◆説教2001.05.06.◆

ヨハネ伝講解説教 第76回

――ヨハネ7:45-52によって――


 前回、民衆の間でナザレのイエスの評価が分かれ、またメシヤの出生地についての議論が戦わされたのを見たが、今回のところでも、それと大体平行して、指導者とその下役との間で、また指導者層の中で、論争というほどのものではないとしても、意見の食い違いがある。 
32節の後段に、「祭司長たちやパリサイ人たちは、イエスを捕らえようとして、下役どもを遣わした」と書かれていた。「祭司長たちパリサイ人たち」というのは、議会、あるいは議会を実際に動かしている執行部を指すと考えられる。彼らはイエスを逮捕しようと決めた。そして、下役を派遣した。 
遣わされた人たちはその職務を忠実に遂行しようとしたはずであるが、イエスを逮捕できなかった。逮捕が出来なかったことについて、これまで30節と44節に書かれていたのがその事情であろうと思われる。「人々がイエスを捕らえようとした」と言うが、その人々は群衆の一部ではなく、上から遣わされて来た役人である。民衆が主イエスを逮捕して官憲のもとに引っ張って行こうとしたということも、考えられなくないが、逮捕しようとした人は自発的にそうしたのでなく、上から命令されていたと見た方がよく分かる。 
今日は45節から学ぶことになっている。「さて、下役どもが祭司長たちやパリサイ人たちのところに帰って来たので、彼らはその下役どもに言った、『何故あの人を連れて来なかったのか』」。 
下役は遣わされた任務を遂行出来ないまま帰った。そこで上司から叱責された。祭司長とパリサイ人は下役を叱責するのが当然だと見ている。つまり、下の者は上の者に従うのがこの世の秩序であると考えている。この秩序を守らなければ、社会の安寧を保つことが出来ないことになっている。 
我々も一般論としてはそういう秩序を認めるのであるが、上からの命令であっても実行出来ない場合がある。本筋からやや離れるが、その事情を考えて見ると、第一に、上が下す命令が間違っていたから実行出来なかったのである。実行出来なかったのは、遂行能力のないものに無理な命令を与えたからである場合もあるが、ここで下役が果たせなかったのは良心的に出来なかったからである。下役がある程度抵抗した、と言って良い。実行する者の良心が、間違った命令の遂行を妨げる場合が実際ある。良心の抵抗と言ってはこの場合少し大袈裟過ぎるが、簡略に言えばこうなる。これが第二の理由である。第三になってしまったが、実は一番大事なものは、30節に書かれていた通り、キリストの時が未だ来ていなかったからである。 
第二の点をもう少し見ておこう。下役がある程度抵抗した。その抵抗を上役といえども押し切ることがこの時は出来なかった。まだ時が来ていなかったからである。さてその抵抗の理由である。 
46節、「下役どもは答えた、『この人の語るように語った者は、これまでにありませんでした』」。 
下役たちはここでは機械の歯車のようにただ服従するのではなく、一個の人間として自分の判断を持ったのである。だから、逮捕すべきでないと判断して、何もしないで帰って来た。咎められると、理由を述べて反論する。その理由は、罪なき者を苦しめてはならないから出来ない、というのとは違う。そういう理由で抵抗する場合もある。この世ではその抵抗が認められる場合と認められない場合があるが、良心的に執行出来ないと言う者に無理矢理執行させることは間違いだということにだんだんなって行くと思う。 
しかし、今みているケースで、下役が不服従であったのは、単なる人道上の根拠によるのではない。人道の感覚からではなく、宗教的感覚から、聖なるものに立ち向かうことは出来なかったからである。 
「この人の語るように語った者は、これまでにありませんでした」。つまり、この下役たちは先ず主イエスの説教を聞いたのである。隣人であるから逮捕出来ない、という理由も成り立ち得るのであるが、ここではそれでなく福音の聴聞者であるから、神の言葉を聞く秩序にしたがって決断するほかなかった。 
下役たちの抵抗が不徹底であったことは言うまでもない。次回にこの下役たちが福音書に登場するのは、18章3節である。この時は、この下役たちも決然とした意識を持って、イスカリオテのユダを道案内に立ててやって来た。彼らの中でどういう変化が起こったかを今考えて見ても無駄である。とにかく、キリストの時が来たのである。 
その半年前だと思われるが、仮庵の祭りの時に、下役たちはイエスを逮捕しに来たのであるが、手を掛ける前に説教を聞いてしまった。彼らが聞きたくて聞いたのではないであろう。しかし、彼らの耳は閉じられてはいなかったから、主イエスが語っておられることは聞こえたのである。主の御言葉は彼らの心の底にまで達した。彼らは愕然とし、また震えおののいた。 
「この人のように語った人はこれまでにいなかった……」。話しの筋を追って聞いていてそう確認したというよりは、途中から聞き始めて、間もなく直感的に判断したということであろう。彼らはこれまで、いろいろな教師が宮の内で教えているのを聞いていたに違いない。内なる求めがあって聞いたか、職務上、宮のうちに秩序を維持する必要から聞いたのか、それはどちらでも良い。とにかく、「この人は並のラビとは違う」と直感したのである。この人に手を掛けると大変なことになる、と感じたのである。 
宗教的感覚という言葉を先に使ったが、それを特別貴重なものと考えるに及ばない。人間として当たり前に持っている感覚である。すなわち、道理というだけでは捉えきれない、それを超えた次元のものがあるという感覚である。そういうものは古代人が持っていた迷信であって、人類は進歩したからそういうものは要らなくなった、と考える人はまだまだ多い。けれども、そう割り切っていては、人生と世界の帳尻が合わなくなる、と気付く人も増えているようである。 
こういう問題をこれ以上論じることはしない。これは当たり前のことなのだ。だから、この感覚を欠いた人は欠陥人間だと言って良いが、これがあるからといって得意になることは全く無意味である。これがあっても救われない。また、この感覚は不可欠なものには違いないが、極めてあやふやなものであって、これを貫くことは出来ない。 
それでも、下役は最初主イエスのもとに来た時、有無を言わさず逮捕するのではなく、御言葉を聞いてしまった。分かったとは言えないとしても、感銘を受けてしまった。手を出せなくなった。主の御言葉には最低それだけの超越的な力がある。 
我々が主の御言葉を理性をもって解き明かして、人々に分からせることが無用であると言うのではない。しかし、主の御言葉には分からなくても分からせてしまう聖なる迫力、そのような要素が含まれている。分からせよう分からせようとする余り、人間の手が加わり、御言葉の本来の力が気抜けしたものとなり、力が感じられなくなるような解き明かしをしないように我々は注意しなければならない。 
説教者だけでなく、御言葉を聞いて信じ、それを担っている全ての人が、この点を考えなければならない。つまり、「この人の語るように語った者はこれまでなかった」と人々に感じ入らせるように、我々は御言葉を担うのである。難しく考えるべきことではない。聖なる言葉として受け入れたなら、聖なる言葉として我々のうちに留まるのである。分かることばに言い直そうとしていると、分かることばにはなるだろうが、それだけであって、「この人の語るように語った人に出会ったことはない」と人に感じさせることは起こらない。ただし、「この人の語るように語った人はこれまでいない」と感じさせても、それで救いの伝達が出来るわけではない。 
「パリサイ人たちが彼らに答えた、『あなたがたまでが騙されているのではないか。役人たちやパリサイ人たちの中で、一人でも彼を信じた者があったであろうか。律法を弁えないこの群衆は呪われている』」。 
パリサイ人が答えたのは、イエスを逮捕し、裁判に掛けて殺すという方針を理論的に指導していたのがパリサイ派であったからである。彼らの議論は自負心に依っている。彼らは謂わばこのように言った。「役人やパリサイ人は知識を持っているから騙されない。民衆は無知であるから騙される。お前たちは民衆よりマシな地位にいるではないか」。このように、彼らは社会を階層別に分けたのである。 
その区別の根拠は学識であった。サドカイ派が理論を単純化する方向を取っていたのに対して、パリサイ派は言い伝えを積み上げて、一般民衆より高い立場に立って判定を下す責任が自分たちにあるという責任感を持っていた。それは健気な責任意識と言えるかも知れないが、少なくともここでは彼らの責任感は裏目に出て、民衆の持つ素朴な感覚を失っている。 
民衆の素朴な感覚を礼賛するのではないが、先に見たように、彼らには感じ取るべきものを感じ取る宗教的感覚が残っていた。だから、26節や40、41節で言うように、これはただ人ではないと直感した。その直感だけでは結局また迷ってしまったのであるが、ある面で当たっていた。 
「律法を弁えないこの群衆は呪われている」と彼らはきめつけるが、これは如何にもパリサイ人らしい言い分である。「群衆」とここに記されているのは、パリサイ人が「アムハーレツ」、「地の民衆」という軽蔑的な言葉である。それと対照的なのは「学識」である。「民衆は律法を知らない」と彼らは言うが、律法を知らないというよりは、律法解釈の学問がない、と言った方が正確であろう。その学問とは膨大な言い伝えの整理である。 
平たく言えば、知識が禍いするということになろうか。例えば、人々は素朴に主イエスの説教を聞いた時には非常に打たれた。その感動が信仰にならなかったのは、勿論、信仰と感動がもともと別だという事情によったのであるが、知識が介在して宗教的感動を潰しているからである。キリストはベツレヘムから出るはずであるという知識が立ちはだかって、聖なる者への憧れはスーッと凋んでしまった。 
知識が禍いすると言ったが、この捉え方も蕪雑なものである。キリストがベツレヘムで生まれるという知識が我々にとってマイナスであるかと言えば、決してそうではない。 
むしろ、こういう知識は有用なのである。だから、我々は学ばない方が純朴で良い信仰を保つことが出来るなどとは言わない。 
それにしても、素朴な感動を失なって、知識で身を固めただけの信仰になってはいけない。知識は多くても必ずしも支障にならないが、どういう方向に向いているかが大切な点である。 
「役人たちやパリサイ人たちの中で、一人でも彼を信じた者があっただろうか」と彼らは言う。無知と学識の違いが不信仰と信仰の違いになると言わんばかりの主張である。 
それが間違いだと言うことは我々にはもう分かっている。彼らの言う知識、学識は、知識そのものでなく知っていると思ううぬぼれである。その自惚れが目を見えなくする。 
そういうことは我々においても起こる。 
ところで、パリサイ派の見解も統一されていなかった。「彼らの一人で、以前にイエスに会いに来たことのあるニコデモが、彼らに言った、『私たちの律法によれば、先ずその人の言い分を聞き、その人のしたことを知った上でなければ、裁くことをしないのではないか』」。ニコデモはパリサイ派の中で異論を唱える。 
ニコデモという人は、ヨハネ伝を読む我々にとって大変気になる人物である。パリサイ派の指導的学者でありながら、自分たちの見解にはまだまだ足りないところがあると弁えて主イエスを訪ねて来て、教えを請う。ただし、夜訪ねて来た。白昼ではない。人に知られないように来る。そして実りなき対話を交わして去って行く。しかし、反発するのではない。主イエスが死なれた時、香料を持ってやって来る。キリストの葬りには間にあった。弟子は一人も来なかった時にである。キリスト教のシンパ、あるいは「隠れキリシタン」である。 
この人はどうなのかと問うことは意味がないから止めて置こう。我々はキリストに従う人間なのだ。話しが少し飛ぶのであるが、21章の記事を思い起こす。復活の主イエスがペテロに「私に従って来なさい」と言われた。その時、ペテロは振り返って自分のあとについて来る若いヨハネを見て、「主よ、この人はどうなのですか」と尋ねた。自分は殉教の覚悟を決めて主の後に従って行く。しかし、ヨハネのことは気になる。主は、「それはあなたには関わりないことだ。あなたは私に従って来なさい」と言われた。我々も他の人のことを気にするのでなく、自分がキリストに随いて行くことを努めれば良い。だから、ニコデモはどうなのですか、と問うことは要らない。 
しかし彼と他のパリサイ人との論争内容は見ておくに価する。ニコデモは「私たちの律法によれば、先ず、その人の言い分を聞き、その人のしたことを知った上でなければ、裁くことをしないのではないか」と言う。まことに正論である。ところで、律法の中にそういう規定があるか。ないではないか。律法では、有罪に定める時、特に死の罪に定めるに際しては、一人の証人に依っていてはならない。必ず二人以上の証言がなければならない、と定めるだけである。 
私たちの律法によれば、とニコデモの言うのは、律法の引用ではなく、律法の主旨に即して言えばこうなるとの解釈である。その解釈はパリサイ派の学説としては定着していた。裁判は公平に行わなければならないから、被告の弁明の余地を与えるのは当然である。主イエスが議会で裁かれた時、答えるようにされたことは18章19節以下に記されている。こういうことはローマ法にも規定されていて、ピラトは主イエスに答えさせようとしているし、またこの訴えが故なきものであることを見破っている。 
他のパリサイ人の主張は如何にも貧弱である。ガリラヤからは預言者が出たことはない、ということを聖書的根拠としている。なるほど、北イスラエルに預言者はいたが、ガリラヤ出身の預言者はいないように見える。しかし、よく調べて見れば、列王紀下14章25節にガテヘベルのアミッタイの子である預言者ヨナという名が挙がっているが、ガテヘベルはガリラヤの町である。また、旧約聖書全体から言っても、イスラエルの特定の支族からは預言者が出ないという原理は読み取れない。それどころか、主の民は、主が必要としたもう時に、誰でも、どの支族でも、どの地の生まれでも、預言者として召されることがあり得る。したがって、これはかなり重大な聖書の曲解である。 
ニコデモが争わなかったことについて、この人はどうなのですか、とは言うまい。我々はガリラヤについての何よりも力強い証言を与えられている。イザヤ書9章1節に言う、「先にはゼブルンの地、ナフタリの地に辱めを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる」。その日が来たのである。 
 

目次へ