◆説教2001.03.18.◆ |
――ヨハネ7:28-33によって――
人々は主イエスがご自身を公然と顕したもうことを期待した。そして、主がご自身を公然と顕したもうた一つの機会は、14節で見た通り、仮庵の祭りの期間に宮の中で説教を始められた時である。
7章4節で、主イエスの兄弟が、「自分を公けに現そうと思っている人で、隠れて仕事をする人はありません」と忠告したように、ガリラヤにこもって伝道している限り、公けに自分を現すことにならないと見られていたようである。それは人間の見方であって、事実は必ずしもそうではないのだが、見る人からは公けの顕現がなされていないと思われているのだから、それに答えなければならなかった。二つの道においてそのことがなされたのを読み取っておく。 一つは、隠れていることの積極的な意味を発見するよう示唆することである。イエス・キリストは世に来たりたもうたが、或る意味ではなお隠されていた。人々は「見ても見ず、聞いても聞かず」と言われるような状態であった。では、隠れているものを発見するとはどういうことか。それは、見えぬものの真実を見えないままに把握して、見える以上の確かさを確信し、これをまことと信ずることである。信仰の確立である。 第二に、旧約聖書には救い主が宮に現われるとの予告があり、仮庵の祭りが終わりの日の象徴だという教えがあるのであるから、約束が成就していることを示すために、キリストが、仮庵の祭りに、エルサレムの宮に、公然と現われたもうことは必要であった。 このことを14節で学んだのである。 このようにして主イエスはエルサレムの宮に現われたもうたのであるが、さらに見なければならないのは、28節で、主が説教の中で、一段と声を高めて叫びたもうた場面である。ただ語りたもうただけではない。声を大きくすることによって、また激しい気迫によって、強く訴えられたのである。不注意な者も聞き落とすことが出来ないようにされた。いや、発声を大きくして叫びたもうただけではない。語りたもう言葉の内容はご自身が何であるかを明確に顕すものであった。 私がどこから来たか。私は何者であるか。私が明らかにしている事柄は何か。――それを十分ハッキリ示したもうた。しかし、すべての点で公然となったにも拘わらず、人々には何も明らかにならなかった。むしろ、人々はますます暗闇の中に頑なになって行った。 ここでまた、隠れたものを見る信仰に行き着かなければ、見えていても空しいということを教えられるのである。この世は殆ど「見せる」ことで成り立っている。これを必ずしもハシタナイと決めつけるべきではないが、その風潮はますます露わになって来て、見せかけが全てになってしまった。意識する場合もしない場合もあるが、人々は自分の価値を見せて、自分が如何に有用な人間であるかを見せて売り込む。自分を商品化する。それをしない人、そういうことが嫌になった人は、落ちこぼれと言われ、人生の脱落者と看倣される。イエス・キリストが公然とご自身を示されたみ業まで、そのような原理で動いていたと考えてはならない。 さて、主イエスが宮の内で叫びたもうた言葉を前回学んだのであるが、もう一度見ておく。「あなたがたは私を知っており、また私がどこから来たかも知っている」。 これは直接にはエルサレムの人々が、彼がどこから来たか知っている、すなわち、たかがナザレではないか、と言ったのに答えて語られたものである。ここには、知っていると思う者は知らねばならぬほどのことも知っていない、という含みがある。 大事なのはそれに続く御言葉である。「しかし、私は自分から来たのではない」。「自分から来る」という言い方は「遣わされる」と対にして読まなければならない。ここでは、どこで生まれたかは問う余地がなくなる。ベツレヘムで生まれたか生まれなかったかは、ここでは全く噛み合わない議論である。イエスがベツレヘムで生まれたもうたことを、どうでも良いこと、否定しても良いこと、と言うわけではない。これは約束であるから成就されなければならなかった。しかし、問題は別なのである。 遣わされた者においては、背後に或る権威があって、その権威によって遣わされて来ている。終始その権威に従って務めを行なう。教えもそうである。16節で言われた、「私の教えは私自身の教えではなく、私を遣わされた方の教えである。神の御心を行なおうと思う者であれば、誰でも私の語っているこの教えが、神からのものか、それとも私自身からのものか分かる」。だから、遣わした権威との関係で彼の全てが見られなければならない。それに対して、自分から来た者においては、自分以外に権威はないのである。 イエス・キリストは或る意味で自ら権威を持ちたもうた。我々はそのことを知っている。我々は我々に向いておられる彼の背後に、彼を遣わした、彼以上の権威があることを殆ど忘れて、彼が唯一絶対の権威、私の唯一の主であると見、彼にのみ目を注いで「主よ!」と呼んで差し支えない。このことをハッキリ教えるのは、我々のよく知るマタイ伝28章8節とピリピ書2章6節から11節である。前者は言う、「私は天においても地においても、いっさいの権威を授けられた」。また後者は言う、「キリストは神の形であられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、己れを空しうして僕の形を取り、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、己れを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。それゆえに、神は彼を高く引き上げ、全ての名に優る名を彼に賜った。それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものが膝を屈め、またあらゆる舌が、『イエス・キリストは主である』と告白して、栄光を父なる神に帰するためである」。 それ以後、主イエスの権威は信ずる者には明らかになった。しかし、その時までは、彼の栄光は「僕の形」のもとに隠されていた。十字架の死に至るまでは僕に徹しておられた。それでも、彼の権威が隠されていても、隠されたものを見抜く信仰の目を賜った者には、徴しを通して彼の権威が見えた。 遣わされた彼に権威が授けられたのはどのようにしてかについて、我々は5章で学んで来た。それは安息日に癒しを行われた奇跡をキッカケに起こった対論の中で語られた御言葉である。5章25節以下に主イエスはこう言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。死んだ人たちが神の子の声を聞く時が来る。今すでに来ている。そして聞く人は生きるであろう。それは、父がご自分のうちに生命をお持ちになっているのと同様に、子にもまた、自分のうちに生命を持つことをお許しになったからである。そして、子は人の子であるから、子に裁きを行なう権威をお与えになった」。 「死んだ人が神の子の声を聞き、その声によって生き返る時はすでに始まっている」と宣言された。この言葉は発病以来38年寝たきりになっていた病人が起き上がり、床を取り上げて歩き出した事件と結び付けて理解すべきものである。驚くべき事件には違いないが、驚いているだけでは殆ど意味がない。もっと目を高く挙げて、「死人の甦り」という約束が成就したと理解しなければならない。 この事が実現したのは、父なる神が御子を遣わされたからであるが、御子を遣わすに当たって、神はご自身の持つ生命、あるいは生命の根源、あるいは命を与える窮極の権能を、御子に託したもうたからである。我々の生きているのは、生かされて生きる命である。命の根源は自らの内にはない。だから、生命現象を一応持続しているということが我々にとっての命である。この持続は永久のものではないから、持続力が燃え尽き、あるいは事故に遭えば生きることはやむ。しかし、神ご自身は命の尽きることなき源泉であられるから、その命は永遠の命であり、また生かす力である。そして、これを神は御子に委譲したもうた。だから、御子は死人を生かすことが出来るのである。38年寝たきりでいた老いた病人、それは生ける屍と呼んでよいようなものであった。それが立ち上がったのである。 「生かす」ことについて語られたのと似たことを、主イエスは「裁き」についても教えたもう。「父は誰をも裁かない。裁きのことは全て子に委ねられたからである」。5章22節で言われた言葉である。二つの場合は完全に同じではない。生かす場合は、父にはもう生かす力はなく、それがことごとく御子に与えられたというのではなかった。父にも生かす力はあった。だから、11章でベタニヤのラザロを復活させる時、主イエスはご自分にある力によってことをなしたもうたのでなく、父に祈った上で「ラザロよ、出て来い」とお命じになった。それと比べて、裁きの場合は、父はもう裁きたまわない。裁きの権能はことごとく子に移管されたのである。この違いについて、今は詳しく論じる時ではないが、「父はもう誰をも裁かない」という言葉は非常に重要である。 もう一つ、同じように「神の民」が「キリストの民」として委譲されたことも見ておかなければならない。17章6節で、「私はあなたが世から選んで私に賜った人々に、御名を顕しました。彼らはあなたのものでありましたが、私に下さいました」と言っておられる。このように、神のものが御子のものとして譲り渡されること、これが神の側で行われた救いの基礎である。これが三位一体の奥義である。 人々は「あの人がどこから来たか」つまり「どこで生まれたか」それを我々は知っている、と言ったが、これは救いと何の関わりもない知識である。「どこから来たか知っている」と言った時、彼らは愚かにも救いとの手がかりを僅かに残す綱を断ち切って漂流し始めたのである。 大事なのは、彼が地上のどこで生まれたかではなく、「神から遣わされたこと」である。人はここで「彼が遣わされたと知ること」の重要さを見るように目を向け変えねばならない。ベツレヘムで生まれた一人の人の生涯を知っても、それだけのことである。 「遣わされた」とは、単に使命があるというだけでなく、彼に託された賜物があり、彼を信ずる者は彼の持つその賜物の祝福、それを「永遠の生命」という名で総括することが出来るが、それに与るのである。 28節の後半であるが、「私を遣わされた方は真実であるが、あなたがたはその方を知らない」と主イエスは言われる。さらに続けて、29節に「私はその方を知っている。私はその方のもとから来た者で、その方が私を遣わされたのである」と言われる。 「あなたがたは私が遣わされたことを知らないのであるから、私を遣わされた方についても殆ど何も知っていない。知らないということすら知らない」と言われる。ユダヤ人は自分たちだけが神を知っているつもりであった。なるほど、神の与えたもうた律法を持つのはイスラエルだけである。しかし、律法をもっていると誇っても、律法に背いていたならば、律法を持つ意味はなく、律法は彼らの罪を定める証拠資料としてのみあり、裁かれる彼らは言い逃れる手段を全て剥ぎ取られる。一方、律法を持たない異邦人も、神から「良心」を授けられており、この良心が律法の代わりを勤め、律法に背くユダヤ人よりはまだむしろ正しい生活を営む場合すらある。ローマ書2章で教える通りである。 「私を遣わした方は真実であられる」と主イエスは言われたが、「真実」ということこそ神において最も重要な点である。聖書は神の真実を、具体的には契約を守る真実として我々に教える。まことに、神以外に真実な方はおられない。例えば、神々と呼ばれるものらは不真実である。その約束は悉く空しい。人間もまた不真実である。約束を守り切れないし、約束したことすら忘れてしまう。 神のみは真実である。そして神は御子を遣わす時、ご自身の真実をことごとく御子に託したもうた。したがって、人は御子キリストにおいて神の真実を知り、それを受け取り、彼とともにその真実を持って生きることが出来る。 次に行く。「そこで人々はイエスを捕らえようと計ったが、誰一人手を掛ける者はなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである」。――主イエスが上に言われた言葉は人々の憎しみを決定的にしたのである。しかし、イエスの時がまだ来ていなかったから、誰も彼に手を掛けることが出来なかった。計画は出来たが実行が出来なかった。 30節にある人々と31節の群衆は全く別の人である。彼らはイエスがキリストであるかないかを決着させる論争に巻き込まれたくないと思った。「キリストが来ても、この人が行なったよりも多くの徴しを行なうだろうか」。――だから、キリストであることを証しして余りあるということなのか。そうではない。「キリストであってもなくても、沢山奇跡を行なってくれたから良いではないか」ということなのだ。 パリサイ人が民衆のこの噂を耳にして、祭司長がイエスを捕らえさせるために下役を派遣するということになった。民衆はイエスがキリストであるかどうかより奇跡に関心がある。だから直ぐには不穏なことにはならないが、キリスト以上に奇跡を行なう人がいるという噂は危険である。逮捕して裁判に掛けねばならないと当局者は考えた。 ここでも逮捕は失敗した。これも「イエスの時が来ていなかったから」との理由によるのである。キリストの受難の時は神の計画の中で決まっていて、人がそれを早めようとしても出来なかった。主イエスに手を掛けようとした人がなぜ失敗したのか。その説明はない。逮捕したのにスルリと抜けられたのか、手を掛けようとした者が金縛りにあって動けなかったのか、民衆が彼の身を守ったからなのか、それは分からないままにして置こう。主が彼らに答えておられる言葉を聞くだけでよいのではないか。 33節で主は言われる、「今しばらくの間、私はあなた方と一緒にいて、それから私をお遣わしになった方のみもとに行く。あなた方は私を捜すであろうが、見つけることは出来ない。そして私のいるところに、あなた方は来ることが出来ない」。 「もう暫く私はあなた方と一緒にいる」。彼はご自分の時を知っておられるのだ。これについては、13章の初めに、「過ぎ越しの祭りの前に、イエスはこの世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られた」と書いてある。弟子たちには時が来ていることがなかなか分からなかったようであるが、主が受難の時期を知っておられたのは驚くほどのことではない。 「しばらくの期間を経て、私は私をお遣わしになった方のみもとに行く」。これは第一に、我々が上に学んだこと、父のもとから遣わされたあのコースの逆向きであって、遣わされたことが彼の栄光を示したように、帰って行くことも栄光への回帰である。 第二に、これは苦難と死を指している。人々が彼を殺そうとしたが、彼の時が未だ来ていなかったため、捕らえることも出来なかったということを読んで来たが、時が来れば彼らの企てを阻止していた閂は外される。 父のもとに帰るのに、惨殺死体として帰るのか。そうではない。栄光の座への帰還である。では、十字架の深手、鞭打たれた傷、血だらけの姿、それはどういうふうに浄められたのか。我々には分からないが、復活の主は最初に出会ったマグダラのマリヤに。「私に触ってはいけない。私はまだ父のみもとに昇っていないのだから」と言われたと20章17節に書かれている。息子の惨殺死体が父のもとに担ぎ込まれるようにしてではなく、父が殺された子の遺骸を引き取りに来たというのでもなく、キリストは死に対する勝利者として帰って行かれたということを我々は教えられるのである。これが我々の凱旋行列の先頭に立ちたもう姿である。
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