◆説教2001.04.22.◆

ヨハネ伝講解説教 第75回

――ヨハネ7:37-44によって――


 「群衆のある者がこれらの言葉を聞いて、『この方は、本当にあの預言者である』と言い、他の人たちは『この方はキリストである』と言った」と40節に書かれている。この日の御言葉を聞いて、信仰をもって彼を受け入れたとは言いがたいが、それでも人々が受けた感銘はこれまでになく大きいものであったらしく思われる。それほど大事な宣言がなされたのである。
 「祭りの終わりの大事な日」、すなわち「大いなる日」、これがどの日を指すのか、第7日か、第8日か、二つの説がある。
 仮庵の祭りについては、レビ記23章34節以下に規定がある。「7月15日は仮庵の祭りである。7日の間、主の前にそれを守らなければならない。初めの日に聖会を開かなければならない。どのような労働もしてはならない。また7日の間、主に火祭を捧げなければならない。8日目には聖会を開き、主に火祭を捧げなければならない。これは聖会の日であるから、どのような労働もしてはならない」。仮庵に住まうのは7日間であるが、8日目にも聖会を開き、内容的には継続している。
 7日目であっても8日目であっても、大した違いはないから、どちらでも良いのであるが、どちらかと言えば7日目であろう。というのは、この日の儀式と主イエスの言葉とが関連しているからである。一つは水である。もう一つは少し先になるが、8章12節で「私は世の光りである」と言われる光りが点火される儀式が7日目にある。
 仮庵の祭りの意義は、先ず、この祭りの起こりから理解されなければならないであろう。すなわち、出エジプトの民は荒野で仮庵すなわち幕屋に住んだから、それを記念するための祭りをしたのである。普段住んでいるチャントした家を出て、7日間は木の枝で作った堀立小屋の暮らしをする。
 しかし、これは秋の季節の祭りであったから、収穫感謝の意味を籠めたものになる。申命記16章13節から15節にこう規定される。「打ち場と酒ぶねから取り入れをした時、7日の間、仮庵の祭りを行なわなければならない。その祭りの時には、あなたは息子、娘、僕、はしため、および町の内におるレビ人、寄留の他国人、孤児、寡婦と共に喜び楽しまなければならない。主が選ばれる場所で、7日の間、あなたの神、主のために祭りを行なわなければならない。あなたの神、主は全ての産物と、手の全ての業とにおいて、あなたを祝福されるから、あなたは大いに喜び楽しまなければならない」。単に勤労の実を喜び感謝するのではなく、みんなして喜ぶ、寄留者にも喜びを分かち合うのである。これは神の恵みに感謝するに最も相応しい道である。この文脈の中では、出エジプトの時の生活のことは全然出て来ない。
 収穫が1年の勤労の結果であるという主旨から来たのかも知れないが、人々はこの祭りの中に、来たるべき終わりの日の成就が示されていることを読み取るようになった。すなわち、過去の出エジプトの出来事への追憶、現在の収穫についての感謝、それだけでなく、来たるべき終わりの日を待ち望むという意味が預言者によって示されるようになった。その第三の意味をハッキリ教えるのはゼカリヤ書14章16節である。「エルサレムに攻めて来たもろもろの国人の残った者は皆年々上って来て、王なる万軍の主を拝み、仮庵の祭りを守るようになる。地の諸族のうち、王なる万軍の主を拝むために、エルサレムに上らない者の上には、雨が降らない」。ここでは仮庵の祭りはもはや一国の祭りではなく、世界の祭りとなる。
 このように、旧約聖書にある仮庵の祭りの意義は三重である。その三つの意義の中で、主イエスがここで特に重視しておられるのは、第三のものである。この第三の意義が今日成就したと宣言しておられる。
 仮庵の祭りの間、聖書の正典には規定されていないが、人々の定めた定めでは、宮を浄めるためにシロアムの池の水が運ばれることになっていた。7日目祭司がその水を携えて祭壇のまわりを7回まわった。このことは主イエスが叫んで言われたことと大いに関係する。仮庵の祭りの儀式では、水の持つ象徴的意味が大きかったが、その目指した目標はここなのだと宣言されたのである。
 仮庵の祭りは野へ出て枝を取って来て小屋を作って住むのであって、水との結び付きは本来はなかったか、あるいは緩かったかも知れない。勿論、あったかも知れないのである。すなわち、エジプトを脱して荒野に行った人たちは、忽ち水に不自由した。モーセは杖で岩を打って水を出した。旧約の信仰者たちは、例えば詩篇114篇8節にあるように「主は岩を池に変わらせ、石を泉に変わらせられた」と歌い継いだのである。「この岩はすなわちキリストである」という解釈がIコリント10章4節に記されている。それと今日のところで主イエスが「私に来て飲め」と言われることとは結びつくのである。
 収穫感謝という意味がハッキリして来た段階で、収穫が得られたのは、時にしたがって雨が降ったからであるから、神の恵みが水によって代表され、あるいは表象されると考えられたのかも知れない。
 しかし、人々が水に意味付けをしたと解釈するよりも、すでに聖書の中に、神の恵みが水によって示される箇所が沢山あることを思い起こさなければならないであろう。例えば、イザヤ書41章17節、「貧しい者と乏しい者とは水を求めても水がなく、その舌が渇いて焼けている時、主なる私は彼らに答える、イスラエルの神なる私は、彼らを捨てることがない。私は裸の山に川を開き、谷の中に泉を出し、荒野を池となし、乾いた地を水の源とする」と言われる。
 仮庵の祭りの歴史においてゼカリヤの預言が大きい意味を持つようになった事情は先に触れた通りであるが、ゼカリヤ書でそのことを言う少し前の14章8節には、「その日には、生ける水がエルサレムから流れ出て、その半ばは東の海に、その半ばは西の海に流れ、夏も冬も止むことがない」と預言される。回復されたエルサレムから流れ出た水は、世界を潤すのである。終わりの日に全世界の人々がエルサレムで仮庵の祭りを祝うのと、終わりの日にエルサレムから流れ出た水が世界に注がれることとは対応している。
 創世記2章10節に「また、一つの川がエデンから流れ出て園を潤し、そこから分かれて4つの川となった」とあり、これはエデンの水が世界に注がれたことを言うのであって、預言者がエルサレムから流れ出る川が世界に注がれると言ったのは、エデンの回復とエルサレムの回復とを重ねたものである。
 ゼカリヤのこの預言はまた詩篇46篇4節の「一つの川がある。その流れは神の都を喜ばせ、いと高き者の聖なる住まいを喜ばせる」を前提にしたものと思われる。詩篇46篇に歌われたのは、むかし実際にエルサレム神殿の聖所の敷石から水が湧き出していたことを歌ったものである。この流れがシロアの水と呼ばれて、これがシロアムの池に流れ込んだのではないかと思われるが、イザヤ書8章6節で、「この民はゆるやかに流れるシロアの水を捨てて、レヂンとレマリヤの子の前に恐れくじける。それ故、見よ、主は勢いたけく、漲り渡る大川の水を彼らに向かって堰き入れられる。これはアッスリヤの王と、その諸々の威勢とである」と言われるものであろうと思われる。
 シロアの泉は涸れてしまったのだが、語り伝えられ、それが再び湧き出すことが、約束された万物の完成の日の出来事として示される。ゼカリヤ書に書かれていたのはそういうことであったが、さらに詳しいのはエゼキエル書47章である。「そして彼は私を宮の戸口に帰らせた。見よ、水が宮の敷石の下から東の方へ流れていた。宮は東に面し、その水は下から出て、祭壇の南にある宮の敷居の東の端から流れ下っていた。彼は北の門の道から私を連れ出し、外を回って、東に向かう外の門に行かせた。見よ、水は南の方から流れ出ていた。その人は東に進み、手に測り縄をもって一千キュビトを測り、私を渡らせた。すると水は踝に達した。彼はまた一千キュビトを測って私を渡らせると、水は膝に達した。彼がまた一千キュビトを測って私を渡らせると、水は腰に達した。彼がまた一千キュビトを測ると、渡り得ないほどの川になり、水は深くなって、泳げるほどの水、越え得ないほどの川になった。彼は私に『人の子よ、あなたはこれを見るか』と言った」。
 エゼキエル書47章の預言を受けて、その成就を示すのが、ヨハネの黙示録22章である。
 「御使いはまた、水晶のように輝いている命の水の川を私に見せてくれた。この川は神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れている。川の両側には命の木があって、12種の実を結び、その実は毎月実り、その木の葉は諸国民を癒す。呪わるべきものは最早何一つない」。確かにこれはエルサレムの回復であるだけでなく、エデンの楽園の回復でもある。
 イエス・キリストがこの大事な日に立って叫んで言われたのは、この終末的な成就である。ここで語られたことは、先に4章14節で、サマリヤの女に向けて、「この水を飲む者は誰でもまた渇くであろう。しかし、私が与える水を飲む者は、いつまでも渇くことがないばかりか、私が与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が湧き上がるであろう」という御言葉とほぼ同じことを言う。しかし、今聞くのはそれと全く同じではなく、終わりの日の成就、全世界の救いという意味を強く籠めたものである。
 「イエスは立って、叫んで言われた」。神殿で水を注ぐ儀式が行なわれていた丁度その時というふうに考える必要はない。この日に水と関係ある儀式があることを人々は良く知っていた。
 これを語っておられたのは、いつも説教をされたソロモンの廊であったと考えて良いであろう。説教の時、主は慣例に従って普通は座って語っておられたと思われる。この時は立ち上がりたもうたのである。そして、叫びたもうた。「誰でも、渇く者は私の所に来て飲むが良い。私を信じる者は、聖書に書いてある通り、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。
 「聖書にいう通り」というお言葉がここで重要である。聖書が言うとは、あちこちの聖句をいちいち引いて説明しなければならないということでなくてもよい。勿論、一つ一つの箇所を上げて良いのだが、むしろ聖書が全体として言っていることと把握した方が適切である。では、聖書は全体としてどう言っているのか。一言で言えば、聖書はその目標であるイエス・キリストを指し示す。しかし、ここでは、さらに分析して、四つの点を捉えるのが良かろう。
 第一は、神からの呼び掛け、あるいは招き、あるいは召しである。旧約聖書がそれを語っていたのである。「誰でも渇く者は私のところに来て飲むが良い」と言われたのはイザヤ書55章1節の言葉である。イザヤ書では言う、「さあ、渇いている者は、みな水に来たれ。金のない者も来たれ。来て、買い求めて食べよ。あなたがたは来て、金を出さずに、ただで葡萄酒と乳とを買い求めよ」。恵みは価なしで提供される。それも、注意深く探し求める者だけが気付いて自発的にやって来るのではなく、うかうかしている者も気付かずにおられないように、大声で呼び掛けられる。いや、ここには拒むことの出来ない召しがある。召しを受けたならば、それを選択肢の一つとして、そのほかの選択肢と比較して決断するというのではなく、選択肢はこれしかないのである。これを受け入れるか拒むかである。いや、もっとキチンと言うならば、拒む余地があると見てはならないのである。
 第二に、私のところに来い、と言われる。どこかを指して、あの道を行け、と言うのでなく、私が道である。私に来い。私、イエス・キリストこそが救い主だと言われる。モーセが岩を打って水を出したその岩がキリストであると我々は教えられている。神が憐れみをもって、渇く者に奇跡的に水を与えたもうたと理解するのでは不十分である。どの岩でも良かった、というのではない。この岩しかなかった。
 そのように、誰かを通して神の恵みに与ることが出来る、というのではなく、キリストからしか恵みは来ないのである。それが聖書の証ししていたことである。
 第三に、「私を信じる者は、その腹から生ける水が流れ出る」。渇いた者が命の泉から汲んで、飲んで、息を吹き返して、癒されるのであるが、それだけではない。「このように水を飲む人はまた渇くであろう」とサマリヤの女に言われたが、喉は一時的に潤されてもまた渇くのである。しかし、キリストを信ずる者は時々泉に帰って来なければならないというのではなく、自らが泉となる。
 キリストの恵みは尽きない豊かなものであるというふうに取っても良いだろう。しかし、さらに、恵みを受ける者が自由を得、自立することも理解しなければならない。
 第四に、「これはイエスを信ずる人が受けようとしている御霊を指して言われたのである」とすぐ続いて注釈される。水が涸れないのは、水によって象徴されているものが霊だからである。
 御霊が与えられるのは思い設けない恵みであったのではなく、御霊の約束は旧約において与えられていた。
 御霊についてはさらに註釈が加えられる。「イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである」。確かに、今すぐ御霊を注がれるのではなく、主イエスが栄光を獲得したもうて初めて、彼は聖霊を与える機能を行使したもう。このことは20章22節で、復活の主が弟子たちに息を吹きかけて「聖霊を受けよ」と言われたところにハッキリ示される。へブル書2章10節に「万物の帰すべき方、万物を造られた方が、多くの子らを栄光に導くのに、彼らの救いの君を、苦難を通して全うされたのは、彼に相応しいことであった」と言うが、これと一致する。苦難によって全うされることがまだ済んでいなかった。
 それでも、この日の説教は全ての人にではないが、一部の人にはこれまでにない深い感銘を与えた。ある者はこれを聞いて、「この方は本当にあの預言者である」と言った。
 「あの預言者」という言葉は1章22節に一度使われた。人々がバプテスマのヨハネに、あなたはあの預言者か、と尋ねている。人々は来たるべきメシヤについて正確な理解を持てなかったので、メシヤその者と、それに非常に近い意味での「あの預言者」を別々に考えたのである。
 したがって、次の人が「この方はキリストである」と言ったのも明確な認識を踏まえたものとは言えない。彼らの言うのは「キリストのような人」という程度であった。告白になっていない予想、憶測なのだ。だから、その反対の憶測が突きつけられると、答えられない。分争にはなったが、信仰告白が確立したのではなかった。
 反対する人の論拠は、キリストがガリラヤのナザレから出るわけはない、というところにあった。キリストはベツレヘムから出る、と彼らは知っている。では、主イエスがベツレヘムから出たと知ったなら、彼らは信じたか。否、彼らはやはり信じなかったのである。キリストがベツレヘムから出ることを人々は知っていたが、その方に出会おうとしてそこに赴く人は、東の国にはいたが、ユダヤにはいなかった。ここで、もう一度、御霊の力に思い至らなければならない。Iコリント12章3節の言うように「聖霊によらなければ誰も『イエスは主である』と言うことは出来ない」のである。
 

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