見えないのである。1章43節以来主イエスに従って来たピリポでさえも、見えない父を把握することの困難さを感じていた。ピリポは父がともにいますことを疑っていない。信じようとしている。しかし、ある種の物足りなさを感じている。「そうして下されば私たちは満足します」と言うとおりである。一生懸命信じているが、満足していないのである。パリサイ人の不満足度は遥かに大きい。だから、この二つのケースは同列にはならないかも知れない。 
しかし、小さい不満足であっても不満足感を持つべきではない。というよりは、イエス・キリストとともにあるとは、父なる神が見えなくても、ともにいますことについての大いなる満足感、充実感を伴う確信なのである。14章10節以下で主は言われる、「私が父におり、父が私におられることをあなた方は信じないのか。私があなた方に話している言葉は、自分から話しているのではない。父が私のうちにおられて、み業をなさっているのである。私が父におり、父が私におられることを信じなさい。もし、それが信じられないならば、業そのものによって信じなさい」。 
「あなたの父はどこにいるのか」という質問の第二の意味に移る。ここで言う「父」が神を指すことは説明の必要もないであろう。「どこにいるのか」とのパリサイ人の問いは、「神を父と呼んで良いのか。神を自分の父というならば、父とあなたとの関係を証明し、父がどこにおられるかを説明せよ」という主旨である。これは5章にあった論争の続きである。5章17節には、「私の父は今に至るまで働いておられる。私も働くのである」との御言葉が記されているが、このことから論争が起こったと次に書かれていた。「このためにユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうと計るようになった。それは、イエスが安息日を破られたばかりでなく、神を自分の父と呼んで、自分を神と等しいものとされたからである」。 
あの時の論争の中で、主イエスは5章31節に「もし、私が自分自身について証しをするなら、私の証しは本当ではない」と言われた。これは8章13節で、パリサイ人が「あなたは自分のことを証ししている。あなたの証しは真実ではない」と言っている言葉と同じ内容を主ご自身が言われたものである。また、5章32節に「私について証しをする方は他にあり、そしてその人がする証しが本当であることを私は知っている」と言われるが、それの続きが8章18節で語られたのである。「私自身のことを証しするのは私であるし、私を遣わされた父も私のことを証しして下さるのである」。 
そのように今、ここで論争されていることがらは、5章の論争の続きであり、その他の箇所とも重なっているので、ヨハネ伝全体の中で捉えなければならない。 
さて、「あなたの父はどこにいるのか」との問いに対して、主イエスは答えて言われる、「あなた方は私をも私の父をも知っていない。もし、あなた方が私を知っていたなら、私の父をも知っていたであろう」。これは先に引いた最後の晩餐の中で言われたことと同じではないが、実質的に十分重なる内容である。 
「私を証しする父がおられる」と主イエスが言われる。「それならば、その父を示せ」と敵対者らは言う。それに対して「私を知ったならば私の父をも知るのだ。あなた方は私をも、私を遣わされた父をもしらない」と答えたもう。それでは、出口のない無限の堂々めぐりになるのではないか。 
そうではない。初めは肉体を取ったイエス・キリストしか見えない。人となったナザレのイエスから聞くことしか出来ない。その段階では、キリストが神であることも分かっていないし、信じてもいない。ただ、素晴らしい教えを語る偉い方だということが分かっているだけである。また、この段階で主イエスのなしたもう奇跡が一定の意味を持つ。それは5章36節で、「今、私がしているこの業が、父の私を遣わされたことを証ししている」と語られた通りである。10章25節にも、「私の父の名によってしている全ての業が、私のことを証ししている」と言われ、その他にもこの主旨のことを言っておられる。しかし、奇跡を見て信じた信仰は本物に成りきっていない。 
とにかく、キリストに対する尊敬は接触が続けば続くほど深まるが、そこからやがて神の子を信ずる信仰へとせり上がるわけではない。突如として信仰が生じる。 
ペテロがイエスに向かって、「あなたこそ生ける神の子キリストです」と告白した時、主は彼に言われた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いである。あなたにこの事を顕したのは、血肉ではなく、天にいます私の父である」。これはマタイ伝16章17節に記された有名な言葉である。 
血肉によっている限り、どんなに理解が成熟したとしても、神の子イエスを信ずる信仰に至ることはない。したがって信仰によって救われるということもない。血肉ではなく、神が介入したもう。その介入の時は神の御手のうちにある。ヨハネ伝で今学んでいる論法によれば、その時、父の証しが受け入れられるのである。御子の証しに御父の証しが合わさるのである。 
「もし、あなた方が私を知っていたなら、私の父をも知っていたであろう」と言われる。だから、キリストを知らなければならない。 
その前に、「あなた方は私をも私の父の父をも知っていない」と言っておられることに注意して置こう。これはパリサイ人にとっては意外な、身に覚えのない非難であった。 
彼らは神を知っているつもりで、それを誇っていたのである。どうして誇ったかと言えば、その根拠は律法を知っているところにあった。神はイスラエルにだけ律法を与えたもうた。律法を与えられた故に、イスラエルは律法を通じて神の御旨を知った。イスラエルの中でも特にパリサイ派は律法に固着したから、神を知っているという自負も強かった。 
律法によって神を知ることが出来るのは或る意味で本当である。しかし、それが全き認識であるかと言えば、そうではない。律法を通じて神を知る時、ある人は律法の命じることを行わなかった場合厳しく罰したもうお方としてしか神を知らない。ある人は律法の規定を型どおり果たしておれば良いと考えるので、形式的な信仰者になったり、偽善者になったりする。生ける、命の源なる神を知るには至らない。 
神を知るには御子によらなければならない。このことはヨハネ伝では1章18節に、「神を見た者は未だ一人もいない。ただ、父の懐にいる独り子なる神だけが、神を顕したのである」と宣言された。 
「父のなさることであれば全て子もその通りにする」と5章19節に言われた。その直ぐ後には、「父が死人を起こして命をお与えになるように、子もまた、その心に適う人々に命を与えるであろう。父は誰も裁かない。裁きのことは全て子に委ねられたからである」と言われる。このように父はご自身の固有のものをことごとく御子に移したもうたから、御子を見れば父を知ることが出来るのである。 
さて、20節に、「イエスが宮の内で教えていた時、これらの言葉を賽銭箱の傍で語られたのであるが、イエスの時がまだ来ていなかったので、誰も捕らえる者がなかった」と書かれている。これは状況の説明である。 
7章44節に、「彼らのうちの或る人々はイエスを捕らえようと思ったが、誰一人手を掛ける者はなかった」とあったが、それと同じ事情である。同じ事件かも知れない。7章32節には、「祭司長やパリサイ人がイエスを捕らえようとして、下役どもを遣わした」と書かれていたが、一連の出来事である。 
主イエスが神を自分の父と呼んでおられることをユダヤ人たち、特にパリサイ人たちは冒涜と見た。だから、捕らえて裁判に掛けようとした。神を父と呼ぶことは旧約聖書では珍しいことではない。パリサイ人もそれを知らないわけではなかったと思うが、主イエスが神を父と呼びたもうたのは、旧約にあるありふれた恵みと真実の表現の意味ではなく、ご自身が神の子であり、神性を持つという意味であった。だから、ユダヤ人らはこれを冒涜と見たのである。 
しかし、逮捕しようとしても出来なかった。時が来ていなかったからである。このことは7章30節で一度語られた。キリストの苦難は時が来なければ始まらなかったのである。主はこれを賽銭箱の傍で語られた。賽銭箱というのは神殿の女性の庭にあったもので、朝顔型の口が幾つもついており、お金は神殿の営繕や貧しい人々への施しに使ったようである。新共同訳では「宝物殿」と訳すが、そう訳せぬわけではないとしても、間違いであろう。 
主がここで時々説教されたことが福音書の中に何度か語られる。ここは人の出入りの多い所であった。貧しい寡婦がレプタ二つを捧げたという出来事も有名である。 
とにかく、主イエスを捕らえようとする下役が来たが、逮捕出来なかったのである。その一つのケースについては7章46節に語られているが、奇跡が起こって逮捕出来なかったというのではなかった。 
キリストは十字架に挙げられることによって務めを全うし、栄光に入りたもうべきであり、その方式もその時も定められていた。その確かさも定められたのである。 

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