◆Back Number2000.04.02◆ |
――4:24-26によって――
主イエスとサマリヤの女との対話は次第に高まり、今や絶頂に達する。このクライマックスで我々の聞く要点は、「神は霊であるから、礼拝をする者も霊とまことをもって礼拝すべきである」ということ、及びキリストご自身によるキリスト来臨の宣言、この二点である。その二点が別々にあるのでなく、結び付いていることも学ばなければならない。先に聞いた「そうだ、今来ている」との御言葉の示している「今」は、キリストの来臨の今であり、その今はまた正しい神礼拝の成就の時である。 第一の点は礼拝についての究極の教えである。これまで、礼拝について、場所がどこでなければならないか、時はどうであるか、何を捧げるべきか、等の規定が律法において与えられていた。しかし、それらは周辺的・外面的な規定であるとともに、「全きものが来る時には、全からぬもの廃らん」という言葉があるように、廃れるべき規定で、一定の時期までの暫定的なまた不完全なものであった。しかし、今与えられる礼拝の指針は完全なのである。 前回学んだ「そうだ、今来ている」との宣言は、古きものの廃棄を示していた。エルサレムかゲリジムかという問題は解消したのである。場所の問題だけでなく、礼拝の内容が何でなければならないかの問題も解消した。コロサイ書2章16節に、「だから、あなたがたは食物と飲み物とにつき、あるいは祭りや新月や安息日などについて、誰にも批評されてはならない。これらは来たるべきものの影であって、その本体はキリストにある」と言われる言葉がこの間の事情を明快に整理してくれる。 「神は霊である」。これは神の本質について定義を下す理論的な教えではない。ただし、霊であるというのは譬えであると見てはならない。神は確かに霊なのだ。ただ、ここでは我々の礼拝が如何にあるべきかを述べるために、根拠から説き起こしたのである。礼拝について、我々自身の内に根拠付けをしてはならない。したがって、我々にとって如何に生き甲斐が感じられるか、というような捉え方で礼拝の価値を論じてはならない。前回、「父はこのような礼拝をする者たちを求めておられる」と教えられたが、我々が求めて礼拝し、我々が満足感を持つとか持たないかを議論しても全く的外れである。そのように我々の礼拝が何でなければならないかは、神が何であられるかに始まる。これは一歩も譲ってはならない順序である。 「神は霊である」。これはサマリヤの女にとって、必ずしも新しく接する教え、かつて思いも及ばなかったものではなかったはずである。さらに言うならば、異邦人世界においても、この教えに似たものを聞くことは出来なくなかった。例えば、ギリシャの哲学者の中に、このような主旨の学説を説いていた人を見つけることは全く容易である。しかし、教えられてジックリ考えれば、なるほどその通りだと納得出来ることであったとしても、それを確認し確信していた人はいず、ただそういう見解は分かりやすいというだけであった。だから、まして霊なる神を、霊的に礼拝する人は殆どいなかったと言って良いであろう。 ユダヤ人の中でさえ、神が霊であることをシッカリ把握していた人は非常に稀であった。彼らは神がご自分の形に人をお造りになったと教えられ、そのことは信じていた。しかし、このことを理解しようとする時、事柄を逆にして、人間を出発点として、その原型である神に遡り、人間の思いをもとにして神の御心を忖度するという順序になり勝ちであった。そういうことがあってはならないので、「何の像をも刻んではならない」との十戒第二戒の禁止条項が古くからあった。これは単に偶像宗教の拒絶ではない。それはむしろ第一戒において片づいている。 第二戒が言わんとするのは、形あるものによって神を表わしたり、形あるものを手掛かりに神を把握したりすることの禁止である。木や石に人間が加工した物を神として刻んではならないだけでなく、我々の心の中に、我々のために神のイメージを描き上げることも禁じられた。神についての知識と理解は、神が我々に語り掛けて下さる御言葉によるほかない。 偶像の禁止はユダヤ人の中では一応守られた。その後の時代に、モハメットという人によって、イスラム教がユダヤ教とキリスト教の要素を採り入れて作り出され、神を形あるものとすることを禁じたが、主イエスの来られた時代に、形ある神を描いたり刻んだりしない宗教はユダヤ教だけであった。ユダヤ教の一派と言うほかないサマリヤ宗教も、形ある神を持とうとしていたことを我々は知っている通りである。 ユダヤ教とキリスト教においては、偶像礼拝は軽蔑感を伴って拒絶されるのであるが、他の宗教の人々から見て、これは奇妙な風習だったのである。実際、偶像を持たないユダヤ人たちは、ギリシャ・ローマの世界では、無神論者として危険視され、迫害を受けさえしたのである。多くの人にとっては、神を偶像として持つことがすなわち宗教であり、そういうふうにしか考えられず、それが人間としての品位を保つために必要であると見做されていた。 それでは、ユダヤ人は、神を正しく礼拝することを教えられて来た唯一の民族として、正しく道を歩んでいたのであろうか。なるほど、偶像を用いないことは、ほぼ徹底して守られた。けれども、偶像を用いないという形式が守られただけで良かったのであろうか。内実はどうだったのであろうか。偶像を用いない礼拝とは、偶像がないだけでなく、霊とまことをもって礼拝を守ること、もっと具体的に言えば、霊とまことをもって御言葉を聞くことなのである。我々はそのような礼拝を守らなければならない。 ところが、キリスト教の礼拝でも、偶像的な要素を採り入れているものは少なくない。会堂の中に、キリスト像や、マリヤ像、聖人の像を飾っているところがある。最小限、これが聖なる場所であることを示す必要がある、と言って象徴的なものを置きたがる人は多い。しかし、「霊とまこととをもって神を礼拝する」ことの妨げになっていないかどうかを点検する必要がある。 神が霊であるとは、神が形なきものであるという意味を含むのは当然であるが、それだけの理解では内実に乏しい。「霊である」ということについて、言葉で一応のことを解説しただけでは、礼拝の核心に達することが出来ないので、我々は多少の回り道を取っても着実に目標に近付くようにするほかないが、一つの手掛かりとして、聖書のうちに屡々「霊と肉」という対称を掲げている聖句がある。創世記6章3節で神は言われる、「私の霊は長く人の中に留まらない。彼は肉に過ぎない」。イザヤ書31章3節は言う、「かのエジプト人は人であって、神ではない。その馬は肉であって、霊ではない。主が御手を伸ばされる時、助ける者は躓き、助けられる者も倒れて、皆ともに滅びる」。だから、霊的礼拝に達するためには、肉的礼拝から遠ざからなければならない。 「肉」が罪そのものを表わす場合があることを我々はよく知っているが、肉が常に罪でないことも明らかである。ヨハネ伝の第1章で学んだ通り、神である永遠の言葉が「肉」となられたのである。これは神が低くなりたもうたことには違いないが、堕落したということではない。 肉とは人間性そのもののことである。神は人間性を造りたもうた。それを見て「良し」とされた。ただし、限界があり、朽ち行くものである。 「神は霊である」と言われる時、これを「神は肉ではない」と言い換えたなら、形なきものと言うよりは、もう少し理解が深まるのではないか。そして、礼拝する者も、肉的なもの、人間的なもの、朽ちて行くものを礼拝に持ち込まないようにすべきである。例えば、「礼拝が生き生きしていなければならない」というようなことが多くの人によって語られている。間違ったことでないかのように聞こえるが、その「生き生き」は朽ち行く肉の生き生きに過ぎないかも知れないし、肉の「生き生き」が混じっているかも知れない。長続きするかどうかを見れば分かる。 確かに、我々は肉体を運んで来て礼拝を捧げるのであり、肉声で神を誉め称えるのであって、肉を伴わないで霊だけが礼拝することは我々にはあり得ない。そして、その肉を動かすものが、霊であるか、肉であるかは重大な分かれ目である。このことの検証を欠いたまま、善かれと思ってしているのだから良い礼拝なのだと主張されている場合が多いのではないか。例えば、讃美歌がこういうことへの配慮を欠いたまま選ばれているし、霊をもってでなく肉を満足させるために歌われることが多い。 「霊」について、さらに聖書から聞かなければならないのは、「霊は生かす」ということではないか。これはIIコリント3章6節の言葉である。ここは対句の形で述べられていて、「文字は殺し、霊は人を生かす」と記されている。これに基づく反省として、我々の礼拝が文字に縛られて、生命を失った、あるいは生命の乏しくなった礼拝ではないかどかを検討しなければならない。ただし、「霊は生かす」の「生かす」は、単なる生き生きさせることではない。聖書で言う「生きる」は永遠に生きることである。楽しく空騒ぎしていることを生きているとは言わない。 25節26節に入って行こう。「女はイエスに言った。『私はキリストと呼ばれるメシヤが来られることを知っています。その方が来られたならば、私たちに一切のことを知らせて下さるでしょう』」。 サマリヤのただの女、しかも決して敬虔だと思われない者の中に、キリストの来臨についての希望がこのように保たれていたとは、驚くべきことである。異邦人同様に扱われていたサマリヤ人の宗教の中にも、旧約聖書の神髄が伝えられていたのである。その点ではユダヤに優位があると見ることは出来ない。 サマリヤ人がメシヤの来臨を待っていたことは、史料によって確かめられる事実であるが、どのような者としてメシヤを理解していたかについては殆ど分からない。旧約時代のメシヤ信仰は、イスラエルよりもユダにおいて育てられたということを我々は知っている。ダビデの子孫としてメシヤが来ることは、ダビデ王朝を支えたユダの民衆の中で把握されたのである。 では、サマリヤ人はどうしてメシヤについて知ったのであろうか。先に19節を学んだ時に、女の言った「私はあなたを預言者と見ます」というその「預言者」は申命記18章18節でモーセによって予告されている預言者かも知れないとする解釈があることを紹介した。すなわち、ここに書かれた「預言者」は特定のメシヤ的預言者である。しかし、この女が主イエスをメシヤ的預言者であると思ってこう言ったのではなかろうと結論された。では、メシヤについての教えはどこから受けたのか。それは分からない。 「その方が来られたなら、私たちに一切のことを知らせてくださるでしょう」。彼女のキリスト待望は、多くのユダヤ人の期待したような、ダビデ王国を再建し、国中に幸福を満たしてくれる支配者というのではなく、真理の啓示者であった。 彼女がこれまでどのような信仰生活を送り、どのような経過を経て、この理解に至ったかは知る由もない。例えば、パリサイ派の学者ニコデモが主イエスと語り合おうとして夜訪ねて来たことについて、あるいはガリラヤの漁夫であったアンデレがヨルダンにバプテスマのヨハネを訪ね、ついでヨハネの手引きによって主イエスを訪ねるに至った経過は、ある程度想像によって復元することが出来るが、この女のこれまでの内的な探求に関しては、探る手掛かりは何もない。我々に言えることは、神がこの女の中にこのような知識を授けておられたということだけである。彼女が人のいない昼時を選んで水を汲みに来たのも、彼女のうちに特別な予感が閃いたからではなかった。 キリストに来るまでの予備的段階、これが一人一人にとって無視出来ないものであることを我々は知っている。しかし、一人一人違うのである。自分がこうだったから彼もこうでなければならないと思うのは、空しいことである。神が導きたまわなければこういうことはおこらなかったということだけが確かなのである。したがってまた、進んだ人、遅れた人の違いを考えることも空しい。我々は同列なのだ。そして、キリストに来るまでの道程をそれぞれが感謝をもって思い返すのは良いことであろうが、それに余り思い入れをし過ぎないことが大切であろう。 メシヤの到来とは、教えを充満させ、これまで明らかでなかったことをハッキリさせて下さることである、とサマリヤ女は捉えた。見事な把握ではないか。メシヤが来れば、ユダヤ人とサマリヤ人の言い争いもなくなる。 「イエスは女に言われた、『あなたと話しをしているこの私がそれである』」。主はご自身について自ら語りたもうた。 バプテスマのヨハネはナザレのイエスが近付いて来るのを見て、弟子たちに「見よ、神の小羊」と証言した。キリスト証言のうちでも特に有名なものである。しかし、キリストご自身が己れについて語りたもうた証言は遥かに重要である。主イエスの言葉と働きの全てが彼を証ししているが、主イエスご自身が自らについて証言したもうた機会は多くない。 5章31節で「もし私が自分自身について証しをするならば、私の証しは本当ではない。 私について証しをする方はほかにあり、そして、その方がする証しが本当であることを私は知っている」と言われ、ご自分の証しよりも父なる神の証しの方がもっと力あるものであることを語っておられる。もちろん、今、サマリヤの女に対して「私がそれである」と証しされたことが本当でないとは言えない。 「私がそれである」。これは最も単純な言葉で主がご自身を表わしたもうたものである。同じ言葉を福音書の中で何度か聞くことが出来る。エゴー・エイミという二つの単語からなる。例えば、6章20節、嵐の夜、弟子たちが漕ぎ悩んでいるところへ海の上を歩いて近付いて来られ、「私である。恐れるな」と言われた。このところで「私である」と訳されたのは、4章26節の「私がそれである」と原語で同じ言葉エゴー・エイミである。 18章4節5節、「イエスは自分の身に起ころうすることを悉く承知しておられ、進み出て彼らに言われた『誰を捜しているのか』。彼らは『ナザレのイエスを』と答えた。イエスは彼らに言われた、『私がそれである』」。ここでも言葉遣いは全く同じエゴー・エイミである。 言葉遣いは同じでなく三人称であるが、意味として同じことが9章37節にある。「イエスは彼に言われた『あなたは、もうその人に会っている。今あなたと話しているのがその人である』。すると彼は『主よ、信じます』と言って、イエスを拝した」。 我々の目の前に「私がそれである」と言われる方が立って下さらなければ、「われ信ず」という告白は現実としては成り立たないということに留意したい。数式があって、計算して答えを出す。それは数学としては正しいのであるが、信仰の事柄は数字の計算ではない。「私がそれである」と言われるお方との現実の出会いがあってこそ、信仰は観念でない現実となる。そのことが礼拝の中で起こる。それがおこっていることを証言するのが聖晩餐である。 |