◆説教2000.10.08.◆

ヨハネ伝講解説教 第56回

――ヨハネ6:11-15によって――
 主イエスのなしたもうた奇跡のうち、最大規模のものをこの6章で見ているのである。
 男だけでも五千人、女子供を入れれば一万人前後がこの奇跡にあずかった。ガリラヤにおける主イエスの活動が最も盛り上がった時である。
 しかし、彼らに見られた盛り上がりは、15節で読むように、イエスを王に立てようとする政治的行動でしかなく、主はそれを拒絶したもう。しかも、ここから直ちに大部分の弟子が離反して行くという結末になる。ナザレのイエスに対する人々の期待は誤解の反面でしかなかった。彼らの熱心は反発と紙一重で隣り合っていた。
 我々にとって大事なことは、この人々の誤解や浅薄さを批判することではないし、またそれを鏡として、己れ自身のうちに同じような罪がありはしないかと省みることでもない。大事なのは、見るべきであるのも拘わらず、人々が全く黙殺し、見ようともしなかった点である。
 26節で主は言われるのであるが、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが私を尋ねて来ているのは、徴を見たためではなく、パンを食べて満腹したからである」。
 主は徴をお示しになったのである。しかし、彼らはパンを食べ、満腹はしがが、パンをパントして見るだけで、徴を見なかった。徴を見るとは、目に見える徴を通して、目に見えない大いなる奥義に思いを高めることである。
 彼らは上にあるものに思いを向けようとはせず、地上にある肉的な食物に満腹し満足するだけである。この満腹状態を持続するために、彼らはパンを与えてくれる人を王に選ぼうとする。しかし、政治状態がよくて、パンを必要なだけ与えられていても、それによって永遠の生命に養われるわけではない。
 では、彼らが思いを向けるべきであった要件は何なのか。それは、場所をカぺナウムに移してから主イエスが詳しく説いておられるから、そこで学ぶことにする。今回は、もっと単純に、主が青草の上で繰り広げたもうた食事がどういうものであったかを見るだけに留めて良いであろう。
 さて、すでに見たように、この時の食事は、しばらく後の教会で行なわれるようになった主の晩餐と重なり合って見えて来る。主がここで聖晩餐を制定されたとは書かれていないし、この時制定されたと考える必要はない。しかし、何かの関連があることは否めないであろう。重ね合わせて見ることによって、核心的な事柄の理解が深まるのである。
 11節に「そこでイエスはパンを取り、感謝し……」とあるが、イエス・キリストはこの食事の主であられる。彼がこの食事を主宰し、指導し、彼自身がパンを差し出したもう。こうして食事が成立した。しかも、4節に「過ぎ越しが間近になっていた」という言葉がある。どういう意図があってこの言葉が挿入されたのであろうか。主がこの食事を「過ぎ越しの食事」として位置づけ、儀式の司式者としてこれを守りたもうたと言おうとするのではないか。少なくとも、過ぎ越しの食事を指し示すものとして執行したもうたことは確かである。
 遅くなったから、また群衆がふだんから貧しく、飢えていたから、食事を与えたもうた、と解釈することは、必ずしも間違いではない。例えば、ある人の所に客が訪ねて来て、語り合っているうちに食事時になったならば、食事に招いたのでなくても、主人が客に食事を出すのは人間の守るべき作法として当たり前のことである。だから、主イエスも人々に食事を提供されたと見て良い。
 招いたのでないのに、見知らぬ人が勝手に来たのだから、食事のことまで面倒見る必要はないではないかと言うならば、旅人を懇ろにもてなす道ではない。昔の人はそういう冷淡な扱いを恥ずべきことと考えた。それでも、五千人もの客を受け入れることは通常のレベルでは考えられない。しかし、非常に大きい主人であれば、大勢の客を受け入れることが出来るであろう。すなわち、国王となるべき人であれば、それが出来る。つまり、人々はそのような王たるべき資格をこの時ナザレのイエスのうちに見たのである。
 それは考えられなくないことだ。しかし、主が示そうとしておられたのは別のことであったのに、それを見ようとしないのであるから、彼らの目の付け所は全く外れており、言い逃れの余地はない。
 主イエスが人間味ある行動をとられて、ここで客をもてなしておられると読むことは出来なくない。だが、そう読み取ったところで、余り意味はない。彼は単に心優しいお方として人々に同情したもうたのではなく、もっと踏み込んだ関係になっておられて、一家の首として過ぎ越しの祭りを執り行ったのであると見たい。だから、祝福の祈りをもってこの儀式を始めたもうた。パンを取って祝福し、それから、これを割いて人々にお与えになった。
 ところで、過ぎ越しの食事なら、小羊の肉の焼いたものを食べるのであるが、この時、小羊の肉は配られなかった。それなら、過ぎ越しの食事ではなかったのではないか。なるほど、そうだったかも知れない。過ぎ越しの食事ならば夕刻から始まるのであるが、この時はまだ夕べではなかったようである。しかし、過ぎ越しの食事を指し示していたことは確かだったと見るべきであろう。
 12節に「少しでも無駄にならないように、パンくずの余りを集めなさい」という指示が与えられている。パンの余りが出たことは、他の福音書にも書かれているが、主が命じてそれを集めさせたもうたと言っているのはヨハネの福音書だけである。ここには食物を無駄にしないようにとの心遣いが示されていると読まれるかも知れない。しかし、そういう主旨ではない。
 先ず「パンくず」と訳された「クラスマ」というギリシャ語に注意したい。これは破片、断片を言うのであって、勿論パンの割いた物を指す。これは後の時代には教会用語となっている。すなわち、聖晩餐に際し、司式者がパンを割く、その割かれた一つ一つのカケラ、銘々が受け取る分を指す。ヨハネ伝の記者は、教会で行われる聖晩餐に重ねて、あるいは聖晩餐の原型として、主が手ずからパンを割いて与えたもうた過ぎ越しの食事を見ていたのである。
 次に、「少しでも無駄にならないように」という言葉を見直さなければならない。この訳が間違いだと決めつける必要はないが、この訳のままでは含みが読み取れないであろう。食物が無駄にならないように気を遣うのは、昔の乏しい時代の人類一般の生活習慣であっただが、今日でも、祈って食事を始める我々は、その食物を神から賜わった物として受け取るのであるから、無駄にならないように、また無駄になることを恐れて無理に全部食べるような愚かなことをしないように心掛けるのは当然である。だが、ここではそのような平凡な指示が与えられたのではない。
 「無駄にならない」という言葉も教会用語であると言うならば、それは言い過ぎになるが、この同じ言葉が別の訳語になっている幾つかの場合に、主イエスがどのような意味に用いておられるかを考えて置く必要がある。
 一つはヨハネ伝3章16節である。「神はその独り子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは、御子を信ずる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」と主は言われる。この「一人も滅びない」というところが「無駄にならない」と訳されたのと同じ言葉である。
 10章28節には、「私は彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らを私の手から奪い去る者はいない」とあるが、ここでも同様の意味である。パンのかけらが失われないだけでなく、主に属する人の魂が失われないということに目を向けなければならない。
 もう一つ、17章12節を上げよう。「私が彼らと一緒にいた間は、あなたから頂いた御名によって彼らを守り、また保護してまいりました。彼らのうち誰も滅びず、ただ滅びの子だけが滅びました。それは聖書が成就するためでありました」。これも同じである。
 18章9節には、「『あなたが与えて下さった人たちの中の一人も私は失わなかった』とイエスの言われた言葉が成就するためである」と記されている。ここの使い方も3章16節と同じである。
 パンのかけらが一つも無駄にならないようにする比喩によって、キリストの恵みのもとに置かれた人が一人も滅びないという確かな真理が指し示されるのである。キリストの恵みの確かさ、キリストの救いの確かさがつねに確認されていなければならない。不確かな恵みを語ってはいけないのである。
 これは、イエス・キリストの活動における最も基本的な原理である。沢山の人が集まったが、大半は去って行った。それは致し方なかったことであるし、また当然だった、というふうに割り切ってはならない。一見、そう思われるかも知れないが、キリストの恵みは確かであって、少しも無駄にならないのである。どうせ無駄になるのが大部分であるから、大量に人を掻き集めて置かなければならない、と考えている伝道者は少なからずいるようである。その伝道者は勤勉で真剣かも知れないが、それは主イエスの原則と全く違うのである。
 そのことと、聖晩餐とどう関わりがあるのか。聖晩餐が示しているのは救いのこの確かさである。昔の教会は、聖晩餐で余ったパンがムザムザと投げ捨てられることがないように、キチンと管理した。それが教会の慣習であった。今でも、或る種の教会では、聖晩餐のパンの余った物を神聖視して、これが粗略に扱われることがないように、物々しく飾り立てた入れ物に納め、これに敬礼したり、恭しく持ち回ったりしているが、これは殆どパンの偶像化である。
 パンが無駄にならないためには、パンという物質を大切にするよりも、それを相応しく受け、受けた以上は受けた恵みに相応しく生きるようにすべきであろう。すなわち、この印によって示されている恵みは、一人も失わないようにする確かさを持つということを覚え、そのことを証ししなければならない。
 次に「集めなさい」という指示についても考えねばならない。「余ったパンは捨てないで何らかの方法で取っておきなさい」とか、「持って帰りなさい」とか言われたのではなく、一つに集めることを指示したもうたのである。
 これも、教会の中でこの言葉が用いられた歴史を見れば、明らかにされるであろう。キリストの言葉でも使徒の言葉でもないが、使徒時代の次の時代の文書には、教会の中で聖晩餐のパンを集めることが行なわれたらしい様子が窺える。これは一つのパンが割かれて一人一人に分配されるだけでなく、さまざまに分かたれたパンがまた一つに帰すること、すなわち、教会の一致を象徴するものとされたことを示すのであるが、パンを集めるということが、ヨハネ伝6章の主イエスの教えに従って実際に行なわれたようである。その後の教会ではこれが守られなくなったので、どういうふうに実施されていたかを偲ぶ手掛かりもないのであるが、聖晩餐が信仰における一致を表わすことは、いつの時代にも強調されて来た。
 12の籠に一杯になったのは、沢山余り過ぎたという単純な意味ではないであろう。弟子たちが一人一籠を持って奉仕したことが語られているのである。そして12という数は神の国を象徴する数である。
 「彼らの望むだけ分け与えられた」。また「人々が十分食べた」という言葉も見落としてはならない。象徴的な意味のある食事であることを繰り返し教えられたが、象徴であるから少量のパンを味わうだけで良かったと考えるべきではない。確かに、ここでは朽ちる食物に目を向け過ぎてはならないのであるが、現実に充実感があったことを見落としてはならない。恵みが満ち足りているとの実感がここでは重要なのである。我々の聖晩餐でもそうである。
 「人々はイエスのなさったこの徴を見て、『本当に、この人こそ世に来たるべき預言者である』と言った」。
 ガリラヤの民衆はイエスを歓迎していた。しかし、奇跡を見て喜んだり、教えを聞いて感心したりしていただけの世俗的判断である。信仰的判断はしていなかった。この時が彼らの宗教に照らしての最初の判断であった。
 「来たるべき預言者」とは申命記18章15節で予告された預言者を指すと思われる。モーセのような、あるいはモーセを凌駕する預言者が、モーセによって予告されていた。それがメシヤだと考えられていた。
 その判断は間違っていたのであろうか。間違っていたとは言い難いのではないか。確かに、イエス・キリストは来たるべきお方であった。「来たるべき者」とはキリストを意味した。だが、ナザレのイエスを来たるべきお方として受け入れることと、彼を立てて王とすることとが、彼らにおいては矛盾がないことであった。彼が王であることは間違いではないが、彼らの考えているような王ではなかった。彼らは「キリスト」ということの深い意味、あるいは本来の意味にまで理解が達していない。
 7章の40-41節には「群衆のある者がこれらの言葉を聞いて『この方は本当にあの預言者である』と言い、他の人たちは『この方はキリストである』と言った」と書かれているが、預言者というのとキリストというのとの区別があったかのように思われる。
 「イエスは人々が来て、自分を捕えて王にしようとしていると知って、ただ一人、また山に退かれた」。
 主は人々の心の思いを「知り」たもうた、と書かれている。すなわち、目に見える動きにはまだなっていないものを見抜きたもうた。その洞察は確かであった。ガリラヤ地方には熱心党の運動が盛んであった。主イエスの弟子の中にも何人か熱心党の出身者がいる。これはユダヤ民族主義であり、王を立てて独立しようとする。
 確かに、キリストは王である。だが、人々の考えるのと全然違った意味での王である。
 これは最後にポンテオ・ピラトの法廷で明らかにされる。
 王であるには違いないのだから、このまま受け入れておいても良いではないかと人は言うかも知れない。それが尤もらしく聞こえるのである。王として立てたいという願いを受け入れて、それからだんだん教え込んで、修正を加えれば良いではないか。主が人々の幼稚な信仰を受け入れたもうた場合があることは確かである。ところが、主イエスはここではそれを拒絶したもう。
 何故か。この後の対論の中でそれは明らかになって行く。パンを食べた満腹感の延長線上に王なるメシヤを考えている限り、彼らは正しい意味のキリスト信仰に決して到達出来ないのである。栄光のキリストから十字架のキリストへ進む道はない。十字架のキリストから栄光のキリストに行かなければならない。


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