◆説教2000.06.18.◆

ヨハネ伝講解説教 第44回

――ヨハネ5:1-5によって――
今日我々に与えられる聖書の言葉は、一人の人間の癒し、回復についての物語である。
 癒しそのものは「起きよ、床を取り上げよ、家に帰れ」という単純な御言葉によって瞬時に起こった。だが事情は割りあい詳しく述べられ、これが1節から18節まで続く。この出来事が安息日に起こったため、主イエスとユダヤ人とのすでに険しくなっていた対立をさらに激化させ、18節にあるように「イエスを殺そうと計るようになった」。そこから新しい御言葉が繰り広げられる。それが19節以下、章の終わりまでを満たしている重要な教えである。この教えの方が癒しの出来事より重要である。こうして、5章が全体として一つの纏まりをなすのである。
 28節-29節に「墓の中にいる者たちが皆、神の子の声を聞き、善を行なった人々は、生命を受けるために甦り、悪を行なった人々は、裁きを受けるために甦って、それぞれ出て来る時が来るであろう」と言われるが、そこで語られたことは、ベテスダで38年間起きられなかった人が起き上がった事実と照らし合わせるとき理解される。すなわち、この事件は来たるべきことの徴しであり、前触れである。その逆に、ベテスダの池で起こった事実は、28-29節の御言葉に照らしてこそ理解される。この徴しだけに目を注いでいては、見るべきことを見ていないのである。
 このように、主イエスの御業とその後に続く御言葉は結びあっているのであるから、前半部分だけでは完結していないということを良く承知しなければならない。38年患っていた人の癒しは感動的で、その出来事、さらにその出来事の部分部分だけでも、我々を大いに動かすのであるが、19節からの御言葉の序論のようなものであることを忘れないで読んで行きたい。そうでなければ、どんなに感動しても、その感動は一ときだけのものであって、間もなく冷えるのである。
 「この後、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた」。――ガリラヤでの活動は、祭りの時になったために打ち切られたらしい。ユダヤからガリラヤに戻って来られて、直ぐに次の祭りになったのかも知れない。
 ヨハネ伝福音書を神から与えられた御言葉として読んでいる我々にはどうでも良いことであるが、本来のヨハネ福音書は、4章の終わりから6章の初めに続いていたのに、順序が狂った、と考えている人たちがいる。その意見によれば、主はガリラヤでの第二の徴しを行なってから、6章にあるように湖の向こう岸に渡られた。そこで第三の徴しである五千人の給食の奇跡を行ないたもうた。それから、5章にあるエルサレム行きになり、それから7章に続く、というふうに読むのである。その方がスッキリするかも知れないが、順序を入れ替えねばならない積極的な理由は見出せないので、無視して置く。
 今度は何の祭りであったか、書かれていないので推測するほかないが、正確なところは結局把握出来ない。ヨハネ伝では、通常、主イエスがエルサレムに行かれる時、それが何の祭りのためであったかを書くのであるが、この場合はそれをしなかった。
 6章の4節に「時にユダヤ人の祭りである過ぎ越しが間近になっていた」と書かれているのが、手掛かりになる。5章の1節の「祭り」はその過ぎ越しの前年の何かの祭りであった。過ぎ越し、五旬節、あるいは仮庵の祭りである。7章2節に「時にユダヤ人の仮庵の祭りが近付いていた」と記される。10章22節には「その頃、エルサレムで宮潔めの祭りが行なわれた。時は冬であった」とあるが、宮潔めの祭りは律法で規定されていなかった神殿を捧げた記念日である。過ぎ越しと仮庵と五旬節と宮潔めの祭りに上京しておられたのではないかと思われる。5章の祭りが仮庵の祭りであるとすると、癒しの奇跡は仮庵の祭りの中の安息日に行なわれたことになる。
 この時の祭りが何であったかが分かれば、その祭りの期間、しかも安息日にこの奇跡の行なわれたことの意味をさらに深く考えるよう促されるであろう。だが、確定できないので、我々の想像も控えておかなければならない。確かなのは、終わりの日に起こるべきことの徴しとなっていることである。
 「エルサレムにある羊の門のそばに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があった。そこには五つの廊があった」。
 このたびの奇跡の記事は他の福音書に書かれていないために、聖書研究を批判的に行なう傾向の人たちを苛立たせることが多かった。ある人は、物語りも、事件も、その起こった場所も、ヨハネの創作ではないかと言っていたのである。そもそも「ベテスダの池」というものはなかった、と言う人までいた。別の名前であったと考える人もいた。事実、聖書の古い写本では、この池の名前が五通りほどの名前で記されていて一致しない。写本を筆写した人がヘブル語を知らなかったためであろうが、五通りの書き方がある。「ベツサイダ」という名が正しいのではないかという意見が強かった。しかし、近年はそういう混乱はキレイになくなった。20世紀の半ばに「死海文書」と呼ばれる一群の文書が発見され、解読が進んだ結果、「ベテスダ」という名の池があったことは確定した。また、1957年から62年に亙る発掘によって、池の形も大きさも精確に分かって来た。南北の二つの池からなっていたのである。
 「羊の門」という名はネヘミヤ記にある。バビロンから帰って来た人たちが神殿とエルサレムを再建したときにこの門が出来たらしい。以前の破壊された神殿にこの名の門があったかどうかは分からない。多分なかった。エルサレム神殿を取り囲む「異邦人の庭」の北の出入り口であった。
 「ベテスダの池」というのはエルサレムの貯水池である。僅かな湧き水を溜めていた。
 ベテスダとは「恵みの家」という意味である。9章に「シロアムの池」という名が出て来て、そのところでは「シロアム」という名を説明して「遣わされた者」のことであると言っているが、ここではベテスダという名について何も言っていない。福音書記者の意図としては、ベテスダの名に重点を置いていないのである。
 「五つの廊」があったとは、池を四角く取り巻く四本の廊があり、その真ん中を横切る五本目の廊があったということであろう。これは二つの池の間を通っていたのであって、その廊は東西に貫いていたであろう。廊というのは柱に支えられる屋根のある通路である。
 この廊が作られた記録がないが、ヘロデ大王が神殿の大修復をした際に、この廊の工事をしたのであろうと推測されている。ヘロデは派手好きであったから、この廊はキレイなものであったらしい。
 「その廊の中には、病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者などが、大勢体を横たえていた。[彼らは水の動くのを待っていたのである。それは、時々、主の御使いがこの池に降りて来て水を動かすことがあるが、水が動いた時、真っ先に入る者は、どんな病気に罹っていても、癒されたからである。]」病人たちのいたのは真ん中を通っている五本目の廊であったようである。これだと、水の動きがどちらの側で起こっても、直ぐに入ることが出来た。
 天使が降りて来るとは不思議なことに思われるであろうが、昔の人の民間信仰が自然現象をこのように説明していたのである。作り話ではない。今ならば「間欠泉」という名前で呼ばれるところであろう。池の水は一旦どこか地下の空洞に貯まっていて、それが一杯になった時、圧搾されていた空気の圧力で、ブクブクと泡立てて流れ込むのである。シロアムの池でも同じであったらしい。シロアムは低い所にあるから湧き水の貯まるのも早く、毎日のように水が新しく吹き出して来たが、ベテスダは高い所であるから、たまにしか水は吹き出さなかった。そこで、御使いが降りてくると信ぜられ、その信念で、病気が治ってしまった。
 この事についてはこれ以上言うことはない。たまに、水の動く機会にここで癒されて、去って行く人がいるが、人を押しのけて先に入ることの出来なかった人は、いつまでも待たされた。
 水がいつ動くか予想がつかないので、一番に入ろうとする人は昼夜を問わずここに寝起きする。食事は家族が運んで来たのであろう。身寄りのない人のためには施しをする篤志家がいたはずである。しかし、常時付添って介護することは出来なかった。自力で池に入るのは一番元気な人である。介助してもらわないと池に降りることが出来ない人は、機会を捉えることが出来ない。
 待っても待っても機会が来ない人……。このように言われると、我々にはこの物語りに無関心ではおられなくなる。これはあこぎな生存競争のこの世の縮図かも知れない。我先に人を押しのけて池に入り、癒されるとサッサと去って行く生活力の強い人は今もいる。しかし、水が動くのを知りながら、直ぐには入れなくて、寝たきりになっており、やっとのこと起きても間に合わない人は今の世にもいる。我々もそういう人々のことを忘れてはならないであろう。
 だが、大事な点は、今もそのようにことごとに立ち遅れて他人に先を越される人がいるという事実、我々がそういう人々に目を向けねばならないという呼びかけではない。大事なことは、キリストがその人に近付いて行かれ、主が声をお掛けになったこと、その主イエス・キリストに目を向けることである。
 勿論、取り残される人に無関心であって良い、というのではない。だが、我々がそういう人たちのために何とか役立ちたいと考え、ベテスダの池の水が動いたと聞いて駆けつけたとしても常に遅すぎるのである。たとい、私が駆けつけて上げると約束したとしても、私は間に合わないということを弁えなければならない。
 「さて、そこに38年の間、病気に悩んでいる人があった」。――病人は沢山いたのである。また13節には群衆が夥しくいたことを語っている。けれども、福音書は一人の人だけを取り上げる。
 38年という数字は何を意味するのであろうか。ある人は、出エジプトのイスラエルが、カデシバルネアで神に背いたため、直ぐに約束の地に入れなくされて、荒野に追いやられた時から、約束の地に入る少し前まで、ゼレデ川を渡るまでの期間がちょうど38年であったと言う。申命記2章14節に「カデシバルネアを出てこのかた、ゼレデ川を渡るまでの間の日は三十八年であって、その世代のいくさ人は皆死に絶えて、宿営のうちにいなくなった。主が彼らに誓われた通りである」と記されている。
 興味ある解釈には違いないが、これと結び付けるしかないと主張する謂れもない。イスラエルが荒野に突きやられたのは、それだけの刑罰を受けなければならないという理由があったからであるが、この人が38年病気でいなければならななかった理由はあったとしても特に書かれていない。少なくとも我々の論じて良い事柄の範囲内にはない。
 シロアムの池で癒された盲人の場合、彼が盲人に生まれたのは親の罪のためか本人の罪のためかと弟子たちが質問した時、主イエス・キリストは本人の罪でも親の罪でもない。神の栄光が顕れるためであると答えたもうたことを思い起こすのであるが、今の場合も全く同じである。38年も寝たきりでいなければならないのは、本人の罪ではなく、神の栄光の顕れるためであった。
 この人の病気については、もっと単純に考えれば良いのである。生まれた時から病気で体が利かず、38歳になっていたということではないであろう。治った時には、自分で床を取り上げて帰ることが出来る人であった。病気は何か分からないが、当時の言い方では中風として扱っていたもののようである。大人になってから発病して、38年したのである。昔の人は人生50年とか40年と言ったものであるが、大人になってから病気になり、その時から38年経過したとは、殆ど生涯の終わりの日になっていたことを考えないではおられない。我々の主イエスはそのような人一人だけと関わりたもうた。
 「イエスはその人が横になっているのを見、また長い間患っていたのを知って、その人に『治りたいのか』と言われた」。
 先ず、「見られた」のである。誰が見ても彼が寝たきりの病人であることは分かる。次に、長年患っていたのを「知られた」のである。これは誰にも見抜けるものではない。
 38年という年数はこの人の口から主に申し上げたのではなく、主が見抜いて知っておられたのである。
 それだけ知っておられるなら「治りたいか」と尋ねる必要はないのではないか。勿論そうである。では、この問い掛けは無駄であったか。そうではない。彼に癒されたいという意欲を起こさせるためにされたものであった。ラザロの場合、主は肉体が腐り始めた死人を呼び起こしたもうお方である。癒されたいとの意欲すら失った者でも癒されるのである。4章で見た癒しの場合のように、カナにいて遥か離れたカぺナウムにいる子供の病人をその親に与えた御言葉一つで癒したもうたお方である。しかし、主は、本人に癒されたいとの願いを起こさせ、求めさせ、恵みを受けようとする姿勢を整えさせて、それから恵みの業を行なうのが適当であると判断されるのである。我々に対してもおおむねそのようになしたもう。
 彼は全能者であられるから無条件に何でも出来る。全ての手続きを省略して直接に癒すことも時にはなさるのである。しかし、通常は、癒される願いを起こさせ、信仰を起こし、その信仰をいわば受け皿として、そこへ恵みを注ぎたもう。だから、何も知らないうちに恵みを受け、その後で悟ったということもあり得るのであるが、信じること、求めること、約束を待ち望むこと、祈りの努力をすることの意味を味わわせつつ恵みを与えたもうのである。
 「この病人はイエスに答えた、『主よ、水が動く時に、私を池の中に入れてくれる人がいません。私が入りかけると、ほかの人が先に降りて行くのです』」。
 これは、自分自身の状況を捉えた言葉である。そのようなことは、説明しなくても主はご存知である。しかし、彼にこう語らせたのは余計だと思わなくて良い。主の救いを受けとる者が、自分自身が何であるかを捉えることは無駄ではない。癒される前の自分を把握しておれば、癒された後、告白し、讃美することが出来る。9章の生まれつきの盲人の場合も同じであるが、5章の病人も15節にあるように「出て行って、自分を癒したのはイエスであったとユダヤ人に告げた」。癒してくれる人はイエス以外にはなかったのである。もし誰かが傍にいてくれて、水の動く時、池に入れてくれたなら、彼は癒されたかも知れない。しかし、それだけのことであった。「私を池に入れてくれる人はいない」ということは重要な認識である。
 「イエスは彼に言われた、『起きて、あなたの床を取り上げ、そして歩きなさい』。すると、この人は直ぐに癒され、床を取り上げて、歩いて行った」。
 癒しそのものは単純であった。これは命令である。しかも、健康者に対する命令である。起きて池に入れと言われても起きられなかった人が、健康者に対する命令には従ったのである。これは大事な意味を持っている。主が「これをせよ」と言われた時、「主よ、それはとても無理です」と言っている限り何も起こらない。我々は主が「起きよ」と言われる時に「主よ、起きられません」と言うべきであろうか。起きれば良いのである。


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