◆説教2000.06.04.◆

ヨハネ伝講解説教 第43回

――ヨハネ4:46-54によって――
 「イエスはまたガリラヤのカナに行かれた。そこは、かつて水を葡萄酒に変えられた所である」。
 カナはヨハネ伝を学ぶ我々にとって馴染み深い名である。それは最初の徴しが行なわれ、栄光が顕わされた地であると2章11節で述べられた。あの時のことにここでももう一度触れられる。カナはナザレの北にあるから、ユダヤからサマリヤを経由して来られた主イエスは、ナザレを通過してカナに行かれたのではないかと思われるが、ナザレのことには全然触れられていない。今日の聖書個所の中に、地名としてはもう一つカぺナウムが出るが、主は今回はここに行っておられない。舞台として設定されているのはカナだけである。役人はカぺナウムからカナに来て、またカぺナウムに去って行った。今回、カナにおける第二の徴しがあって、そののち5章に入ると舞台はユダヤに移る。
 どうしてまたカナなのか。福音書の中で「カナ」について述べているのはヨハネ伝だけである。この名は3回出て来る。3度目は「カナのナタナエル」という人名に含まれて21章2節に出て来るが、主イエスの弟子としてナタナエルの名を挙げるのもヨハネ伝だけである。他の福音書では別の名前になっているのかも知れない。とにかく、カナに2度行って奇跡を行なっておられるのはヨハネ伝だけの記事であって、ナタナエルと何かの関係があるように思われる。ナタナエルからこの二つの奇跡の伝承が始まったのではなかろうか。主は彼の家に泊まっておられたのであろうと推測される。
 「ところが、病気をしている息子を持つある役人がカぺナウムにいた」。――「役人」という言葉は「官吏」というのとは別のもので、「王家の者」すなわち、王の一族、あるいは王の家臣、近臣という意味である。王というのは、正確にはまだ王と認められていなかったガリラヤの国主ヘロデ・アンティパスを指すと思われる。王に近い人はテベリヤの町に住んでいたと考えられるが、この人はカぺナウムにいた。カぺナウムにあるヘロデの役所の長、あるいはヘロデの軍の隊長であったかも知れない。とすれば、マタイ伝8章とルカ伝7章にあるカぺナウムに百卒長がいて、その僕が癒された出来事と非常に良く似てくる。御言葉の力、また御言葉への信仰という点で内容的に似ているのである。同じ出来事が語り伝えられる間に二通りの物語りになったのかも知れない。
 百卒長の場合は、れっきとした異邦人であった。ここでも、ヘロデの家臣なら異邦人であったのではないかと思われる。――ただし、今日の個所のうち、48節に「あなたがたは、徴しと奇跡とを見ない限り、決して信じないであろう」と言われるところ、これは明らかに、ユダヤ人に向けての言葉であるから、この人を異邦人と断定するには支障がある。それでも、状況全体から考えて、この人が異邦人であったのではないかという感じを消し去ることは困難である。すなわち、ユダヤ人の中に見ることの出来なかった純粋な信仰が輝き出ているように受け取られる。マタイ伝8章10節と、ルカ伝7章9節の御言葉を思い起こすのであるが、主イエスは百卒長の信仰について、「よく聞きなさい。
 イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない」と言われたのである。それと雰囲気が似ている。
 とにかく、異邦人であるかないかは確かでないから、確定的であるかのように論じてここから教訓を引き出すことは避けて置く。
 前回45節で見たように、「ガリラヤの人たちはイエスを歓迎した」と書かれている。主イエスがユダヤでは受け入れられず、ガリラヤで歓迎されたことは事実である。だが、その歓迎が本当の信仰であったとは言わない方が良い。だから、サマリヤ伝道に続いて、今回のガリラヤ行きで、大いなる伝道の成果が上がった、という記録の一端として、この奇跡が記されるのではないと理解しよう。むしろ、ガリラヤではこれだけしか信じる人はいなかった、という主旨の記録かも知れない。
 「この人が、ユダヤからガリラヤにイエスの来ておられることを聞き、みもとに来て、カぺナウムに下って、彼の子を治して頂きたいと願った。その子が死にかかっていたからである」。
 彼は主イエスについてなにがしかのことを知っていたのであるが、エルサレムにおける奇跡の噂を聞いたからか、それとも、2章12節に「そののち、イエスは、その母、兄弟たち、弟子たちと一緒にカぺナウムに下って、幾日かそこに留まられた」とあったその機会に主イエスのことを知ったのか、それとも、もし彼がユダヤ人であれば、祭りの時上京していて、直接主の御業を見たかである。経緯は知りえないが、ナザレのイエスが癒しの力を持つという確信はあった。
 カぺナウムからカナまで地図で測って見ると、30キロほどある。片道で一日、往復で二日掛かる。子供を助けるためには主イエスの力にすがるしかないと彼は考えた。カぺナウムから頼みに行くのは骨の折れることであるから、熱烈な求めがない限りは行けないし、主イエスにお願いしてカぺナウムまで来て頂くのも、余程切実な願いでなければ、常識では頼めない。
 この父親の頼みとしたのは主イエスの癒しの力である。お願いして、カぺナウムまで来て頂いて、手を置いて祈って貰えれば治るかも知れない、と考えたのである。医者の力ではどうにもならない時、霊的な力を持った人に来て貰って、超越的な力を乞い求めて祈って貰うということは当時普通にあったようである。我々のような平凡な人間で、祈りの力によって奇跡を起こすという確信を持たない者でも、愛する人が病んでいると、遠くても訪ねて行って、癒されるように祈るではないか。
 したがって、この父親は主イエスに特別な力があることは信じているが、唯一の救い主、神の子、キリストと信じていたとは言えない。
 この人の名前も残っていないのであるから、特定出来ず、証し人としての資格が不十分だと言われるであろう。確かにそうなのだが、癒しの事実だけが主題であるとすれば、これだけの記録で癒しの事実を信じさせるには不十分であろう。しかし、我々がここから今日学ぶのは、ただの奇跡物語りではない。
 では、何をここで注目すべきか。それはこの役人の「信仰」である。その信仰に言及する前に、信仰の状況を見て置く。「ガリラヤの人々はイエスを歓迎した」と書かれていた。ユダヤでは疎遠に扱われたが、ガリラヤでは歓迎されたのである。この対照はハッキリしているが、大して意味はない。今ここでは、ガリラヤのおいて歓迎する多数者と、彼を切に求めて来た一人の人との対照をこそ見なければならない。
 その一人の人が信じたのである。サマリヤにおけるように大勢の人が入信したのではなく、一人の人とその家族が信じただけであった。が、とにかく、信ずることについて学ぶのである。
 先にカナで徴しが行なわれた時、期待されないのに奇跡が行なわれ、栄光が顕れた。カナにいた人の多くは主イエスに期待することも知らなかった。今回は期待し、切に求める人がいて、奇跡が起こった。
 昔のことである。人は病気や事故で手の施しようもないままに、呆気なく死んだのである。特に子供は、大人になるまでの間に沢山死んだ。親たちは構ってやれなかった。子が病気になった時、親は処置なしと簡単に諦めるほかなかった。かなり高い身分の人だけが、子供を手厚く看病し、治療のために八方走り回ることが出来たのではないか。実際、そういうケースしか記録に残っていないのである。
 「そこで、イエスは彼に言われた、『あなたがたは徴しと奇跡を見ない限り、決して信じないだろう』」。
 子供の死に直面している親の苦衷に同情して、「ああ、良く来た」と直ちにその願いを容れるのではなく、一度冷たく突き放しておられる。これは聖書を読み慣れている我々にとって奇異な出来事ではない。むしろ、通常この方法がとられている。例えば、スロ・フェニキヤに行かれた度の途中、カナンの女が子供の病気で助けを求めた時、主は「子供のパンを取って子犬に投げ与えるのは良くない」と冷酷なことを言われた。一度二度突き返して、求める者に求めるのが何であるかを自己吟味させ、悟らせ、求めることが何であるかを確認させるための手続きである。あるいは信仰に入らせる準備であると言って良いであろう。最初に語られる御言葉は、拒否であり、願いの否定である。あるいは、そのような形での信仰を否定する言葉である。
 この場合、「徴しや奇跡を見て信じているような信仰ではいけないのだ」と言っておられるのである。2章23-24節に、「多くの人々は、その行なわれた徴しを見て、イエスの名を信じた。しかし、イエスご自身は、彼らに自分をお与えにならなかった」とあったように、主イエスは「見て信ずる信仰」を取りあっておられない。「見ずして信ずる者は幸いなり」と言われる通りである。このことはヨハネ伝で繰り返し学ぶのである。
 また、45節に書かれていたような民衆の歓迎は、エルサレムで奇跡を見ていたからであったが、「見て信じる信仰」を越えなければならないことを諭しておられるのである。
 まさに、そうなのであって、我々が今日のテキストで学ぶ中心点は、「見て信じる信仰」を越えて、「御言葉への信頼」に至らなければならないのである。
 「この役人はイエスに言った、『主よ、どうぞ、子供が死なないうちに来て下さい』」。この言葉にどれだけの内容が含まれているかは必ずしも容易には読み取れない。しかし、先に主イエスの言われた言葉に答えて、「徴しを求めるのではありません」という意味はハッキリさせたと見るべきであろう。また、子供は熱病で死にかけているのだから、彼は突き放されても、ここしか頼りになるものはないという確認を促されるのみであった。だから、願いをやめない。
 一回拒否されたなら、それで諦めたり、腹を立てたりする人が多いことを我々は知っているが、祈りには忍耐が必要である。忍耐が試されることがしばしばあるのを忘れないで置きたい。救い主とは願いを直ぐに聞き上げて下さるお方であると思うのは、殆ど迷信である。
 「イエスは彼に言われた、『お帰りなさい。あなたの息子は助かるのだ』。彼は自分に言われたイエスの言葉を信じて帰って行った」。
 信仰に至らせる第二の言葉である。第一は否定であった。第二は肯定である。この第二の言葉には「命令」と「約束」が含まれる。「帰れ」あるいは「行け」というのが彼に与えられた命令であって、彼はその命令に服従しなければならない。さらに、命令だけでなく、彼には祝福の言葉、約束が与えられた。「あなたの息子は助かる」あるいは「生きる」。しかし、その祝福は直ちには目に見えず、その場で確かめることは出来ない。そこでは、「見ずして信じること」が必要になって来る。
 「だから、彼は自分に言われたイエスの言葉を信じて帰って行った」。……これが主の二つの御言葉によって生じた彼の新しい現実である。そしてこれが我々の今日学ぶべき主題なのである。我々も、行って、そして生きる。
 カぺナウムの百卒長の僕の癒しの出来事がよく似ていると先に言ったが、百卒長は尊い主イエスに我が家の屋根の下に来て頂くには及ばない。ただ御言葉を下されば十分です、と言った。御言葉を求め、御言葉の力を信じる信仰であった。カナに来た父親は主イエスがそれほど尊いお方であることも知らず、御言葉を求めたのではないが、御言葉を与えられた時、それを信じて帰った。
 主イエスの御声を聞いて、心がえもいわれず暖まったから、得心して帰ったというのではない。勿論、主イエスの前に立つだけで、心の安らぐことがあって当然なのだが、それを信仰の重点としてはならない。主から人格的感化を受けるのであるが、信仰は人格的感化ではない。言葉を与えられてそれを信ずることである。
 この父親はまだ何も見ていないのである。何も変化は感じられないのである。ただ、「あなたの子は生きる」という御言葉を与えられて、それを信じて帰った。しかし、半信半疑で帰って行ったというのではない。帰って見て、子供が良くなっていなかったならどうしよう、などということは全く考えていないのである。信じたことはその通りになると信じたのである。
 では、騙されても悔いない、と割り切ることが信仰なのか。何もなくてもともとだと割り切るべきか。そうではない。主は決して裏切りたまわない。主は空手形を発行したまわない。信じることには必ず実証が伴う。こちら側の確信と主の側の確かさが結び付いているところに信仰がある。ただし、直ぐに手応えがあるわけでは必ずしもない。しばらく待つことは多くの場合必要である。
 「その下って行く途中、僕たちが彼に出会い、その子が助かったことを告げた」。これは信じたことの実証が早く見られた例であるが、この例では、「あなたの息子は生きる」と主が言われたその瞬間に助かったことを示している。
 不思議な物語りと見て感心していてはいけない。「あなたの息子は生きる」と言われた時に、遥か離れたカぺナウムで息子は生きたのである。それが暫くして分かった。同じように「あなたは生きる」と言われた途端に私が生き始めるのである。それは直ちに実感されるわけでは必ずしもない。しかし、待つうちにそれは味わえるであろう。そのように「あなたの罪は赦された」と言われたその瞬間に罪の赦しは現実になる。その現実はその場で分かるわけでは必ずしもない。しかし、やがて体得される。
 主はペテロに天国の鍵を約束し、「あなたが地上で赦す罪は天でもみな赦される」と言われたが、これはペテロ個人に、赦したり赦さなかったりする権限が与えられたと言う意味ではない。ペテロに委ねられた罪の赦しの福音は、「あなたの罪は赦された」と言われた途端に天においても赦される実際の効力を伴うということなのだ。ペテロに限らず、全て御言葉を委ねられている者が罪の赦しを宣言する時、それはその人がそのように言っているというだけのことではなく、その宣言は即座に天でも有効なのだ。ただし、見た目には何の変化も認められない。それが分かって来るまでには待たなければならない。しかし、言葉があれば、今は見えなくてもすでに全く確かだと信じなければならない。


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