◆説教2001.02.11.◆

ヨハネ伝講解説教 第69回

――ヨハネ7:10-14によって――
 「しかし、兄弟たちが祭りに行った後で、イエスも人目に立たぬように、ひそかに行かれた」。――今日はこの節と、14節の「祭りも半ばになってから、イエスは宮に上って教え始められた」の聖句を二つの焦点として学ぶ。
 兄弟たちを先にエルサレムに行かせて、主イエスは後で行かれた。14節に「祭りも半ばになってから、イエスは宮に上って教え始められた」とあるのは、半ばになってエルサレムに到着したという意味に解釈する人もいるが、初めからおられたと取って置こう。
 仮庵の祭りにギリギリに間に合うように行かれたのであろう。それも、人目に立たぬように、ひそかに行かれた。ということは弟子を連れないで一人でという意味かも知れない。なるほど、12人の弟子を連れていると、目に付くのである。とすれば、弟子を先に行かせていたのであり、先に3節以下で、主イエスに語りかけていた「兄弟」というのに、弟子も含まれていた可能性がある。
 しかしまた、弟子たちを連れておられたかも知れない。弟子が一緒であったから、主イエスが人に知られないように気遣っておられた様子について証言出来たのではないかとも考えられる。結局、どちらであったかは我々の知恵では判断できないのだが、弟子たちも、そして我々も、ご自身を顕したまわない主、隠れて歩みたもうイエスという、これまで見ていなかった一面をここで捉えなければならない。この証言を聞いたことによって我々のキリスト認識は一まわり大きくなる。
 神を見ることの出来ない人間が、神を見ることの代わりにご自身を見るようにと、神の子が来られたのであるから、彼がご自身を顕したもう面に我々の目が全面的に向けられるのは当然である。しかし、顕された面が全てではない。隠されたもう一つの面がある。そういう一面があるということ、それをシッカリ押さえていること、これは我々のキリスト理解において相当に重要な要素ではないだろうか。
 或る人物について、または或る事柄や物件について、知られない一面があるのは通常のことである。そして人はそれを知ろうとする。それが必要である場合もあるが、浅薄な好奇心の衝動に過ぎない例も多いのである。そこで、そういう欲求を抑制するのが人間としての品位であるとされる。
 しかしその反面、勿体をつけて事を隠したがる人もいるという現実がある。特に、権力を握る者に見られる傾向である。低い地位の人は、自分の身辺事情が大っぴらになることを恐れないが、高い地位にある人、また自分が高い地位にあると思っている人ほど、隠そうとする。疚しい感じをもって生きているからである。そして、隠すことが認められていると、その蔭で道徳的頽廃が進む。そういうわけで、人間の事柄は原則的には隠されるべきではない。特に権力のある者の資産の公開や、そういう人たちで独占され勝ちな情報の公開は社会の正義と公平を維持するために必要である。
 ところで、人間に関するこのような事情を神に当てはめるのは間違いである。箴言25章2節に「事を隠すのは神の誉れであり、事を窮めるのは王の誉れである」という句がある。これは神についての積極的な定義とか、救いのメッセージとか言える聖句ではないが、ここには人間にとって大事な知恵がある。神の顕したもうことは知らねばならないが、それとともに、神の隠したもうことは知ろうとしない慎みが知恵なのである。
 かつて人類は、月の裏側は見られないと信じていた。こちらから見られる面についてだけ人は月を見て満足していた。今日では、人は月の向こう側まで行くことが出来るようになったので、裏側を見てしまった。今そのことの是非を論じるのではないが、この譬えを神を知ることに適用してはならない。神については、神の知らせたもうことを知り、知らせたまわないこと、謂わば神の裏側を知ろうとしないようにすべきである。知るべきでないことを知ろうと努めるのは、益にならないだけでなく、禍いになる。神は正面から拝むべきである。アブラハムのそばめであるハガルが荒野に放逐されて、途方に暮れた時、御使いと出会って助けられ、「自分は神の後ろを拝んだのである」と言ったことが創世記16章13節にあるが、これは神から見放されたと感じたところにも神がおられた驚きを表すものであって、神の後ろ側に行ったことを意義づけるものではない。
 神の裏側を見ることの無意味さは、イエス・キリストを知る知識に関しても考えて置いて良い。彼が人目に立たぬようひそかに行動された事実を、神秘なヴェールで被う必要はない。天使がその伝えるべき言葉を語り終えるとその姿が見えなくなったように、あるいは復活後の主イエスが顕現して、また姿を隠したもうた時のように、非常に強い意味でご自身の存在を隠したもうたのではない。ひそかな行動をされた理由すら考えてもいけないということでもない。しかし、「知られざるキリスト」という局面に興味をそそられたり、これを知ってやろうという野心を起こすことは意味がない。キリストが啓示されたことに重要性があるのであって、隠されたキリスト、知られざるキリストを論じるのは空しい遊び事なのだ。「知られざるキリスト」とは、我々がまだ知ることを怠っているだけで、キリストが隠されているわけではない。
 さて、なぜ、主はひそかに行かれたのか。その理由は全く明らかとは言えない。主はご自身を隠すことを好しとされたからであるという以上の理由は我々に言えない。それでも、聖書をキチンと読んで行けば、或る程度立ち入ることが出来るのである。
 マルコ伝9章30節に「それから彼らはそこを立ち去り、ガリラヤを通って行ったが、イエスは人に気付かれるのを好まれなかった」と記している。我々が深い思いを籠めて読むことを促される箇所であるが、これと似た状況のように思われる。――もっとも、マルコの伝えるその時、主イエスは過ぎ越しのために上京しようとしておられた。今度の過ぎ越しに、人の子は死ななければならないと承知しておられたから、これは最後的なガリラヤ出立であった。最後的に立ち去って行くことをガリラヤの人に気付かせないようにされた。今、ここでは、仮庵の祭りのための上京であるから、二つのことを同一視するには無理があるのではないか。
 ただ、マルコ9章の場合、ひそかに行こうとされた理由を挙げて、次の31節に、「それは、イエスが弟子たちに教えて、『人の子は人々の手に渡され、彼らに殺され、殺されてから三日の後に甦るであろう』と言っておられたからである」と説明されている。この御言葉は問題を解くヒントではないか。すなわち、まだ分からないところが残るが、十字架の死が近づいているからこのようにされたという意味である。十字架の死を定められた通りに遂行するために、切り捨てるべきことを切り捨てたもうたのである。ご自身の時を見詰めておられる。それが、この姿であった。
 イエス・キリストが人目に立たぬようにしておられたとは、犯罪人が変装して身を隠すようなことではない。隠れるために特別な小細工は何もされなかった。簡単に言えば、ご自身は正々堂々、逃げも隠れもされないが、沈黙しておられ、み業をされなかっただけである。彼が語りたもうなら、人並みの聞く耳ある人なら、これはただ人ではないと直感するであろう。彼の奇跡を見た人なら、さらに容易に彼の卓越性を感じ取ったであろう。しかし、彼が語らず、み業をされなければ、見たままでは人と異なるところはなかった。その顔を覚えている人には、これがナザレのイエスだと分かったのだが、顔を知らない人にとっては全くただの人であった。祭りに集う大群衆の中におられると、彼を見分けることは不可能とは言えないとしても、かなり困難であった。つまり、彼は風貌においては卓越せず、御言葉においてご自身を顕されたのであるから、彼の言葉が聞こえて来ないところでは、彼は隠されているのと同然であった。
 7章の初めで見たように、ユダヤ人が彼を殺そうとしている意図を彼は知っておられた。
 ユダヤ人がガリラヤに人を遣わして、イエスの動向を探らせていたかどうかは分からないが、ガリラヤで目立つことをされたなら、噂は忽ちユダヤに伝わる。それはユダヤ人の悪意を刺激して暗殺計画を促進する。しかし、キリストの死は、過ぎ越しの祭りの時でなければならない。それより早く殺されることがないように用心しておられた。今回はガリラヤからユダヤにかけて、彼は祭りに向かう普通のガリラヤ人の一人として歩んで行かれた。
 人目に触れないで置こうとするならば、エルサレムに行かなければ良かったではないか。だが、そういうわけに行かなかった。第一に、主イエスは律法に定められていることを手抜きせずに、悉く全うするよう努めておられた。仮庵の祭りに男子は出なければならない。彼は律法の終わりとなられるのであるから、律法を完全に果たさなければならなかったのである。
 第二に、今回エルサレムに上って、そこでなすべき多くの事があるのを知っておられた。それは14節以下で見る通りである。今回、少なくとも祭りの期間は奇跡をなさらなかったようであるが、語ることは大いに語られた。いずれ解き明かされるところであるから、今日は簡単に触れるだけに留めるが、37節にあるように、祭りの終わりの大事な日に、主イエスは大声で宣言をしておられる。これが、この時の上京の総括と言うべき出来事である。これはまた仮庵の祭りの終結の宣言である。
 第三に、30節で学ぶように、「イエスの時がまだ来ていない」。それを知っておられた。だからといって慎重を欠く行動はされなかったが、神が守っておられるとの確信をもって仮庵の祭りに参加されたのである。
 11節に移る。「ユダヤ人らは祭りの時に、『あの人はどこにいるのか』と言って、イエスを捜していた」。この「ユダヤ人」はユダヤに住む人ではあるが、それだけの単純な意味ではなく、キリストの敵対者という含みで呼ばれている。パリサイ派に属するようである。また人々を恐れさせるだけの力を持っていた。これまでヨハネの福音書で描かれていた通りである。
 恐れさせる力とは何か。もとより、霊的な威力ではなく、世俗的な力である。その実例を示すのは9章22節である。「両親はユダヤ人たちを恐れていたので、こう答えたのである。それは、もしイエスをキリストと告白する者があれば、会堂から追い出すことに、ユダヤ人たちが既に決めていたからである」。――会堂から追い出すとは、ユダヤ人の共同体から破門することである。9章34節にある「彼を追い出した」は、この破門のことである。暫く後に彼らはキリスト者を破門する。ユダヤ人の離散した先々で、キリストを信ずるユダヤ人が出て来れば、皆破門された。
 彼らが「イエスを捜した」のは、慕い求め、尊敬し、教えを求めて、あるいは奇跡を見たいと思って、探し求めたのではない。彼らは敵意をもって捜した。捜し出して、殺そうとした、という意味である。イエスの顔は一応覚えているから、彼が来ているかどうかは見張っておれば分かると思って見張っていたのであろう。彼は来ておられた。しかし、彼らは主イエスを見つけ出すことが出来なかった。
 ユダヤ人は彼を捜しても捜しても見つけ出せなかったのであるが、それと対照的に、14節に見られる通り、主ご自身の側からご自身を顕されたのである。ここでユダヤ人らが主イエスを探し出せなかったのは、特別な神の介入が起こったからではない。神の手が彼らの目を遮ったために分からなかった、と考えることは、間違いではないが、それをここで強調する必要はない。彼らが捜しても見つからなかったことと、キリストご自身が現れ出たもうたこととの対比をここで示されなければならない。
 そこから、さらに考えを導かれて、善意であれ悪意であれ、自らの求め、自らの力でキリストを捜し出そうとしても失敗するほかないのであって、彼の側からご自身を示して下さらなければ、彼と出会うことはないという真理を学ばなければならない。
 さて、12節は群衆の間のイエスの評判を紹介している。「群衆の中に、イエスについていろいろと噂が立った。ある人々は『あれは良い人だ』と言い、他の人々は、『いや、あれは群衆を惑わしている』と言った」。――ユダヤ人がイエスを探し出そうとして見張っているのを見て、群衆の間にヒソヒソと噂話があったのかも知れない。
 「群衆」というのは、ここでは「ユダヤ人」と区別されている。群衆の中にはガリラヤから来た人も当然いたが、ユダヤに住む人もいたであろう。イエスに対して好意的な人もいたがそうでない人もいた。雑多であって統一的見解を持っていない。そのうちの一部が「あれは良い人だ」と言ったのはごく素朴な印象である。
 「良い人」という評価は好意から出たものであるが、これは単なる噂として語るものであるから、責任のある発言、信仰の表明ではない。実際、彼らはユダヤ人を恐れて公然と言うことが出来なかった。
 「良い人」という評判は民衆の間に一般にあったらしい。病んでいる者がいると癒して下さる。良い人と言うほかない。マルコの福音書10章17節以下にある一つの出来事を思い起こす。「イエスが道に出て行かれると一人の人が走り寄り、御前に跪いて尋ねた、『良き師よ、永遠の生命を嗣ぐためには内をしたら良いでしょうか』。イエスは言われた、『なぜ私を良き者と言うのか。神ひとりのほかに良い者はいない。………』」。「良き師よ」との呼び掛けを主イエスは保留された。この呼び掛けに相応しいのは神ひとりしかない。あなたは私を神として信じて告白するのか。そう問い直しておられるのである。
 「群衆を惑わしている」というのは、ユダヤ人から吹き込まれたか、ユダヤ人と共有している認識である。教理についてはイエスは自分を神に等しいものとして、先祖以来の正しい信仰の教理から完全に離れ去っていると彼らは見た。み業については、印を示すというけれども、魔術のようなものであって、単純な民衆を惑わしているという意味であろう。
 「しかし、ユダヤ人らを恐れて、イエスのことを公然と口にする者はいなかった」。
 ユダヤ人を恐れるというのは先に説明した通りである。イエスのことを心の中で良く思っている人も公然と彼を支持するのを躊躇った。それだけでなく、イエスについて討論することもユダヤ人に禁じられていた。ユダヤ人は討論の余地はないと決めていたのである。
 さて、14節、「祭りも半ばになってから、イエスは宮に上って教え始められた」。
 一週間に亘る祭りの後半に彼は公然とご自身を顕したもうた。顕すとは先に見たように語ること、宣言すること、教えることである。「教え始めた」とはその日から続いて教えたもうたことを言う。これは37節の祭りの終わりの大事な日における宣言でクライマックスに達したものである。
 祭りの半ばを過ぎるまで沈黙しておられたのは何故か。それは、ギリギリになるまでガリラヤに留まっておられたのは何故か、という問いと同じ性質の問いである。我々にはうまく答えられないが、終わりの日の宣言に向けて最も適切に時間を配分するようにコントロールしておられたのである。
 もう一つ、この日が安息日であったと考える余地がある。説教の中で安息日のことを論じておられるからである。一週間続く祭りであるから、どれかの日が安息日になる。最後の日がそうであったとも考えられるが、最後の日は八日目のようである。教えの中に安息日のことを持ち出しておられるのはこの日であるから、教え始めたもうた日が安息日であったと見るのが良いのではないか。
 彼の出現、彼の顕現、彼の自己啓示は説教においてであった。今日、主の日に行われるのも主の言葉の説教である。


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