◆今週の説教2000.05.14.◆

ヨハネ伝講解説教 第41回――4:39-42によって――

スカルの町の人々が町外れのヤコブの井戸のほとりに到着する前に、主イエスは弟子たちに、刈り入れ時がすでに来ていることについて語っておられた。その収穫を一言で纏めたのが、39節の「多くのサマリヤ人はイエスを信じた」という言葉である。この時、多くのサマリヤ人がイエスを信じたなら、このスカルの信仰者集団はその後どうなったであろうか。我々は何も知らない。使徒行伝8章には、エルサレムにおける迫害で散らされた人の一人ピリポがサマリヤの町に行って伝道し、町中こぞって彼の語る福音に耳を傾けたことが書かれている。その出来事とヨハネ伝4章と繋がるのかどうか。分からない。使徒行伝によれば、エルサレムの教会はこの時初めてサマリヤにキリスト教会があることを知って、ペテロとヨハネを派遣したというが、ペテロもヨハネもスカル伝道のことは記憶していたはずである。また、ヨハネが福音書を書いたとすれば、サマリヤ伝道に関する福音書の資料を検討する機会があったのではないかと考えられるのであるが、そういうことについても何も分かっていない。
使徒行伝9:31に「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方に亙って平安を保ち、基礎が固まり、主を恐れ、聖霊に励まされて歩み、次第に信徒の数を増して行った」と記録される。ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤが初期のキリスト教会の中心であった。これら三つの地方で初期から教会が強力であったのは、伝道が早くからなされていたからであって、主イエスご自身の宣教活動があったからであると見られる。サマリヤだけが遅れたとは見られていなかった。サマリヤにも主が来られたという言い伝えがあった。それをヨハネ福音書が伝えている。ユダヤ、ガリラヤよりも先にサマリヤに信仰者の群れが出来たことの意味は非常に大きい。
さて「多くのサマリヤ人」という表現について、それがスカルの町の住民全員であったか一部であったか、人数はどれほどであったか、というようなことを考えて頭を悩ませることは筋違いであろう。41節には「なお多くの人」という言い方があるところを見れば、この「多くの人」というのが全ての人でないことは明らかである。「多くの人」は、文字通り単純に素直に受け取るべきであるが、数字として表わす必要はない。最初、主イエスの言葉を聞いたのはただ一人の女であった。その「一人」と対比されるのが「多くの人」である。一粒の麦が地に落ちて多くの実を結ぶ。その多くの実である。主イエスは種蒔きの譬えで、「30倍、60倍、100倍」の実を結ぶと言われたが、30倍と100倍の開きは論じるに当たらない。多いほど良い、と考えることは必ずしも要らない。一粒から始めるというところに重点がある。スカルでは「一人」から始まった。その実が「多く」あった。
我々の間では、「一人では何も出来ない」とか、「一人だけを相手にしていたのでは埒があかない」というような議論がなされ、何もしないで終わる結果になり勝ちである。それはいけない。一粒の麦が多くの実を結ぶ。これが基本になる。多数を獲得してからでないと始まらないとか、組織的に行なわなければ効果がないというようなことは、この世の事業においては言えるかも知れないが、こと神の国に関してはウソになる。一人から始めるべきであり、また一人から始めてこそ成り立つのである。主は先に、この女に「夫を呼んで来なさい」と言われた。妻と夫が一緒に御言葉を聞くことが御言葉の正規の聞き方であることを言外に教えておられる。また、主は12人の弟子を2人ずつ組にして、全国に遣わし、「神の国は近付いた」と宣べ伝えさせ、全国一斉伝道というべき方式で伝道されたことがある。しかし、どのような方式が取られようとも、神の国は一粒から始まる。だから、私自身、神の国の種を蒔かれた者として、この大事な一粒であることを自覚する。
さて、一粒の麦の譬え、これをキリスト者一人一人の生き方や伝道の実践に適用して良いのであるが、何よりもこの譬えは、一粒の麦が死ななければ実を結ばないことに重点を置いている。すなわち、主イエス・キリストの十字架の死が多くの人の命という実を結ぶことを先ず捉えなければならない。その事実が根源にあるからこそ、我々も一人から始めることが出来る。その一つの実例として、スカルにおいて一人の女を対象とする伝道が多くの実を結ぶものになったことが語られるのである。
ところで、サマリヤの人々はどのようにして信じたのであろうか。その経過がここに記されているが、雑然としているので、整理しながら見て行かねばならない。
先ず一人の女が証しをした。実は、その前に主イエスがこの女性を相手に語っておられて、そこから始まっていることは確かであるが、主が始められたことが見落とされる恐れはないから、省略して、その女の始めたことから見て行くことにする。
「この人は、私のしたことを何もかも言い当てた」。この証しの言葉で多くの人がイエスを「信じた」というが、29節で女がこう語った時には、人々が「信じた」とは書かれていなかった。ましてそれが「イエスを信じる」信仰であったとは言えないであろう。39節で多くの人が「信じた」と言われるのであるが、この節の言う「信じる」とは何か。それは「イエスを信じた」、すなわち「彼を信じた」ことと書かれるが、「何もかも言い当てた」との証しによって本当に彼を信じることが出来たのか。厳密な意味の信仰がここで起こったのか。ここで「信じた」というのは、一人の女の言うことを素直に聞いて、それに従って町を出て行ったことを指すだけかも知れない。また、この人たちの一連の行動を最終的に「信じた」という言い方で総括されたのかも知れない。あるいは両方の意味に跨がって「信じる」という言葉を使っていると理解するのが適切かも知れない。
それにしても、彼を信じたその信じ方は間違った意味の信じ方ではなかった。すなわち、奇跡を見て、反論できないから信じたという程度の信じ方ではなかった。彼らは奇跡を見てはいない。御言葉を聞いて信じたのである。何か分からないままに雰囲気に呑まれて信じたというのではなく、ここに用いられる「信じる」という言い方は、信頼して全存在をその方にお預けすることを意味するのである。
スカルの一人の女がキリストの証しをしたという点も読み過ごさないようにしたい。ヨハネ伝では「証し」は大事な言葉の一つである。これについては1章6節7節に「ここに一人の人があって、神から遣わされていた。その名をヨハネと言った。この人は証しのために来た。光りについて証しをし、彼によって全ての人が信じるためである」と書かれていた。
証しする人がいて、信ずる人々が生まれる。このヨハネの次に証しをしたのがサマリヤの女であった。こうして多くの人が信じた。イエス・キリストの弟子たちも証しのために召されたのであるが、彼らはまだ証しの活動をしていない。その時にサマリヤの無名の女が証しをした。臨時の証し人と言って良いだろう。それでも、彼女の証しによって多くの人が信じたのである。
次に、証しの当然の続きであるが、彼女によって「さあ、来て御覧なさい」という勧めが行なわれる。信仰は話しに聞いて情報を得るだけでなく、実際に人格的にキリストに触れなければならない。これが29節で「さあ、見に来て御覧なさい」と述べられた理由である。「私のしたことを何もかも言い当てた」という証言なら、それだけでは一つの物語りとして聞かれるに過ぎない。お話しとして聞いて感銘を受けただけでなく、この女の人の言うことは真実であると人々は信じたかも知れない。しかし、それが事実であると信じたことは「イエスを信じた」ということとは別である。すなわち、女の言うことを信じたとしても、イエスを信じたことにはならないし、信仰による救いは起こらない。
だから、「こういう人がいるのですよ。私はその人に会って来たのですよ」と言うだけでなく、「あなたも、その人のところへ行って、出会いなさい」という強い勧めが結び付かなければならない。バプテスマのヨハネが「見よ、神の小羊」と証言した時、「この方は世の罪を負うお方である」と言ったのであるが、それだけでなく、そこには、「あの方のところへ行きなさい」という暗黙の勧めが結び付いていた。だから、ヨハネの弟子の中の何人かはヨハネのもとを去って、イエスの弟子になった。
一人の人から始まるということを学んでいるのであるが、一人から多数へと人数が増えて行くというだけのことではない。キリストと出会った人は一人一人「証し」をする人に変えられなければならない。さらに、こういう「出来事」を見て来たと証しするだけでなく、「その方」について証ししなければならない。いや、それだけではなく、「あなたもその方のもとに行きなさい」という勧めが付け加えられなければならない。
この証しと勧めによって、人々は町を出て続々とイエスのところに行った。これは30節に書かれていた通りである。
39節には「証しした女の言葉によってイエスを信じた」と書かれているが、実情を言えば、初めの証しを聞いたとき町の人たちが直ちに信じたわけではないだろう。聞き流すのでなく、「とにかく行って見よう」と心を動かしたのは確かである。それは信仰へと方向づけられていたが、信仰そのものとは言わないほうが適切であろう。その点は42節に「私たちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそ、まことに世の救い主であることが分かったからである」とある彼らの言葉から明らかである。
「あなたが話してくれて、信じた」という信じ方から「自分自身で聞いて確かめまた納得して信じる」信じ方へと移行したというのである。さらに「何もかも言い当てる人」を信じる信仰から、「世の救い主を信じる信仰」へと飛躍したのである。
信仰に至るまでの道程と言って良いであろうか。ある意味で信じたのが、本当の意味で信じることへと変わって行ったと言っても良いであろう。実際の信仰の道が紆余曲折することは我々の知っている通りであるが、今ここではそのような複雑な経過を考えるには及ばない。町の人々が女の証言を聞き、勧めを受け入れて、町から出て行った時、これが信仰そのものであったと見るのは確かに無理である。しかし偽りの信仰であったと言うわけには行かない。彼ら自身にはその自覚がなかったのであるが、まことの信仰を目指して歩み始めていたのだ。あらぬ方向を向いて歩き出したが、途中で行き詰まって出直したという場合とは違うのである。
信仰の呼び掛けに関しては、「然り」か「否」かの応答しかない。スカルの人々は一人の女から語りかけられた初めの時以来、「然り」また「然り」を重ねて来た。そして、キリストのもとに赴いて、説教を聞いて「然り」アァメンと答えた。信仰への道が常にこういうものしかないというのではない。もっと複雑な、行きつ戻りつしたり、右往左往することが少なからずある。だから、女から証しを聞いても信じないことはあり得たし、聞くだけに終わる場合もあり得た。彼らが「否」と言わないで、「然り」、「然り」、「然り」と進んで来たのは最も順調なケースであったが、我々も素直にこの順調なモデル・ケースに沿って見て行けば良い。こじれる場合が少なくないのは確かであるが、こじれる場合を今取り上げて見ても、何も益することはない。「然り」、「然り」という素直な行き方を今は見て置けば良い。そのように彼らの道は初めから一直線であった。そこで、これを「信じた」という言葉で纏めることが出来る。
40節には、「そこで、サマリヤ人はイエスのもとに来て、自分たちのところに滞在して頂きたいと願ったので、イエスはそこに二日滞在された」と言われる。
「滞在」と訳されている言葉は、ここはこの訳で良いであろうが、ヨハネ伝では極めて重要な特色ある語彙である。例えば、15章4節「私に繋がっていなさい。そうすれば私はあなたがたと繋がっていよう。枝が葡萄の木に繋がっていなければ、自分だけでは実を結ぶことが出来ないように、あなたがたも私に繋がっていなければ実を結ぶことが出来ない」。ここで「繋がっている」と訳された言葉が、この「滞在する」である。信仰者はキリストに留まり、キリストも信仰者のうちに留まりたもう。スカルの町の人がそういうことを意識して言ったわけではない。ただ、我々はキリストがスカルに留まりたもうたことの中に彼らの気付いていた以上の意味があることを覚えて置こう。
彼らは第一日の説教が終わった時に、もっと聞きたいから滞在して貰いたいと願ったということであろう。それは一日の説教では信仰に達し得ないから、もっと聞きたい、ということか。確かに、人間は一般に頑なであるから、素直に信じないのが普通だと言えよう。だから信仰を促す言葉は繰り返し語られなければならない。だが、それは固い岩盤を打ち抜いて長いトンネルを造るように、根気よく説得しなければならないという意味では必ずしもない。
ヨシュアに率いられたイスラエルがエリコを攻め取る時、7日に亙って城壁の周りを回ったが、何事も起こらず、第七日に至って一挙に城壁は崩れ落ちた。神のなしたもうた業であったが、直ぐに落城したわけではない。信仰を受け入れないで抵抗していた者が、ある期間の抵抗の後、不信仰から信仰へと劇的に転向することはむしろ普通である。だから時を待たなければならない場合が多い。しかし、今ここでは、信仰に入るためには時間が掛かるという意味で滞在が長引いたのではないと思う。彼らは信じたのである。そして主がなお二日延長することによって、自分自身、御言葉を聞く至福を味わうとともに、なお多くの人がイエス・キリストの御言葉を聞き、そして信じるに至ることを願ったのである。すなわち、刈り入れを多くするための労働時間の延長であった。主イエスは彼らの願いを聞き上げて、なお二日滞在された。二日すると立ち去って行かれた。それ以上は滞在されなかった。主イエスは地上にあっては旅人でありたもうた。一つの所に居続けることはなかった。ただし、彼は約束に基づき、御霊によって我々のうちに常に留まりたもう。
それにしても、サマリヤ人がユダヤ人に泊まってくれと願うとは、驚くべきことではないか。水を飲ませてもらうことさえ難しかったのである。長年の対立は解消して過去のものになった。神の国が来たからである。
「彼らは女に言った『私たちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救い主であることが分かったからである』」。
人の話しを聞いてまことと信じる信じ方と、自分自身で確かめて信じる信じ方の違いが示されている。初めは女の証しを聞いて、それを「然り」と言って受け入れた。だから、町を出て井戸のほとりに行け、と言われると「然り」と応じて出て行った。今度はキリストのじきじきの説教を聞いて、「然り」アァメンと言って受け入れた。それが信仰である。人から聞いたことを真として信じることにも意味はある。その過程を経なくては信仰に来ることは出来ない。しかし、人を介して聞いていたことを、自分自身の確認と差し替えて行かねばならない。我々全てに言えることである。
その信仰の内容であるが、「この人こそまことに世の救い主である」という信仰である。「世の救い主」とは、その人によって世界が救われる、神がその人を遣わして、その人によって世界の救いをなしたもう、そのお方であるという意味である。25節で学んだのであるが、サマリヤ人はキリストと呼ばれるメシヤが来ることを待ち望むように教えられていた。そのメシヤが来ておられることを最初に認めたのがサマリヤ人であったということが我々の今学んでいる事件の持つ歴史的な意義である。我々は神の御業を讃美するほかない。
メシヤを待っていたのはユダヤ人だけではなかった。この点で我々にも誤解があるかも知れない。サマリヤ人は神の民から脱落して行ったように思われがちであるが、神は回復させたもうた。だから初期のキリスト教会はサマリヤにも建てられたのである。いや、ユダヤにもガリラヤにも信ずる者の群れが出来ていなかった段階で、サマリヤに信ずる者の群れが出来たということこそ重要なのである。刈り入れはサマリヤから始まったのである。


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