◆説教2000.05.21.◆

ヨハネ伝講解説教 第42回――4:43-45によって――

 「二日の後に、イエスはここを去ってガリラヤへ行かれた」。――サマリヤの町スカルに留まって伝道した記事はガリラヤ伝道へと切れ目なしに続く。この時のガリラヤ伝道の記事としては、カナにおける第二の徴しが記されるだけである。それ以外の御業がなされなかったということではないであろうが、この事件だけが記録された。その後、舞台はまたエルサレムに移される。
 「二日の後」という日数に特別の意味があるとは思われない。「三日の後」という言葉なら、象徴的な意味が籠められているのではないかと考えなければならないであろう。
 しかし、ここには特別な意味は含まれていない。「二日」とは時間の正確な記述をしようとしたものであると考えられる。刈り入れになぞらえられる働きを、なお二日寸暇を惜しんで勤められたということである。
 スカル伝道は合計三日間であった。短い期間であった。徴しとなる力ある業は行なわず、専ら説教だけがなされたが、多くの人がイエス・キリストと接し、御言葉を聞いて彼を救い主として信じるに至った。それを三日で切り上げたところに、主イエスが先を急いでおられた事情を察することが出来る。つまり、ガリラヤに早く入ろうとしておられた。我々の知る通り、主イエス・キリストの主要な活躍舞台はユダヤでも、サマリヤでもなく、ガリラヤの町々村々であった。7章の1節に、「その後イエスはガリラヤを巡回しておられた。ユダヤ人たちが自分を殺そうとしていたので、ユダヤを巡回しようとはされなかった」と書かれている通りである。ヨハネ伝に記された記事のかなりの部分は、ユダヤにおいてなされた御業と御言葉であるが、活動された時間から言うとガリラヤでの方が長かった。ユダヤには祭りの時に行かれただけである。そのガリラヤでは、先にカナの婚宴で奇跡を行ない、栄光を顕わされた以外、公的な働きは何もしておられない。そのガリラヤに向けて急ぎたもうた。
 「ガリラヤに着かれた」と45節が言うのは、ガリラヤのどこであろうか。手掛かりは全くない。45節に書かれているガリラヤのカナに真っ直ぐ行かれたとして置こう。何故、カナなのか。彼を迎え入れてくれる家があったからであろう。カナはナザレの北にあって、ガリラヤに入ってからもカナに着くまでには、かなり歩かなければならない。45節にあるガリラヤ人の歓迎は、カナに着くまでの道々のことであったのだろうか。
 ガリラヤで主イエスを歓迎した人たちは、先般の過ぎ越しの祭りに際してエルサレムに行っていた。そこで主イエスのなさった奇跡を見た。奇跡を見てもなお主を信じない人はユダヤ人の中に多かったが、ガリラヤから行った人たちは主イエスに対して好意的であったようである。その前に主がカナで行なわれた徴しについては彼らは全く知らなかったようである。
 今日は43、44,45節を学ぼうとしているが、これはカナにおける第二の奇跡の記事に入って行く前書きというべき部分である。この部分で重要なのは44節であろう。
 さて、その44節に、「イエスは自らハッキリ、『預言者は自分の故郷では敬われないものだ』と言われたのである」と書かれている。「ハッキリ言われた」とは「証しされた」という言葉であって、単にハッキリ物を言っただけではない。証しであるから我々はこれを受け入れなければならない。御言葉を語る使命を帯びるご自身の生き方の厳しさが示されている。
 敬われて当然なのだ。しかし、現実はその反対に、侮辱され、排斥され、迫害される。
 それを最も親しいはずの故郷の人々から受ける、と言われた。キリストの受けたもう苦しみ、それは福音書の大きいテーマであるが、まだ本格的には論じられていなかった。
 それをここで明らかにされたのである。
 ところで、この聖句の意味を先ず解釈しなければならないが、これは解釈の難しい個所である。昔から沢山の解釈が試みられている。マタイ伝13章、マルコ伝6章、ルカ伝4章には、主が同じような言葉をナザレに関して語っておられたことが書かれている。すなわち、ナザレで説教したもうた時、その地の人々が自分たちは彼のことを小さい時から知っている、彼の肉親についても知っていると思い込んでいたため、彼の語られる御言葉を神の言葉として受け入れることが出来なかった。また、よその町で奇跡を行なったなら、自分の村でもすべきであると迫った。その時、主イエスはこの諺を語りたもうた。「故郷」とはナザレのことである。これが多くの人の常識として頭に入っている解釈である。
 ところが、その常識を今日学ぶ聖句に当て嵌めると、我々の頭は混乱してしまう。ガリラヤの人々は歓迎しているではないか。そこで、いろいろな試みがなされる。ガリラヤに入って行くに先立って、「サマリヤでは刈り入れは多かったが、私の故郷であるガリラヤのナザレでは拒否されるほかない。だから、ナザレには行かない。ナザレを外してその向こうにあるカナにこれから行く」と予め申し渡しておられるのだと取った人がいる。また、「サマリヤであんなに豊かにあった刈り入れは、私の故郷のガリラヤではないのだよ」と言われ、その通り、ガリラヤでは一時的に爆発的な人気があったが、間もなく人々は去って行った、と取ることも出来なくはない。しかし、「故郷」の意味をそれと違うように取った方が不自然さがない。
 「預言者は自分の故郷では敬われない」。これは主イエスが創作された諺と取って良いが、それよりは、以前から一般に知られていた言葉ではなかろうか。自分を預言者と言い切ることの出来る人は少ないから、この諺を自分自身について語る人は余りなかった。しかし、分かりにくい諺ではない。だから、その諺を別々の機会に、その状況に結び付けて語ることが出来た。そういうわけで、「故郷」の意味が他の福音書に書かれているのと矛盾することについて、大袈裟に騒ぎ立てることは要らない。
 では、ここで主が「故郷」と言われたのはどこなのか。それはナザレではない。ガリラヤでもない。ユダヤである。エルサレムと言った方が良いかも知れない。共観福音書とこの点で違うというのが昔から多くの聖書学者の見解である。そのように読み取るならば、混乱は起こらないであろう。ヨハネ伝全体を通じて、ユダヤがイエス・キリストの故郷であり、その故郷では一貫して拒絶されたもうたこと、ユダヤ以外では比較的好意的に受け入れられたことが明らかに読み取れるのである。しかし、どういう意味でユダヤが故郷なのか。
 ユダヤのベツレヘムで生まれたもうたからであろうか。7章42節に「キリストはダビデの子孫から、またダビデのいたベツレヘムの村から出ると聖書に書いてあるではないか」という人々の呟きが記されているが、こう語った人は主イエスがベツレヘムで誕生されたことを知らず、これを記した福音書記者ヨハネは知っていたという事情を匂わせる書きぶりである。しかも、ヨハネは主イエスのベツレヘムにおける誕生を知っていたが、強調しようとは思っていなかったように読み取れる。そして、主イエスが4章44節で、「故郷」について触れられた時も、それはベツレヘムのことであると説明しようと努めることもしなかった。「誕生の場所」と「故郷」とは区別されている。さらに、これは「育った地」すなわち、ナザレとも区別された。
 「故郷」とここで訳されたのは、他の福音書においても同じ言葉であるが、「父の地」という意味である。自分がそこで生まれたとか育ったという含みは必ずしもなくてよいのではないかと思われる。そういう意味でベツレヘムはまさしく父祖の地である。しかし、イエス・キリストは肉によればダビデの子孫として生まれたもうたが、それよりも重要なのは天の父から生まれ、天の父から遣わされたもうた。これはヨハネ伝の繰り返し強調する重要な一点である。
 ヨハネ伝2章にある宮潔めの記事の中で、主は「私の父の家」という言葉を使っておられる。また、弟子たちが「あなたの家を思う熱心が私を食い尽くすであろう」との聖書の言葉を思い起こしたと書かれる。この「家」は神の家、エルサレム神殿である。家のある所、それが「故郷」である。これがヨハネ伝の主張である。
 ただし、この解釈に対する異論もある。ナザレで育った人がユダヤを故郷であるとすることの不自然さがないわけではない。先にも触れたが、故郷ナザレでは受け入れられないから、ナザレを避けてカナに行ったのだという解釈、その他、故郷についてのさまざまの試論がある。だが、ユダヤあるいはエルサレムが故郷であるという解釈が最も無理の少ないものではないかと思う。
 ヨハネ伝のプロローグの中で、1章11節に「彼は自分のところに来たのに、自分の民は彼を受け入れなかった」とあるのは、「故郷」について語ったものではないが、ユダヤではユダヤ人に受け入れられなかったという意味である。
 さて、「預言者は自分の故郷では敬われない」という言葉はどういう意味か。故郷であるため、近すぎて却って見えない、ということもあろう。見るべき面、つまり神から遣わされた人であるという面が見えず、それほど重要でない面ばかり見えて、大局を見誤るのである。ナザレの人々がまさにそうであった。
 ただ、この説明はナザレが故郷であるとする場合にはピッタリ当て嵌まるが、ユダヤやエルサレムが故郷であるという事情にはそううまく適合しない。すなわち、ユダヤの人々は主イエスについて何も知らないのである。彼らはただ神の都の市民であるとの優越感を持っているのである。神から遣わされた人が来ていても、そういう人から教えてもらわなくても分かっていると思うのである。
 真実の預言者はなかなか人から敬われず、受け入れられもしないという実例が多い。例えば、預言者エレミヤである。同じ時代に、預言者を自称する者は沢山いた。明らかに偽りの預言者であると見抜けるケースもあったと思うが、それが見抜けない場合が多かった。神の言葉らしいことを語っているからである。人々は偽預言者の言うことを受け入れて、真の預言者を迫害した。故郷であると否とを問わず、預言者は人から受け入れられ難いのである。「あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」と主イエスはマタイ伝5章12節で言っておられる。真理を語る者は迫害されるのである。
 人から受け入れてもらおうと思うことは社会生活をしている我々にとって必ずしも間違いではない。しかし、預言者としての務めを果たすためには、人から好かれ、人に受け入れてもらえるようになることを優先すべきであると考えるならば、筋違いである。人から受け入れて貰えなければ何も出来ないと考える時、預言者の使命は神からのものでなく人からのものになってしまう。主イエスは今、ご自身の使命を明確に示しておられる。ここに我々の救いが懸かっている。
 預言者は故郷に容れられず、故郷から放逐されるのであるが、最終的にはまた故郷に帰って来て、そこで殺される。主イエスはエルサレムをそのような所として捉えておられた。「預言者は故郷では敬われない」。このことをハッキリ言われたのは、ご自身のエルサレムにおける受難についてよく知っておられることを示すためである。
 主イエスはヨハネ伝でも「ナザレのイエス」と呼ばれている。ピリポがナタナエルに「ヨセフの子、ナザレのイエスに今出会った」と言い、ナタナエルが「ナザレから何のよきものが出ようか」と答えているが、ナザレが彼の故郷であるという一般の認識があったのである。何よりも十字架の上に掲げられた罪状書きには「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と書かれ、これが公に告知された正規の呼び方であることを示す。しかし、ヨハネ福音書は主イエスの故郷はユダヤであるという立場を取り、「ユダヤ人」は殆どの場合、主イエスを受け入れない者という含みで書かれている。
 ところで、この44節はどういう意味でここに入れられているのであろうか。この節の初めに「なぜなら」という意味の言葉が置かれているので、ユダヤからガリラヤに行く理由を示すのではないかと思われる。ユダヤでは受け入れられないが、ガリラヤではまだ受け入れられるのである。45節が言う通りである。
 45節には、「ガリラヤに着かれると、ガリラヤの人たちはイエスを歓迎した。それは、彼らも祭りに行っていたので、その祭りの時、イエスがエルサレムでなされたことを、悉く見ていたからである」と書かれている。
 ユダヤの人たちには受け入れられず、ガリラヤで受け入れられたのは、今述べた通りであるが、ガリラヤで信仰的応答があったと思っては誤りである。この点、サマリヤ人が「この人こそまことに世の救い主」と信じたのと違うのである。ガリラヤの人たちは、世の救い主ということには顧慮なく、エルサレムで主イエスがなしたもうた奇跡を見ていたので、それだけの理由で歓迎したのである。換言すれば、それを見ていなければ、イエス・キリストに対して無関心であった。彼は目で見ること、また耳に聞こえる評判に重点を置いたのであって、サマリヤ人においてあったような、自分自身で御言葉を聞いて確かめることはなかった。
 エルサレムではガリラヤ人は田舎者として低く見られたらしい。ところが、ガリラヤ人イエスがエルサレムの人々を圧倒する力ある業をされたので、ガリラヤから祭りに来ていた者らは、謂わば溜飲を下げたように満足した。そのイエスがガリラヤに帰って来たので歓迎したのである。歓迎したということは信じたということとは別である。「信じる」ということは主イエスがガリラヤに帰って来られてからは二度語られただけである。すなわち、50節に「彼は自分に言われたイエスの言葉を信じて帰って行った。53節「彼自身もその家族一同も信じた」。
 いずれ次回に詳しく見るが、子供が死にかけていて、助けを求めて主イエスのもとに来た役人である父親とその家族だけが信じた。ほかの人は明らかに信じていない。ただ取り巻いていただけである。我々はどうなのかを考えないではおられない。この父親というのは、ガリラヤに住むユダヤ人ではなく、異邦人であったのではないかと考えられる。「役人」というのは、ヘロデの宮廷に仕えていた人に違いない。そういう人が御言葉によって信じた。この奇跡物語りはカぺナウムの百卒長の僕の癒しと似ているが、百卒長は明らかに異邦人であった。ガリラヤ在住のユダヤ人は御言葉を求めず、徴しを追い求めるだけであった。
 ガリラヤにおける主イエスの名声はドンドン高まって行く。そのクライマックスが6章における5000人の集会と、そこにおけるパン割きの給食の奇跡である。しかし、その直後、人々はゴッソリと去ったのである。6章66節に、「それ以来、多くの弟子たちは去って行って、もはやイエスと行動を共にしなかった」と書かれている。手元に残ったのは12人だけだったらしいのである。だから、彼らに「あなたがたも去ろうとするのか」とお尋ねになったのである。もともと信じてもおらず、御言葉を聞くこともせず、ただブームで主イエスを取り巻いたひとが去っただけだった。
 主が我々のために苦難を受けたもうことの物語りが始まっているのである。だから、我々も十字架を負って彼のあとに続くべき者として、人々に受け入れられる安易さを追い求めてはならない。


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