◆説教2000.10.22.◆ |
――ヨハネ6::22-27によって――
舞台はパンの奇跡の行なわれた荒野から、カぺナウムの町中に移る。主題は一貫して、「命のパンとは何か」である。荒野では、最大規模の奇跡によって、「まことのパン」の徴が与えられ、カぺナウムでは、「まことのパン」とは何かを明らかにする議論がなされる。命のパンとはキリストの体であるという最高の奥義が示される。その奥義を人々は受け入れようとしなかった。 荒野とカぺナウムの中間に、弟子たちしか知らない海の上の奇跡があった。この奇跡は福音書のその後の筋の運びには関係ない。福音書以後の時まで謂わば封印されていた。弟子以外の人々は荒野の出来事と町での論戦しか知らない。荒野のパンの奇跡は解釈も何も要らない事実その物を示されることであるから、人々にはそのまま飲み込めた。 彼らは全く素直にキリストに従い、パンを頂いた。 カぺナウムの町に移ってからの主イエスの言葉は、彼らには難解極まるものであり、しかもカチンと来るものばかりだった。彼らは従順さを捨てて対立的になる。しかし、彼らが一転して主イエスに敵対するように変わったのではない。彼らの姿勢は一貫していた。主は、これを「朽ちるもののための働き」と呼んでおられる。「対立」と言うよりは、朽ちるものと朽ちないものとの平行線と言った方が分かり易いかも知れない。 彼らは終始一貫、朽ちる物を求める観点からしかイエス・キリストを見ていない。だから決裂したのであるが、それにしても、海の向こうの荒野と、町の中では人々の態度が違い過ぎるのではないか。確かに、非常に違うが、その違いの一端は荒野と町との違いであろう。 神はモーセを通じてイスラエルの民に語りたもうた。「あなたの神、主がこの40年の間、荒野であなたを導かれたその全ての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るかどうかを知るためであった。それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出る全ての言葉によって生きることをあならに知らせるためであった」。申命記8章に記される通りである。 神は人が御言葉によらなければ生きられないことをイスラエルに悟らせるために、40年間彼らを荒野に置き、苦しめ、飢えさせたもうた。彼らはそこで生活条件が劣悪であったばかりに、永遠の命を生きるとはどういうことであるかを悟らせられ、その悟りが身に付くように修練させられた。 ガリラヤ湖の東の丘陵地帯の草原も人里離れた荒野であって、そこには青草はあったが、そのほか何もなかった。町を離れて来た人々はここでたちまち飢えた。主イエスはパンを与えて彼らを養いたもうた。ことがら自体は一時の空腹を凌がせる食事ではあったが、その指し示すところは「主の口から出る御言葉」が人を生かすという真理であることを彼らは思い起こすべきであった。主イエスが五千人を町の外で養いたもうた時、それはモーセが豊かで、文化的で、しかし自由のないエジプトから人々を連れ出したことを思い起こさせる環境の設定であった。 場所を移して町に戻った時、人々は人生に飢えがあることをもう忘れて、己れの頑なさに帰る。町には物が貯えられている。町にいると、少なくとも何日間かは食べて行ける。飢えに直撃されることはない。それだけにまた、人を本当に生かす物が何であるかを見出す手掛かりを掴むことが困難になる。 荒野と町では環境がまるで違うが、人間そのものは荒野にいても町にいても違わない。 朽ちる食物にこだわって、朽ちない食物に向けて目を上げることをしない。荒野で、何もないという状況のもとで開きかけた目は、町では閉じてしまう。朽ちる食物のために生きることしか考えられなくなってしまう。 さて、舞台がカぺナウムに移るについて、幾つも分かりにくいことがある。22節に「その翌日、海の向こう岸に立っていた群衆は、そこに舟が一艘しかないのを見た」とあるが、昨日は二艘あったのに今は一艘になっているのを見ていたということなのか、それとも一艘あるのを昨日見たが、今日はそれがなくなっていたということなのか。良く分からない。しかし、分からないところに決着をつけねばならないと考えなくても良い。 分からない所は分からないままで読んで行く。 「イエスは弟子たちと一緒に小舟にお乗りにならず、ただ弟子たちだけが船出したのを見た」というのは、昨晩見たということであろう。主イエスのために一艘が残されていたのに、主はそれにお乗りにならなかったということなのか、一艘だけの舟に弟子たちが乗って行ってしまったということなのか、分からない。とにかく、彼らは昨夜の海の上の奇跡を見ていないようである。 そこへ、テベリヤの方から数艘の小舟がやって来るのである。何か曰くのある舟らしく、不思議な記事であるが、どういう事情があるのか全く分からない。「数艘の小舟がテベリヤから来て、主が感謝されて後、パンを人々に食べさせた場所に近付いた」。……昨日のパンの奇跡の報せがテベリヤに届いて、それで舟を仕立てて漕いで来たのかどうか、それも分からない。テベリヤは湖の真反対の岸にあるから、陸路、夜通し急ぎの使者を走らせたなら、パンの奇跡の報せが間に合わなくはない距離である。しかし、そこまで人々が考えていたかどうかは我々の想像力に余る。その数艘の舟の人たちはパンの奇跡の場所を正確に知らされていて、そこを目指して舟を漕いで来たように考えられる。「感謝されて後、パンを人々に食べさせた」という言い方は、あの事件を特別なこととして把握している人々が来たということらしいテベリヤの町のあたりに主イエスを慕うかなり熱狂的な人たちがいたようである。主ご自身は福音書の記事から推察する限り、テベリヤに行って説教されたことはない。そこはバプテスマのヨハネを殺したヘロデのいる所、ガリラヤの首都であり、主はガリラヤ伝道の間もヘロデに近付くことを避けておられた。だから、テベリヤの民衆がひときわ主イエスに憧れを感じていたということもあったであろう。 「群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知って、それらの小舟に乗り、イエスを尋ねてカぺナウムに行った」。この記事も混乱している。前日から海の向こうの荒野にいた群衆は、主イエスがおられないことを知っていた。「イエスも弟子たちもいないと知った」のは、だからテベリヤから来た人たちである。イエス・キリストがガリラヤ湖の東で大群衆を集めておられる、と知って、この人たちは舟を仕立てて駆けつけたのではないかと思われる。 とにかく、海の向こうのテベリヤから舟を連ねて来た人たちが、カぺナウムから来た人たちと同じ考えであったことは、ことの成り行きを見れば分かる。テベリヤから来た人たちも、イエスを王にしようとしていたに違いない。だから、テベリヤに使いを遣って急遽呼び寄せたということは考えられなくない。彼らは同じ思いになっていたから、テベリヤからの人々はカぺナウムの人たちを自分の舟に乗せ、主イエスを追い求めてカぺナウムに行ったのである。 25節には、「向こう岸でイエスに会った」というが、向こう岸のその地点はカぺナウムの会堂であろうか。29節にはそのように書かれている。とすれば、カぺナウムに来て早速会堂に行かれ、そこで教えられた。そこへ追って来た人たちが入って来たということであろう。 彼らは言った、「先生、いつ、ここにおいでになったのですか」。――彼らは主イエスが昨夜舟に乗られなかったことは知っていた。舟を使わず陸路を歩いていたなら、こんなに早くカぺナウムに着いたとはどうしたことかという驚きがあったようである。何か奇跡的なことがあったのではないかとの含みがこの質問にある。「先生」というのは「ラビ」である。普通、律法学者を呼ぶときに用いられた。主イエスはどの派にも属さないラビと見られていた。 主イエスは「いつここに来られたか」との質問には全く答えたまわなかった。そして、海の上の奇跡のことにも全く触れられなかった。それを語って彼らを驚かせる必要はないのである。ここからは大事な事だけを言われる。 「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが私を尋ねて来ているのは、徴を見たためではなく、パンを食べて満腹したためである」。「まことにまことに、われ汝らに告ぐ」と厳かな宣言がなされる。だが、これはまことに挑戦的な言葉である。折角慕って来ている人に、こんなに突慳貪な対応をしなくても良いではないか、という疑問があろうが、取り合わなくて良いであろう。我々は今や本質的な事柄の前に立たせられているからである。 「徴を見る」ことと「パンを食べる」こととが対照されていることに注目したい。奇跡的な方法によってパンを食べさせることは徴なのであるが、パンを食べて満腹するだけでは、ある意味で充実感があり、喜びがあるが、それだけで充足することであって、徴を見たことにならない。 徴とは、大いなる真理を示す小さい現象である。それを越えた大いなる真理を見ようとする信仰がなければ徴にならない。荒野で五千人がパンの奇跡で養われた事件は、それが示す神の国の到来と比べれば、小さい徴に過ぎない。これを徴として把握した人は、悔い改めて福音を信じ、キリストを受け入れる。しかし、人々はパンを食べさせて貰った幸福しか見ていなかった。 食べる物がなくて飢えていた所で、食物を与えられたことは通常の人間にとっては大いなる尊敬であり、感謝である。それは神々しい業である。ガリラヤの人々は感謝と崇敬をもって主イエスを王にしようとした。しかし、それは徴を真の意味で見たことではない。彼らとしては、乏しい民衆にパンを与え得ることは王たるに相応しい力量を持つことを示す徴なのであるが、主イエスは彼らの解釈を退けたもう。それはパンを食べて満足しただけなのだと言われる。 そこには宗教的な意味はなかったのか。パンを食べた民衆は神に感謝し、大いなる業を示したもうたことについて神を讃美したではないか。たしかに、人々は非常に宗教的気分に満たされている。だが、その宗教的気分は永遠の救いに繋がらない。 今日、多くの人は各地の教会に集まり、礼拝を捧げて宗教的な気分を満喫している。しかし、それがカぺナウムまで主イエスを追って行った人々の熱心と異ならないのではないか、ということを考えねばならない。 「朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くが良い」と主は人々を突き放したもうた。今も突き放しておられるのではないか。しかし、この御言葉は取りつく島もない拒絶ではなく、何をすれば良いかの指示をかなりハッキリ与えておられる。「永遠の命に至る朽ちない食物」のために働けば良いのである。 かつて4章で「この水を飲む者はまた渇くであろう」と主イエスはサマリヤのスカルで一人の女に仰せになった。渇いた人が飲んだ時、天国に入ったかのような幸福感に浸るであろうが、また渇くのである。讃美歌を歌って天国に入ったような恍惚感に浸っても、その感じはまた渇くのではないか。主が与えたもうのはその程度の恵みではない。「私が与える水を飲む者は、いつまでも渇くことがないばかりか、私が与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が湧き上がるであろう」。その時だけ満ち足りた思いになるのでなく、永遠の救いの確かさを掴むのでなければならない。 では、朽ちない食物とは何か。それを得るにはどうするか。主イエスは答えたもう、「これは人の子があなたがたに与える物である。父なる神は人の子にそれを委ねられたのである」。 「朽ちない食物のために働け」と言われた。人々は朽ちる食物のために毎日働く。それを卑しめるために言われたものではない。むしろ、「働かざる者は食うベからず」という原則がある。「小事に忠なる者、大事に忠なるべし」という原則がある。朽ちる食物のための労働は正しく行なわねばならない。しかし、それによって永遠の生命を獲得出来るわけではない。 さらに、この人々は海の向こうまで主イエスを追って行き、そこで主の手からパンを与えられて食べ、感動し、翌日また主イエスを求めてカぺナウムに来た。これはパンのために働くことを忘れて、永遠なるものに憧れて、一生懸命に追い求めていることではなかったのか。「そうではないのだ」と主イエスはハッキリ決めつけられるのである。彼らがイエスを求めて追って来たことは、宗教的欲求であるとしても、その宗教は朽ちる食物のための働きの延長に過ぎないのだ。つまり、彼らが「宗教的」と思っている業は、パンのための働きと同列のことなのだ。この世の暮らしを多少優雅にするために飾る付け足しに過ぎない。 これは今の我々に対しても重大な警告である。我々の宗教生活もこの人たちのそれと異なるところはないかも知れない。いやむしろ、あの人たちより真剣さと熱心さの点で劣るかも知れない。そうならないように、永遠の生命に至る確証を捉えていなければならないのである。 「朽ちない食物」とは何か。それは御父が御子に託して、救わるべき人に与えたもう食物である。5章21節に「父が死人を起こして命をお与えになるように、子もまた、その心にかなう人々に命を与えるであろう」と教えられたが、その命そのものを、「命に至る食物」という言い方で表わしたもうたのである。それは何か。6章35節に「私が命のパンである」と言われる。これが答えである。「私がそれである」と言われる。キリストからの何かではなく、キリストそのものである。人はキリストによって生きるのであって、キリストそのものを求めなければならない。そしてキリストは父からその愛したもう人々に贈られた賜物であって、人はそれによって生きるのである。 神から永遠の命が来ることは間違いない。だから多くの人は何らかの意味で神を求める。しかし、神を知らない人が神を求めるのは至難のことであるし、神を求める人が確実に永遠の救いに至るとは言えない。神を信じると言っていながら、キリストによって退けられた人がいるではないか。神を求めていると言いながら、救いに洩れて行く人がいるではないか。気休めのために神について語っても無駄である。 永遠の救いは、父なる神から来るのであるが、御子を通して伝達されるのである。そうでなければ、救いを神に求めることは間違いではないが、そこに確かさはない。 この後延々と続く論争は、面倒な議論のように思われるかも知れないが、主旨は「私が命のパンである」ということに尽きる。キリストがもろもろの祝福を齎したもうことは事実であるが、キリストの祝福の何かがあれば良いというのではなく、キリストそのものに与ること、キリストとともに歩むことが救いの道である。「私は道である。私は命である」と言われるお方が我々にご自身を差し出したもうのである。 |