◆Back Number2000.03.12◆ |
「あなたの夫を連れて来なさい」という主イエスの命令は、この女にとって、触れてもらいたくない部分に触れるような、嫌な言葉であった。そこで、「夫はいない」と答えることによって、その要求から逃げることが出来る、と彼女は咄嗟に考える。ところが、「夫はいない」と答えたばかりに、さらに恐るべき、抜き差しならぬ事態にはまってしまった。驚くべき主の言葉が返ってきた。彼女の過去と現在の生活、その裏も表もさらけ出されてしまった。夫がいないと言ったのは嘘ではない。けれども、かつて夫がいたことと、今は夫でない者と同居していることを自ら認めてしまったことになる。「あなたの言うことは本当だ」と主イエスが言われた時、彼女は完全に主の手のうちに陥った。「嘘だ」と言われたなら取り消しが出来たのだが、「真実だ」と言われた以上、引っ込みがつかない。 「夫が5人までいたが、今いるのは夫でない」とは、どういう実情であろうか。現在の同居人とは正規の結婚をしておらず、過去の5人とは正規の結婚をしたということらしい。毎回結婚相手に死なれる不幸を味わったとも考えられなくない。けれども、5回結婚して5人とも死ぬとは、先ずあり得ないのではないか。サマリヤではどうなっていたか分からないのであるが、ユダヤでは、律法学者が再婚は2度が限度だと規定していた記録がある。サマリヤでもそれに似た常識があったのではないかと思われる。最初の結婚相手とは死別したのかも知れないが、その後次々と結婚し、次々と破婚になったのであろう。そして、その原因は、主として彼女の側にあるのではないかと思われる。奔放に生きたために、夫の方が我慢出来なかったのではあるまいか。他の女たちの集まる時間を避けて水汲みに来なければならないこと自体、彼女が芳しくない噂を立てられている境遇を暗示している。 しかし、今はこの女の来歴を推理することに時間と労を費やすのは避けた方が良いのではないかと思う。推理すれば推理するほど、彼女の爛れた、あるいは無軌道な生活ぶりを論じることになるであろうが、それは一人の女の転落のドラマを描くだけで、興味ある文学になるかも知れないが、聖書の読みを深めるためにさほど重要でもない。「5人の夫」というのは比喩である、という解釈は昔から広く行なわれているが、何を象徴しているかについては決め手になるものがない。比較的有力な説は、この女はサマリヤのことで、5人の夫はイスラエルを滅ぼしたアッスリヤが、この地の民を連れ去り、「バビロン、クタ、アワ、ハマテ、セパルワイムから連れて来て、イスラエルの人々の代わりにサマリヤの町々におらせた」と列王紀下17章24節のいうこの5種族の異邦人を象徴しているのかも知れない。 あるいは、同じ章の30節に「バビロンの人々はその神スコテ・ベノテを作り、クタの人々はネルガル、ハマテの人々はアシマ、アワの人々はニブハズとタルタクを作り、セパルワイムの人々はその子を火に焼いてアデランメレクとアナンメレクに供えた」と言うそれらの七つの神々を譬えたのかもしれない。しかし、そうだとすれば、5人の夫は今はいないことと、今いる夫でない1人の男についてどう説明するかが問題として残る。これまた詮索しても埒が明かない。 これ以上頭を絞っても何も出て来ないから、何の比喩かという議論は打ち切りにしよう。書かれたままを素朴に受け取って置くことにしよう。彼女が何であったかでなく、彼女が何であるかを言い当てた方の力に目を向けることにする。 彼女は、水を一杯欲しいと要求した人が、只の人ではなく、初対面なのにすでに自分のことを何もかも知っている「預言者」だと気付いて恐れた。このユダヤ人が預言者であると気付いただけでは、大して意味がないではないかと思われるであろうが、これはまだ話しの初めである。玄関の敷居を越えたに過ぎない。このお方が単なる預言者でなくキリストである、と把握するところまで行かなければいけないではないか、と言われるならば、それはその通りであるが、一挙にそこに達することは出来ないであろう。何よりも、啓示によらなければ、彼女の直観がどんなに鋭くても、イエスを救い主であると確認することは出来なかったであろう。 「主よ、私はあなたを預言者と見ます」と言っただけで、上出来ではなかったか。そして、この人が只の人でないと気付いたことと、彼女の経歴とが、全く無関係であるとは言えないが、6人も夫を取り換えて来た人間でなければ、この方の本質が分からなかった、とは言えないであろう。 なお、ここで彼女が「預言者」と言ったのは、申命記18章15節の預言者を指すのではないか、と見る人があろう。こう書かれている、「あなたの神、主は、あなたのうちから、私のような一人の預言者を、あなたのために起こされるであろう。あなたは彼に聞き従わなければならない」。これは、モーセの再来、いや新しいモーセ、すなわち、新しい律法授与者、メシヤのことである。この解釈は十分可能であるが、スカルの女がそこまで聖書に通じていたかどうかは疑問であり、そこまで本質を捉えたと見るには無理があるではないか。 ところで、自分の問題を全て見抜かれて、「あなたは預言者だ」と言ったのだが、それからまた話題をすり替えて、自分自身の問題は脇に置いて、「この山か、エルサレムか」という話しにしたのは、己れ自身の内面まで探られないように逃げたのであろうか。そう取りたい人は取っても良いが、主はこの話題の転換を咎めることもされない。むしろ、それを受けて、一挙に本論に入るのをよしとしておられる。だから、我々も道草を食うことを止めて、話しの筋にそって先に進む。 「私たちの先祖は、この山で礼拝をしたのですが、あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています」。「この山」という言い方は、山がすぐ傍にあることを表わす。スカルにあるヤコブの井戸から南西の方角、間近なところに、ゲリジム山がある。そして、それと並んで北西の方にエバル山が見えている。こういう風景の中で主イエスとの対話がなされた。 サマリヤ人はゲリジム山を礼拝所と定めていた。それがエルサレムで礼拝しなければ礼拝ではないと言うユダヤ人との争点になっていた。エルサレムで礼拝しないサマリヤ人をユダヤ人は軽蔑し憎んだ。 ところが、ゲリジム山での礼拝は、ダビデによってエルサレムが聖なる所と定められる以前からの古いしきたりによったものであって、新しい時代の取り決めではない。すなわち、先ず、アブラハムが故郷を捨てて神の示したもう地に到着した時、創世記12章にある通り、シケムに着いて、そこに最初の祭壇を築いた。シケムはスカルである。この地が神の名を呼んだ最初の地として記念された。次に、申命記11章29節に、「あなたの神、主が、あなたの行って占領する地にあなたを導きいれられる時、あなたはゲリジム山に祝福を置き、エバル山に呪いを置かなければならない」と言われる。これは、イスラエルがヨルダンを渡ってカナンの地に入る前に、モーセが説教した中にある言葉である。 ゲリジム山は約束の地カナンの丁度真ん中に位置する山である。申命記27章11節以下に、先の11章の言葉が、もっと詳しく次のように言われる。「その日またモーセは民に命じて言った、『あなたがたがヨルダンを渡った時、次の人たちはゲリジム山に立って民を祝福しなければならない。すなわち、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ヨセフおよびベニヤミン。また、次の人たちはエバル山に立って呪わなければならない。すなわち。ルベン、ガド、アセル、ゼブルン、ダン、およびナフタリ。そしてレビ人は大声でイスラエルの全ての人々に告げて言わなければならない』」。これが実行された時の情景がヨシュア記8章30節以下に記録されている。 全イスラエルが集まり、半ばの6氏族はエバル山の南斜面に、あとの6氏族はゲリジム山の北斜面に並び、ちょうど向かい合わせの形になった。ヨシュアが真ん中に立って律法の書を朗読し、民が両側からそれに応答したのであるが、祝福に関する応答はゲリジム山の側の氏族が唱え、呪いの言葉への応答はエバル山の氏族が唱えたということであると考えられる。 呪いの言葉への応答は、申命記27章15節以下に書かれた形で実施されたのではないだろうか。すなわち、「工人の手の作である刻んだ像、または鋳た像は、主が憎まれるものであるから、それを造って、ひそかに安置する者は呪われる」。民は、みな答えて「アァメン」と言わなければならない。「父や母を軽んずる者は呪われる」。民は、みな答えて「アァメン」と言わなければならない。「隣人との土地の境を移す者は呪われる」。民は、みな答えて「アァメン」と言わなければならない。「盲人を道に迷わす者は呪われる」。民は、みな答えて「アァメン」と言わなければならない。「寄留の他国人や孤児、寡婦の裁きを曲げる者は呪われる」。民は、みな答えて「アァメン」と言わなければならない。こういうことが繰り返されたのである。 二つの山の頂上に二つの群れが集まって、相呼応したのだと見る人もいるが、接近していたと考える方が現実性がある。これはかつて彼らの父たちがエジプトを出た時、シナイで律法が与えられた際の儀式の再現であり、主なる神との契約の更新、あるいは再確認である。 「ゲリジム山に祝福を、エバル山に呪いを置く」という申命記の記事は、エバル山が呪われた山になるという意味ではない。1個所だけ聖書を引けば十分であろう。申命記27章4節に「あなたがたがヨルダンを渡ったならば、私が今日あなたがたに命じるそれらの石をエバル山に立て、それに漆喰を塗らなければならない。また、そこにあなたの神、主のために、祭壇、すなわち石の祭壇を築かなければならない」。「私が命じる石」というのは、その前の個所にあるように、主の律法を記した石である。その石が立てられ、祭壇が築かれるのであるから、エバル山こそが礼拝の中心地であった。その中心が隣りのゲリジム山に移った理由は良く分からない。二つの山は一對として見られたから、同じように尊ばれたのであろう。 サマリヤ人の間に伝えられていたモーセ五書の本文では、先に挙げたエバル山の石の祭壇の記事でエバルの代わりにゲリジムになっているということである。たしかに、サマリヤの宗教においてエバル山は重要な役割を持たなかった。 とにかく、カナンの地に入った時のイスラエルの礼拝生活の中心は、疑う余地なくエバル山とゲリジム山であった。その頃エルサレムはエブス人の町で、イスラエルにはまだ名前すら知られてもいなかった。エルサレムがイスラエルの国家的礼拝場となったのはダビデが、ここをエブス人から奪い取った後である。だから、ゲリジム山で礼拝する伝統の方が古い。 では、サマリヤ人の主張の方が正しかったのか。いや、古いということは必ずしも正しいということの根拠ではない。分裂後の北王国における偶像の子牛礼拝については、ここでは触れていないが、この問題が残っている。イスラエルをユダから分離させて最初の王となったヤラベアムは、国民をエルサレムに行かせないために、二つの金の子牛を作って、一つをベテルに、一つをダンに置いた。そして、「イスラエルよ、あなたがたは最早エルサレムに上るには及ばない。イスラエルよ、あなたがたをエジプトの国から導き上ったあなたがたの神を見よ」と言ったと列王紀上12章28節以下に書かれている。この段階では北王国の礼拝の中心はベテルとダンになった。その後、紀元前4世紀頃ゲリジムに神殿が建てられたが、その神殿は紀元前128年に破壊されて、主イエスの時代には、子牛礼拝も神殿礼拝も途絶えてしまったから、問題にはならなかったのではないかと思われる。 礼拝の場所がゲリジム山か、エルサレムかという争いに関しては、主イエスは、どちらでもないと判断したもう。22節で見られるように、サマリヤ人に対するユダヤ人の或る意味の優位を認めておられるが、エルサレムの礼拝が正しく、ゲリジム山の礼拝が間違いであったとは言われない。ただし、どちらも間違ったというのではない。どちらも、歴史の或る時期にはそれなりの意義と使命はあった。そしてその意義と使命は終わった。新しい時代になった。 「女よ、私の言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」。 先ず、「私の言うことを信じなさい」。これは真理を啓示する者の権威を表わす前置きである。私のこれから言うことは信仰をもって受け入れるべきである。私はあなたのことを何もかも言い当てるだけの者ではないのだ、と言われる。女はすでに主イエスを預言者と認めているが、その上、さらに聞き従うことを求めておられる。 この前置きの言葉が非常に重要であることに我々は気付かずにおられない。これだけ重要な宣言をされたことは今までなかったではないか。すなわち、歴史の転換が起こるのだ、起こったのだと言われる。このような転換は旧約の中で預言されていたが、ヨハネ福音書でハッキリ教えられたのはここが最初である。 「この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」。「父」という言葉がすでに神礼拝の新しい意味と形を示している。神は勿論、創造者であり、全能者、永遠者、超越者であるが、これを「父」として礼拝するのである。神を父としてハッキリ教えるのがキリストの福音の特色である。旧約においても神が父と呼ばれる例は珍しくはないが、全体としては神を父と呼べない距離を人々は感じていた。神の子イエスが来られて、神を父と呼ぶことを教えたもうた。2章16節で、エルサレムの宮のことを「父の家」と呼んでおられたことを思い起こす。 神を親しく「父よ」と呼ぶことが出来ればどんなに幸いであるか、と人は理解する。しかし、そう呼ぶことが到底出来ない現実も理解せざるを得ない。すなわち、神は私にとって余りにも崇高であり、私は神にとって余りにも卑しい汚れた罪人だからである。唯一人、神を父と呼ぶことの出来る生まれながらの神の独り子イエス・キリストの執り成しによって、いや主イエスの口を我々の口として、我々は神を「アバ父よ」と呼ぶことが出来るようになった。我々も子とされたからである。仮りの「子」として、神の子でないのに、そうであるかのように見せ掛けようと自分自身を偽り、他の人を誤魔化しているため、今一つスッキリしないものを良心に感じてオジオジする生き方でなく、現実の神の子として、一点の曇りなき確信を抱いて、「父よ」と唱えて祈り、神の子に相応しい歩みをするのである。 そして、そのように呼ぶ時、神を礼拝するのがエルサレムにおいてか、ゲリジム山においてか、という問題は消滅したのである。 どこで礼拝しても良いことになった、と簡単に言い切るのは避けた方が良い。個人の礼拝はどこででも捧げられるようになったのであるが、特定の場でないと正式の礼拝は成り立たない。それはキリストの名のもとに人が集まる所である。マタイ伝18章の20節で「二人または三人が、私の名によって集まっている所には、私もその中にいる」と言われ、これが礼拝の成り立つ根拠であると教えたもうた。すなわち、キリストにおいて神が父であられるのだから、キリストが不在であれば、父を礼拝することも出来ない。このようにして唱える名を持ったことそれが歴史の転換であった。 |