――1:6-8によって――
「ここに一人の人があって、神から遣わされていた。その名をヨハネと言った」。ヨハネ伝を読む人は、ここで文章の調子が変わることに気がつく。初めの部分を書いたのと別人の筆になるのではないか、と推測する研究者もいるが、そのように考える必要はない。文章の扱う内容が違うので、文体まで違って来るのだ。ここでは神なる言葉ではなく「人」が主語である。
1節から5節まで、それは殆ど詩のように、美しく格調高い言葉で綴られていた。それは永遠の、また崇高な事柄についての叙述である。一種の讃美歌と言うことも出来る。それに引き換え、6節から8節は、ヨハネという名前を持った一人の、生身の、朽ち行く人物についての叙述である。それは地上の事柄、ある一時期だけの歴史である。ただし、ヨハネの生涯の悲劇的な最期について、広く知られていたにも拘らず、この福音書記者は沈黙する。ヘロデによって殺されたその死に、特別な証しの意味はないと見ているようである。ではあるが、証しというものにには、必要に応じて命を懸けねばならない、という含みがあるのは言うまでもない。この福音書を書いた人自身が、ヨハネの黙示録1省9節によれば「神の言葉とイエスの証しとの故に、パトモスという島にいた」。すなわち、証しを立てることを止めないので島流しになり、やがてその島で殺された。証しにはそれほどの意味がある。すなわち、証し「マルチュリア」は殉教である。大声上げて殉教を強調することはしないが、シッカリ掴んでおきたい。 この後、9節に「すべての人を照らすまことの光りがあって、世に来た」と言う時、福音書の文章はもう一度高い格調を取り戻す。この「光り」は4節-5節で述べられていたものである。 では、なぜ、ここで調子の低いことを挿入しなければならなかったのか。19節以下で、ヨハネのことが出て来る段になってから述べれば良かったのではないか。そうしないのは、この福音書において、救いの歴史の中で、バプテスマのヨハネの果たす役割が大きかったからである。簡単に言えば、キリストの来臨に先立ってエリヤが来る、というのが旧約聖書の預言であった。マラキ書4章の預言で見た通りである。「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、私は預言者エリヤをあなたがたに遣わす」。そのエリヤがヨハネなのである。 もっとも、21節で、ヨハネは「私はエリヤではない」と言っている。これは他の三つの福音書でヨハネをエリヤとしているのと、異なる立場をヨハネ伝が採っていることを意味するのではない。「あなたがたが言っているような通俗的な意味でのエリヤではない」ということである。 今日読む福音書では、ヨハネは自分をエリヤと結び付けて折らず、23節で、自分は「荒野で呼ばわる声」だと言う。これはイザヤ書40章3節を引いたものである。「声がする」。それが「荒野に主の道を備えよ」と叫んでいると言う。それを「荒野の声」と言い換えたのである。イザヤ書のこういう用い方は他の福音書と共通である。「荒野に主の道を備えよ」というのは、主が通って行かれる道を荒野に備え、それを平にすることで、主なるメシヤの到来の準備をせよ、という意味である。 エリヤが来れば、次にキリストが来る、という順序が定められていた。マルコ伝は「神の子イエス・キリストの福音の初めに、バプテスマのヨハネがヨルダンで罪の赦しを得させる悔い改めのバプテスマを宣べ伝えていた」と語り始める。ルカ伝は、イエス・キリストの誕生に先立つヨハネの出生の予告が神殿の聖所で行なわれたことから、福音書を説き起こす。言葉が肉体となって来たことこそ福音の中心主題であるが、その前触れがあった時から、イエス・キリストの出来事は始まったと理解すべきであろう。謂わば、幕開きの音楽が始まった時から劇が始まるようなものである。 ただし、ヨハネの証しが重要なのは、時間的に接近しているというだけではない。証言内容から言っても重要である。それについては、いずれ詳しく見て行くことが出来るであろう。 「ここに一人の人があって、神から遣わされていた。その名をヨハネと言った」。人間のドラマが始まるわけではないが、ヨハネという朽ち行くべき人間に我々の目は注がれる。ただし、彼は救いの歴史の主人公ではない。また、恵みを蒙り、それを体験する実例として登場するのでもない。神から遣わされた人として来たのである。神から遣わされたとは、使命が負わせられていたことを言うのである。天から降りて来たという意味ではない。負わせられた使命とは「証し」である。「証し」によって人を信仰に至らせるのである。 バプテスマのヨハネという人物は、ルカ伝1章の記事によると、祭司ザカリヤの子であって、主イエスの母方の親戚に当たり、イエス・キリストよりも半年早く生まれている。言うまでもないことだが、この福音書を書いたゼベダイの子、使徒ヨハネと区別するため、バプテスマのヨハネ、あるいは洗礼者ヨハネと呼ばれる。なお、ヨハネ伝の中にこの福音書がゼベダイの子ヨハネによって書かれたという記事はない。21章24節に「これらの事について証しをし、またこれらの事を書いたのは、この弟子である」と記される。すなわち「イエスの愛したもうた弟子」と呼ばれる最年少の弟子で、文中にはヨハネという名は出て来ない。 バプテスマのヨハネの活動は一世を震撼させるものであった。例えば、マルコ伝1章5節には、「そこで、ユダヤ全土とエルサレムの全住民とが、彼のもとに続々と出て行って、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた」と伝えている。エルサレムからも、ユダヤからも、ガリラヤからも、夥しいユダヤ人がヨハネの説教に惹き付けられて、ヨルダン川のほとりの荒野に出て行った。彼らはそこでヨハネの説教に胸打たれ、罪を告白し、罪の赦しのバプテスマを受けた。ヨハネ伝ではバプテスマのヨハネの社会的影響については何も言わない。ただ、キリストの証しということだけを述べる。 預言者は人々に感化を与えようとする時、多くの人のいる所に出て行って語るのが通例である。ところが、ヨハネはエルサレムでは説教をしなかった。彼は荒野を求めて、人込みから遠ざかった。では、人を相手にせず、聞く人が少ないほど良いとしていたのか。そうではない。彼自身で語るべき場所を選んだのではなく、神の指定があったと見るほかない。すなわち、彼は1章23節で言うように、「荒野に呼ばわる者の声」でなければならなかった。本来、人のいないヨルダンの川べりであるが、神はその場所に聞くべき人々を起こして、集めたもうた。影響力の絶大な人物が活動を始めたというのとは全然別な、神の御業が始まっていたのである。それは悔い改めによって罪の赦しに与るという方式である。 使徒行伝の18章の終わりから19章の初めに、小アジアのエペソの教会の初期の状況が書かれている。エペソの初期の信者は勿論、イエスがキリストであると信じた人たちであるが、ヨハネの名によるバプテスマしか受けていない。エペソの最初の伝道者はアレキサンデリヤ生れのアポロというギリシャ的教養をもつユダヤ人であった。彼はイエスがキリストであることを雄弁に論じたが、ヨハネのバプテスマしか知らなかったから、彼の授けるバプテスマもヨハネの名によるものであった。このことはその頃のキリスト教会にヨハネの影響が濃厚に残っていたことを示すのである。それ故、ヨハネの位置を確定し、また限定して置く必要が大いにあった。「彼は光りではなく、ただ、光りについて証しをするために来たのである」という8節の言葉は、その必要から語られた。ヨハネを光りそのもののように見る人が、教会の中にもいたらしいのである。 エペソにおける出来事は、もう一つ、ヨハネによるバプテスマでは、聖霊を受けることが出来なかったという事情を示している。イエスの名によるバプテスマでなければ、聖霊が与えられる保証にはならない。 「この人は証しのために来た」。――「証し」という言葉は旧約聖書においても重要な意味を持っている。「偽りの証しを立つるなかれ」との戒めが、あらゆる事柄についての真実な確認を命令する。我々は証言者を立てて立証させ・確認するということに馴染まない・また馴染もうとしない環境の中で生きて来た。偽証を立てることを恥じとも思わない人々を、高い地位に据えて置くのが我々の生活環境である。万事が曖昧なのである。極冠的な確かさがなくても、何となくそう感じておれば良いと仲間同士認め合っている。歴史の証言についても鈍感であるから、証言されている罪責についても、言い抜けようとする。救いについても、証しによって確認することはせず、極めて曖昧である。 新約聖書においては、旧約聖書の言う意味に加えて、イエス・キリストにおける神の出来事が証しの特別な対象であることをハッキリさせている。そういう意味の証しの第一号がヨハネの証しであった。「この人は証しのために来た」と言われる通りである。彼は「私の後に来る方」について証しした。そして、キリストについての証しは我々によって引き継がれているのである。 ヨハネのした証しについては、此の後繰り返して学ぶが、3章25節から30節にある記事は特に重要である。すなわち、ヨハネのことろに来ていた人々が、イエスのもとに去って行くのを見て、ヨハネの弟子が気をもんで「みんなの者があの方のところへ出掛けています」と深刻に語る。しかし、ヨハネは「喜びは私に満ち足りている。彼は必ず栄え、私は衰える」と答えたのである。自らが衰えることによって、自らが消えて行くことによって、証しすべき御方の栄光を顕わすのが証し人である。証し人の影が大きくなって、キリストの御姿が霞むようなことがあってはならない。ヨハネの証しはまさに自分が消えて行って、キリストの証しだけが残るような証しであった。ヨハネの証しについての記述が他の福音書と若干違うのは、今述べた点をハッキリさせようとしているからである。 ところで、キリストはヨハネの証しによって支えられ、引き立てられなければ、キリストとしての務めを果たせなかったのであろうか。勿論そうではない。5章36節には「私にはヨハネの証しよりも、もっと力ある証しがある。父が私に成就させようとしてお与えになった業、すなわち、今私がしているこの業が、父の私私を遣わされたことを証ししている」と言われ、次の37節に「私を遣わされた父も、御自分で私について証しをされた」と言われたように、キリストの業そのものと、父なる神御自身の証しこそが、キリストの証しの基本である。また、15章26節に記されたことだが、「私が父のみもとからあなたがたに遣わそうとする助け主、すなわち、父のももとから来る真理の御霊が下る時、それは私について証しをするであろう」と言われるように、御霊の証しがキリスト証言において決定的な意味を持っている。人の立てる証しは大切ではあるが、二次的である。 それでも、ヨハネという器を遣わして、キリストの証しを立てさせることを神は定めたもうた。特に遣わされたのでなく、偶々そこにいたために事件の目撃証人として用いられる場合もあるのだが、ヨハネは偶々同じ時代に居合わせたからではなく、「神から遣わされた」のである。 遣わされて証しする、これが我々にとっても重要な点である。偶々驚くべきこと、あるいは幸福なことに出会って、その出来事の証しをする。それも結構なことには違いない。「クリスチャンになって、こうこういう好いことがありました。あなたもいらっしゃい」と言うのも良いが、それが本来の証しであると見るのは問題だ。証しすべきことを担わせられて、遣わされて、語ってこそ証しなのではないか。 「光りについて証しをし、彼によって全ての人が信じるためである」。証しが、信じさせるためのものであることが明らかにされた。もっとも、証しがあれば信ぜざるを得なくなるはずだが、事実は必ずしもそうではない。多くの人々がヨハネの証しを信じなかった事実を我々は知っている。 「信じる」ということについて、ヨハネ伝ではこの7節で初めて触れるのである。ここで、先ず証しがあり、それによって信ずる、という順序に注意を喚起させられる。単純に言えば、神からの証しがあって、それを受け入れるのが信ずることなのである。そして、ヨハネ伝の捉えるところでは、信ずることは比較的単純である。徴を見て信ずることも、信ずることとして扱われる。証しを受け入れて、イエスは神から遣わされた神の子であると信じ、信じて救いに入る、そのためにヨハネは遣わされたのである。 見て信じる、ということは通常はない、すなわち、信ずべきことは、見えていない、来たるべき世のことだからである。見えていなくても、それが事実であることが何らかの方法で証しされ、その証しをまこととして受け入れるならば、その事実が心に刻まれて確立し、それが信仰である、だから、証しする者は正確に事実そのものを伝えなければならない。 「光りについて証しをし、彼によって全ての人が信じるためである」と言われるのは、証しの持つ力、信じさせる力を指し示す。証しを見ても信じない人が多いことは我々の知る通りであるが、本来、証しが確立すれば、信ずる。 9節以下で見るように、「全ての人を照らすまことの光りがあって、世に来た」。 1999.05.09. |